この本は、その表題の通り、『意識の流れ』という本の続編です。私は、これまで約20年の間、主として日本各地で、セミナーを開催させていただいてきました。
そのセミナーを通して、お伝えしたかったことは、
「人間の本当の姿は意識、エネルギーです。」
「人間の本当の姿は目に見えません。」
「目に見える世界を本物とする思いから、目に見えない世界を本物とする思いへ、意識を転回していきましょう。」
ということです。
「私達の時間は永遠です。生まれてから死ぬまでが、私達の時間ではありません。私達の時間は、死んで途切れることはなく、ずっと続いています。その時間の中で、今ひとつの肉体を持っているだけです。」
ということを、心で知っていただきたいと思いながら、私は、セミナーを続けてまいりました。
そして、その趣旨の集大成として、『意識の流れ』という本を、2004年12月に、その改訂版を2005年12月に出版させていただきました。さらに、筆を加え、2010年5月に増補改訂版を出版しております。
もう少し詳しい学びの趣旨および経緯は、その本で押さえておいていただければ幸いです。私は、この先、そうしていただいていることを前提にして、話を進めていきたいと思っています。
また、他にも参考となる図書を巻末に紹介していますので、併(あわ)せて目を通していただければ、さらにご理解が深まるのではないかと思います。
ところで、書店には、大ベストセラーとなるものをはじめとして、たくさんの書物が並んでいます。
しかし、その中に、真実とは何か、本当のこととは一体何なのか、そのことを真っ直ぐに伝えているものがあるでしょうか。
参考になるものはあるかもしれません。
中には、元気づけられ、そして、勇気づけられる内容のものがあるかもしれません。
人間の心の奥深くを鋭く突いて、読者に何か訴えるものがあって、それなりの作品に仕上がっているものもあるかもしれません。
確かに、その時は、感動もしたし、共鳴もした。しかし、時間が経てば、あの感動は何だったのか。
確かに、相通じるところがあって共鳴もしたけれども……、ということはないでしょうか。
感動や共鳴が長続きしないのはなぜか。
それは、それらの作品が、人間の本質に届くものを欠いているからです。
では、人間の本質とは何なのでしょうか。
私は、人間の本質は、心だと、伝えてきました。
それらの書物には、表面上、問題提起があって、何かを促すようなテーマがあったとしても、もう一歩踏み込んで、
人間とは何か、
人間の本当の幸せや本当の喜びとは何か、
なぜ、人間には苦悩があるのか、
では、幸せや喜びと苦悩には関係があるのだろうか、
といったことについて、本質を鋭く突くというところまでには至っていないと思います。
たとえ、人間の心の中を上手に描写した内容であっても、人間の本質は心だという私の言わんとするところと、最終的には合致しないのです。
それは、どの書物も、人間を形としてとらえ、その土台の上に立って、人間像を描いているからです。
その土台の上で、人間の様々な心を、色々な角度からとらえたり、色々な味付けをしたりして、文章構成がなされているに過ぎないからです。
確かに、その土台の上で読めば、感動もするし、共鳴もする内容になっていると思います。人間の心の機微(きび)が、憎らしいほど上手く表現されていて、いい作品だと高い評価が得られる場合もあるでしょう。
しかし、です。
どんなに高い評価を得ても、そこからは、決して、真実を知ることはできないのです。
なぜならば、私達人間は、形ではなく、私達の本当の姿は目に見えないものだからです。
その観点から出発していないものは、表面上は人の心を打つとか、とらえることはあっても、本当の意味の「心」には浸透してこないのです。
一方、「人間の本当の姿は、形ではない」という土台、あるいは基盤に立って語られているものは、その内容が、人間の「心」に浸透していくには時間を要しますが、いずれ読む人の「心」に、本物の感動と共鳴を与えていくと、私は思っています。
なぜならば、本当の自分というものを、みんなその「心」に知っているからです。
ところで、私は、心を「心」と強調させていただきました。心と「心」は違うのかと言いますと、そうです、違うのです。その違いを、いくつかの問いかけを通して、語っていこうと思います。
あなたが連想する心とは、どこにありますか。心は頭の中にある、あるいは、心は胸の中にあると思われている人も多いでしょう。
しかし、私は、「心」はあなたの頭の中にも胸の中にもありませんとお伝えします。私がお伝えしようとしている「心」とは、そのようなものではないのです。
あなたというひとりの人物がいて、その人物が「心」を持っているのではないのです。
私は、人間の本当の姿は意識、その「心」だと申してきました。
言ってみれば、あなたは「心」そのものなのです。
これから、私は、あなたの頭の中にある心、胸の中にある心に訴えるのではなくて、あなたの「心」に、あなた自身に、直球を投げ入れたいと思っています。
読み進めていくうちに、心というものを、あなたの中で、少しでも認識を改めていかれれば幸いだと思います。
心はどこにあるのか。心とは何か。
人間とはいかなる存在なのか。人間と心の関係は何か。
人間は、何のために生きているのか。人間は、なぜ死んでいくのか。
このようなことに、少し思いを向けながら、どうぞ、最後までお付き合いください。
読み進めていくうちに、「うーん、そうだ」と頷(うなず)いていただければ、幸いです。
ところで、特に、これは予言ではありませんが、これから世の中は、ますます混迷の度合いが増してきます。人々の心の底に眠る、狂ったエネルギーが、形に表れてきます。
同時に、天変地異の嵐が吹き荒れる時を迎えていきます。
たくさんの人達が、一瞬のうちに、その命を落としていくでしょう。その規模は、今現在の比ではありません。
もちろん、日本の国もその例外ではありません。日本各地に吹き荒れる天変地異の嵐、それは、この日本の国の存続を危うくしていくだろうと思います。
地震国、日本です。その地震のメカニズムは専門家にお任せしますが、地震の規模、エネルギーの実態は、決して専門的な分析で解明できない部分があります。
それは、地震に限りません。その他の自然現象、人的現象は、すべて意識の世界が反映されたものです。
従って、その意識の世界から、それらのものをとらえていくことをしていかなければ、なぜ、そういった現象が起こってくるのかという真のメカニズムは解明できないのです。
やがて、どれだけ人間が頭脳を働かせ、一致団結して事に当たろうとも、そして、祈りを乞(こ)おうとも、形の世界は、崩れ去っていきます。そのことを、はっきりと知っていく時がやって来るのです。
人間とは、いかなる存在か、それぞれの心に深く訴えてくる時が、遠からずやって来る。私達は、そういう流れの中にあります。
その流れを、私は「意識の流れ」と伝えました。
なぜ、人間は、転生を繰り返してきたのか、その答となるものが明確に示されたことは、いまだかつて一度もありませんでした。自分の本当の姿が何であるのか、つまり、真実を知らないまま、この地球上で転生を繰り返してきたのが、人間と呼ばれる生き物です。
かくいう私自身も、人生の半ばまでは、真実に疎(うと)い状態でした。
真実を全く知らないまま、約半世紀を生きてきたのです。その道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
しかし、私は私なりに色々な不思議な体験を経て、紆余曲折(うよきょくせつ)しな
がら、人生半ばにして、ようやく本当のこととは何かを知るに至りました。
これが真実だとする確固たる思いが、その時よりすでに私の中にはありましたが、まだまだ当時は、私自身も勉強の段階でした。
私は、私の人生はセミナーとともにあったと言っても、言い過ぎではないと思っています。私は、セミナーとともに進化してきたのであって、決して初めから出来上がっていたのではありません。セミナーに集い来る皆さんから、そして、私の家族から、勉強、勉強の日々を重ねてまいりました。
何分(なにぶん)、私自身も愚かな肉を纏(まと)っていますので、それなりの時間を
要したということです。
そして、人生も半ば前後から、ようやくにして、自分が生まれてきた意味、自分の本来するべき仕事に気付くようになり、私(田池留吉)というひとりの人間とは別の自分の存在を、確信するに至ったということなのです。
今、別という表現をしましたが、この別という表現は、バラバラという意味ではありません。
まさに、「私はあなた、あなたは私」という意識の世界の真実を、私自身、肉という形を通して知り得たということなのです。
つまり、今、私は、田池留吉という名前の付いたひとりの人間で あると同時に、私の本当の姿は、実は目に見えないものだということ、その「肉の人間」と「目に見えない私」は、私の中でひとつだと感じています。
「肉の人間」も私ならば、「目に見えない私」も私です。しかし、どちらが本当の私であるかと言えば、それは言わずと知れたことなのです。今は、自分に肉を持たせて、自分の世界を見ている私であることを、はっきりと確認しています。
私は、よく永遠の今ということを言ってきました。過去も未来も今この一点と重なって、それが自分に他ならない。私は、そのような視点から、物事を見て、そして、感じてきました。
まさに、私は、今を生きています。しかしながら、今を生きるということがどういうことであるのかについては、社会通念上の意味合いとは、大きく趣(おもむき)を異(こと)にしていると思っています。時間は流れ去り、時は移ろいでいくけれども、私はその時間の中には生きていないという感覚なのです。
私には私の時間と空間があります。そして、その時間と空間は、実は私自身であり、あなた自身ですと、私はこのような感覚を持っているのです。
少々、話が先に行き過ぎました。
人生半ばにして、私が、本当の私自身に気付き、なすべき仕事に気付いたその仕事とは、真実をお伝えするということでした。
そのために、私は、今世初めて肉という形を持ってきたのです。田池留吉という名前で、初めて肉を持ちました。
私には皆さんのように、過去に肉を持っていたということはありません。いわゆる、生まれ変わり死に変わるという転生の体験がないのです。
このことを、どのように受け取っていただいても結構ですが、私には、それによって、自分を特別視する思いはありません。
ただ、過去世がない意識が、肉を持ってきたということはどういうことなのか、そのことを正しくとらえていただきたいと思うだけです。
私は、「意識の流れ」という言葉を使わせていただきました。
私もあなたも、その「意識の流れ」の中にあることを、あなた自身の心で知っていただきたいのです。
もうすでに、私がお伝えしてきたことについて証人(あかしびと)が出ています。私の言う通りに実践されていけば、どなたも本当のことが分かる、どなたも本当の喜びと幸せが分かることを、私は伝え続けてきました。私に心を向けるとはどういうことなのか、私に正しく心を向けていけばどうなっていくのか。ぜひ、あなたが、あなた自身の証人(あかしびと)となっていただきたいと思います。
私には、あなたを導いてあげましょうとか、あなたにパワーを授けましょうとか、そのような思いは一切ありません。
ましてや、あなたを洗脳することなど必要ないのです。
あなたを導くのは、「本当のあなた」自身であり、「本当のあなた」は喜びのパワーですと、繰り返し伝えてきました。
そこで、その「本当のあなた」に出会える方法を、順を追って記していきたいと思います。
その前に、「人はなぜ生まれてくるのか」「幸せな人生とはどのような人生なのか」について、少し考えてみましょう。