「続 意識の流れ」
最後は瞑想です 正しい瞑想をしましょう


第7章  田池留吉を思う
―私の指―



私の目も私の異語も、いわゆる波動です。

セミナー会場で、あるいはご自宅で、私の目を見て、異語を聞いて瞑想するという実践を積み重ねていただければ、それはお分かりいただけるかと思います。

そして、私の指も、実は、波動なのです。

実際には、私は、セミナー会場において、皆さんの言葉を借りれば、「指差し」という動作を行ってきました。

セミナー会場に集われた人達は、私の指に反応していく人達の様子を、目にされてきたと思います。また、自分自身も私の指に、何らかの反応を示されたことでしょう。

私は、そのたびに、「これはどういうことなのか。なぜ、こういうことになるのかということを、それぞれに考えてください」と申し上げてきました。

あの指先から、何かパワーを発しているのかと、いぶかしげに眺めてこられた人も多いのではないでしょうか。

同じようなものに、手かざしとか、ハンドパワーと呼ばれているものがあります。

肉眼で見れば、何だ、同じではないかと思われるかもしれませんが、それは似て非なるものであると申しておきます。

このことは、いくら言葉を重ねても、それぞれの心でしか分からないことです。

パワーはパワーであっても、マイナスとプラスがあるということくらいに留めておきます。

しかし、何も、私の指先から、そして目から、また、この口を通して語る異語からパワーを発しているということではないのです。

そう思う思いが、実は肉、形に留まる次元のものなのです。

私は、自分の思いを、きちんと正しい方向に向けているのです。正しい方向とは、自分の本質、本当の自分の世界です。その世界には、「肉の田池留吉」という存在はどこにもありません。従って、私から流れる波動は、プラスの波動です。プラスの波動は、プラスの仕事をしていくのです。

では、

プラスの波動とは何でしょうか。

プラスの仕事とは何でしょうか。

プラスだから良いことに違いはありませんが、その良いことというのは、一体何でしょうか。何にとって良いことなのでしょうか。

ここがポイントになってくると思います。

このポイントからずれていれば、人は、手かざし、ハンドパワーを貪欲(どんよく)に求めていくだろうと思います。

そこで、その回答の参考として、次に説明を加えます。

私の目や指を見たり、異語を聞いたりすると、その人の意識は、私のほうを向きます。私のほうに意識が向くと、どうなるのか、それは、例えば、私の指に反応された人ならば、はっきりと感じるはずです。

見たところは、叫び声が出るとか、転げ回ったり、走り回ったり、その人の肉体を通して、様々な変化を体験されていきますが、その様子とは裏腹に、大変嬉しいと感想を述べられます。

本当にどの人も、心の底から嬉しいという思いが湧き起こってきているようです。

なぜでしょうか。

まさに、そこには紳士淑女の姿はどこにもなく、口汚く罵(ののし)り、無様な様子を露呈しているのです。それが嬉しいとか、お母さん、ありがとうとか、思わず言葉に出てくるのだから、その人自身も不思議だと思われていると思います。しかし、現実に、ご自分が体験されたことだから、不思議と感じながらも、どこかで納得されるのではないでしょうか。

とにかく、自分の身体(からだ)を動かしているものが確かに存在する。しかもそれは、自分の中から突き上がってくるものだ。これが私なのか、私のエネルギーなのかと驚きながら、納得されていくと思います。そして、驚きながらも、実際に自分は涙を流している、この涙は、一体何の涙なのかと思うかもしれません。

また、ある時には、煮えたぎる思いの底から、ああ、私は間違っていましたという思いが、どんどんどんどん湧いて出てくる体験があるかもしれません。ひとしきり、そのようなことがあって、それも徐々に収まってくると、何とも言えない喜びが、ジワっと心に広がっていくことも味わえるのではないかと思います。

その喜びは、心の開放感から来るものかもしれません。

自然に表情は和らぎ、目は生き生きと輝き、満面に笑顔が溢れてきます。

先ほど、私の「指差し」は、手かざしであるとか、ハンドパワーというものと、似て非なるものと申しましたが、その意味がお分かりでしょうか。

それらの発する源には、必ず、肉の誰それがあります。宇宙のパワーだと言っても、さて、そのパワーがどこからやって来るのかということが問題なのです。

しかし、その違いというものは、それぞれが、それぞれの心を見て、そして、私のほうに心を向ける瞑想を繰り返し続けていくことがなければ、到底分からないでしょう。

似て非なるものという意味を、心で知るためには、第4章にある手順を踏んでいくしかないのです。

そうやっていこうと、素直に真摯(しんし)に思いを傾けていく以外に、本当の喜びと幸せを知る手立てはないことを、知ってください。