「続 意識の流れ」
最後は瞑想です 正しい瞑想をしましょう


第9章 転 生



転生、つまり、生まれて、そして死ぬということ、その転生があることを信じている人も、信じていない人も、世の中にはおられますが、転生はあるのです。

人間は、転生をします。転生をしてきました。もちろん、どれだけの転生を重ねようとも、人間の本質は変わることはありません。人間の本質は、意識です。

意識が、肉という形を持つことが、俗にいう誕生です。

そして、肉という形を置いていくことが、俗にいう死亡です。

生と死の区別は、肉があるかないかだけです。

もちろん、肉を持つ、つまり、生まれてくるということには、大きな意味があります。

肉を持つということは、自分を修正する唯一のチャンスだからです。自分の修正のために、肉、形を持ってきたけれども、修正どころか、さらに傷、歪(ゆが)みをつけてしまうことを繰り返してきたのが、転生の歴史でした。

従って、これまでの転生は、失敗の連続でした。失敗作が山積みされているのです。名を馳(は)せ、歴史上に残ると評されても、肉という形を残して戻っていく世界は、暗黒の世界に他なりませんでした。

肉を持って、そして、肉を置いていく間に、自分の本質、自分の本当の姿を知ることができた人間は、過去において存在しませんでした。

厳しい修行をして、それこそ瞑想三昧(めいそうざんまい)の日々を過ごしても、真実を知っていくことはできなかった、本当の自分との出会いを実現することができなかったのです。

なぜ、そういうことが言い切れるのでしょうか。

それは、私は、目に見えない世界を本物とする土台に立っているからです。私の基盤が肉にはないからです。

私は、いかなる高僧、名僧、悟ったとされる人であっても、その人を肉として見ずに、その人の意識の世界に思いを向けています。その意識の世界を感じれば、自ずと答は、出てくるのです。

生まれ変わり死に変わることを信じてきた、あるいは感じてきた人も、永遠の生命(いのち)、永遠の時間である自分が、本当の自分であることに行き着くことはなかったのです。

自分の中心棒に触れることなく肉を持ち、そして、肉を置いていく循環の中で、それぞれに、これこそが真実の世界だと思い込んできたに過ぎなかったのです。

数々の転生は、みんなあなた自身です。生まれてくる時代、場所により、姿、形は違えども、あなたの中身は変わることはありませんでした。

本当の自分という中心棒に、偽物の自分を転生のたびごとに巻き付けてしまいます。

今世は、その巻き付けた偽物の自分を取りましょうということを伝えさせていただきました。

「偽物の自分を取っていくのが、あなたの仕事ですよ。巻き付けることは、もうやめていきましょう」と言ってきたのです。

そして、当然ながら、肉体を維持する時間には限りがあります。その限りある時間の中で、何をなしていくことが本当のことなのか、私は、自分のすべてを賭(と)して、お伝えしてきたつもりです。

限りある時間の中で、自分の本質に触れることが、どれだけの幸せであり喜びであるのか、その幸せと喜びの自分を復活させてくださいという一念が、私にあるだけでした。

もちろん、自分の本質に触れるには、先に示したように、正しい手順を、焦らずに、たゆまず真摯(しんし)な思いで踏んでいくことが必要です。

「今世は、それぞれが、失敗の連続であったそれぞれの転生から学んでいってください。学んでいくために、今世の出会いを持たせていただいているのです。」

どうでしょうか。このような思いが感じられませんか。

出会いとは、何と何、誰と誰の出会いを言っているのだと思いますか。

「人間は、みんな間違った循環の中にありました。その循環の中から飛び出ることが必要なのです。間違った循環をしてきたから、転生は苦しみとなってきます。そして、その苦しみから解脱(げだつ)することが、幸せへの道であるといった間違いを、さらに重ねていくのです。

確かに間違った循環の中にあった転生の数々は、失敗の連続です。しかし、その循環から飛び出た瞬間、それは、すべてプラスに転じていくのです。

数々の転生は喜びでした。これらがあったからこそ、今の私に繋いでくることができました。」

自分の本質に触れた喜びが、塩川香世さんをして、このように語らせていることもまた、私は感じているところです。