「意識の流れ」からのメッセージT(二〇〇五年七月から十二月掲載分まで) 一、ようこそ、アルバートの世界へ ようこそ、アルバートの世界へ。私達は、またこのようにして、ともに語り合い、ともにアルバートヘの信を深めていける時間と空間を共有できることになりました。私はそのことが嬉しいだけです。私にはその他の思いは何もありません。 アルバートの世界は波動の世界です。心で感じて初めて知る世界です。心で感じる世界を、形で表していくには限界がありますが、ホームページを介して、ともにアルバートヘ思いを向けられることが喜びです。その喜びが伝われば、それでいいと思っています。もう従来のセミナーもありませんし、これからはさらにゆったりと、ゆっくりとしたぺースで、ホームページ上で出会えることを楽しみに、パソコンのキーを打っていくことでしよう。 どうぞ、あなたも日々心を見る時間の中で、私達とともに歩みを進めていきませんか。 二、肉という一個人から、波動の世界にある自分の本質へ思いの向け先を変えていけば、本当の喜びと幸せが分かるとお伝えします。その向け先を変えるために、肉があり肉の生活があるだけで、肉及び肉の世界にはそれ以上のものは何もありません。 今、私の中心はアルバートです。もちろん、これはこれから先もずっと変わりません。アルバートを心棒にして、これからの時間が流れていきます。肉を持つ肉を持たないに係わらずに、私はこの波動の中に存在しています。今世、このように肉を持ち、そう確信できました。自分を生かすエネルギーが、温もりであり、優しさであり、広がりであることを知りました。 三億六千年の膨大な時間は、莫大なエネルギーを蓄えてきた時間でした。ブラックばかりを上積みしてきましたが、アルバートを知ることにより、それらはみんなマイナスからプラスヘ変わる喜びを感じています。 肉という一個人から、波動の世界にある自分の本質へ思いの向け先を変えていけば、本当の喜びと幸せが分かるとお伝えします。その向け先を変えるために、肉があり肉の生活があるだけで、肉及び肉の世界にはそれ以上のものは何もありません。そこに単独的に価値を見出そう、求めようとしていくから、さらに肉は混乱していくだけです。 肉及び肉の世界を見る目を変えること、それがさらにこれから、よりはっきりと求められるでしよう。 三、肉の終わる時が自分の消滅する時、このように物事をとらえ、その基盤から取捨選択していく人生と、自分は永遠に存在するというところから歩いていく人生、見た目は同じでも全く異質なものです。 アルバートを知り、アルバートを感じ、アルバートとともにある自分であったと分かることが、肉を持ってきた究極的な目的でした。 人生は色々と様々な人生が綴られていくように見えますが、人生はひとつです。アルバートに出会うために肉の人生があるのです。そうでない人生は、どんなに光り輝き華やかな時問であっても、心の底にある寂しさ、不安と恐怖、呪いと怒りは消えることはありません。影をつかみ影を握る人生は空虚なものでしかありません。それは一時着けてきた肉を離せば、簡単に分かることです。心はみんな知っています。だから肉を離すこと、すなわち死を恐怖し忌み嫌っていきます。しかし、肉を持てば必ず肉を離す時がやって来ます。先送りにしても、いずれやって来ます。 肉の終わる時が自分の消滅する時、このように物事をとらえ、その基盤から取捨選択していく人生と、自分は永遠に存在するというところから歩いていく人生、見た目は同じでも全く異質なものです。 四、自分を自分でしっかりと受け止めてやれる優しさと温もりに出会うことが、幸せであり喜びであると実感できるまで、どうぞご自分と向き合ってください。 今このように語っている世界が、私には現実です。目の前に展開されている肉のことは、ただ車窓から眺める風景を見るように流れていきます。それよりも、今の今、こうして肉を持ちながら感じている世界、そこに私は確かに存在している、それが私には現実だから、私は幸せなんです。肉のことが整っているから幸せなのではなく、私の現実がアルバートだから幸せなんです。そしてさらに、こういうことが幸せであり喜びであると思える方が、ひとりふたりと増えていけば、こんな嬉しいことはありません。 ゆったりとアルバートを思える時間と空間をまず持つことです。ゆったりと過ごす時間と空間を持てることが、一番の贅沢です。それがたとえ病床であってもどこであっても、肉を持ちながら今、自分を見る時間と空間があることが、最高に贅沢なことだと思います。 肉体を酷使して、心を忙しく動かして、それで幸せになるのでしょうか。肉体細胞の思いや心の叫びをしっかりと受け止めてこそ、ああ私は幸せでした、私は喜びでしたと思えるのではないでしょうか。 自分を自分でしっかりと受け止めてやれる優しさと温もりに出会うことが、幸せであり喜びであると実感できるまで、どうぞご自分と向き合ってください。 五、己の愚かさと冷酷さを心で感じてください。見せかけ、偽物の優しさなど要りません。そんなものは狂った自分自身に絶対通用しないことが、地獄の奥底を感じれば分かります。 瞑想です。母を想う瞑想、肉の田池留吉を想う瞑想、そしてアルバートを想う瞑想です。目を閉じて中の目を開いてアルバートを見ます。意識の流れの本を読み、ホームページを開き、瞑想をしてください。 自分のエネルギーが心に浮かび上がってきます。そこで大切なのは、母の温もりです。温もりの自分、優しさの自分を信じていなければ、間違いなく狂います。自分を自分で受け入れることができなくては、自滅していくだけです。 自滅、自分を自分で滅ぼしていくのです。何と愚かなことか、何と冷酷なことか、それが分かりますか。 しかし、狂った自分を受け止めてやれるのは、己の愚かさと冷酷さを知り尽くした自分自身です。そこまで行き着いたとき、あるのは限りない温もりと優しさだけ、アルバートだけ、それが波動の世界の現実だと分かります。 心で感じてください。己の愚かさと冷酷さを心で感じてください。見せかけ、偽物の優しさなど要りません。そんなものは狂った自分自身に絶対通用しないことが、地獄の奥底を感じれば分かります。優しいということがどういうことなのかも分かってきます。 六、あなた自身の中の神々、教祖等々他力のエネルギーをつかみながらでは、絶対アルバートとともに歩くことはできません。それが心で分かって、今世の肉を離していくことができればいいのではないかと思います。 私は真実を淡々と伝えます。アルバートを信じていますかという問いかけに、私は即答できます。思えば瞬時に通じる世界がアルバートの世界だと、私は確信しています。あなたはどうでしょうか。 頭であれこれ考えていても、決して分かる世界ではありません。頭で分かる、理解するのではなく、心で分かる世界のことを伝えています。心で感じられなければ、ここで語られていることに、疑問と疑念が出てきます。それが、あなたの中の他力のエネルギーだと私はお伝えしていますが、それもあなた自身が自分の心を見るという作業をしなければ、分からないことなのです。 お分かりでしょうか。すべてはあなたが心を見るというところから始まるのです。あなた自身の中の神々、教祖等々他力のエネルギーをつかみながらでは、絶対アルバートとともに歩くことはできません。それが心で分かって、今世の肉を離していくことができればいいのではないかと思います。 七、肉を握りながら、アルバートとともには歩めないことを、自分自身が知っていくのに、これからの時間が用意され、これからの転生が用意されているのだと言えると思います。 私はアルバート一直線です。他に選択はありません。アルバート以外に本当の喜びも幸せも楽しみもないことを、私は知っています。それは、ただ嬉しいとか、ただ幸せとか、そんなものではありません。私はアルバート以外にないと断言しています。アルバート一直線と断言できるのは、その波動、その世界を心で感じているからです。 そういうことがなければ、やはり肉です。肉に喜びと幸せを、肉に安らぎを、肉に楽しみを、肉に生きる勇気を求めていくことをやり続けると思います。肉を握りながら、アルバートとともには歩めないことを、自分自身が知っていくのに、これからの時間が用意され、これからの転生が用意されているのだと言えると思います。 流れです。意識の流れです。私は意識の流れに忠実です。アルバート一直線の流れが私には見えている、感じています。肉のために肉があるのではなく、アルバートを知り感じていくために肉があります。自分の本質はアルバートとひとつ、言葉を変えれば、私は温もりであり優しさでした。そのことに自ら気付いていく流れの中にありました。気付くことが出来た私は、幸せであり喜びです。 八、あなたの心棒が何かということです。心棒が腐っていることを、形を通して自らに伝えています。それがそれぞれの苦しみ、悩みの数々です。しかし、心棒が腐り、狂っていることを知れば、その苦しみも悩みも嬉しくなってくるはずです。 あなたの心棒が何かということです。 心棒が腐っていることを、形を通して自らに伝えています。それがそれぞれの苦しみ、悩みの数々です。しかし、心棒が腐り、狂っていることを知れば、その苦しみも悩みも嬉しくなってくるはずです。肉は苦しみながら悩みながら、それでも目を閉じて想えば、幸せだ、嬉しい、ありがとう、そうなってくると思います。 何を想うかです。 そして、自分の心棒がなかったことに気付き、それが腐り切っていることに気付くために、丹念に心を見るということを重ねていくだけです。 心を見ることを伝えられた私達は、幸せです。 心を見てください。どんな思いをどんなエネルギーを使ってこられましたか。その際、この世の常識はひとまず横に置いてください。肉のあなたもいいんです。ただどんなエネルギーを流してきたかです。常識とか肉のあなたの世界では、正しいことも、使ってきた、垂れ流してきたエネルギーのすごさを、心で感じてくれば、決して正しいなんて言うことはできないと思います。真実を知らずに生きていくことのすごさを心で感じ、愚かな自分が浮き彫りになってくるのではないでしょうか。 それでもこのように存在している自分とは、いったい何なのか、そこから何かを感じられないでしょうか。ぜひ感じていってください。 九、難しいことなど何もない、そして、何もなくても私達は、幸せであり、喜びでした。何も持たなくても、私達は溢れるほどのものを持っています。 私からあなたへ、あなたからあなたへ喜びの波動が流れていきます。 信じる喜びと幸せを感じておられますか。日々アルバートを想うその中で、そのことを感じておられますか。 私達は、アルバートの、母の、この温もりと優しさの中に存在しています。これは紛れもない事実です。どうぞ、この喜びの流れをせき止めないでください。 私は、今世の出会いを本当に嬉しく思っています。できれば、ひとり、ひとりに、ありがとう、ありがとうとこの肉で表現していきたいという思いに駆られます。しかし、まだまだ肉で肉を見る次元の方が多い中、それはできません。 私の思いは、そうです、ただただありがとう、アルバート、ありがとう、これに尽きるのです。難しいことなど何もない、そして、何もなくても私達は、幸せであり、喜びでした。何も持たなくても、私達は溢れるほどのものを持っています。それが信じられる喜びと幸せ、そういう中で、一日一日が過ぎていく、こんな幸せはアルバートの世界以外にない、私はそう伝えています。 一〇、肉には何もなかった、肉を信じる心は苦しみでしかありませんでした。自分の世界をこうして知った今、私は初めから幸せでした。すでに満ち足りていました。 心に感じる真実を私はこよなく嬉しく思います。このような肉の時間と空間の中に、いざなっている自分自身は何と幸せなのかと思います。 すべてが整えられていました。これから先、肉にどのようなことが起こるか、私には分かりません。分かるのは、それらのものは私の中で喜びヘプラスヘ変えていける、いえそれらはみんな喜びだったと心で思えることです。私の中には、アルバートがあるからです。アルバートを感じアルバートとともにある幸せを私は本当に感じているからです。 私の現実は、私の中の世界です。ふうっと想えば、喜んでいる私がいます。優しさと温もりの中にある自分を感じます。これ以上のものはありません。永遠に続いていく私の時間、その中で今このようにして肉を持たせてもらっている喜びと幸せを感じている毎日です。 肉には何もなかった、肉を信じる心は苦しみでしかありませんでした。自分の世界をこうして知った今、私は初めから幸せでした。すでに満ち足りていました。 一一、苦しいとか、狂いそうだとか、いつまで自分に甘えているのかと思います。苦しかったら、狂いそうだったら、それこそなりふり構わず、その自分と真向かいになり、体当たりで自分を受け止めていけばいいのです。 本物の自分を知っているから、偽物の自分に翻弄されない、私はきっとそうなのだと思います。肉ではみんな五十歩百歩です。そう大して変わりはありません。肉の次元で思うこと、感じることは大体、同程度です。 しかし、意識の世界は違います。では、どう違うのか、それは心を見て、自分に問いかけていけば分かります。自分はどれだけ自分のことを大切に思っているか、今肉を持っていることをどう思っているか、本当にアルバートの実在を信じているだろうか等々、徹底的に自分に問いかけていけば、自ずと今の自分の状態が分かるはずです。 苦しいとか、狂いそうだとか、いつまで自分に甘えているのかと思います。苦しかったら、狂いそうだったら、それこそなりふり構わず、その自分と真向かいになり、体当たりで自分を受け止めていけばいいのです。それができると伝えています。 本当の自分は限りない温もりと優しさです。どれだけのすさまじいエネルギーが向かってきても、そんなものではびくともしない、もっともっと大きい広い広い世界、それが本当の自分です。それがアルバートの世界です。 一二、それぞれの来世に繋げ、そして二五〇年後に必ず繋いでいってくださいと思うばかりです。みんな肉ではそうなっていきたいと思っておられるはずです。しかし、残念ながら肉でそう思っていることと、あなたの中の意識の世界の現実とはまだまだ食い違っています。 意識の流れという本がこの世に送り出されたことが喜びで、九月から三回のセミナーが催されます。私は、喜んで喜んでセミナーに集ってまいります。皆さんとまた肉も出会わせていただくことが嬉しいです。 しかし、私の本意はそういうところにはありません。それぞれが本当にアルバートを信じ、アルバートとともに歩いていく道を自分の中で見つけていただきたいと、ただそれだけです。 私達とともに生きていく、ともに歩いていくには、肉、肉の次元に留まっておられては不可能なことなのです。それを本当に心で分かっていただきたいと思っています。それぞれの来世に繋げ、そして二五〇年後に必ず繋いでいってくださいと思うばかりです。 みんな肉ではそうなっていきたいと思っておられるはずです。しかし、残念ながら肉でそう思っていることと、あなたの中の意識の世界の現実とはまだまだ食い違っています。厳しい現実があります。私はそういうことに目をそらさずに、今世の時間を大切にしていってくださいと申し上げています。 一三、意識の流れの中の今世だということを忘れないでください。今だけをつかんでいる思いとは相容れません。今世だけの自分、今世だけの家族、そこだけに固執している意識に向かって、何を語ってもどう語っても、決して受け入れてもらえないということは分かっています。 同じ風景を眺め、同じ空気を吸っていても、あなたが肉を本物とする思いである限り、私とあなたの世界は違います。肉は相容れているように映りますが、まさにそれは肉の次元でしかありません。 私もあなたも意識です。あなたが肉を前面に押し出してこられても、私はそれに応じることはできません。ただ心を見てくださいとしか言えません。それは最も愛溢れる優しいメッセージです。肉が強い方は、それが冷たく感じられます。肉であれこれアドバイスをしてほしい、例えばこうでしょう、ああでしょうと事細かに説明してもらえることを望みます。しかし、そんな説明をしても、その方の根本が変わらなければ、肉が納得するだけで、実質的には全く何の効果もないのです。 意識の流れの中の今世だということを忘れないでください。今だけをつかんでいる思いとは相容れません。今世だけの百分、今世だけの家族、そこだけに固執している意識に向かって、何を語ってもどう語っても、決して受け入れてもらえないということは分かっています。ただ私がお伝えできるのは、あなたはあなたの心を見てくださいということだけです。 一四、他力の思いを見ていってください。あなたは今何を思い何に心を向けていますか。心を見ることができるのは、あなたが肉を持っているときだけです。肉を離せば、田池留吉もアルバートも思えないのが現実なのではないでしょうか。 今、意識の流れに書かれてあることがよく分からなくても、いつの日にか必ず、あなたの心に響いてくると私はお伝えしておきます。そんなに簡単には理解できないことは知っています。だからこれからの時間、転生が必要なのです。ゆったりと、しかし真っ直ぐにそれぞれの決めてきた道筋を着実に歩いていくことです。次元移行の流れを、ゆったりとそして喜びで味わってください。 それぞれの気付きと目覚めを促していく流れを感じるたびに、よかったね、嬉しいね、ありがとうと私は思います。 ともに次元移行を果たしてまいりましょうとすべての意識達に呼びかけていますが、それを受けていくかどうかはそれぞれです。そういう中で、私はひとつの肉をもらつて、この流れは現実ですと伝えているだけで、あとはそれぞれが選択していくことだと強調しています。 どうぞ他力の思いを見ていってください。あなたは今何を思い何に心を向けていますか。心を見ることができるのは、あなたが肉を持っているときだけです。肉を離せば、田池留吉もアルバートも思えないのが現実なのではないでしょうか。 一五、意識の世界、波動の世界は単純かつ明白です。玉虫色はありません。玉虫色は肉の世界のことだけです。そんな土壌からアルバートの世界は絶対に分かりません。 アルバートを想い、流れを感じている心から出てくるものは幸せと喜び、温もりと優しさです。それを言葉で表現すれば、自然に厳しくなってきます。断言的な表現になります。それは、意識の世界、波動の世界が単純かつ明白だからです。玉虫色はありません。玉虫色は肉の世界のことだけです。そんな土壌からアルバートの世界は絶対に分かりません。 私は私とともに歩いていく意識を喜びで迎えます。それ以外はノーサンキューです。意識の私の世界と合い通じないものは仕方がありません。 波動はだませない、波動だけがあなたの現実を物語っている、どうぞこのことをあなたの心で、あなた自身がよく噛み砕いて味わってください。 真剣に自分が自分に与えた時間、肉の時間を生きてください。何のために生まれてきたのか、何度も何度もこれからも何度も何度も自分に問いかけることです。あなたは意識の流れの本を読まれました。自分が本当に望んできたことを自分にしてあげてください。自分にもっともっと優しくなってくださいとお伝えします。 一六、きっと、これからの転生の時間は大変厳しいでしょう。過去の転生でもそうでしたが、二五〇年の間は真実を告げる肉は存在しません。どうぞそのことを心の端に置きながら、今世の時間を大切にしていってください。 私は、意識の流れを感じています。従って、二五〇年後も次元移行も私の中では、現実です。それだけに、今という時間、今世肉を持っている時間に、この現実をお伝えしたいという思いは強いです。そして、肉を使って、このように真実の世界をお伝えできる喜びを感じています。私は、二五〇年後アルバートのもとに皆さんと出会いたい、そしてさらに意識の転回を進められて、ともにごいっしょしたいという思いが強くあります。しかし、私の思いが強くても、それを受ける側が素直に心を開かれなくては、こればかりはどうすることもできません。 きっと、これからの転生の時間は大変厳しいでしょう。もっともそれは、肉の次元からすればであって、アルバートが現実であれば、大いなる喜びのときであることは、言うまでもありません。 しかし、過去の転生でもそうでしたが、二五〇年の間は真実を告げる肉は存在しません。どうぞそのことを心の端に置きながら、今世の時間を大切にしていってください。自分が浮上するも沈下するも、すべては自分次第です。引き上げるエネルギーも引きずり落とすエネルギーも、自分の外には存在しない、全部自分の中に存在します。 一七、あなたはその心でみんな知っています。自分を裏切っていく悲しみ悔しさ等々、もういやというほど味わってきました。それがこれまでの転生だったはずです。もうそういうことにピリオドを打ってください。 私の願いは、ただひとつ、ご自分に優しくなってくださいということです。あなたの中であなた自身の叫びをもっともっと聞いてあげてください。優しい母の温もりの中で、あなた自身を受け止めてあげてください。 心の叫びが聞こえてきます。うめき声かもしれません。声にならない声もあります。今のあなたのその肉にたくさんの意識達の思いが込められています。願って願って生まれて出てきたあなたです。そのあなた自身の思いを心で受けていってください。 あなたが優しくなければ、そういった声、叫びはあなたに届きません。地獄の奥底から這い上がってきたことを忘れずに、日々ただひたすらにアルバートに心を向けていってください。今しかできません。今という時間しができません。 どれだけ切実に感じておられるでしょうか。自分をごまかしてこれからも肉の時間を過ごしていくことはできます。しかし、あなたはその心でみんな知っています。自分を裏切っていく悲しみ悔しさ等々、もういやというほど味わってきました。それがこれまでの転生だったはずです。もうそういうことにピリオドを打ってください。 同じ地獄へ帰るにしても、きっと優しくなった分だけその様相が違っていると思います。 一八、肉を誇る思いなど小さな世界です。肉を認めろと喚くのは本当に小さな世界です。次元移行には大きなエネルギーが必要ですから、これからの流れに、そんな非力など役に立ちません。しかし、大きなエネルギーもブラックのままではだめです。真のパワーヘの目覚めがあって、次元移行を遂げていくのです。 私は優しさです。私は温もりです。三億六千年の肉の転生があったのです。肉にまつわる苦しみはみんな体験してきました。それでも、いえ、だからこそ優しさの私、温もりの私を信じていけるのです。そして、信じていける私は幸せです。 真っ黒です。殺して殺して殺しまくってきた、すさまじいエネルギーを垂れ流してきた、そんな意識が田池留吉の肉を通し、アルバートの波動に触れその世界を知ったのが、今世でした。 肉を誇る思いなど小さな世界です。肉を認めろと喚くのは本当に小さな世界です。次元移行には大きなエネルギーが必要ですから、これからの流れに、そんな非力など役に立ちません。しかし、大きなエネルギーもブラックのままではだめです。真のパワーヘの目覚めがあって、次元移行を遂げていくのです。 アルバートとともに歩いていく意識、エネルギー、私は自分という存在をそのように感じています。その中でこうして肉を持っています。次元移行の流れの中で、今世肉を持ちそしてやがて肉を離し、再び肉を持ってくるだけです。当然、肉の世界のことは、その流れに沿っていきます。流れに沿って存在することが整うということだと理解しています、 一九、今世、学ぶべきものはみんな学びました。その集大成が「意識の流れーアルバートとともにー」です。大きな字で綴られているたった一冊の本に、私達の喜びの思いがみんな込められています。 今、このように一本の意識の流れが、明確に示されています。あなたはその流れを感じていますか。信じていますか。 幾筋もの流れの中で、ようやく、本流がその姿を現し始めたのが、今世です。まだまだほとんどが、その流れを感じることができない実情にありますが、私達はもうその流れの中をただ真っ直ぐに進んでいます。 これが今現在、私の心に響いてくる思いです。ただ真っ直ぐに、流れの中をともにという思いが、私の中を突き抜けていくような感覚でいます。 すでにご承知のように、従来のセミナーはもう終わりました。形式は同じように見えても、私の中で思いは違います。今世、学ぶべきものはみんな学びました。その集大成が「意識の流れーアルバートとともにー」です。私達は、この本の誕生を心より喜んでいます。大きな字で綴られているたった一冊の本に、私達の喜びの思いがみんな込められています。あとは、それぞれが自分に問いかけながら、自分の道を見つめて歩いていく、その実践の中でやがて肉を離すときを、それぞれが迎えていくのです。 嬉しいです、ありがとう、幸せです、アルバートを想えばただそれだけです。そんな思いが、あちらからもこちらからも、伝わってくるのを楽しみに待っています。 二〇、あなたの生きている証は何ですか。 あなたの生きている証は何ですか。 お金ですか。美貌、優秀な頭脳、身分、家柄、立派な職業ですか。それとも頼れる家族ですか。 形の世界にのみ通用するそれらのもの何もかもを、一切自分から切り離したときに、あなたが今存在している証はどこにありますか。 何を頼りに何を支えにそして何を指針に、あなたは生きておられますか。 物質的に恵まれ、衣食住に事欠かない毎日の生活の中において、何を楽しみに何を喜びとして何に幸せを感じて生きておられますか。 何も携えずに丸裸の自分を今考えることができますか。自分の周りには何もない状態です。そんなこと考えたことがないと言われるかもしれません。それでは今考えてみてください。 今、実際に自分は様々なものに囲まれ抱え持っていても、しかし、あなたの意識の世界は何一つ持てない状態です。持てるものはたったひとつです。それを知らずに信じることができずにいる意識は、全く無知であると言えるのではないでしょうか。 自分を語るものなど何一つない状態で、あなたはいったいどのように存在しているのでしょうか。その状態が、紛れもないあなたの現実であることを心で知ってほしいと思います。 二一、私は、タイケトメキチ、アルバートとひとつです。ともに生きていくことを知りました。これからの二五〇年に至る時間と出会い、その後の展開、私にはまさに現実として心に響いてくるのです。これが私の生きている証です。 宇宙に垂れ流してきたエネルギー、このように表現しても、肉をしっかりつかみ、自分の正しさと立派さだけを主張する意識、すなわち肉には、全く分かりません。全く通じません。人として生き、生活してきた私のどこが間違っているのだと、反論されても、それに対して何も答えることはできません。 しかし、私は自分が間違ってきたことを心で知っています。心で深く感じています。地球上の転生の時間はもちろん、それ以前もみんなみんな真っ黒でした。それは自分というものを心から離したからです。温もりと優しさ、喜びの自分を心から忘れ去り、己、己のエネルギーをこの宇宙に振りまいてきたのです。それが暗黒のエネルギーでしたと私自身に伝えてくれていた私に、私は出会わせていただきました。それが今世でした。本当に嬉しいです。こんな幸せはありません。こんな喜びはありません。アルバートの実在を心で知る私は、本当に幸せです。 私は、タイケトメキチ、アルバートとひとつです。ともに生きていくことを知りました。これからの二五〇年に至る時間と出会い、その後の展開、私にはまさに現実として心に響いてくるのです。これが私の生きている証です。 二二、アルバート、アルバートとアルバートにパワーを求めてきた心を、本当に自分の中で見ていってください。アルバートはもちろんパワーです。そして、アルバートは温もりです。アルバートは優しさです。それが真のパワーです。だからそのパワーが働けば、腐り切っているものが表面に現れてくるのです。 アルバート、アルバートとアルバートにパワーを求めてきた心を、本当に自分の中で見ていってください。アルバートはもちろんパワーです。そして、アルバートは温もりです。アルバートは優しさです。それが真のパワーです。だからそのパワーが働けば、腐り切っているものが表面に現れてくるのです。アルバートのパワーを自分に吸収して、そして己のエネルギーを強めていこうとする、そのヘドロのような腐り切った他力のエネルギーを感じてこられましたか。あなたが他力の思いを真剣に見つめていかなければ、これからおかしくなってきます。もともと狂っていますから、それが噴き出してくるということでしょう。 私はひたすらにアルバートを想ってくださいと伝えています。そこには汚いちっぽけな欲の思いなど微塵もないのです。アルバートを呼べることが嬉しい、アルバートと想えることが嬉しい、それは自分が広げてきた暗黒の宇宙をつぶさに感じるからです。アルバートの温もり、アルバートの優しさ、それは取りも直さず自分自身です。ひたすらに純粋にアルバートを想うことができる、これほど幸せで喜びはありません。 二三、私は言葉を語っているのではありません。波動を語っているのです。 過去の栄光も実績も、本当はそんなもの何もありません。しかし、あると思っておられて、それらを捨て切れずにいる状態であれば、余程厳しく自分自身を見つめていかないと、すべてをご破算にはできないでしょう。みんな、ご破算にしてこそ、それらはプラスとなってきますが、それを栄光として自分の中でくすぶり続けている間は、真っ黒です。 俗に言う霊能者は、世間にはたくさんいます。しかし、その次元からは、意識の流れを感じ取ることはできません。肉の次元から、意識の世界、すなわち目に見えない世界をもっともらしく語っているに過ぎないのであって、そういうものと私達とは全く異質です。ただ求めるほうも、肉の次元だから、両方が引き合うだけで、全く私達、意識の流れとは通じ合うことはありません。 このことは非常に大切なことだと思います。そこに己を表すエネルギーが働いているか、否かで全く違うのです。だから波動はごまかせないと申し上げています。私は言葉を語っているのではありません。波動を語っているのです。 二四、私は今世に照準を合わせてきたのです。それだけです。そして次の照準は二五○年後です。 私は今世に照準を合わせてきたのです。それだけです。特別でもなく、それが私のシナリオです。私は田池留吉によって発掘されたのではありません。私は今世、田池留吉の肉と出会い、そして遅かれ早かれ、自分自身の思いに出会うという道筋を決めてきました。それが流れでした。 もちろん、肉の田池留吉、セミナーは私にとってなくてはならないものであり、どうしても必要でした。どんな形にせよ、出会いは必ずあるはずでした。 私の意識の世界は照準をピタリととらえましたから、今世の肉の人生、肉の時間の歩み方はもう決まっています。だから、肉の中に漂うことができる、流されずに沈まずに漂いながら、自分の方向を見つめている、それができるのだと思います。肉の世界のきらびやかさは、私にはくすんで見えます。それどころか泣き叫んでいるように感じられます。 そして、肉を肉の空間に漂わせながら、私の中のシナリオは二五〇年後の来世へと続きます。アルバートと自分、自分と自分、向き合う時間、空間を経ながら、やがてこの肉を離す、そして二五〇年後を待つ、思いはもうすでにそちらへ移行しています。次の照準は、二五〇年後です。 二五、清く正しく美しい肉など存在しない、ましてや天使や救世主など存在しません。私はそんなところから語っているのではありません。私は私と向き合いながら語っています。その私が、土台を変えなければ、黒は黒だと伝えてきます。そしてまた、意識の世界を見くびるなとも伝えてきます。 肉は今必要だからあります。自分に必要だから、肉があります。誰のためでもない、何のためでもない、自分のために必要だから肉を持っています。この思いは非常にしっかりとしています。そして、肉を持ってすることは何なのかを知っています。知っているから、肉は暴走しません。また、一応世間の常識は心得ていますし、無視はしていませんが、それに染まることもありません。それは、私の根本がアルバートだからです。 長い歴史の中で、その愚劣さも汚さも冷酷さもみんな心の体験としてあります。真っ黒だから真っ黒が分かる、その悲しさも悔しさもみんなみんな分かるのです。清く正しく美しい肉など存在しない、ましてや天使や救世主など存在しません。私はそんなところから語っているのではありません。私は私と向き合いながら語っています。その私が、どんなに言葉を連ねても、土台を変えなければ、黒は黒だと伝えてきます。そしてまた、意識の世界を見くびるなとも伝えてきます。 私はその自分自身の必死な思いを感じてきました。所詮、肉は肉です。そんなものより、必死で語ってくれた真っ黒を信じていこうと随分前に思ったからこそ、今の私があるのだと思っています。 二六、肉は欲です。肉は駆け引きをします。私はそれが肉の世界の常識だと思っています。違和感はありません。それで怒ったり、世直しだと旗揚げなどしません。肉の世界はそんなものだと思っています。 肉は欲です。肉は駆け引きをします。 私はそれが肉の世界の常識だと思っています。 違和感はありません。それで怒ったり、世直しだと旗揚げなどしません。肉の世界はそんなものだと思っています。 今、肉を持つ私自身は、そんな嘘っぱちの世界ではなく、真実の世界、すなわちアルバートを感じていますから、そのような肉の世界とは、ほどほどで関わっています。ほどほどで関わることができるのです。 アルバートがなければ、さあどうでしょう。さぞかし、しんどいと思います。私は、そのようなしんどい人生から卒業しました。 必要なものは目の前に現れ、そうでないものは消えていく、肉をはずせば、そこからたまらなく優しいものを感じます。苦しんで悩んで真っ暗な中に自ら落ちていく愚かさ、馬鹿さも、みんなみんな受け止めてもらっていたのです。そのことに気付けばいいだけですが、どうしてそんなに難しくなってしまったのでしょうか。 アルバートがない人生に明るさなどありません。心で頷けるあなたであってください。 二七、裏切りのない世界でした。アルバートの世界、その波動の世界には、決して裏切りはありませんでした。殺し殺され、裏切り裏切られの中に存在し続けてきた意識にとって、裏切りのない世界はそう容易く信じることはできないでしょう。 裏切りのない世界でした。アルバートの世界、その波動の世界には、決して裏切りはありませんでした。 殺し殺され、裏切り裏切られの中に存在し続けてきた意識にとって、裏切りのない世界はそう容易く信じることはできないでしょう。いつかは、どこかで、必ず、その思いを抱きながらきてしまった、だから心を開く、全部を託することができなくなった、そういうことでしょうか。 「あなたは何を信じていますか。あなたは私を信じることができますか。私はあなたのすべてを信じています。あなたはどうですか。私はあなたを裏切ることはありません。あなたが何度私を裏切ろうとも、私はあなたをただ信じて待っているだけです。」 すさまじいエネルギーを吐き出すたびに、私の心に返ってくる思いはこういうものでした。過去のセミナーの中で、その繰り返しを何十回となくやり続けました。結果、今世の肉を通し、裏切りのない世界が本当にあったと自分で明かしたことになります。今は、昔流行した歌の文句ではありませんが、時の流れに身をまかせて、思いはただ一点を見つめての心境です。幸せです。 二八、必ず結果が出てきます。命を繋いできた思いというものに心を向けて、自分に対して誠実に生きていく姿勢があれば、必ず結果が出てきます。すべてにおいて、結果至上主義ではありませんが、少なくともこの学びは結果が出ます。 必ず結果が出てきます。いえ結果を出してください。真実を知らずに肉を置いていくということが、一番残念です。その期間の長短など関係はありません。早世しても長寿であっても、その方が真実をキラリと心に感じることができたなら、ということになるかと思います。 命を繋いできた思いというものに心を向けて、自分に対して誠実に生きていく姿勢があれば、必ず結果が出てきます。私も肉は、わがまま気まま自分勝手でずっときましたから、何も偉そうなことは言えませんが、それとは全然違う自分自身の思いに触れてきましたので、私ははっきりと物申すことができるのです。 真の意味で強い人間でないと、アルバートの道は歩いていけません。泣き叫ぶ、喚き散らす、言いたい放題やりたい放題、それらは結局は弱い人間の象徴です。ブラックならブラックらしく、そして本当のブラックであれと、いうことです。そうすれば、本当のブラックとは何なのか、自分の中で答えが出てきます。何でも偽物はいけません。何でも中途半端はいけません。すべてにおいて、結果至上主義ではありませんが、少なくともこの学びは結果が出ます。 二九、本当のことを心で知っていくには、心を見ていく以外に手立てはありませんが、それをサポートするものは、「意識の流れ」「核からのメッセージT〜W」とホームページなのです。この点をしっかりと押さえておいてもらわないと、とんでもない方向へまた進んでいくでしょう。 「核からのメッセージ」は一個人が一個人のことを記したものではありません。もし、そういうふうにとらえておられるならば、大変遺憾に思います。私の心の歩みを記してはいますが、Wそれはあなたの歩みでもあると私は伝えています。ただ今世の肉のあなたでは記すことができないだけです。「意識の流れ」に至っても、同様だと思います。何も目新しいものはない、こんなこと先刻承知、さっと眺める程度に、あとは本棚の飾り、案外そういう方は多いかもしれません。それでは大変もったいないと思います。ただし、その値打ちが分からなければ、単なる本ですから、同列に扱っていくのも仕方がないことなのかもしれません。 本当のことを心で知っていくには、心を見ていく以外に手立てはありませんが、それをサポートするものは、「意識の流れ」「核からのメッセージT〜W」とホームページなのです。そして、いずれホームページはなくなりますから、後はそれらのみということです。この点をしっかりと押さえておいてもらわないと、とんでもない方向へまた進んでいくでしょう。 人は群れたがるものです。寂しさが根本にあるからです。そういうふうに心の世界を覗いていけば、すでに伝えられるべきものは伝えられていたと分かってくると思いますが、どうでしょうか。 三〇、生ける屍、そんな言葉が出てきます。アルバートを知らない肉はそんな状態だと思います。ともに生きるパートナーはアルバートだけ、肉の世界では真のパートナーは得ることができません。存在しません。自分は自分にしか託することができないと分かりました。 生ける屍、そんな言葉が出てきます。 アルバートを知らない肉はそんな状態だと思います。 たくさんの肉がこの世に生まれてきて、すさまじいエネルギーを垂れ流し、そして肉を閉じていきます。それでも生まれてくることを許されているのだと何とも言えないものを感じます。吐き出し垂れ流してきた、その真っ黒な真っ黒な闇の中に、一筋の明かりを見出すことは、大変なことだとしみじみ思います。 何も言えません。己の愚かさも何もかもすべてを知って生まれてきた自分というものは、すごいと思います。自分に肉を持たせたその思いを心で感じ、その世界に触れていったとき、極上の幸せを感じます。 ともに生きるパートナーはアルバートだけだ、その波動に巡り会えた私はそう実感しています。ともに生きるパートナー、肉の世界では真のパートナーは得ることができません。存在しません。それが分かりました。自分は自分にしか託することができないと分かりました。今世、大きな収穫でした。 三一、アルバートだけが真実ですと、私達、意識の流れはいつもそのように伝えています。私達とともに歩んできてください、歩んでまいりましょう。ただその思いだけをお伝えしています。 意識の流れは、今現在、全国の書店に出回っているだけとなりました。ありがとうございます。 どこそこの書店の売り上げランキングで何位というのは、本来の姿ではありません。本当なら、どこの書店でもベストセラーに輝くべき本です。みんながみんな、手に手に本を携えて、そうだそうだ、アルバートしかないとなっていくところですが、まだまだそうはまいりません。それでも、こういう類の本で一万冊以上出払ったというのは、すごいことだそうです。 後は、真実の世界に肉を通し触れた意識達が、どのようにこれからを展開していくかということが楽しみです。 二五〇年後への橋渡しとして、この本を十二分に活用してください。愛用してください。必ずあなたの心に応えてまいります。意識の流れからのメッセージが、あなたの心の中のおびただしい数の意識達に、優しくときには激しく伝わっていくことでしよう。 アルバートだけが真実ですと、私達、意識の流れはいつもそのように伝えています。私達とともに歩んできてください、歩んでまいりましょう。ただその思いだけをお伝えしています。 三二、まさにアルバートとともに、という時代の幕開けです。二五〇年後に至るまでの時間の中で、様々な体験を積み重ねていきます。想像をはるかに超える事態をくぐり抜けて、ようやく新しい時代の幕開けです。 まさにアルバートとともに、という時代の幕開けです。二五〇年後に至るまでの時間の中で、様々な体験を積み重ねていきます。想像をはるかに超える事態をくぐり抜けて、ようやく新しい時代の幕開けです。アルバートのもとに集う意識達のそのエネルギーはすごいです。肉がすべてだとして蓄えてきたエネルギー丸ごとを、心から吐き出してまいります。 何度も肉を持ち、地獄の奥底の苦しみを味わってきた人類の心、その意識の世界がどのようにしてアルバートヘと転回していくか、またそれは可能なことなのか、どうぞ二五〇年後に必ず出会って、あなたのその心で確認していってください。 そう簡単には覆すことが出来ない意識の世界です。 肉を本物とする意識を変えるということは、大変なことです。その大変なことが、これからなされていこうとしています。愛、真実のパワーが働いていきます。 宇宙にシャトルを打ち上げる愚かな人類のエネルギーが、何倍も何十倍にもなって、宇宙から返ってきます。人類の驕り高ぶったそのエネルギーが自らに返ってくるのです。 三三、次元移行は、私の歴史の中の一区切りです。そういうことが感じられる私自身、本当に幸せな存在だと思っています。 一度きりの人生だから、いえ永遠の命を信じて、そうやって何度転生を繰り返してきたのでしょうか。願いと祈り、その他ありとあらゆる思いを出し続け、自分を抹殺し続けてきたのに、それでもまたこうして生まれてきました。ようやく、自分に肉を持たせたこのエネルギーは何だったのか、その真の姿を心で見出せました。それは限りない優しさと温もりでした。しかし、これまで肉としての幸せ、喜びだけを追求せんがために、その優しさと温もりを裏切り続け、そのエネルギーをブラックに変えてきた愚かな自分自身でした。 真実、アルバートに触れた私には、後戻りはありません。前進するのみです。肉の世界から感じられる喜びとか幸せ感は何とちっぽけなものか、アルバートの世界に存在し、その喜びと幸せを広げている心には、そういう思いが返ってきます。アルバートがあってこそ、肉も幸せであり喜びでした。それが自分自身で明かした真実でした。この真実に出会う旅を、ずっと続けてきたのでした。 そして、次元移行です。次元移行は、私の歴史の中の一区切りです。そういうことが感じられる私自身、本当に幸せな存在だと思っています。 三四、頭は動いているようで動いていない、肉の思いも表面的、私にあるのは、中の思いです。中は不動です。中はみんなアルバートを指しています。その基準から外れるものは外れていい、どんどん外していこう、そう感じています。 あなたが本当に心でアルバートを感じていれば、〇一から〇五についても即答できるでしょう、違いますか。あれこれと意見はないと思います。 肉で肉の世界のことを語れば、様々な意見や感想、考えが出てきます。しかし、それらはみんな肉基準ですから、どのような見解を述べられても、最終的な結論には至らない、堂々巡りの中、時間だけが空しく過ぎていきます。 一方、アルバートの世界は違います。きちんと結論が出ます。答えはひとつだからです。 形あるものは、いずれ消えていきます。しかし、消えずに残るものがある、その存在をしっかりと心で感じることができなければ、道を見失うということです。 私は頭を信じていません。頭は腐っていると思っています。もちろん頭も使うし、頭で考えて行動をしています。しかし、それはほんの一部です。それと同様に肉は愚かだから、色々な思いも出しますが、それも表面的な感じです。 頭は動いているようで動いていない、肉の思いも表面的、私にあるのは、中の思いです。中は不動です。中はみんなアルバートを指しています。その基準から外れるものは外れていい、どんどん外していこう、そういう感じでいます。 三五、肉がある間は、肉の思いもできるだけ肉体細胞の波長に合わせて、その優しい波動を感じながら、ともにアルバートを思っていればいいと思っています。 「意識の流れ」は私の宝物です。心の軌跡を綴った「核からのメッセージ」も私の宝物です。お金と交換で手に入れることはできるけれど、その中身は決してお金では買えない宝物です。 振り返れば、自分自身この学びをやっていくためにうってつけの環境に整えていました。健康面も経済的にもそして時間的にも、今世充分に学べるようになっていました。それは私自身が望んできたことでした。心の世界、最低の低だったから、自分のために自分自身がみんな整えてきたんだと思っています。学んでいきたかった、自分に何としても真実を伝えたかった、偽らざる思いでした。 私の中で、田池留吉、アルバートの波動を心で聞いていく、そのための肉の学習の時問がまだ許されているようです。肉がある間は、肉の思いもできるだけ肉体細胞の波長に合わせて、その優しい波動を感じながら、ともにアルバートを思っていればいいと思っています。田池留吉を思い、アルバートを思う、それが二五〇年後に繋がっていることを感じながら、再会のときを待つ、とても幸せなことです。私の中の宇宙は待っています。再会をひたすら待っています。 三六、意識、波動の世界は比較する世界ではありません。私とあなたは比較できません。私にはそのような思いはなく、自分が感じている喜びだとか幸せを嬉しく思っているだけです。 ※ 〇一からの言葉について、私の思いを書かせていただいています。それは決して模範解答ではなく、それぞれに見解はお持ちだと思います。私は私で、心に上がってきたものを記しているだけで、説明不足だとか不具合はあると思いますが、それはご容赦ください。私はその過程を楽しんでいます。こうやってともに学ばせてもらうことが嬉しいです。 アルバートという真実の波動の世界に、一人でも多くの方が心を向けていかれることが、私達の楽しみ、喜びです。 日々の生活を送りながら感じることは、セミナーに集えた方々は、何と言っても幸せ者だということです。志半ばで肉を置いていった方々、セミナーに集ったものの途中で去っていった方々、セミナーにずっと集っていてもなかなか素直になれない方々、色々とありますが、みんなみんな意識の流れの中に受け入れられていると思うだけで、私は嬉しいです。 意識、波動の世界は比較する世界ではありません。私とあなたは比較できません。私にはそのような思いはなく、自分が感じている喜びだとか幸せを嬉しく思っているだけです。そこに付け加えるならば、私にはアルバートがあると確信しているということでしょうか。※ホームページに掲載されている項目 三七、必死で願い出てきた自分自身の心が泣き叫んでいます。本当にアルバートを感じてアルバートとともに歩いていこうとそう決心しているならば、最後の最後まで自分を見放さないでください。 学びの姿勢、真剣さ、もう一度自分の中で検証してください。漫然と学んでおられませんか。意識の転回なくしては難しい、その通りです。しかしそのことと、どうせもうだめだ、今世はいくら頑張ったところでこの程度、そうやって結局は自分をごまかしていくその己の高さ、頑固さとは全く別物です。それをどのように思われていますか。 必死で願い出てきた自分自身の心が泣き叫んでいます。本当にアルバートを感じてアルバートとともに歩いていこうとそう決心しているならば、最後の最後まで自分を見放さないでください。 私は、剣が峰とか徳俵とかの表現により、もう後がないことを伝えてきました。他力、他力の真剣さではなく、もっと素直になって、切望してきた自分自身の思いにどんどん触れていっていただきたいと思います。 何度も言います。私は特別ではありません。私もあなたもいっしょ、地獄の奥底から這い上がってきた意識です。あなたは後戻りするかもしれませんが、私はもうごめんです。 三八、私はあなた、あなたは私、もちろん分かります。心の奥深くまで響いてくる優しさと温もりと喜び、私はあなたの目を真っ直ぐに見ることができます。あなたの目は、また私の目を真っ直ぐに見てくれています。それですべてが分かります。私はあなた、あなたは私です。 私は今世こそ自分自身に真実を伝えたいと、一大決心をして肉を持ってきたのは事実です。しかし、そのときは、まさかこんなに幸せな自分というものが存在するとは、予想すらできませんでした。私は本当に幸せでございます。アルバート、心で感じるアルバート、その世界の喜びを言葉にするのはもどかしいと感じます。 私はあなた、あなたは私、もちろん分かります。心の奥深くまで響いてくる優しさと温もりと喜び、私はあなたの目を真っ直ぐに見ることができます。あなたの目は、また私の目を真っ直ぐに見てくれています。それですべてが分かります。私はあなた、あなたは私です。 魂が打ち震え、魂が揺さぶられるような喜び、このような表現が適切であるかどうか分かりませんが、決して大げさではないと思います。 本番さながらの今世の時間と空間を頂いていることを、ただただ喜びに幸せに思っています。アルバートがすべて、肉を持って感じる喜びの中に私はいます。 三九、身辺整理をする、身も心も軽やかに、これに勤しむ日々を送られてはどうでしょうかと提案します。 濁流の中をみんなドドッと音をなして流れていくような感じです。 幸せですか。心は安らいでいますか。しばらく自分に聞いてください。 今、死んでも幸せですか。それとも今、死ねば困りますか。 人は何のために生きているのでしょうか。 この世で超一流の生活ができれば、心は満たされるのでしょうか。そんな超一流でなくても、程ほどであれば、私は幸せですと言われますか。 私は私自身にそうやって色々と問うてきました。 お金を稼ぎながら、肉の楽しみとか喜びとかもたくさん味わいながら、気ままに生きてきたけれど、絶えず私は私に問いかけをしていたように思います。きっとそのときそのときの状況に自分自身が納得していなかったからでしょう。 何かが違っている、自分の求めているものとどこかがズレている、しかし、それは何かが分からない、そういうことだったのだと思います。 年齢が若くてこれからの人は、一生懸命働いてあるいは家族を持ってということがあります。しかし、ある程度先が見えている人は、もうこれしかないと思いますが、どうでしょうか。身辺を整理する、身も心も軽やかに、これにいそしむ日々を送られてはどうでしょうかと提案します。 四〇、自分に問いかけ、自分が答える、私はこの作業をずっとこれからもやっていくと思います。そして、自分に問うている自分とは何か、自分に答えている自分とは何か、様々な状況、場面で必ずや心にぴったりと決まる体験が、これからも期待できると思っています。 ご承知とは思いますが、今世は二五〇年後の準備時間に当たります。いわゆる予行演習のときです。それが今世のセミナーでした。 長い年月、セミナーで学んできましたと言われますが、学ぶためにセミナーがあったわけで、セミナー開催中は学べて当たり前でした。それよりも、私はセミナー後の年月、時間が大切だという考えをずっと持ってきました。果たして本当に学んできたのか、それはそれぞれが、その後の時間を、自分自身を自分で実験する時間に充てて、答えを出していくということでしょう。そこまでが今世の予行演習だと思っています。 自分に問いかけ、自分が答える、私はこの作業をずっとこれからもやっていくと思います。そして、自分に問うている自分とは何か、自分に答えている自分とは何か、様々な状況、場面で必ずや心にぴったりと決まる体験が、これからも期待できると思っています。そうやって私の学びの道筋は、もちろん続いていきます。それはいわゆる独立独歩の道かもしれません。 道はひとりで歩むもの、それが私の基本にあります。その確証を心に見出せたことが、何よりの幸せだということになると思います。 四一、意識の世界の歩み方は、夫婦、親子といえども全く別個です。夫婦、親子その他諸々の枠組みはなく、そこにはアルバートしか存在しません。何もありません。もちろん己の枠もなく、全くアルバートと同化することの喜びと幸せがあるだけです。 道はひとりで歩むもの、その道を見つけ、このように着実に歩めるのは肉をもらったからです。私自身の肉を切望する思いもさることながら、肉をもらうということ、肉をくれるということはすごいことなんだと、心から思います。 肉の母は愚かです、そして私のこの肉も愚かです。私は、しかし、そんなものをはるかに超えた喜びを感じています。 肉を突き合わせればさざ波程度は起こることがあるかもしれませんが、それはやはりさざ波に過ぎません。 肉の母を思うことがアルバートに直結する、愚かな肉を思ってもアルバートに直結する、それは肉をくれたことを本当に喜んでいるからだと思います。 意識の世界の歩み方は、夫婦、親子といえども全く別個です。夫婦、親子その他諸々の枠組みはなく、そこにはアルバートしか存在しません。何もありません。 もちろん己の枠もなく、全くアルバートと同化することの喜び幸せがあるだけです。 肉を持ってそのことを自分に知らしめた喜びは、肉の母を通し、また自分に戻ってきてくれています。 『ありがとう、温もりは存在していました、優しさはありました、ありがとう、ありがとう。』と戻ってきてくれています 四二、意識の世界はもともと自由です。どこまでも伸びやかに広がっていく温もりと優しさです。それをメインにアルバート以外は捨てる、捨てていくという自分の基本に忠実なのが、肉の私の存在の仕方です。基本に忠実に肉が存在できることが、環境が整うというのではありませんか。 肉の生活は、ある程度の制限は仕方ないにしても、その程度は小さいに越したことはありません。もっとも、自分で自分を縛っている場合もありますから一概に言えませんが、なるべくなら肉も何の制限も受けずに自由に存在できることが、一番だと思います。 生きていくために、何かに誰かに与《くみ》することを余儀なくされる、寄らば大樹のかげ、こういう状態であればなかなか真実の道を追究することは難しいでしよう。しかし、その人その人の考えや生き方があります。私も強制されることを好まないし、したくもない、基本はその人の自由です。 今の私は、そういう意味で理想的な状況に肉があります。肉が受ける制限はほとんどないに等しいです。 意識の世界はもともと自由です。どこまでも伸びやかに広がっていく温もりと優しさです。それをメインにアルバート以外は捨てる、捨てていくという自分の基本に忠実なのが、肉の私の存在の仕方です。基本に忠実に肉が存在できることが、環境が整うというのではありませんか。基本がないことには何も整っていないし、基本が違ったりズレていれば、当然環境もそれなりのものでしょう。環境が整って基本ができる、こんなおかしなことはありません。 四三、肉が喜びであり幸せだと感じる基準が、世間と違います。世間とは違うということは、そこに比較する思いも働かない、全く違うのだから比べることはできないし、その必要もないのです。アルバート一筋に絞った中で、何が必要であり、どうしていけばいいのか、自分の中できちんと答えが出ています。 肉の環境は素晴らしく整っている、私はすべての面において自由だ、私は私に責任を持つ、意識の世界とともに私の肉は今幸せの中にあります。肉が喜びであり幸せだと感じる基準が、世間と違います。世間とは違うということは、そこに比較する思いも働かない、全く違うのだから比べることはできないし、その必要もないのです。 アルバート一筋に絞った中で、何が必要であり、どうしていけばいいのか、自分の中できちんと答えが出ています。ただ、私の中では、このように今世セミナーの時間と空間を与えられ、学べるチャンスに恵まれたことだけが嬉しいです。 どうにもならなかった意識の世界、このまま地獄の奥底に永遠に沈んでいってしまうのか、私はそのような背景を心で抱えて生まれてきました。悠長なことは言ってられない、生易しいことは言ってられない、私には自分の中の切迫した思いがありました。平素は普通の肉でいいのです。しかし、そういう中の思いが、これからもいざとなれば、肉を引っ張っていくでしよう。 確かなのは、世間で言う喜びと幸せを得るために、今世の肉を持ってきたのではないということです。しかし、その思いが根底にあるから、肉が肉としての幸せと喜びを感じていくのは、容易いことなのです。思いを遂行していく過程で、そんなものは整えられていくからです。 四四、涙が止め処もなく流れます。何か安堵の涙であるような気がします。うまく説明などできませんが、私の欲するものなんて本当に何もなかった、自分を取り戻すことができてよかった、私はそう思っています。 涙が止め処もなく流れます。喜びの涙であるのか、幸せの涙であるのか、定かではありません。もちろんそうに違いないと思いますが、何か安堵の涙であるような気がします。信じられる自分を見つけたからでしょうか。私は私と運命を共同してもいい、そんな自分をようやく自分の中で見つけたからでしょうか。何も信じられずにきました。自分さえも信じられなかった、しかし、そんな自分なんて存在しなかった、何かそういうことが心で感じられて、そう今世肉をもらってそういうことが次から次へと心に押し寄せてきます。これは理屈ではありません。だからうまく説明などできませんが、私の欲するものなんて本当に何もなかった、自分を取り戻すことができてよかった、私はそう思っています。 四五、今世のセミナーの課題は二五〇年後に繋ぐということでした。そして、意識の流れは、確実に繋ぐことができたことを確認しています。二五〇年後は本当にアッと驚くほどの展開が待っています。そのスピード、そのスケール、私は本当に待ち遠しいです。 今世のセミナー、形でとらえた規模は小さかったでしょうが、本にも記してあるように、セミナーの役目はきちんと終了していますから、今世はこれでよかったのです。 もっとも、意識でとらえたセミナーは、そんな小規模どころではないですが、それはセミナー参加者のすべての方の心で分かることではありませんので、今は差し控えます。 とにかく今世のセミナーの課題は二五〇年後に繋ぐということでした。そして、意識の流れは、確実に繋ぐことができたことを確認していますから、後はその流れに逆らわずに存在できるかというのは、それぞれの意識の世界のことです。 二五〇年後は本当にアッと驚くほどの展開が待っています。そのスピード、そのスケール、私は本当に待ち遠しいです。「ひとつ」の世界の素晴らしさを存分に味わえるようにと、設定されています。しかし、それはこれからの時間と空間の中で起こるべきものを自らがしっかりと受け止めてということが、前段階としてあります。 大丈夫、自分で設定するハードルの高さは、みんな必ず飛び越えられる高さです。そのハードルを飛び越えて来てください。二五〇年後へと飛び越えて来てください。 四六、すべては私にとっていいように流れていく、そういうことを心で感じている私には、ああ肉はお馬鹿さんと、流していけるのです。自分を信じる私が私に、肉はお馬鹿さんと軽くいなしてしていくのでしょう。 私は私の道を歩いているだけです。それは、極端に言えば、メッセージに共鳴してくれても結構、それどころか反発されても結構、ましてやそれによって先導しているつもりはない、私はそういうことにはほとんど無頓着です。 パソコンに向かい、キーを打つ作業をすることによって、自分が幸せであり喜びであるかを確認しています。自分にチェックを入れていることになります。この作業が嬉しいです。肉があるからキーを打つことができる、キーを打ちながらアルバートを思う、その時間が楽しいです。 もちろん、同時に肉があるのだから、肉の思いなどボンボン出しています。それでも私は、その肉の思いに自分を振り回されることはありません。肉の思いを心に感じながら、中の思いすなわちアルバートと即座に突き合わせる、この芸当が私にはできます。そして、大事を前にした今世の時間だという自覚がある私には、肉に少々心が揺れても、結局はどうでもいいことだとなってきます。 すべては私にとっていいように流れていく、この場合の私とは、もぢろん肉ではありません。そういうことを心で感じている私には、ああ肉はお馬鹿さんと、流していけるのです。肉にこだわり、肉をつかまえて自分を落としていくことはしません。自分を信じる私が私に、肉はお馬鹿さんと軽くいなしていくのでしょう。 四七、アルバートがもたらしてくれたもの、それを感じることができること、私は喜びです、幸せです、ありがとうとしか言えないけれど、感じているものはきっともっとすごいと思います。 自分の中で苦しみ、悩み、もがきながら、そして私はひとつの回答を自分の中で見つけたことになります。この喜びは自分にしか分かりません。確実にとらえた真実の自分、その自分との巡り会い、どんなに言葉を重ねても、心で感じている思いを表現することは無理だと知っています。 その喜びと肉を持って出会うという喜びと幸せもまた、同じです。言葉が溢れている世界に肉を持ちながら、それを表現する言葉が見当たらないもどかしさを感じています。 詰まるところ、ありがとうしかありません。ありがとうしかない、その思いの深さを心で感じます。それは、田池留吉の肉と出会え、セミナーに集えたことを喜ぶその喜びとか幸せとは違うとは言いませんが、そういうものをはるかに超えた、そしてそこには留まらない喜びと幸せなのでしょう。 まさに「ひとつ」の喜びと幸せです。 アルバートがもたらしてくれたもの、それを感じることができること、私は喜びです、幸せです、ありがとうとしか言えないけれど、感じているものはきっともっとすごいと思います。 四八、質問に自己採点されていますか。希望的観測はなしです。今は「はい」と答えられて当然です。答えられない方は、さあどうでしょうか。 質問に自己採点されていますか。希望的観測はなしです。 今、一月後、半年後、一年後、三年後、五年後、十年後…、果たしてどうでしょうか。難しいですね、おいそれと「はい」と言えない状況の中でも「はい」と言える心の状態であるのかどうか、どうぞ慎重に進めていってください。 私は、この質問の箇所を見て、質問の文章を眺めながら、学んできたかどうかの真価は五年先、十年先に間われていくような感じを受けました。そして、セミナーもなく、ホームページもなく、そうした中で、自分と向き合ったとき、こういうことを自分に問いかけていく、そして自分の心に上がってきた思い、感じる世界、そういうものを総合的に判断して、その時々の自分の状況をとらえていく、その繰り返しこそが大切なのではないかという思いを持ちました。 今は「はい」と答えられて当然です。答えられない方は、さあどうでしょうか。状況を深刻に受け止めて、事態打開に全力を注いでいってください。 四九、人間は愚か者です。どうしようもないことが起きない限り、真剣に自分と向かい合うことはしません。常に、他力のエネルギーの庇護のもと、何とか何とかの思いを出し続けていく愚か者でございます。 我が道を行く、私はこの姿勢を貫くでしょう。今までも我関せずでやってきました。情報に疎いのかもしれませんが、雑音は耳をチラッとかすめるだけでした。それが好都合でした。自分の道を歩くことに障害にはなりませんでした。 いつまでも耳を大きく、情報網を張っていては、肝心のことがなかなか進んでいかないでしょう。何でも程ほどです。人は群れたがり、情報を集めることを欲します。自分に自信が持てないからです。くだらない肉の自信ではなく、アルバートという心棒です。それが持てないから、人が気になり、周りが気になって、心を見ることはお留守になってしまうのです。 しかし、そんなあなたにも、必ず心を見るというか、気付いていくチャンスは巡ってきます。今までもそうであったように、これからも、いえこれからはもっと激しく厳しく、そういう状態が迫ってくることでしょう。 その時でも結構です。どうぞこの学びを思い出してください。そして、すべてをかなぐり捨てて、心ひとつになって出直してください。 人間は愚かです。どうしようもないことが起きない限り、真剣に自分と向かい合うことはしません。常に、他力のエネルギーの庇護のもと、何とか何とかの思いを出し続けていく愚か者でございます。 五〇、私達は中途半端な思いで肉をもらったのではないという思いが、突き上げてきます。最後はそこです。そこに突き当たり、そして決して自分を裏切らない、この決意がひしひしと伝わってきます。同じ時に肉をもらい、セミナーに集ってきたのは、皆さんも同様だからではないのでしょうか。 私はともに歩める仲間を待っています。しかし、今現在、私自身がウーンと頷けるその波動を感じるには、さあどうでしょうか。少し物足りないような思いを抱いています。私の率直な思いです。どうとらえてもらってもいいですが、私はただアルバートと、アルバートだけを純粋に見つめるその思いだけを感じていきたいのです。そうは言っても、それぞれにシナリオがあり、時期尚早なのかもしれません。やはり二五〇年後を待つしかないのかもしれません。 こうまで書いてしまうと、と思いますが、そうですね、私自身も肉は少々驚いています。しかし、仕方ないです。私の中の思いはこのような思いです。 私は有り体に申し上げているつもりです。私達はそんな中途半端な思いで肉をもらったのではないという思いが、突き上げてきます。最後はそこです。そこに突き当たり、そして決して自分を裏切らない、この決意がひしひしと伝わってきます。同じ時に肉をもらい、セミナーに集ってきたのは、皆さんも同様だからではないのでしょうか。 はっきり自分の線を出さないと、いずれはまたうやむやのうちに、今世のこの時間も費やしてしまうことになるやもしれません。もちろんうやむやになることを、自分自身が望んでおられるから、はっきりとできないということかもしれません。 五一、私は常に私と向かい合っている、地獄の奥底の私が本当の私を見つめ、本当の私が地獄の奥底の私を見つめている、それが私の世界です。そして、互いにひとつの喜びを、出会えた喜びを感じ合っている、その世界はごめんなさい、今度こそは…、もうそんな世界ではないのです。 どんなに名文句を並べ立てても、心根はそう簡単に変えることはできません。心にガンを持ったまま、心の修正は無理です。いつでもまたそのガンが心から飛び出てくる機会を伺っているからです。 綺麗な言葉、整った体裁のよい文章、もう読みあきました。 本当にそこに書かれてあるように感じているならば、いえ、本当に真実に触れ、これしかないと思っているならば、不言実行でしょう。 確かに、ああ自分は間違ってきたなあと感じられるチャンスは、今世もまだまだ巡ってくると思います。だから肉がある限り、あきらめたりごまかしていくのは、もってのほかですが、なかなかその程度では心のガンに到達するのは、今世難しく思います。もっと言うならば、肉のことならいざ知らず、意識の世界についての決意など一度で充分です。二度、三度…、それはもう決意ではありません。 押せ押せの雰囲気の中で、私も、私も、アルバート、二五〇年後だと、はしゃいでいる時期はとっくの昔に過ぎました。 私は常に私と向かい合っている、地獄の奥底の私が本当の私を見つめ、本当の私が地獄の奥底の私を見つめている、それが私の世界です。そして、互いにひとつの喜びを、出会えた喜びを感じ合っている、その世界はごめんなさい、今度こそは…、もうそんな世界ではないのです。 五二、私の意識の世界は、文字通りアルバートとひとつです。間違いない現実です。五年後も十年後もそれから先も、ずっと、です。アルバートとひとつで死んで、アルバートとひとつでまた肉をもらってくるのです。それが私です。 私の意識の世界は、文字通りアルバートとひとつです。間違いない現実です。五年後も十年後もそれから先も、ずっと、です。アルバートとひとつで死んで、アルバートとひとつでまた肉をもらってくるのです。それが私です。 意識の世界は確かにそうです。そして今、肉を持っている私は、その肉としても自分なりの筋道を通していくと思います。そうすることで、肉をもらった私の思いを具現していきたいと思っています。 肉の時間を、アルバートとともに過ごすことができる喜びを感じている今、私自身に対する要望、肉がこうありたい、こうあらねば、それはほとんどありません。しかし、肉をもらったということについて、この世的な親孝行ではない親孝行をしたいという思いが私の中にあります。 アルバートは、肉をもらったからこそ、辿り着けた喜びの道です。肉をもらったからこそ、自分を救っていける手立てを知ったのです。私自身こんなに幸せはありません。 アルバートと思うだけで、幸せが広がっていきます。 もうセミナーも事実上終わり、これからは肉の時間の終結へ向けて準備をしていきたいと考えています。 五三、肉に、肉体細胞にありがとうと心から言える人は幸せな人だと思います。肉体細胞に心からありがとうと言えるのは、その人が本当の優しさとか、幸せを知っているからでしょう。 途中、何があってもいいけれど、最後はいい人生でしたと心で思えて、肉を離していけたらいいですね。肉に、肉体細胞にありがとうと心から言える人は幸せな人だと思います。肉体細胞に心からありがとうと言えるのは、その人が本当の優しさとか、幸せを知っているからでしょう。なぜ生まれてきたのか、生きていくとはどういうことなのか、みんな心で分かって、だから肉を置いていくときも、限りない優しさを自分に向けることができるのでしょう。 そして、肉とか肉体細胞とかの次元を離れたとき、世界はまた広がっていきます。存在していることが喜び、そうです、存在そのものが喜びでした。形の世界が崩れ去っていくことによって、そのことが心に迫ってくる、そのことを心で感じ入る、そういう大きなチャンスに巡り会っていく人類は、これほど幸せはないと思います。ヘドロを垂れ流してきた人類に、救済の道が手を広げて待ってくれています。肉の次元では、どう思ってみても恐怖です。しかし、心に響いてくる喜びのうねりを感じるとき、宇宙が喜んでいる現実もまた感じます。だから、これが私の現実なんだと思えるのです。宇宙の喜び、それは私の喜びです。アルバート、私達は宇宙そのものです。 五四、目を閉じて、アルバートを思おうとすること、実際にアルバートを思っているかどうかということはあるにしても、これ以上の幸せも喜びもないと思いませんか。 人は絶えず何かを思っています。何かに心が向いています。それは、ご承知の通り、肉です。他力の世界です。そのような中で、私達はアルバートを思うことを知りました。アルバートが何なのか、具体的に分からない人も、とにかくアルバートという言葉を耳で聞いて、その世界がどういう世界なのか、肉で知り得るところとなりました。そして、なかなか心で分かるというところまではいかないにしても、そういう世界があり、その世界こそが本当だと思ってきたから、セミナーにもずっと集われてきたということでしよう。 また、もちろん、いつまでもどこまでも他力の心を引きずって、我一番なりとか、救え、何とかしろと、叫ぶ声も多々聞こえてきますが、それよりもきっと多くの人が、自分の中の本当の自分を信じて、僅かでもその歩みを進めていきたいと思っておられることでしょう。 目を閉じて、アルバートを思おうとすること、実際にアルバートを思っているかどうかということはあるにしても、これ以上の幸せも喜びもないと思いませんか。私は、そう思います。生まれてきて、肉の世界しか知らない肉とは比べることができないほどの幸せ者でしょう。アルバートを思えることが、アルバートと心から呼べることが、どれだけ幸せであり喜びであるか、心にジンジンと響いてきたら、それは痛いほど分かると思います。 五五、心にアルバートを確信すれば、分かります。アルバートがない肉は寂しさと空しさ、不安、恐怖でいっぱいです。 心にアルバートを確信すれば、分かります。アルバートがない肉は寂しさと空しさ、不安、恐怖でいっぱいです。 何のために学び、働くのか、お金のためか、身の栄誉か、何のために家族を持つのか、家族を持って幸せか、では家族を失えば幸せは壊れていくのか、今、自分の存在理由を説明できるのか、こんなこと、突き詰めて考える余裕もなく、社会は流れ、時は過ぎ去っていきます。 そんな濁流の中で、やっと出会った学びのチャンスであったけれど、みんな己の無知とエゴと欲で逸していき、そして、ここで一念発起すれども、やはりそびえ立つ己という牙城はいまだに崩すに至らない、こういう状態であることを再確認してみてはどうでしょうか。 私は、希望的観測はなしと言っています。今の時期に、こうありたいではだめです。こうこうこうだから、こうですという、自分の現状をはっきりと裏付けるものを心に持っていることが大切かと思います。 私自身、こんなに厳しいことを別に書かなくてもいいと思いますが、今はもうそういうことですよと知ってもらって、そこからまたご自分の学びを進めてもらいたいという思いから、あえて言わせていただいています。 本当に、アルバートを感じ信じていく道は容易い道ではないことを知ってください。 五六、意識の世界からは、今世のセミナーは終了です。もうすでにその仕事は成されました。後は、いかに肉を終了していくかに比重は移されています。 アルバートを思う思い、それは超一流です。私は誇りに思っています。誇りに思うとは、それによって、己をそびえ立たせるということではありません。アルバートヘの思いに殉ずることができる、という意味です。私の中の思いは、それ程の強さを伝えてきます。並々ならぬ決意を秘めていることをずっと感じながら、今現在に至っています。 肉はくだらない思いを出しながら、しかし、その一点を突けば、私にはアルバートしかないという現実がバーンとあります。決して動かせない現実です。 過去からの思いがようやく今世に繋がり、そして二五〇年後の来世に繋がった、それは今世における大偉業だと私は思っています。 それは、もちろん大きな喜びでありすごいことですが、すべては予定通りであり、粛々と遂行されました。もうすでに遂行されたのです。肉の時間の感覚では、六月までのセミナーから継続して、これから三回セミナーが行われるようですが、それはあくまでも肉でとらえたものだと思ってください。 意識の世界からは、今世のセミナーは終了です。もうすでにその仕事は成されました。後は、いかに肉を終了していくかに比重は移されています。 五七、セミナー、ホームページ、そして「意識の流れ」の本により、今世、二五〇年後への布石を打てたことで充分です。細工は流々、仕上げを御覧じろではありませんが、確かな手応えを感じ、嬉しく思っています。 セミナー、ホームページ、そして「意識の流れ」の本により、今世、二五〇年後への布石を打てたことで充分です。細工は流々、仕上げを御覧じろではありませんが、確かな手応えを感じ、嬉しく思っています。 お伝えしていることが心に響いてこなければ、嘘のような本当のような、そして現実離れしたものでしかありません。また、アルバートと言えども、それが本当にアルバートであるのかどうなのか、誰も判定はできません。しかし、今はその人がアルバートとおっしゃるならば、それでいいと思います。いずれはその真偽のほどはまた心で感じられることだろうし、その奥深さも知っていかれることでしょう。 すべては二五〇年後です。私はそのように感じさせていただいています。アルバートをひたすら求め集ってくる意識達との出会い、それが二五〇年後に実現する、その確かな喜びを感じている私には、もうそれだけで充分です。 すべては二五〇年後、そこへ至る道のりを楽しみながら、存在を喜んでいくだけです。 五八、黒いものを白だと言えないし、アルバートでないものをアルバートだと言えません。それが意識の世界です。はっきりしています。アルバートを感じているのか、いないのか、信じているのか、いないのか、それだけが問われる世界です。 黒のものを白だと言えないし、アルバートでないものをアルバートだと言えません。それが意識の世界です。はっきりしています。言葉を並べ立てても、そこで何が言いたいのか、ズバリ私は何も学んでこなかったということだけだと思います。文章で自分を飾るとか、自分をごまかしていくのはもうやめにしましょう。意識の世界は、黒か白かだけです。アルバートを感じているのか、いないのか、信じているのか、いないのか、それだけが問われる世界です。簡単明瞭な学びです。 どんなに造反してきても、いまだにしていても、こうして学ぶことができるチャンスがあった、そのことを本当に心でどのように思ってこられたか、今どのように思われているか、それすらも分からなくなってしまうほど、大切なものを見失ってしまった心の世界ではないでしょうか。何もかも甘く廿くとらえてきたこれまでではなかったでしょうか。私は今そう思っています。 五九、意識の世界を広げていくにつれて、肉をもらったこと、肉を持ってきたことの喜びと幸せを感じていき、肉と意識の距離感が縮まり、やがてなくなりました。そして今は、愚かな肉も楽しいとなっています。 意識の世界をともに歩んでいける幸せ、喜びを感じている今、愚かな肉もまた楽しからずやの心境です。肉は馬鹿です。しかし、目を閉じれば、そしてふうっと思えば、アルバート…と思えば、ということです。 私は、誰かのために何かのために尽くしてきた人間ではありません。そういう人を立派な人間とするならば、私など問題にならないです。懐は小さく不出来です。肉であれもこれも受け入れるつもりもないし、第一できません。むしろ、我がまま、気まま、自分勝手、それが私の肉でした。また、そういう肉だからこそ、肉と意識の違いをまざまざと感じてきたということであるし、意識の世界とは本当にすごいものだと実感できたのかもしれません。 もちろん、違和感もありました。しかし、それは意識の世界を広げていくにつれて、肉をもらったこと、肉を持ってきたことの喜びと幸せを感じていき、肉と意識の距離感が縮まり、やがてなくなりました。そして今は、愚かな肉も楽しいとなっています。 言うまでもなく、それは根底にアルバートがあるからです。また、アルバートしかないから、愚かな肉はどうでもいいのではなく、愚かな肉もまた必要だということも分かったのです。 六〇、今が二五〇年後だということを心は感じています。しかし、また、肉の時間は肉の時間としてあることも心得ています。だから私の中でバランスよく、喜びを喜びとして、今肉が存在できることを喜んでいます。 二五〇年後の心をひとつにして歩いていく、存在していく、ひとつだと思えるものに出会ったから、私の中は不動です。揺らがない、アルバートを感じるとはそういうことだと解釈しています。 私は、何よりも何を捨てても、大切なものに出会わせていただきました。来世に繋いだ心をしっかりと中心に据え、私はこれからも肉の時間を堪能していくことでしょう。 一堂に会して学ぶ後三回のセミナー、もちろん喜びで参加させていただきます。一堂に会して学ぶというスタイルは、二五〇年後はもちろんなく、そういうことからすれば、これで最後となります。もっとも、最後だからどうということではありません。これもまた流れの中の一部分にしか過ぎないと思うだけです。淡々と喜び、喜びで通過していき、二五〇年後に再会しましょうと、ただそれだけを残して、後はそれぞれの心に任せていくということでしょう。 ありがとう、幸せです、私は喜びでした、こんな世界に存在しているのが私自身であったと心の底から感じている現実、その現実を引っさげて、アルバートの肉と出会うということが、どれだけの喜びであるか、心は知っています。今が二五〇年後だということを心は感じています。しかし、また、肉の時間は肉の時間としてあることも心得ています。だから私の中でバランスよく、二五〇年後の喜びを喜びとして、今肉が存在できていることを喜んでいます。 六一、肉を本物とする意識を変えていくために、これから想像を絶する体験を重ねていきます。それが、人類が自らに与えたシナリオです。本当の愛に目覚めるべく、すべてがそのように流れてまいります。 心に感じた喜びと幸せは、決して色褪せることなく鮮明に私の中で息づいています。アルバートを知るということはすごいことだと、何度も何度も繰り返し心に起こってきます。 形の世界は影の世界であり、一瞬のうちに崩れ去っていくものであることが、これからも様々な事柄を通して伝えられます。それでもなかなかです。他力のエネルギーから自分を解き放すことの難しさを感じることでしよう。 それすらも分からない人々がこの地球上を埋め尽くし、ともに地獄の奥底を這いずり回りながら、何度も転生を繰り返してきました。これからもそれは続いていくでしょう。死んでは生まれ、そのサイクルが短くなってくるかもしれません。いずれにしても、肉を本物とする意識を変えていくために、これから想像を絶する体験を重ねていきます。それが、人類が自らに与えたシナリオです。本当の愛に目覚めるべく、すべてがそのように流れてまいります。 今世の目覚めは本当にすごいと思います。決して肉で推し量れない出来事です。肉よ驕るなかれと、私は私自身にいつも伝えています。それが厳しい言葉となってこの肉を通して伝えていることなのです。私の中は喜びです。ともに歩いていける喜びをひしひしと心に感じており、ただただ幸せです。 六二、自分の心は自分でしかどうすることもできない、これが基本中の基本です。幸せだと思うのも、そうでないと思うのも、みんな自分次第、しかし、どんなときも喜び以外は存在しない、これもまた基本中の基本です。 意識の流れにことごとく反逆してきた意識が、今世肉を持ち、だからこそ苦しみの奥底であった、間違っていましたと目覚めがありました。意識の世界に完結とか、完成とかそういうものはありません。二五〇年、そして三〇〇年を経て次元移行を果たしていく、そのための今であり、そして、永遠に続いていく意識の世界、それが私自身だと認識があります。その中の今という一点です。 もちろん肉を持っていますから、肉も喜びであり幸せでありたいと思ってきましたし、実際何も分からないときは、やはりそれのみを追求してきました。今は形が整って幸せ喜びを感じているのではなく、心に確立した世界を持っているからということが中心にあって、肉も喜び幸せだとなっています。アルバートがなければ、肉の喜びも幸せもあり得ないことを感じています。 なぜ肉をもらったのか、いえ私は肉をもらって、今ここに存在していると思うだけで、何とも言えないものを感じます。そして、アルバートという存在を自分の中に見出せたから、肉の心は、すぐに軌道修正が可能なことを感じています。 自分の心は自分でしかどうすることもできない、これが基本中の基本です。幸せだと思うのも、そうでないと思うのも、みんな自分次第、しかし、どんなときも喜び以外は存在しない、これもまた基本中の基本です。こうして、ひとつひとつ確認できることがまた嬉しい、幸せな人生です。 六三、私は、はっきりしています。意識の世界の厳しさと優しさを感じています。だからこそ、何の思いもなく、ともに歩いていきましょうと呼び続けているだけなのです。 田池留吉の肉を思えば、ただありがとうだけです。 目の奥の厳しさを感じます。厳しさは優しさです。限りない優しさと温もり、まさに私には二五〇年後のアルバートの目です。 アルバートの目とともに私は存在していることを感じます。それが私の現実です。揺るぎのないアルバートヘの信、その世界が確立できましたことが最高の幸せです。もちろん、本番は来世です。その本番に向けてすべてが滞りなく進んでいるということでしょう。田池留吉にありがとう、そしてこの肉にありがとう、すべてにありがとう、その思いを広げていける私がいます。 出会いたくて、出会いたくて、必死に探し続けてきた私でした。自分を託する、全部を託する、それができない苦しみとか寂しさ空しさを抱えて、今世に繋いできた自分を思うとき、やはりあのとき止め処もなく流れた涙は、安堵の涙であったと確認しています。ようやく自分を託すことができるものと出会った、だから、ありがとう、ありがとう、これしかないのです。 私は、はっきりしています。意識の世界の厳しさと優しさを感じています。だからこそ、何の思いもなく、ともに歩いていきましょうと呼び続けているだけなのです。 六四、ほんの数十秒でもいい、目を閉じて向ければ、そこに確かな世界が広がっています。気持ちがいい、温もり、優しさ、アルバート、何とも言えません。私の基本はずっと変わりません。アルバートの基本は変わりません。その中心がより中心に向かっていく感じがします。 ほんの数十秒でもいい、目を閉じて向ければ、そこに確かな世界が広がっています。気持ちがいい、温もり、優しさ、アルバート、何とも言えません。私の基本はずっと変わりません。アルバートの基本は変わりません。その中心がより中心に向かっていく感じがします。 今までもセミナー、ホームページを通して大切な大切な時間を過ごさせていただきました。そして、これからはそれ以上に大切な時間であるような気がします。瞑想を通し、心に響いてくるものを感じて感じて、そしてまた瞑想を続けていく、それは、私の中に広がる世界、アルバートをどんどん感じていく作業です。 田池留吉が心に残してくれた財産は莫大です。田池留吉を思うことはアルバートを思うこと、アルバートの世界をともに広げていける喜びが感じられます。 気負いも頑張りもない、思うことが幸せであり喜びです。そして、ありがとうです。いつもありがとうに心を向けるとありがとうと答えてくれている、波動で答えてくれています。 六五、肉から意識への転回、アルバートとともに、この道はおそらく皆さんが思っておられるような生やさしい道ではありません。最後に残るホームページも、これからさらに厳しくなっていくだろうと推察しております。 テレパシー、未来の予知能力、そんなものを素晴らしいと求めなくても、心はみんな知っています。アルバートが分かれば、そうなんです。肉は馬鹿だから、全然気付かないことも、意識の世界ではきちんとキャッチしています。ただし、アルバートが本当に分かれば、のお話です。 アルバートが分かり、本当に意識の流れを感じることは、何度も言いますが、そう容易いことではありません。だからこれから二五〇年、三〇〇年、そしてそれぞれに何度かの転生というシナリオが待っているのです。その間は、アルバートを離す時期でもあります。肉を持つということはそういうことです。そしてそれぞれのシナリオを経て二五〇年後に臨むということではないでしょうか。 常に冷静に自分の状況を見極める目を持つこと、私は大切なことだと思います。意識は流れています。厳然としてある意識の流れ、その中で今世学習したことには違いありません。しかし、それを活かせるかどうか、それは全く未知数だとは申しませんが、まだまだそういう状況であると私は感じます。肉から意識への転回、アルバートとともに、この道はおそらく皆さんが思っておられるような生やさしい道ではありません。最後に残るホームページも、これからさらに厳しくなっていくだろうと推察しております。 六六、アルバート以外はみんな闇、こんな簡単な道理はないのです。肉に向ければ苦しみ、アルバートは喜び、これも簡単明瞭な道理です。 アルバート以外はみんな闇、こんな簡単な道理はないのです。肉に向ければ苦しみ、アルバートは喜び、これも簡単明瞭な道理です。 今回の台風もまた日本列島に大きな爪あとを残しました。喜びの大きな渦、アルバートありがとう、と台風は伝えています。海上から喜びの大きなエネルギーは発生するし、山は爆発、地殻は激しく変動する、次から次へと起こり、最後は地軸が傾く、すべては喜びへの大移行という現象でしょう。 これは未来を予言しているのではありません。予言とか予知からは、ただ単に人の心に恐怖を与えていく波動しか感じられません。アルバートはそうではありません。現実を淡々と語ることにより、喜びに目覚めていくことを促し続ける波動の世界です。 それらの現象を肉でとらえれば、大いなる恐怖でしかありません。しかし、それらもまたアルバートであると感じることができたなら、もう何も言うことはありません。ともにそこでひとつとなっていく、すべては喜びのエネルギーであった、肉から意識への転回が一瞬にして遂行される、ということです。その手立てしかない、しかし、たったひとつの手立てが残されそれが実現されようとしている、今はそれの前哨戦とも言うべきなのでしよう。 六七、すべての原因は自分にあります。自分が流してきた思いの結果です。申し開きは何一つありません。だからこそ、そのすべてを受け入れていけるのではないのでしょうか。 私はどんどん行きます。意識の世界をどんどん広げてまいります。最初から言われ続けてきたことであるけれども、肉を基盤としていては、真実は絶対に見えてきません。感じると言っても様々です。敏感がいいのではありません。肉を基盤とする敏感は自らを苦しめていきます。欲の思いが根底にあることがなかなか分からないのです。ただひたすら、純粋にアルバート、本当にそうであるのかどうなのか、自ら試すときが必ずやってきます。 次元移行を完遂していく意識の流れは、厳然としてあります。そしてまたその流れに逆流する流れもあります。その中で、自らが自らをいざなっていくということです。その厳しさそしてその正確さは、それぞれがきっとこれから心で感じるところとなるでしょう。 すべての原因は自分にあります。自分が流してきた思いの結果です。申し開きは何一つありません。だからこそ、そのすべてを受け入れていけるのではないのでしょうか。自分でないものは全く何もない、すべてが自分の世界、すなわち自分であると心で認識できれば、ただありがとうございましたと受け止め受け入れ、そして存在していく喜びと幸せを、満喫できるのではないのでしょうかと、私は思います。 六八、本当にアルバート、波動を感じていけば、私が語っていることは、心で理解してもらえると思います。私はあなた、あなたは私の世界を感じられると思います。 原理は簡単です。みんなそれぞれ自分自身が幸せであり喜びであればそれでいいだけです。ただし、それぞれにその基準は違います。しかし、それもアルバートというひとつの基準に合わせていけば、みんなひとつの幸せと喜びの中にあるということです。そのアルバートに合わせるということが、なかなか難しいのです。それをひとつひとつ、それぞれの環境のもとで、今学んでいるだけです。 私の真似は誰もできません。私のシナリオがあるからです。私は比較対照の世界に生きていません。肉は比べることがあるかもしれませんが、そんなものはほんの微々たるものです。私は私の意識の世界を確立しています。だから私は幸せなんです。それでおしまいです。その喜びと幸せを分かってほしいという思いもありません。ただ、私は波動でお答えしていると思います。きちんと自分自身の思いをお伝えしていると思います。私は自分が幸せだから、それでいいのです。私はアルバートとともに存在している、唯一これだけでいいのです。 肉で見れば、自分さえ幸せであったらそれでいいのかというふうにとらえられるかもしれませんが、それは本当に肉の次元で物事を見ているからです。本当にアルバート、波動を感じていけば、私が語っていることは、心で理解してもらえると思います。私はあなた、あなたは私の世界を感じられると思います。 六九、思えば通じる世界、それがアルバート、ただひたすらにアルバート、みんなそうならばどんなに幸せかと思うだけです。 この世のどこかに必ず真実はある、この思い、心の声がずっと牽引してきました。自分を引っ張ってきました。現実にあったと知った私は、それではその真実に出会ったことがミラクルかと自分に聞けば、そうではないと返ってきます。やはり、予定通りとか必然であるとか、そういうことです。そして、私はこれからもこの予定通り、必然的な流れに乗っていくのだと思います。意識の世界、それは肉も含めてそうだということを感じています。ひとつだ、この感触、この実感が私を支えています。 アルバート、ひとつとなって歩いている、存在していることを感じている私には、出会いが奇跡であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいことです。私は本当に幸せです。その存在が何とも言えません。 アルバートは実在する、自分の心の中に実在する、このことを伝え続けてきました。これからもこれだけです。思えば通じる世界、それがアルバート、ただひたすらにアルバート、みんなそうなればどんなに幸せかと思うだけです。「みんな、幸せになってください」田池留吉の厳しくて優しい思いが届きます。 七〇、生きても苦しみ、死んでも苦しみ、いえそうではなくて、生きても幸せ、死んでも幸せ、それが本当の私達の姿です。 生きても苦しみ、死んでも苦しみ、いえそうではなくて、生きても幸せ、死んでも幸せ、それが本当の私達の姿です。それが分かるための転生でした。アルバートに思いが届いた意識の世界は幸せそのものです。もちろん意識の世界は、限りなく続いていくものですから、今というときは流れています。 今幸せそのもので、ある日突然苦しみのどん底、もう私にはそんなことはあり得ません。確かに二五〇年後の私のシナリオは、肉は苦しみのどん底から出発します。しかし、それと今世以前の肉の苦しみとは大違いです。意識は確実に目覚めているからです。肉の苦しみはそれを触発するものに過ぎません。一気に噴き出すために設定されています。 アルバートに、すなわち自分に自分を託する、全託する喜びと幸せを知った私です。私は私であって私でないことも感じています。アルバート、その波動の世界に目覚めた今世、それは、二五〇年後がどれだけの苦しみの中にあっても、私は流れに逆流することはない、その確信を得たということです。 生きても幸せ、死んでも幸せ、私はそのような状態に近づきつつあると自己採点しています。 七一、肉を持つということはすごいことなんだ、実感です。それと同時に、肉が自分だとする思いは、欲の塊でしかないことも実感です。 出会わせていただいたことを心から喜んでいます。嬉しいだけです。ありがとうしかありません。肉を持つということはすごいことなんだ、実感です。それと同時に、肉が自分だとする思いは、欲の塊でしかないこともまた実感しています。自分というもの、波動の世界を感じていけばいくほど、それを知らずに生きていくということは、まさしく無知とエゴと欲でしかないこともまた、その通りでした。綺麗に体裁よく何を語っても、どんなに立派な考えを述べても、自分は何かという真実、自分というものを知らずには、どうにもならないことです。 こういうことが、心にしみじみと、本当にそうだったと感じられる日々を過ごすことが、幸せだと私は思います。肉を持ってて、こういうことを心で感じていくことができる、感じることができるということは、それではどのように存在していけばいいのか、そういうことも自然に心に伝わってくる、そういうことだと思います。 こんな時間と空間の中に、自分があるのです。私はだから幸せだ、喜びだと言っています。自分は本当に幸せです。私は砂上の楼閣ではなく、私自身の根幹は決して崩れないものです。アルバートという根幹は崩れようがありません。 七二、意識の世界は比較もできなければ、誰かが判定するものでもありません。ただそれは現象化していきますから、私達はまた、そこから何かに気付いていけばいいだけです。そして、そのとき問われるのは素直さだと思います。どんなときも、素直に自分に誠実に、それが一番だと思っています。 朝起きて、夜寝るまで、至って普通です。肉は普通がいいです。特異な肉あるいは特異な環境であれば、気付けるものも気付けない、やはり肉にまみれてしまうでしょう。 肉のために生き、肉のまま死んでいく、ほとんどの方がそうです。今の自分だけを考え、悪戦苦闘している、または栄耀栄華に踊っている、それが人生でしょう。 私は違います。私はそのような生き方、死に方を選びません。私は二五〇年後をそしてそのずっと先を視野に入れて、私の周りが成り立っていることを感じています。たかだか七十年、八十年の人生ではありません。八十年健やかに生きるために、今の私がある訳でもありません。そういうふうなことにふっと思いを向けると、私は何とも言えずに嬉しくなってきます。 ところで、世間では、それぞれに修行を積まれたり、研鑽を重ねられたりして、独自の世界を確立されている方々も多いと思います。私は、アルバートという世界を感じています。では、その方々が確立されている世界と、私が感じ信じているアルバートの世界と、どこがどう違うのでしょうか。あるいは、同じアルバートと言っても、違うかもしれません。 もちろん、意識の世界は比較もできなければ、誰かが判定するものでもありません。ただそれは現象化していきますから、私達はまた、そこから何かに気付いていけばいいだけです。そして、そのとき問われるのは素直さだと思います。どんなときも、素直に自分に誠実に、それが一番だと思っています。 七三、何度同じことを繰り返しても、まだ懲りもせずに愚かなことの繰り返し、これが人間の心の実態だと思います。本当に根底からガラリと変えない限り、どれだけの年月を経て学んできても、何も変わらないという現実を知ってください。 同じような現象であっても、喜びに転回できる方もあれば、苦しみをより膨らませていく方もあります。その渦中に入り込んでしまえば、自分が見えなくなってしまうのでしょう。思いがそこへ集中してしまい、そこから自分の心を自由にすることができない、だから苦しんでいくということでしょう。心を離せば楽になると思っても、つかんでしまうのが常です。その心の状態が苦しいのに、あたかも目の前の現象が苦しいと、不平不満愚痴を並べ立てる、こうして過ごしてきたのも、肉を本物とする人間の常でした。 何度同じことを繰り返しても、まだ懲りもせずに愚かなことの繰り返し、これが人間の心の実態だと思います。意識変革ではありませんが、本当に根底からガラリと変えない限り、どれだけの年月を経て学んできても、何も変わっていないという現実を知ってください。 だからこれからの二五〇年、三〇〇年という時間、そして天変地異という現象が起こってくるといえば、それまでです。しかし、それは本当に生やさしいものではありません。そこのところを、今世のこの時間にしっかりと心で学んでから、肉を捨てていってください。 七四、肉という他力の世界から、自分を解き放すことができないのはどうしてでしょうか。自らに問いかけ、自らが答えていく、どうしてか、なぜか、何が障害となっているのか、根気よくひたすらにやっていくしかありません。一足飛びにはできない、マジックもミラクルも何もない、私はそう思います。 自分の肉に不都合なことは、どうしてもマイナスととらえてしまいます、プラスだと思えと言われても、簡単に思えるはずがありません。ああ、これは心を見るチャンスなんだと分かっていても、できることならば…という思いは無きにしも非ず、いえ根底にしっかりとあるかもしれません。また、一方では、お金に物に囲まれて、肉で言えば不都合なことは何もないように見えても、ああこの人も本当は幸せでないんだなあと感じるでしょう。色々な面で恵まれているのに、なぜその人は幸せでないと感じるのかと言えば、やはりアルバートを知らないからだということになってくると思います。 アルバートがなければ、本当の喜びも幸せも分からないと感じているはずなのに、どうしてそのアルバートを感じ信じる道を歩めないのでしょうか。肉という他力の世界から、自分を解き放すことが できないのはどうしてでしょうか。自らに問いかけ、自らが答えていく、どうしてか、なぜか、何が障害となっているのか、根気よくひたすらにやっていくしかありません。一足飛びにはできない、マジックもミラクルも何もない、私はそう思います。心を見ること、自分との対話、それ以外に自分の世界を開いていく手段はありません。そして、天変地異は自らが起こすもの、真実に出会いたいと叫ぶ自分の中が起こすものであることを付け加えておきます。 七五、私達と次元移行を果たしていくか、それとも三次元に留まっていくか、選択は各々です。すべて自己選択、自己責任です。 天変地異とは、意識の転回を促す現象です。従って、どんなに悲惨な状態にあっても、またそれによって肉の命を落とすことがあっても、転回が進まなけれぱ、その方は色々な意味で天変地異に何度も遭遇するでしょう。逃げ出すこともできないし、避けて通れるものでもありません。そういうものです。自分で気付き、自らを目覚めさせていくのです。 意識の流れに、人力、人智など全く及びません。二五〇年後に私は必ずそのことをまず発信します。そしてそれから、意識達の目覚めが地球各地で起こってくるでしょう。どうぞ、この二五〇年の間に様々な体験を経られて、その発信を心で受けられるようになっていてください。出会いを楽しみにしています。心から待ち望んでいます。苦しみのどん底から、一気に蘇ってくるエネルギーこそが、すべての意識達を目覚めさせ、ともに次元移行を果たしていく源です。 地球は荒れ果て、人心は荒廃して、しかしその中で私達は、最後のシナリオを描いていきます。次元移行というシナリオが私達を待っています。 私達と次元移行を果たしていくか、それとも三次元に留まっていくか、選択は各々です。連れもって行けるものでもありません。そういう流れですよということを、今世肉で知ったあなたはさてどうするのか、すべて自己選択、自己責任です。 七六、自分自身が消えてなくなるものでないないと心で知ったことが、たまらなく嬉しいです。持てるものをみんな失っても、私は自分を生かすエネルギーの中にあるということを知ったのです。自分を生かすエネルギーの存在、温もり、優しさ、アルバート、それを知った私の喜びは尽きることはありません。 私が信じるものは、アルバートであり、二五〇年後の劇的な再会であり、次元移行です。心で分かるために、今世生まれてきましたと伝えてきます。それしかないのです。私が生まれてきたのは、そのためでした。肉という濁流の中に身を置いているけれど、私の思いは非常に明確です。 我が信じる道をどんどん行くだけだ、そうもまた伝えてきます。自分を見限らない、切り捨てない、裏切らない、私は私に優しいです。自分を裏切り抹殺してきた悲哀、辛酸、どん底、心はみんな体験してきました。過去からの思いがそれこそ、ドッと音を立てて崩れていった今世でした。 自分自身が消えてなくなるものでないと心で知ったことが、たまらなく嬉しいです。持てるものをみんな失っても、私は自分を生かすエネルギーの中にあるということを知ったのです。自分を生かすエネルギーの存在、温もり、優しさ、アルバート、それを知った私の喜びは尽きることはありません。私は私とともに次元を超えて、これからもずっと存在し続けていく、真実に出会うということは、本当にすごいことでした。 七七、頭で分かるはずがない、肉で理解できるはずがない、二五〇年後の劇的な再会、次元移行、こんなこと肉で理解し、信じることなど絶対不可能です。 頭で分かるはずがない、肉で理解できるはずがない、二五〇年後の劇的な再会、次元移行、こんなこと肉で理解し、信じることなど絶対不可能です。肉、形の次元からは、絶対に推し量れないことが、まさに現実として私の心に広がっています。どのように言葉を重ねても、このことを表現することはできませんが、あなた自身の心でなら、私達が伝えようとしている現実が、必ず感じられるでしょう。あとはそれを待つだけです。 私は感じています。アルバートの実在も確信しています。だから私の思いは一貫しています。アルバートがすべてという私の基準は、どこまでいっても変わることはありません。心で感じているからです。そして、肉がその世界を広げているのではなく、私が私の世界を感じ広げていっているのです。これが私自身だから、これほど確かなものはありません。 ともに大事業を…、私はその思いを確かに感じています。これに優る喜びと幸せはありません。己を表す、そんなちっぽけな世界など、そこには全く無用です。なぜならば、ひとつだからです。すごいと思いました。本当にすごいと思いました。この確かな現実を、心で、心の目でとらえたことが、大いなる喜び、これに尽きると思います。 七八、何もかも間違ってとらえていることに、心で気付けていますか。幸せになるために、喜びを感じるために生まれてきたのではありません。最初から幸せであった、最初から喜びであった、そのことに気付くために生まれてくるのです。 毎日、毎日、幸せに過ごされていますか。幸せだと心からしみじみ感じていますか。日々、流れる時間の中で、ほんの一時でもいい、ふうっと自分に思いを向けてあげてください。もちろん、時間が充分にある方は、瞑想をどうぞ励行していってください。 心を見る、自分と対話する、心で分かっていく、この道筋、この流れはきちんと整っていますか。あなたの中で、この道筋、この流れ、見えていますか。肉持つ時間は、そのことを自分の中で自分に伝えていく、教えていく時間です。そのために今の肉があります。 何もかも間違ってとらえていることに、心で気付けていますか。幸せになるために、喜びを感じるために生まれてきたのではありません。最初から幸せであった、最初から喜びであった、そのことに気付くために生まれてくるのです。 学びを頭でとらえていては、知識はあるものの、中身は全くない状態です。何度も言います。頭で分かるのと、心で分かることは全く違います。話はできる、文章にも綴れる、しかし、心、波動は変わらない、これで決定です。 本当は、何も語らなくてもいい、目を閉じて思えばいいだけです。それですべてが分かるかる、アルバートとひとつだと分かる世界のことを伝えています。 七九、二五〇年後の多くの人達との出会いを喜びで、心から喜びで待っています。たくさんの人達、たくさんの意識達と喜びで出合いたい、心からそう思います。 セミナーにセミナー会場に思いを向けると、もう嬉しいだけです。それがあと三回だけだと思うと、やはり少し寂しい思いがします。寂しいけれど嬉しい、そんなところかもしれません。 二五〇年後への確かな足跡を残し、私の意識の世界は喜びです。アルバートヘの変わることのない思いを感じ、心はすでに二五〇年後へと飛び立っているようです。飛ぶ鳥跡を濁さずではありませんが、アルバートという太い心棒のもとで、自分と対話しながら、さらに中を整理する日々を過ごしていくのだろうと思います。 意識の世界はもちろん喜びですが、私の肉のほうも確かに整っています。きっと意識の世界の喜びが肉のほうにも、ずっと浸透していっているのでしょう。アルバートなくして本当の幸せと喜びは分からない、これは私の中では本当に実感です。そして、現実だと思っている肉の喜びと幸せすらも、アルバートがないなら偽物だ、これも私には実感です。 二五〇年後の多くの人達との出会いを喜びで、心から喜びで待っています。たくさんの人達、たくさんの意識達と喜びで出会いたい、心からそう思います。 八○、かめさんの歩みが、鈍感な肉を段々に敏感にさせ、そしてあるときを境に一気に噴き出て、あとはただひたすらにアルバートヘの道を歩き始めていきました。 うさぎとかめ、かめさんの歩みを楽しみながら、私はやってきました。肉は悩んだり落ち込んだりしてきたけれど、意識は着実な一歩を歩んできたと思っています。たゆまず焦らず真剣に、自分に誠実に、自分に優しく、自分を大切に、セミナーに没頭してきました。Uターンのチャンスを得たときから、セミナー中心の生活が始まりました。他のことはどうだっていいことでした。鈍感な肉でしたから、その歩みはかめさんだったけれど、学んでいきたい、いこうとする思いの中には、決してよこしまなものはありませんでした。自分のためにという思いは、まさに自分の心の叫びでした。かめさんの歩みが、鈍感な肉を段々に敏感にさせ、そしてあるときを境に一気に噴き出て、あとはただひたすらにアルバートヘの道を歩き始めていきました。 周りがどのような評価をしても、私はほとんど無頓着です。私には私のシナリオ、筋道があるだけで、その中で私は様々な気付きを自分に用意しています。自分が書いたシナリオを喜びで演じていけば、それで私は幸せと喜びの中に包まれている手はずになっています。そういうことが信じられるということが、幸せだと感じています。 八一、アルバートに生きる、肉の心からは決して推し量れないことが現実に広がっています。その現実と出会う時間が瞑想によってもたらされます。心で感じ心で確認する、それだけです。その繰り返し、その積み重ね、やがて二五〇年後です。 どういうことが幸せかを知っている、どうなれば喜びであるかを知っている、心は騙せません。ごまかそうとするから、苦しいだけで、自分に素直に存在していればいいだけでした。簡単でした。本当に簡単でした。アルバートと出会いたかった私は、その望み通りの今だから、幸せでないはずがありません。必ずアルバートに出会うと決めてきた今世だった、予定通りすこぶる順調に肉の時間を過ごしてきたのでした。あれやこれや悩み苦しみ、それだけ肉を持ってしまうと難しいということを体験させてもらいました。 自分の心の針を羅針盤にして歩んでいく態勢が、ようやく今世整いました。嬉しい限りです。広い宇宙には自分しか存在しない、自分でないものはない、その安堵感は大いなる喜びと幸せです。 アルバートに生きる、肉の心からは決して推し量れないことが現実に広がっています。その現実と出会う時間が瞑想によってもたらされます。心で感じ心で確認する、それだけです。その繰り返し、その積み重ね、やがて二五〇年後です。 八二、スイッチを切り替える術を心得ていないと、本当にこれから大変です。自分を生かすも殺すも自分だと、そのことをセミナー、波動の勉強で今回も学ばせてもらいました。そして、それは決して他人事ではありません。ある日突然何かのきっかけで、歯車が狂い出すのです。 心で感じるしかありません。心で感じて感じて、そしてやがてそれがまさに現実、これこそが現実の世界だと実感できれば、もう不動でしょう。そうでなければ、どんなにセミナー会場で喜びを感じて、心は反応し肉は反応しても、転回はできない、行きつ戻りつの繰り返しです。 自分が培ってきたエネルギーをその肉体を通し感じたならば、さてその中でどうするのか、荒れ狂う中で本当の自分、アルバートを呼べるのか、アルバートに心を向けられるのか、それだけです。垂れ流し、狂いっぱなしでは、どうしようもありません。自分で自分のスイッチを切り替える、このことを自分の心で学ぶために、セミナーはありました。 スイッチを切り替える術を心得ていないと、本当にこれから大変です。自分を生かすも殺すも自分だと、そのことをセミナー、波動の勉強で今回も学ばせてもらいました。そして、それは決して他人事ではありません。ある日突然何かのきっかけで、歯車が狂い出すのです。そのときSOSを発しても手遅れ、もうどうすることもできません。皆さん、それぞれ本当に己偉しの世界を築いてこられました。どうぞ、そのことに心から気付いていってください。 八三、スイッチの切り替え、これは自分でやるしかありません。田池留吉ができるのではありません。お間違えのないようにお願いします。 「意識の流れーアルバートとともに一」、この一冊の本から二五〇年後へと続く出会いを楽しみに喜びで待っています。まだ見ぬあなたに、そしてたくさんの意識達にこの流れが確実に伝わっていくことを感じています。意識の流れを感じる喜びと幸せ、日々肉に心を揺らすことがあっても、時を置かずまたその中に戻ることができる、幸せなことだと思います。 素直になれば、こんな簡単なことはなかったのです。難しいことなんて何もなかった、思うだけで幸せでした。アルバートがすべてだと思うその心の世界は、どなたもいっしょです。私はその喜びと幸せを存分に感じています。 アマテラスやその他諸々は本当にちっぽけな世界です。一人でも多くの方が、一日でも早くそのことに心から気付いていってくださいと思います。そうでなければ、絶対に幸せになれない、いえ幸せと喜びの自分自身が分からないのです。それぞれが広げてこられた波動の世界を感じるにつけ、そのことをしみじみ感じます。スイッチの切り替え、これは自分でやるしかありません。田池留吉ができるのではありません。お間違えのないようにお願いします。 八四、肉はバラバラ、それぞれの環境のもとで日々を暮らしています。しかし、心はひとつです。アルバートにひとつです。そのことが信じられますか。信じていこうとなさっておられますか。我は神なりの心の状態では、この喜びと幸せは分かりません。 肉はバラバラ、それぞれの環境のもとで日々を暮らしています。しかし、心はひとつです。アルバートにひとつです。そのことが信じられますか。信じていこうとなさっておられますか。我は神なりの心の状態では、この喜びと幸せは分かりません。 嬉しいと心から叫ぶその思いは正真正銘本物です。私にはアルバートしかない、その思いが嬉しい、ただただ嬉しいと叫びます。この喜びと幸せを共有したい、心からそう思います。 もちろん、アルバート殺してやる、大いなる喜びです。その大きな大きな喜びのエネルギーを引っさげて、私達は出会うのです。このことが心でお分かりでしょうか。しかし、アルバート殺してやる、くそったれアルバート、私の中ではもう反逆ではなくなりました。喜び、喜び、喜びの渦です。だから私は嬉しくてたまりません。アルバートの目と出会っている、アルバートと出会っている私は、嬉しくてたまりません。今が二五〇年後、そう私の意識の世界ではすでにそうなのです。 そして、みんながそうであるならば、この肉で抑えることも必要ありませんが、今はまだまだそうではないから、そこのところがほんの少し…ということはあると思いますが、それ以外はもう本当に嬉しいです。 八五、自分の心を見たとき、本当にそこに欲がないか、己というものがないか、この学びは大変簡単ですが、一歩間違えれば、大変危険です。どうぞそこのところ、それぞれが絶えず検証なさってください。 メッセージの中の文言、そのひとつひとつを断片的にとらえないでください。たとえば、「私はアルバートがすべて」、「私はセミナーに没頭してきました」、こう表現していても、私自身、肉の生活はきちんとしてきましたし、しています。アルバートの世界を知るために、朝から晩まで、反省、瞑想、そしてパソコンの前に陣取っている、それは異様な状態です。普通の何の変哲もない日々の生活の中で、アルバートを感じアルバートを信じていくのです。 また、むやみやたらと瞑想をするのも大変危険です。私は、これまでのセミナーの時間と空間の中で、たっぷりと自分自身のエネルギーを感じてきましたし、その莫大なエネルギーを大きく大きく包み込む温もり、優しさの自分とも出会ってきました。母の温もりを心にしっかりと感じています。だから、瞑想なのです。母の温もりも不確かな心の状態で、アルバート、二五〇年後、次元移行、とやっていけば、その先はもうお分かりでしょう。全く違うのです。狂っていきます。それは欲だからです。それは、学びに熱心ではありません。欲いっぱいなのです。だから私は、ただひたすらにアルバートと申しているのです。 自分の心を見たときに、本当にそこに欲がないか、己というものがないか、この学びは大変簡単ですが、一歩間違えれば、大変危険です。どうぞそこのところ、それぞれが絶えず検証なさってください。 八六、本来の自分を知っていれば、つまるところ肉の世界のことはどうでもいいこと、漂いながら流れていればいいだけ、私は私の世界へ帰るだけです。そして、肉の世界は私の帰る世界ではありません。心で感じているから、幸せです。 たとえば、他人がまたは世間が私を評価してくれても、自分が自分に納得していなければ、きっと私は不幸せだと思います。自分が幸せであるか、喜びであるかなんて、人の尺度で測れるものではないことは、どなたも納得しておられると思います。私は自分に誠実に生きる姿勢を自分に示すことが、自分自身にとって幸せであり、喜びであると自覚しています。肉が、どんなに価値があって素晴らしいものを得ても、自分をごまかし、自分に不誠実であったならば、私の心は苦しい、嘘つきと叫び、悲しみの中に空しさの中に落ちていったことでしょう。 自分を信じる喜び、信じてやれる優しさ、温もり、私はその中に存在しています。私は大丈夫、すっとそこへ向ける、ああ、私は私とともにあった、これが私でした、その世界へ帰れることを知っています。 本来の自分を知っていれば、つまるところ肉の世界のことはどうでもいいこと、漂いながら流れていればいいだけ、私は私の世界へ帰るだけです。そして、肉の世界は私の帰る世界ではありません。心で感じているから、幸せです。 八七、アルバートは実在する、アルバートは現実、心で実感すれば、それでいいのです。あとは何も要らない、本当に何も要らない、あれかこれかはない、アルバートこれだけだと心は語ります。私は、そういう世界を感じています。真実の波動の世界を感じている、そうこれは厳然たる事実です。 肉の殻を突き破ったところに本当の喜びも幸せもある、実証した私の世界は、今世飛躍的に変わりました。こんなことがあっていいのか、まるで夢を見ているような、そう何度も思いました。しかし、それは本当でした、現実でした。 アルバートは実在する、アルバートは現実、心で実感すれば、それでいいのです。あとは何も要らない、本当に何も要らない、あれかこれかはない、アルバートこれだけだと心は語ります。私は、そういう世界を感じています。真実の波動の世界を感じている、そうこれは厳然たる事実です。 従って、言を左右にしたり翻したり、そんなことは一切ありません。私が嬉しいと叫ぶその思いは、この厳然たる事実が基盤にあります。だから嬉しいだけなのです。そこには何もありません。ひとつが嬉しい、ただただ嬉しい、それだけです。 私は、今感じている幸せと喜びを思うにつけ、自分は何て幸せ者かとさらにその喜びが膨らんでいくのです。それはそうでしょう、長い長い時を経て、ようやく出会えた瞬間でした。そして、意識の世界は飛躍的な変化を体験してきたのです。その体験の前には、肉の思いなど吹っ飛んでいきます。部厚いと思っていた肉の殻は薄かったです。そう薄っぺらなものでした。 八八、優しさに温もりに大きく包まれている、限りなく限りなく優しい、どこまでもどこまでも優しい、アルバート、その世界に思いを向ければ、そうそんな中に私は存在しています。いえ、その存在そのものが自分でした。 アルバートと出会うということは、どういうことか本当に心でお分かりでしょうか。どんなに嬉しいか、どんなに喜びか、それは何にも代えられないものです。アルバートは自分自身です。本当の自分です。その本当の自分と出会う、アルバートの実在を確信する、もうそれはとても言葉では言い表すことができない喜びです。 優しさに温もりに大きく包まれている、限りなく限りなく優しい、どこまでもどこまでも優しい、アルバート、その世界に思いを向ければ、そうそんな中に私は存在しています。いえ、その存在そのものが自分でした。私は、このように心で感じています。だから、次のようなことも明確に伝えることができるのだと思います。 「アルバート以外はすべてブラック、どうぞ心で気付いていってください。どこか何か救われるところがある、チラッとでもそのような思いが心をよぎれば、その根は深いと思ってください。他力のエネルギーを甘くとらえないでください。今、他力のエネルギーの実態を知らなくても、やがて否が応でも、自分自身が培ってきたそのエネルギーと出会っていくでしょう。そのときです、そのときにどうぞ自分を見失うことのないように、しっかりと自分を受け止めてあげてください。」 八九、自己供養の醍醐味を存分に味わってきました。一応肉でしてきた反省、瞑想がアルバートを知ったことにより、それが結実したことを感じています。 私は幸せです、お母さんありがとう、本当にありがとうございます、心から沸いて出てくる思いを信じて信じてきました。どんなにすさまじいエネルギーをこの心で感じても、温もりと優しさで心が満杯でした。殺してやる、呪ってきたと叫んでも、心は苦しみではなく喜びであることを感じ、意識の世界の不思議を何度も何度も体験してきました。 ひとたび開けば、地獄の奥底から出るわ出るわ、ブラックパワーが大噴射、楽しかった、嬉しかった、喜びでした。出した瞬間からブラックパワーが喜びへと変わっていくのが分かり、ブラックが大きければ大きいほど、喜びのエネルギーもまた大きくなっていったのです。 自己供養の醍醐味を存分に味わってきました。一応肉でしてきた反省、瞑想がアルバートを知ったことにより、それが結実したことを感じています。 肉の母に使った思い、パワーを求めてきた思いを書き綴った反省から始まった今世の学び、今は目を閉じてアルバートに心を向ける、これだけです。アルバートとともに、これこそが究極の反省であり瞑想、そしてそれは喜びです。 九〇、皆さんそれぞれ自分の心で感じられない間は、ホームページの内容はとても信じ難いものだと思います。信じたいと思う反面、何か非現実的でという思いは否定できないでしょう。しかし、自分の心で少しでも感じ始めてくると、状況は違ってくるはずです。 皆さんそれぞれ自分の心で感じられない間は、ホームページの内容はとても信じ難いものだと思います。信じたいと思う反面、何か非現実的でという思いは否定できないでしょう。しかし、自分の心で少しでも感じ始めてくると、状況は違ってくるはずです。 ああ、そうかそうかそういうことなのか、何となく分かるなあと、自分の中が素直になってきます。素直になってくると、そびえ立っていた自分も見えてくるし、みんな間違ってきたなあと心に響いてくると思います。 しかし、それではまだまだほんの序の口です。大概の方はその程度でまたもや、己を表していく方向に心を向けていきます。だから夫よりも妻よりも、そして仕事、すなわち金よりも何よりもアルバートとはいかないのです。夫も妻もお金も握りながらアルバートです。自分ではもうそんなことはない、アルバート一筋になりつつあると思っていても、心の底の底ではちゃんと握っています。そういうことを踏まえつつやっていかないと、いつの間にか独断的になっていくのではないでしょうか。だからいつでもチェック、心の管理です。 アルバートに出会いたいと切望されて肉を持たれてきたのは、皆さんどの方も同じです。間違いありません。その純なる思いを呼び覚まし、真の喜びと幸せに触れていってくださることを切に思います。 九一、夫あるいは妻を選びますか、それともあなたを生んでくださった母親を選びますか。確かそのような難しい質問が前回のセミナーのときあったと思います。どうでしょう、あなたの中でその回答は出ましたでしょうか。 夫あるいは妻を選びますか、それともあなたを生んでくださった母親を選びますか。確かそのような難しい質問が前回のセミナーのときあったと思います。どうでしょう、あなたの中でその回答は出ましたでしょうか。 答えは簡単ですね。私はどちらも選びません。いえ、私はどちらも選んでいます。私はアルバートを選んでいるからです。アルバートを選ぶ、アルバートしかないのです。 アルバートの世界には夫とか妻とか母親はありません。ただアルバートがあるだけです。そしてその世界はすべてを含んでいるのです。だからアルバートを選べば、どちらも選ばないようで、実はみんな選んでいるのです。こうして文章に綴れば、何だそんなことかとなるかと思いますが、この文章を心で理解することは大変難しいです。 夫か妻か、はたまた母親か、そんなことで悩んでいるのが、肉の世界のお話です。肉の世界は所詮その程度のものです。 そんな中で、悩んだり苦しんだりして日々を過ごしてきました。しかし、アルバートを選んでいけば、自ずと諸々の悩み苦しみは雲散霧消です。そういうことでどうとかしてきた自分が本当に愚かだったとなってきます。 アルバートとともにあることを実感すれば、夫も妻も肉の母親もたわいないものです。肉はみんな愚かで、その愚かな肉の中において、愚かなことを繰り返してきたということが浮かび上がってきて、そこから何も解決口は見つけられないことが分かってきます。やはりアルバートしかない、そう確認なさると思います。 九二、悩んで苦しんで徹底的に悩んで苦しんで、その繰り返しの中でいつの日にか、ああ自分は間違ってきたと心から気付くのではないでしょうか。そこからがスタートです。そこからが本当の第一歩だと私は思います。 苦しみは愛、現象は自分の間違いに気付くために起こっているもの、こんなこと道徳的に、そして頭でいくらとらえても、喜びへ転回できるはずがありません。みんな自分、間違ってきた自分に気付くためにすべてが整えられてきた、本当にこの気付きがあれば、苦しみとか現象がどうとかそういうこととは関係がなく、心から湧き起こってくるものは、喜びだけです。周りの動きと関係なく、自分の心にどんどん湧いて出てくるものは、ありがとう、間違ってきました、嬉しい、これだけです。自分の心の世界だけが見えてくるのです。その他のものは実体がないもの、すべてが影です。嬉しいです、こんな体験をされたら大変嬉しいはずです。 学びを頭で理解して、その理解したものに自分の心を当てはめていこうとしても、それは無駄なことです。そんなことをしても本当の喜びとか幸せは絶対に分からない、今自分が肉を持っていることの喜びと幸せも本当のところは絶対に感じられないと思います。 まずその体験を自分の心でされることです。だから肉では色々とあるのがいいのでしょう。悩んで苦しんで徹底的に悩んで苦しんで、その繰り返しの中でいつの日にか、ああ自分は間違ってきたと心から気付くのではないでしょうか。そこからがスタートです。そこからが本当の第一歩だと私は思います。アルバートを心から待ち望んできた自分と出会える第一歩をどうぞ歩んでください。 九三、肉体的に痛んでいる部分とともにアルバートに思いを向ける喜びが心に広がっています。優しいです。ありがとうと応じ合うだけでした。 ここ数日親知らずが傷んでいます。歯痛よりも周りに炎症を起こして、食事等に不便を感じて抜歯の日を指折り数えていました。親知らずはあってもなくてもいい歯だと、私自身も勝手に決めつけていたし、医者も躊躇なく抜歯の予定日を決めるという診察でした。 しかし、私は間違っていました。自分の肉体にとってあってもなくてもいい部分なんてありませんでした。ただ肉的に痛みと不都合を感じて、早く抜いてしまいたいという思いだけでした。思いを向ければ、途轍もなく優しかったです。何とも言えない優しさでした。肉は肉の思いはおろかだったとまた気付かせていただきました。いいチャンスをいただきました。少し変だと思ったときから急に炎症を起こし出したこの部位から、すなわち自分自身から、私はまた学ばせてもらってなんだか今はすっきりしています。 肉的に不都合な部分は、少しでも早く排除して、その思いが今回は少し先行していたように思います。予定通りに抜歯は済ませますが、そういうひとつひとつの気付きが嬉しいということです。あとは医学的な処置に任せていきます。肉体的に傷んでいる部分とともにアルバートに思いを向ける喜びが心に広がっていきます。嬉しいです。ありがとうと応じ合うだけでした。 九四、嬉しくて嬉しくて、ありがとう、ありがとうだけが呼応し合う、そんな中にいつもこうして包み込まれていたんだと、感じれば感じるほど嬉しかった、ただただありがとうの思いがどんどんどんどん突き上がってきたのでした。 心が喜んでいる、喜びが心の底から込み上げてきます。何とも言えない喜びが、堰を切ったように喜びがあふれてきます。 ここ数日の出来事から、そういうことを心で体験させてもらいました。思いを向けただけでした。その出来事というのは、肉は多少の不便さを感じる以外には、取り立てて特に大変だという度合いでもないことですが、とにかく思いを向けると嬉しくて嬉しくてたまらなかった、ありがたかった、心が温もりと優しさにとろけるような感覚でした。肉で不便さを感じるのとは全く正反対のことでした。 どんなこともすべてが喜び、喜びしかないことをまた確認させてもらった次第です。存在そのものが喜び、今ここにあるということそれが喜び、そういうことが響き渡る空間というか、波動を感じ、心がブワっと解き放たれていくような感じで、安らぎ、幸せを私の心は受けたと思います。何とも言えずよかったです。ずっとそのまま漂っていたいと思いました。何か本当にゼロ歳よりももつと幼くなったようなそんな感じがしました。嬉しくて嬉しくて、ありがとう、ありがとうだけが呼応し合う、そんな中にいつもこうして包み込まれていたんだと、感じれば感じるほど嬉しかった、ただただありがとうの思いがどんどんどんどん突き上がってきたのでした。 九五、もうもうただただ幸せです。しかし、如何せん、私は今肉を持っています。この心で感じている喜びと幸せを十二分に表現することはできません。 もうもうただただ幸せです。しかし、如何せん、私は今肉を持っています。この心で感じている喜びと幸せを十二分に表現することはできません。心の広がり、空間は止め処もなく広い、喜びは満ち溢れてきます。肉がなければ、もっとどんどんどんどん広がっていくことを感じます。それは、前回セミナー会場でアルバートに向けたときに感じた感覚とよく似ています。肉がついていけない、この広がりこの喜びに肉は到底ついていけないことを感じます。 そうではありますが、本当に波動の世界、意識の世界のすごさを感じて、私はすこぶる幸せです。そしてまた、それぞれ皆さんが、ひとつひとつ、少しずつ少しずつ、心の体験をされていることの喜びに触れさせてもらって、ともに歩みを進めていける、学んでいけることの喜びを感じさせてもらっています。アルバートのもとにひとつ、アルバートとともに、この喜びだけをしっかりと心に抱かれて、それぞれがそれぞれの喜びの道を進まれる意識達、その仲間達の存在が私には、本当に嬉しいです。誰が、何がではなく、私達はアルバートとひとつ、これだけです。この喜びをともにともに喜び合い、味わい合いたい、私のこの思いはこれからもずっと変わることなくそうだと思います。 九六、アルバートに心を向ける、アルバートを感じる、思えばアルバート、その喜びはすごいです。 思いをすっとアルバートに合わせられる、向けられる、思えば嬉しい、思うだけで幸せ、ありがとう、です。肉はどう思われても、私自身は本当の幸せと喜びを知っています。だからたまらなく幸せです。アルバートに心を向ける、アルバートを感じる、思えばアルバート、その喜びはすごいです。 私はこのように自分を語ってきました。しかし、私はそれで自分を表しているのではありません。事実を語っているだけで、嬉しいだけなのです。喜びのそのまた向こうは喜びだけです。 ところで、あなた自身のアルバートヘの道の態勢は整っていますか。まだ誰かと比較あるいは競争されていますか。意識の世界は絶対評価です。自分と自分の間で進めていく世界です。ひとつ自分で気付けば、嬉しくて喜んでいればいい世界だから、簡単で楽しい世界です。 自己確立をきちんとするというか、できるために私達は、今世セミナーという時間と空間をいただいてきたと私は思っています。要するにこれからです。それぞれが心で感じ広げてきた世界を、どのように、より真実へと近づけられるか、それはそれぞれの心に係っています。 そしてまた、アマテラスに代表される他力の山、あるいはサタン山から下山してくるのも、それぞれです。下山してくるのか、まだ頂上を目指して上ろうとしているのか、それもまたそれぞれのこれからに係っているのです。 九七、どうして祈るのか、祈りの読経が続く限り、そのエネルギーはまたさらなる悲劇を人類に返していくことでしょう。 アルバートがあっての毎日です。アルバートがあっての日々の生活です。アルバートがなければ、何の意味もありません。本当に何の意味もないのです。いや、嬉しいよ、それなりに楽しいよ、幸せだ、そんなこと絶対あるはずがないのです。それが心で分かってこなければだめでしょう。偽りの幸せの中に、ただ肉はぼけているだけで、賢明に聡明に生きているようでも、それはいつか破綻します。そのとき、自らの愚かさが本当に分かればいいけれど、それはそんなに容易いものではないかもしれません。それほどそびえ立ち、そして愚かだということでしよう。 ところで、人間の愚かな様子は、様々なところで示されている昨今ですが、最近で言えば、壊滅的な打撃、被害を目の当たりにしながらも、それは神が我々に与えた罰だと神を恐れ、ひたすら神に祈る姿、あるいはこうして助かったのは神のおかげと信じて疑わず、さらに祈りを捧げる姿にもはっきりと表れています。どうして祈るのか、祈りの読経が続く限り、そのエネルギーはまたさらなる悲劇を人類に返していくことでしょう。 間違っています、気付いてください、そのメッセージを、真実の愛として心から受け止められる私達に蘇ることを、ただただ待たれている、ただそれだけなのに、ここまで人類の心は落ちてしまったことを感じずにはいられません。 九八、エゴと欲と無知が作り上げてきた世界が、崩れ去っていきます。失うものなんて何もありません。もともとないものをあるとしてきた愚かさ、そしてもともとあるものをないとしてきた愚かさ、本当に愚かな世界に存在し続けてきたことを、心から知っていくこれからです。 アルバートに目覚めること、本当の自分の存在に気付くこと、このチャンスにそれぞれが出会えるこれからでしょう。心は、満身創疲の状態かもしれません。だからこそ、その状態の中で、キラリと光る何かを見出し、そこからさらに、そのキラリが自分を押し広げていくという体験をされるということでしょうか。喜び、喜び、喜びだけの世界です。エゴと欲と無知が作り上げた世界が、崩れ去っていきます。失うものなんて何もありません。もともとないものをあるとしてきた愚かさ、そしてもともとあるものをないとしてきた愚かさ、本当に愚かな世界に存在し続けてきたことを、心から知っていくこれからです。 究極は、心をアルバートに向けることだけです。私達はそれだけを望んできたのです。本当に、その他のことはどうでもよかったはずです。そのような、ご自分にどなたも触れていけるように、プログラムを組んでおられるのです。それが分かってきます。自分が愛しい、どんなに愚かな自分であっても、どんなに真っ黒けの自分であっても、自分がたまらなく愛しい、そんな自分との出会いが必ずあると、信じています。 九九、心で感じられなければどうしようもない世界です。どんなに言葉を尽くしても、限界があります。波動の世界が本当にある、そしてアルバートが実在する、心で感じ信じられるまで待つしかないのです。 幸せ、喜びの自分自身に気付くのに、何が要りますか。こんなに幸せだった、こんなに嬉しい、何だこれは、何でこんなに心から嬉しいと思えるのか、何でこんなに涙が出て、お母さん、そしてみんなにありがとうと言っているのか訳が分からないけれど、嬉しいことには違いない、そのような状態になられたことがあったかもしれないし、これからそれを体験されるかもしれません。 それは自分だと思ってきた自分とは裏腹なので、にわかに信じられない場合もあるし、有頂天になってすぐさま肉が出ていく場合もあるし、人それぞれですが、そういう体験を重ねていけば、いつしかああ私はこの流れの中にあるんだ、意識の流れとはこういうことなのか、頭ではなく心で感じてこられると思います。 アルバートとは特別な世界ではありません。しかし、アルバートはすごいです。その特別ではないけれど、すごい世界だということを心で感じてくれば、私がこれまで語ってきたことも、すんなりと心に引っかかることなく入っていくだろうと思います。心でとらえているようで、やはり肉、頭でとらえていた自分であったことが、それで確認できることでしょう。 心で感じられなければどうしようもない世界です。どんなに言葉を尽くしても、限界があります。波動の世界が本当にある、そしてアルバートが実在する、心で感じ信じられるまで待つしかないのです。 一〇〇、肉は愚かに過ぎません。何もかも綿密に練られた自分自身のプログラムに今更ながら言葉はありません。脱帽です。私自身はみんな知っていた、知らなかったのは肉を本物とする思いだけでした。 ホームページが動く、こっちだよと語ってくれる、そうありがとうと答える、この意識の世界の語り合いが本当に嬉しいです。ああ、アルバートとともにですね、こんなに幸せな自分達だったね、心から優しく優しくなれます。私は、そうやって自分の心の奥底をずっと覗いています。たまらなく幸せな時です。アルバートとともにある、二五〇年後に続く道、二五〇年後に続く時間と空間、ひとつになって存在していることの喜びと幸せ、嬉しさが込み上げてきます。 シナリオ通りをよくもここまで正確に歩んできたものだ、振り返り思うことは、そればかりです。やはり肉は愚かに過ぎません。何もかも綿密に練られた自分自身のプログラムに今更ながら言葉はありません。脱帽です。私自身はみんな知っていた、知らなかったのは肉を本物とする思いだけでした。そういうことが、はっきりと感じられて私は安心立命です。どのように肉が存在しても、私自身は決して変わることのない幸せと喜びと安らぎの中にあるということを知ったからです。 アルバートとともにという意識の流れが、自分自身であることを、知った喜びと幸せを享受しています。 一〇一、みんな待たれている存在でした。本当の自分に待ってもらっています。初めからそうでした。これからもそうです。自分で自分に気付くまでずっとそうです。 みんな待たれている存在でした。本当の自分に待ってもらっています。初めからそうでした。これからもそうです。自分で自分に気付くまでずっとそうです。それが例えようもないほどの優しさです。ほんの少しでもその優しさに触れたなら分かるでしよう。 目を閉じて、中の目を開いてそしてしっかりとその目を見ながら、はい私は幸せです、ありがとうございます、嬉しいです、そうはっきりと答えられますか。心から溢れ出る喜びとともに存在している自分自身を感じていますか。 私は、今世ともに学ばせていただいていることがただただ嬉しいです。冷酷無慈悲な意識の世界を繰り広げてきた過去を思えば、今はもう嬉しいしかありません。優しさと温もりそして喜びが私自身だと、そう伝えてくれた波動、それがアルバートでした。本当の私でした。心に溢れ出てくる喜びと幸せをじっくり味わいながら、今日もまた肉は元気に過ごさせていただいています。平々凡々の毎日の中で、アルバートを思える喜びと幸せを満喫しています。 一〇二、喜びへと帰ろうとすることに、ことごとく逆らって自ら苦しんできた心の歴史に、ようやくピリオドを打てる転回時期を迎えられたことが喜びです。 次元移行という意識の流れの中で、今こうしてスムースにすべてが流れていることを感じています。流れの中で、淘汰されるものは淘汰されていくだけです。そこに執着すれば苦しみとして自らに返ってきます。すべては流れのままに、アルバートを感じ信じる心にはそれは自然です。 アルバートでないものはアルバートヘ帰ろう、本来の自分に帰ろうとするだけであって、それは苦しみ痛みではなく喜びでした。数限りない転生の時問の中では、そのことが全く分かりませんでした。喜びへと帰ろうとすることに、ことごとく逆らって自ら苦しんできた心の歴史に、ようやくピリオドを打てる転回時期を迎えられたことが喜びです。 意識の流れは、その本とともに心の奥底深く潜行していきます。二五〇年後の本番に向けて、深く深く潜行し息づいていきます。楽しみです。二五〇年後の出会いが待たれます。アルバートの世界をともに広げ、アルバートの世界に生きる喜びをともにしたい、そのような喜び、喜びの渦の中にひとつになって溶け込んでいく、それが二五〇年、三〇〇年を経て次元移行へと続く道のりです。感じ信じられる喜びと幸せの中に私は今存在しています。 一〇三、どうぞ、心から沸き起こってくる真っ黒なエネルギー、喜んで喜んで受け止めていってください。それは喜び、喜びです。ありがとう、そう言って喜んで迎え入れていってください。 ありがとうに始まりありがとうに終わる、人と人の出会いを含めすべてがそうであれば、こんなに幸せで嬉しいことはありません。今回のセミナーでそのように感じさせていただきました。 アルバートがすべて、この世界がどれほどの喜びであり幸せであるか、これはもう言葉では語れないです。喜びが幸せが心に押し寄せてくる、心から溢れてくる、幸せです、本当に幸せです。二五〇年後も次元移行も現実である意識の世界からこのように語らせてもらい、そして今回もまた喜びのセミナーという時間と空間を持たせてもらったことが嬉しくてたまりません。 母に生んでもらったこと、こうして肉を持っていること、その喜びと幸せを、皆さんどうぞ心で感じ入ってください。何一つ無駄な肉、着物はありません。みんなみんな必要でした。喜びと幸せを感じれば感じるほど、自分が組んできたプログラムの正確さを痛感するでしょう。 私達は本当に幸せな存在です。こうしてともに真実を学ばせていただいているのです。これほど幸せな存在はないと思います。どうぞ、心から沸き起こってくる真っ黒なエネルギー、喜んで喜んで受け止めていってください。それは喜び、喜びです。ありがとう、そう言って喜んで迎え入れていってください。 一〇四、いつでもどこでも真実に触れています。その中に存在していることに気付けばいいだけです。苦しいとか辛いとか悲しいとか、本当はそのような世界はありません。 いつでもどこでも真実に触れています。その中に存在していることに気付けばいいだけです。 苦しいとか辛いとか悲しいとか、本当はそのような世界はありません。しかし、現実苦しいこととか辛いこととか、その他、心が落ち込んだり晴れ晴れとしない様々な事はあるかもしれません。目の前の現象はそうかもしれません。事態だけを見て聞いて感じれば、そうかもしれません。しかし、そこからです。そこからどのように思いを向けていくか、向け先を変えていけるかです。目の前の事柄ばかりに心が向いてしまえば、真実は素通りです。本当の自分の優しさは感じられません。全部自分がシャットアウトしています。シャットアウトしながら、優しさを求めるから、どんどん間違った方向にいってしまうのです。その意識の世界の仕組みが分かってくれば、何でもないことです。本当に自作自演の世界、一人芝居をしています。 思い悩んだり、嘆いたりしている自分がふと愛しくなりませんか。現に諸々の問題を抱えていたとしても、そんな自分が何故だか愛しいというか、抱きしめてやりたいというか、そんな思いが湧いて出てきませんか。思い悩んだり、嘆いたりしている自分が嬉しい、愛しい、愚かだけど嬉しいし愛しいし、そう思えれば、今悩んだりしていることも何だか自分の中で小さくなってこないでしょうか。そうやってほんの少しずつでも、心の向け先を変えていけることが幸せなのではないでしょうか。 一〇五、他力では決して幸せにはなれません。自分自身が幸せそのもの、喜びそのものであることに、心で知ってください。 セミナーとともに成長させていただいた私は、本当にありがとうございますしかありません。私は幸せです。CDの中のみんな、とてもいいお顔をしておられます。みんなみんな幸せで、そしてみんなみんなアルバート、そうやって二五〇年後を楽しみに、そんな気持ちでいっぱいです。 数知れない転生を重ね、今このように存在しています。アルバートと思えば、喜びが幸せが一気に私の中で膨らんでまいります。喜びと幸せの中にともに存在していることが、ただただ喜びです。ありがとう、本当にありがとうございます。何気ない日々の時間の中で、ああ私は幸せだとふつふつと心から湧き出てきます。何がとかこれがとかではなく、今ここにこうしていることが幸せなのです。アルバート、本当の自分、優しさと温もり、決して消えないもの、波動の世界に存在している自分自身を確認した今世のこの時問と空間は、本当にすごいものだと感じています。 出会えるようにそしてともに歩めるように、今世の時間を大切に、自分自身をしっかりと見つめていってください。純粋に、アルバートヘの信をただひたすらに、自分の中で見極めていってください。他力では決して幸せにはなれません。自分自身が幸せそのもの、喜びそのものであることに、心で知ってください。 一〇六、意識、波動の世界、真実の波動の世界を心で感じ広げていくには、まずすべてをご破算にすることです。すなわち自分が作り上げた他力の世界を自分自身で崩していって初めて、アルバートとは、が分かり始めてくるのです。 神業、超人的、人智をはるかに超えた世界、超能力、アルバートの世界は決してそのような世界ではありません。確かに、アルバートはパワー、喜びのエネルギーです。しかし、神業云々の世界とは全く違うのです。波動が分かってこなければ、波動が感じられなければ、その違うという真の意味が理解できないでしょう。つまり、他力のエネルギー、自分が培ってきた他力の世界、そのエネルギーを欲してきた自分の思いをしっかりと見つめ、そこから自分自身を解き放していくことなしには、前に進みません。 肉ではこれこそ本物だと思うからこそ、セミナーにも集われ色々とやってこられたのです。私も肉としてはそれはよく分かります。しかしです、意識、波動の世界、真実の波動の世界を心で感じ広げていくには、まずすべてを、ご破算にすることです。すなわち自分が作り上げた他力の世界を、自分自身で崩していって初めて、アルバートとは、が分かり始めてくるのです。 このことは、頭を回せば何が何やら分からないと思いますが、本当に心の底から他力は間違いだったと、本当に心の底から響いてくれば、何のことはないのです。意識の世界はそういうものです。分からないというその大元は、やはり己が高く高くそびえ立っているということになるかと思います。 一〇七、二五〇年後の来世のシナリオを思うとき、喜びが噴き上がってきます。たまらなく嬉しいです。 二五〇年後の来世のシナリオを思うとき、喜びが噴き上がってきます。たまらなく嬉しいです。もちろん、肉の環境は厳しいし、肉の大きな壁に悩み苦しみます。決して平坦ではありません。しかし、それは私が自ら選んだものです。大きな壁だと思っているものが一気に崩れ消え去り、そこから真実の世界に一瞬にして目覚めていくために、自ら設定した肉であり肉の環境です。それがたまらなく嬉しいと私は感じています。 肉とは何だろうか、私が生まれてきた本当の意味とは何だろうか、ここにこうして今自分が存在していることの素晴らしさを、私は二五〇年後、もう一度自分の中で蘇らせてくるのです。そのエネルギーを爆発させるために、私は自分のシナリオに忠実に従います。 それは本当に見事だと思います。意識の流れとはすごいものだと感じています。苦しいからいいのです。自分の思い通りにいかないからいいのです。本当に苦しみ悩みその末に、それでは苦しみ悩み、思い通りにいかないと嘆いている自分とは一体何だろうかと、必ずそこに突き当たります。そういう中で、アルバート、本当の自分、優しさと温もりがどんどんどんどん心に満ち溢れ満杯になってくる、これ以上の幸せも喜びもないことに再び出会える、本当に最高のシナリオを描いている、私はそう思っています。 一〇八、私達が忘れ去ったもの、それは母の温もりと優しさです。それを思い起こすために、私達は何度も何度も転生を繰り返してきました。温もりと優しさの自分に出会うために、自ら厳しい肉の環境を設定してきて、ようやく今世に辿り着いたのです。 私達が忘れ去ったもの、それは母の温もりと優しさです。それを思い起こすために、私達は何度も何度も転生を繰り返してきました。温もりと優しさの自分に出会うために、自ら厳しい肉の環境を設定してきて、ようやく今世に辿り着いたのです。セミナーに集えるということがどんなに幸せなことか、それはそういう心の歴史を、自分の中で紐解いていけば分かるはずです。自分を見ることもしない、自分から目を背ける、何かでごまかす、これがどれだけ自分に対しての反逆であるか、そして自分に対して冷酷であるか、温もりと優しさの世界、アルバートを感じれば、もう何も言葉はありません。 全部、何もかも、すべてが間違ってきたのです。自分を捨てたのは自分です。そんな冷酷無慈悲な中に生き続けてきた、それが本当に心で分かれば、他力のエネルギーなんていつまでも握ってはいません。そして、遠ざけたり、逃げたり、疎ましく思ったりするのではなく、おいで、みんなおいでと受け止められるはずなんです。母の温もりと優しさが蘇ってくれば、決してそんな邪険なことはできません。 それが、いわゆる自己供養です。自己供養のやっていない人、できない人、やろうとしない人、どういう道筋を歩むか、もうお分かりでしょう。決して幸せにはなれません。 一〇九、メッセージを肉で読まないでください。肉、すなわち頭でとらえると誤解も甚だしいです。それはある一部分にとらわれて、そこからご自分の基準で推し量っていくからです。それらはみんな肉です。 メッセージを肉で読まないでください。肉、すなわち頭でとらえると誤解も甚だしいです。それはある一部分にとらわれて、そこからご自分の基準で推し量っていくからです。それらはみんな肉です。私はそういうことをお伝えしているのではありません。何度も言います、波動を伝えています。 また、それぞれに必要なメッセージは、いつでもどこでもご自分がご自分に伝えているのです。それを感じているか、信じているか、それだけです。そして、それは形としては言葉ということになる場合もあるし、具体的な言葉にならなくても、こんな感じかなあと心に上がってくると思います。どういう場合にせよ、言葉にとらわれずに、そのときの自分の心で感じたもの、すなわち波動を確認することです。そのためには自分の中の温もりだとか優しさだとかを知り信じていることが必要条件です。 その世界が確立していなければ、いくら中から伝わることがあっても、それは自分の中の闇、ブラックに過ぎないのです。波動が分からずでは、そういうものに操られ踊らされていきます。自分を自分で操って踊らせているのですが、どこまでも偉くて無知だから、そういうことさえも分からなくなってしまったということです。 要は、まず母の温もりと優しさの中にあることをしっかりと確認すること、それからアルバートです。アルバートの世界を確立することはそんなに容易いものではありません。 一一〇、つかむ心、握る心は苦しみです。肉のことはさらっと流していくのです。流していきながら、しかしそこに本当にアルバートの喜びと幸せを感じていれば、肉の喜びと幸せがそうではなくなってきます。つまり、肉を持って今存在していることの喜びと幸せを満喫できるということです。 肉の中に漂いながら存在しているのと、肉をしっかりとつかまえながら存在しているのとでは、外見は同じようでも中身は全く違います。また、同じ言葉を発しても、発する基盤が違えばこれもまた全く違うし、喜び、幸せだと言っても基盤が違えば同様です。 つかむ心、握る心は苦しみです。肉のことはさらっと流していくのです。流していきながら、しかしそこに本当にアルバートの喜びと幸せを感じていれば、肉の喜びと幸せがそうではなくなってきます。つまり、肉を持って今存在していることの喜びと幸せを満喫できるということです。 従って、アルバートが感じられなけれぱ、信じようとしなければ、また知らなければ、実感していると思っている肉の喜びと幸せすらも偽物だということになると思います。これが本当かどうなのか、それはあなた自身の心で証明できるでしょう。アルバートのない肉の生活がどれほど無味乾燥なものなのか、もうそろそろご自分の心で分かってこなければならないでしょう。 セミナーは今年で終わります。そしてホームページもやがてなくなります。しっかりと自己確立の道を見つけ歩み出してください。甘えることなく、ふてくさることなく、自分に誠実に存在していくことが、何よりも何よりも大切であるとお伝えします。 一一一、確信です。アルバートそして二五〇年後の出会い、そしてひとつとなって次元移行、すべて心での確信です。アルバートに出会えた私は、このまま二五〇年後に一直線です。ただただ嬉しいです。 これから二五〇年の間、肉の現象界では様々なことが起こります。いえ二五〇年を待たずとも、近未来にその一端、そのはしりは感じられるでしょう。もちろんそれは、意識の世界からのメッセージです。肉で受け止めれば大変なことも、そこから何かに気付き転回をし始めたなら、きっとよかった、これでよかったということになってくるでしょう。 私も今肉があります。当然肉というものに心を向けたなら、心がざわつくこともあるし、揺れることもあります。しかし、ふっと思えば嬉しいのです。二五〇年後に続く過程が嬉しいのです。肉の思いは確かにそこにあるけれど、それとは比べることができないような嬉しさというか、そういうものを感じています。それは、意識の世界にある自分自身の確信が、喜びだとか嬉しさ、何とも言えない幸せ感を自分自身に伝えているのだと思っています。 確信です。アルバートそして二五〇年後の出会い、そしてひとつとなって次元移行、すべて心での確信です。私の今世のシナリオは、アルバートの存在を確信すること、そのために肉の時間を持ってきた、確信が強くなればなるほど、このことがまたしっかりと心に浮き出されてきます。アルバートに出会えた私は、このまま二五〇年後に一直線です。ただただ嬉しいです。 一一二、過去より培ってきたブラックは、もうすでにブラックと知っているから、後はそれを優しくともに歩んでいけばいいだけなのです。ブラックは喜びだと感じているから、私の中ではブラックはブラックでありません。ともに帰る私の仲間達です。そのことが心で分かったから、私は本当に幸せです。だからありがとうしか出てきません。 なぜ生まれてきたのか、自分とは何か、真実の世界を知れば知るほど、それらの意味が嬉しくありがたく響いてきます。肉を持ってアルバートの世界に触れている、幸せです。 本当の自分にずうっと思いを向けていけば、分かる、分かる、よく分かる、こんなにも幸せでこんなにも満ち足りていました。本当に初めから幸せだった、何にもしなくてもよかった、そう心で感じられるから、たとえばそれに反する思いが出てくれば、ああみんな間違ってきたなあと簡単に分かります。 それでも、肉を持っている以上、愚かな思いというか、そういうものは出てきます。私はそれは自然だと思っています。しかし、それは心に残留しない、表面で泡のように消えていく、時間に多少の差はあるものの、決して浸透していかないことを感じています。 そして、過去より培ってきたブラックは、もうすでにブラックと知っているから、後はそれを優しくともに歩んでいけばいいだけなのです。ブラックは喜びだと感じているから、私の中ではブラックはブラックでありません。ともに帰る私の仲間達です。そのことが心で分かったから、私は本当に幸せです。だからありがとうしか出てきません。まさに殺してやるは、ありがとうでした。 一一三、全然違います。物に溢れ物に囲まれ、人の優しさ温もり、人情に触れても、アルバートの優しさ、温もり、幸福感、充実感とは全く違います。 幸せだなあと思います。軽く目を閉じてそして静かに思えることが、幸せだなあと思います。幸せとはこんなに安らいでいた、こんなにすぐに側にあった、そういうことが心に感じられて、しみじみ心から幸せだと思います。見ているようで聞いているようで、しかし私が感じ信じている世界はそこにはない、そこは私の世界ではない、そのことを心で実感しているから、きっと私は嬉しさが込み上げてくるのでしょう。 全然違います。物に溢れ物に囲まれ、人の優しさ温もり、人情に触れても、アルバートの優しさ、温もり、幸福感、充実感とは全く違います。 アルバートを感じ信じていくために、肉があり肉を活用する、肉をそのようにとらえていけば、肉を持っていることがありがたいし、肉に対する思いがぐっと変わっていきます。肉を通して自分の心が見えてきたとき、自分が愛しくてたまらない、自分に肉を持たせた自分の優しさが心に響いてきます。アルバート、私はあなたの中に存在していることを感じています。心を向けるだけ、それだけで自分自身幸せで喜びの存在であることを感じます。ただそのことを自分の中で、繰り返していくだけです。 一一四、セミナーが終了しても、日々その時間がセミナーそのものです。肉で肉として生きる人には、その時間は肉の時間でしかありませんが、私には二五〇年後に続く時間であり、アルバートとともにある時間です。 環境その他、みんな自分が選び、自分で設定してきたことだと感じていけば、自分自身にありがとうしかありません。なぜならば、こうやって自分を自分で意識の流れの中にいざなっていると心に響いてくるからです。裏切り反逆してきた自分に、本当の自分自身はこんなにも優しかった、信じて待っていてくれた、すごいなあ、本当の私ってすごいなあ、その大きさ、その広さ、その温もり、きっと心に伝わってくるものがあるはずです。 私達はこのような幸せと喜びをセミナーの時間と空間の中で、存分に確認してきました。もちろん、セミナーが終了しても、日々のその時間がセミナーそのものです。肉で肉として生きる人には、その時間は肉の時間でしかありませんが、私には二五〇年後に続く時間であり、アルバートとともにある時間です。肉を持ち過ごす時間でありながら、アルバートとともに過ごす時間です。だから自分を思えば嬉しい、自分を思えば幸せなんです。下らない愚かな自分も含め、心でアルバートが感じられる私は幸せです。アルバートがなくても肉は存在できるけれど、それは中身がない抜け殻だと私には感じられます。 一一五、全部、自分で受けられることなんだ、自分とは広い広い世界なんだ、心でどんどん感じていけるようになっている、それが意識の流れの中に存在する自分というものだ、どうぞ心を広げて、その喜びと幸せの波動の世界に触れていってください。 病気になって嬉しい、会社が倒産してありがとう、その他肉から見れば不都合な事態に、嬉しい、ありがとうと心から言えますか。いえ、今言えるとか言えないとかの問題ではなく、あなた自身がそういう心の状態になることができたなら、自分自身幸せだと思いませんか。 また、肉的に順調であれば、見えてこない部分もあると思いますが、肉的に順調なときこそ、しっかりと心を見て、心を向けるということをやっていけばいいのだと思います。そもそも、順調であるとか、そうでないとか、そういうものはなく、肉を本物とする思いが勝手に振り分けていくだけのことであり、その中で愚かな肉は一喜一憂して自分の大切な肉の時間を費やしてしまってきたのだと感じています。 その愚かな繰り返しを自分の中で止めて、本当の喜びと幸せに目覚めていく道を、これからもたゆまず歩むべきなのでしょう。そのための条件はみんな自分で整え、設定してきている、このことが心で感じられれば、存在そのものにただただありがとうの思いが込み上げてくると思います。 全部、自分で受けられることなんだ、自分とは広い広い世界なんだ、心でどんどん感じていけるようになっている、それが意識の流れの中に存在する自分というものだ、どうぞ心を広げて、その喜びと幸せの波動の世界に触れていってください。 一一六、気楽に生きていけばいいと思います。心はきちっとアルバートです。そうすればそれなりに肉のことなど整ってきます。 気楽に生きていけばいいと思います。 気楽に生きていくということと、心を見ずにごまかして、生半可に不真面目にその場その場をやり過ごしていくというのとは違います。心はきちっと、アルバートです。そうすればそれなりに肉のことなど整ってきます。 肉は濁流です。それを充分知ったうえで、肉の生活をやっていけば肉の濁流の中でも、自分を見失わずにそして自分の道が見えてきます。必ず見えてきます。苦しみ悩み、それでもあなたは忘れられないはずです。あのとき感じた喜び、温もり、それはあなた自身の財産です。決して消えることのないものです。 私はそれを信じて二五〇年後に出会いましょうとお伝えしています。二五〇年に至る道のりは、あなた自身感じられている通り厳しいです。しかし、それは喜びです。喜び、喜びの時間です。それが心で分かってこられるような今世であってください。 一一七、セミナーは今年で終了します。それから先は、それぞれがそれぞれの環境の中で、これまで学んでこられたことが本当に心で分かっておられるか、まさに実践を積んでいかれることだと思います。 なぜセミナーが今年で終了するかお分かりでしょうか。もちろん、それは予定通りですが、なぜなのか、あと一年いえ二年とやればできないこともないと思います。しかし、今年で終了なのです。それから先は、それぞれがそれぞれの環境の中で、これまで学んでこられたことが本当に心で分かっておられるか、まさに実践を積んでいかれることだと思います。 蹟いて転んでは起き上がりまた歩き始める、それを自分の中で繰り返していく、しっかりとやっていきなさい、そう伝わってきます。どこまでも優しいです。 何とも言えない優しさです。温もりと優しさの中で自分が自分を見つめている、見守っている、アルバートとともに、の流れの中に存在していることをあなた自身の心で出会ってくださいと、広い大きな翼をその心で感じられるほど、幸せはないと思います。 私自身、セミナーと共に成長させていただきました。ともに、いえひとつとなって存在するする喜びと幸せを味わっています。その喜びのエネルギーは、これからさらなる仕事をしてまいります。私は楽しくて嬉しくて仕方がありません。目覚めてください、そう呼びかけていくことが喜びです。 一一八、そびえ立つ心では、真実は分からない、アルバートなど分かるはずがない、繰り返しお伝えしています。この文言をご自分の心で、これからよく味わってください。 そびえ立つ心では、真実は分からない、アルバートなど分かるはずがない、繰り返しお伝えしています。この文言をご自分の心で、これからよく味わってください。これから、味わえるようなそれぞれの時間になるのだと思います。自分でそうだったと気付けなければ、本当のところは何にも分かっていません。ただ学びの年月だけが過ぎていっただけのことです。しかし、それもまた自分の心で気付いていったなら、すべてが変わってきます。 実に簡単なことです。しかし、そびえ立つ心ではその簡単なことすら分からないのです。自分がどれだけ落ち果ててしまった意識であるか、そびえ立つということはそういうことです。 肉を持てたことが嬉しい、自分の存在が嬉しい愛しい、これは理屈ではありません。心の底から沸き起こる思い、この思いと出会ったなら、もう本当に何も要らないと思います。どれだけ幸せな中に存在しているのか、肉をまとってしまえば、そういうことが全く見えなくなってしまうのです。肉にまつわる喜びなど、吹けば飛ぶようなちっぽけなものだとは思えないのです。それでは真実の世界を突き進むということは絶対できません。 一一九、自分のことは自分で精算する、何て公平なんだろうと思います。幸せでそして喜び溢れる自分であれと思うならば、自分の中をどんどん掘っていけばいい、宝の山をどんどん堀り続ければいい、こんこんと湧き出てくる尽きることのない喜びと幸せの自分に出会えます。 自分のことは自分で清算する、何て公平なんだろうと思います。幸せでそして喜び溢れる自分であれと思うならば、自分の中をどんどん掘っていけばいい、宝の山をどんどん掘り続ければいい、こんこんと湧き出てくる尽きることのない喜びと幸せの自分に出会えます。それをせずに中途半端においておれば、そこは泥水で充満し、やがてそこに、バイ菌が発生して、やがて死滅していきます。意識達には、常に新鮮な空気が必要であるし、温かな太陽のごとき温もりも不可欠です。酸欠でジメジメしていては、細胞は死んでいきます。 アルバートを思ってください。広がりゆく澄み切った波動の世界に思いを馳せてください。どうぞゆったりとしてください。そして、どうぞご自分の肉体時計を、ご自分の意識の時計に合わせていってください。悠久の過去から悠久の未来へ続く意識時計に針を合わせてください。 意識、波動の世界に存在する私達です。意識時計が私達の標準時間です。その時計をもとに宇宙が動いています。針が狂っているから、宇宙も狂ってくるのです。いつ、どこで、その針を合わすか、それが自らを自らで清算する作業、宝の山を掘り続けていく作業です。そう思えるまで苦しみ続けます。 一二〇、肉を本物とする意識は、あまりにも偉くなりすぎました。意識が本物、波動がすべて、肉基準の心はどんなに正義正論を唱えようとも、すべてが闇です、ブラックです。 学びをしていようと、セミナーにせっせと集おうと、肉を基盤としている意識は、何も知らない世間と同じです。アルバートの世界は簡単明瞭です。意識が本物、波動がすべて、肉基準の心はどんなに正義正論を唱えようとも、すべてが闇です、ブラックです。セミナーが終了しようとするこの時期に、いまだこのようなことが心で分からない方がいるとは、大変残念です。しかし、真実は曲げられませんし、変わることはありません。あとは、それぞれがこれからの時間の中で、苦しみながら悩みながら、自分の世界に存在して、自分で気付くのを待つだけです。 私達は、二五〇年後に向けて一直線です。天変地異が起こってきます。宇宙からすべての意識達とともに天変地異が起こってきます。それによって真実に目覚めていくという意識の流れを、私達はお伝えしています。肉を本物とする意識は、あまりにも偉くなり過ぎました。そのことをこれから残された今世の時間、そしてこれからの転生の中で、気付かれることを待ちたいと思います。 一二一、五感により揺れる思いもまた楽しいです。それは影だと知っているからです。影に揺れ影に踊っている自分をまた自分が見つめている、見つめられるその時間と空間を今持っていることが楽しいです。 私は、アルバートというリズムの中に生きています。意識、そして肉もまたそのリズムの中にあることを確認しています。確認する日々を送っています。だから嬉しいです。楽しいです。アルバートのリズムの中で、幸せと喜びを感じています。何があるからとか、自分自身がこうだからとか、そういう感覚ではなく、何もかもすべてが今、ひとつの流れの中を流れているという感じを持っています。 アルバートを感じ、しかもそれがどんどん深くというか大きくなれば、本当に肉の世界のことなど取るに足らないものだと思えます。五感により揺れる思いもまた楽しいです。それは影だと知っているからです。影に揺れ影に踊っている自分をまた自分が見つめている、見つめられるその時間と空間を今持っていることが楽しいです。 私はアルバートを確信しています。二五〇年後も次元移行も確信しています。その思いがこのような心境を肉に伝えていると思っています。アルバートとひとつ、思えばた まらなく嬉しいです。 一二二、必要なものは全部持って生まれてきました。そうです、みんなそうです。全部持ってというのは、心を見るための条件、環境設定という意味です。 必要なものは全部持って生まれてきました。そうです、みんなそうです。全部持ってというのは、心を見るための条件、環境設定という意味です。お金が必要な人はお金を持つようになっている、それはそこから何かに気付いていくためです。美貌もそうです、頭脳もそうです、家柄、身分もそうです。それらがある人はそこから、ない人はそこから、自分が辿ってきた世界の間違いに気付いていけばいいだけでした。 そう心を開いていけば、今という時がどんなにありがたいか、自分とはどんなに幸せな存在であるか、心にふつふつと感じられると思います。ありがとうしか出てこないはずです。 田池がなんじゃ、アルバートくそくらえ、そう叫び続けるのは一向に構いません。しかし、本当に心を見ていってください。叫び続けるその心を見ていってください。 私は、もちろん二五〇年後、アルバート殺してやるとやります。しかし、それは大いなる喜びの叫びです。噴き出した瞬問から喜びへと変わっていくのです。それを私は知っています。だから私は嬉しくてたまらないのです。喜びの自分が噴き出してくる、次から次へとそれは世界を宇宙を駆け巡ります。それを心で感じる私は私を絶対に裏切りません。私はだから今世、真の人生を全うします。それが自分に対する最大の優しさだと思うからです。 一二三、私は学びに入ったその時から、もうこれだとただ自分の中で突き進んできたのだと思います。本当にありがとう、今ただただそれだけです。 私は自分を大したものだと言うつもりはないけれど、今学びに集う以前のことをふと思えば、私自身、その時から自分の思いを追っていました。それが学びで言うところの心を見るということにあたるのだと思います。もちろん、自分の周りの肉を見下げたり、自分勝手な行動をとったり、様々なことをしてきました。しかし、その頃から自分の心が苫しいと、何で自分はこんなに苦しいのか、なぜこんなに心がその時々で苦しいのか、楽しい時や嬉しい時を感じた瞬間に、なぜこんなに不安やら恐怖やら感じるのか、いつもなぜ、なぜでした。 そのことと、私はずっと以前から絶対に真実はどこかにあるという思いが、なぜかしらしっかりとあって、私は学びに入ったその時から、もうこれだとただ自分の中で突き進んできたのだと思います。 チャネリングということにも興味を充分持ちましたが、やがてそこで行われているものは違うと、自分の中で感じ始めたから、私はまた自分の向ける方向を自分で修正していったのだと思います。そしてはっきりと、目の前にいる田池留吉という肉に思いが向いていった、これが私の今世の学びの道筋です。 二五〇年後の来世はその道筋がうんと短縮され、濃縮され、そして本当に瞬間的に蘇ってくるという過程を歩みます。本当にありがとう、今ただただそれだけです。 一二四、自分を真摯に見つめていく、その厳しさは優しさです。自分自身の優しさです。その自分としっかりと向かい合って、これからの時間を過ごしていくことを自分に思っています。これまでのセミナーをそのように過ごしてきました。十二月の下呂セミナーも、私には真剣勝負です。 確かに今年でセミナーは終了、ひとつの区切りです。区切りというだけで、私自身、最後ということにはこだわらない、淡々と流していきます。それよりも私の中で、これからもずっとセミナーが続いていく、正真正銘アルバートと自分、自分と自分の時間と空間の中で、どのように歩んでいくか、喜びと幸せが広がっています。 自分を真摯に見つめていく、その厳しさは優しさです。自分自身の優しさです。その自分としっかりと向かい合って、これからの時間を過ごしていくことを自分に思っています。これまでのセミナーをそのように過ごしてきました。十二月の下呂セミナーも、私には真剣勝負です。決してお遊びではありません。 セミナーは終わりますが、すでにご承知のように「意識の流れーアルバートとともにー」の改訂版が十二月初旬に発刊されます。一人でも多くの方の手に渡り、読んでいただける機会を設けてもらえたことが嬉しいです。分かる、分からないはいい、肉を通して触れてもらえればという思いは、変わりません。また、それぞれのプログラムを経て必ず出会いましょうという思いも変わらずにあります。私は私の中で誠実に生きていくだけです。アルバートが見えた私は幸せ者だと、ふっと目を閉じればその思いに触れます。心から沸き起こってくる思いは、ただアルバートです。 一二五、チャネリング、パワー、そんな次元で留まっていては、どうしようもありません。自分に不誠実で、自分というものが分からずして、アルバートも次元移行もあったものではありません。本末転倒とはそういうことを言うのだと思います。 私自身、これから肉の時間の中で瞑想をどんどんやっていきます。それが私のセミナーです。時間の長短ではなく、その瞑想することにより、私自身さらに成長していくことだろうと思います。 私達は、充分過ぎるほどセミナーという時間と空間に恵まれてきました。そして、ホームページ、「意識の流れーアルバートとともにー」、与えて与えてもらってきました。これは肉の厳しさかもしれませんが、少なくともずっと学んでこられた方々は、今現在嬉しいなあ、ありがとうとなっているのが普通です。そうでなければ、いったい何を学んでこられたのかということです。ホームページを端から端まで、そして意識の流れの本を一字一句、じっくりと味わってこられましたか。そこにはすべてが網羅されています。もちろん、波動は心にどんどん入ってくるはずです。 そして、結論は、自分に誠実に、自分を大切に、肉をもらっているこの時間を大切に、そういうことになるのではないでしょうか。チャネリング、パワー、そんな次元で留まっていては、どうしようもありません。自分に不誠実で、自分というものが分からずして、アルバートも次元移行もあったものではありません。本末転倒とはそういうことを言うのだと思います。 一二六、喜びがなければ、何でもが狂ってきます。どんなことでも喜んでいきましょうということが、原点だとつくづく思います。 恵まれた環境の中で、ぬくぬく生活していては、自分の心が見れません。いえ、見えているのだけれど、あまりにも己が偉いから気付けないだけです。何でも当たり前で、そうすべてが当たり前として、やり過ごしている部分が多いのでしょう。今世の自分を振り返り、そう思いませんか。色々とあるからよかった、色々をプラスに変えたなら分かると思います。 また、恵まれた環境というのも、それぞれの基準で感じることだから、一概には言えません。当の本人がそう思っていないならそうだろうし、外から見れば大変だと思うことも、その人が本当に喜んでいれば、それでいいのでしょう。要するに、喜びがなければ、何でもが狂ってきます。どんなことでも喜んでいきましょうということが、原点だとつくづく思います。 しかし、そういうことも、こういうことも、みんな肉です。従って、そういうところから、パッと心を開いていかないと、ということになりますが、それは一足飛びには行かないです。まだまだ肉、肉で浮いたり沈んだりしている現実を、やはりしっかりと心を見てという基本に忠実な姿勢が、大切だと思います。その積み重ねです。だから、セミナーが終わろうと、何が終わろうと、私の中では変わらないのです。 その心棒を自分の中で確認してくださいと私はずっと伝えてきましたし、これからも伝え続けていくだけです。 一二七、若いからすべてにおいて柔軟であり、年老いているから頑固である、これは肉の常識かもしれませんが、そういうことに固執しないで、大切なのは、本当にその人がどこで気付いていけるのか、自分自身の転機をどのように生かせるのか、そういうことだと思います。 本当のことが分かるのに、もちろん年齢は問いません。性別もその他肉的にどうとかということも、一切関係がありません。しかし、肉を持ち、肉の世界に存在しながらアルバートを自分の中で確立していくためには、ある程度の人生経験は必要です。なぜならばどの方も真っ黒から生まれてくるからです。年を重ねることにより、色々な体験を経てそのたびに自分の中のエネルギーと出会っていく、このプロセスをみんな平等に歩んでいく、そのために生まれてくるからです。 若いからすべてにおいて柔軟であり、年老いているから頑固である、これは肉の常識かもしれませんが、そういうことに固執しないで、大切なのは、本当にその人がどこで気付いていけるのか、自分自身の転機をどのように生かせるのか、そういうことだと思います。 そして、そのチャンスはそれこそすべてにおいて平等であり、真実の扉はすべてに開け放たれているはずです。気付けないのは、己が偉いからそして、自分自身を信じていないからです。これはこれから二五〇年かけて実証していくことだろうと思います。自分自身を信じるとはどういうことなのか、それぞれがじっくりとその心で味わえるようにこれからの時が流れていくでしょう。 アルバートに心を合わせる、アルバートの波動を感じていく、これしかないことを本当に心で分かってくるそれぞれの時間を、それぞれが広げていくことだろうと思います。だから人生は喜びです。 一二八、最後の決はどんなことも自分で採っているはずです。意識の世界、自分の本当の世界のことについては、もう言うまでもありません。採るのはアルバートのみです。選択肢はありません。 肉のことなら誰かに相談するかもしれないし、色々な情報から判断していくこともあるでしょう。しかし、それも最終決定は自分です。誰かが言ったから誰かに薦められたから、いえいえそうではありません。最後の決はどんなことも自分で採っているはずです。意識の世界、自分の本当の世界のことについては、もう言うまでもありません。採るのはアルバートのみです。選択肢はありません。 この学びは本物だと自分の中で私が感じたのは、誰かに話を聞いてもらって、アドバイスを受けて、とそのような誘導があったからではありません。もちろんそのきっかけはありました。しかし、それも全部自分でお膳立てをしてきたと私は自分の中で解釈しています。だから私はこの学びに触れた瞬問から、自分は間違ってきましたとその思いが心に上がってきたのです。その思いが学びに入った肉をずっと誘導してきたのです。自分の中で試行錯誤を重ね、もちろんセミナーという時間と空間をフルに活用させていただきました。 そういう点においては、私は大変恵まれてきました。すべてが予定通りのコースを辿ってきたのです。そして、ようやくアルバートという心棒を自分の中で確立して、これからその心棒を大切に、さらに太くどっしりしたものに育てていくコースを辿ります。それが私にはもう嬉しくてたまらない、幸せと喜びの向こうにまた幸せと喜びが待っている、そんな感じでいます。 一二九、肉で正しいことは何一つありません。そして、肉の正しさの基準は千差万別です。肉が基準であれば、正しいが、あちらこちらで乱立してそこに闘いのエネルギーが起こります。 肉で正しいことは何一つありません。そして、肉の正しさの基準は千差万別です。肉が基準であれば、正しいが、あちらこちらで乱立してそこに闘いのエネルギーが起こります。決してそれは交わることはない、どこまでも平行線を辿ります。そしてすべてがすべてを破滅に追い込むのです。肉の世界を本物とする意識達は、出口のない真っ暗な暗闇の中で苦しみ続けます。自業自得の世界で苦しみ続けながら、さらに闘いのエネルギーを増幅させてきました。地獄に自ら沈み込んでいったことを、肉を持てばすっかり忘れ去ってしまうけれど、その肉の時間にその地獄を思い起こさせる優しさを、また自らに注ぎます。 心を見ていけば、そういうことが心で感じられます。だから自分という存在が、いかに自分自身に愛されてきたか、大切に思われてきたか、心に響きます。アルバートです。アルバートが実在している、このことの喜びが心に響き渡るのです。 その過程を経ていけば、肉の正しさでない、本当の正しさが感じられます。それはどこまでもどこまでもただただ優しいです。溢れるように温もりと優しさがあります。また、肉の優しさには、ケジメというものがないけれど、本当の優しさには、それがしっかりとある、またそれがただただ優しくて本当に許されているんだ、包まれているんだ、その喜びと幸せが心に広がってきます。 一三〇、転回をしてくださいと伝えています。肉の中に自分を沈めたままでは、所詮ここで伝えてもらったことも、自分の肉で理解しようとするだけです。言い換えれば、自分にとって痛みをできるだけ少なく、被害を最小限にするためには、どうすればいいのか、やはりそこは欲の渦の中です。 私は肉の処世術を語っているのではありません。肉の世界をどう生きていけばいいのか、どのように周りに対処していけばいいのか、こんなことが起これば、どのように思いを変えていけばいいのか、その術を語っているわけではありません。 転回をしてくださいと伝えています。肉の中に自分を沈めたままでは、所詮ここで伝えてもらったことも、自分の肉で理解しようとするだけです。言い換えれば、自分にとって痛みをできるだけ少なく、被害を最小限度にするためには、どうすればいいのか、やはりそこは欲の渦の中です。その根本を自分の中で見直していくために、今、肉の時間を自分に用意しているのだと思っています。 いかに生きていくかなんて、問答無用です。アルバートしかないのだから、その論外でいくら努力しても、その先は明白です。答えは非常にシンプルです。しかし、そのシンプルさでは物足りないのです。私の言い分もある、こんな事情もある、そんなみんな同じひとくくりにするな、何が平等、何が公平、そんなに簡単に済まされないものがある、ブヅブツが聞こえてきます。 それでも、やはり真実は自分の中にあった、そのことだけをお伝えする以外にないと思っています。 一三一、真実を捨てたから苦しみ続けてきた、その自分自身の心の歴史に触れるたびに、アルバート、本当の自分自身に出会えて本当に私は幸せですと語っています。 私は一つの肉をもらって、こうして自分の思いの世界を見渡せることが嬉しいです。全部間違ってきた自分というものが、今一つの肉を通して如実に感じられる、そして本当の私自身もまたしっかりと感じられる、それがただ嬉しいだけです。ありがとう、心からありがとうの思いが沸き起こってきます。真実を捨てたから苦しみ続けてきた、その自分自身の心の歴史に触れるたびに、アルバート、本当の自分自身に出会えて本当に私は幸せですと語っています。ああ、私は肉でも喜びです。何の変哲もない肉をまとって、間違いだらけの自分が真実に出会ったことが嬉しいだけです。どうしてもどうしても真実に出会いたかった心の叫び、ひとつひとつに本当にありがとうしかありません。 私は喜びで二五〇年後を待つことができます。喜びの私自身がもう一度肉を持たせてもらうことができます。それが二五〇年後、喜びの大洪水の中、ともに歩みを進めていきましょう、この思いがこんこんと湧き出てきます。アルバート、思いを向ければ、そうそんな思いの中にあることを感じます。 一三二、「意識の流れーアルバートとともにー」の改訂版、ようやく書店に並び始めました。たくさんの意識達との出会いを本棚から喜びで待っています。 「意識の流れーアルバートとともにー」の改訂版、ようやく書店に並び始めました。たくさんの意識達との出会いを本棚から喜びで待っています。今世の出会いを待っていたよ、ずっとずっと待っていたよ、早くおいで、早くおいで、そんな私達の思いを一人でも多くの方が、心で受け止めてもらえるのを喜びで待っています。 本に思いを向けると、ただただ嬉しいです。ただただ喜びです。よかったね、嬉しいね、ありがとう、アルバート、嬉しいよ、本当に本当なんだね、そんな思いがずっと続いています。 色々ありました。数限りない体験を経てきました。心の世界は、そうです、そんな意識達の思いで満杯です。しかし、それでも私は私に受け入れられて、今ここにこうして存在しています。たまらなく嬉しいです。存在そのものが嬉しい、存在そのものにありがとう、私の中からこのように伝わってきます。私のこの思い、あなたの心に届きますか。 本もそうです。そしてホームページもそうです。またセミナーもそうです。すべてに恵まれてきた私達です。どんなに幸せか、私は自分自身の心の軌跡を感じているから、今世のこの時間、空間、どんなに語っても語り尽くせない喜びと幸せを感じています。そしてすべては二五〇年後の来世、本当にありがとうございますしかありません。 一三三、「意識の流れーアルバートとともにー」は、もちろん波動です。書かれてある内容は真実を物語っています。それを分かるには心しかありません。 「意識の流れーアルバートとともにー」は、もちろん波動です。書かれてある内容は真実を物語っています。それを分かるには心しかありません。と、同時に「核からのメッセージ」、今現在は「意識の流れからのメッセージ」ということですが、これも本当にすごいのです。私自身「核からのメッセージ」に目をやれば、すごいことが書いてあるといつも思っています。そのすごいことというのは、心にドンと響いてくるという意味です。 なぜならば、地獄の奥底の底、ブラックから蘇ってきた意識が綴ったものだから、そこには珠玉の言葉がちりばめられているのです。それはだから波動となって、心に響いてくるのです。真実の叫びだから、あなたの心奥深くに響いてくる言葉と必ず出会うはずです。それは不思議でも何でもなく、みんな地獄の奥底の底を味わってきた意識だからです。それが分からないようでは、やはりご自分は偉いと己天下を広げられているのでしょう。 このように語るこの文章から、己偉しの波動を感じますか。私は自分ができている、立派、特別、そういうところから言葉を発していません。ただ真実を告げています。「意識の流れーアルバートとともにー」、「核からのメッセージ」、「意識の流れからのメッセージ」、本当に心で分かってくださいと、ただそれだけをお伝えします。 一三四、動機が間違っていれば、学びの入り口にすら立てていないということを、自分の中で自覚してください。自分は何のために学んできたのか、その点をしっかりと自分の中で見つめていなければ、所詮この学びも他力信仰の延長だということを、これからの肉の現象の中で確認なさるのではないかと思います。 気付きに早い、遅いはありません。心で気付いているかどうかです。気付ければ何ともいえない嬉しさを感じます。本当に間違ってきた、何もかも間違ってきた、根底から崩れていく気付きです。そこを感じれば、もう何もないと思います。 肉の現象、セミナーを通して学んでまいりました。自分の予定通りを、私は消化してまいりました。不動の思いは、一朝一夕に培われるものではありません。どうぞ、今気付きのチャンスを得られている方も、淡々とその歩みを進めていってください。 息せき切って、どうだどうだ、アルバートとは、心を見るとはこういうことなのか、そういう勢いで学びに迫ってこられる方もあるでしょう。反対にどこまでもいつまでものんびりと、全く違う方向を向いていることすら分からない方もおられます。 動機が間違っていれば、学びの入り口にすら立てていないということを、自分の中で自覚してください。自分は何のために学んできたのか、その点をしっかりと自分の中で見つめていなければ、所詮この学びも他力信仰の延長だということを、これからの肉の現象の中で確認なさるのではないかと思います。うやむやにしても、ごまかしても、自分の問違いに気付かざるを得ない状況に、自らをいざなっていくことでしょう。それが意識の流れだからです。厳しいのではなく、ただただ優しい、意識の流れです。 一三五、母の本当の優しさと温もりが分かってくれば、それは厳しさなのです。本当に優しいから厳しいのです。そして天変地異、肉で救いの手立ては何もありません。転回のみです。それを促すエネルギーが天変地異という形になっていきます。 そうです、まず母の温もりです。温もりを拒否し否定し認めない意識は地獄です。どんなに素晴らしいと誇っても地獄です。だからそこを飛ばし、そこを軽んじていけば、あとは狂っていくだけです。中の狂いが現象化していくのです。狂ってはいない、まともだ、正常だと思っているのは、全く無知な自分自身だけです。常軌を逸していることを示す現象がさらに起こってくると思います。 また、母の温もりは、ただ優しいただ温もり、それだけではありません。本当の優しさと温もりが分かってくれば、それは厳しさなのです。本当に優しいから厳しいのです。意識の世界の正確さを心にひしひしと感じます。明と暗を感じます。明が際立ってくれば、暗もはっきりと浮かび上がってきます。 そして、天変地異です。肉で救いの手立ては何もありません。転回のみです。それを促すエネルギーが天変地異という形になっていきます。今世、その一端を垣間見られて肉を捨てるのもいいかと思います。何度かの転生を経られて、再び肉で出会わせていただくことが、意識の転回へとさらに拍車をかけていくだろうと思っています。 一三六、心を見るということが、自分に対する限りない優しさと温もりでした。心が語ってくる、自分が自分に語ってくることの優しさを感じます。真実を忘れ去ったから、人間はみんな寂しいのだなあと、様々なものから伝わってきます。 私は、今何も望むものはありません。幸せ、喜びの中を肉の時間が過ぎていくようです。肉の時間は正確に時を刻みます。肉に翻弄されてきた過去を思い、そしてようやく本当の自分を取り戻した今を思い、これからずっと続いていく二五〇年を思い、次元移行を思います。本当に何とも言えない思いです。本当に本当の喜びと幸せ、心、意識の世界は無限に広い、そういう思いが後から後から溢れ出てきます。 心を見るということが、自分に対する限りない優しさと温もりでした。心が語ってくる、自分が自分に語ってくることの優しさを感じます。真実を忘れ去ったから、人間はみんな寂しいのだなあと、様々なものから伝わってきます。寂しいから、一生懸命になれるものを探し求めている光景を目にします。心を見るということを知らないから、自分の中で何一つ解決できなくて、救いを外に求めてしまうのでしょう。今ふと気付けば、その連鎖が自分の中で消えている、それが私の今だと分かります。 一三七、誰にも何にも束縛されることのない肉の身分の中で、私は勢いよく、自分の中のエネルギーを放出します。それが私のシナリオ、細かいことはどうでもいいのです。 私自身ももちろん、セミナーに集う前までは、ただ苦しいと叫んできました。なぜかと疑問に思いつつも、そのなぜかが分からなかったから、苦しい、くそったれとただ叫んできました。 しかし、学びに触れた瞬間からそうではなくなりました。同じ苦しい、くそったれのすさまじいエネルギーもその質を変えていったのでしょう。ただ肉でそのエネルギーを受け止めていくのに時間が必要でした。自分のそのエネルギーに自分自身が翻弄されては、今世はだめでした。それを私はよく知っていたのではないかと思います。だから温もりを、止め処もなく溢れ出てくる温もり、無抵抗の優しさを自分の中でしっかりと確立することが先決でした。 自分を振り返り、そう思います。くそったれは喜びでしたと自分の中ではっきりと知っています。二五〇年後の再会にその出会いを用意していることが、だからたまらなく嬉しいのです。当然、肉を持っていますから、肉の環境が整った恵まれた状態は絶対設定しません。まずそのひと叫びを発するところから、すべてが始まるからです。 誰にも何にも束縛されることのない肉の身分の中で、私は勢いよく、自分の中のエネルギーを放出します。それが私のシナリオ、細かいことはどうでもいいのです。 一三八、世の中は乱れに乱れます。人間のレベルはこれからもなおいっそう落ちていきます。自然災害の天変地異とともにその勢いは加速されていきます。 世の中は乱れに乱れます。肉の人間のレベルはこれからもなおいっそう落ちていきます。自然災害の天変地異とともにその勢いは加速されていきます。その中で人々は救いを、何かの手立てを求めます。さらにパワー、ブラックのエネルギーを求めて何とかやっていこうとします。しかし、そんなことで、自分達の根本的な間違いになかなか気付けない、いえ気付いていながらもその方向を変えることはできないのです。それが、これからの肉の時間です。今世はまだまだ序の口でしょう。乱れに乱れる、それこそ人権も何もあったものではない、地の底を這いずり回るのです。意識の世界そのものが、まさに肉、形の世界に如実に浮かび上がってきて、地獄そのものの様相を呈していきよす。倫理、そんなものくそったれです。何を信じていいのか分からない、何も信じられない、肉の人間は、そう疑心暗鬼の中をさ迷い続けるでしょう。 そして、二五〇年後を迎えます。地球全土はもちろん荒廃しています。そして人心も然りです。そんな中で私達は、再び肉を持ってくる計画です。 もうお分かりでしょう。そんなに生易しいものではありません。今、分かった、分からないでうろうろ心をさせているようではと私は思っています。しかし、それもこの意識の流れの中の一部分であり、それぞれが自分で気付き、自分で歩み出さなくては、どうすることもできないと、結局はそこに落ち着いてしまいます。 一三九、私はともに歩めることだけを待っています。思想、価値基準等々、すべてを超越してただ真実だけをどこまでも求めていく、そんな意識達とともに歩めることを待っています。 私はともに歩めることだけを待っています。思想、価値基準等々、すべてを超越してただ真実だけをどこまでも求めていく、そんな意識達とともに歩めることを待っています。それが現実となってくるのには、やはりこれからの時間が必要です。何の迷いもなくただひたすらに真っ直ぐに自分を見つめていくための時間と空間が必要なのでしょう。 今世、その準備段階として、セミナーが開催されてきました。諸々の間違った見当違いの趣旨で集ってこられた方々も少なくありませんが、思いは今までに語ってきましたし、何よりも「意識の流れーアルバートとともにー」に集約されています。読んで分かるわけではないけれど、少なくとも何を語っているのか、これからのそれぞれの転生にお役に立てるだろうと思っています。 私はそういう本だと思っています。真価は、これからに委ねられていくはずです。焦らずたゆまず淡々と、自分という存在をじつくりと味わってください。自分を味わっていくのに、そうすべてが整えられているのです。どんな時もどんな場面においても、自分の心を見るということを第一にしていけば、答えは自ずと自分の中から出ています。どうしてそれを己を表すことに使ってきたのか、あるいは、自分はそういうことを全く軽んじてきたのではないか、いくらでも反省材料は転がっています。 一四〇、世相が混乱していくから、アルバートの世界に拠り所を求めていくという他力的なものではなく、ただ確信です。自分の中の確信が、そういうものによって実証されていく喜びを感じています。 テレビ、ラジオ、パソコン、新聞等でニュースを見たり聞いたりする自分が変わったと思います。以前は漫然と眺め、聞き流していたと思いますが、今は、そういうものを通して、さらにアルバートを確信する思いと出会っています。それは、世相が混乱していくから、アルバートの世界に拠り所を求めていくという他力的なものではなく、ただ確信です。自分の中の確信が、そういうものによって実証されていく喜びを感じています。 また、肉は街中の喧騒の中に身を置き続けることを選んでいます。人も車も多く騒々しいですが、自分が選んできた、選んでいる生活空間に満足しています。要は、いつでもどこでもアルバートを思い、アルバートに心を合わせていく、その言わば訓練を積んでいくだけです。もちろん、自分の時間はゆったりとあります。ゆったりと自分を振り返る時間と空間があります。大変恵まれています。 地獄の奥底を這いずり回り、地獄の奥底から蘇ってきた自分自身に出したひとつの結論、それが私にとって今世です。その確信を得た私は、当然その喜びと幸せは、決して色褪せることもなく、ひっくり返ることもありません。自分に自分が出した回答、私はこの回答を引っさげて、これからも存在していきます。そして、二五〇年後の自分が設定した肉と出会わせてもらいます。意識の流れにありがとうしかありません。 一四一、真っ黒が嬉しいという真意は、転回が進まない限り自分の心で分かってこないと思います。なぜならば、どこかに自分は素晴らしい、選ばれた、特別等々の基準の思いがあるからです。 意識の世界は、深くて広くて大きいです。どこまでもどこまでも広がっていき続いていく、その境界はありません。ここまでというものがありません。あるのは、喜びだけです。自分という存在、存在そのものが嬉しい、優しい、ありがとう、だけです。真っ黒が嬉しいという真意は、転回が進まない限り自分の心で分かってこないと思います。なぜならば、どこかに自分は素晴らしい、選ばれた、特別等々の肉基準の思いがあるからです。 田池留吉と出会い、セミナーに集えた私はすごい、アルバートの世界を垣間見た私はすごい、すごいことを伝えてもらっているんだ、たとえばこのように喜んでいるとしても、基準が違えば、全く違うということを、自分の心で分かっていってください。そして、それは波動に端的に示されるのです。どんなに言葉を重ねても、波動です。波動だけが真実、波動はごまかせない、波動は騙せない、このことをあまりにも軽んじてきた、セミナーをアルバートをそして自分自身をないがしろにしてきた、これらの点についてどの程度自分自身の心で感じてきたか、そのようにご自分を振り返ってください。セミナーがあろうがなかろうが、今世という時間は、ひとりひとりにとって、大変大切な時間であることを、もっとご自覚くださればと思います。 一四二、肉を維持するのにお金が必要、人間社会はそれが現実です。ただそれだけなのに、狂っているから、お金がお金こそがすべてだ、あまりにもこの思いが強いです。強すぎる、それはとりもなおさず肉本意の思いしかないからでしょう。 肉を維持するのにお金が必要、人問社会はそれが現実です。ただそれだけなのに、狂っているから、お金がお金こそがすべてだ、あまりにもこの思いが強いです。強すぎる、それはとりもなおさず肉本位の思いしかないからでしょう。お金というものに取り付かれて、人間の意識は奥深くまで麻痺している状態なのでしょう。それは今の日本が抱える社会問題、少子、高齢社会にはっきりと現れてきています。 少なく生んで集中的に高い教育をつけて、それが我が子の幸せに繋がっていくと真剣に考えている親がどれだけいるかと思います。様々なそこに働くエネルギーが、逆に子供を追い詰め、自らの首を絞めているとは思いもよらないのではないでしょうか。間違ったエネルギーが作用して、そこにひずみが生じ様々な考えられない事件等が発生します。しかし、ずっと根本的な間違いに誰一人として気付けていないのが今の現状です。 また、介護の手を社会に委ねていく、それもある程度は仕方がないと思いますが、しかし基本にあるのは、自分の親は自分達でお世話をするということだと思います。親です、自分を生みあるいは育ててくれた親です。社会の流れはどうであれ、学んでおられる方々にはやはりその基本をしっかりと持ってほしいと思います。真実をお伝えするまでにはいかないにしても、せめて肉の優しさで接するぐらいはできるのではないでしょうか。ともに今世肉の時間を共有できたことを喜び合える、そんな関係を構築できればと思います。 一四三、肉の焦りは禁物です。肉の一生懸命もどこかで息切れします。焦らずたゆまず淡々と、これだけです。 色々な方の反省文、気付きを読ませてもらっています。気付きに早いも遅いもないですけれど、クリアできていないハードルが多いんだなあとつくづく思います。学び始めてからちっとも変わっていない現状を、ホームページを通して、客観的に眺められてどうでしょうか。反省して瞑想して自分を自分で見つめて、それはどなたもこれまでに積み重ねられてこられたはずです。私はそう思っています。だから、何で今になってという感じもしますし、何かまだまだ未知数だという感じは否定できません。 どちらにしても、本当に心で感じてくれば、肉の形の上でも明らかになってきます。肉も変わってくるということです。アルバートの世界は非科学的な世界ではないからです。アルバートはアルバート、そして肉の世界は肉の世界、そうやって区別できないのです。本当に真実の世界に一歩足を踏み入れ、どんどん進んでいこうと自分の中で分かってきたなら、それが自分自身の肉の生活にも、必ず何らかの変化を促してきます。自分の中で、ピシッと一本通すものがあって、そして後は何とも言えない優しさと幸せに満ち溢れている、そういうことがそれぞれの日常生活にも表現されてくると私は思うのです。 肉の焦りは禁物です。肉の一生懸命もどこかで息切れします。焦らずたゆまず淡々と、これだけです。 一四四、優しさです。温もりです。そして本当は喜びだけです。喜びの自分と出会う旅です。これからもそれぞれの旅は果てしなく続いていきます。永遠の旅をし続けましょう。 今年の今の時期と一年後の今とどう違うのか、セミナーに集われている方々に共通なのは、今年はセミナーがあるけれど、来年からはないという事実があります。そうやって、これから一年、一年と肉の時間を重ねていく間に、どのように自分が存在していくのか、どのような過程を経てどのようになっていくのか、思ってみただけでもワクワクしませんか。 肉は、それぞれにそれぞれの思いの中で、様々な体験をされていかれると思います。中には、先行き不透明、不透明どころかお先真っ暗だと思っておられる方もあるかもしれません。また、ええい、くそったれ、肉でおもしろおかしく生きてやると、すべての課題を先送りにして苦しいままかもしれません。 そんな方でも、絶対に見限らない自分がそこにいることを、心のどこかで感じてください。地獄も地獄、そう地獄のどこまでもついていく自分というものに触れていくということがどんなに優しいことなのか、どんなに救いなのか、心で知る旅を続けていってください。 優しさです。温もりです。そして本当は喜びだけです。喜びの自分と出会う旅です。三億六千年、それ以上旅してきました。これからもそれぞれの旅は果てしなく続いていきます。旅に終着駅もない、始発駅もない、永遠の旅をし続けます。 一四五、この世のどこかに真実はある、必ずある、そしてその真実は自分の中にあった、真実とは自分自身だった、この巡り会いはすごい出来事でした。アルバートこそ真実でした。その波動の世界こそが真実でした。そしてそれは自分自身でした。 この世のどこかに真実はある、必ずある、そしてその真実は自分の中にあった、真実とは自分自身だった、この巡り会いはすごい出来事でした。アルバートこそ真実でした。その波動の世界こそが真実でした。そしてそれは自分自身でした。そしてまだまだこれから限りなく真実に近づいていくのです。まず、その巡り合わせに今世を設定してきたことを心で感じています。だから私の中は不動なのだと思います。この世の天と地がひっくり返っても、私が今感じている世界はそんなものではびくともしないでしょう。 私は、今世真実と出会いたかった、いえ必ず出会うことを自分に約束してきました。そうです、どんなことがあってもその約束、自分自身との約束を破る、すなわち自分自身を裏切ることはしない、自分の優しさと温もりをとことん信じていこう、その思いがセミナーという時間の遂行とともに私の中で確実に蘇ってきました。それは肉が反省をし、自分を振り返りそして瞑想をする、その行為の中ではっきりとしてきたことでした。私はこの自分の思いというものにただ従っていっただけです。そういうところから、肉の自分の周りを見渡したとき、そうすべてを整えてきたと何度も思いました。だから、私は私にありがとう、意識の流れにありがとうしかないのです。 一四六、私が私自身の心で感じている世界、私の意識の世界は聞いて分かるものでもありません。肉の言葉にはできないのです。波動の世界には言葉などありません。しかし、言葉は波動でもあります。音を発している、異語がそのいい例です。異語で通じます。感じている世界を自分の中で確認しています。そして自分を語っています。 自分を語るとき、何を語りますか。自分を修飾するものみんな取り除いたとき、何が残りますか。みんなです。生まれも学歴も美貌も仕事も家族も、みんなみんな取り除いていったとき、どのような自分を語ることができますか。 文字通り、裸の自分です。裸の何も持たない自分には、心の世界があります。その世界を語るということが、自分を語るということにはならないでしょうか。しかし、心の世界といっても、肉の自分が中心にあっての世界では、本当に自分を語っていることにはなりません。すべてが肉中心から様々な思いを発しているのであって、そのような世界の中だけで、苦しいだの恨んでやる、呪ってやると、怒りや憎しみや妬み悲しみ等々に翻弄されている自分を語っても、所詮その程度です。私は、自分を思うとき、アルバートを思うとき、嬉しさが喜びが込み上げてきます。そこには何にもありません。ただ喜びなのです。それは私の中で、存在してきた過去からの自分、これからの自分、そしてそれらが今ひとつとなって私の中で、喜びが噴き上がってくるという状態です。 もちろん、これは私の意識の世界です。私自身の心で感じている世界です。だから、聞いて分かるものでもありません。肉の言葉にはできないのです。波動の世界には言葉などありません。しかし、言葉は波動でもあります。音を発している、異語がそのいい例です。異語で通じます。感じている世界を自分の中で確認しています。そして自分を語っています。 一四七、頭ではなく心で気付いていかれる、だからこれからの時間と空間、すなわち転生が必要なのでしょう。劣っているから転生を繰り返すということではありません。自分に対する優しさです。真実に出会いたいという自分自身の心の叫びが、そのようにプログラムを組んでおられるのです。すべては自作自演の出来事です。 狭い視野から、意識の世界を感じていこうとしている愚かな自分自身に気付いていってください。本もホームページも、どうぞ視野を広げて心を広げて接してください。部分的にとらわれこだわっていけば、疑問疑念だらけでしょう。そうだと頷ける部分もあると思いますが、その疑問なり疑念のほうがはるかに比重を占めておられると思います。それが肉基準であると、どこかで気付かれるのを待つしかありません。頭ではなく心で気付いていかれる、だからこれからの時間と空問、すなわち転生が必要なのでしょう。 劣っているから転生を繰り返すということではありません。自分に対する優しさです。真実に出会いたいという自分自身の心の叫びが、そのようにプログラムを組んでおられるのです。すべては自作自演の出来事です。 私は、二五〇年後に肉を持つまで肉を持ちません。それは自分に必要ないからです。必要のないものは現象化されない、それが意識の世界です。私はそのように肉の世界を見ています。そう見れる自分に成長、これは肉の自分がという意味ですが、そういうことにおいても大変嬉しいです。もちろん、意識の世界は飛躍的に成長させてもらいました。自分を信じていくことの喜びと幸せ、そしてそれこそが真実であることを知ったからです。 一四八、欲とは、こうなりたい、ああなりたい、もちろんそういうこともありますが、やはりそこに己という牙城を抱えて、今は隠し持っているけれど、その芽はしっかりと残っている、ということです。 頂点に立ちたい、打倒田池留吉、田池留吉を超えたい、核などあるか、何が核だ、何で私が核でないんだ、本音を語ってください。こんな思いを奥底に抱えたままでは、おそらくどれだけの時間をかけても地獄の奥底から出ることは不可能でしょう。なぜなのか、その意識は、自分を否定しているからです。意識の流れを認めたくない心では、どうしようもありません。肉は肉の思いとしては、受け入れていかなければとか、素直になってとか、思っておられると思います。だからこそセミナーにも集ってこられたし、ということでしょう。私は、そんなことを言っているのではありません。受け入れていかなければ、素直になって、その奥底に潜む思いに本当に欲の思いがありませんか。欲とは、こうなりたい、ああなりたい、もちろんそういうこともありますが、やはりそこに己という牙城を抱えて、今は隠し持っているけれど、その芽はしっかりと残っている、ということです。 ひとつを否定しているのは、自分自身です。アルバートは意識の流れ、意識の流れはアルバート、ここだけをつまみ出して、真実の世界を知っていこう、感じていこうとしても無理なのです。そういうことがまだ分からない、すなわちそびえ立っているということになるかと思われます。 一四九、一見華やかな世界から、基本が狂っていることだけがどんどん伝わってきます。そんな中で、こうして肉体を持ってきたこと、そしてそういうことが心で感じられる今であること、間違い続けてきた自分の歴史、自分自身がとても喜んでいます。私はそういう世界にほんの少しでも触れていただきたいと思うばかりです。 どのように自分の持ち時問を使われようが、自由です。自分の納得のいくように時間を過ごし存在してください。しかし、誰かのために何かのために生きる人生から、早くさようならしてほしいと思います。家族のため、社会のため、会社のため、人類平和のため、本当にこんな人生を生きておられる方々は、哀れとしか言いようがありません。自分の夢を実現するために一生懸命生きる姿、美しいですか。立派ですか。私は哀れとしか思えません。自分が自分に設定してきた時間、今の自分だけに何もかもすべてを注ぎ込んでいくエネルギーを感じるにつけ、ああそうだなあ、間違ってきたんだなあと振り返っています。 私達は、便利で快適な生活空間を手にしています。今の時代、少なくとも先進諸国においては、それをそれぞれがすでに享受し、発展途上国でもそれに続けの勢いです。そして、片方では、地球環境云々の旗揚げです。議論を重ね、少しでも地球に優しく、そしてこの宇宙と調和をしていこう、そこにはまず人類の進歩と発展が基本にあります。だからすべてが狂ってくるのでしょう。一見華やかな世界から、基本が狂っていることだけがどんどん伝わってきます。そんな中で、こうして肉を持ってきたこと、そしてそういうことが心で感じられる今であること、間違い続けてきた自分の歴史、自分自身がとても喜んでいます。私はそういう世界にほんの少しでも触れていただきたいと思うばかりです。 一五〇、喜びも幸せも本物を感じてください。偽物は時が経てば、はげていきます。本物か偽物か、そんなこと全部自分は知っている、自分を欺くことだけはもうやめにしましょう。 心を見る、自分を客観的に眺めるそして見つめる、このことを忘れない限り、怠らない限り、自分を見失うことはない、私はそう思っています。また、有頂天になったり落ち込んだりすることもない、絶えず自分に自分が伝えている思いとひとつだからです。私は私自身を信じています。自分の中の優しさと温もりを知っています。それだけのものを心で感じているからです。 そして、何よりも私は、今世剣が峰だという思いが非常に強いのです。もちろん、こんなこと、肉が始めから分かっていたはずはありません。ただ自分を委ねるというか、何か自分を賭けていけるものを探してきたのは事実です。私の中でこれだと思うものに出会えなかった、それがセミナーに集う前からの心情でした。だからそのきっかけになった現象は肉では大変でしたが、私の中は納得し、そしてこれからいよいよという喜びに沸き返っていたと思います。私は私自身に忠実に従ってきただけのこと、そしてこれからも忠実に従っていくだけのことです。私は自分自身の過ちに本当に気付いているのです。自ら地獄に落ちていったことを知っています。時に道草を食う危険性もありましたが、再び自分の心でその軌道修正をし、そして後はただ前進あるのみでした。もうひっくり返ったり、後戻りしたりする可能性は限りなくゼロに近いでしょう。 喜びも幸せも本物を感じてください。偽物は時が経てば、はげていきます。本物か偽物か、そんなこと全部自分は知っている、自分を欺くことだけはもうやめにしましょう。 一五一、右か左か、黒か白か、非常にはっきりしています。私は優柔不断ではありません。そして、思いを通してきました。つまりアルバートに一直線でした。 緩やかになだらかに、表現を落とせばのらりくらりと進む道を私は選びませんでした。右か左か、黒か白か、非常にはっきりしています。私は優柔不断ではありません。そして、思いを通してきました。肉で思いを通せば、それはプラス面、マイナス面様々な結果になりますが、これは意識の世界でのお話です。つまり思いを通すとは、アルバートに一直線だということです。 肉はそのためにあるのだ、当然、肉も肉の生活も整然とします。それは、アマテラスの世界における形を整えるというのとは違います。形を整えるのではなく、形が整ってくるのです。なぜならば、今何のために肉があって、肉の生活がなされているかを心で知っているからです。己を表しアマテラス等にひれ伏すために、自分があるのではないことを知っているからです。自分のために自分が存在し、自分のために周りが存在してくれている、その中で自分は一体何に気付き、自分のために何をしてやれるのか、その世界にどんどん自分自身が入っていきます。 そこにあるのは、温もりと優しさと喜び、そして自分に対する厳しさ、それらが切実に心に迫ってきます。こんなにも切望してきたのか、その現実に出会ったとき、何もかもが吹っ飛んでいきます。何もいらない、本当に何もいらない、その思いだけだと思います。 一五二、自分に納得する人生を送りたかった。自分の人生、誰かのために何かのために無駄にしたくなかった、自分に納得する人生、今になればよく分かります。アルバートに出会うことでした。そのために私は全部整えてきたことを感じています。 自分に納得する人生を送りたかった、そうこの思いでした。自分の人生、誰かのために何かのために無駄にしたくなかった、自分に納得する人生、今になればよく分かります。アルバートに出会うことでした。そのために私は全部整えてきたことを感じています。やはり、誰が何がではありませんでした。そのようなもので私自身納得しなかった、それが自分の心で分かったから、よかったと思っています。 私は私に出会いたかった、こう言っても、肉では非常に曖昧な表現でしかないと思いますが、自分の心では、納得しています。私は、このように思っていますが、人それぞれです。それぞれ自分に納得していれば、それでいいと思います。その人の価値基準がどうであれ、私は何も強制する思いはありません。自分が素晴らしいとか、あなたは間違っているとか、そう言うつもりもありません。そんなことをしてもどうなるものでもないと知っているからです。私達は仲間、ともに歩んでまいりましょう、このようにお伝えしていますし、私自身の思いはこれからも変わりませんが、確かにその思いはそうですが、肉でどうするこうする、そういうことではないのだなあと思っています。それが肉で冷たく映っても、果たして本当に冷たいのか、では優しいとはどういうことなのか、そこのところだと思います。 一五三、愚かな連鎖を自分自身で断ち切るだけの勇気と賢明さが何よりも求められているのではないでしょうか。指針通りに進んでください。焦らずに、素直に、そして真面目に指針に従ってください。 私はもう充分過ぎるほどの生活空間を享受しています。何の不便も感じていません。満たされています。もちろん、生活が整っているから、私は満足感を感じているのではありません。自分の指針を見つけられたから、私は満たされているのです。決して侵されることのない不変なもの、そこに行き着いたからという心境です。 これからは、そこをどのように歩んでいくのか、自分はどのように存在していくのか、これは今に始まったことでもありませんが、文字通り独立独歩です。自分が自分と運命をともにする、過去もそうでしたが、今世を境にこれからは、その様子が一変していきます。それが楽しい、嬉しい、苦しいのではなく、喜び、そういうことだと思います。私はすごいエネルギーの持ち主です。すごいパワーを秘めています。それはそのことに気付いたからだと思っています。 何度もお伝えしてきましたが、そのことを肉基準でとらえれば、意味不明、誤解だらけ、そしてそれは苦しみへと続く道、そういうことになるかと思われます。また、それを選択しているのは、誰でもない自分自身だということにもなるでしょう。愚かな連鎖を自分自身で断ち切るだけの勇気と賢明さが何よりも求められているのではないでしょうか。学びの時間をともにいただく前に一言お伝えしておきます。 一五四、どうしようもなかったから生まれてきた、肉を持つことを切望してきた、このことに本当に心から気付かれたなら、ただただ嬉しいだけです。どんな肉でもよい、どんな環境でもよかった、こうして肉を持って今ここにあるという幸せと喜びが、心の中に噴き上がってくることでしょう。 本当にありがとうございました。今世、セミナーという時間と空間を共有させてもらって、私は幸せでした。幸せ、喜び、それに尽きます。そして、まだしばらくの間、このようにホームページを通してともに学ばせてもらえることがただただ嬉しいです。間違って間違って存在し続けてきた自分に、本当のことを伝えることができ、これほどの幸せ、喜びはないと思っています。 どうしようもなかったから生まれてきた、肉を持つことを切望してきた、どうぞこれから先、一人でも多くの方がこのことに心で気付かれるのを待っています。このことに本当に心から気付かれたなら、ただただ嬉しいだけです。ただただ喜びだけです。どんな肉でもよい、どんな環境でもよかった、こうして肉を持って今ここにあるという幸せと喜びが、心の中に噴き上がってくることでしょう。 私はそのような心の体験をなされたなら、もう誰も要らない、何も要らない、もう私はこんなに満たされている、その世界が手に取るように感じられることだろうと思います。 私はあなた、あなたは私、この世界に存在し続ける自分を心で感じる、その幸せと喜びの世界にどんどん入っていく、本来肉の時間とはそのために用意してきたのだと、私は今しみじみ思っています。 一五五、くそったれが苦しくないのです。嬉しいと感じます。そして、その思いこそがアルバートヘの信を大きくする原動力であることも然りです。私は、そういうふうにこれから皆さんがなられたらなあと思うだけです。 先日の下呂セミナーのときに、まだ田池留吉、くそったれが出るのかとある人に聞かれました。いっぱいあるよと私は答えたと思います。しかし、少し補足させてください。 二五〇年後の劇的な出会いは、アルバートくそったれ、アルバート殺してやる、これだと私はずっと言ってきました。しかし、そのくそったれも殺してやるも大いなる喜びであるとも言ってきました。言えば、闇は無尽蔵です。しかし、私は、その闇が喜びであることを知りました。心で知っています。実にその質は大きく変化したことを感じています。くそったれがいっぱいあるということは、喜びがいっぱいだということです。だから、私は苦しくないのです。くそったれが苦しくないのです。嬉しいと感じます。そして、その思いこそがアルバートヘの信を大きくする原動力であることも然りです。私は、そういうふうにこれから皆さんがなられたらなあと思うだけです。くそったれが出るたびに優しくなっていく自分と出会っていったことを思い出します。私は私の道だけを見つめているだけです。私とアルバート、私と私だけを見つめてこれからも存在し続けていくだけなのです。だから、私は幸せなんです。誰よりも誰よりも私を愛しく思ってくれている自分自身、すなわちアルバートと出会わせていただいた私は幸せなんです。はい、幸せです。 一五六、もうセミナーはありませんが、今世まだ肉の時間がそれぞれに残されていると思います。どうぞその時間を大切に最大限に自分のために生きてください。どん底の苦しみの叫び、しかし会いたい、会いたい、きっと、きっと、そのような叫びがふと、皆さんに思いを向けたときに伝わってきます。 肉は淡々と生活しているようですが、私の中は嬉しくて嬉しくて楽しくてということのようです。こうしてふと思えば、パソコンに手がいきます。アルバートを思えばそして二五〇年後を思えばということなのでしょう。私の中では、今がもうすでに二五〇年後ということになるのでしょう。暗い顔をして悩んでいる方に、どうしてそんなに難しいことを考えているのかと思ってしまいます。全部自分だ、早くそんな真っ暗な穴蔵から出てくればいいのに、そうすればこんなに楽しいこんなに広くて嬉しい世界があるよと、私は思っています。この思い、セミナーに集ってこられた方なら、きっとこの先心で感じてくださるだろうと思います。 もう一度、いえ何度も原点に戻って、母を思ってください。どんなに愛され慈しみ抱かれてきたか、どんなこともすべて受け止めてもらってきたことが、心に蘇ってくると思います。もうセミナーはありませんが、今世まだ肉の時間がそれぞれに残されていると思います。どうぞその時間を大切に最大限に自分のために生きてください。 私は、来世本当に一人でも多くの方と出会い、喜びをともにしたいと心から思っています。伝わってきます。どん底の苦しみの叫び、しかし会いたい、会いたい、きっと、きっと、そのような叫びがふと、皆さんに思いを向けたときに伝わってきます。 一五七、かけがえのない貴重な時間と空間に巡り会えたことが、私のそれこそ、かけがえのない財産です。心が全部憶えています。喜びに汗し涙し、本当にたくさんの意識達との出会いがありました。自分の中の意識達との出会い、全部、全部、心から涙して汗を流し、過去から心を繋ぎ未来へ心を繋いでいくことの喜びに沸き踊っている、そのような心の体験をしてきました。 今年も残すところあと十二時間少々となりました。どうでしたでしょうか。一年を振り返り、納得のいく時間を過ごされましたでしょうか。約二十年のセミナー開催の中で、私は十二年八ヶ月ともに学ばせていただきました。どの方もご同様だと思いますが、セミナー会場に思いを向けると、色々な思い出があります。色々な場面が走馬灯のように蘇ってきます。 かけがえのない貴重な時問と空間に巡り会えたことが、私のそれこそ、かけがえのない財産です。心が全部憶えています。喜びに汗し涙し、本当にたくさんの意識達との出会いがありました。自分の中の意識達との出会い、全部、全部、心から涙して汗を流し、過去から心を繋ぎ未来へ心を繋いでいくことの喜びに湧き踊っている、そのような心の体験をしてきました。気力、体力充分で、セミナーの時間を走り抜けたことを喜んでいます。 もちろん、これからも気力、体力最大限に活用して、私は私の道を歩み続けていくだけです。心に灯ったアルバートは私の中で絶対に消えません。思いを向けるだけ、アルバートを思うだけ、ただそれだけの喜びと幸せの灯を、確実に心に灯せたことが本当に嬉しいです。 先生、先生、田池先生、固有名詞で呼ぶこの言葉の響き、何ともいいです。本当にありがとうございます。 「意識の流れ」からのメッセージT 2006年1月28日第1版第1刷発行 編集・発行久保明子 印刷・製本メディア・パック 落丁本・乱丁本はお取り替えいたします。 ◎2006PrintedinJapan