核からのメッセージU (二○○三年七月から十二月掲載分まで) 過去世はみんな失敗です。 過去世はみんな失敗です。だから肉を離していくとき、自分にありがとうと言えませんでした。死ぬのは怖い、死ぬのはいやだ、死んだらどんな世界に行くのか、跡形もなく消えるのか、肉にしがみつき肉に執着する思いだけでした。そんな過去の記憶が蘇ってきます。 今世はどうなのか、実際そのときになってみないと分かりません。でもたぶんいえきっと私は私自身にありがとうございましたと言えると思います。そして私は肉を離しても田池留吉を呼びアルバートを呼べる、そんな私だろうと感じています。そこまで心を確立する必要があるというか、私の予定の中にはそれが組み込まれているというか、そんな感じです。 ひとつの計画のもとに肉を持って生まれてきた私自身を私は感じています。だから私はその流れに沿ってこの肉の私も肉の思いも流れていくことと思っています。 すべては意識の流れに従って歩いていくだけだとの思いが心から沸いてきます。やはり今世の私には失敗はない、肉を持たせてもらった喜びとともに肉を離していく喜びを感じながら私は二五〇年後の来世へと繋いでいくことでしょう。 計画は狂うことも頓挫することもなく順調に遂行されていく、だからそれが私の道筋だと私は思っています。 私は幸せです。私は嬉しいです。私は喜びです。 私は幸せです。私は嬉しいです。私は喜びです。 私の心は変わりました。どこがどう変わったのか、それは同じ暗い思いでも以前は重く沈んでいたけれど今は軽いです。アルバートに出会っているからです。みんなアルバートに出会っているから心の中で嬉しい、嬉しい、幸せ、幸せって飛び跳ねているような感じです。 日々の生活の中で時間は淡々と流れていきます。そんな中でアルバートに心を向けアルバートを思える私は本当に幸せです。私はアルバートとともにいます。田池留吉を思いアルバートを思っている、だから嬉しい、だから幸せです。 そしてまた私の中の宇宙が喜んでいることも感じられます。私には感じられる、宇宙が喜んでいます。温かい優しい思いを感じながら宇宙の隅々にまでこの思いを届けたい、そんな思いが溢れてきます。心が広がっていくときです。宇宙に心を馳せるとき私の心は広がっていきます。肉の喧騒ははるか遠いところにあります。目の前を通り過ぎているだけ、ふと私は今どこにいるのかそんな思いが心によぎることもあります。 田池留吉を思いアルバートを思える心、この心ひとつあれば他には何も必要がない、この心ひとつで私は勝負です。 あなたも心に身体にいっぱいしょいこんできたくだらないガラクタとおさらばしてこの心だけで一本勝負とまいりませんか。 私の中で肉を自分だとする歴史に幕を下ろしていこうとするのが今世の時間です。 本当は肉持つ人間すべてが喜びでした。でもアルバートを知らない肉はただの肉の塊に過ぎません。その肉を求めそこに癒しを救いを求めてきた自分自身の愚かさにようやく今世心で気付きました。長い時間がかかりました。誰が悪いのでもなかった、アルバートを知らなかったから、その真実に気付くまで心は外に向き苦しみの中に自ら落ちていっただけのことでした。苦しめるものは何もありませんでした。肉基準でみんなマイナスにとらえてきた心が苦しみでした。 肉をはずしたとき真実の世界からのただただ気付いてくださいというメッセージのシャワーをいっぱい浴びていたことに気付けました。 私の中で肉を自分だとする歴史に幕を下ろしていこうとするのが今世の時間です。そしてそれとともに私の中の宇宙が確実に変わっていくのも今世がスタートです。 今そのことを自覚しています。だからこれからの時間も淡々と過ごしていくことができる、それで幸せです。それで喜びです。心を合わせる喜び、ともに生きていく喜び、本物の幸せを知ったからです。 田池留吉を思いアルバートを思えるこの心、私の来世は本当にこの心ひとつだけです。 田池留吉を思いアルバートを思えるこの心、私の来世は本当にこの心ひとつだけです。 今世の私は物に溢れ平凡ながら今、安穏と暮らしている。だけど来世の私は何も持てないです。生まれながらの環境に苦しみ社会の大きな壁にどうすることもできない自分自身があって、誇るものどころか捨てるものさえない、生きる望みを失うその寸前にあの目と出会うのです。 目と目の出会いは私を二五〇年前に引き戻してくれます。私の心には今世の学習があります。もうその瞬間、私は意識の転回を遂げる、そして私には文字通り田池留吉を思いアルバートを思える心だけで充分だった、私にはこの心があった、だからこれ以外には何も必要なかったということを確認します。苦しみの自分とグッバイしながら、ともに旅立っていく幸せ、喜びの中にある自分を私は今はっきりと感じます。来世の私はだから超、超…幸せです。肉持った苦しみから肉持てた喜びへと心は変わり、幸せ幸せの中、次元を超えていきます。そこにはもちろんUFO達もいる、ともに宇宙へ帰ろう、ともにふるさとへ帰ろう、私はアルバートとともにずっと歩いていきます。ずっといっしょです。 アルバートを捨てたかのように見える来世、しかしそこには劇的な出会いと爆発的な喜びが待っています。これが私の歩いていく道筋、そして意識の流れです。 私はアルバートを感じアルバートを信じアルバートとともに生きています。あなたはどうですか。 この学びは他力信仰ではない、耳で聞かされ頭で分かっているけれど、でもまだまだ色々の思いを持ってセミナーに集ってくる人、頑固で強情のどこがいいのか分からないけれど自分を前面に押し出している人、セミナーは残り少ないです。アルバートヘアルバートヘ、この道へこの道へと心を向けていく仲間達の中で昔はいざ知らずふと気がつけば自分だけがということにならないように、もうUターンしなければなりません。 全部をご破算にしないと絶対前に進めません。それから田池留吉の肉と私の肉に引っかかっている心でも同様です。特に私に引っかかっている心を早くあなたの中で吐き出しそれを認め見つめ自分の中で消化しないとこの学びを進めていくことは私は不可能だと思います。 私が偉いから素晴らしいから私が一番であなたがその次ではないんです。これが意識の流れです。だから肉でどうこう思う思いはもう諦めてくださいと言わざるを得ません。形で言えばそうです私が一番でした。でもあなたの心がその方向を変えさえすれば同じ思いが同じ世界があなたの心の中に展開されるということです。どうぞ素直になってともに歩いていきましょう。 私はアルバートを感じアルバートを信じアルバートとともに生きています。あなたはどうですか。心に聞いたうえでセミナーに参加してください。セミナーを無駄にしないでください。 私はあなたに「その肉をはずしてください、肉をはずさなければ真実、波動の世界は分からない」とそのことを伝えたいだけです。 私はあなたに「その肉をはずしてください、肉をはずさなければ真実、波動の世界は分からない」とそのことを伝えたいだけです。アルバートの世界だといくら言ってもそれは肉基準の真っ黒な自分の中の宇宙であることに私はただ気付いてほしいだけです。 アルバートの波動をアルバートの世界を本当に感じていったならば肉の己はそこにはありません。確かに肉持っている以上肉の思いがあって肉の生活の中では心が揺れます。だけど自分の本当の世界はアルバートを思い田池留吉の宇宙に心を向けたときに感じるあの世界だということが肉を持ちながら信じられます。これが私自身だとはっきりと感じられます。絶対にここのところは変わらない、それが本当にアルバートと出会っているアルバートを感じているということです。 アルバートを田池留吉の宇宙を心で感じ心の底から沸き起こってくる喜びと出会ったならば、ブツブツも迷いもありません。まだ知らないからまだ出会っていないから、肉を表し苦しみブツブツ言っているに過ぎないことをもう認めていってください。もう己という看板を降ろしてください。 どれだけ喜びだ、アルバートの世界だと言葉を並べ立てようとも波動の世界は通用しない、一プラス一イコール二の世界、真実は曲げられません。苦しい波動は苦しい、嬉しい波動は嬉しい、そうとしか表現できない単純明快な世界です。複雑怪奇はもう結構、単純明快にアルバートです。 意識の流れに素直に乗っていくだけです。ただそれだけです。 言葉はいらない、言葉はない、ただ喜びがそして心が広がっていく、肉持てたことが最高に幸せです。 田池留吉の宇宙に心を向ける、アルバートを思う、肉があってそうすることができる今、なんて幸せなんだろうと思います。肉持ってきた意味を喜びを十二分に感じています。 アルバートがすべてそしてそれが喜びであり幸せです。私はそんな波動の世界を感じています。 救ってください、助けてください、何とかしてください、私にパワーをください、田池留吉の宇宙そしてアルバートの波動を感じさせてください、ください、ください…ではあなた自身の心の世界は開けてきません。また己、己…私を認めよといくら田池留吉を求めようとも声は届きません。 何度も何度もその間違いを繰り返しそのたびに苦しい心が広がっていったはずです。本当の意味で賢くなってください。あなた自身の心に素直になってください。田池留吉の宇宙をアルバートを待ち続けてきたあなた自身に素直になってください。 心を委ね切れる幸せそして喜び、すべてを預けられる安らぎ、心を開いて私はぜひこの素晴らしい波動の世界を感じていってほしいと思っています。それには肉をつかんでいる心では絶対だめなんです。そんなに難しいことではないと思います。ちょっと心の向け先を変えるだけです。意識の流れに素直に乗っていくだけです。ただそれだけです。 私はこの三次元で田池留吉と出会えました。やっと出会えました。 私はこの三次元で田池留吉と出会えました。やっと出会えました。田池留吉の宇宙、私が捨ててきた宇宙です。捨ててきた宇宙に今出会っている、私は田池留吉の肉を通しその宇宙を感じています。目の前の肉を見る心に響いてくるのはこの思いです。だからたまらなく嬉しい、心の広がりとともに何とも言えない思いを感じます。心が張り裂けそうなくらいに嬉しいです。次元を超えてきたそして今この三次元でようやく出会えている喜びと待ち続けてくれていた思いにただただありがとう、です。 空想とか妄想とかではなく、私には実感です。次元を超えてきたことも田池留吉の宇宙も私には現実です。だから私はちっぽけな肉の世界に存在するちっぽけな肉でないことも実感しています。 田池留吉の宇宙は私の宇宙でした、ようやくその目覚めを頂いた今世です。出会わせて頂いたことが感謝です。 私は宇宙、遥かかなたから存在してきたことが心に蘇ってきます。この世界が私です。私はこの広がりです。そして今その中に田池留吉の宇宙をアルバートを広げていけます。どれだけ会いたかったか私は本当にあなたと会いたかったです。 ありがとう、ありがとう、待っていてくれてありがとう。私はあなたです、あなたは私です。私はあなたとひとつです。壮大な意識の流れ、計画を感じずにはいられません。意識の世界は無限大です、そして宇宙は喜びです。 かけがえのない大切なもの、愛しいと思えば思うほど離したくない失いたくない、いわゆる肉に執着する思いそれが真っ黒で間違っているとは思えませんでした。 かけがえのない大切なもの、愛しいと思えば思うほど離したくない失いたくない、いわゆる肉に執着する思いそれが真っ黒で間違っているとは思えませんでした。執着していることさえ分からなかった、少なくとも私の過去はそうでした。当然です、肉を本物とするところからはその有無により心は左右される、大揺れに揺れます。そんな苦しみの中を生き続けてきたんだと今振り返っています。本当に間違ってきたことを感じます。肉の愛は苦しみでした。肉としてしか見れなかったことが大きな間違いだったと今世やっと気付かせて頂きました。真実波動の世界を感じ、意識の世界にある自分というものを感じたから、ああ私は間違ってきたんだと心で気付けました。 田池留吉、アルバートが伝えてくれたものは本当の優しさと強さです。信じることの喜びと幸せです。私がしていくことはただひとつでした。私はアルバートを信じています。田池留吉を信じています。だから心から呼べます。心を向ければ通じ合える私であることが信じられます。いつも語ってくれていることを感じ信じられることこそが幸せだということも知っています。 かけがえのない大切なものは私自身でした。そしてその私は過去から未来へと生き続ける喜びのエネルギー、そのことを感じているから信じられます。真っ直ぐに前を向いて田池留吉、アルバートとともに生きていく私です。心が曇って道が見えない見失うことはあり得ない、過去どんなに苦しみの中にあったとしても私は今そう自分に伝えることができます。 壮大な意識の流れを感じるほどに、肉に止まり肉に沈んでいくほど愚かなことはない、心にそう響いてきます。 私は確かに意識の世界を真実の世界を感じています。そこからずーっと次元を下げてきたところに肉の私の思いというものがあります。肉、肉の心で肉を愛してきた私がありました。肉、肉の心で愛しいと思ってもそれは苦しみであったことを今世の私はようやく自分の心にはっきりと伝えることができます。そのことが本当に嬉しいです。そして愛しいという思いを苦しみではなく喜びとして自分の心に広げていけたならば人間みんな万歳です。数え切れない地球上の転生の中でやっとその真実に出会え、今そのことを私自身の心の中で確立しようとしています。 私の意識の世界というか意識としての私の目覚めは確かなものです。だからこそ今この愚かな肉にようやく伝えることができるのです。肉は確かにやっかいです。肉と思ってきた歴史は長く膨大に心に積まれています。しかしそれと同じいえそれ以上に意識の世界、波動の世界の素晴らしさを今世の肉は体験しています。だからその間違いに気付け苦しみから喜びへと転回していく幸せな道を躊躇することなく選ぶことができました。本物を感じたからです。 壮大な意識の流れを感じるほどに、肉に止まり肉に沈んでいくほど愚かなことはない、心にそう響いてきます。ともにある、確かにともに存在する意識、波動、それが田池留吉でありアルバートです。厳然として存在することを感じています。 新鮮な驚きと喜び、これこそが真のパワーだと改めて思っています。 肉でごちゃごちゃ言うのはもういい、能書きももういい、単刀直入がいいです。信じているのかいないのか、ともに行こうとするのかしないのか、ふたつにひとつです。真剣に向いていこうとする思いが道を開ける、私は意識の世界はそういうものだと思っています。寄り道したりわき道にそれたり回り道したり、もう散々やってきたのではないでしょうか。私は幸いにも肉的に猪突猛進型です。これだと思ったらこれなんです、一直線です。私にはそのときは周りが見えません。この学びにもこれが幸いしたのかもしれません。そして私には選択肢がなかった、だから迷うこともなかったし、ただ言われるままに肉はやってきただけのことでした。そして今私は本当に幸せです。アルバートを信じアルバートの実在を確信し田池留吉とともにアルバートとともに来世を生きている私がいるからです。 アルバートそして二五〇年後を現実と感じている私、もちろん心に広がる宇宙も私には実感です。だからまだ課題はあるものの私は嬉しいです。必ずクリアしていきます。 心に広がる世界、心に感じている波動、言葉なくただただ嬉しい、喜びです。新鮮な驚きと喜び、これこそ真のパワーだと改めて思っています。 私は本当に幸せです。私は本当に嬉しいです。田池留吉、田池留吉、私はあなたの宇宙を心に感じています。間違い続けてきた私が今田池留吉の宇宙を心に広げています。 私は本当に幸せです。私は本当に嬉しいです。田池留吉、田池留吉、私はあなたの宇宙を心に感じています。間違い続けてきた私が今田池留吉の宇宙を心に広げています。温かな柔らかな波動の中に私は包まれています。私の喜びはあなたの喜び、あなたの喜びは私の喜び、その思いを私は本当に感じています。だから幸せです。 心が広がっていきます。田池留吉、ありがとう、心が広がっていく、私の宇宙に春が来た、春、春、春、私の宇宙は春です。私は喜びです。宇宙が喜んでいることがしっかりと感じられます。 私は純粋にアルバートを信じる仲間を待っています。純粋にともに歩める仲間を待っています。私はアルバートの世界その波動、そして田池留吉の宇宙、感じて信じてともに喜び合える仲間を待っています。 言葉じゃない、波動です。喜びは波動でしか感じられません。どんなに肉は跳ねともに歩いていきましょうと肩を抱き合い涙を流しても全然違う、私は厳しいようだけどそのように言わせてもらいます。 本当にアルバートを感じ本当にアルバートを信じていくには自分の中に培ってきたエネルギーを心から吐き出し認めていかない限り、その道は開けていきません。上っ面の喜びだけを感じそれがアルバートの波動、アルバートの世界だなんてそんなことがあるはずがありません。アルバートを本当に感じれば心は変わります。私ははっきりとそうお伝えすることができます。 心に広がる世界、現実です。アルバート、そして田池留吉の宇宙は現実です。 私は波動のお勉強のあの場に座らせて頂いて、よりいっそう心が定まってきたことを感じます。 私自身を振り返れば一九九九年助走、そして二〇〇〇年幕開けそれから快調に意識の流れに乗っていることを感じます。私はこの意識の流れということに思いを向けるときとても嬉しくなります。心はみんな知っていることを感じます。私はそのことを感じるとき肉を持っているこの肉の私というものが何だか遠くに遠くに感じています。私は意識の流れそのものそして肉はそれに付随するもの意識の流れに沿って肉の世界が展開されていくだけ、だから委ねていけばいいだけなんだ、そう思えるから心が軽いです。もう私にはこの肉をどうしようこうしようという思いはありません。今肉は幸せです。特段変わったこともなければ何もないけれど、私は今肉を持っていることが嬉しいです。肉持ってこんな世界を知ったことは何にも代えられないことです。心に広がる世界、現実です。アルバート、そして田池留吉の宇宙は現実です。 肉の中で苦しみを広げてきた、それはただ肉の喜びと幸せを求めていたからであり肉を頂くということがどういうことであるのか分からなかったからです。 肉を持っているから現象を得ることにより心は揺れる、でも揺れっぱなしではない、絶えず自分の心に確かめようとする思いを感じます。間違っているでしょう、苦しいね、アルバートを田池留吉を思えばそれは歴然です。 肉の中で苦しみを広げてきた、それはただ肉の喜びと幸せを求めていたからであり肉を頂くということがどういうことであるのか分からなかったからです。肉はこうあるもの、こうでなければ肉は幸せではない、そうではなかったです。たとえ肉がどうあろうともすべてそれは喜びへと繋がっていくものであり、喜びへと転回できるものだったんです。だから肉は喜びです、真実を知る心には肉の喜びは本当の喜びへと通じていくものだということが心に感じられます。 肉の不都合を喜びとしてとらえていける心、それは真にアルバートを信じていればこそということを学ばせてもらいました。肉の先生の姿を通し私はそのことを学ばせてもらいました。ひとつの現象が様々に波紋を広げ真実を感じていけるように促されています。不都合なことは何もない、そこで動く心を見つめアルバートを感じていくだけだと改めて思います。 肉の現象は心の中のアルバートを確かめる試金石だと今ははっきりと感じています。 肉の現象は心の中のアルバートを確かめる試金石だと今ははっきりと感じています。心に揺れを感じながらアルバートを信じる思いを確認する、私にはアルバートがあるということ、ともにあるという喜びが伝わってきます。 肉は苦しみでも悲しみでも寂しさでもなく、本当の喜びを幸せを感じていける器でありそれを頂いていることをただ喜びとして感じていける、肉頂いている間にそのように心を変えていこうと私は今世の肉を選び環境を選びそして田池留吉と出会いました。 すべては意識の流れの今でありその今をアルバートを感じアルバートを信じアルバートとともに生きていくことを自ら与えている、その喜びと感謝を感じています。私の中で決して変わらない真実、それはアルバートを信じる思いです。アルバートとともにあるという喜びです。これはどんな現象が目の前に起ころうとも私の中にしっかりと息づいています。田池留吉が伝えてくれたもの、私にはしっかりと感じられます。そして今田池留吉の意識とともに肉とともに歩みを進めている私は意識も肉も本当に幸せです。肉の世界からは想像がつかない推し量れない喜びと幸せを私は感じています。 一心同体、まさにその通りです。肉と肉が出会いこの世界を心に広げている私です。何もいらない、何も望まない、ただともに歩いていくことが幸せです。 何もいらない、心にアルバートを感じていたならばそれで幸せです。 何もいらない、心にアルバートを感じていたならばそれで幸せです。目を閉じて心をすーっと田池留吉に合わせると、何とも言えない思いを感じます。だから何もいらないです。心に感じられる優しさ温もりです。そして私の心に伝わってくるのは、ともにアルバートの道を歩いていきましょう、ともに四次元へという思いです。 ともに歩いていく幸せ、喜び、ともにあることの幸せ、喜び、心で感じています。濁流の中でも私の心は流されません。淀むことのない清流があったことが信じられる、だから嬉しいです。清流です、変わることなく待ち続け受け入れ続けてくれていた波動を感じます。 私はこの道、アルバートです。心で感じている確かな道、ただ真っ直ぐに進みます。私にはすでに得がたい仲間がいます。肉持って出会えそして歩みをともにする仲間がいてくれたことが本当に嬉しいです。私はともに歩いていきます。アルバートを信じる心を確かめながら一歩一歩歩いていきます。それが私の喜び、私の幸せです。だから私は何もいりません。この喜び、この幸せを知った今、淡々とその道を歩きます。今世の学習をきちん 自覚しています。そのために今世肉を頂いたことも今ははっきりと感じています。意識の流れの中の私、その私を感じられることがただただ嬉しいです。 私を支えているのは私自身でした。 私を支えているものは私自身でした。心の中から沸き起こってくる優しさと温もりそしてアルバートの存在、今世田池留吉の肉を通し私の肉を通しようやく知り得た真実です。 肉は愚かだと言いつつ、私は今肉をもらって肉の田池留吉と出会えている喜びと幸せを十二分に感じています。 アルバートを信じる肉は決して愚かな肉のみに止まらない、だから肉も信じられる、肉と意識の境目がないことを私は感じています。 ありがとう、嬉しいです、幸せです、心の中にはまだまだ色々な思いが過ぎるけれどでもやっぱりこの言葉しか見当たりません。真実を知るために肉を頂いた今世ですが、本当にこんな幸せな時間と空間が用意されていました。セミナーを通しホームページを通し私の心は成長させてもらいました。特にホームページにはその足跡がはっきりと残されています。本当に嬉しいです。田池留吉とともにアルバートとともに今世歩みを確実な歩みを自分自身に与えてきた、このことを思うときもう何とも言えません。 私は確実に心に刻んできました。この心の体験は私にとって宝物です。何にも代えられません。真実はあった、どこかにどこかに真実はあると捜し求めてきた私にようやく真実が届きました。だからありがとう、です。お母さんに田池留吉にそして私自身にありがとう、です。 肉しか信じられなかった、いえその肉すらも信じられなかった心に今真実の世界が広がっています。 肉しか信じられなかった、いえその肉すらも信じられなかった心に今真実の世界が広がっています。肉だと信じてきた薄っペらな世界、そう真実を知った今本当に肉のみに生きてきた世界は薄っペらなものでした。 心の世界は果てしなく広かった、そして優しくて柔らかくて温もりに満ち溢れていました。アルバートが私の心に伝えてくれたものはそんな世界です。このことを私は信じられる、アルバートが実在する、確かにこの心の中にアルバートが実在します。 何が幸せで何が喜びかを忘れ去ってしまった人間ほど悲しくて寂しくて苦しいものはない、嬉しい、幸せですと言っても空しくこだますることを自分の心は知っている、やっとそのことを素直に自分の心の中で認められるようになった、それが今世の私です。肉でできることには限りがある、どれだけ頭を使い心を使ってもだめだった、外には何もなかったということをようやく心で分からせてもらえた今世です。 流れに委ねていくだけでいい、それでみんなよかった、でもこんな簡単なことも真実を知らなければ決して委ねられない、任せられない、です。委ねていく喜びと幸せそして安らぎを今世の私は学ばせてもらっています。心から嬉しいです。アルバートとともにある、ともに歩める意識、これが真実です。捜し求めてきた真実です。 生半可な感じ方では来世に繋いでいくことはとてもとてもという気がします。 生半可な感じ方では来世に繋いでいくことはとてもとてもという気がします。 肉に生きてきた現実をしっかりと見据えながら本当に心を決めてひたすら一直線に学んでいこうと思えなかったならば、どれだけセミナーに集ってもその効果はないに等しい、それどころかマイナスになりかねないと私は思います。 世間の常識、世間の目、そして現世利益、濁流が怒涛のごとく押し寄せてくるとき、それでも私はこの道ですと堂々と胸を張って言い切れるほどの確信があなたの心の中にありますか。 奇麗事はいいです。もう本当に時間は残されていないことを知ってください。いつまでもセミナーがあり田池留吉の肉がありあなた自身の肉の時間があるのでもないということを心にもう一度留めて、今世のこのチャンスを決して無駄にしないようにしていきましょう。 くだらない肉の思いをぶら下げていては真実は見えません、分かりません。しかし意識の世界は順調に流れています。すべては四次元への流れを示しています。その流れの中では濁流はほんの一筋の流れであることがこれからはっきりと現象化してくることと思います。その現象を通し人々の心に大きな気付きと促しがなされる、それがこれからの時間の中に用意されています。心の中の変化が現象化されていきます。宇宙を変えていくパワー、愛のエネルギー、それがアルバートです。アルバートが実在することを証明するこれからです。 二五〇年後の来世に向けて自分の道を真っ直ぐに歩いていくだけです 真の喜びを極めるには二五〇年後の出会いを待たなければなりません。しかしそれには今世心の目覚めが何を置いても必要、今世予習して来世本番です。その心を携えて二五〇年後に出会う道筋が見えます。舞台が整えられていることを感じます。その二五〇年後の来世に向けて自分の道を真っ直ぐに歩いていくだけです。 真実を知らない肉は本当に愚かです。許されて今がある、このことが分からなくなってしまった人類の行く先はもう目に見えています。どれだけ社会の機能が進み繁栄しても心の世界は真っ暗闇です。その中で救いの手を差し伸べるほうも救われたいと思うほうも所詮はいっしょ、どっと地獄の奥底に落ちていくだけです。馬車馬のように駆け抜ける人生も何の目的も持たず社会の波に流され浮かれ惰性で生きている人生も真実を知らないがゆえの姿、本当に愚かな道を歩いてきました。私は今世それに終止符を打とうとそしてその手立てを学ばせてもらいました。幸せ者です。 ようやく真実の世界を垣間見た私です。この肉を通し意識達はどれだけ渇望しているかということを私はもうすでに強く深く心に響き渡っています。 アルバートは現実で田池留吉の宇宙も現実です。今世のこの肉、田池留吉の肉とともに学ばせてもらえることがどれほどありがたいか、その波動の世界を実感して大きく頷いています。今を生きる喜び、幸せを感じています。それは過去も未来も喜び、幸せだと今世私は知りました。 他力の中で転生を繰り返してきた心に宗教心が染み付いています。 他力の中で転生を繰り返してきた心に宗教心が染み付いています。心に信じるものを持って肉体をもらい、生まれついた場所でさらにその宗教心を膨らませてきました。それが過去人類の歴史だと思います。だからこの学びに集い真実を伝えられても他力のエネルギーを解き放していくのはなかなかです。肉基準の心で広げているアルバートは、過去広げてきた他力の世界と何ら変わるところはありません。アルバートだと思ってもそれはアルバートの世界ではありません。信じてきたものが間違いであったと心の底から噴き上がってこない限り、そのエネルギーを離していくことはできない、そう断言してもいいと思います。だから天変地異が起こってきます。根こそぎ心がひっくり返るような天変地異です。心の拠りどころを見失ってみんな手放したとき初めて本物が顔を出してくるのです。 静かに自分と向かい合う時間を日々の中で頂くこと、これほどの贅沢はないと私は思います。この時間と空間を得るためにみんな整えられていることを感じ、ああ私はともにあるんだと思えることがただただ嬉しいです。アルバートを感じアルバートを信じるために今肉をもらっていることを感じています。ともに生きる、ともにある、肉も意識もひとつ、私の中でその喜びが伝わってきます。 何度かの天変地異を経て地球上は様変わりしています。その中で再び出会いの時を持たせてもらいます。それが二五〇年後です。歓喜の時間、空間を共有してそして予定通り私達は次元を超えていきます。 感じられないものは信じられません。当然です。感じているから信じられるんです。 感じられないものは信じられません。当然です。感じているから信じられるんです。 感じてみてください。心でしか分からない、その通りです。もっと具体的に言ってほしいと何度思ったことか、今となってはそれは無理だということがよく分かります。 学びは加速度を増しています。それぞれの度合いは違うものの心に感じるところ、響くところは多々あると思います。しかしその感じたものを信じて来世に繋いでいく、心を繋いでいくことはそう容易いものではありません。肉には流され易い、肉に戻るには何の苦労もいりません。 そのことを踏まえいつも心に確認していく自分に対する厳しさが大切だと思います。 私はできた、私は分かった、私は感じている、そういうことに廿んじていれば、きっとその方向はずれて曲がっていくことでしょう。セミナーもなければ田池留吉もいないその中で自分の心をしっかりと見定めてしっかりとした足取りで歩いていくには、今本物を感じ揺るぎないアルバートヘの信を育てていくしかありません。一朝一夕にできることではありません。 心にアルバートを感じずに信じずに肉をいくら生きながらえてもそれはあまり意味がないということをすでに頭では充分理解できていることだろうと思います。 真実を知った今心に浮かび上がってくるのは、これからの私です。 真実を知った今心に浮かび上がってくるのは、これからの私です。その私の方に心を向けると一本の道しか見えず私の手の中にしっかりと未来行きの切符が握りしめられていることを感じます。 肉も肉の思いも委ねていくだけでいいですよ、それでいい、私は自分の中から伝わってくるこの思いこそが真実だと本当に思っています。意識の流れを感じその流れに乗っていることを感じているから、肉はそれに従ってその方向を示すように展開されていくだけだと思っています。 間違いなく真実の道を歩き未来へと続く道を感じている私にとって、肉も肉の思いもその一環に過ぎないです。だから真実に目覚めていない意識、肉にあえてどうこうする思いはなく、この肉がこうしよう、ああしようという思いもありません。真実を心に広げている肉のみが私と相通じその肉にしか思いが向かないことを感じています。それで肉は十二分に幸せです。肉を頂いた幸せ、喜びを満喫しています。その幸せ、喜びを満喫しながら私は私の予定のコースを辿ります。意識、波動の世界の素晴らしさ、無限の広さ、言葉では語れない表現できないその世界が確かに存在する、そのことをますます心に広げてまいります。これが流れ、大きな流れの中の私、この流れは来世未来へと永遠に流れていくことを心にしっかりと感じてまいります。 本当に幸せ者です。肉からすっと離れて波動の世界を感じています。 ああ私は本当に幸せです。田池留吉の宇宙、そう田池留吉の宇宙そしてアルバートです。心に響いてくる、心が広がっていく、そして幸せの中に喜びの中にある、こんな時間と空間を今世の肉は頂きました。 本当に幸せ者です。肉からすっと離れて波動の世界を感じています。幸せの一語に尽きます。心で知ったら分かる、みんなの心の中にある世界だから誰でもが分かる世界、ここを感じていけば、今どれだけ幸せなのかしみじみ分かります。 この学びに対して不平、不満、文句、愚痴を並べている人は結局は何も分かっていない証拠です。アルバートも田池留吉の宇宙も程遠い、学んでなんかいない、私はそう思います。 波動を本当に感じ始めればそんな思いにはなれないです。今自分がどんな場に肉を持って集わせてもらっているのか、ともに学ばせてもらっていることがどんなことなのか、言葉で言い尽くせないほどの思いを感じるはずです。 私は田池留吉の肉と出会わせてもらって目覚めを頂き今があります。確実に着実に一歩を進めています。自分が今世肉を頂いた意味をはっきりと自覚しています。目的があります。しっかりとした目的を持っているから、肉の時間を頂けることが嬉しいし感謝です。だから肉にありがとうの思いが自然に沸いてきます。肉があるから広げられる世界、肉を通し感じられる世界、喜びと感謝です。ともにある喜び、ひとつの喜びの中にあります。 不器用な生き方でもいい、私は自分に対して誠実に生きたいと思います。 不器用な生き方でもいい、私は自分に対して誠実に生きたいと思います。自分を裏切らないこと、見捨てないこと、見限らないこと、自分にそう約束してきたことを今肉の時間を持たせてもらって思っています。 誰のためでもない、誰の人生でもない、私は私の人生を生きたい、ずっと心に暖めてきた思いです。振り返れば今このようになっているのも頷けます。頷けるというか自分の思いを通してきたエネルギーのやっぱり強さ、大きさを感じます。 マイナスからプラスヘ変わる、いわゆる目覚めです。意識の流れは四次元を指し示しています。大きなエネルギーだからこそその転回が必要であり、困難ではあるけれど可能だということを証明した今世だと私は感じています。そのために私は今世肉をもらってきたことも感じています。来世は全く同様それ以上です。もう一度そして最終の肉の時間を持たせてもらうこと、これはもう大変なものです。それを心で感じています。予習そして準備の今世を経て来世に大輪の花を開かせる、それでこの三次元は修了します。そして意識の私の旅は次元を超えて続いていく、それが意識の流れだと私は思っています。 そういうことを心で感じ、だから信じられる今の私は肉を持ちながらとても幸せです。肉の中にありながらしっかりとその方向を知っている私は本当に幸せだと思います。だからみなさんもどうぞという思いが沸いてきます。素直になって自分の未来を感じていってください。 真実の前には肉は無力だということを何度もそして痛切に感じてきました。心に広げる波動の世界の中ではもう何も言葉はありません。 時間の経過とともに肉は老いやがて朽ち果てる、その肉とともに今というときを頂いていることが嬉しいと私は今自然にそう思えることがまた嬉しいです。本当は生まれてくるというだけで喜びだった、それに気付けずにいた私でした。根本的に間違っていたことをようやく知りました。己が偉かったです。真実の前には肉は無力だということを何度もそして痛切に感じてきました。心に広げる波動の世界の中ではもう何も言葉はありません。 だから頭ではだめです。頭を回し頭で解釈できる世界ではありません。心の体験です。その体験をできるだけ重ねていってください。心でしか田池留吉が伝えていることは分からない、どんなに頭脳明断であろうとも決して真実意識の世界は解明できません。肉で分かろうとすることこそが己偉しだということを心の体験を通して学んでください。 そしてまた心が鈍感ではどうしようもないれど、敏感であっても心の柔軟さがなければこれもまたどうしようもありません。 頑固で強情で己偉し、肉も意識もはやくその縛っているものから自由になって心軽やかに羽ばたいていってください。そうすれば道は自ずと開けてくる、肉から意識への転回が待たれます。そして肉に対する執着の思いから肉を頂いた喜びと感謝の思いへと転回していく道をともに学んでいきましょう。 前だけを見ています。私自身の素直な心が望むままただアルバートを見続けます。 右も左も上も下も向きません。前だけを見ています。私自身の素直な心が望むままただアルバートを見続けます。それが私にとって最大の喜びであり幸せであることがはっきりと分かります。 田池留吉の宇宙へと心を向けるとき、その世界が心に広がっていくとき、何にも代えがたい思いを感じます。本当に肉の皮一枚まとうことによりそして心の向け先如何でこんなに世界が変わることを感じています。 以前はそのギャップに違和感を持ってきました。でも今はそうだろうなあと思いそれを楽しんでいます。一瞬にして心を向けられることを知ってああこうすればいいんだと思えるようになりました。ひとつの自信です。肉を持っていれば心は揺れます。でもその中で心の針の向け先、何を思い何に心を向ければいいのか、そして思えば通じ、心に響いてくる真実の世界を私の心は知っています。だから何だか心が落ち着いています。真実を心で知ったということが私を救うことだ、私は私を見失わない、そういうことを学ばせてもらった今世の収穫は大きいと私は私を振り返りそう思っています。 アルバートを感じアルバートを信じアルバートとともにある時間、空間を過ごされていますか。 アルバートを感じアルバートを信じアルバートとともにある時間、空間を過ごされていますか。 肉を頂いている今、田池留吉を思うときそしてアルバートを思うとき、この肉があるということがどれだけ幸せなのか、これが原点だったとしみじみ思います。 田池先生を最初に確認したのは大阪センターでした。そのとき喜び少ないあなたですねとワンポイントメッセージを頂いたのを覚えています。図星でした。私は何でも与えられて当然でした。肉的に一番に愛されて大事にされて然るべきだという思いをしっかり持っていました。 ふとそんなことを振り返ったとき、やっぱり私は変わったんだと思います。生まれてこれたことが喜び、お母さんありがとう、こんな思いが心から自然に出てくるなんてと肉は本当に驚いています。でもそれが私の素直な思いであることは今ではこの肉も納得しています。文句タラタラそしてプライドが高かった私がこんなに変われたことが嬉しいです。 私は自分自身で証明してきました。私自身のことだから一番よく分かります。今の私をここまで引っ張ってきたものは、自分の中から出てくるものしか信じないという私の鉄則というか思いでした。右へ倣えとか右に同じくとか流されるとか私はしてきませんでした。まず自分でした。私の心に響き感じることでした。それを中心にして学んできた姿勢がよかったと今私は思っています。 そして今アルバート、田池留吉の宇宙、この波動の世界を感じて、感じていけることが最高に幸せな私がここにいます。 田池留吉の宇宙、すなわちその波動の世界に心を向ければみるみるうちに心が広がっていくのが分かります。 田池留吉の宇宙、すなわちその波動の世界に心を向ければみるみるうちに心が広がっていくのが分かります。心がどこまでも広がっていくのを感じます。心が広がっていく喜びを感じます。広がっていく様を表現できないけれど、とにかく広がっていくんです。私はこんな広い広い世界に存在しているんだと実感しています。 意識の世界は形のない世界しかしその世界こそが現実で、形のある肉の世界は影の世界だと本当に心で納得です。 肉と意識がひとつに溶け合う、ひとつの世界が本当の世界、それが本当の意識の世界、私が探し求めてきたことを今世肉を通し心に明かしていける、その道筋を私は歩んでいます。 意識と肉が別個にあるとか相反するものであるとかそうではなく、本来意識は肉を包みそしてひとつに溶け合うものであること、それが本来の意識であり肉であること、だから肉はなくてもある、波動として存在する、思えば通じ合える、意識の世界のメカニズムを順々に心で体験し証明していけることが嬉しいし、肉持つ喜びと感謝へと心を転回していける私は幸せ者です。 たぶん肉の次元から心を離すことができない人には私がお伝えしたいことは分かってもらえないと思います。結局は頭を回しその次元での意識の世界を感じているに過ぎない、真実の世界とは程遠いことにはやく気付かれたらと思いますが、そのことはこれからの時間の中でそれぞれの心で体験し気付かれていくことだろうとも思っています。 自分の中に真実があることを知っている人が本当に優しくて本当に強い人だと思います。 何もかも自分の心ひとつにかかっています。 何を思い何を信じているかだけです。ただそれだけです。 強い決意のもとに今世生まれてきた私自身であることを、学びに触れ波動の世界を広げていくほどに確認させてもらっています。だから望んできた通りの道筋を歩いてきた、歩いている、そしてこれからも歩いていく私自身を感じるたびに嬉しさと幸せが心に広がってきます。今どんなときを頂いているのか、肉の私に伝わってくる思いは真剣です。そしてこの肉にありがとうを伝えてくれています。 優しいというのはどういうことなのか、本当に優しい人は本当の強さをその心に秘めています。自分の中に真実があることを知っている人が本当に優しくて本当に強い人だと思います。肉のみに生きる人から流れるものは優しさでも何でもない、真実を知った今、私はそうはっきり言えます。優しさも温もりも喜びも溢れるように心の中から沸いてくることを知ったからです。 アルバートそして田池留吉の宇宙その波動を感じ信じるということが本当の優しさと本当の強さを心に復活させてくれます。肉は特に何もしなくていい、言葉も添える程度でいい、真実を知る心から流れるものが仕事をしてくれます。そうやって自然に流れるものに気付かないできた、逆らってきた、本当に愚かな道を歩いてまいりました。 真実に出会うために生まれてきた私です。今ははっきりと確認できていることが喜びです。喜びを広げていくために肉はあるということを知って本当に嬉しいです。 本物の喜び、幸せは肉と意識がひとつになって初めて感じられるものだと私は思います。 この肉は仮物、意識が肉をまとっている、そんな思いがフッフッと心に過ぎる最近です。そんなことは知識として充分頭に入っています。そうではなく何気ない日常の中で心に伝わってくるから嬉しいと思いました。教えてくれているんだなあと思っています。 特に最近田池留吉を思うとき、私の中で肉と意識の境目がないことを感じます。境目がないというのは、肉と意識が入り混じっているというのではなく、渾然一体すなわちひとつだという感じです。そしてそのひとつだという度合いも、いわゆる密着度、透明度が高ければ高いほど、その波動の世界を心に広げ感じていけるその喜びはひとしおだということも自分の心の中で感じていることです。 肉を持っているということが波動をストレートに感じていく障壁になっているのではなくて、肉だという思いそのものが壁になって妨げていた、そこを取っ払っていけば心にどんどん響いてきます。 私は田池留吉とひとつ、ひとつだから距離はゼロ、そのことを何度も心で感じられる、感じていける喜び、幸せを私は味わっています。この喜び、幸せが肉の喜びであり幸せだと思います。本物の喜び、幸せは肉と意識がひとつになって初めて感じられるものだと私は思っています。 アルバートを感じずに信じずにでは絶対に幸せではないことをはっきり感じています。 私は今何とはなしに嬉しいです。これは私の進むべき道を心に持ち感じているからだと思います。 アルバートを感じずに信じずにでは絶対に幸せではないことをはっきり感じています。どんなに東奔西走して地位を得て財をなし人が群がってきても、それはうたかたの夢、はかない幻、そんなものにもう心は惑わされません。 心は知っていました。素直な心の命ずるまにともに歩いていくことが一番幸せで一番楽な生き方です。肉の喜び、幸せを求めようとしなくても、肉は十二分に幸せで喜びであることが分かります。 私は私の今世の環境の中でアルバートを知りアルバートを感じ信じていくことを設定してきました。約束してきました。ただそれだけです。優しい自分に生まれ変わりたかった、自分に手を差し伸べてやりたかった、私を振り返ったときそんな私自身の思いを感じます。だから今肉をもらっていることが嬉しいです。たくさんの私を抱きしめてやれることを田池留吉にそしてアルバートに出会うことにより知りました。こんな幸せなことはありません。ともに歩いていこう、そう言ってやれることが嬉しいです。だから私にはこの道しかありません。田池留吉とともにアルバートとともに、の道しかありません。 生まれてこれたことが嬉しいと心の底から思えます。心が広がっていくとき何とも言えない思い、何にも代えられない至福感でいっぱいです。 生まれてこれたことが嬉しいと心の底から思えます。広がっていく私を今世初めて知りました。心が広がっていくとき何とも言えない思い、何にも代えられない至福感でいっぱいです。 自分には嘘はつけない、心が正直に伝えてきます。私は幸せじゃない、どこか違っている、どこかおかしい、私はこんなこと望んでいない、いつも答えはノーでした。一時の充足感は得られても心の中にくすぶり続けていたものがありました。そんな思いを抱えながらやっと学びに繋がってきました。私はいい子でした。その分思いを押し込めて心を閉ざしてきました。というかどうやって自分の思いを出していけばいいのか分からなかったというのが本当のところでした。思いを出すことが恐怖でした。 今自分と対話できることが本当に嬉しいです。優しい私がいます。優しい私が私を迎えてくれています。それがアルバートの世界、アルバートを思うとき私の心は嬉しさと喜びではちきれんばかりに広がっていきます。田池留吉と出会いこのアルバートの世界をその波動を伝えてもらったこと、ただただありがとうの言葉しか出てきません。嬉しい、ありがとう、幸せです、あらゆる過去世を心に持ち転生の機会を得て今ようやく本物と出会えた私には、もうその言葉と思いしかありません。苦しい心を抱えながら間違ってきた私自身が私に伝えてくれたことはこのことです。今世生まれてこれて本当によかったです。 心を解き放つことが優しさです。そしてその優しさは自分の中にアルバートを感じて信じていなければ出てきません。 「田池、殺してやる」「アルバート、殺してやる」私はこの思いを何度も出させてもらいました。本当に嬉しい瞬間でした。全部受け止めてくれているから私は安心して出せました。もっと出して心を広げていきなさい、優しい、優しい大きな懐の中で私は何度もその喜びを味わえました。心の開放感を味わってきました。信じて待っていますよと伝わってくる温もり、そんな肉がそこに存在していることが私には嬉しくてたまりませんでした。出せば出すほど懺悔の思いが心に溢れ喜びとなって心に響いてきました。だからこんなにすごいエネルギーだ、しかもこんなエネルギーが無尽蔵にある、ということで心を落とすことはなかったです。出せることが嬉しくてその私をしっかりと抱きしめてくれている波動を確認できることが喜びでした。田池留吉に対して徹底的に思いを出せたことが、出させてもらったことが今の私に繋がっていると思っています。 今私は優しい、優しい私自身を感じています。だから「田池、殺してやる」「アルバート、殺してやる」の思いがとても愛しいです。大きな喜びだと実感しています。言葉とは裏腹に思いは喜びです。 心を解き放つことが優しさです。そしてその優しさは自分の中にアルバートを感じて信じていなければ出てきません。自分を自分で包んでいける本当の優しさそして強さ、賢さを田池留吉は伝えてくれました。田池留吉すなわちアルバート、私はあなたと肉を持って出会えたことが最高に幸せです。 肉の出会いの喜びと幸せ、本当の肉の喜びと幸せは肉に執着しないものだということを自分の心で確立していくことが私にはひとつ残されています。 肉の出会いの喜びと幸せ、本当の肉の喜びと幸せは肉に執着しないものだということを自分の心で確立していくことが私にはひとつ残されています。 肉との別れを自分の心で受け止めてさらに自分の心を成長させていく、肉の思いをさらに軽くしていく、そして肉も意識もひとつの世界を自分の中でしっかりと広げていく、私の学習過程です。硬い言葉で言えば、心の訓練、鍛錬です。おもしろおかしく時を重ね、自分を偽り心を麻痺させてきた空しさと苦しさを過去の私はたくさん味わってきました。もうそれはいいです、しっかりと自分を見つめ本当の自分の心に帰りたいと私は願ってきました。 人との繋がりは肉の手助けをしてくれて肉の心を癒してくれるかもしれない、でもそれはほんの一時、自分の中の苦しみは何も変わっていない、その循環を断ち切るための決断と勇気を自分の心に興していくことが、真の自分に目覚めることだと私は思ってきました。修行ではありません。本当の優しさが分からなければ本当の強さ、本当の賢さも分からないことを私は学ばせてもらいました。 私の意識の世界は確実に真実の世界を広げ、感じています。だからこれからも妨げることなく曇らせることなく、肉も肉の思いもともに喜びを幸せを広げていけると思っています。それが肉と意識がひとつの本物の意識の世界であり、私が捜し求めてきた真実、私はそのように思っています。 私には特別意識はありませんが、意識の流れを感じています。その流れの中にある私です。 真実は何か分からないけれどどこかにあると私はずっと探し続けてきました。なぜ心がこんなに苦しいのだろうか、探しても求めても見つからなかったことでした。それが今世のこの肉を通し真っ直ぐに入ってきたんです。私の嬉しさはどれほどのものか、やっと巡り合えた、やっとだ、これだ、これだ、もちろんそうは思っても過去より培ってきたエネルギーは大きいです、すさまじいです。そう簡単には相容れませんでした。心惹かれながらも明確なものを自分の中に見出すまで田池留吉に対して反発してきました。その度に返ってくるのは優しさと温もり、大きな懐、待ってくれている思いでした。度重なる心の体験、もうぐうの音も出ないほどでした。愚かな肉をどんどん置いて私は意識の世界の不思議さと素晴らしさを何度も味わってきました。そのギャップに悩みながらもようやく肉でも信じられる、肉と意識の世界が段々一致してくるようになってきました。肉が素直になるほどさらに意識の世界は広がっていきました。 私には特別意識はありませんが、意識の流れを感じています。その流れの中にある私です。だから今このようになっているのも頷けることだし、全く予定通りだと思っています。後はもう任せていくだけです。私自身の課題はあるものの私はきっとこれからも予定された道を意識も肉もともに歩いていくことでしょう。田池留吉そしてアルバート、ともに生きるということが私の幸せそして喜びです。信じる、信じられる、信じ合える、その喜び幸せを感じています。 アルバートを感じて信じてともにある喜びを広げてそうしてこそ初めて肉の世界を喜びで楽しく明るく生きることができる、またそれが本来の私達の姿だとアルバートを知って心からそう思えます。 肉の中にあっては心は絶えず動いています。それも大揺れに揺れるときがあるかもしれません。でもたとえ激震であってもそれは肉の表面が揺れているに過ぎないのだと感じています。 揺れながらその揺れに押し潰されることなく揺れをうまく吸収していく、だから表面は揺れても中は揺れない、常に一定方向を示している、この心を作るというか培っていく術を学んできました。心が不動ということはそういうことだと思っています。 アルバートを感じて信じてともにある喜びを広げてそうしてこそ初めて肉の世界を喜びで楽しく明るく生きることができる、またそれが本来の私達の姿だとアルバートを知って心からそう思えます。 それもこれもアルバートを信じる信がなければ自分自身納得しないし、納得できなければ信じる思いも他力の心に繋がっていきます。全部自分です。 私達は何も持っていない、本当は何も持っていない、ひとつひとつ手を離し心を離していけば何もない、あるのは思いの世界だけです。そしてそれは本来言葉で伝えられる世界ではあません。何を感じ何を信じているのか、今そのことを自分自身の心で確認する絶好のチャンスを頂いていると思います。それが今世私達が肉を頂いてきたということだと思います。自分自身のために今というときを十二分に生かしていきたいと私は思ってきました。心からそう願ってきました。 今世一人でも多くの方が真実に目覚められ、ともに歩いていく喜びをその心に感じ肉をもらってきたことを心の底から感謝できるあなたであってほしいと私は思っています。 自分の感じていることを自分の言葉で素直に平易に書き記すことを私はしてきたつもりです。一感じているものを十にも百にも語れない、一は一、十は十、私はそのようにパソコンで打ってきました。ただ心で感じている世界を言葉で表現するには限度があります。そのもどかしさを感じてはいます。 ねえ、分かってよ、アルバートってすごいでしょう、本当に嬉しいね、本当に私達は出会えたんだね、そうやって打てば響くような仲間が出てくれればいいと私は思ってきました。 アルバートを思えば心の底から嬉しいと感じてくれれば私は嬉しいです。だから私達は二五〇年後に出会う仲間であって喜びを本当の喜びを広げていける仲間であって、肉を飛び越えた絆で結ばれていることを早くあなたの心で感じてくださいと、私は自分の思いを伝えています。 田池留吉を信じアルバートを信じている私にはもう何もいらない、今世一人でも多くの方が真実に目覚められ、ともに歩いていく喜びをその心に感じ肉をもらってきたことを心の底から感謝できるあなたであってほしいと私は思っています。 私はこのことを決して上から物申しているのではありません。私はアルバートを知っています、感じています、信じています。だからただアルバートを知って感じて信じていってほしいだけなんです。ただそれだけです。 真実が肉持つ人類に浸透するまでまだ時間はかかりますが、私はその道筋を感じています。喜びのエネルギーが宇宙へと流れていく様を私の心は感じています。 肉を頂くということを全く履き違えてきたことを私自身学ばせてもらってきました。どれだけ欲深いか、喜び、幸せを貪欲に求めてきた私自身が濁流でした。それをさておいてきたことが苦しみであり間違いであった、濁流を濁流だと思えなかった私に成り果てていました。それに警笛を鳴らしてくれたのが現象でした。ずっと鳴っていたけれど気にも留めずにきて突然の大きな音に驚かされるお粗末な肉でした。 心の動転を経験して、心に流れている思い、素直で優しくてアルバートを思う思い、清流が澄み切った青空が心にあったことにようやく辿り着きました。そうしたとき肉をもらってきたことが本当にありがたかったです。どれだけ心を痛めつけてきたか、自分を切り裂いてきたか、よく分かりました。自分を見捨ててきた冷たい自分であったことが心に響いてきました。温もりと安らぎと優しさの中に包まれていたことを知りました。 濁流の中で一筋の清流を見つけそれが大河となって流れていることを私の心は感じています。アルバートヘ心を向けること、アルバートを感じていくこと、それ以外に心を蘇らせる術はないことを確信しています。 真実を心で知った私の喜びと幸せは計りしれないものがあります。真実が肉持つ人類に浸透するまでまだ時間はかかりますが、私はその道筋を感じています。喜びのエネルギーが宇宙へと流れていく様を私の心は感じています。 夢を持ち目標を掲げ驀進したかのように見える人生も、本当の自分を知らなければほとんど無意味だったということを誰が私達に教えてくれたでしょうか。 ひとつひとつ自分が歩いてきた心の軌跡を振り返りながらそれでもやっぱり心が望んでいるのはアルバートでした。人それぞれ価値基準は違い、それによって生きる方向も違っていきます。でも共通して言えることは行き先が不透明だということです。何を求めていくのか、自分の中で明確な答えを出せないままとりあえずは前に進むしかない、みんながそうやっているからです。社会がそう流れているからです。 夢を持ち目標を掲げ驀進したかのように見える人生も、本当の自分を知らなければほとんど無意味だったということを誰が私達に教えてくれたでしょうか。そんなことを考え合わせると本当に私達は本末転倒に生きてきたんだと思わざるを得ません。いかに時間を無駄に愚かな道を歩き続けてきたか、そして未だ懲りずに闘い、そして破壊のエネルギーを流し続けている私達の結果を私達自身が受けていかなければなりません。 肉持つ人間は愚かでした、自分自身に心からそう懺悔していけるチャンスを私達は自分に与えていきます。これがラストチャンスです。三次元での残り少ない時間の中で私達はこのチャンスに賭けてきたことを少なくとも私自身今心に感じています。 喜びのエネルギーをともに宇宙へと流していけるその喜びの道をともに歩いてまいります。 今このようにしてパソコンに向かえる私がここにいることが嬉しいです。自分を振り返りそして今幸せな私を感じられるそんな時間と空間を得ています。静かで穏やかな自分の時間を持てる、田池留吉の世界を心に広げアルバートの中にある私自身を感じています。 心からありがとう、そして幸せです、私は幸せです、しみじみそう言えます。波動の世界を感じる、アルバートを感じる、田池留吉の宇宙を感じる、それが幸せでした、それが喜びでした。心に響いてくる思いは間違いなくそのことを伝え続けてきます。 心の記憶を手繰っていけば必ずあの温もりに到達します。私を今までそしてこれからもずっと支え生かしてくれている温もりと優しさです。母の温もりに帰りたいとすべての意識は叫び続けていることを今世知りました。アルバートが恋しくて田池留吉の宇宙を待ち望んできたのも母の温もりを伝えてくれているからです。心からそれを消し去ってきた愚かさにようやく私は気付きました。本当に愚かな自分でした。 そして舞台設定を変え私は再びその愚かな自分と対面していきます。大きな喜びとともに愚かな自分をすべて包み込む二五〇年後の来世です。アルバートの大きな懐の中で私は今世と同じそれ以上の喜びを体験していくことでしょう。喜びのエネルギーをともに宇宙へと流していけるその喜びの道をともに歩いてまいります。 肉も幸せ、肉も喜び、それが本当の喜び、本当の幸せですと、素直で優しい私が私に伝えてくれています。 二五〇年後の来世のことを思うと私は嬉しくてなりません。肉は大変な環境を選んできますが、その肉の世界を一瞬にして突き破る喜びの波動と出会えるんです。肉の世界は微々たるものでした。その中で苦しみを悲しみを広げてきた愚かな自分であったことを私は一瞬にして知っていき自分に母に懺悔していきます。意識の私はそのことを心にすでに感じています。その道筋を私は感じています。だから嬉しくてなりません。 アルバートが伝えてくれている、そして来世の私が伝えてくれている、私達はともに歩いていきます。生きていきます。私たちはひとつです。心で知った現実です。 嬉しいです。無条件に嬉しいです。今世このことを心で知り感じ得たということはすごいことだと思います。意識の私が伝えてくれるものをしっかりと今世のこの肉も受け止めていきたいと思っています。これが私の通る道筋ですと伝えてくれています。田池留吉を信じアルバートを信じる信をあなたの心の中で育んでいくことが私の喜び、私の幸せです、肉の時間をそのように使っていってくださいと伝えてくれています。私はその思いに素直になっていこうと思ってきました。意識の私に心を向ける、それは田池留吉を思いアルバートを思うことです。肉も幸せ、肉も喜び、それが本当の喜び、本当の幸せですと、素直で優しい私が私に伝えてくれています。 何気なく集っている、集ってきたように見えるセミナーも、あの場に集えるということはすごいことなんです。 特別意識を膨らますのではなくて、真実を探し求めてきた意識であることに目覚めてください。何気なく集っている、集ってきたように見えるセミナーも、あの場に集えるということはすごいことなんです。肉からでもどうぞその自覚を持ってください。学びに対する姿勢を改め直してこれからのセミナーに参加していってください。 肉のあなたが素晴らしくて立派でもなくまたあなた自身が選ばれた意識でもありません。ただ今世田池留吉と出会う道筋をあなた自身が設定してきたことには間違いありません。間違続けてきた、だからこそ今世という思いを抱えて生まれてきてこうしてセミナーに集っているご自分であることをもっと心で感じていってください。 私は誰彼の区別はありません。でも本当にこの道をとそして本当にアルバートを心に感じてともに喜び合えるそんな心が通じ合えたらいいなあと思っているだけです。アルバートを本当に感じて本当に喜んでいれば分かります、感じます。言葉をいくら並べてもそうでなければ心に響いてこない、肉の次元に止まっている、だから何も言うことはできない、そんな空しい白々しい言葉は私から出てきません。 私はとっくの昔に心を決めているんです。これは誰が何を言おうが何をしようが私の心、思いは変わりません。田池留吉にセミナーに私のすべてを賭けてきた、私の人生はこれで本望です。 私は今、来世に生きていることを心で証明できる、肉は変われど私は私です。 日本語よりも異語のほうが自分の思いをよりストレートに語れる、でもどちらにしてもこの喜びこの幸せを語り尽くすことはできません。しかし伝えずにはおれない、思いがこの口を通して溢れ出してきます。止められない、ずっとずっとこの喜びと幸せを語り続けたい、語り合いたい、ひとつの世界を心で広げ合えることほど幸せなことはありません。共有する世界にともにあることを感じています。だから田池留吉にアルバートに私自身の心からの喜び、幸せを伝えずにはおれません。繰り返し繰り返し心に寄せてくる思いです。 特にアルバートヘの思いは、来世の私と相まって今世の私自身に強くしっかりと響いてきます。来世の私が伝えてくる思いはすごいです。肉の殻を一瞬にして突き破る勢いの喜びと幸せです。その来世の私の思いを心で聞いていくと、これほどまでに私はアルバートを求めている、アルバートがすべて、アルバートを思う思いに欲も得も何もない、ただアルバートがあるだけ、そう私の心にはアルバートがあるだけ、そんな思いを私は今しっかりと感じています。 すごいです、本当に幸せで喜びであることが今心に響いてくる、ああこれは紛れもなく私です。私は今、来世に生きていることを心で証明できる、肉は変われど私は私です。だから過去も現在も未来も今、今幸せで喜びであれば過去も未来もそうだと分かる、なぜならば私は私でずっと私だから、そうずっと私だと心で感じられるからです。喜びと幸せをともにする私、それが私の本当の姿だと肉を通し心でしっかりと感じています。 本当に優しくて本当に強いそして本当に賢いということは、こういうことですよと今世の肉を通し学んできた私、教えてくれた田池留吉に母にただただありがとうしかありません。 波動の世界を感じ広げそしてその中で私というものを感じ出すと、田池留吉の肉は私にとってかけがえのない肉でした。私は肉の次元からも、田池留吉そしてアルバートの肉を超える肉には巡り合ってこなかった、これからも巡り合うことはないことがはっきり分かります。それだけにその肉に対して肉の私のウィークポイントが浮かび上がってきます。これからの私の肉の心が揺れるとしたら、その肉との別れです。もちろんその中で田池留吉を感じ田池留吉のメッセージを聞きアルバートを感じていきます。心から伝わってくるものを感じていきます。それでもやっぱり心は揺れると思います。少し時間が必要だと思います。それをいかにクリアしていくか、それが私のこれからです。しかし私にはそれをクリアしていく自信はあります、またそうしていかなければならないことも分かります。それが自分を愛してやまない本当の自分に対する思い、母の思い、その思いを私は感じているからです。 道を見失わずにしっかりと前を向いて歩いていきなさい、そう伝えてくれている思いを感じながら私は私の道、田池留吉とともにアルバートとともにの道を歩いていく、しっかりとした足取りで淡々と歩いていく、来世の私に向かって未来へと向かって歩いていく、それが今世この肉に設定してきたことでした。 本当に優しくて本当に強いそして本当に賢いということは、こういうことですよと今世の肉を通し学んできた私、教えてくれた田池留吉に母にただただありがとうしかありません。 人として生きていく道、本道を歩くことを伝えてくれました。 肉の思いを心にずっしりと抱えたままでは、肉の人生というものは苦しみでしかありません。でも私は今その肉を通し自分の心の世界の素晴らしさを心で実感しています。 どんな優しい言葉もどんなに励ましの言葉を聴いてもどんなに優しい態度を受けても、その人の心の中にアルバートを思う思いがなければ、みんな儚く消えていく幻、見せかけだけの愛、優しさでした。 真実を知らないがゆえに苦しくて悲しくて空しい心のままずっと存在していたんだと思いました。今世の私を通し私は自分の心でそのことを痛切に感じてきました。責める相手もいない、呪う相手もいない、殺す相手もいない、本当はいなかった、ただ自分が苦しんできた、真実を知らなかった私の心が苦しみの淵に落ちたままだった、母の優しい温もりの中に抱かれながら、そのことにようやく気付いた今世でした。愚かな自分を私はとても愛しいです。愚かだったから今が今世という今のこのときがどれほど幸せで喜びであるか心で感じられる、そうです、愚かな道を歩いてきたからこそ今の幸せも喜びも本当にそうだと感じられます。 田池留吉、そしてアルバート、本当にあなたに出会えて私は嬉しいです。あなたを感じられて私は喜びです。心の中の思いをあなたにぶつけていける私がどれほど幸せな存在か私は今世の私を通し心で感じてきました。ありがとう、ただありがとうの存在です。 肉の思いを心にずっしりと抱えたままでは、肉の人生というものは苦しみでしかありません。でも私は今その肉を通し自分の心の世界の素晴らしさを心で実感しています。だから肉も喜び、幸せ、本当の喜びと幸せを心は知りました。肉にありがとうの思いを込めて私はメッセージを流し続けます。 何を選んでも自由、何を求めても自由、その原則は私にはもう必要なくなりました。 何を選んでも自由、何を求めても自由、そして選んだ結果求めた結果を受けていく、これが自然の理だと今の私なら分かります。全部自分でした。 最初の頃は肉的な思いがあり学びの本筋から少しずれたようですが、私は全体として真剣に学んできたつもりです。鈍感な肉を引っさげてそれでも言われるままにやってきました。やがて心を映す影をつかみ、影を追ってきた自分の心が見えてきました。そしてそれを選びそれを求めたのも私で、私が私の行く手を阻んできたんだということも見えてきました。そしてその結果を受けてきた、私は充分苦しみを味わってきたことも感じました。だから私はまず自分に懺悔でした。心から懺悔の思いが叫びとなって涙となって溢れてきました。心が洗われていくようでした。 闇出しと懺悔そして心の広がりと喜び、たくさんの学びの機会を得てきました。そのような時間と空間を自分自身に与えてきたことがそれがもう嬉しくて、許しの中に愛の中に生かされていることを感じます。どれだけ間違ってきても必ずやり直すことができることを伝えてくれました。信じて待ってくれていることを嫌というほど感じさせてもらった今世です。 響いてくる思い、伝わってくる波動があります。私はこの思いとともにこの波動とともにこれからも歩いていきます。 何を選んでも自由、何を求めても自由、その原則は私にはもう必要なくなりました。 何を信じていいのか分からない、何を支えに生きていったらいいのか分からない、そんな時代がもうまもなくやって来ます。 心で確かなものを感じているから私ははっきり言える、何の迷いもためらいもなく私自身の思いを語れます。それによってどのように思われているかは、私の与り知らないことです。私は私の感じているものを信じてその思いとともに肉の生活を淡々と過ごしていくだけです。それで私は十二分に幸せです。お母さんと思えば、嬉しいありがとうの思いがこみ上げてくるように、田池留吉と思っただけで私は嬉しい、その波動とともにある自分を感じて幸せな私を感じています。そうやって肉の時間を過ごしていけるなんて私は本当に幸せだと思います。幸せだと感じるのにお金も要らなければ何も要らない、ただ思えばいい、伝わってくる思いがあります。そしてそれを信じていける私がいます。心に響いてくる確かなもの、感じ信じられるということが幸せです。 そういうことがどうして幸せで喜びなのかは、肉、肉の人には説明できません。心で感じていけば分かることだとしか言えません。 何を信じていいのか分からない、何を支えに生きていったらいいのか分からない、そんな時代がもうまもなくやって来ます。人類の知恵と勇気そしてその心で求めるパワーは何の役にも立たないことを思い知るこれからです。 目覚めなさい、人類に送る愛のメッセージ、それが私達天変地異の意識です。私達の波動を感じそして真実に目覚めてください。ともに四次元への思い、その心で受け止めていってください。 田池留吉の波動を感じこの心にアルバートの世界を広げ、アルバートの実在を感じている私にとって、二五〇年後の来世へ心を繋いでいくことが唯一無二の課題です。 今世の父と母の縁により私はこの肉をもらってきました。長い旅路の果てにようやく辿り着いたことを心にしっかりと感じています。ここで過去世云々を語るつもりはありません。ただ私は今世このようにして肉を頂いたことが本当に嬉しい、そのことを心からお伝えしたかった、学びを進め波動の世界を広げていく中で、こんな私に生まれ変われたことを本当に感謝します。 生かされていることをはっきりと感じます。肉をもらってきたことを喜ぶ思いが心に伝わってきます。この素直な思いが私でした。この肉を通して見て聞いて感じるところ、みんなが変わり始めていることを感じます。素直な私の思いをまた肉は素直に受けていけるようになってきたと思います。それは言うまでもなく意識の世界、波動の世界が深く広く心に浸透しているからです。動かしようのない現実の世界を心は感じているからです。心で感じているものは何度も繰り返し心に広げていける、そしてその度に信じる信が強くなっていく、みんながある一定の方向を指し示していることを感じています。だからマイナスではなくみんなプラスに私には思える、今私はそんな心境です。 田池留吉の波動を感じこの心にアルバートの世界を広げ、アルバートの実在を感じている私にとって、二五〇年後の来世へ心を繋いでいくことが唯一無二の課題です。私はそこまできっちりと心を定めています。今世その心にようやく辿り着きました。 本来人間は幸せな存在です。幸せで喜びであるのが人間なんです。肉もそして意識も喜び、幸せ、それが本来のあなた方の姿ですよと私は伝えたかったのです。 田池留吉の世界、田池留吉の宇宙に心を向ける、心は広がっていき確かな世界を感じている私がいます。 私は肉を通し語ります。私の思いを語らせてもらいます。 「本当に嬉しいです。肉を持ちながらこの世界を感じていける、そしてともに生きていくこと、ともに歩いていくことの確信を持てたことがただただ嬉しいです。本当にありがとう、田池留吉、ありがとう」 心の中から喜びと感謝が伝わってきます。正真正銘心に響いてきます。 「私は肉の次元に心を固定してきた苦しみを知りました。しかしそれも私であり、また今感じている本来の自由な私も私であります。私は今世肉を持たせてもらってようやく愚かな自分を真向かいから受け止めていける自分と出会えました。肉を通して私自身の思いを語らせてもらえる幸せな時間を頂いています。愚かな肉もまた私です。私の思いはその私を包み込んでさらに自由で喜びの世界へと心を馳せていくことでしょう。肉を持つことの喜びと感謝を私は今のこの肉に伝えています。肉がなければ私はこの喜びの波動には出会えませんでした。今世田池留吉に出会えたことを心から感謝しています。本来人間は幸せな存在です。幸せで喜びであるのが人間なんです。それを私はあなたに知ってほしかった、肉もそして意識も喜び、幸せ、それが本来のあなた方の姿ですよと私は伝えたかったのです。」 意識はひとつです。流れている波動をどれだけストレートに受けていけるかは、受ける側の問題です。 田池留吉を思う、田池留吉に心を合わせる、それがどれほどのものか今更ながら感じ入っています。 意識はひとつです。流れている波動をどれだけストレートに受けていけるかは、受ける側の問題です。本当は美しい音色素晴らしいハーモニーを奏でているのに、受信機が錆付いて聞こえてくるのは雑音ばかり、何だかそんな滑稽なことを繰り返してきたように思います。 「私(意識)への信が大きくなればなるほどその波動は想像を遥かに超えたもの、超宇宙大のものになってくるでしょう。そしてそのときの歓喜、至福は到底言葉で表現できないでしょう。」当時はまだよく分かりませんでした。そんなこともあるのかなあくらいに思っていました。今その通りの運びとなって私は大変嬉しく思っています。田池留吉に心を向ける、心を合わせることがただただ嬉しい幸せな私です。 波動は流れています。確かにすごい世界が展開されています。でもそれもこれもその波動をキャッチする側のレベルが上がってこなければ分からない世界です。その第一前提はやはり素直であることだと思います。肉からでも素直になっていかなければ道遠しです。そしてもうひとつ田池留吉の肉に何らかの抵抗があればこれもまた真実の世界を心で感じ広げていくには難しいというか不可能だということです。 大前提をきっちり把握してセミナーを通しあなた自身のレベルアップをお願いします。そうすれば心に響いてくる波動の世界は素晴らしい、の一言に尽きると私は思っています。 肉の世界がどのように変わろうとも決して変わらない世界があることを心で知った肉の人生が幸せで喜びでないはずがありません。 肉と意識の関係を思うとき、私達人間は自然から遠くにかけ離れてしまったことを感じます。ごく当たり前のように流れている日常生活の中で、そのことに対して心が麻痺している状態なのでしょう。そしてその流れはすごい勢いでみんなともに流れていっている、もうその勢いを止めるものはない、あるとしたら言わずと知れたことです。それをまた何かに責任転嫁していく人間達なんだと思うと本当に愚かとしか言いようがないですね。 利便のために自然を破壊し好き勝手な思いを垂れ流し、ちっぽけな肉の世界を守るためにあらゆる悪をし尽くしてきました。私達はそれでも許されています。大きな懐に抱かれながら目覚めのときを待ち続けて頂きました。肉でない私というものを心で感じるとき、本当に意識の世界の壮大さを感じずにはおれません。肉というものを持ってその愚かさを知っていくとき、それでも許され生かされている存在であったと喜びが感謝の思いが自然に沸いてきます。 真実に目覚めた肉ならば、いかにその肉が愚かであっても肉のありようが変わってきます。私はそう思います。意識、波動の世界を感じてくればそれが自然です。 私は自分が愛しいです。自己中心的な欲の思いからではなく、愚かな肉とその思いがとても愛しいです。私は広い私を知っているから、優しい私を感じているからです。本来の私というものを心で感じ信じているからです。肉の世界がどのように変わろうとも決して変わらない世界があることを心で知った肉の人生が幸せで喜びでないはずがありません。 みんなそれぞれに適した肉を用意してきた、そのことを心で理解できたならば、みんなが平等だということも納得できます。 みんなそれぞれに適した肉を用意してきた、そのことを心で理解できたならば、みんなが平等だということも納得できます。自分に合った肉を選んできた、環境を選んできた、そこのところをすっと自分の心で受け入れて、肉云々環境云々ではなく自分の心に上がってくる思いを淡々と見ていかなければなかなか核心を突いてこない、結局はその次元でごちゃごちゃしているに過ぎないことを感じます。 その最たるものが比較する心です。比べる思いは自分を一番ないがしろにする思いです。そして意識の世界を軽く軽く見ている、言うなれば自分自身を愚弄する思いだと私は思います。せっかく今世こんなチャンスを自分自身が選んできたのに、それをみすみす無駄にするのでしょうか。田池留吉と出会いセミナーに集った人、上も下も前も後ろもありません。みんなひとつになってこの喜びをともに分かち合いましょう。二五〇年後に出会うまできっと心を繋いでいきましょう。 分かった、分からない、感じた、感じないはすべて肉の次元のお話です。そんなことで己を誇り表しまたは心を小さくするなんて本当に愚かしいことです。それは自分自身が歩いてきた足跡を心で辿っていけば自分自身の心で感じることだと思います。そんなちっぽけなことで自分を潰してしまわないでください。 私はやり直し生まれ変わりたいから今世生まれてきましたと、はっきりと真っ直ぐに自分に宣言してください。その思いに応えてくれるたくさんの意識達が、きっとあなたの心で感じられることと思います。 もう肉のことはどうでもいいんです、肉の世界はそれなりに流れていきます。肉持ってきた意味を聞かせてもらったのだから、それにただ素直になって肉の人生を全うしてください。 もう肉のことはどうでもいいんです、肉の世界はそれなりに流れていきます。肉持ってきた意味を聞かせてもらったのだから、それにただ素直になって肉の人生を全うしてください。このことを肉で知りながらそれでもこの道を歩いていけない人は、学びを知らずに生きている人以下だと私は思います。自分自身を全く馬鹿にしていると申し上げても決して言い過ぎではないと思います。もちろんこんなことは肉の次元のことです。でも肉からでも本当に素直に聞いてみよう、やってみよう、そんな姿勢でなければもう行く先は決まっています。周りはどうだっていいんです。あなたがどうなんだと自分自身に迫っているんです。それほどもう時間は残されていないことをもっと真塾に受け止めていってください。 ゆったりと時を過ごす、大切なことだと思います。時間に追われ肉の喧騒の中であくせくする生活の中にいると言っても、じっと静かに自分の心と向かい合える時間はどんなに忙しくても僅かでもあるはずです。そういう時間を大切に自分を大切にしていくことが、あなた自身何よりも望んできたはずです。心を見ていこうと本心から思えば、環境は整ってきます。それが本当にするべきことだからです。いかに時を無駄に暢気にいい加減に過ごしてきたか、外に向かって攻撃する前にまず自分を振り返っていくことが大切であり、そうしていけばもう何も言えないと思います。全部自分の心が選んできたことだとはっきりと心で分かると思います。そうすれば後どのようにしていけばいいのか、もう自ずと答えは出ているはずです。 人どころじゃない、本当にそうです。人のことを構う暇があるならば、自分のことをもっと構ってくださいと私はお伝えします。 人どころじゃない、本当にそうです。人のことを構う暇があるならば、自分のことをもっと構ってくださいと私はお伝えします。それはたとえ夫婦、親子、兄弟姉妹であろうともこの原則は変わりません。いい格好する必要もないし、いい人できた人そんな評価も要らないです。もっと自分の現実を見つめていってください。 今あなたの中で何らかの結果が出ていますか。あなたは本当に今幸せですか。心は安らいでいますか。生んでもらったことに感謝できますか。心にしっかりとしたものをお持ちですか。 真実を知らないまま肉を終えていく人がほとんどです。その中でこうして巡り合えたのです。意識はひとつ、私達はひとつだということをどうぞ信じていってください。 肉の中にあって肉を見ては揺らぎ迷い落ち込み心晴れないときもあるでしょう。でもそれはあなたが間違っているんです。心の針の向け先が違っているんです。そのことをあなた自身が素直に認められるかどうか、ああ私は間違っていましたとすっと心を田池留吉の方ヘアルバートヘと向けられたならば、それでいいということです。その練習を田池留吉が肉を持ってセミナーがある間に重ねていきなさいよと田池留吉伝えてくれています。全部自分の心の中でできることです。それを会得している人とそうでない人と、その道ははっきりと別れていきます。いくら意識を受けられても自分の心の管理ができなければ何もなりません。 みんな自分次第です。しっかりと歩いていきましょう。 今世母に生んでもらったこと、肉体を頂いたことの喜びが心から吹き上がってきます。 今世母に生んでもらったこと、肉体を頂いたことの喜びが心から吹き上がってきます。生まれてこれたことがどんなにありがたいか私は切実に心で感じています。 お母さん、ありがとうしかありません。心の底からその思いが沸き起こり吹き上がってくるんです。こんな自分自身を感じられて後何が必要なのでしょうか。私の心は喜びです。生まれてきた目的もその意味もそして生んでもらったこと自体が喜びであったことも、田池留吉をアルバートを心から信じている私であることもみんなみんなこの心で知りました。 私自身、核と言われてもこの心にひとつも引っかかりはありませんでした。気負いもありません。しかし必然性は感じていました。私が特別とか偉いとかそういう肉的なことではなく、ただそうあって然るべきという思いはありました。それは私の今世に賭けてきた思い、それはすなわち選んできた環境にも現れていますが、それを心でひしひしと感じるからです。私は核ということを肉的にとらえていません。だから核として何かをなさなければとかそんな思いは全くなく、ただ私はともに歩む仲間を待っているだけです。ともに喜びを分かち合いたい、私達の間には何もない、ただあるのは喜びを感じともに喜び合えるその喜びだけです。喜びの向こうには何もない、喜びがあるだけです。 だからそのことは裏を返せば、意識の転回が出来なければこの学びは分からない、私達との接点はない、いくら肉で熱心であっても実際のところ難しいということをお伝えせざるを得ません。それが現実です。 喜び、幸せは田池留吉の世界をアルバートの波動を感じていく以外にはないことは何度も何度もお伝えしてきました。 喜び、幸せは田池留吉の世界をアルバートの波動を感じていく以外にはないことは何度も何度もお伝えしてきました。 波動の世界は摩詞不思議な世界ではありません。何度も心で証明できる世界です。だから心で感じていくこと、波動を心で感じていくことが何よりも大切であり、それしか肉というものを納得させる術はありません。波動のお勉強は、それをあなたの心で証明する絶好の機会です。もしその機会が与えられるならば喜びで座ってください。この肉はただ言われるままにそして私は喜びで座らせてもらっています。 こんなことをここで私が語れば誤解を招くかもしれませんが、それでも私はあえて言わせてもらいます。 あの波動のお勉強は、今までやってきたチャネリングとは似て非なるものです。本当に波動の世界というものをその心で感じられる方ならば、そのことは心で分かってこられると思います。 前にも申しました、私はチャネラーではありません。私は田池留吉、アルバートとひとつです。私はそうしっかりとお伝えすることができます。だからと言って私が偉いとか特別とか言っているのではありません。ましてや私の肉はごく普通であり、何ら変わるところはありません。しかし私には自分の心で感じて広げている世界があります。田池留吉の宇宙、アルバートの波動、これは決して私の中で揺らぐことのない世界です。私はここまではっきりと自分のことを語れます。だから心で感じている世界は確かな世界だとそう語れる私は本当に幸せであり喜びです。 波動ですよ、真実は波動の世界にしかありませんと伝えてくれた田池留吉、私は肉を持ってあなたと出会えてあなたの伝えてくれたことを自分の中で証明していけることが喜びです。 波動ですよ、真実は波動の世界にしかありませんと伝えてくれた田池留吉、私は肉を持ってあなたと出会えてあなたの伝えてくれたことを自分の中で証明していけることが喜びです。本来の私達に帰りましょう、そう呼びかけ続けてくれてきたあなたの思い、その優しさ温もり大きな懐、私は決して捨てることはありません。心の中でしっかりと暖めて二五〇年後の来世をまたともにします。あなたを捨てたかのように見える二五〇年後、いえそうではないことを私の心はすでに感じています。劇的感動的な出会いと爆発的な喜び、そのためにはそのように映るかもしれません。しかしその中で心に脈々と息づいているあなたへの思いを私の心は蘇らせていきます。私にはだから二五〇年後が待ち遠しくて仕方がありません。それを今心で感じているから、田池留吉そしてアルバート、私、幸せです。ありがとう。 学んできた年月には関係ありません。いつ心を真剣に真っ直ぐに向けていくか、それだけです。 できる限り許される限りゆったりとした時間をお持ちください。焦って力んで気張って分かる世界ではありません。心をゆったりとそして身体もゆったりと、そうすれば自然に心に響いてきます。もうそういう時期だと思います。 学んできた年月には関係がありません。いつ心を真剣に真っ直ぐに向けていくか、それだけです。そしてそれを阻んでいるものにいつ気付けるかです。すべてはあなた次第です。誰も何もあなたの邪魔はしていない、そのことに早く心で気付いていってください。 幸せを喜びを追い求めなくても、ちゃんと私の中にあります。そしてそれは決して消えない、それどころかどんどんどんどん沸いて出てくる尽きることのない幸せと喜びでした。 肉があるから苦しいのではなくて、苦しい私が肉を持っただけのことだった、完全に思い違いをしていたことを私自身に伝えてくれました。生まれてきたこと、生んだ母、社会、環境、そして自分自身を呪って憎んで殺してきた自分自身の愚かさに気付かせてくれました。 それが波動でした。真なる波動でした。私は今世その波動と出会いました。優しくて大きくて広くて柔らかでとろけるような世界、まさしく母の温もりの中に抱かれています。こんなに嬉しい、こんなに幸せな私がいる、心の中から止め処もなく沸き起こってくる嬉しいという思い、ああ私は本当に嬉しいです。嬉しい、嬉しい、嬉しい、ありがとう、ありがとう、の連発です。私は幸せ、の思いが込み上がってきます。私はこんなにも嬉しくて幸せだったんだ、これが本当の私だと心から思えます。 幸せを喜びを追い求めなくても、ちゃんと私の中にありました。そしてそれは決して消えない、それどころかどんどんどんどん沸いて出てくる尽きることのない幸せと喜びでした。 名付けるなら、それが田池留吉の宇宙、世界そしてアルバートの波動です。心を向ける、合わせる、ひとつになることによってこの心の中から沸き起こってくる喜びと幸せ感には、言葉はありません。 どうぞ心の転回をしてください。そして波動の世界の醍醐味をあなた自身の心で味わっていってください。本当の幸せと喜びを心で感じていけるあなたへとあなた自身誘っていってください。 私はともに生きるということの素晴らしさと喜びと幸せを知りました。私達はともに生きているんです、ともに存在しています。そして私達はひとつです。 私はともに生きるということの素晴らしさと喜びと幸せを知りました。私達はともに生きているんです、ともに存在しています、そして私達はひとつです。だから私には田池留吉がすべて、アルバートがすべて、このことは本当に心の転回をし始めないと全く分からないことだと思います。 語る一言、一言を肉で捉えてしまわれることが私にとって一番残念なことです。言葉じゃない、一言一句じゃない、私はそんなものにひとつひとつ心を留めてくださいとお伝えしているのではありません。 私は自分自身が心で体験したことや心に響いてきたことを文章にすることにより、本当にあなた自身アルバートの実在を信じていってほしいという思いを伝えたいだけです。確かに私のアルバートヘの思いはすごいです。二五〇年後に心を繋ぎその発信基地となることも私は心で知っています。だからこそ私は力強く真っ直ぐに伝えていけるんだとも思います。それを肉の色眼鏡で見て様々な思いを出していかれるのは、それはそれであなた自身のお勉強と言えばそうですが、そんなことをいつまでも繰り返していては、結局あなた自身苦しみの底に落ちたままに過ぎない、それでいいんですかと、私はまたはっきり言わせていただきます。 本当の意味で賢い人であってください。そんな低次元に止まっていては、田池留吉、アルバートとともに歩くなんて程遠い、だから早くスイッチを切り替えて心の転回を速やかにと私は思っています。 「長い間待っていただきました。私もようやくこの道を真っ直ぐに歩いていく目処が立ちました。」そう言って目を輝かせ田池留吉の目を真っ直ぐに見れたなら、それが自分自身一番幸せで喜びだと思います。 学びの道筋はセミナーを通しホームページを通し充分過ぎるほど伝えてもらってきました。それをどのように活かすか、それぞれの心に委ねられています。 「長い間待っていただきました。私もようやくこの道を真っ直ぐに歩いていく目処が立ちました。」そう言って目を輝かせ田池留吉の目を真っ直ぐに見れたなら、それが自分自身一番幸せで喜びだと思います。内側から溢れ出てくる喜びと幸せは自然に周りをその中に誘います。 意識の目覚めは肉にも肉の生き方にも現れてきます。赤信号、みんなで渡れば怖くない式の生き方ではなくて、いつも自分に聞いて真っ直ぐに堂々と生きていく、爽やかで明るいそれでいて芯はしっかりしている、それが人としての本来の生き方だと私は思います。そしてそれは田池留吉、アルバートを抜かしては絶対不可能です。それをしっかりと中心に定めて生きていくことが幸せで喜びの肉の人生だと私は心から思います。 喜びの道をともに歩いていきましょう、私は今肉の時間を頂いてそのように喜び合える仲間達と出会わせてもらっていることが本当に嬉しいです。田池留吉そしてアルバートとともに生きていく以外に道はないことを心でしっかりと確認していってください。その喜びの心を必ず二五〇年後に繋いでいってください。私達はともに歩く仲間、これからも私はずっとそのようにお伝えしてまいります。 肉の私がいくら愚かであっても、繰り返し繰り返し心に伝わってくるこの波動には完全に脱帽です。すべてが何もかもが大きかった、今その世界と心を合わせられることが最高に幸せです。 私達を縛っているものは何もありません。何の制約もありません。基本は自由です。そして利害が絡み合った複雑なものは一切なし、極めてシンプルです。でもしっかりと結ばれている、繋がっています。こんな関係を肉の世界で構築することはできません。だから私は嬉しいんです、幸せなんです。私は今肉を持ちながらその世界を感じているからです。確かに私達はひとつです。何もない、ひとつが幸せ、ひとつがそう最高に幸せです。 愛されたい、安らぎがほしい、癒されたい、求めては落ち落ちてはまたそれ以上に求める心のままずっと存在していたんですね。苦しいというか愚かな循環の中にあったことを振り返ります。目に見えない世界を確かに心は求めてきました。でも摩詞不思議なパワーを得たい心に通じるものがどんな世界なのかも知らず、本当に無知と欲とエゴの固まりでした。 求めたから得たのではなく、自分の中にもともとあった、そのことを感じそのパワーこそが真のパワーだと信じていく道筋を今世初めて私は歩ませてもらっています。心を合わせれば通じる世界がある、心の中に伝わってくる波動がある、何度も何度も確かめています。心に響く田池留吉の思い、アルバートの思い、母の思い、ともにあることが喜びですね、ともに生きていきましょう、何とも言えない優しさ温もり広がりの中に私はすっぽりと抱かれています。肉の私がいくら愚かであっても、繰り返し繰り返し心に伝わってくるこの波動には完全に脱帽です。すべてが何もかもが大きかった、今その世界と心を合わせられることが最高に幸せです。 他力のエネルギーがあなたとぴったりひとつになっていることをあなた自身本当に心で感じておられますか。言うまでもなくそれはあなた自身が求めてきたものです。 他力のエネルギーがあなたとぴったりひとつになっていることをあなた自身本当に心で感じておられますか。言うまでもなくそれはあなた自身が求めてきたものです。もっと言うならばあなたがそのエネルギーに成り果てているということです。他力のエネルギーが染み付いているから、ちょっとの反省、瞑想、懺悔で感じた分かったつもりが中身は少しも変わっていないという現状をもっと把握していってください。 そのうえでセミナーに参加してください。同窓会、楽しい集い、二五〇年後にアルバートと出会えるそれを夢見て、そんなものではないと思います。 田池留吉の肉があってセミナーがある間に、心を繋いでいく足がかりをほんの少しでも心の中に見出せなければ、これからずっとあなた自身そのエネルギーに翻弄されていくでしょう。 私は恐怖を植え付けているのではないんです。もっと自分に本当に優しくなってくださいとお伝えしたいんです。他力のエネルギーが悪であなた自身を苦しめるものでは決してありません。それはともに歩いていきたい、ともに四次元へという強い思いの現われです。それを抱きかかえられるほどの広くて大きくて優しくて温かい思いをあなた自身が秘めているんです。そのことをあなた自身信じることができなければ自滅していきます。 もっと自分を大切に自分を愛していってください。待ち続けているアルバートを感じていってください。 肉の自分というか肉の生活をしっかり握ったまま、本道は歩めません。それは肉の生活をおろそかにいい加減にしてこの学びをというのではありません。 肉の自分というか肉の生活をしっかり握ったまま、本道は歩めません。それは肉の生活をおろそかにいい加減にしてこの学びをというのではありません。やるべきことはきちんとして周りに迷惑をかけないような生活を送っていくことは、肉として当然だと思います。だけどそれをしっかりと握っていては、真っ直ぐにアルバートに心を向けることはできません。簡単に言えば両刀遣いは成立しないということです。 真っ直ぐに向かないということは、田池留吉、アルバートを捨て去ることは容易い、もともと信じていなかったからすぐに捨て去り、また濁流の中に戻っていくんです。濁流を濁流だと思えない、住めば都でまたどんどん自分から遠ざかっていくんです。三億六千年にして初めて出会った喜びも夢のまた夢のように通り過ぎていく可能性のある方、まだまだたくさんおられると思います。 真実波動の世界は、肉の世界と遠くにかけ離れている世界ではありません。波動を感じその世界を現実のものに感じている心には、肉も幸せ肉も喜びだと本当に感じてきます。肉の幸せも肉の喜びも本当のところ知らずに存在してきたことを感じます。 肉と意識の幸せ喜びは一致してきます。肉から心を離そう離そうと思わなくても、それらはひとつになって喜びと幸せを伝えてくれます。それが本物の意識の世界だと私は感じていますが、あなたはどのように思われますか。 人それぞれにアルバートに目覚める道筋があります。みんな平等、みんな公平です。 人それぞれにアルバートに目覚める道筋があります。みんな平等、みんな公平です。 私は私の道筋を歩いているだけです。誰に強制されるのでもなく、誰かをお手本にしているのでもありません。私は私自身の本当の思いに従って肉の時間を使い肉を使おうと決心してきました。ただたくさんの過去世を抱えていますから、この道だと確認するまでに時間を要しました。本当に田池留吉を心で分かるまで反発、抵抗の連続でした。その結果、田池留吉が仕向けたのでも何でもなく、自分自身が切望してきたことを心で知り、私は納得しました。だから私は今大満足です。自分の思い通りの道を歩いていることを心から感じているからです。何のために何を目的に生きているのか、明確な回答を自分の中に見つけることができました。世の中選択肢がたくさんあるかのように見えても、私にはないんです。ひとつしかありません。 人それぞれに人生があります。どの方もアルバートに目覚める道筋を歩いているはずです。私は今世そのことに気付けました。気付けた私は私の道を歩いていくだけです。ともに歩いていく喜びと幸せを心に感じながら真っ直ぐに歩いていくだけだと私の心は伝えてきます。 本当にアルバートを感じてアルバートを信じていこうと心から思える方だけがセミナーに集って来てください。今はUTA会セミナーなんです。 アルバートを感じアルバートを信じているという前提のもとでお伝えしています。セミナーはあと二年、もうそういう時期、段階です。以前にもお伝えしたかもしれませんが、連れもってということを肉的にとらえないでください。芋を洗うように切磋琢磨しては遠い昔のお話しです。あくまでもひとりひとりの学びです。 また今の時期になってまだ肉でごちゃごちゃ言っている人ははっきり言って話しにならないです。そんな心でセミナーに集っても仕方がないと思います。セミナーに来たからそのごちゃごちゃ言う心がすっきりと解決するのではないんです。セミナーにはそんな効果は期待できません。本当にアルバートを感じてアルバートを信じていこうと心から思える方だけがセミナーに集って来てください。今はUTA会セミナーなんです。その自覚をしっかりと持ってください。従来のセミナーはもう終わりました。ならばなぜ今UTA会セミナーと称して、後二年開かれていくのかというところをよく考えてみてください。肉、肉の心で肉と二人連れでセミナーから得られるものは何もありません。 しかし心をどんどん田池留吉にアルバートに向けていかれるならば、UTA会セミナーは本当に素晴らしい時間と空間を私達に約束してくれることでしょう。それがUTA会セミナーだと私は思っています。どうぞ心をひとつにしてともに進んでいきましょう。波動の世界の素晴らしさを存分に味わってまいりましょう。 波動を感じてくると、本当にアルバートを感じてくると必要でないものはどんどん心から離れていきます。心は自然に離していきます。そして必要なものだけが残ってくる、それで肉も十二分に幸せだということが分かります。 波動を感じてくると、本当にアルバートを感じてくると必要でないものはどんどん心から離れていきます。心は自然に離していきます。そして必要なものだけが残ってくる、それで肉も十二分に幸せだということが分かります。 アルバートを感じる、アルバートに目覚めるということはそういうことであり本当にすごいことなんだと感じています。だけど自分が見えないほど浮き足立って舞い上がっているんではなく、淡々と私はそのことを語れます。何度も同じ言葉を使って波動の世界の素晴らしさとかアルバートの世界、田池留吉の宇宙のすごさ喜び幸せを伝えてきました。これからも私はただそのことだけを伝えていきます。 肉と意識の狭間に揺れる、心に確信が持てないときはそうでした。心に感じた世界とは別個に肉の世界があり生活があるという感じが強くて、そのふたつの世界をうまくバランスの取れた状態に保っていくことに心を使ったときもありました。また学んでいるからと肉の生活を広げていくことに何か後ろめたい思いを抱えながらという時期もありました。全部肉でした。学んでいると言っても決してそういう状態ではなかったことが今なら分かります。 今の私は、自分の中心はアルバートです、田池留吉の世界です、と私は私自身にそのように伝えることができます。それが私にとって一番嬉しいことです。この道しかない、その思いとともに存在している私自身、本当に幸せだと思います。心に思えばいい、呼べばいい、私は満たされています。特に何が必要ということはもうありません。 アルバートを感じて喜び、田池留吉の宇宙を感じて喜び、私が心に感じ広げている喜び幸せは、時間の経過とともにまた肉の現象によって色褪せていくような、薄らいでいくようなそんなものではありません。 アルバートを感じて喜び、田池留吉の宇宙を感じて喜び、私が心に感じ広げている喜び幸せは、時間の経過とともにまた肉の現象によって色褪せていくような、薄らいでいくようなそんなものではありません。マイナスがプラスヘと目覚めていくその喜びにしっかりと裏打ちされた喜びだからです。それは自己供養を通して感じる喜び、アルバートに目覚めた自分自身が自分自身を包んでいく喜びです。 例えばそのひとつにルシフォーという意識があります。私の中のルシフォーは本当に今喜びを伝えてきています。 「私は今世アルバートに目覚めるまですべて間違ってきたんです。宇宙を支配してきた、我が宇宙を動かしてきたと思ってきました。今世この肉を通し、私はアルバートを知りました。そしてアルバートの波動の中に生かされていた、抱かれていたことに目覚めました。ああ私は間違ってきました。そして今私はとても嬉しいです。私はあなた、あなたは私、私はアルバートです。」 ルシフォーの思いが心に響いてきたとき、何とも言えない喜びを感じました。しっかりと感じました。ああ私は喜んでいる、私の中の宇宙はこんなにも喜んでいることが如実に分かります。そしてこれが私には現実の世界であることをしっかりと感じます。だから私にはもう選択肢もなければ何もない、ただ私の中の宇宙とともに生き続けていくだけだという思いです。そして私は田池留吉、アルバートとともに存在しています。その喜びと幸せを感じています。 みんなそれぞれに課題を持って生まれてきています。だから生んでもらえるということはどんなに喜びで幸せか、ただそのことを感じています。 みんなそれぞれに課題を持って生まれてきています。だから生んでもらえるということはどんなに喜びで幸せか、ただそのことを感じています。喜びと幸せの基準が違っていた、みんな喜びで幸せでした。苦しかった私が自分を慈しみ愛していける私に出会い、優しい私に出会いました。だから今私は自ら設定してきた中で、自分を感じて手を差し伸べてやれることが嬉しいです。優しく包んでやれることが嬉しいです。そして本当の自分に忠実に生きていくことが幸せ喜びだと心からそのように感じています。肉を頂いている時間は喜びです、そしてありがたいと思っています。 生んでもらったときは喜びであったのに、生まれてきたことが苦しみ呪いとなっていった過去の私にようやくそうじゃないと伝えることができました。三次元ももう終わりに近づいてようやく私は生んでもらったことに感謝でき、ただありがとう、ありがとう、お母さんありがとうと言える私に蘇りました。 永遠に変わらない優しくて温かくて大きな温もりの中に抱かれている、その波動の中に包まれている、私というものはそんな存在だと思うときもうたまりません。私は心から田池留吉をそしてアルバートを呼んでいます。私が私に伝えることはただひとつ、この波動の世界だけです。その優しさ限りない広さの中で私は私を包んでいける喜び幸せを知りました。今世肉持てたからこそ喜びと幸せの基準が違っていることをそして本当の喜びと幸せを知ったのです。生まれてこれてよかったです、本当に嬉しいです。 私はともに歩いていきましょうと、心をひとつにしてともに歩み生きていく仲間に呼びかけたい思いでいっぱいです。[ 私は今この肉を通し思いを語れる、淡々と力強く語れることが嬉しいです。 田池留吉に心を向ける私はどんどん心が広がっていくのが分かります。私はこの波動です、この心です。そうです、私はこの世界を待ち続けてきました。転生を繰り返す中で私はこのときを待ち続けてきた、私はようやく自分の思いを語ることができます。私の思いを伝えることができます。私はともに歩いていきましょうと、心をひとつにしてともに歩み生きていく仲間に呼びかけたい思いでいっぱいです。 私の思いをどうぞ肉の思いでとらえることなく、あなたの心で感じていってください。何度もお伝えしてきました通り、私は田池留吉とともにアルバートとともに歩いていく意識であることに目覚めました。決して肉を基準にしたところから呼びかけているのではありません。それでも私の肉にとらわれ続けていくならば、この先あなた自身が真実波動の世界を心に感じ広げていくことはできません。私はそれが意識の流れだと申してきました。私を肉としてとらえる心は真実の世界を否定する思いです。 もうここまで語っても大丈夫かなあという時期に来ていることを感じます。私自身が私自身に潰されないように自分を成長させてきました。すべては意識の流れの中でなされるということを私自身感じさせてもらってきました。 ともに歩いていきましょう、その思いをどうぞ素直に受けられるあなた自身になっていってください。 肉も慈しみ本当に愛しいと思える心は、波動の世界に生き続けている自分というものを知らなければ出てこないことを知りました。 心を合わせることの喜びと幸せを私は感じています。本当に嬉しいです。心を合わすことができる、田池留吉の心に私の心を合わせていける、心に隔たりがないということがこんなにも幸せで喜びなのかと私は今感じ入ってます。この喜びと幸せを感じることができるのは、言うまでもなく私達は波動の世界にともにあることを心で確認し合っているからです。このことがなければ到底私が今心に感じているところには到達しないです。過去私は何度も何度もその間違いを繰り返してきました。苦しみを味わってきました。心がひとつだと思ってもそれは全部肉の次元でした。だから裏切りだと心に映りました。裏切ったわけでも裏切られたわけでもなく、真実を知らないまま存在し続け苦しみ続けてきただけのこと、挙句の果ては肉の愛すら分からない心に落ちていきました。 私は今世本来の人間としての心を復活させたようです。真実の波動に出会ったからです。肉も慈しみ本当に愛しいと思える心は、波動の世界に生き続けている自分というものを知らなければ出てこないことを知りました。 私は田池留吉と一心同体です。アルバートの肉も意識も私とひとつです。一心同体、肉の次元ではありません。そんな次元とは比べることが出来ないものです。私の中からどんどんどんどんあなたの波動が伝わる、ただただ嬉しい、ただただ幸せです。 肉の繋がり、血の繋がりで本当に幸せになれる、その喜び幸せが継続するならば私は今世生まれてくることはなかったでしょう。そうではないことをしっかりと自ら確かめるために今世私は肉を頂きました。 肉の繋がり、血の繋がりで本当に幸せになれる、その喜び幸せが継続するならば私は今世生まれてくることはなかったでしょう。そうではないことをしっかりと自ら確かめるために今世私は肉を頂きました。肉が肉を幸せになんかすることができない、肉に求める心、肉を求める思い、それらが間違いであったことをはっきり知りました。 私は過去自分を殺していくことの悲しさ空しさやるせなさをたくさん味わってきました。そうしていくことが生きていく術だと自分に言い聞かせてきたんだと思います。自分に素直に勇気を持って生きていくことができなかったように思います。心を開いて心を預けてすべてを任せていくことができませんでした。表面上できても心底からできませんでした。心を閉ざしたままでした。それが私の苦しみであり悲しみであり寂しさでした。 私は今本当の絆というものを感じています。そして確かに繋がっているけれど、繋がっていることに窮屈さも不自由さもありません。これが波動の世界に生きる私達ということなんだと思います。 私は自由でした。喜びと幸せの中にある私が私でした。肉に固執する次元からはそんな私が見えなかったです。今世肉を持って次元を超えた私から肉の世界にある自分というものを客観視できました。本当によかったです。だから言えます。 私がしていくことはただひとつ、心を向ける、心を合わせる、それだけです。喜びと幸せに包まれている私であることを知ったから肉はそのことをしていけばいいだけです。 たったひとつの真実に辿り着いた喜びと幸せは筆舌に尽くせません。 たったひとつの真実に辿り着いた喜びと幸せは筆舌に尽くせません。 十一年前、学びのドアをノックしたきっかけを振り返りました。青天の霹靂と思えた肉の現象もその兆しはずっと以前からあった、だからその現象を通し苦しい心と出会いながらもそういうふうになったのをどこか納得していた私でした。そのときまで形の世界に重きを置き肉、肉の人生を歩いてきたような私でしたが、実はそうではなかったこともそのとき知りました。表現は適切でないかもしれませんが、どうしていいか分からず戸惑いを感じる反面、ほっとするところがありました。心の声が現象という形になって私の前に現れた、私はこれで軌道修正していくことができる、何かそのようなことを薄らぼんやりと感じていたんだと思います。私が私に告げた最後の切り札でした。 そのきっかけを得て愚かな肉はようやく学びに集えました。それまで肉の母からの誘いには一切乗らずにきました。母の話を小馬鹿にして聞いていた私ですが、何か感じるところはあったようです。だからそこへ起こった現象は渡りに船のような感じでした。背中を押されてようやく真実に通じる道を歩き始めた今世の肉でした。後はもう誰彼に左右されることなく、私なりに道を進めてきて今現在に至っています。 意識の世界は無限に広い、感じている世界は微々たるものかもしれませんが、今はその道筋を真っ直ぐにとらえ生きていくことができることが肉としてもただただ嬉しいです。もちろん意識の私は言うまでもありません。 どんな人の心の中にも「『立ち止まってください。そして振り返ってください』と呼びかけてくれているあなたがいます」ということを波動を通して伝え続けたいです。 今世に限ってみても、肉の世界でたくさんのもの、ことを手にした人は相当決意しなければおそらくこの学びの真髄に触れることは難しいだろうと思います。そんなに簡単なことではありません。みんな捨て去る、そういうものに価値を見出せなくなる心の状態にならなければ実際のところ心にすっと入ってこないと思います。いつも心のどこかで疼いているんです。片一方で手放せない何かを抱えている、それが疼きます。それを抱えていてはあなた自身の一歩を歩み出せないと私は思います。要はその人の心次第、いつ心を決めるか、そしてそれは誰も手出しはできない、手助けもできません。 私はでも伝え続けたいです。どんな人の心の中にも「『立ち止まってください。そして振り返ってください』と呼びかけてくれているあなたがいます」ということを波動を通して伝え続けたいです。 今世の私の肉は若輩です。学びに集うそうそうたるメンバーの足元にはとても及びつかないです。だけど私は真っ直ぐに伝えます。意識の私は何の遜色もなく伝えることができます。お伝えできることが私の喜びです。 「軌道修正していく勇気をお持ちなさい。愚かなご自分と出会っていってください。そしてご自分を受け入れていってください。それがあなたの唯一なすべきことです。それがアルバートを感じアルバートを信じともに歩いていくということです。」 自分のつけをよそに回そうとするから苦しいのであって、自分のことは自分で処理していくべきなんですね。それができること、その方法を伝えてもらった私達は幸せだと私は思います。 自分と自分の家族を守り、社会の中でうまく泳ぎ渡ることが人生の成功者でありよき人褒め称えられるべき人、それがまかり通っている世の中において、しかも流されて生きていくことに慣れ親しんできた中で、その固定観念を覆すことはもう不可能です。そしてまたいい夫、いい妻、いい父親、いい母親等々、それをいくら演じても誰も自分のつけを肩代わりはしてくれない、いえできません。つけは残ったままです。そういうことを早く察知して賢明な道を歩いていってください。 私はある意味で見極めが早くて計算高いのかもしれません。そういう肉の癖を持っているのかもしれません。とにかく私のこの肉に与えてきた時間とか空間を自分のために使いたい、自分に納得のいくような生き方をしたいと思ってきました。救う、導くはもとより誰かのために何かのために生きる生き方はナンセンスだと思ってきました。それは一歩間違えれば自己中心、エゴとなりかねません。でも幸いにして私は道を違えずに自分の望み通り自分を救う、自分を導く、自分を見つめるたくさんの時間と空間を頂いています。苦しみのた打ち回ってきた過去の私を包み込みともに歩いていくことを心に誓ってきた私です。私は私のためにこれからも生きていくことでしょう。 自分のつけをよそに回そうとするから苦しいのであって、自分のことは自分で処理していくべきなんですね。それができること、その方法を伝えてもらった私達は幸せだと私は思います。 肉持つ人間は愚かでどうしようもない存在です。肉の喜びと幸せを追い求め無益な争いを繰り返してきた歴史を紐解いてもそれは明らかです。でも生まれ変われることを知りました。 肉持つ人間は愚かでどうしようもない存在です。肉の喜びと幸せを追い求め無益な争いを繰り返してきた歴史を紐解いてもそれは明らかです。でも生まれ変われることを知りました。本当の自分に出会い波動の世界に生き続けている自分を知ることにより、私達は生まれ変われるんです。肉を持たせてもらったことに本当に感謝できる私達であるはずです。それを信じてもらってきました。待ってもらってきました。今世私はそのことを心で知ることができて本当に嬉しいです。 奇麗事を言っても自分を守り欲を満たすために人のために生き人に尽くし何かに尽くしてきたんです。数限りない転生の中で肉を求め神すなわちパワーを求め苦汁をなめてきた私は、もう二度と同じ過ちを繰り返したくないと相当の決意を持って生まれてきました。今世複雑な人間関係も環境も選んできませんでした。ただ自分を静かに振り返るたくさんの時間と空間を用意してきました。そしてある時期になって私は田池留吉に出会い、閉ざした心を溶かしてくれる波動と出会いました。やっと肉を持たせてもらったことを喜べる私と出会いました。母を殺し自分を殺してきた私に母の思いが響き、どれだけ愛されてきたかをそして愚かな自分を知ったんです。無条件に自分を託すという喜びと幸せを知りました。 今世のこの肉に賭けてきた思いが強いことをずっと感じてきました。常識論を建前にしては道は究められないことを私は感じてきました。 すべてを整えて私は生まれてきたことを今しみじみ感じています。私は望み通りの人生を今生きています。 愛が分からなかった私が本当の愛の世界を心に広げていくチャンスを得ました。そしてこの心にアルバートがなければ本当の愛がわからないことを知りました。 夫が妻を思い妻が夫を思う、親が子を思い子が親を思う、それらに代表される人間としての絆、そういうものをすべて超越した世界が波動の世界です。その世界に生き続ける自分というものを確認できたことで、ようやく私自身が救われたことを感じています。 私はずっと心に解き明かせない疑問、テーマがありました。愛するということでした。互いに慈しみ大切なものだと思えたことが色槌せあるいは変化していく、どうして何が間違ってきたのか、愛しいという思いがどうしてこんなに苦しい思いに変わっていくんだろうか、私は肉持たせてもらう度にそのことにぶつかってきました。夫婦、親子等々様々な場面においてたくさんの経験をして、結果心を汚し心を落とし乾ききった心に成り果てました。臆病になり不信感を抱くようになりました。肉持つたびにそんな苦しい心を何重にも重ねてきました。 愛が分からなかった私が本当の愛の世界を心に広げていくチャンスを得ました。そしてこの心にアルバートがなければ本当の愛が分からないことを知りました。人智を超えるパワーを神に求めてきた間違いも知りました。苦しみの底から私がつかんだ真実です。私自身の内なる切実な思いが真実に出会える道筋を伝えてくれたと私は思っています。田池留吉の肉と出会い心の世界をどんどん広げていった私です。心の底から突きあがってきた思いに忠実でした。たったひとつ、私が捜し求めてきた本当に知りたかったものはここにあるよと伝えてくれてきたその思いに私はただ忠実だっただけです。 セミナーは狭き門ではありません。みんなに平等に公平にその門戸は開かれています。しかし肉で凝り固まっていればそのようには思えないんです。いつも競争いつも比較そしていつも自分中心です。 千差万別の肉です。様々な歴史を抱えてそれに応じた肉、環境を今世持ってセミナーに集ってきました。その中でただひたすら真っ直ぐに自分に正直に自分に素直に歩いていく人だけがともに歩む仲間です。 セミナーは狭き門ではありません。みんな平等に公平にその門戸は開かれています。しかし肉で凝り固まっていればそのようには思えないんです。いつも競争いつも比較そしていつも自分中心です。肉基準で意識の世界を見る、本当に愚かです。 形の世界では自己を主張し比較競争の中で居並ぶみんなから抜きんでればそれが覇者です。権力、財力、人力を手中にすれば万々歳の人生、わが世の春を謳歌しその足跡を後世に残そうとします。その意識は甚だ残念ですがしっかりとその肉に執着して地獄から出てくることは殆ど不可能でしょう。仕方ありません。後は気付くのをただ待つだけです。 そんな中で私達は今世地獄から出てくるチャンスを目の前にしているんです。本当に剣が峰です。私はそのことをひしひしと感じています。夫婦で喧嘩している暇などない、子供に必要以上に煩っている暇はない、お金を勘定している暇などない、肉体時計は正確に時を刻んでいきます。 セミナーです。セミナーが開かれているときが今世のチャンスです。その成果を持って自分自身のこれからが待っています。二五〇年の来世に繋いでいきましょう、その声を心で聞いてともに歩いていってください。世の中がどうなろうとも毅然として歩いていってください。 ともに歩く仲間がいる、心と心が通じ合え、互いに喜び合える仲間がいる、私達を繋ぐ絆は深いです。私達は何も要りません。[# ともに歩く仲間がいる、心と心が通じ合え、互いに喜び合える仲間がいる、私達を繋ぐ絆は深いです。私達は何も要りません。喜びを語り合える、未来へと続く世界へ旅立っていくことを確認し合える、それが喜びです。 来世の私の喜びと幸せは、最終の肉を持つそのときに肉としてこれほど喜びで幸せなときを用意してきたのかと私自身信じられないほどのすごさです。でも確かに来世の私はその喜びと幸せを味わっていきます。 旅立ちにふさわしい肉そしてその環境を選んできます。今世同様何もかも整えて生まれてきます。アルバートに会うために私は生まれてきます。真実に目覚めた意識が織り成す世界、その愛の世界を来世の肉は存分に受けていくことでしょう。二五〇年後の来世、肉を慈しみ与えられた時間を惜しむようにそして心からありがとうの思いを込めてこの次元にさようならです。何もかもひとつに溶け合っていく喜びと幸せ、それが私を待ってくれています。もう何とも嬉しい限りです。 だから私はお伝えします。 「アルバートが実在する、このことを心から分かってください。それしかありません。今世、田池留吉を通しそのことをしっかりとあなたの心で感じていってください。それがあなた自身を救いゆく道です。生半可な学び方はやめてください。中途半端では駄目なんです。はっきりとあなた自身が答えを出していってください。」 ただそうお伝えしたいだけです。 真っ直ぐがいいですね。真っ直ぐしかありませんね。しかしこれは難しいです。 真っ直ぐがいいですね。真っ直ぐしかありませんね。しかしこれは難しいです。 真っ直ぐに歩きたくても歩けないよ、それがいいそれしかないことは分かっていても現実は厳しいよ、そんなに世の中は甘くはないよ、そんなブツブツが諦めにも似た思いが心に上がってきませんか。 それでもいい、そういう自分をはっきりと把握してまた自分に聞いてみてください。田池留吉の肉を思い浮かべながらでもいい、アルバートと心で呼びながらでもいい、そうしながら自分が自分に聞いてそして出てくる思いはどんな思いでしょうか。嬉しいなあという素朴な思いがやっぱりあなたの心に伝わってくると私は思っています。何がとかはっきり分からなくてもいい、なぜならば分かっていないのは肉のあなただけなんですから。田池留吉を通して伝わるアルバートの波動はしっかりとすごい勢いで流れています。意識達はそれを本当に素直に受けて喜び、喜びを感じています。私はそれを感じているだから信じてくださいとお伝えしています。 肉のあなたは本当に愚かです。こっちに行こうかそれともあっちへ行ってみようかと心定まりません。しかしそんなあなたがひとたび波動の世界の素晴らしさとかすごさをその心で実感したならば、もう真っ直ぐです。誰が何と言おうと何と思うと世間がどうであっても、私達にはアルバートしかないということが簡単に心で納得できます。従って真っ直ぐに進めない人は、真実波動の世界をまだご存知ないということです。だからそびえ立つ肉には大変難しいことです。 私達は自分の心を見るために、家族を形成し社会と繋がっていきます。そういう設定の中で肉をもらうということを決めてきたんです。 私達は自分の心を見るために、家族を形成し社会と繋がっていきます。そういう設定の中で肉をもらうということを決めてきたんです。でも肉を持てばその中に自分の居場所を求め必要以上に係わっていきます。何らかの大義名分を掲げて自分を主張していこうとします。 夫と妻、親と子、社会の一員等々、そこに自分の生きる価値というか目的を見出そうとするから複雑に絡んでいく、そういう繋がりが希薄であれば孤独であり不幸せだという固定観念からか自らその中に飛び込んでいく人だっています。 人との繋がり、社会との繋がりはそういうものではないと思います。互いに支えあい持ちつ持たれつの関係であってもそれ自身はそれぞれが独立している、本来はもっとさらりとあっさりと肉持つ時間を共有できる関係だと私は思うんです。自分の中にアルバートの存在を知りそこからすべてが始まっていることを確信しているから私はそう思っています。 肉だけを見て肉の世界だけしか知らなければ、複雑に絡み合ったその中でどのように生きていくか、社会から脱落しないようにわが身を守ることに奮闘するしかありません。 私は今世その道から離れていきました。いくら外に求めても最後に帰るところは自分の中にしかないことを確認したからです。自分で確かめて納得したから私は変わりません。もうただ真っ直ぐです。 今、道を違えていても道が見えなくてもいつかは気付けるときがくる、あなたの中でそれを信じて待ってくれているあなたがいることを私は信じられる、それはアルバートが実在するからです。 あなたの喜ぶ姿、その笑顔を見ているだけで私は幸せだ、肉、肉の中で語るそんなものは嘘です。大嘘です。血を分けた子供にさえ本当に純粋にそんな思いを向けることはできません。 アルバートを知らなければそんなことは絶対ありえないです。私はあなたが生きがい、そんな重い生きがいなど私なら要りません。あなたのためにこれだけ私は尽くしてきました、そう言って縋りつかれるのももう結構です。アルバートがなければ本当に人に尽くすこどなどできないからです。 欲にまみれてともに地獄へ落ちていくのはもうごめんです。だから私は人にそして何かに過剰に期待するというものを求めてこなかったです。少なくとも今世の私はそうでした。反面心を閉ざしてきました。心を語れずに自分を出していくことは苦手でした。そんな肉を持ってきました。それが本当に驚きです。私は大きく変わりました。自分を託していけるようになりました。変わらずにずっと遥か過去より待ってくれていたものがあった、これでした。このことが私自身を復活させてくれたものでした。 固い肉の殻を破ったときそして本来の私自身を心に広げていったとき、愚かでどうしようもない道を歩いてきたけれど、それもまた必要なことでした。苦しんで苦しんできたからこそ今の喜びと幸せが本物であり永遠のものであることが分かるからです。すべてよし、そうでした。今、道を違えていても道が見えなくてもいつかは気付けるときがくる、あなたの中でそれを信じて待ってくれているあなたがいることを私は信じられる、それはアルバートが実在するからです。 アルバートを素直に呼べない、それが他力の心です。その思いを見ていくことが他力の反省です。 ともにある、ともに歩む、この波動の世界を感じ広げていけたならもう何も言うことはありません。私達は真実波動の世界を感じゆくために今世生まれてきたんです、肉をもらって今があります。私はそのことを本当に心で感じています。私が私に伝える確かな道、それがアルバートの道、その道を淡々と歩く私です。だからこの先肉の思いで道を見失うということはあり得ない、そんなことは私自身案じてはいない、私は私を導いていきます。私はアルバートと私です。 私は苦しい世界を生き続けてきました。そしてそんな私が真実の世界を知り感じ信じることができました。だから一人でも多くの方がこの世界を心に感じ広げていってほしいという思いがあります。自分自身の課題と取り組みながらともにアルバートの道を喜びで歩いていけることが私達の喜びだと伝えたいんです。ともに歩む仲間を待っています。 波動は騙せないそして波動だけが真実、これが田池留吉がずっと学びを通して伝えてくれたことでした。このことを疎かにしてきた、軽く見てきた、侮ってきた、その反省をきっちりとあなた自身が済ませていなければ、また肉をつかんでいく同じ轍を踏むことになることでしょう。 アルバートを素直に呼べない、それが他力の心です。その思いを見ていくことが他力の反省です。 アルバートを思う、アルバートを思うその先には何もありません。ただ思う、ただ呼べることが幸せで喜びです。 宇宙が待っている、肉にとらわれずにもっと心を広げていくことを私の中の宇宙は待っています。そんなことを私は今感じています。 宇宙が待っている、肉にとらわれずにもっと心を広げていくことを私の中の宇宙は待っています。そんなことを私は今感じています。 三億六千年の長きときを経てようやく宇宙へと心を向けることが可能となった今世の私でした。肉をもらって私は今自分の中の宇宙を感じその宇宙が本当に喜んでいることを感じています。宇宙にパワーを求めそのパワーでまた宇宙を支配しようとしてきた私はまさしくブラックパワーそのものでした。大きなパワーを秘めてこの地球上で肉の転生を繰り返してきました。島のひとつやふたつ沈めることなど容易でした。天変地異を引き起こしてきたパワー、それが私の意識の世界でした。私は真っ黒な真っ黒な宇宙の中ひとりポツンと存在し、苦しみの中を這いずり回り地獄の底の底を嘗め尽くしてきた意識、そんな私が今世肉を持ってこのようにアルバートの存在を知り得たんです。その波動の中で私は自分の姿を知りました。本当に心で知りました。田池留吉の宇宙が心に響いてくる、本当にこの宇宙を待っていたことを心から感じます。そう私が待ち望んできたのはこの宇宙でした。 生まれ変わりたい、その強い思いを持って今世の肉に賭けてきた私です。二五〇年後アメリカニューヨークの地でアルバートと喜びの出会いを持たせてもらって、私の宇宙は私自身はさらに喜びの坩堝と化していくことでしょう。 これからますます私は田池留吉、アルバートとともに心を見てまいります。私は今世自分の歩いていく道筋を心で知りました。それが本当に嬉しい、本当に喜びです。 どうぞ肉の次元に止まることなく、あなた自身の心を広げていってください。私達の中に宇宙があります。そしてその宇宙が待っています。 セミナーももうそろそろその幕を閉じていきます。一堂に会してともに学ぶ時間、空間をたくさん私達は頂いてきました。肉持って集いその中で自分に出会っていく機会を得てきました。田池留吉の肉とともに今世このように学ばせてもらってきました。幸せこの上ない私達です。二五〇年後に繋ぐ足がかりを得てこれからはそれぞれがそれぞれの道を歩いていくことだろうと思っています。何とも感慨深いものがあります。 私の目の前に引かれた一筋の道、その道をともに歩める幸せ喜びの中に私はいます。肉を頂きたくさんの汚れをつけてきましたが、それを喜びとして迎えてやれる私がここにいたことが本当に嬉しいです。今世の肉と来世の肉、私は過去三億六千年の肉の歴史の中でこれほど幸せで喜びの肉を私自身用意してきたことを今更ながらしみじみ思っています。その肉をもって私は意識の世界に生き続ける私と出会えました。本当に肉にありがとう、です。真っ黒を垂れ流し宇宙を汚してきた私、ようやく母なる宇宙へと帰っていくことができます。 どうぞ肉の次元に止まることなく、あなた自身の心を広げていってください。私達の中に宇宙があります。そしてその宇宙が待っています。肉を通しあなたがあなたに伝えていく以外にあなたの宇宙が救われることはありません。肉の次元に止まっていてはそれができないんです。そのことをこれからのセミナーを通し心で感じていってください。 目覚めていってください。素晴らしいあなたではなくご自分の現実をしっかりと知っていく、それが目覚めです。 アトランティスもムーも沈みました。大小を含めてたくさんの大陸、島が沈んでいった、山が割れ地が割れ多くの命を飲み込んでいった地球上での天変地異に係わってきた、その心の記憶があります。己の思いを通すために宇宙の法さえも曲げようとしてきたそのエネルギー、そのパワーはすごいです。大罪を犯してきました。そして呪術とでも言うのでしょうか、人の運命を自由自在に操ってきた、弄んできた本当に申し訳ないことをしてまいりました。それでも私は今このように許され生かされています。そしてやり直し生まれ変われるチャンスを今世頂いてきました。私は今世をはずして私のこれからはない、そんな思いを秘めて肉をもらってきました。 そしてこれは私だけではございません。今世田池留吉と出会いセミナーに集っている私達は本当に大罪人です。肉の自分にとらわれている世界からは本当の自分のその姿を見ることはできません。どれほどのエネルギーを垂れ流してきたかその認識が廿い、今世ほどほどでも来世がある、そんなことはないんです。私達は今世なんです。今世自分の中で確かな目覚めがなければ永遠に地獄です。それだけのエネルギーを撒き散らしてきた私達です。 目覚めていってください。素晴らしいあなたではなくご自分の現実をしっかりと知っていく、それが目覚めです。そうしたときこの波動の世界が心の奥深くに染み渡り、そんな自分だからこそ今世このときを頂いてきたこと、限りない愛の中に生かされているそれが自分自身だということをはっきりと感じていくことでしょう。 アマテラスを神として崇めてきた心、すなわち私の中のアマテラスは今確かに小さく感じられます。 アマテラスを神として崇めてきた心、すなわち私の中のアマテラスは今確かに小さく感じられます。 今世もそのエネルギーに突き動かされどんどんその思いを使ってきました。アマテラスの国、日本に肉を持ってきたのも当然です。しかし今世の今というときを境にして決定的に違っているのは、アマテラスを奉り恐れ多いものとしてきたものが、アマテラスに伝えられるようになったということです。アマテラスの実態を知ったからです。アマテラスは氷のように冷たくてそして寂しい存在でした。そしてともにという思いを訴えてきています。 アマテラスは私の心そのものでした。アマテラスは神ではありませんでした。救いを待っている意識でした。私はそのアマテラスを自分の中で包んでやれることを知りました。だから私は嬉しいです。嬉しい、ありがとう、優しい優しい思いとともに私の中に伝わってきます。私は私の中のアマテラスを見捨てたり切り捨てたりはできません。アルバートの波動を知りその世界を感じている心にはみんなが愛しいです。 自己供養を通し今世肉を持った喜びを感じます。そしてアルバートに心を向けたとき響いてくるこの思いとともに、アマテラスとともにすべての意識達とともに歩いていくというのが私の道です。それが私の四次元への道です。そのことがしっかりと心に上がってきます。 アマテラスの国、日本、アマテラスとともにやがて消滅していくことでしょう。 アルバートは実在します。アルバートだけが実在します。それが明かされていくこれからです。 今自分を慈しんでいける時間があること、そしてそれができる私があること、たまらなく嬉しいです。自分に伝えることができる、ともにアルバートを感じることができる、本当に嬉しいです。 アルバートです。アルバートが流れています。アルバートが心に広がっていきます。今世肉持たせてもらってこの波動と出会い私は本当に幸せなときを迎えています。その優しさ温もりをそしてともに歩いていけることを私は自分に言ってやれる、包んでやれる、これが私の一番望んできたことでした。それが現実となった今世このときです。心から突き上がってくる思いはもう言葉になりません。ただただありがとうございましたということです。 形の世界はこれからますます混迷の中を突き進んでいきます。度重なる天変地異と相まって人類は衰退の一途をたどることでしょう。この流れは止めることはできません。なす術もなく茫然自失そして荒廃した人類の心から神を手放していったときにようやく真実の灯が点り、それが瞬く間に全世界に全宇宙に広がっていくことでしょう。肉持つ、持たないにかかわらず意識達がこぞって集ってきます。それが二五〇年後です。アルバートの波動の中で私達は喜び、喜びの再会とそして新たなる旅立ちを果たしていきます。 アルバートは実在します。アルバートだけが実在します。それが明かされていくこれからです。 今世の肉を通して知り得た真実、アルバートそして田池留吉の宇宙の中に私はいます。 仏陀もイエスそして聖母マリアも肉を持った人間に過ぎませんでした。その他この地球上で聖人と語り継がれてきた人達もそうでした。所詮は肉の枠から飛び出せなかった、だから真実に目覚めることはありませんでした。この世に聖人君子など存在しません。肉持つ人間は愚かです。 たくさんの転生を繰り返したくさんの過去世とともに今世生まれてきました。そして今アルバートの波動の中で田池留吉の宇宙へと心を向ける私の中に響き伝わってくるのは、肉という小さな殻の中に閉じこもってきた間違いでした。アマテラスを神とする心もそう、その他諸々を神として崇拝する心も我は神なりと叫ぶ心もそうでした。形のない世界を思い描いているけれどもその世界は本当にちっぽけな世界でした。なぜならばアルバートを知らなかったからです。 仏陀であろうがイエスであろうが真実を知らない意識は未ださまよい続けている、そしてそれらに救いを求める意識達とともにどっと地獄の底へと沈み込んでいるというのが現実の姿だと思います。 田池留吉に心を向ける、アルバートに心を向ける、このことを私達は肉を持って知りました。これがどんなことなのか、過去世達の思いを心で知ったなら一目瞭然です。過去世は今の私です。私は過去世とともにそして来世とともに生きています。それが今の私、私は私を救っていける、伝えていける、ともに歩いていけます。 今世の肉を通し知り得た真実、アルバートそして田池留吉の宇宙の中に私はいます。 あなたの中の宇宙を供養していってください。そして自分のために生きてください。自分を愛していってください。自分を愛するということが周りを愛するということです。それが本当の愛です。自分を愛せない人からは愛は流れません。 今世、私達の目の前にチャンス、チャンスが公平に投げ出されています。それをいかに自分のものにするか、それはみんな自分の心に係っています。 夫婦あるいは親子その他肉の生活の中で心を見せてもらえるチャンス、チャネラーとなり天使だか過去世だか何か知らないけれどそれらの意識を受けてそこで自分の心を見せてもらえるチャンス、等々それぞれの設定の中でみんな自分の心を見るチャンスを用意してきました。しかしそんなものにいつまでもこだわっていればポイントを外します。そのチャンスをどのように活かしていくか、活かしてきたか、それが肝心なことです。 私達には数え切れないほどの過去世があります。もちろんこの地球上だけではありません。私達の中には宇宙が待っています。真実を求めて未ださまよい続けている意識達がその心の中で待っています。この次元だけではなくあなたの心に繋がってくる意識達すべてにアルバートをそして田池留吉の宇宙を伝えていくというのが私達のこれからなしていくことです。私達はそのために今世肉を持って生まれてきました。 どうぞ心を広げていってください。そしてこの地球を含む宇宙へと心を向けていってください。あなたの中の宇宙を供養していってください。そして自分のために生きてください。自分を愛していってください。自分を愛するということが周りを愛するということです。それが本当の愛です。自分を愛せない人からは愛は流れません。 自分を苦しみの淵に陥れているのは自分だということに早く気付いていってください。 私達はひとつ、意識の世界はひとつ、その前に立ちはだかっているのが肉の思いです。自分を苦しみの淵に陥れているのは自分だということに早く気付いていってください。 それぞれが選んでいくこととはいえ、今世このように肉を持って出会え真実を知るチャンスに恵まれながら、肉と肉の思いを引きずったままその人生を終えていかれるというのはやはり残念です。でもどうすることもできません、各々が自分の心で気付いて初めてその修正ができやり直すことができるんですから。 頑固をやめていくのがそんなに難しいことなんでしょうか。素直になることは難しいですか。築いた地位、名誉、財産、家族等々、そしてその肉そんなに大切ですか。自分の心と引き換えるほど大切なものがこの世に存在するんでしょうか。私は自分が一番大切です。自分の中に生きる私が私は一番愛しく大切です。 私達はひとつだという喜びと幸せを私自身心で感じています。心に響いてくるこの波動の世界は何にも代えられない、この波動を感じている私には何も必要としません。 確かに肉の中にあるこの肉は色々な思いを出しそう簡単に捨てられないかもしれませんが、所詮肉は肉、アルバートヘそして田池留吉の宇宙へと心を向けた瞬間そういうものは色褪せていっていることを私は自分の中ではっきりと感じています。肉を持っている間はある程度仕方がない、でも私は確実に自分の意識の世界を歩み続けていることを感じます。変わらない喜びと幸せを私の心はつかんでいます。 今でこそ愚かしい自分だったと思えますが、その渦中にあったときは自分が間違っているなんて到底思えませんでした。ましてや自分の首を自分で絞めているなんてとても、です。 心を落とし込め切り刻んで踏みつけてきた、もうやめてくれという悲鳴もそっちのけで 肉を優先させてきた、肉が自分だとする思いは本当に自分に残酷で冷たかったです。今世の僅かな年数だけでもその愚かさをまた積んでしまいました。今でこそ愚かしい自分だったと思えますが、その渦中にあったときは自分が間違っているなんて到底思えませんでした。ましてや自分の首を自分で絞めているなんてとても、です。全部転嫁してきました。そうしなければ私というものが成り立たなかったからです。 肉を持って生まれ肉の中で育ち肉の世界しか知らない人間にとってそれはそうだろうと思います。だから私は私自身を責めません。ただ真実を知らずにきたんです。当然今世もある時点まで私は苦しみだけの中にいました。でもようやく私は波動の世界を知りました。肉の喜びと幸せはあっても心は苦しかったその訳を今は心で知り納得です。苦しかった私を苦しかったねと優しく抱きしめてあげられることがどれほど幸せなことなのか、感じています。優しい私と出会えることが嬉しいです。 肉を憎んでも呪っても怒りをぶつけても何も解決はしなかった、私が苦しいだけでした。そんな愚かなことをやり続けてきた私だったと思うとき、本当に私は自分に対して申し訳なく思います。自分を大切にしなさい、母の思いが伝わってまいります。間違い続けてきたから分かる、この道に巡り合え、ひたすら真っ直ぐに歩ける私は幸せです。心からそう思います。 聖人君子は存在しません。立派な人間もましてや天使など存在しません。私達が求めてきた神も次元が違っていました。間違い続け愚かな私達だけが存在していました。 肉も肉の環境も全然違うけれど、二五〇年後の来世、私は今世と同じ道を歩きます。もう一度同じ過ちの中を生きていきます。ただ肉の中でその壁にぶつかり生きる望みを失う寸前まで自分を追い詰めるということが今世の肉と違うところです。そこまで自分を崖っぷちに立たせても私は蘇ってくる、極限状態から自分を復活させる、というのが私の来世のシナリオです。そのために今世のこの時間を自分に与えています。しっかりとその学習をしています。 だから私にとってこの学びというか田池留吉もセミナーも右を向いて左を向いてみんなと調子を合わせてそんな悠長なものにはとらえていません。 自分が生きるか死ぬか、地獄の奥底から自分を救うために私はこの肉をもらいました。周りを一撃のもとに殺してきたエネルギーの中にいました。己しかありませんでした。そのためならどんなにむごいことも平気でした。綺麗に装っても中はそんなエネルギーが渦巻いていました。そのような過去世をたくさん背負って生まれてきたのが今の私です。 でもすごいです。ちっぽけな肉からは絶対想像できない世界、この心の中に広がっている世界、予定通り願い通り知っていきました。 聖人君子は存在しません。立派な人間もましてや天使など存在しません。私達が求めてきた神も次元が違っていました。間違い続け愚かな私達だけが存在していました。だから目覚めのときを私達は待たれているんです。それが今世、今というこのときです。 自己供養、それは喜びです。思えばいい、呼べばいい、田池留吉の宇宙にアルバートに心を向けながら私は二五〇年後を待ちます。 嬉しいです。どんなに肉にまみれ心を落としても私は救われることを知りました。今世の肉を通し私は自分自身が救われることを知りました。そのことが本当に嬉しいです。どんなに苦しい中においても温もりが母の優しさが私を抱いて包んでくれていることを私はこの心で知ったんです。これは私にとって本当に奇跡とでも言うべきことだと思っています。今世生まれてきて田池留吉と出会えていることが言葉にならないほど嬉しいです。 私の心にはアルバートが実在します。だから目の前にある形の世界を眺めながら私はすっと自分の心に戻れます。とても嬉しいです。幸せを喜びを感じるのに何もいらない、私に戻っていけばそれでよかったんです。田池留吉を感じる、アルバートを感じる、それが私の喜びと幸せでした。 自己供養、それは喜びです。思えばいい、呼べばいい、田池留吉の宇宙にアルバートに心を向けながら私は二五〇年後を待ちます。私はこの喜びと幸せを味わいながら自分の道を自分の足でしっかりと歩いていくことができる、その道筋が見えている私は幸せ者です。 いつも語っています、伝えています。アルバートが流れている、そのことが信じられるあなたであってください。 アルバート、ああ私はあなたと出会えました。ようやく今世あなたと出会えました。私は私の中のみんなにあなたを伝えていける約束をしてきました。それが果たせることが嬉しいです。 アマテラスもクドーラもそう、私は今世もその思いを引きずり心に止めたくさんその思いを流してきました。でも今私は淡々と伝えていけます。みんなみんなアルバートヘ帰りたい意識達でした。私は自分の中のみんながとても愛しいです。その思いに触れるときその思いを感じるとき、私自身変わったことが分かります。自分を愛しいと抱きしめてやれる、アルバートヘ帰ろうそう自分に言えるからです。そうできることがたまらなく嬉しいです。 自分を慈しみ自分を大切に、そして思うことはひとつアルバート、田池留吉の宇宙です。このことをやり続けていけば、あっという間に二五〇年後です。アルバートを田池留吉の宇宙を待ち続けてきた私、ともにともに四次元へ、この思いを伝え続けます。 肉の中にあって肉とは互いに労わり合い助け合って生活していくもの、それ以上でもそれ以下でもありません。私達は心にアルバートを持つ広い広い存在です。肉のみに突っ走ってしまう愚かなことはもうやめにしていきましょう。 心を向けてください。心を田池留吉にアルバートに向けていってください。素直にひたすら向けていってください。いつも語っています、伝えています。アルバートが流れている、そのことが信じられるあなたであってください。 待っています。待ち続けています。あなたの心の中で待ち続けています。その意識達をその思いをどうぞ受け止めていってください。 もう変わっていきましょう。散々苦しんできました。もう自分を解き放していきましょう。自分に愛を流していってください。全く反対方向に進んでいたことが分かりますか。自分に真実を伝えることができない、自分すらも救えない人にいったい何ができるというのでしょうか。偽善は苦しいです。苦しい波動をこの宇宙に流していくということです。アルバートのアも知らないそんな意識が地球を宇宙を変えることはできません。正義も愛も真っ赤な偽りです。 そんな薄っぺらな人間ではなく、本来の自分を復活させていきましょう。その道を今世の私達は示されています。 自分を見つめ自分とアルバートの中で喜びの自分自身に出会っていけること、苦しみは苦しみではなくアルバートに変わっていける喜びであると信じていけること、そのことを今世私達は学ばせてもらいました。セミナーに集うどの方もともに学んでまいりました。それを活かしていくのは各々です。怠惰でそして己偉い心を見ることなく、田池留吉に周りに転嫁していく愚かなことはもうやめてください。あまりにも自分自身が哀れです。そんなために私達は今世この肉をもらってきたのではない、もっと真っ直ぐにご自分と向かい合ってください。 待っています、待ち続けています、あなたの心の中で待ち続けています、その意識達をその思いをどうぞ受け止めていってください。私達はそれができます。アルバートに出会った私達には可能なんです。こんな嬉しいことはありません。 はっきり道が別れていきます。波動の世界を信じていこうとする人とやっぱり肉から心を離すことができない人とはっきりと別れていきます。自分の心に結果が出てくるということです。 はっきり道が別れていきます。波動の世界を信じていこうとする人とやっぱり肉から心を離すことができない人とはっきりと別れていきます。自分の心に結果が出てくるということです。真剣に信じてやってきたかどうか、それが出てきます。全部自分で選んだ結果です。 いくら心が敏感でもチャネラーでもそれだけではだめなんです。自分を本当に信じているかどうかです。そういうところから自分自身を見つめていかない限り、過去と同じ繰り返しです。私達は確かに神を目に見えない世界を求めてきました。そのためなら修行することも厭わない、何だってしてきました。そして我一番のエネルギーを垂れ流してまいりました。最も愚劣なことを平然とやってのけてきたのが私達に共通するところだと思います。だからこそやり直したい、心の底から願って望んで頂いた今世のこのときです。 アルバートを感じていってください。心からアルバートを思ってください。その素直さその真撃な思い、それが必要です。後は何もいらない、どれだけ素直にどれだけ真撃に自分を受けていけるか、それによって進む道は自ずと決まっていきます。はっきりと道は別れていきます。そしてそれを選んでいくのはあなたです。 言うまでもなく学びの本筋は、母の温もりを心に思い出してそれを自分に伝えていく、自分を供養するということです。 母の温もりです。意識達はみんな母の温もりを忘れ消し去って存在してきました。しかししっかりとその心の中に息づいているんです、だから思い出していきます。必ずそこに行き着きます。私達が帰るところは母の温もりだからです。 言うまでもなく学びの本筋は、母の温もりを心に思い出してそれを自分に伝えていく、自分を供養するということです。それが大原則です。温もりを置き去りにして意識の世界をいくら感じようとしてもまた感じてもそれは肉です。そびえ立つ己偉い心では自分自身に伝えていくことはできない、ということはこの学びの本筋からずれているということです。 本道を歩くということはどういうことなのか、そして私は本道を歩いているだろうか、今一度自分の足元を見つめてください。それをおざなりにして田池留吉の宇宙をアルバートをとそればかり先行しても仕方がありません。 自分に冷たかった、本当に冷たかった、それが確認できれば嬉しいじやないですか。そびえ立つ自分が分かるなんて私は幸せだと思います。だからこそ田池留吉にそしてアルバートに素直に心を向けることができる、呼ぶことができる、と私は思います。そうしてからその波動を知る、その波動と巡り合える、それがどれほどすごいことなのか、今しっかりと心で感じていってください。 アルバートを感じアルバートとともにあることを感じている私には、どんな私もみんなみんな本当に愛しいです。そしてともに帰ろう、ともに帰れる喜びを伝えていけることが私の幸せであり喜びです。 ふるさと、そうです、私達はこの心に憶えています。どんなに消し去って忘れ去っても私達は憶えているんです。私達のふるさとはお母さんです。あのお母さんの温もりです。 たまらなかったです。セミナー最後の瞑想、ふるさとを思う私の心はもう何とも形容しがたいものでした。私の中のみんながいっせいにお母さんを呼んでいました。お母さん、お母さんって、それこそ心の底から絞るようにしてお母さんを呼んでいました。ここを感じれば私は私に背を向けて生きていくことなどできません。肉を優先して生きていくことなどできません。私はともに帰ります、私のふるさとへともに帰ります。そんなしっかりとした思いをまた今回も確認させて頂きました。 己偉しのエネルギーで自滅していく道を今世の私は選んでこなかったです。だから一時の肉の思いあるいは肉の評価なんかで今世のチャンスを棒に振ることなど絶対にあり得ない、今世に賭けてきた私自身の思いの強さもまた確認させて頂きました。 私は幸せです。今世田池留吉とともに学ばせてもらえる私は本当に幸せです。私は何もいりません。この波動の世界を感じている私にとって何もいりません。アルバートを感じアルバートとともにあることを感じている私には、どんな私もみんなみんな本当に愛しいです。そしてともに帰ろう、ともに帰れる喜びを伝えていけることが私の幸せであり喜びです。 学びから離れようとも学びを捨てようともそれは各々が選んでいくこと、ただ私は自分が感じたものを素直に真っ直ぐに伝えていきたい、そんな思いだけです。 私は過去自分が歩いてきた愚かな道、愚かな自分を知っています。ブラックパワーに通じていた自分自身、それを誇りに誇ってきた私は生きても死んでもずっと地獄、地獄の奥底を這いずり回ってきました。肉は崇められ私は素晴らしいとどれだけ叫んでも、自分の心は自分自身は絶対騙せませんでした。その過ちを私はもう嫌というほど味わってきました。だから今世の肉は霊道を開いたという感覚はありません。いわゆるチャネラーだという思いは私にはありません。ただ、今このようにして私は自分の思いを伝えていけるような肉を選んできたという思いはあります。その思いの底にしっかりとアルバートを感じています。 私は本当にアルバートを求めアルバートに出会うことだけを待ち望んできた、それが今世の私だと私はアルバートという言葉、その存在に触れた瞬間に思いました。それはこの肉でも分かりました。私の中で田池留吉とアルバートがぴったりとひとつに重なっていることを何度も何度も感じています。そして私はその中に生かされている、ともに生きている私だということも私自身、はっきり感じています。だからもういいんです。どんなことを思われても何を言われても私はこの自分に従って生きていく、これが私の幸せであり喜びであることを私は確信しています。アルバートと私、私にはそれ以外の道はありません。 学びから離れようとも学びを捨てようともそれは各々が選んでいくこと、ただ私は自分が感じたものを素直に真っ直ぐに伝えていきたい、そんな思いだけです。 己が偉い、そびえ立っている自分に気付きそれを素直に認めてそこから自分自身を解き放していこうと真剣に思えなければ田池留吉もアルバートの波動もお母さんの思いも本当のところ心に響いてきません。 私の中には何もありません。私はただアルバートを呼びアルバートに心を向けているだけです。田池留吉を思うのもそうです。思うことが幸せだということです。 素直な赤子のような自分の前に肉を本物とする思いがそびえ立っている、あるいは自分が心に入れてきた他力の神々の方に向かってアルバートを呼んでいる、このことに自分自身気付かなければいくら反省瞑想してそして懺悔の涙を流そうとも結局は同じところを行きつ戻りつしているだけということだと思います。今回波動のお勉強で座らせてもらってそんなことを感じました。 己が偉い、そびえ立っている自分に気付きそれを素直に認めてそこから自分自身を解き放していこうと真剣に思えなければ田池留吉もアルバートの波動もお母さんの思いも本当のところ心に響いてきません。いえ響いてきているけれどもそれを己偉しの心で消していっていると思います。だから喜びを感じさあアルバートとともにと意気込んでも、時間が経つにつれてその興奮もどこへやら小さく萎んでいきます。 心で体験したことは間違いのないこと、そして心は憶えていること、それを信じてまた自分の道を淡々と歩いていってください。間違い続けてきた愚かな自分と向かい合いながら真実の道を自分に示している自分がいることを信じながら一歩一歩歩いていくことが本道を歩くということだと思います。特別はありません。みんな同じ、みんなアルバートに帰りたいと願ってきた意識達です。己偉しの自分に気付いていってください。 私が信じているのはアルバートを思う私自身です。アルバートが実在することを感じている私自身です。そしてこの肉の私を必要としてくれているのは、私の中の意識達です。 「三億六千年それ以上のあなたのすべてを私アルバートの中に包み込んでいってください。私はいつも、いつもそしていつまでもあなたの中で待っています。」 アルバートのメッセージを私の中に培ってきた真っ黒な宇宙に伝えていけることが本当に嬉しいです。私もともに歩いてまいります、そう伝えてくる意識達の思いが私の心の中に大きな喜びとして広がっていきます。意識の目覚めを感じる私が信じているのはアルバートを思う私自身です。アルバートが実在することを感じている私自身です。そしてこの肉の私を必要としてくれているのは、私の中の意識達です。そのためにこの肉があり、肉を通し間違い続けてきた自分を知ることができ、そしてアルバートの波動を知ることができる、だから肉があることは素晴らしいことだと思っています。 どんな立派な講釈を垂れようとも、心にアルバートを感じていますかと真っ直ぐに聞かれて、返答に詰まるようではまだあなた自身白の道を歩いていないということだと私は思います。自か黒か、うやむやにはできない、はっきりと結果を出していかなけれぱなりません。それがあと二年足らず、回数は十五回です。私は充分過ぎると思っていますが、さてあなたの現状はいかがでしょうか。 過去からの栄光にしがみつき狂いに狂った道をまた歩いていくのもその人です。あるいは大きくずれた道を少しずつでも戻していこうとするのもその人です。その選択は各々の心に委ねられています。あくまでもアルバートと自分です。 「すべてはひとつ、私はあなた、あなたは私」これが私達の合言葉です。 アルバートという名のあなたを何度も私は見かけている、何度も見かけているけれど、あのときは違った、私にはまるで別人のように見えた、あなたの目を見た瞬間、「アルバート、殺してやる」私の中がいっせいに飛び出してくる、そして私は思い出す、田池留吉あなたを思い出す、そして私はあなたの波動を感じ自分が救われたことを知る、この心の中に私はあなた、あなたは私、私はあなた、あなたは私、ああ私達はひとつ、その思いがこだまする、そんな体験を私はしていきます。 アルバートという名の青年に出会う、私はその青年が私が待ち望んできたアルバートそのものだということを知っていく、私の喜びはどれほどのものか、「アルバート、殺してやる」この意識達の喜びを私はこの心にいっぱい受けて優しい、優しいアルバートの中に帰っていきます。 優しいね、本当に優しい、ありがとう、ありがとう、アルバート、ありがとう、嬉しい、嬉しい、私は喜びです、もう言葉にならない思いの中に私は誘われる、二五〇年後の来世の思いが響いてきます。 これが現実です。今、来世に生きている、私にはこれが現実です。二五〇年後、アメリカニューヨークでお会いしましょう。どの方もどの方も約束を違わずにお会いしましょう。 アルバートのもとに私達はひとつです。私は再びそのことをお伝えします。 「すべてはひとつ、私はあなた、あなたは私」これが私達の合言葉です 「アルバートとともに」まさしくこれが私が私に書いたシナリオです。嬉しいです、自分に書いたシナリオ、私は忠実にそのシナリオ通りの道をこれからも歩いてまいります。 私は来世黒い肌で生まれてきます。差別社会の波をもろにかぶり壁にぶつかりどうにもならないその中で苦しみます。境遇を恨み母を恨み自分を恨みそして疲れ果てもうこれまでと思ったとき私はあの目と出会います。その瞬間肉を飛び越え喜びに満ち溢れる、アルバートの肉を通しそして私の肉を通しその喜びが溢れ出す、社会の常識も慣習も何もかも私達の間にはない、あるのは私達はひとつ、アルバートのもとにひとつだったという喜びです。この喜びは全世界、全宇宙を瞬く間に駆け巡ります。荒廃したアメリカその他この地球上の各地からそして宇宙の彼方からアルバートを目指し意識達が集ってきます。 様変わりした地球に再び肉をもらってくる喜び、肉の再会の中で心から噴き出すこの思い、私はしっかりと受け止めていきます。肉は何ほどのものでもなかった、でも肉があればこそ感じられた世界です。この波動の世界に思いを馳せ今世の私も来世の私もそして過去からの私もみんなひとつになって歩いていく、それが意識の世界の真実でした。 「アルバートとともに」まさしくこれが私が私に書いたシナリオです。嬉しいです、自分に書いたシナリオ、私は忠実にそのシナリオ通りの道をこれからも歩いてまいります。 田池留吉を思うときそしてアルバートを思うとき、私の心から例えようもない思いが込み上げてきます。ともに生きともに存在する喜び幸せの中をこれからもただ進んでいくだけです。本当にありがとう、ありがとうございます。 肉を離していった瞬間にまっさかさまに落ちていくのが私達の現実です。 肉を離していった瞬間にまっさかさまに落ちていくのが私達の現実です。肉を持っていてもそういう状態だけど肉でそれをカモフラージュしているに過ぎないということです。そして肉すなわち頭でなく本当に心で分かっていなければ、肉を離して田池留吉をアルバートを呼ぶのは甚だ難しい、それもまた現実です。その現実を踏まえてしっかり学んでまいりましょう。 今肉を持って素直に田池留吉をアルバートを呼べない人は瀕死の状態です。そんな人が肉を離せば地獄も地獄、本当に何も分からない状態、もう苦し過ぎて田池留吉を呼ぶとかアルバートに心を向けるとかそんなことは絶対にできないです。 波動です。田池留吉が私達に残してくれるのは波動です。田池留吉のそしてアルバートの波動を心でしっかりと分からなければ形は学んでいるようでも学んでいない、それがこれから形の世界ではっきりと現れてくると思います。どんなに私は正しい、私は間違っていない、私はやってきた、私は分かっている、そう主張しても、波動を心で感じてそびえ立つ己を感じ私は間違っていましたと心から思えなけれぱ、その波動そのエネルギーはすべて自分に帰っていくことがよりいっそう火を見るよりも明らかになっていくのがこれからです。 自分のために生きる、肉を持たせてもらったことがどういうことなのか、これからのご自分を通してその心で学んでいってください。 日本各地で世界各地でそして宇宙で喜びの爆発が日常茶飯事に起こってくる、UTAの世界が形の世界を通して私達の前に現象化してくる、今その兆しはあちらこちらであります。 日本各地で世界各地でそして宇宙で喜びの爆発が日常茶飯事に起こってくる、UTAの世界が形の世界を通して私達の前に現実化してくる、今その兆しはあちらこちらでありますが、それはその予告編みたいなものです。これから人類が体験するものはそんなものの比ではありません。 肉としてとらえる限り本当に悲惨でそれこそ神、仏もあるものかという状況でしょう。 でもそれでいいんですね、それしか真実を伝える術はありません。真実に目覚め本当の自分を取り戻していく道を人類は自ら選んでいきます。それがUTAの世界です。自ら設定してきた中でようやく真実に目覚める意識達、その喜びをともに喜び合えるこれからです。 私は心にアルバートを感じアルバートを信じる意識です。私のこの思いは私の中で揺らぐことなく自分自身の来世に繋いでまいります。アルバートがこの波動が全世界に全宇宙に流れていく様を二五〇年後の来世自分の心で体験できます。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう、お母さんありがとうございます、肉を慈しみながらすべての意識達とともに存在している自分自身にありがとう、です。 アルバートの実在とそれを確信する道、私はそのことにほんの少しだけ早く目覚めました。それが私の計画してきたことでした。私はその道を淡々と歩きます。そして私はこの喜びをこの肉とともに存分に味わってまいります。私は喜びそしてこの肉もまた喜びです。 今世自分自身に与え残された時間可能な限りアルバート、アルバート一直線に思うことに使っていってください。それでも意識の転回はそう簡単なものではありません。 刻々と過ぎゆく時間の中で自分を振り返りそして今を感じている、本当に幸せだと思います。アルバートと自分、その道を確立していくことが幸せ、本当の幸せと喜びです。何度も思ってきましたがこんな幸せで安らぐ時間を自分に用意してきたことがただただ嬉しいです。 肉の渦の中で人生の大半を過ごす一生、そして大方の方は晩年になって我が人生を振り返っていきます。肉はそれなりのものを手にしてもこれでよかったと心の底から思えない何かを感じる方がほとんどだと思います。それが肉の一生、儚く自分の中をときが過ぎていく、真実を知らぬまま肉を終えていくことに何とも言えないものを感じます。 どんなに己が偉くどんなに愚かでもまたどんなに汚くてすさまじい自分をさらけ出しても、そんな自分と出会えるチャンスに恵まれた私達は最高に嬉しいですね。そのような自分を知り自分自身とともに帰れる、帰るところを知っている今世の私達は本当に幸せだと思います。心を田池留吉にアルバートに向けるということを伝えてもらっている私達は最高に幸せです。 だからもう肉で何も望む必要はないではないですか。これ以上の幸せも喜びもありません。今世自分自身に与え残された時間可能な限りアルバート、アルバート一直線に思うことに使っていってください。それでも意識の転回はそう簡単なものではありません。しかしその手立てを知った今世ただただこの道を一歩一歩進んでいってください。 他力のエネルギーをしっかり握りながらそしてそびえ立つ心ではアルバートは絶対分かりません。 アルバートを感じ、アルバートを信じ、アルバートとともに歩いていくということをどのようにとらえておられますか。これを間違えればいくらセミナーに集い反省瞑想の毎日を過ごされても、学びの本筋から大きくずれていることになります。そびえ立つ立派なご自分では到底自己供養はできません。そういう方は田池留吉に対していくら好感度が高くてもすべて肉です。自分に冷たいあなたではアルバートの波動の世界は分かりません。自分を自分で包めなければすなわち自己供養が滞っていれば、いくら喜びだ、嬉しい、アルバートとともにと勢い込んでもそれはこの学びからずれています。 そびえ立っている自分自身に気付くことです。私達は一人残らず田池留吉を殺しにやってきた意識です。アマテラスその他、他力の神々のエネルギーをいっぱい心に詰め込んで今世田池留吉の目の前に肉を持って生まれてきたのが私達です。 「田池、殺してやる。アルバート、殺してやる」と叫んでいるあなた自身の思いにどうぞ心を向けていってください。 私はそんな自分自身をしっかりと心で感じそしてその私とともにこのアルバートの道を歩いていけることにただただ喜びと幸せを感じています。そんな意識達の喜びが私のこの心に響いてきます。 他力のエネルギーをしっかり握りながらそしてそびえ立つ心ではアルバートは絶対分かりません。そこから自分自身を解き放して初めてアルバートの温もり、広さ、すなわちアルバートの波動が感じられる、どうぞ素直になってそのことに早く気付いていってください。 田池留吉をアルバートを殺しにやってきたたくさんの意識達、心を繋いでくれた意識達にただただありがとう、です。 お母さん、ありがとう。たくさんの母達の思いが私の心を繋いでくれました。今世田池留吉と出会えるように繋いでくれました。私はその思いを感じます。お母さん、ありがとう、ありがとうございます。私は必ずこの心を繋いでまいります。どんなにしても分からなかった、どんなに求めても分からなかった、だけど私は今あなたの思いを心に感じている、この温もり、この波動、お母さん、ありがとう、ありがとう・・。 母の温もりとアルバートの波動、動かしようのない現実です。苦しみ、間違い、そして狂い続けてきた私が今世ようやくこの世界が自分の本当の世界だということに辿り着けました。抱えているエネルギー、広げてきたブラックパワーはセミナーに集うどの方にも引けを取らないでしょう。いえそれ以上かもしれません。しかし私は変わりました。本当に変わりました。母の思いを知った、母の温もりを本当に知りました。 田池留吉を思いアルバートを思える、優しい私を感じている、今私は本当に幸せです。田池留吉をアルバートを殺しにやってきたたくさんの意識達、その意識達が喜びを伝えてくれていました。私はそのことを今世この肉を通しはっきりと感じています。嬉しいです、そんな私とともに真実の喜びの道を歩いていけることが嬉しいです。心を繋いでくれた意識達にただただありがとう、です。母の温もりをそしてアルバートを心に抱えている私はもうそのエネルギーに翻弄されません。ただこの道を歩いてまいります。 立派なあなたが母の前に田池留吉の前にアルバートの前に立ち塞がってきた、こんな簡単なことももう分からなくなってしまいました。 どんなに最上級の肉であっても所詮肉は肉です。アルバートを知りアルバートとともに歩く意識であることに目覚めた私にとって肉とはそういう程度のものになりました。こだわりが薄れてだから心が自然に軽くなっていく、そしてそんなものとは雲泥の差の喜びと幸せが現実私の心にあったことを知りました。 ところであなたは真っ直ぐに田池留吉の目を見ることができますか。あなたの心があぶり出されてきます。そのあなた自身を優しく、優しく本当に愛しい我が子のように抱きかかえられますか。田池留吉を思いアルバートを思うということは自分自身を思うということです。だから私は田池留吉を思いアルバートを思うことがただただ嬉しいです。私自身と出会えるからです。分かりますか。あなたの欲を満たすためそして己を表すためにアルバートを呼んでもアルバートは響いてこない、アルバートはただその間違いに気付いていってくださいとあなたの心の中で待ち続けているだけです。アルバートの波動を感じられないようにしているのはあなた自身です。 立派なあなたが母の前に田池留吉の前にアルバートの前に立ち塞がってきた、こんな簡単なことももう分からなくなってしまいました。そのあなたを崩していってくださいと伝えています。田池留吉そしてアルバートすなわち本当のご自分はそのことだけを待ち続けています。田池留吉のアルバートの波動と出会うために肉をもらってきた私達の思いをどうぞ素直に真撃に受け止めていってください。 あなたが生きているのではありません。あなたを生かしているエネルギーが存在します。肉持つとそのことが分からなくなりました。 あなたが生きているのではありません。あなたを生かしているエネルギーが存在します。肉持つとそのことが分からなくなりました。己を誇る思いがどこからくるのか、すべて自分自身を知らないということです。 セミナーに集う人達だけがアルバートの道を歩いているのではありません。肉を持たせてもらったどの方もどの方もみんなアルバートヘ帰る道を示されています。ただそのことを知らない、気付いていないだけのことです。だからこの学びを盾にとって相手を見下げ責めるというのは間違いです。自分自身がこの道に出会えたことを喜んでいけばいいだけです。 しかしセミナーに集っているから私はアルバートの道を歩いている、必ずしもそうではないことはもうご承知だと思います。全く逆方向あるいはその方向が大きくずれているのにまだ気付いていない可能性はあります。そうであればセミナーに集っていない方と大して変わりはないあるいはもっと状況は悪いかもしれないということを私はお伝えします。現状を知るということは非常に大切です。肉はごまかせる、騙せる、だけど波動は騙せません。 またチャネリングができるとかそんなことはそう大したものではありません。心を見ることにいくらか役立つかもしれませんがそれも母の温もりをしっかりと感じていなければ、その意識そのエネルギーに翻弄されて苦しいばかりです。チャネラーという肉を選んできたのに自分の苦しみを自分の中で処理してこなかったことをどのように思っているのか、そのところに立ち返っていくことも大切だと思います。 UTAまさにこれからUTAの世界が展開される、ともに宇宙を広げていきましょう。ともに宇宙へ帰っていきましょう。これが私達が定めてきた流れです。意識の流れ、その流れの中をともに歩いていくことが私達の喜びです。 私は今この者の肉を通し私の思いを語らせて頂いています。私の中に三億六千年よりもっともっとはるか昔、遠い遠い思いが広がっています。この世界、この時間を私はずっと存在し続けてきました。そして今世ようやく待望のこの波動の世界、田池留吉と出会わせて頂きました。私のこの喜びを繰り返しお伝えしています。今世の出会いそして目覚め、私は心から喜びです。田池留吉、あなたは宇宙です。そして私も宇宙、私ははっきりそのようにお伝えすることができる、私の中の宇宙が広がっていきます。ともにある喜びと幸せ、どこまでも私の中は広がっていきます。 ちっぽけな肉を持たせてもらって私はようやく自分の間違いに気付かせて頂きました。田池留吉との出会いにより私は私自身の道を知ることができました。私の中にUTAの世界が広がっていきます。とても嬉しいです。宇宙の喜び、宇宙が喜んでいる、そのことを感じます。 UTAまさにこれからUTAの世界が展開される、ともに宇宙を広げていきましょう。ともに宇宙へ帰っていきましょう。これが私達が定めてきた流れです。意識の流れ、その流れの中をともに歩いていくことが私達の喜びです。 田池留吉、アルバート、そしてお母さん、それは私達が帰っていくふるさとでした。 心で感じたものを信じていく、これがこの学びの基本です。そして心で感じることができるチャンスはセミナー会場をおいて他にない、セミナーが開かれている今しかないということです。 心で感じたものを信じていく、これがこの学びの基本です。そして心で感じることができるチャンスはセミナー会場をおいて他にない、セミナーが開かれている今しかないということです。セミナー会場に集えることがどれだけ幸せであるか本当に肉を持たせてもらったことの喜びと幸せが心に広がってきます。その思いだけでいい、後はすべて欲です。何度も言います、アルバートを呼ぶその先は何もありません。何もないんです。ただアル バートを呼ぶアルバートを思うだけです。 またアルバートの波動を感じていけばいくほど自分が見えてきます。だから私は素晴らしいとか選ばれた意識とか特別とかそういう思いにはなれません。心に響いてくるのはただただ喜びだけです。アルバートを感じれば感じるほど喜びがそして今どれだけ自分は幸せかということが伝わってきます。なぜならば私は自分を知っているからです。地獄の奥底から生まれてきた自分を知っているからです。今アルバートを感じアルバートを信じアルバートとともにある私自身がどれだけ幸せであるのか、私はここのところを本当に心で感じています。私は私を認めています。だから幸せなんです。両手を広げて待ってくれていた自分自身を感じているから私は幸せなんです。 出会っていってください。本物の世界に本物の波動に出会っていってください。本当にアルバートの世界を知っていってください。 肉としてはいい人であっても、自分が生まれてきた意味を知らないということは自分にとって一番冷たいんです。社会はそんな流れの中にあります。 異語を交わす、その時々の思い、感想、体験を語り合う、そんな仲間がいてともに学んでいくことはいいことだと思います。でも忘れないでください。どんなときもアルバートと自分です。自己を確立していく、アルバートとともに生きるということはそういうことだと思います。 私達は今肉を持ち何らかの繋がりを得てその中で生活をしています。しかし肉を持ったのはその繋がり、絆を深めるためでも何でもなくただ自分と出会うためにそういうものを用意してきただけのことです。人としての情も生まれますが、そこに埋没しては本来の自分が見えなくなってしまいます。肉としてはいい人であっても、自分が生まれてきた意味を知らないということは自分にとって一番冷たいんです。社会はそんな流れの中にあります。 社会の流れの中で自己を確立していくことは難しいことだと思います。しかし私はそうではありませんとお伝えします。アルバートの実在を心で感じたならばそれはあなた自身が立証できることだと思います。 本当の喜び本当の幸せとは何か、絶えず心で確かめながら肉の時間を過ごしていってください。そういうことを自分に問い掛けながらそしてアルバートに心を向けることをしていける私達は本当に幸せ者だと私は心からお伝えします。 永遠の今を生きる、ともに生きる、本当の喜び、本当の幸せの中に存在し続ける私でした。 確かに今私の肉の環境は整っています。取り立てて何の悩みも問題もありません。私自身、こうなりたいああなりたい、こうあらねばならない、これが欲しいあれが欲しいという思いが全くないという訳ではないけれど薄いのも確かです。 私は私に用意してきたこの時間と空間を充分に満喫しています。自分の中に戻っていける時間、空間を肉を持って味わっていけるほど幸せなことはありません、私はそう思っています。 私の意識の世界は確実なものを感じています。それは揺るぎない世界です。肉で凝り固まった心にこの肉はその私の世界に付随しているもので意識の世界の私に「はい」と言えることが幸せなんだという思いが浸透してきます。だから肉の中にあってその中でどのように生きていこうかという感覚、思いはもうありません。肉を持って今というときを自分に与えその中で私の歩いていく道をはっきりと知った、この現実を前にして私の心は本当に嬉しいって語っています。 永遠の今を生きる、ともに生きる、本当の喜び、本当の幸せの中に存在し続ける私でした。今世の肉、来世の肉、もちろん私の中では幸せ、幸せ、喜び、喜びです。三次元をこの地球を慈しみながらの三〇〇年、ただただありがとうしかありません。 これからの私を思うときそれはもう喜びです。過去からの私すべてが喜びです。ひとつの肉を頂いて私が私にようやく伝えることができました。私の中のみんな、お母さんありがとう、その思いを伝えてきています。 意識、波動の世界だと言っても肉がそこにあれば肉の世界です。そういう過ちを何度も繰り返してきたのが私達です。今世もその間違いをまだやり続けていこうとするのでしょうか。 今は反対の方を向きながらアルバートを呼んでいても必ず気付けるチャンスがやってくる、肉の現象を通して心で気付けるときがくる、それを待つ以外にありません。心で気付かない限り私は間違っていましたと心で気付かない限り、前には絶対に進めません。心を変えていきたい、生まれ変わりたいとどんなに肉のあなたが思ってもそれは叶いません。なぜならばすべてが肉基準だからです。みんな欲だからです。 もっと真摯に自分と真向かいになっていってください。学んできた年月は長いかもしれません。またやってきたという思いはあるかもしれません。しかしそれが肉基準ならば全然違うんです。意識、波動の世界だと言っても肉がそこにあれば肉の世界です。そういう過ちを何度も繰り返してきたのが私達です。今世もその間違いをまだやり続けていこうとするのでしょうか。そういう点で難しいです。だから素直ということ、真摯にということ、とても大切です。 どうぞセミナーがある間に気付いて確認していってください。それを丹念に繰り返していってください。それでも心癖はすぐに出てきます。感じたから分かったという方向に心を向けていくのではなく、感じたものを育てていけるあなたであってください。繰り返し感じていけるチャンスに恵まれていることを喜んでいってください。二五〇年後に心を繋いでいくという観点からともに学んでまいりましょう。 私は幸せです。私を信じられる私は幸せです。だから私はどんな私であっても受けていける、受け止めていけることが喜びです。 私は幸せです。私を信じられる私は幸せです。だから私はどんな私であっても受けていける、受け止めていけることが喜びです。温もりを感じ優しさが広がっていきます。 間違いだらけ苦しみだらけだったのはどの方もどの方もみんな同じです。ただ私はその間違いだらけ苦しみだらけの自分を許しています、認めています、受け入れています。そして本当の私自身を知った、だから信じていくことが喜び、信じられる私は幸せだということです。 私は肉を信じていません。肉は所詮肉であり愚かです。しかしこの肉を通して感じ広げていける世界がありそれが私であり、その私はこの肉に対してただただありがとうの思いを伝えています。肉に私の喜びを伝えています。私はそんな感じでこの肉をとらえ肉の世界を見ています。そういう意味では、肉を信じていないと言ったけれども、アルバートがある肉は違うということを付け加えておきます。 私は幸せです、満たされています、田池留吉とともにアルバートとともにある私は本当に満たされています。肉を表す必要も誇る必要も認めなさいと言う必要もありません。その幸せで満たされているのがとりもなおさず私自身だからです。この感覚、私が言おうとしていること、すべてはあなた自身が心の転回を進めてくれなければピンと来ないと思います。どこかズレが生じていることだろうと思います。でもいつかは分かってくれる、ああそういうことだったのかとあなた自身の心にすーっと入っていくことだろうと思っています。 肉の私ではなく肉を通し語る私が私です。そうですそれが私には現実です。 この肉を通して語る私、その私を感じるとき肉はそこにはありません。肉の私の存在はありません。そして間違いなく今肉を通して語っているのが私だと私ははっきり分かります。私自身を語るときこの肉はただ単なる器そしてスピーカーだと感じています。 田池留吉、私はあなたを待っていた、お待ちしていました。これが私の率直な思い、心の底からの思いです。田池殺してやる、田池を殺しにやって来た、田池なんかに心を向けるな、田池留吉に心を向けることにあれほど抵抗していた私が今田池留吉に心を向けられることがこんなにも嬉しい私となりました。田池留吉を殺しにやって来た私は喜びです。私はあなたの宇宙の中にいる、そのことを今世知って私は本当に嬉しいです。 私の中の宇宙が変わっていく様を心で感じています。ルシフォーそしてそれ以上のエネルギーの大きさを私の中で感じます。喜んでいます。喜びが伝わってきます。そしてそれらはすべてお母さん、ありがとうございましたと伝えてきます。淡々としかし心からお母さん、ありがとうございましたと伝えてくる意識達の喜び、しっかりと感じています。 悠久のときを経て存在し続けている自分というものを心で感じられる、それが波動の世界の醍醐味です。今肉を持ちそれが現実のものとなっている、肉の私ではなく肉を通し語る私が私です。そうですそれが私には現実です。 肉のあなたではなく意識のあなた自身をどうぞ信じてあげてください。優しいあなた自身を感じてあげてください。 闘い続けてきた私に今世最後のチャンスを自ら与えました。今世が最後です。私はそのことを深く感じています。過去より歩んできた道そして今世の肉の時間を振り返るにつけまさにラストチャンスです。 今、私の中に穏やかな穏やかな世界が広がっています。こんな幸せな人生を用意してきたんですね、本当に嬉しいです。私自身を心で知っていくとき、私は母の温もりを求めてきた、そして母の温もりに帰りたかったと素直に言える私がいます。私はそれだけでした。そのために今世のこの肉をこの時間を頂いてきたことを思うと、もうただただ幸せです。 社会の波に乗ってうまく人生を泳ぎきろうと奮闘努力しなくても肉は自然に喜びを幸せを感じるものでした。本当の喜び本当の幸せを感じた今、意識の世界の喜び幸せがそのまま肉を包み込んでいることを感じます。肉の現象はみんな田池留吉と出会いアルバートを知る方向を私に指し示してくれていました、だからすべてが必要でした。そしてその唯一の目的を達成するためにみんな繋がっていたことを感じます。 私達は自分のために生きる時間を用意してきました。それが肉の時間です。その中で自分と出会ってそしてアルバートを知っていく、それ以外に優先するものは何もありません。どれほどの思いを込めて肉をもらってきたか、それはアルバートと出会えば明白です。肉のあなたではなく意識のあなた自身をどうぞ信じてあげてください。優しいあなた自身を感じてあげてください。 私は自身の心の体験を語っています。だから言を左右にすることはありません。アルバートの世界そして田池留吉の宇宙に心で触れてみてください。 肉の私と意識の私、その差は歴然としています。以前はそれに違和感を持っていましたが、今はそれもなくなりました。漠然としていた意識の私という存在を今はしっかりと感じているからです。これが私、この世界が私だと実感しているから、肉は肉の世界は本当に取るに足らないちっぽけな世界です。五官を通し入ってくる肉の世界に心が揺れることは仕方がない、肉を持っている以上やむを得ません。しかしそんなものに私はとらわれていません。すーっとその前を通り過ぎていくような感覚でいます。 そんなことよりも私はそうです、田池留吉の宇宙の中にあったんです。アルバート、田池留吉の宇宙を心で感じ私の中に広げていく、私の中で広がっていくこの世界こそが私です。そんな私が肉をもらいました。だから肉は肉としての役目を粛々と遂行していけばよかっただけのことでした。 私は肉をそのように見れるようになりました。肉そのものには何の価値もありません。しかしそれを媒体にして波動の世界を感じ本当の喜びと幸せを感じ合える、そのために肉を使えることが素晴らしいと私は思っています。 私は自身の心の体験を語っています。だから言を左右にすることはありません。アルバ ートの世界そして田池留吉の宇宙に心で触れてみてください。心で分かる以外ありません。一人でも多くの方がその体験をしてくださればと私は思います。 心から心の底からお母さんを呼んでいる、お母さんを求めている、その思いが突き上がってくるとき私は例えようもない喜びの中にある自分を感じています。 心から心の底からお母さんを呼んでいる、お母さんを求めている、その思いが突き上がってくるとき私は例えようもない喜びの中にある自分を感じています。肉の私はもとより私が作り上げてきた世界なんて音もなく崩れていく、その温もり優しさ波動の世界の奥深さが心に染み渡ります。 幸せ、喜びの中に抱かれている、波動の中で感応しあう心と心、もう言葉は要らない、何も要らない、私とあなたはひとつの世界を感じます。 アルバートが分からない人に本当の愛は分かりません。本当の優しさも幸せも喜びも分かりません。肉にまみれた愛、優しさ、幸せ、喜び、それらを追い求めてきた三億六千年、私の中でその歴史が終わりを告げます。帰ってきなさい、私はその呼びかけをはっきりと心で聞いています。田池留吉そしてアルバートの世界を心に広げ私は私自身に目覚めさせて頂きました。波動の世界に生き続けている私自身をはっきりととらえています。だから三億六千年を含む宇宙が私の中でどんどん変わっていきます。嬉しくて嬉しくてたまりません。こんな幸せであっていいのかと思うほどの幸せです。こんな中に私はずっと生かされてきた、生かされている、そしていつもあなたがいます。ともに歩いていきましょう、ともに生きていきましょう、そう伝えてくれるあなたを感じている私は本当に幸せです。ありがとう、嬉しい、幸せです、そう私はお伝えします、心からお伝えします。 真実の波動の世界を知らない、感じていない肉の人生はどんなに空虚なものか、それなりの満足感はあってもそんなものはうたかたです。 思うだけで幸せです。思えることが幸せです。この波動の中にいる、お母さん私はあなたの中にいます。お母さん、ありがとうございます。本当にありがとうございます。私は幸せです。間違って間違い続けてきたけれどお母さん、私は今本当に幸せです。 何にも代えがたい波動の世界を感じ広げていける、肉を持って今というときを与えました。幸せです、本当に幸せです。目を閉じて思う、心を向ける、合わせる、幸せなときを自分に与えています。みんな自分でした。幸せだと感じるのは私の心でした。どんなに人に物にお金に埋め尽くされても自分というものが分からなければ本当の幸せも喜びも分かりませんでした。私がいてくれれば私は幸せでした。心から知りました。過去からの私と来世の私がそのことを伝えてくれました。だから私には分かります、来世の私がどれだけの幸せ、喜びの中にあるかが分かります。 田池留吉を思う私は幸せです、アルバートを思う私は幸せです、そしてお母さんに心からありがとうございましたと言える私は本当に幸せ、嬉しいです。 真実の波動の世界を知らない、感じていない肉の人生はどんなに空虚なものか、それなりの満足感はあってもそんなものはうたかたです。みんな知っている、過去よりずっと生き続けてきたから知っています。 どうぞ今というときを大切にそしてともに喜びを広げていきましょう。心でアルバートを知っていってください。 田池留吉の宇宙、確かに心に感じている波動の世界です、私の中の宇宙が喜んでいるのが分かります。私が広がっていくのを感じます。 田池留吉の宇宙、確かに心に感じている波動の世界です、私の中の宇宙が喜んでいるのが分かります。私が広がっていくのを感じます。嬉しい、嬉しい、ありがとう、ありがとう、お母さんありがとう、その言葉その思いしか出てきません。懐かしい、ここはやっぱりふるさとですね、そんな世界をやっとやっとこの肉を通して私は今感じています。 田池留吉を思うと嬉しいです。そしてその肉を通し田池留吉の宇宙を感じている私は幸せです。肉を見ても嬉しいという私のこの思いは決して肉の次元のものではありません。もっと次元が高いということをここで伝えておきます。だから私はただ喜びです。田池留吉の肉と出会いその宇宙を心に感じている私にとってその存在そのものが喜びです。 田池留吉を肉として見る限り真実の世界は分かりません。確かに肉からもその優しさは感じられます。しかしそんなものではありません。田池留吉の宇宙、田池留吉の世界、本当の世界を感じ広げていくにはやはり肉、肉の心では不可能です。そこで田池留吉に対する好感度です。それはもちろん肉を含みますが含むというだけであって私が言っている好感度はそういう類のものではありません。私はあなた、あなたは私の世界の好感度です。だから私にはそれを語る必要は本当のところないんです、なぜならば私達はひとつだからです。 どんなにすさまじいエネルギーを培ってきても今私はその宇宙が私自身が喜んでいることを感じているから、アルバートを待ってきた私自身を強く感じているから、私は田池留吉を思えば嬉しいだけです。 私はこれより三〇〇年、地球上で肉を頂いてきた歴史の終わりに向けて自分の中でただただ田池留吉にアルバートに心を向けてまいります。 私は本当の自分、真実の波動の世界を感じていけるこの時間と空間を自分に用意してきました。そして今まさにその喜び、幸せをどんどんどんどん広げ感じていっています。肉 の私などもうどこにもありません。確かに肉をもらい今存在しています。しかし私の中の思いはもうはるかはるか未来を見ています。過去よりの私とともに未来を感じ幸せを喜びを広げていけることを私は心から感じ信じています。 ただただありがとう、です。本当にありがとうございますと私はこの肉にそう伝えます。そしてこの肉に与えられている時間、肉も喜びそして幸せを広げていくことを私は自分に約束してきました。肉は幸せです、肉も幸せです、肉も喜びです。それが本当の肉の人生です。 私はこれより三OO年、地球上で肉を頂いてきた歴史の終わりに向けて自分の中でただただ田池留吉にアルバートに心を向けてまいります。肉を持たせてもらう二五〇年後の来世の思いが私の中で響いてまいります。今世の肉から来世の肉へのバトンタッチを私はしっかりとしてまいります。すべては四次元へ向けての道、もう本当に嬉しいです。愚かにも宇宙を支配しようと我一番のブラックパワーを流し続けてきた私でした。そしてまた愚かな肉に埋没してきた私の心、待って待って待ち続けてくれてきた真実の私とともに私はこれからも歩いてまいります。 宇宙はひとつです。そのひとつの宇宙の中にあるのが私達だということをどうぞ心で分かっていってください。 私達は今一堂に会して学びを進めています。しかしみんな一斉にその足取りを揃えることは不可能です。チャンスは今までみんな平等にありました。大半の方は十年、二十年学ばれています。みんな同じ時間を持ってきました。その中でいかに真剣に学びに取り組んできたか、それは各々です。今その結果が出ようとしています。いつまでも己高く我流で学んでいる方とそこから気付いて本道を歩みかけている方とそれははっきりと別れてきます。みんなご自分が選んでいかれることだから私がとやかく言うこともないのですが、私自身の思いとして、波動の世界をもっと深く感じられる方は感じていってくださいというのがあります。つまりはアルバートそして田池留吉の宇宙、この波動の世界を本当に心で感じそしてご自分の中の宇宙を供養していってほしい、今世その可能性の大の方にもう少しそのチャンスをという思いがあります。 私達は肉の学びをしているのではありません。そして流れの中にあるのが私達です。その流れの中で本当に目覚める方が一人また一人と出てくればそれがすなわち私達にプラスなんです。決して肉のその人でなく、流れの中の意識の目覚めであることを分かってください。私にはあの人この人の区別はありません。ただ予定とか流れを感じているだけです。宇宙はひとつです。そのひとつの宇宙の中にあるのが私達だということをどうぞ心で分かっていってください。 心に感じるところはあってもそれを信じその信を深めていくことが難しいです。心のどこかで肉の何かを握っている限り波動を感じていると言ってもその程度です。それで感じた、分かったの世界ではないことを知っていってほしいと思います。 私は特別ではありません。私も今肉を持っています。そして肉の思いも強いと思います。しかしそれよりも私は心で感じたこの波動の世界が自分だということを信じている、アルバートの実在を確信している、ただそれだけです。 肉を外してくださいと伝えています。肉を外してそしてこの波動の世界を本当に心で知って味わっていってください、私はそうお伝えしたいです。それは私自身が心で感じその喜び幸せを実感しているからです。波動の世界の素晴らしさを心で感じ入ってくださいというのが私の思いです。私にはその他の思いはありません。ただアルバートの波動その温もりその優しさ、そして田池留吉の宇宙、それを心で感じ広げていくには肉の自分をしっかりと握ったままではだめだということも並行してお伝えしなければなりません。心に感じるところはあってもそれを信じその信を深めていくことが難しいです。心のどこかで肉の何かを握っている限り波動を感じていると言ってもその程度です。それで感じた、分かったの世界ではないことを知っていってほしいと思います。 何度も言います、私は特別ではありません。しかしアルバートを求めてきた思いは強い、強い自分であったことに私は気付き、素直にその思いを広げてきただけのことです。だからアルバートと出会えた今世、田池留吉の宇宙を心で感じられた今世、もう肉をどうこうする思いなどありません。 私はこの波動の世界を心で感じるために今世の肉を頂いたということをはっきりと心で感じています。 私はこの波動の世界を心で感じるために今世の肉を頂いたということをはっきりと心で感じています。肉はそのためにあることをこの心ははっきりととらえています。そしてアルバートの実在を確信してこそ肉も喜びで幸せであると断言できます。ただ単なる肉の喜びと幸せは苦しみに繋がっていく、ということは本当の肉の喜びでも幸せでもないということをもう私は充分学習済みです。 私は今肉を持っていて確かに肉の思いも強いけれど、肉にこだわる思いは薄いです。私は肉をつかんでいません。それは冒頭にもあるようにこの肉を頂いてきた意味を自分の心ではっきりと感じているからです。 肉の喜び幸せを求めるのが悪と言っているのではなく、そんなものは求めなくても自然に感じられるものだということを知りました。波動を感じる、アルバートを感じる、田池留吉の宇宙を感じる、そしてその信を強くしていけばそれは心で分かることだと思います。 波動の世界を感じて私はただただ喜びです。もっと感じたい、もっと広げていきたいという思いはありません。感じられることがもう喜びなんです。アルバートの世界は田池留吉の宇宙はそういう世界です。もちろん肉も幸せで喜びです。本当の喜びと幸せは意識と肉がひとつだからです。私はそのことを今世証明できる、そして肉の喜びと幸せを追い求めその錯覚の中に埋没してきた心を私はようやく解き放つことができました。それが今世私が私に設定してきた肉の人生だと感じています。 母の温もりを感じた心はもう何も要求しません。それが本当の私達の心です。しかし肉を握ったままではどんなにそうだと頭あるいは肉の心で納得しても、真実の世界を本当に心で知っていくことは不可能です。 心に染み付いたアマテラス、アマテラスを神としてきた思い、そんな中に浸り切ってしまっているから通り過ぎてきた今世だけを振り返っても、心の片隅のどこかに私はよくやってきた、やってこれたという思いが残っています。私はみんな間違ってきましたというその思いになり切れない、いわゆる肉の自分を正当化する思いが残されている、そうである以上心の転回は難しいでしょう。心の転回を進めて初めて真っ黒な中で悪戦苦闘してきたものがみんな肥やしになっていたということが感じられると思います。そういう過程を経なければ悪戦苦闘して生きてきた自分にどこか自己満足、自己陶酔して心を見ていくことは難しいことだと思います。 肉を持ってきた時代背景、育った環境、慣習、受けてきた教育、影響はないと言えませんがやはりそこから自分を解き放していかなければ真実はまだ見えてこないことを感じます。 どんなに正論を唱えても母の温もりの前にはみんな崩れていきます。肉を本物としてきたこの心の中にお母さんあなたがいつもいてくれていた、苦しみ悲しみ寂しさつらさそんな中にいつもあなたがいてくれていたことを感じればただただありがとうなんです。母の温もりを感じた心はもう何も要求しません。それが本当の私達の心です。しかし肉を握ったままではどんなにそうだと頭あるいは肉の心で納得しても、真実の世界を本当に心で知っていくことは不可能です。 アルバートは実在します、すべての方の心の中にアルバートは実在します。アルバートとともに生きていく道をセミナーがある間に確立していってください。 今、田池留吉の肉を通しアルバートの波動と出会えている私は最高に幸せです。私の心には何もない、ただ嬉しいだけです。私達はひとつ、だからどんなに間違ってきてもみんな許されてきた、許されていることを心の底から感じています。アルバートは温もりです。母の温もりの中に包まれている幸せな私を感じます。 心ではっきりと感じるアルバートの存在です。アルバートを求めてきた私がようやくアルバートあなたに出会えています。待ち続けてきたあなたを今心ではっきりととらえている私の喜びはどれほどのものか、アルバートがすべてそうその表現しかありません。二五〇年後の肉と相まって私の心にその喜びが響いてきます。今世の肉を通しアルバートの世界を心に広げていける、みんなを包み込む大きな温もりの中にすべてを委ねていけるその幸せと喜びを感じている私自身です。 どうぞ素直になってアルバートを感じていってください。アルバートの実在を心で知っていってください。アルバートは実在します、すべての方の心の中にアルバートは実在します。アルバートとともに生きていく道をセミナーがある間に確立していってください。それが今世の私達の仕事です。それ以外に肉を持ってなしていくことは何もありません。一回、一回のセミナー、どうぞご自分のために大切に学んでいきましょう。ともに学んでいきましょう。 夫婦、親子は仲良く生活していくのが自然です。ただただ嬉しい、そこにそうやって肉を持って存在してくれているその存在が嬉しい、私はそうなってくるのが自然だと思います。 自分が歩いていく道その方向が見えなくては決して幸せだとは言えないでしょう。もっと言うならばアルバートが実在することを心で確信できなければ、その人の感じている幸せも喜びも錯覚に過ぎない、だから条件が満たせばすぐにひっくり返るということになると思います。また肉の喜び幸せもアルバートを感じ信じている肉が広げている肉の喜び幸せとはその中身が全然違うということも紹介しておきます。根底にアルバートがある肉の喜びと幸せは決して互いの肉を裏切りません。そんな必要がないからです。ただ、今は肉を持って存在しているというだけで互いに感じ見ているのは肉ではないからです。 アルバートの波動を感じアルバートの世界をどんどん心に広げていって、そんな方達が夫婦あるいは親子等々その肉の生活の中で本当の喜びと幸せを味わって肉の人生を終えられたら本当にいいのになあ、どんなに喜びだろうかと私はしみじみ思っています。せっかく縁があってそういう関係を持っているのにもったいないなあと思います。 夫婦、親子は仲良く生活していくのが自然です。過去世からの繋がり云々に転嫁していくのは愚かだと思います。それはあるかもしれません、あるでしょう。だけど本当にご自身が真実の世界を心で感じ広げられたらそんなものはちっぽけな世界のことだと分かります。ただただ嬉しい、そこにそうやって肉を持って存在してくれているその存在が嬉しい、私はそうなってくるのが自然だと思います。アルバートの実在を確信するということはそういうことです。 そびえ立つということはどういうことでしょうか。田池留吉の上に自分を置いているあるいは田池留吉を超えたいという自分を自覚なさっていますか。自分がそびえ立っていることすら気付かずに、波動の世界をアルバートをと言ってもそれは私が感じているアルバートの世界、田池留吉の宇宙とは全然違います。 そびえ立つということはどういうことでしょうか。 田池留吉の上に自分を置いているあるいは田池留吉を超えたいという自分を自覚なさっていますか。自分がそびえ立っていることすら気付かずに、波動の世界をアルバートをと言ってもそれは私が感じているアルバートの世界、田池留吉の宇宙とは全然違います。 どこが違うのか、それはあなたが感じている世界が肉基準だからです。いくら私と同じ言葉を連ねても違った世界は違った世界なんです。それはあなたがセミナー会場でアルバートに田池留吉の宇宙に心を向ければ歴然としてくるはずです。ただしそれにはひとつの条件が要ります。素直ということです。どこまで心を空にして何も考えずにアルバートを呼べるか、今までやってきたと思っている肉のあなたを外して赤子のようにアルバートを思えるかということです。そうしていったとき自分自身の間違いにはっきりと心で気付いていくことだろうと思います。 素晴らしいあなたを認めさせるためにセミナーがあるのではありません。自分の間違いに気付きそこから本道を歩いていけるようにと私達が望んで設定してきた今世の学びの場です。みんな間違ってきました。だから間違いだと本当に間違ってきましたと気付いて、またそこから一歩を進めてください。その真撃さが欠けていればいつまで経っても本道は歩めません。いくら波動の世界、意識の世界だと自画自賛しようとも心に広げている世界は決してアルバートの世界でも田池留吉の宇宙でもないということをお伝えします。 誰彼の区別がなく境目がない意識の世界を感じさせてもらえることは喜びです。すべての意識達がアルバートヘふるさとへ母の温もりへ帰りたいことを感じるからです。 言葉を言葉としてとらえるのではなく波動として感じていってくださいというのが波動のお勉強の主眼です。もちろん言葉では到底伝えられないものを波動として心でキャッチしていく、波動のお勉強ですから言葉など本来は必要ない、そして間違いも喜びもみんな喜びです。だから私はただ嬉しいだけです。ラジオに徹しているといくら言われても私自身もちろんそんな感覚すらありません。ただ分かっていることは、私は田池留吉をそしてアルバートを信じている、私達はひとつ、ひとつの喜びの中に存在している、だから私はその中で幸せだ、ということです。肉があって肉の思いが色々と出てしかし私は肉にとらわれていない、肉をつかんでいない、私が見ている肉の世界はそんな感じです。 一粒の温もりどころか自分の中に溢れるほどの温もりも優しさも広がりもあることを私は知っています。今世そんな自分と出会ってこれが私だと信じられる世界がアルバートです。アルバートの実在、その肉を含めて私には本当に現実です。何度も心で感じてきました。決して消えることのない心の体験、私の宝物です。 今私は本当に幸せです。田池留吉とともに学ばせてもらえています。ひとつを感じる私の心は喜びです。誰彼の区別がなく境目がない意識の世界を感じさせてもらえることは喜びです。すべての意識達がアルバートヘふるさとへ母の温もりへ帰りたいことを感じるからです。だから私は肉のあなたにただ素直になってくださいとお伝えするのみです。 自己を確立することが最も自分に優しいことを私は知りました。 確かに肉があってそこから出る思いがあり闇のエネルギーを抱えている、しかし私はもうそのエネルギーに翻弄されるということはありません。その全部を包み込む自分自身を知っているから感じ信じているから、そのエネルギーに翻弄されて自分を見失ったりすることはないです。自己を確立することが最も自分に優しいことを私は知りました。自暴自棄、自分を放棄していくことがどれだけ冷たいことか、しかしそれは波動の世界を本当に心で感じなければ分からないことです。そして母の温もりに出会ってその中にある自分自身に出会えなければ、いつまでも自ら作ってきたエネルギーの中に翻弄され続けていくだけでしょう。 私は真剣に本当に真剣に求めてきました。田池留吉の世界をそしてアルバートの世界を真剣にそしてただ一途に求めてきた、決して嘘偽りはありません。心に響く私自身の思いはそうです、私は欲で田池留吉もアルバートも求めていない、求める先には何もない、ただ私はこの波動の世界をずっとずっと待ち続けてきた、それだけです。だから私は今どれだけ嬉しいか喜びで幸せかということです。そして自分の心で感じている世界を大切に育んでいくだけです。後は何もいりません。何もいらないけれどある、周りを見れば確かに整っています。 私は意識の世界の喜び幸せを実感しています。だから肉も幸せなんです、喜びなんです。何があるから幸せで喜びではない、そしてここを外しては肉の幸せ喜びは成り立たないことをようやく知りました。 すさまじい他力のエネルギーの中に存在し続けてきた私達にとって本当に赤子のように無心に田池留吉をアルバートを思う、呼ぶということは大変難しいことです。それでも私はただただそのようにしていってくださいとお伝えすることしかできません。 あなた方の今世その肉は心を田池留吉にアルバートに向けるためにどうしても必要でした。私達は今世そのために肉を持ってきました、肉を持ってセミナー会場に集ってきました、そのことを本当に心で分かっていますか、心で感じていますか。私はその必然性というものを強く感じています。 今世という時間は肉の人生だけを展開していく時間ではありません。そしてその肉体時計には限りがあります。そのことと併せてどうぞご自分に与えてきた肉の時間を大切にしていってください。 すさまじい他力のエネルギーの中に存在し続けてきた私達にとって本当に赤子のように無心に田池留吉をアルバートを思う、呼ぶということは大変難しいことです。それでも私はただただそのようにしていってくださいとお伝えすることしかできません。そしてたとえ今世もまたどんなに間違い続けてきても、肉を離すその瞬間本当に心から田池留吉をアルバートをそしてお母さんを呼べたなら、それでその人の肉の人生、マルだと私は思っています。しかしなかなかそうはいきません。やはり心にしっかりしたものを確立していない限りすべては肉、闇の中に埋没していくのが現実ではないかと思います。 心の転回は難しいです。確かに難しいです。他力の神、その欲の渦の中から心を解き放していくことは難しいです。肉体細胞が病んでいればなおのことです。しかし私はその現実の中においても真実波動の世界を心で知っていってくださいとお伝えすることがそれが喜びです。 私は今この肉を通し私達の意識の世界を語らせて頂いています。これから二五〇年、三〇〇年かけてこの喜びをお伝えできることが喜びです。 三億六千年それ以上かけて培ってきたエネルギー、それはすさまじく膨大なエネルギーです。そのエネルギーを転回していく足がかりを何とか今世つかもうと田池留吉と出会いともに学びの場を設定してきた私達です。私は私達が今世このような学びの機会を持たせてもらったことが本当に嬉しいです、田池留吉にありがとう、です。心を見ていってください、見ていきましょう、と呼びかけてくれた田池留吉という存在にただただありがとう、です。私は意識の流れの中でそのことを痛感しています。 一人でも多くの方が本当の喜びと幸せに出会っていって喜び幸せの人生を歩いていってほしいという田池留吉の思いが伝わってきます。しかし肉から意識への転回はそう容易いものではなく、それにはまだ時間がかかります。意識達が目覚めるその時間が必要です。その意識達も何度かの転生そして天変地異を通しいつの日にかきっと気付いていかれることと思います。 私は今この肉を通し私達の意識の世界を語らせて頂いています。これから二五〇年、三〇〇年かけてこの喜びをお伝えできることが喜びです。もちろん私自身田池留吉にアルバートに心を向けともに心を見てともに歩いてまいります。 今世の出会いそして来世の出会い、それはもう喜びです。喜びへと変わっていける喜びの中に私はありました。だからもう嬉しい、ありがとうしかありません。ともにあることの喜びと幸せを感じています。 宇宙へ愛が流れていきます。だから想像を絶する天変地異が起こってきます。天変地異は喜びです。 目を開けていれば肉、肉です。しかし目を閉じればすっと田池留吉そしてアルバートの世界です。その差は歴然としています。 自分の中の宇宙が喜んでいる、宇宙は喜びです。私はこの喜びを伝えるために今世の肉を頂いたことをはっきりと感じます。アルバートの波動に触れアルバートの実在を確信する心に田池留吉の宇宙が広がっていきます。私が心に感じている世界は宇宙です。三億六千年を含む宇宙、その喜びが心にはっきりと強く伝わってくる、響いてくる、その私の心には肉の世界のことなど微塵もありません。ただただ宇宙は喜びです。宇宙が喜びへと変わっていく喜びが私の中に広がっていきます。今世肉を頂いて私は私の仕事をなしていくことが喜びです。私は今世の肉と同様来世の肉を頂く意味を心で知っています。肉が必要、喜びを伝えるために肉を頂く私は喜びです。 宇宙へ愛が流れていきます、だから想像を絶する天変地異が起こってきます。天変地異は喜びです。アマテラスの象徴この日本の国も崩れ消滅していきます。富士の山の喜びの爆発とともにアマテラスが崩れていくことが喜びです。 アルバートの波動の中、ようやく宇宙が変わり始めます。田池留吉の宇宙、その宇宙を心に感じ喜びの私自身を感じます。私は宇宙そして私は喜びです。 天変地異、それは波動です、アルバートです、喜びです。 天変地異、それは波動です、アルバートです、喜びです。肉持つ人間にとって天変地異は恐怖以外のなにものでもありません。生命その他すべてを脅かすものそれが天変地異、形ある世界に生きる人類の心にはそうとしか映りません。しかし波動の世界から見ればそれはもう喜びです。その喜びが天変地異の意識が伝わってきます。 天変地異、それは宇宙が変わっていくことだと捉えています。だから宇宙的規模の天変地異だとお伝えしています。ただ単に自然が崩れていくだけではありません。宇宙的規模の喜び、それが天変地異です。 嬉しいです。宇宙が変わっていける、その喜びの波動が天変地異を起こしていきます。天変地異へと心を向けるとそこにはアルバートしかありません。喜びしかありません。アルバートの波動の中でこの宇宙が変わってまいります。 私は今、肉を持ち心に田池留吉の宇宙を感じています。だから分かります、感じます。アマテラスもルシフォーもそしてもっと大きなエネルギーもこの宇宙に広げ宇宙を汚してまいりました。しかしそれらは本当にちっぽけな世界でした。田池留吉の宇宙、本当に申し訳ありませんでしたという思いが突き上がってきます。私はそんなちっぽけな存在ではありませんでした。 田池留吉の宇宙、それは私でした。私は田池留吉の宇宙、今そのように心で感じられることが喜びです。私達はひとつ、宇宙はひとつです。 波動の世界は肉の世界みたいに融通はききません。白は白、黒は黒、はいといいえがはっきりしています。そして道は真っ直ぐ一本道です。 つかんだものを離すのはその人自身だけど、つかんでいると心で気付くというか心で知らなければ離しようがない、その自覚がなければどうしようもない、そういうことだと思います。例えば己がそびえ立っているということも自分自身の心でそうだと感じてこなければ、いくら言われても決して納得はしないだろうと思います。 要するに心で気付かない限り何の進展もありません。また心で気付いてくればその波動が変わってくる、そしてそれ以外に確認する方法はありません。いくら肉で語ろうともどんなに感じているかを肉を通し表現しようとも、波動がすべてを物語っています。だから何も語らずとも通じています。喜んでいるか、本当に幸せを感じているか、自分の間違いに気付き心の底からアルバートを求めているか、それらは何も言わなくても心に響いてきます。それが波動の世界の真実です。 また他力とぴったりひとつであれば、どんなに反省、瞑想を重ねようともアルバートの波動、田池留吉の宇宙は分かりません。感じている世界が全く違います。その他力とぴったりひとつであることに気付くことが難行苦行です。己がそびえ立っていればとてもとても気付けない、認められないです。これもまた波動の世界の真実です。 波動の世界は肉の世界みたいに融通はききません。白は白、黒は黒、はいといいえがはっきりしています。そして道は真っ直ぐ一本道です。 あなたの心の向け先を確認してください。それが心を見るということです。しっかりと田池留吉をそしてアルバートを心で呼べるあなたになってください。自分自身を信じられるあなたに出会っていってください。 波動の世界の真実を心で感じ始めたなら、もう何も言うことはありません、みんな心で感じられます。今存在しているということ、もうそれだけでいい、それがどれだけ喜びで幸せであるか、心に響き渡ってきます。私はここを感じています。だから私はこれからも意識の流れに流れていくだけでしょう。すべては予定してきたことであるから、時がくれば肉を置きそして肉の時間で言えば二五〇年後にまた肉を持ってくる、その予定を淡々とこなしていっているような感じでいます。そういうことがふっふっと感じられて嬉しいし、こだわりも薄れて心が軽いです。 何よりも私は今肉を持ち波動の世界を感じられることが最高に幸せです。私はどんどんどんどん広がっていく、そう私がどんどんどんどん広がっていく、私は無限に広いです。喜びと幸せ、温もりと優しさ、みんな私の中から沸き起こってきます。私はこれが私の世界、私自身だと信じられます。自分の中から沸き起こってくるということをはっきりと感じているからです。だから紛れもなく私なんです、本当の自分を感じている私は幸せです。 あなたの心の向け先を確認してください。それが心を見るということです。しっかりと田池留吉をそしてアルバートを心で呼べるあなたになってください。自分自身を信じられるあなたに出会っていってください。 本当の優しさ本当の温もりは私でした。だから心を向けることが嬉しい、心を向けることは喜びです。 田池留吉の世界すなわちアルバート、嬉しくてたまりません。幸せをかみしめています 心を向けることが喜びです。田池留吉に心を向ける、田池留吉の世界にアルバートに心を向ける、どこまでもどこまでも優しいです。 アルバートを呼びます、私は私の心はアルバートを呼んでいます。肉の中においてもふっと心を向ければ嬉しい、そして目を閉じれば本当に私は幸せそのものです。私を生かしてくれているエネルギーが、私は優しさの中に温もりの中にあるということ、いつもそしてどこまでもともにあるということを伝えてくれます。 二五〇年後、私は田池留吉あなたと再会します。互いに肉を持ちアルバートの世界を広げていける、共有する世界を肉を持って確かめ合える、それは喜びです。今世と同じ、肉持つ苦しみ悲しみから肉持てた喜び幸せへと心を転回していく道筋を私は歩ませてもらいます。ただそのことを成し遂げるために再び肉を持つ私は喜びです。自分で決めてきた道、ともに四次元への道を私は進んでいくだけです。真っ直ぐに伸びた一本道が見えその道を歩いていくことの喜びと幸せに今世巡り合いました。 優しさなんかで温もりなんかで生きられない、そう思ってきました。でもそれは肉の優しさ温もりだけだった、だから本当の優しさでも温もりでもなかった、今世心で知ったことです。本当の優しさ本当の温もりは私でした。だから心を向けることが嬉しい、心を向けることは喜びです。 今世私はこの肉体をどんな思いでもらってきたか、その思いが心の底から突き上がってきます。田池留吉の世界をそしてアルバートを感じるたびに心に上がってくる思いは、この思いです。 今世私はこの肉体をどんな思いでもらってきたか、その思いが心の底から突き上がってきます。田池留吉の世界をそしてアルバートを感じるたびに心に上がってくる思いは、この思いです。波動を感じ喜びを感じていけばいくほど、強い決意、決心のもとに肉をもらってきたことが鮮明に響いてきます。今どんなに幸せで喜びであるか心に染み渡ってきます。だから私の心は後戻りしたりひっくり返ったりということはありません。 過去と同じ過ちを二度と繰り返さないように心を大切に温めてきました。自分で自分を潰さないように私はしてきたつもりです。だから人と比較することはなかった、人の体験は耳で聞いても心に入れることはありませんでした。私は私でした。自分が感じた世界、自分の心に響いてきたものを大切にしようと思ってきました。 またいい意味でも悪い意味でも田池留吉しか眼中にないのは私自身あまりにも己が偉いからかなあと思ってきたのも実際です。でもそうではなかった、私は自分の中の心の叫びを聞いてきました。そしてその叫びに忠実であろうとするならば、自然にそうなるのだと思いました。今世肉をもらって田池留吉と出会えた私は納得そして本望です。 肉の世界の好条件を目の前に並べられても決して曲げられないもの、それは真実波動の世界に出会うということです。これを成さずには肉を頂いてきた意味が全くない、私はそんな思いを抱えて生まれてきたということを感じています。 敏感なら、アルバートの波動に敏感に反応していってください。それが本当の敏感です。 私は、波動のお勉強その他を通して私自身の学びに賭けてきた思い、田池留吉に賭けてきた思い、その強さというか違いをまざまざと感じさせて頂いています。そして言えることは、甘ったるい思いでは核からのメッセージでお伝えしようとしていることの本筋はほとんど真っ直ぐに入ってこないということです。低次元の己一番、そこから来る妬み等々肉を引っさげていては、どんなにセミナーに集い学びの姿勢を示しても絶対に本道は歩いていないということをお伝えします。もちろんアルバートの波動なんて分かりません。田池留吉の宇宙なんて程遠いです。肉で言えば本当にもったいないお話です。 また鈍感は困りますが、中途半端に敏感で何かを分かっている感じている方よりも、それなら何も分からないけれど何だか嬉しいという方のほうが案外この道をすっと進んでいっている感じです。とにかく中途半端は難しいです。思い込み、錯覚、それらにガチッと支配されている場合が往々にしてあるということも知っておいてください。 敏感なら、アルバートの波動に敏感に反応していってください。それが本当の敏感です。そしてそうでなかったならばいつまでも自ら培ってきたエネルギーに翻弄されているに過ぎない、だから苦しいだけです。そこから早くご自分を解き放していくことです。 ご自分をもっと大切にそしてご自分にもっと優しくなってください。 肉体細胞が健やかなときにどうぞ心の転回、意識の転回を進めていってください。 肉体細胞が健やかなときにどうぞ心の転回、意識の転回を進めていってください。 私達は心の転回を成していくために今世肉体をもらってきた意識です。しかしまたその肉をもらって心の転回をしていくことは難しいというのが現状です。ましてや肉体細胞にすでに損傷がありそれが生死に係わっているものであればなおさらその心は他力に向いていくことでしょう。心の転回をしてください、意識の転回ですよ、さあアルバートを信じていきましょうといくら呼びかけても、私を救ってください、助けてくださいとアルバートを呼ぶ他力信仰になっていくのが常でしょう。そうなれば時すでに遅し、の感があります。自分を救うのは田池留吉でもアルバートでもこの学びでもないということが、転回が進んでいない人が病になれば心で分からないからです。 しかしそうであってもすべてはその人次第です。本当にみんなかなぐり捨てて学んでいかれたなら病を得たということが本当にプラスヘと変わっていくと私は思います。 根底に他力のエネルギーを握っている現実があり、今現在心の転回が進んでいないことと併せてその可能性は確かに低いけれど、そのことを通し一人でもまた僅かでもアルバートの波動を感じ真実の世界に触れてくだされば私は嬉しいです。そのお手伝いができるならば喜んでさせて頂きます。私には他に何も思いはありません。ともにアルバートを感じ合えることが私の喜びだからです。後はその人次第です。 アルバートを呼ぶ私はただただ幸せです。苦しみを広げてきたのはみんないっしょ、しかしアルバートの実在を確信しているかそうでないかで、その心の世界は全く違います。 肉を持って苦しい心、悲しい心、諸々の思いを使ってきたのはみんないっしょです。何ら変わるところはありません。しかし私は今世田池留吉に心を向けることを知りました。アルバートの波動を本当に感じ信じています。だから私の心の中にはありがとうの思いが広がっています。どんな思いも嬉しい、苦しいのではなく嬉しいんです。苦しみを悲しみを感じながらも嬉しいんです。 今どんなにすさまじいエネルギーを感じていてもそして他力のエネルギーに翻弄されていても、どうぞご自分の心を信じて信じて信じていってくださいとお伝えする以外にありません。心を転回していくことは確かに難しいです。自分の心を解き放つことは難しいです。それでもやっていってくださいとお伝えします。信じて待っている母の思い、母の温もり、そしてアルバートの存在、波動を僅かでも感じたならそのことだけを信じ、いつもそこへ戻っていってください。それが喜びの道、幸せの道、それ以外には絶対ないことを伝えます。 誰のための人生、何のための人生、ご自分の本音で生きてください。アルバートに出会いたかった、必ずあなたの中からその声を聞くことだろうと思います。 アルバートだけを見つめて真っ直ぐに生きていく、確かな幸せと喜びを感じます。アルバートを呼ぶ私はただただ幸せです。苦しみを広げてきたのはみんないっしょ、しかしアルバートの実在を確信しているかそうでないかで、その心の世界は全く違います。それを知るための人生であり肉の時間、何を迷いフラフラしているのかと私はお尋ねしたいです。 田池留吉の宇宙すなわち母の温もりの中ですべてはひとつ、すべては喜び、私はそのことを今心で感じています。 エルランティの光セミナーからUTA会セミナーヘバトンタッチされ、一年以上の年月が流れました。形を見れば引き継がれた感じがしますが、その中身、その質は全く違います。皆さんの心にはどのように映っているか分かりませんが、私は全く違うと感じています。 UTA、私はこの波動の世界を心に感じ広げていくことを本当に待っていました。エルランティの光セミナーを通し私自身の成長を待ち、私自身機が熟した頃ひとつの肉の現象を通し心がはっきりとその方向を定めたということを振り返れば、まさに私は意識の流れのその中に見事自らを誘ってきたことを感じます。そしてUTA会セミナーが始まりました。 UTA、田池留吉とともにそしてアルバートとともにこの波動の世界、喜びをお伝えする意識であることを感じています。これからUTA会セミナーの終わりに向けてさらにこのことがはっきりと示されてくるでしょう。それは私自身UTAの世界をさらに感じていく、すなわち波動の世界をさらに感じていきます、ともに学んでいかれる方はともに喜びを広げてまいりましょう。いつまでもグズグズブツブツの方はその次元です。それは仕方のないことです。そしてそれで今世の私達の学びは一応終了です。 UTA、これから二五〇年、三〇〇年にかけて私達に深く係わってくる意識、喜びの波動、三つがひとつ、すべてが喜びの世界です。田池留吉の宇宙すなわち母の温もりの中ですべてはひとつ、すべては喜び、私はそのことを今心で感じています。 心にアルバート、それがなければ意識のあなたも肉の人生もみんな真っ暗です。そう間違いなく真っ黒、真っ暗です。 UTA、私の中ではっきりと感じる世界です。ただただ嬉しいです。心が躍動します。その波動の世界を感じて心が躍動します。 UTAの世界を心で感じていってほしい、そう思います。セミナーに集う方みんなにこの波動の世界を感じていってほしいと思います。でもそれはやはり大変難しい、セミナーに集う動機、目的が違っていればあなたの心でその世界を感じ入ることはできないからです。今までもそうでした、そしてこれからますます心で感じられなければ全く何も分からないセミナーになっていくことでしょう。 肉の世界の事情、都合、言い分、まあ色々並べ立てたらあるでしょう。それを無視して度外視してというのではないけれどそんなものをいつまでも握っていれば、結局は何も分からない状態で今世のその肉も終えていかなければなりません。 私は滞りなくこの心を来世に繋いでいくことが自分自身の計画です。そのために今というこのときを頂いていることを深く感じています。そういう点で肉は多分に偏屈、どこか変わっていると思います。それでもアルバートを本当に感じアルバートを本当に信じその実在を確信していれば、肉の世界の中でも何の不協和音を奏でることもなく、事はスムースに流れていくことを体験しています。 心にアルバート、それがなければ意識のあなたも肉の人生もみんな真っ暗です。そう間違いなく真っ黒、真っ暗です。 UTAの世界を通し本当の優しさに目覚めていく、それが意識の流れの中の私達です。 天変地異は喜びですと伝えてくるアルバートを感じるとき、私自身の天変地異に向けてきた、思いの間違いに気付いていきます。天変地異は怒りのエネルギー、奈落の底へ突き落としていくエネルギー、私はそのように感じてきました。しかし今自分の心の中で天変地異を思うとき、その波動の世界は全く正反対のものでした。 肉持つ人間にとって恐怖以外のなにものでもない天変地異を通して、自らの過ちに気付いていく道を人類は選んでいきます。日常茶飯事に起こり来る天変地異の中に本当の気付きを見出していく道を歩んでいくこれからです。心に作ってきた神々の世界の呪縛から自分を解き放していくようになる、否でも応でもそうなってくる、そして肉が自分だとしてきた間違いにようやく気付いていきます。それには天変地異しかありません。それもUTAのUとともにの天変地異、宇宙規模的天変地異です。本当の優しさの中に存在しているのが私達、それを伝えてくれる天変地異の意識、すべてはアルバートの中です。 本当の優しさは、自分の中にたくさんの意識達言うなればたくさんの自分が存在していること、すなわち自分は生き続ける意識であると心で分かる、心で知ることです。 UTAの世界を通し本当の優しさに目覚めていく、それが意識の流れの中の私達です。 肉持つ人間はみんな大して変わりはありません。みんな肉持てば苦しいです。心から肉を離していくのは至難の業です。 肉持つ人間はみんな大して変わりはありません。みんな肉持てば苦しいです。肉の自分の中にその心を埋没させそして肉の自分を守るためならどんな汚いすさまじい思いだって使います。だから肉持てば確かに意識の転回は困難です。心から肉を離していくのは至難の業です。 しかし、しかしです。アルバートをどれだけ待ち続けてきたか、待ち続けてきた自分というものをその心で本当に感じていったならば、話は違ってきます。私はそんな自分を本当に心で感じています。今、田池留吉を通しアルバートと出会えている自分というものがどれだけ幸せであるのか、喜びであるのかを心で実感しています。これはとてもとても肉の言葉で表現できるものではありません。そんな大切な時間と空間が今というときなんです。 私自身過去確かにすさまじいエネルギーの中で翻弄し沈み込んできたけれども、その自分の心を覗いたとき心の底に母の思い、母の温もり、アルバートそして田池留吉の宇宙が生きていることをしっかりと感じています。だから私は私自身の心を信じられます。自分の心を信じられる、信じられる自分を感じているほど幸せなことはないと思います。 学びに集ってきた時期、学び方、学ぶ姿勢、自分なりの独自性があったと私は自身を評価しています。それは言い換えれば今世肉をもらってきた相当な決意と決心の現れに他ならないということを感じています。ラストチャンスに賭けてきた自分自身の思い、私は心で受け止めています。 アルバートの世界と肉の世界は両立しないことを何度も何度も伝えてきました。なぜ、何のために肉をもらってきたのかということを今世心で分からなければその人生は完全に失敗です。 アルバートの世界と肉の世界は両立しないことを何度も何度も伝えてきました。なぜ、何のために肉をもらってきたのかということを今世心で分からなければその人生は完全に失敗です。学びに集い肉のあなたがその両方でうまく立ち振る舞おうともそれは不可能、アルバートは絶対分かりません。私は言葉を選びません。失敗は失敗です。これから一年半、セミナーの回数にして十三回、長いようで短いです。本当はもうほぼ見通しがついている、道が見えていなければこの期に及んで…、ということです。そんなに甘いものではありません。そのために十年、二十年という年月を用意してきたんです。その中で一体何をやってきたのかと自分にもっと真剣に問うていける素直さと真摯さがなければ本当に学んできた、学んでいるとは言えないでしょう。いえ私は真剣に真面目に一生懸命学んできましたとおっしゃる方はあるかもしれません。しかし果たしてそうでしょうか。どこか自分に甘いところがあるのではないでしょうか。この学びを軽くとらえておられるのではないでしょうか。肉、肉で言うところの意識の世界ではないでしょうか。 どんな思いで今のこの肉をもらってきたか、そして今肉を通し田池留吉と出会いアルバートと出会えていることがどれほど喜び幸せであるかということを、私自身は心で知っています。そしてそれはみんないっしょであることも私は感じているんです。だから私ははっきり思いを告げています。素直になって本物を感じていってください。肉の自分をもう降ろしていってください。 繰り返し繰り返し何度も何度も出てくるたくさんの自分にアルバートを伝えていける喜びが本当の喜びです。 ほぼ見通しがついている、道が見えているということは、自己供養の見通し自己供養の道が見えていますかということです。アルバートを感じてアルバートを信じて自分を包んでいくことを心の中で進めていっている、その途上である自分であると感じている今現在でしょうかということです。繰り返し繰り返し何度も何度も出てくるたくさんの自分にアルバートを伝えていける喜びが本当の喜びです。 苦しい中で苦しいと叫んでいる、同じところをただグルグル空回りしている、いつまでもそうやっている時間はありませんよということに早く気付いていってほしいと思います。自己供養を通して感じ広げていく喜び以外はみんな他力、欲へと通じる喜びです。 自分を知らなければそして自分を知っていけばそれがどんなに嬉しいことか、自分自身に対して本当のことを伝えていける喜びは言葉では表現できません。アルバートの世界に触れ自分というものをしっかりと真向かいに見つめ母の温もりの中にある自分を心で感じていくとき、今肉を持てたことが本当に嬉しいです。 心の向け先をほんの少し変えるだけで心が軽くなっていけるのが意識の世界です。もちろんそこには素直さと真撃な思いが必要です。そして何よりアルバートを田池留吉の宇宙をひたすらに求めてきた自分自身に出会ったならばすべてが変わっていきます。私はそう思っています。 アルバートを伝えていける自分自身は喜びそして幸せです。私は地獄の中でその作業をしていき、二五〇年後に再び肉を持ってきます。波動の世界をさらに感じていくために肉をもらってきます。 地獄の奥底から生まれてきた私にとって、今世のこの時間と空間がどれだけ喜びか幸せか心底感じています。肉を持ってこの世に出てきて社会の慣習、風習、環境の中で苦しみを広げてきた私がやっと今世その心境に到達できました。 これからの肉の時間も自分のために費やしていけることが本当にありがたいです。アルバートを心に持っている、これほど幸せなことはないです。自分と対話していけること、それは喜びです、幸せです。そこにはアルバートを感じている優しい私自身が確かに存在しています。温もりが私を包んでくれている、そしてみんなありがとうと伝えてくれていることを感じています。 湯水のように使うお金を持ち、権威権力に守られ、たくさんの人間に巡り会い囲まれたとしても、砂をかむような空虚な思い、底知れぬ寂しさ等々殺伐とした心の世界はどうすることもできませんでした。たくさんの過去世達はそのことをあなたの心で伝えてきていると思います。そのところから自分を脱却させる方法を知り得た今世はすごい、実感です。心がしっかり合えば分かります。他力の神をパワーを求めてきた心のままでは不可能ですが…。 苦しみの中に生き続けてきた自分、ようやく今世温もりの中へと帰していける運びとなりました。アルバートを伝えていける自分自身は喜びそして幸せです。私は地獄の中でその作業をしていき、二五〇年後に再び肉を持ってきます。波動の世界をさらに感じていくために肉をもらってきます。 学びの正念場はセミナー以後です。もっと言えば田池留吉の肉がこの世から消えた以後です。私はそう思っています。 学びの正念場はセミナー以後です。もっと言えば田池留吉の肉がこの世から消えた以後です。私はそう思っています。各々がそれ以後肉の生活の中で心を育んで繋いでいけるのか、あるいはその逆になるのか、それは分かりません。その人次第です。セミナーがある間にどのくらい自分の心を作っていったか心で分かったか、その程度によってそれ以後の生き方に大きな差が出てくるでしょう。それは同時に死に方にも現れてきます。 それぞれがそれぞれの課題を持って学びという場に集ってきました。その中で私達は自分を救うのは自分、自分の心は自分しか救えないということを学んできました。これが分からなかったから私達は狂いに狂ってきたんだと思います。心を外に向けるエネルギーを垂れ流してきました。それは言うまでもなく真っ黒です。少なくとも私はその間違いに心で気付きました。そして自分の中にアルバートの波動を感じたときから心の転回を進め今に至っていると思います。 まだまだです、田池殺してやる、の思いもまだあります、私自身の課題もあります。ですが私は自己供養は喜びだと心で感じています。どんな暗い部分もそれは喜びに変わっていく、根源は喜びだということを感じています。 私は自身の予定、計画を心で知っています。だから自分自身しっかりと学んでいこうとする思いが強いです。肉の思いに揺れながらも私はこの自分の思いを感じています。アルバートを田池留吉の宇宙を確信し自己確立の道を私は選んできました。私はその心を信じていくだけです。 意識の流れに乗っていきましょう。意識は流れています、宇宙へ向けて流れています。その流れの中に委ねてまいりましょう。 意識の流れに乗っていきましょう。意識は流れています、宇宙へ向けて流れています。その流れの中に委ねてまいりましょう。 なかなかアルバート一本、アルバート一直線の道は難しいです。自分が設定してきた環境、条件の中でアルバートヘの道を究めるのは難しいです。その難しいということすらまだ心で分かっていない人は多いと思います。少し感じれば心に響いてくれば、私はアルバートの道を歩いていますと己を前面に出してきます。だからその瞬間から全くアルバートの世界とかけ離れていきます。波動の世界は正直です。 はっきり言います。アルバートに出会うために田池留吉の宇宙に出会うために今世の肉に賭けてきた私自身の思いの強さに匹敵するほどのものを自分の中に感じている方がいらっしゃいますでしょうか。私はそこを感じてほしいと思います。その思いを本当に心で感じていったならは、もう肉のことは本当にほどほどです、そして心は行きつ戻りつはしません。本物のチャネラーならその自分の思いというものが切々と感じられるのではないでしょうか。私はそう思います。 学ぶにあたって環境が整っていると私は何度も言われてきました。その後に続く思い、だからあなたは…ということだけど、整えてきたのは私自身です。それは自分自身の切なる思いを感じていたからです。肉の世界のことは肉の私の代わりはあるけれど、意識の世界は私の代わりはない、私を待っているたくさんの私がいることをはっきりと感じてきたから、私はアルバート一直線、それだけです。 心の転回、意識の転回を進めていけば当然のごとくこの地球上での三億六千年に止まらずにやはり宇宙における自分自身というものを強く感じます。 心の転回、意識の転回を進めていけば当然のごとくこの地球上での三億六千年に止まらずにやはり宇宙における自分自身というものを強く感じます。 自己供養という作業はその宇宙時代を網羅しているものでなければなりません。なぜならば私達は田池殺してやる、の思いを抱えて宇宙からやって来たからです。地球上で肉を持ってから田池殺してやる、の思いを芽生えさせたのではありません。私はずっとずっと以前より、自分は宇宙からやって来たことも、そして田池留吉の宇宙と闘ってきたことも感じていました。だから田池殺してやる、の思いと出会えたときも田池留吉の宇宙を心で感じ宇宙はひとつだと本当に思えたときももうたまらなく嬉しかったです。 地球上での三億六千年に作ってきた暗い思いを自分の中に迎え入れ包み込んでいくとき感じる優しさ、温もり、嬉しさ、心の広がりもさることながら、自分の中の宇宙を心で包んでいったときに広がっていく世界、感じる世界はもうたまりません。 田池留吉の肉ある間に私はその作業を進めてまいります。今世完全とはいきませんが、宇宙が変わり始めた今世です。そのために今世肉を頂いたことも感じています。 宇宙へ愛が流れていく、アルバートが流れていく、田池留吉の宇宙を心から待っていたたくさんの私の中の宇宙に伝えていきたいです。田池留吉と出会えたこと心から喜んでいます。 意識の世界の厳しさを私は感じています。波動の世界は正直です。ごまかしはありません。 意識の世界の厳しさを私は感じています。波動の世界は正直です。ごまかしはありません。喜びを広げていく人には喜びの世界がそしてその反対は苦しみが、すべて各々が選んでいくこと、それが形の世界で顕著になっていきます。 必死の思いで今世の肉をもらってきた私には、周りを見渡したり後ろを振り返ったりする余裕などありません。私は私の道をただ真っ直ぐに歩いていくだけです。私には前しか見えません。田池留吉しか見えません。アルバートしか見えません。 私は波動の世界を感じています。本物を感じています。自分の思いが決して揺るがないことを感じています。だから私は幸せです、喜びです。自分自身の思いがピシャっと定まっている喜び、幸せがどれほどのものなのか、うんうんなるほどその通りだと心から頷ける人はほとんどおりません。今現在そんな状況だと思います。 肉の馴れ合い、ごまかし合い、妥協で田池留吉とともにアルバートとともに、の道は決して歩めません。ましてや欲いっぱいの他力では問題外です。そんなに甘いものではありません。だけどしっかりとはっきりとその道が見えたなら、どんなに幸せかどんなに喜びか、そして厳しいことが本当は優しい、本当の優しさってこういうことなんだと自分の心で分かってきます。分かっていってください。気付いていってください。分かるのも分からないのも気付くのも気付かないのも、すべてはあなた次第です。ラストチャンスだということを忘れないでください。 自分の心は自分で支えていける、私にはそのパワー真のパワーがあった、感じ始めた今世です。 何が真実で何で生まれてきたのかということが私にははっきりと分かっています。力みはないけれどすごいものを感じています。私は田池留吉にアルバートに賭けてきたんです。今世のこの人生すべてを賭けてきました。私にとってどんな時間であるのか、アルバートを感じていけば田池留吉の宇宙を感じていけば本当に半端ではありません。引き換えるものなんて何もありません。肉の世界において何もありません。私の中の思いはこんな思いです。決して悠長にお遊びで学んでいるのではありません。 感じているから信じられる、それだけです。はっきりとしっかりと感じていないのに信じなさいとは私なら言えません。また信じるものは救われる、そんな無責任な言葉、思いなど出てきません。信じるには信じるだけの根拠もあり、証明できるものがあります。それは自分自身です、自分の心です。 濁流の中で心を繋いでいく作業は、よほど自分の心に確信がなければ本当に難しいことだと思います。それほど濁流はすさまじい勢い、うねりです。 自分の心と真向かいになるために生まれてきたこと、生まれてこれたことを喜びとして感じている私にやっと巡り合えたこと等々、私の中には今世様々な心の体験がありそして何よりも田池留吉の世界、アルバートの世界とひとつであることの喜びを感じています。その体験、その喜びこそが私を支えるものです。 自分の心は自分で支えていける、私にはそのパワー真のパワーがあった、感じ始めた今世です。 真面目に人生生きてください。アルバートが分かるということが真面目に生きるということです。 肉で思うことはそう大して変わりはありません。肉で見て聞いて感じて多少の違いはあるものの肉はみんな押しなべて愚かですから似たり寄ったりです。しかし感じている世界が違うなら見ている世界は同じでも受け取り方が異なってきます。その人がそこにとらわれていればそれまで、そこから先はなし、苦しい循環の中にいるだけです。その悪循環からいかに自分を解き放していけるか、自分を自由にしていけるか、その手立てを私達は学んでいます。それがアルバートです。だからアルバートが分からなければ何も分からない、何も変わっていない、学んでいる人とそうでない人との違いは、セミナーに集っているかどうかではなくアルバートが分かっているかいないかです。 間違えないでください。セミナーに来たからといって受動的にあるいは自動的にアルバートが分かるものではありません。確かに感じることはできます。心で感じることでしょう。しかしそれを育てていくのはそれからのあなたです。感じたものをしおれさせるのもあなたなら、つぼみから花咲かせるのもあなたです。そしてそのチャンスというものはそんなにたくさんはありません。とにかく今世は自分の心を繋いでいくという大きな仕事が各自あります。自覚なさっているかどうか甚だ疑問ですが、今世の肉はそのためにもらってきたのは明白です。だから焦点をぼやけさせないようにそれを真正面に据えて肉の時間を費やしていくということが最も肝要です。真面目に人生生きてください。アルバートが 分かるということが真面目に生きるということです。 どうぞ田池留吉をアルバートを求めるその心をあなたの中で見ていってください。求める先に何かがあるのではありませんか。私はありません。私はただ、ひとつが嬉しい、ひとつが喜び、ひとつが幸せ、ということです。 真っ直ぐに見つめたその目から真実が伝わってきます。未来永劫変わらぬ真実の世界が見えてきます。今を生きる私は未来とともに生きています。もちろん過去からの私すべてを抱えて今私が存在していることがただただ喜びです。 肉の時間の中で肉を持ってともに存在していることを感じられることが私には喜びです。それを田池留吉、アルバートと呼ぶならそうでしょう。肉持つ人間にとって呼び名がある方が分かりよいでしょう。ただ私はその波動の中にひとつであることを感じている、それが私の喜びということです。 意識の私と肉の私の差は歴然としています。以前はそのギヤップにとらわれていましたが、今は違います。自分自身の心の成長がうかがえます。私は素直で優しい、本当に優しい、それが私だと本当に感じています。だから差はあっても頓着しなくなりました。 肉の人間は欲張りです。アルバートに出会っていない人間は自分が欲張りだということも分かりません。どんなに満たされても後から後から出てくるのは欲の思いです。幸せを貪欲に求めていくエネルギーがどれだけこの宇宙を汚してきたのか、肉を持ってアルバートを知っていく中で感じていったことです。本当に愚かであり懺悔しかありません。 どうぞ田池留吉をアルバートを求めるその心をあなたの中で見ていってください。求める先に何かがあるのではありませんか。私はありません。私はただ、ひとつが嬉しい、ひとつが喜び、ひとつが幸せ、ということです。 人の肉を見る前に自分の思いを感じていってください。私はいつもいつもそんな思いでパソコンに向かっています。 目と目の出会いから始まる来世でも分かるように、その目の中にすべてがある、その目を通し心を互いに揺さぶるものがある、二五〇年の年月を経て再び出会いのときを持たせてもらいます。肉は変われど目は変わらない、その目の中に私はすべてを読み取ります。そしてその波動の世界に心は全開です。 肉の歴史の最終にふさわしくその舞台設定は見事に整えられていきます。度重なる天変地異を体験した地球は様変わりし、人の心はもう限界まで来ているでしょう。愚かな人類の姿が浮き彫りになってくるこれからです。 その意識の流れの中で今世予習時間を持たせてもらった私達です。必ず心を繋いでいきましょうと田池留吉のもとに集ってきた私達です。互いに肉を見て心を揺らし心を吐き出すその時間はもう終わりに近づいています。それぞれがアルバートに目覚めそれぞれの予定された道を歩いていかなければ、約束を違えることになります。自分に約束してきたことを果たせない、自分を裏切ることだけはもう今世してはいけないんです。私はホームページを通し波動のお勉強を通しそのことを私の仲間達にお伝えしています。意識達は本当に素直です。そして待ち望んでいるんです。それを知らないのは肉のあなただけです。肉を自分だと思っているあなただけです。本当に愚かだと私は思っています。もっとご自分を見ていってください。人の肉を見る前にご自分の思いを感じていってください。私はいつもいつもそんな思いでパソコンに向かっています。 「私はあなた、あなたは私、あなたと私はひとつです。」私はこの思いをあなたの目を見ながら淡々と語れる自分自身が本当に喜びです。 今、私はあなたの目を真っ直ぐに見ることができる私の喜びをどのように表していいのか分かりません。私はあなたの目の中に私を見ています。二五〇年後は言うに及ばずそのずっと先を私は感じています。 「私はあなた、あなたは私、あなたと私はひとつです。」私はこの思いをあなたの目を見ながら淡々と語れる自分自身が本当に喜びです。 肉を持って作ってきた苦しみ悲しみ等々、心の記憶は確かにあります。しかし私はそれらをアルバートに帰してやれることを知り喜びを感じています。肉に救いを安らぎを癒しを求めてきた過去世達の寂しさを今世の肉は心で受け止めてあげられる、心の中にアルバートが実在することを確信している私にとって、そのことが本当に嬉しいです。 慟哭の思いを抱えながらもその循環を解消できなかった肉の歴史の中で、今世ようやくアルバートに出会え、アルバートに目覚めることができた、真実波動の世界を感じた心にはそれがどういうことなのか言葉を重ねなくても分かります。だからこそ肉の思いに揺れることはあっても、私はすっと心を戻していける、ましてやそれに振り回されこと大きく膨らませていくことはあり得ないです。アルバートを知らないアルバートが分からない肉の人間は本当の幸せも喜びも分からないと知り得た今世の私です。 私にはそんなことをしている時間はありません。私の中の宇宙が変わり始めたことを感じているからです。自分の中の宇宙に心を向けそれとともに私は生きていきたいです。 肉にまみれ己一番の世界、他力のエネルギーにどっぷりの目、そこから発せられるものは死臭です。ヘドロを宇宙に垂れ流してきたご自分を今世どこまで心で知り感じてこられたことでしょうか。 言葉を並べて整った文章はいくらでも綴ることはできます。一応学びの姿勢は示すことはできます。それなら果たしてあなたの中で真っ直ぐに目を見つめて自分の思いを語ることはできますでしょうか。波動はだませないのと同じで、あなたの目はだませません。目がすべてを物語っていると言ってもいいと思います。肉にまみれ己一番の世界、他力のエネルギーにどっぷりの目、そこから発せられるものは死臭です。ヘドロを宇宙に垂れ流してきたご自分を今世どこまで心で知り感じてこられたことでしょうか。 本当に心を見ていかなければ、いつまでも己一番を得意げに誇っていても、もうまもなく地獄の奥底へと戻っていく刻限が迫っています。それが現実です。本当にあなたがその肉を賢いと誇るならその現実が分かるはずです。しかしあなたの肉ではそのことは絶対に感じられないはずです。肉はその程度のものだからです。そんなものにいつまでも連綿としがみついている方がおかしいと私は思っています。 肉を通し心の叫びを聞いてこられた人生をあなたは送ってこられましたか。それが肉を持った所以です。肉の人生を楽しく明るく喜びに溢れさせ素晴らしいものにしていくには、その叫びを無視して押し込めてでは成しえないことです。自分自身を抱き止めそして本当の自分を確認できなければ、肉あってもなくてもまったく同じ、何も分からない暗黒の世界です。今世の肉を離すまでの時間、そのことをあなたの心で分かって少しでも真実の世界に触れていってください。それがなければもう再び浮上することは難しいことでしょう。 自分の中のエネルギーをどのように処理していけばいいのか、その手立てを知らない肉の人間ほど恐ろしいものはありません。ただただそのエネルギーを外に外に向けて垂れ流していく肉の人間ほど愚かな生き物はありません。 自分の中のエネルギーをどのように処理していけばいいのか、その手立てを知らない肉の人間ほど恐ろしいものはありません。ただただそのエネルギーを外に外に向けて垂れ流していく肉の人間ほど愚かな生き物はありません。 真実を知らなければ自滅です。自滅していった過去をたくさん転生してきました。私はそんな自分を本当に心で感じています。そんな生易しいものではありません。殺して殺して殺しまくってきたエネルギー、切捨ててきたエネルギーの持ち主、宇宙を汚しまくってきた張本人です。だから私はアルバートを感じ田池留吉の宇宙を感じ喜びの私を確認しても、私の心は舞い上がり自分を見失うこともなければ、己一番のエネルギーを再燃させることもない、私はただただ喜びだけです。それは自分自身をよく知っているからです。私は生半可な思いで田池留吉と出会っているのではありません。もう自滅していくのは御免です。そういうことが波動の世界を感じ広げていくほどに心に響いてきます。 やはり出会うべくして出会えた私でした。すべてを田池留吉にそしてアルバートに託せます。真っ直ぐに向かい合うことができます。そんな自分が本当に嬉しいです。そしてともにあること、ともに生きていけること、そのような自分自身を確認しながらまた私が作ってきた世界を見続けていけることが幸せです。根底にあるのは温もり、優しさです。それらが私を包んでいてくれている、その中で私は私と出会っていくだけです。 あなたは我が人生最高に幸せだと死んでいけますでしょうか。それがすべてを物語っていると思います。歩いてこられた肉の人生を振り返りつつ、時間を大切にお使いください。 今、年齢が三十歳の方でこれから五十年肉の時間があったとして、さあどうでしょうか長いようで短いですね。自分の中で真実が見えない限り、あっという間の肉の時間です。 肉持つ人間は、千差万別の生き方の末やがてときが来れば戻っていくだけです。肉の喜びと幸せを積み重ねてそのままいい思い出とともに意識の世界へと戻れたならいいけれども、そんなことは絶対ありません。真実に疎ければその行き先は決まっています。それが分からなくなってしまったのが肉持つ人間なんですね。 その中でただ言えることは真実に目覚めたなら、本当にアルバートの世界を確信できたならば、肉の喜びと幸せはその質を変えアルバートの世界に融合していき、そしてそれが心の記憶として残っていくだろうということです。肉と意識はひとつだからです。そういう波動の世界を心で感じ広げていける肉は肉としても本当に幸せで喜びのときを過ごせることを実感しています。それをさらに見事に展開していくのは二五〇年後の来世です。だから来世の喜びはすごいと確信しています。 ところで年齢を重ねている方は特にご自分の死というものをすでに考えの範疇に入れておられると思います。今現在に至るまで過ごされてきた肉の時間を振り返ったときどうですか。あなたは我が人生最高に幸せだと死んでいけますでしょうか。それがすべてを物語っていると思います。歩いてこられた肉の人生を振り返りつつ、時間を大切にお使いください。 波動を感じればはっきり分かります。自分が間違い続けてきたことがこれほどはっきりと心に響いてくることはないです。 波動を感じればはっきり分かります。自分が間違い続けてきたことがこれほどはっきりと心に響いてくることはないです。それでも私は正しい私は間違っていない、あるいは我は神なりとその心から出てくるということは、本当に他力のエネルギーにグルグル巻き、がんじがらめの状態です。そんな方が暢気に肉の生活を送っている時間など残されていない、本当に命懸けで心の転回をやっていく以外にないということをどれだけ心で感じておられるのでしょうか。 私は決して大げさに言っているのではありません。あまりにも現実を知らな過ぎる、そしてそれはひとえに波動の世界を本当にご存知ないということです。 私達は大変なお勉強をしているんです。宇宙に広げてきた暗黒のパワー、そのエネルギーを握ったままこの地球に転生を繰り返してきた私達が、やっとのことこうして真実の世界を垣間見るチャンスを頂きました。それもあと残り僅かです。その間にあなたの心でアルバートを田池留吉の宇宙をしっかりと感じていくという確約を自分にとってください。その意気込みで学んでいってほしいと思います。しかし欲では学べません。欲は他力のエネルギーを増幅させるだけです。もうお分かりでしょう。その後に残るものは恨みつらみ憎悪の念です。そんなご自分で終わらないように本当に心を決めて学んでいってください。今世開かれてきたセミナー、特にUTA会セミナーがどんなものなのかあなたの心で感じていってほしいと私は思っています。 三億六千年よりも遥か遥か昔よりずっと待ち続けてきたことが今現実となった感激をどうぞどうぞひとりでもいい、心で感じ合いましょう。 三億六千年をひっくるめて私が待っていた世界です。待ち続けてきた世界です。それがこの波動の世界、アルバートそして田池留吉の宇宙です。 心です、心で感じる波動の世界に私自身の思いをしっかりと確認できます。お母さん、ありがとうございました、肉持たせてくれて本当にありがとうございました、私は私のすべてを賭けてこの波動の世界に今世出会えました、とその喜びの思いを私自身を今しっかりと受け止めています。 遥か彼方の宇宙よりこのときを待ち続けてきたことを心で感じている私には、これは動かしようのない現実の世界です。宇宙が私の心に響いてきます。もうたまらなく嬉しいし、どう表現していいのか分かりません。それだけの時間を経て私は今ここにこうして田池留吉の宇宙にアルバートに出会えている、この感動はいくら肉の言葉を連ねてもまた耳から聴いても、心で感じられなければ分かりはしません。 でもいい、私は伝えます。 三億六千年よりも遥か遥か昔よりずっと待ち続けてきたことが今現実となった感激をどうぞどうぞひとりでもいい、心で感じ合いましょう。私は真実の世界を求めてきました。肉で妥協などできません。本当に心で感じ合える友の出現を待っています。 肉の友、肉の繋がりは所詮その程度です。醜い汚いエネルギーの渦の中で手を取り合っても詮無いことです。 ともに歩める喜び、ともに生きる喜びを分かち合いたい、本当に心からそう思っています。 時は流れても私の心に変わらぬ真実があった、ずっとずっと続いていく流れすなわち私があった、そんなことを思っている私があります。 今本当に嬉しいです。しみじみ嬉しいです。自分の歴史の中で歩いてきた軌跡をたどるときここまでこれたことが本当に嬉しいです。私の中で歴史が変わったことを思うにつけその喜びは計り知れないものです。 確実に私の中が変わっていく、歩いている道、歩いていこうとする道、目指す方向、それらが私の中ではっきりと見えます。こんな嬉しいことはありません。こんな幸せなことはありません。 最後の決をとるのは自分の心です。自分で決めたことは自分で受けていけばいいだけのことです。私は自分で決めてきた結果が今世このようになっていることを感じます。自己選択、自己責任、本当にそうでした。長い時がかかったけれども一応のメドがついた、これからは自分の中に目覚めていった真実の世界を歩いていくだけだと感じています。 転生輪廻の解脱、何となくそんな言葉が浮かびます。きっと私自身肉を持ってきた歴史の中でそのことをずっと思い続けてきたのだろうと思います。 今その肉の歴史も含みながら悠久のときを思える宇宙に思いを馳せることができ、たったひとつの平凡な肉を今世持たせてもらったことに感謝です。時は流れても私の心に変わらぬ真実があった、ずっとずっと続いていく流れすなわち私があった、そんなことを思っている私があります。 真実に心から目覚めない限り、その意識は苦しみの淵に沈み込んでいくだけです。 真実に心から目覚めない限り、その意識は苦しみの淵に沈み込んでいくだけです。真実とは何か、もう何度も耳にしてきました。何度も耳にしてきた学びに集っている方においても本当にその心で分かるということは並大抵のことではありません。全く失礼とは思いますが、未だ道遠しの方はたくさんいらっしゃいます。十年、二十年学んできてその状態です。肉の自分を掲げその幸せと喜びを追い求めてきたその心が根強く根深く残っています。 他力の神にひれ伏してきた人類、我は神なりのエネルギーを振りまいてきた人類、これからそのエネルギーを自ら受けていきます。そのことを通し間違いに気付いていく以外に人類に残された道はありません。そこまで堕落してしまった人類です。自分を救うのは自分です。誰も何もあなたを救ってくれません。誰も何も手助けはできません。それが意識の世界の現実です。意識の世界の厳しさです。肉を基準とした思いはみんな返っていくだけです。真実と合わないからです。返ってきた思いでまた自分を苦しめていく愚かなことはもうやめていきましょう。 あらゆる場面を自分に設定し自ら苦しみの中に投げ入れてきた私の肉の歴史、その歴史の数々を踏まえながら今世このように田池留吉にアルバートに出会わせて頂きました。その喜びと幸せをつたない文章に乗せて私自身の思いを伝えさせてもらっています。そして私の思いは変わることはありません。アルバートに目覚める以外に道はなし、そう道はありませんということです。 形を見れば熱心に学ばれている方はたくさんおられます。そのエネルギーはどこから来るのかということです。 形を見れば熱心に学ばれている方はたくさんおられます。そのエネルギーはどこから来るのかということです。やはり心を見て真実を自分の心で知っていってほしいという思いがあります。譲れない部分を崩していくことが本当の喜びへと通じていきます。頑固に強情に守り通した心にいくら喜びを幸せを感じても、それは本当の喜びでも幸せ感でもないことを分かってほしいと思っています。アマテラスの心のままでは真実の世界を感じることはできません。その他も全く同様です。波動の世界には妥協はありません。そしてまた肉の心情は通用しません。 本当に波動を自分の心で感じていけば、何がどう間違っていたではなく、みんな間違ってきました、申し訳ありませんということです。そしてそれは同時に喜びです。そういう体験をひとつひとつ重ねることにより、真実が見えてくるということでしょう。だから己を崩さずにまたは己すなわち肉を握ったままでは土台無理な話です。不可能です。 しかしこうすればこうなるでしょうと、その方法を懇切丁寧に伝えてもらいました。それを素直に聞いて真面目に自分と取り組んでいけばいいだけのことでした。そうすれば誰でも心に自然に思いが感じられるんです。ああ私は今世こうして必死の思いで真実に出会うために生まれてきたんだ、それを信じてやれる自分が今ここにこうして存在していることが嬉しい、私はその繰り返しを何度も心で感じてきました。 だから今、よかったよかった、嬉しい嬉しい、最高に幸せ、心の底からそう言えます。 欲いっぱいの方は欲いっぱいの自分になかなか気付きません。だからそれが熱心に一生懸命にという思いに摩り替わっていっていることにも気付けないのかもしれません。 何億年、何十億年それ以上積み重ねてきたものが僅か今世の数十年でどうなるものではないと思っていませんか。自らを軽んじているその心を本当に見てこられたでしょうか。なりふり構わず学んでこられましたでしょうか。二兎を追う欲の心を見てこられましたか。肉を握りながらその上にアルバートをもというその思いを見てこられましたか。全く他力信仰そのものです。そこから抜け出さない限り、アルバートの世界は決して分かりません。真の喜び、幸せは分かりません。 セミナーに集っていればそれなりに感じていくのは確かです。しかし根本が変わらない限りそれは非常に頼りないものです。やがてときが経てば肉の渦の中で元の木阿弥となっていくことだろうと思います。 あのときの感激、感動は何だったのだろうか、そんなことを思っているうちに日々の生活の中で過ぎ去った遠いものとなってしまう、またそうなってしまっては困るから肉は忙しく肉を求める、心が外へ外へと向いていく、根本が欲だからその人の辿る道筋はほぼそういうことだろうと私は思います。 欲いっぱいの方は欲いっぱいの自分になかなか気付きません。だからそれが熱心に一生懸命にという思いに摩り替わっていっていることにも気付けないのかもしれません。 アルバートを求める一途な思いをあなたの心の中でどの程度感じてこられましたか、そして今果たしてどうでしょうか。欲いっぱいの心で田池留吉をアルバートをいくら呼んでも通じるはずはない、あなたが期待するものは返ってこない、ただそのあなたの心を見てくださいと返ってくるだけです。 今世の学びはあと一年半、これがどういうことなのか、もう時間は残されていないということを切実に感じておられる方は少ないと思います。 今世の学びはあと一年半、これがどういうことなのか、もう時間は残されていないということを切実に感じておられる方は少ないと思います。セミナーに集っていれば何とかなる、何ともなりません。根本的に廿い考え方はもう捨ててください。大きな間違いです。何もかも自分次第です。今世こうして互いに集って学んできたのだからという肉の心情はあります。だけど意識の世界はそんなものは全く通用しない、そんな甘ったるいものではないことを私の心は伝えてきます。そしてこの間に確立したものがなければ、二五〇年後に心を繋いでいくことはほとんど不可能です。 忌憚のない私の思いを語らせてもらうならば、私は真剣にアルバートを求める意識達と学びを深めていきたいということです。色々な動機・目的を掲げた旧態依然のままでは仕方がない、本当はそんなものはエルランティの光セミナーの段階で自分の中で消化してほしかったというのが私の本音です。十年、二十年学んでこられて未だ心棒がない、心が定まっていないというのはおかしいと私は思っています。本当にその方が真剣に学びに取り組んでこられたなら、それに充分応えてくれた学びだったはずです。 田池先生は肉でも心は広いです。その先生に甘え過ぎているとあなた自身思われませんか。意識はもちろん肉でも充分受け入れてもらっています。しかし肉を受け入れてもらっているから意識の世界もということにはなりません。あなたの意識の世界はあくまであなた自身の問題です。錯覚なさらないでください。 学びのポイントはアルバートを信じる信の強さだけです。もうご承知だと思いますが、意識を受けられるとか過去世が分かるとかそんなものは本当に取るに足らないことです。 学びのポイントはアルバートを信じる信の強さだけです。もうご承知かと思いますが、意識を受けられるとか過去世が分かるとかそんなものは本当に取るに足らないことです。要はアルバートが本当に分かっているのか、また感じてその信を深めていっているのかということです。 真実を感じたなら心は定まります。絶対に譲れないものがあると分かります。譲れないと頑張っているのではなく、それが生きていく道筋であると感じられ、極めて自然に心の定まりを感じていきます。 もう自分を裏切りたくない、偽りたくない、裏切りません、偽りませんと私は私に誓ってきた思いが、私を今日の私へと引っ張ってきました。そして田池留吉に思いを真っ直ぐに向けることにより私の内なるこの思いがどんどんどんどん真実に近づいていったということでしょう。 当たり障りのない言葉を選びおだてたりすかしたり持ち上げたり、それでアルバートの世界が分かるならいくらでも美辞麗句を並べます。私達は特別だから今こうしてセミナーに集えているんですよとその宗教心を煽り立て、乗せていくのも簡単なことです。しかし真実が見えてきたならそんなことはできません。真実は曲げられないもの、そして真実はひとつだから当然表現は厳しいものになってきます。核心をつくからです。 他力が強くて己偉しの方には真実の世界は見えません。肉が基準の己を振りかざしまたどんなに霊能力を誇ろうともそれらは自滅の道を選んでいっているだけのことです。 「信じる、信じられる私は幸せです」私はその言葉を今しみじみとかみしめています。 「信じる、信じられる私は幸せです」私はその言葉を今しみじみとかみしめています。 田池留吉をそしてアルバートを思うとき、何とも言えないものを感じます。一年半はもちろん、二五〇年はあっという間です。来世再び肉を持ちながら喜び、幸せの世界を共有できることが本当に嬉しいです。波動の世界にひとつの私達が再び肉を持って出会えることを思うとき、二五〇年という隔たりは私にはありません。 思うだけで嬉しい、嬉しいは嬉しいだけです。ただただ嬉しいということです。田池留吉に心を向ける、アルバートを思う、そこにあるのは喜びだけです。私の中で答えてくれる、私達はひとつですよ、はい私はその思いを心に感じています。本当に嬉しい、これが癒し、これが安らぎです。母の温もりの中に包まれています。 宇宙に広げてきた暗黒のパワー、肉持って作ってきた地獄の世界、真っ黒なエネルギーを垂れ流してきた自分の中の宇宙をようやくこの手で抱きしめてやれるときを頂きました。本当に嬉しいです。この思いを心で感じている私にはもう肉の生活をどうこうする思いはありません。ただあるのは今世生まれてこれてよかった嬉しいということと、二五〇年後再び出会える喜びです。ともにある、ともに存在する、肉があってもなくても私はその道筋を淡々と歩いていきます。私の中からの促し、それはともに次元を移行していける喜び、幸せの思いです。 心の底に欲の思いをしっかりと持ったままではアルバートと出会えない、アルバートの波動は分かりません。やはり母親の反省と他力の反省が原点です。 私とあなたを繋ぐものは喜びの思いだけです。だからあなたが喜びのご自分と出会わない限り私と通じ合えないのです。私はあなたに喜びだけを流しています。波動は流れています。アルバートが流れています。それを受け止めていけるあなたであるかどうかです。他力の欲にまみれた心には私の思いは届かないでしよう。どうぞその心を見ていってください。 きっと皆さんの心にはこんなメッセージが伝わっていると思います。そうです、心の底に欲の思いをしっかりと持ったままではアルバートと出会えない、アルバートの波動は分かりません。やはり母親の反省と他力の反省が原点です。もうこういう時期だけどそこを飛ばしてはなかなかだということを感じます。 大勢の方がセミナーに集ってくるようですが、その足並みを揃えるのは難しいですね。たとえば自分の心の中にアルバートが実在することを確信している方ならば、田池留吉は私のすべてですという表現があってもその意味をきっと分かってくれるだろうと思います。しかし肉基準の方にそういう表現をしても間違いなく曲解されるだけです。私が心で感じているものがその方の心にストレートに響いてこないことが少し残念な気もしますが、とにかくともに学べるということが私にはやはり嬉しいです。私達を繋いでいるのは喜び、喜びの波動です。今世肉を持って出会え、ともに学べることを喜んで喜んでいきましょう。アルバートの波動と出会っていきましょう。 自分を裏切ってきた、それは過去からずっと、です。ましてや今世田池留吉と出会いながらそうであったあるいはそうであるならば、何を捨てても全力投球しなければもう間に合いません。 心の体験をしてくださいと伝えてきました。凝り固まり固く縮んだ心をほぐすのは母の温もりです。母の温もりをその心で本当に感じ始めてくれば、どんなに頑なな心も段々に柔らかくなっていきます。そうしながらただ素直に田池留吉を思っていけばいい、アルバートを思うだけでいい、何も考えることなくそうしていけばいいだけです。そうしなさいと言われたことに肉はただ素直になっていけばいいだけのこと、何も難しいことはありません。それを欲の心を膨らませあっちにこっちに心を向けそしてそこで言葉をつかみチャネラーをつかんでいくから、道を間違え見失っていきました。その反省もおざなりでは心を真っ直ぐに向けることはできません。真実の波動の世界を心で感じることは難しいでしょう。 本当に波動の世界は素晴らしいです。だからこそ私は真実の波動の世界をその心で感じていってほしいという思いでいっぱいになります。そのためには自分をシビアに見つめていかなければということです。自分を裏切ってきた、それは過去からずっと、です。ましてや今世田池留吉と出会いながらそうであったあるいはそうであるならば、何を捨てても全力投球しなければもう間に合いません。 アルバートをそして田池留吉の宇宙を心に感じ広げていったとき、やはり私の心には仲間達へのメッセージが上がってきます。「どうぞアルバートに目覚めてください、そして田池留吉の宇宙を感じていってください」私はただそのことを伝えたいです。それは体験しなければ分からないことです。 意識の流れは厳然としてあります。私は今世その中の自分というものを知りました。だから肉に真っ黒なエネルギーの中に埋没していた中で、私が選んだのは間違いなくアルバートの道でした。 私の仲間達、もちろん肉のあなたではありません。今肉を持っている意識達、そうでない意識達、私は肉のあなたを通しその仲間達にただ伝えたいだけです。なぜならば私は意識達の思いを感じるからです。それは切実に響いてきます。肉のあなたのことは私はよく知りません。そんなものに私は興味はありません。ただあなたの中でアルバートを田池留吉の宇宙を求めている私の仲間達、宇宙の仲間達に私は伝えていきたいだけです。だから私はパソコンに向かって文字を打ちます。その思いを込めて打っています。どうぞ肉のあなたはパソコンを開いてくれるだけでいいんです。私の思いはきっと肉のあなたを通し通じていくことだろうと私は信じています。それを邪魔することだけはしないでください。肉のあなたは確かに偉い、素晴らしいかもしれません。意識が取れる、アルバートの世界、田池留吉の宇宙が分かっている、感じているとおっしゃるかもしれません。しかしパソコンに素直に向かえないあなたであれぱ、その感じている世界は私が感じ広げている波動の世界とは全く違うということを私はお伝えします。ということはアルバートでも田池留吉の宇宙でもないということに、どうして賢いあなたが気付けないのか、私は反対にお尋ねしたいです。 意識の流れは厳然としてあります。私は今世その中の自分というものを知りました。だから肉に真っ黒なエネルギーの中に埋没していた中で、私が選んだのは間違いなくアルバートの道でした。私は自分にそう伝えることができます。あなたは今どうでしょうか。 どんなに立派な考え、主張を述べられようともあなたの心にアルバートがなければそれはただ単に遠吠えに過ぎません。真実に触れることなしにあなたの今世の人生を終えてしまっていいのですか。 世の中の社会情勢は悪化していきます。自分の心を見ることを知らない人々は当然自分というものを知りません。そんな中でどんなに英知を結集しようとも政治、経済、文化、教育、人間社会はすべて衰退の一途を辿っていきます。人類が求めてきた神のパワーにより救われることはないことをまざまざと知らされます。意識の目覚めがなければ、その肉にしがみついている哀れな世界が展開していくだけです。そこには何の発展も望みもありません。表面上のきらびやかさにただ惑わされているご自分であることにどうぞ早く気付いていってくださいとしか申し上げられません。 予言とか予告とかそんなものではありません。アルバートの世界を心で知っていけばそして田池留吉の宇宙を心に感じていけば、なぜ今肉をもらってここにあるのかということが一目瞭然に分かります。それを意識の目覚めだと私はお伝えしています。肉を握る心ではそのことが分からない、結局は肉の世界にうやむや、埋没していく道を選んでいきます。 どんなに立派な考え、主張を述べられようともあなたの心にアルバートがなければそれはただ単に遠吠えに過ぎません。真実に触れることなしにあなたの今世の人生を終えてしまっていいのですか。再三再四私は伝えていきます。 もっと自分を大切にしていってほしい、母の思いに本当に心で応えていってほしい、私の心からの思いです。 セミナーの回数が減ります。時間はたっぷりあります。チャンスでもあります。しかし肉に戻る危険性も多々あります。要は自分次第です。 「ともに学んでまいりましょう。ともに喜びを広げていきましょう。私達はまたひとつの区切りを迎えます。またひとつステップを踏んでいきます。ともに進んでまいりましょう」心に広がるアルバートそして田池留吉の宇宙、波動の世界の喜びがそう伝えてくれています。 私は田池留吉と出会えたことを心の底から喜んでいます。それはとてもとても言葉で表現できないものです。田池留吉の宇宙を心に感じている私自身、こんな喜びこんな幸せが現実のものであるのか信じられないほどです。でも確かに現実です。心の底の底からその喜びが沸き起こってくるのが手に取るように感じられる、響いてくる、どれだけのときを待ち続けてきたことか、今まさに出会っている私にとってもう言葉になりません。 肉に固持していては絶対分かりません。他力の神を握っていては絶対分かりません。アルバートの世界は分かりません。焦る必要もなければ落ち込むことも要らないけれど、しっかりと自分を見つめていかなければ、いつまで経っても結果が出てきません。すなわちアルバートと出会えない、田池留吉の宇宙が分からないということです。出会えないようにしているのは自分自身です。握った心を緩めていかない限り本物は感じられないということです。 セミナーの回数が減ります。時間はたっぷりあります。チャンスでもあります。しかし肉に戻る危険性も多々あります。要は自分次第です。自分だけを見つめて自分の心だけを信じて進んでいける準備はもう整っておられるでしょうか。 癒しそして安らぎは自分を生かしているエネルギーと出会うことでした。そして宇宙は私の中にありました。私を生かしてくれている宇宙がありました。 未来を見つめる目、自分自身を本当に見つめる目、それを大切に心の中で育てていくことが私自身望んできたことだと感じています。 すべてを受け入れる広い広い心、私達は本来自分の中にその広くて穏やかで温かい宇宙を持つものです。そんな自分を知らずに肉持つ人間は小さな殻の中に閉じこもってきた愚かな生き物です。その肉の殻を突き破ってどうぞ広い広いあなた自身を感じていってください、そのような思いを私達はいつも心に受けています。絶えずそんな促しの中に私達は存在しているんだと思うとき、今あるということ自体が喜びということなんだと感じています。学びの時間と空間を自分に与えてきました。すべては真実に目覚めたいという自分自身の思いが形となって実現しています。それが今世の私達です。その心からの思いに素直になって今からはただただ真っ直ぐに歩いていかれることを希望します。しかし強制はありません、自由です。 生きている、自分がなしていると思っている人は哀れだと思います。それはいずれ自分を自分で裏切っていくだけです。自分を生かしているエネルギーがある、それを忘れ去ってしまった人類です。しかしそのことに心で気付き感じていけば後はそれにみんな託していけばいいだけです。アルバートの世界、田池留吉の宇宙を心に広げていく中で、そういうことを今思います。癒しそして安らぎは自分を生かしているエネルギーと出会うことでした。そして宇宙は私の中にありました。私を生かしてくれている宇宙がありました。 波動のお勉強で前に出られた方、どうぞそのときあなたが感じられたものを大切にこれからの学びを進めていってください。 波動のお勉強で前に出られた方、どうぞそのときあなたが感じられたものを大切にこれからの学びを進めていってください。あなたの意識の世界は必ず動き出していきます。あなたは素直にその流れに乗っていけばいいだけです。人は要りません。アルバートと自分です。みんな自分に聞いていけばいいんです。私は真っ直ぐにアルバートの道を歩いていってほしいという思いでいっぱいです。あなたの中の意識達はそれを待っています。自分に与えたチャンスをしっかりと活かしていってください。 また学びに年数は関係がないことは証明済みです。どれだけ素直になって幼子のように赤子のように自分と向かい合えるかということです。腐った土台でどんなに頑張ろうともまた己高しの心のままではどうすることもできません。後一年半はあっという間です。そのことをどう感じておられるのか私には分かりませんが、暢気にのほほんと構えておられるようですね。 私は今ともに学ばせて頂いていることが喜びです。そしてやはり一人でも多くの方がその心に本当の喜びと幸せを感じていってほしい、と思っています。しかし肉を信じる心ではどうにもならないこと、他力のエネルギーを自分の中で培ってきた心癖に本当に気付いていくこと、そういうことを考え合わせれば、「道遠し」の思いは否定できません。アルバートを感じて信じていく道はそんなに容易いものではありません。私はそう思っています。どうぞアルバートとともにを感じて幸せ、喜びのあなたとぜひ出会っていってください。 あなたは自分の流してきたエネルギー、心の叫び、いわゆる地獄の奥底の自分と出会ってきましたか。そしてそんな自分であることをその心で認め受け入れていますか。 今、田池留吉を通しアルバートと出会っている私は本当に幸せです。あなたもそんなご自分とどうぞ出会っていってください。しかしそのためには奇麗事では一歩も前に進めません。地獄の奥底から生まれてきたことを忘れないでください。今世の肉は平凡でも心に溜め込んできたエネルギーはすさまじいです。だけど学びに集った以上、そのエネルギーを膨らませていては話にならないです。またそのエネルギーに飲み込まれるのではなく、それを受け止めていけるものをしっかりと心に持っていることに早く気付けなければ、後はもう狂うだけです。自分のエネルギーで自分を殺していくだけです。他力の神々があなたを狂わせているのではありません。全部自分の世界です。自作自演の世界で踊りそして狂い死にしていく末路を私達はどれほど体験してきたことでしょうか。過去世の叫びを聞くということはそういうことでしょう。過去世を知るということはそういうことでしょう。結局は自分にひとつも優しくなかったということをその心で知っていくことです。 あなたは自分の流してきたエネルギー、心の叫び、いわゆる地獄の奥底の自分と出会ってきましたか。そしてそんな自分であることをその心で認め受け入れていますか。我は神なりと叫ぶその心の裏を感じてきましたか。 みんな母を求めてきたことをもう知っていってください。母の温もりだけを求めてきたことに素直になっていってください。そして自分を生かしてくれているエネルギーを心で感じていってください。 みんな特別が大好きです。どこに特別な人がいるのでしょうか。選ばれた存在、特別な意識、そんなものは誰も持ち合わせてはいません。みんな真っ黒だから生まれてきました。肉を持てたんです。 みんな特別が大好きです。どこに特別な人がいるのでしょうか。選ばれた存在、特別な意識、そんなものは誰も持ち合わせてはいません。みんな真っ黒だから生まれてきました。肉を持てたんです。肉を持てたことがどれだけ幸せなことでしょうか。それも今世このようにともに肉を持って出会わせて頂いたことがどれだけ喜びでしょうか。他力の心を見ていってください。本当に喜びとしておられますか。欲でいっぱいの心を見てこられたでしょうか。己を表す思い、認めさせたい思い、何に誰に表していくのか、認めさせるのか、心が貧しい、貧相な心を抱え自分をないがしろにしてきた自分に懺悔しかないと思います。誰それに認めてもらいたいとかそんなところで心をうろうろさせているようでは、本当にお粗末です。 自分を大切になさいと母がこの世に出してくれた思いに心で応えていくことが幸せの道です。アルバートを知らない心で肉の喜びと幸せを求めてきた長い長い歴史があるではないですか。あなたは幸せでしたか、喜びでしたかとそんな自分に聞いていけば、答えはみんな「いいえ」でしょう。これほどはっきりしていることはありません。それに反発する思いであるならば、これから先どんなにセミナーに集っても決して結果は出てきません。そして肉あっても肉なくてもあなたが気付くまで地獄は果てしなく続いていく、ともに次元を超えていくことは不可能です。 地獄の奥底で苦しんできた自分を本当にその心で知ったなら、そびえ立つということはありません。なぜならば待ち続けてきたことが心の底から響いてくるからです。そこには喜びしかありません。 私達は真実に出会うために肉を持ってきました。しかし真実に出会えない肉の人間がこの地球上にどれだけ存在しているでしょうか。そんな中で私ほど幸せなものはいないと思います。私は今世、田池留吉を通しアルバートの波動にそして田池留吉の宇宙、その世界を心で感じ広げさせて頂きました。本当に幸せです。真実を知らない人間は本当に真っ黒です。暗黒の世界に生き続けている、私はそのことをはっきりと心で感じられます。どれだけ形で満たされても心は苦しい、本当に地獄の奥底を這いずり回っている、息も絶え絶え、そのような心の実態です。真実の世界を感じ始めた心にはその違いがはっきり感じられます。 自分を救える、自分を自分で救っていける、このことを心で知ることが本当の愛です。自分の中にその愛が優しさが無尽蔵にある、私はその真実に出会いました。田池留吉と出会ったことにより自分の心で知りました。だからただただありがとうしかありません。出会わせて頂いたことが喜びです。真っ直ぐに私の心に伝えてもらったことが喜びです。 地獄の奥底で苦しんできた自分を本当にその心で知ったなら、そびえ立つということはありません。なぜならば待ち続けてきたことが心の底から響いてくるからです。そこには喜びしかありません。肉をつかみ己を表す心には、そんな地獄の奥底に生きている自分の叫びなど届かない、だから特別意識を膨らませずっとずっとそびえ立っていくんです。愚かなことです。その愚かなご自分に気付かない限り、絶対真実は見えてきません。 誰一人間違っていない人などいません。私達はみんな間違ってきました。 誰一人間違っていない人などいません。私達はみんな間違ってきました。正しく生きてきた、肉の規律、規範、道徳、慣習等々の中で正義を唱えてもみんな間違ってきたことには違いありません。そのことに気付けるか気付けないかの違いです。間違ってきた自分を認め受け入れているかどうかの違いです。ここは私は正しかったと主張するところなんてひとつもありません。真実を知らないところで私は正しいとやっているからです。また本当のことをその心で知っていったなら私は正しいという思いなど出てきません。みんな間違ってきましたという思いだけです。だからこそ嬉しい、だからこそ幸せなんです。みんな間違ってきたから惜しみなく自分の心から離していけるのでしょう。どんどんどんどんはずしていったとき何が最後に残るのか、その残っているものを信じていけばいいだけです。何もない何も持たない自分がそこにあるとき、私は私自身を感じます。すなわちアルバートです。アルバートを信じている私自身を感じます。私は地位や名誉や財産その他肉にまつわる諸々のものが自分を成り立たせているのではないことをしっかりと感じています。仮にそういうものをみんな持ち合わせていても、それをひとつひとつ取り除いていったとき心に残るものは「これだ」ということを知っています。その「これだ」という思いが私を支えている、だから私の心棒はしっかりしています。それは言わずと知れたこと、私はアルバートを知っているということに尽きます。「これだ」が自分の心にない方は、心から諸々を離していくことは難しいです。自分自身を知らないからです。 私達は意識の流れの中に存在しています。意識の流れが厳然としてあるということは、流れを変えたりせき止めたりできないということです。 今世の出会いは本当にすごいです。肉と肉の出会いがあってそこから展開されていく波動の世界を私は知りました。その世界にともにあることを感じている私は本当に喜びです。だから来世に繋いでいくために、来世この心に満開の花を咲かせていくために今世着々と準備を整えています。私は田池留吉、アルバートとともに道を歩くもの、幸せ喜びをともに喜び合えることを心に確信しているものです。 肉を通し私は自身の意識の世界のことを語らせて頂いています。長らく肉が自分だとする思いの中でいわゆる闇のエネルギーを流し続けてきた自分自身でありました。しかしそれももう終わりに近づいています。だから田池留吉が肉を持ちこうして私達は出会いそして私自身目覚めのときを頂きました。 私達は意識の流れの中に存在しています。意識の流れが厳然としてあるということは、流れを変えたりせき止めたりできないということです。そのことがまだ分かっていない方がたくさんおられます。みんな己が偉い、我は神のエネルギーの中に沈没しています。早くその中から抜け出してください。そんな真っ黒な世界でアルバート、田池留吉の宇宙と言ったところで全然違う世界だということに気付かなければなりません。そのためにはそのそびえ立っている己を崩していく以外に方法はありません。 これより二五〇年後の出会いを含む僅かな時間の中で、宇宙がどんどん変わってまいります。ともに歩みを進める中でともに喜びを広げていきたい、私はそう思っています。 ともに学んでまいりましょう。ともに喜びを本当の喜びを感じていきましょう。本当に幸せな自分と出会ってまいりましょう。私はいつもこんな思いで呼びかけています。 ともに学んでまいりましょう。ともに喜びを本当の喜びを感じていきましょう。本当に幸せな自分と出会ってまいりましょう。私はいつもこんな思いで呼びかけています。己が偉い方には私のこの思いを真っ直ぐに受け取れない、もちろん私はそのことを承知しています。でも私はそんなことは気にも留めていません。私は伝えたいだけです。私はこの心に真実を感じています。私はアルバートを信じていますとはっきり言うことができます。アルバートを知っているからです。だから私からパワーが流れています。それはアルバートを信じるところから発せられるパワーです。 私は己をそびえ立たせて言っているのではありません。肉が語っているのではないことを私は感じています。肉は愚かだと言っています。肉は何も分からないと言っています。 肉を比べるなんて本当に愚かです。もっと意識の世界、波動の世界に心を馳せていってください。肉の次元に止まっていてはどんなに気張っても絶対真実は分からない、私は何度も伝えます。それでも肉、肉という方はもう仕方がない、後はご自分が選択したものをご自分で受けていくということになるのでしょうね。 どうしてもっと素直になれないのかなあと思うときがあります。それほど、ご自分は偉い存在なのでしょうか。何を以て偉いと言われるのでしょうか。ご自分の今の世界を覗いてみてください。他力のエネルギーにがっちりのご自分の世界をその心で知っていってください。そこが原点です。土台が腐っていることを知ってください。 知識は十二分です。頭でっかちのその中にここで言われてきた文言、アルバートだとか田池留吉の宇宙、喜び、自己供養、等々を並べればそしてそこにチャネリングの技を効かせればもうそれで立派な宗教団体の出来上がりです。欲の中で教祖と信者は互いに利害が一致していきます。 知識は十二分です。頭でっかちのその中にここで言われてきた文言、アルバートだとか田池留吉の宇宙、喜び、自己供養、等々を並べればそしてそこにチャネリングの技を効かせればもうそれで立派な宗教団体の出来上がりです。欲の中で教祖と信者は互いに利害が一致していきます。アルバートそして田池留吉の名のもとにしっかりと学びを続けていきましょう、そんな呼びかけに誘われてさあこれからどれだけの方がその心を落としていくでしょうか。くれぐれもそうならないように、自分の心でしっかりと波動を感じられるあなたになってくださいというのが後一年半の期日です。 欲の心、他力の思いをしっかりとその心で見られていない方はきっとその方向に心を向けていくことでしょう。自分の中に確たるものがなければ、人の言動、もっと言うならばチャネラーに心を向けていくその心癖がまたムクムクと沸き起こってきます。また受ける側も自分の中の心癖が疼き始める、己一番の思いが自分の中で供養されていないからまた疼き始めます。そこへ肉の現象が起こってこようものならば、今まで学んできたものがたちまちのうちにすぼんでいきます。でも知識はあるからそこに何か意識の世界の動きがあると判断します。それを肉で知りたい、今この窮状から救う手立てはないのか、手っ取り早い方法はないのか、もうそうなれば行き着く先は他力の世界、真っ暗な世界です。しかし同じエネルギーは互いに磁石のように吸い寄せられます。 本当にこんな茶番劇を繰り返さないように、後一年半しっかりとあなた自身学んでいってください。 アルバートが心にあれば肉も喜び、幸せだというのが本来の人間の姿です。 人はそれぞれ自分の心を見るためにその環境を自ら選んでくることはもうご承知の通りです。その中でアルバートヘの道を見つけるということについてはどの方も平等であり公平です。と同時にそれは容易いことではないことも感じられておられると思います。 私も今世ひとつの環境を選んできました。その中で自分のエネルギーを確認する道を歩いてきました。そして今、幸せですとしか言えません。自ら決めてきた道ではありますが、自分の中にアルバートが見えているアルバートがあることを確認できた私は本当に幸せです、喜びです。 アルバートの実在、心の中に実在するアルバートを感じていく、これほど幸せで喜びのときはないでしょう。これより三〇〇年かけて私はその道をしっかりと歩いてまいります。 私には崇める対象物はありません。田池留吉は私の教祖でもなければ私は田池留吉の信者でもありません。ただともに道を歩くもの、ともに喜びを感じ喜びを広げともに存在するものです。だから嬉しいだけです。真実を伝えてくれました。そして私は真実に目覚めました。 「私達はひとつ」の世界をその心で感じていけば、すべてが分かってきます。ひとつの肉を通し波動の世界を広げていける、自分がどんどん広がっていく、それだけが私にとって現実です。だから後は肉の世界の流れに淡々としていけばいいということも分かってくる、そうすれば自然に肉の喜びと幸せが感じられます。アルバートが心にあれば肉も喜び、幸せだというが本来の人間の姿です。 あなたの周りでどうして闘いのエネルギーが小さくなっていかないのでしょうか。互いに肉の立場を主張し合ってもそれは平行線を辿るばかり、交わることはありません。 あなたの周りでどうして闘いのエネルギーが小さくなっていかないのでしょうか。互いに肉の立場を主張し合ってもそれは平行線を辿るばかり、交わることはありません。手を結んだときはあってもそれは互いの利害が一致しているときだけです。もともとはバラバラだからまた時間が経って状況が変わってくれば闘いのエネルギーの中、闇のエネルギーの中です。 何年も学ばれていて未だにそんな状態では本当にこれからどうなさるのでしょうか。闘いといっても冷戦状態もあります。互いに自分のエネルギーに気付くためにせっかく設定してきた環境を自ら破壊していっている、どうしてそんなことにまだ気付けないのか他人事ながら何だか情けないです。そんなこと今更言われなくても私はもう気付いている、だけど現実肉を目の前にしたらと言われるかもしれません。私はそれが廿い、そして己が偉すぎるとお伝えします。 本当にあなたがアルバートの世界をその心に広げていっているなら、一気には無理にしてもあなたの相手のその肉もあなたの心で受け止めていけると私は思います。なぜならばその肉を通しあなた自身の心を見るからです。あなたの心を告げてくれているその肉が本当に愛しいと思えなければ私は嘘だと思います。もし相手が学ばれていなければまずあなた自身がそのように本当に肉も変わっていかなければ、相手を変えていこうとしていてはいつまで経っても互いに泥沼の戦闘状態の中です。そこからあなたがまず手を引き心を引いていってください。 心に色々な思惑を抱えた人はしんどいです。私はストレート、打てば響くようにアルバートと応えてくれる人を待っています。私には何もありません。ともに喜びを広げていきたいだけです。 欲では分かりませんと伝えてきました。だから他力の心を見ていってくださいと伝えてきました。どなたの心にも母の思い、母の温もりが息づいています。でも欲にまみれた心にはその思いが届きません。あるのに届かないです。幼子のように赤子のようになってアルバートを呼んでいってください。 アルバートを忘れ去った肉の人間ほど愚かなものはないです。そのことの意味も分からなくなってしまった人類はと思ってしまいます。しかし喜びの中にある私達、その気付きを自ら与えていくこれからです。 心にアルバート、欲も何もないただただアルバート、そんな肉の人生をこれから生きてみませんか。どのくらいそれぞれに残されているか分かりませんが、自分に与えてきた時間を大切に真っ直ぐに行きませんか。 心に色々な思惑を抱えた人はしんどいです。私はストレート、打てば響くようにアルバートと応えてくれる人を待っています。私には何もありません。ともに喜びを広げていきたいだけです。今の自分を心で包み込みながら二五〇年後の出会いを楽しみに心待ちしています。アルバート、その世界の中にすべてを広げていける私自身の未来を私は心の中で待っています。 私には宇宙からの仲間達がたくさんいます。ともに帰ってまいります。だから宇宙がこれからどんどん変わっていく、喜びのエネルギーが宇宙を変えていく、その中で喜びをともに喜び合いたい、そう告げていきたいです。 今この時間と空間を自分に与えていることがただ嬉しいです。 多種多様な人々がこの地球上に肉を持っています。そこにはそれぞれが抱えている背景、意識の世界、神の世界があります。その混沌としたエネルギーの中に肉持つ人間は自ら踊らされていることも知らずに、エネルギーの赴くままに行動し言葉を発しエネルギーを振りまいています。 これからの三〇〇年に空前絶後の体験をしていくことは必至です。意識の流れというものに心を向ければそのことは確実に心に響いてきます。喜び、大いなる喜びとともに心に伝わってきます。 「ありがとう地球、そしてさようなら地球」万感の思いを込めて今もまたこの言葉が浮かんできます。この地球上に肉を持たせてもらった長い歴史の中でそれも後僅かを残すばかりとなりました。肉を持ったときのたくさんの私とともに私の中の宇宙へと思いが向いていきます。宇宙への思いをようやく私の中で確かめそしてその中へ帰っていける道筋を見つけられたことが嬉しくてたまりません。 宇宙は私のふるさとです。長い時間、空間を経て喜びの波動、そのエネルギーが私の心にようやく届きました。私はその道筋に従って宇宙へ帰ってまいります。私には宇宙からの仲間達がたくさんいます。ともに帰ってまいります。だから宇宙がこれからどんどん変わっていく、喜びのエネルギーが宇宙を変えていく、その中で喜びをともに喜び合いたい、そう告げていきたいです。 核からのメッセージU 2004年2月20日 編集/発行 印刷/製本 第1版第1刷発行 久保明子 メデイア・パック 落丁本・乱丁本はお取り替えいたします。 ◎2004PuntedinJapan