核からのメッセージV 私にはこの道、アルバートの道しか見えない、この道しかあり得ません。ともに歩める幸せを喜びをかみしめています。過去からの私が今未来とともに喜びをともにしている、それが私自身であると私は感じています。 ただただありがとうの一語です。「出会いをありがとう」です。出会わせてもらったことが嬉しいです。心に培ってきたエネルギーは大きいです。しかしそれは喜びへと帰っていけることを知りました。本当に心で知りました。だから私は幸せなんです。喜びです。 何度も何度も語っても嬉しいからまた語ります。この出会いは最高です。肉を持って出会わせて頂いたことが最高に嬉しいです。私はあなた、あなたは私のその思いをしっかりと私は今感じています。伝わってくる思いに心を向ければ、それはアルバートです。アルバートの世界にともにある喜びを感じます。日常の中においてもいつも私の心の中にアルバートを感じています。田池留吉、あなたが伝えてくれた通りです。私はそのことを自分の中に広げていくことができます。だから嬉しいです。ありがとう、ありがとう、田池留吉を思えばありがとうの言葉と思いしか出てきません。 「田池、殺してやる」の思いを引っさげてこの地球にやって来た私です。そのエネルギーは、すごいです。しかし語ってきたように私はそれが喜びへと帰っていけることを知りました。すなわち私は喜びであることを知りました。だから私にはこの道、アルバートの道しか見えない、この道しかあり得ません。ともに歩める幸せを喜びをかみしめています。過去からの私が今未来とともに喜びをともにしている、それが私自身であると私は感じています。 私はともにまた肉を持ちともに歩める喜びと幸せを喜び合いたい、そしてともに道を歩めることだけを私は心待ちしています。 田池留吉、アルバート、田池留吉、アルバート、私にとってそれはひとつの世界です。もう何度も何度もこの心で体験してきました。その肉もその意識もひとつの世界、そう私達はひとつであることを私ははっきりと感じています。 私にはアルバートの肉も来世の私の肉ももうすでに存在している、そういう感覚を私の心は何の不思議もなく持っています。すなわち肉と意識はひとつであることが心で感じられます。こんなことはとても肉の頭では理解できませんね。でも私の心は納得しています。だからとても嬉しいです。 二五〇年後の来世が現実であることは以前から何度となく語らせて頂いています。その根拠は自分自身の心の体験です。私と同じ体験をその心に持っている人も少なからずあると思います。しかしそういう体験があっても、本当にアルバートが分かっていなければ必ず間違った方向に心を膨らませていく落とし穴があります。やはり肉の段階、肉基準のアルバートの世界にはまり込んでいってしまいます。 また残念ながらまだその体験がないという方でも、これは分かりません。ある日突然あるきっかけを通し、ご自分の心で体験できるかもしれません。非常に楽しみですね。どちらにしても、あなた自身の体験を信じていくというか大切に育んでくださいということです。 私は二五〇年後の再会を心待ちしています。ともにまた肉を持ちともに歩める喜びと幸せを喜び合いたい、そして肉の繋がりなんか吹っ飛んでいくような喜びの中、ともに道を歩めることだけを私は心待ちしています。 父が亡くなって三年の年月が過ぎ去ろうとしています。自分なりに試行錯誤を重ねながら学びを続けてきたものがその現象により一気に場を固めたというか、ひとつの大きなステップを踏んだのは確かです。 父が亡くなって三年の年月が過ぎ去ろうとしています。自分なりに試行錯誤を重ねながら学びを続けてきたものがその現象により一気に場を固めたというか、ひとつの大きなステップを踏んだのは確かです。もちろんそこに至るまでに様々なチャンス、心の体験等々私の中ではその準備を整えていました。それを一気に進めていったのが、まさにその現象だったと思います。 今に至る三年の年月は、ただひたすら確信の道を歩いてきたと言っても過言ではありません。もちろんこれからもそうです、その確信の道を歩き続けるというのは変わりありません。そしてやがて訪れる肉との別れをステップにしてまた自分の心を見続けていくというお勉強が待っています。 肉持った以上その肉を離すときが必ず訪れます。自分の周りの親しい肉との別れ、そしてこの肉との別れ、それを自分の中でしっかりと受け止めていくということが肉持つものとしての最後の仕上げだと考えています。 今世の学びを振り返ったとき、私のテーマは愛と死だと言えると思います。過去世達は愛が分からなかった、寂しさの極限の中、呪いと恨み、憎悪の思いを膨らませ、死に恐怖し生れてくることを望まなかった、そんな地獄の奥底に落ちた自分の心を私は本当に救いたかったです。名前などどうでもよかった、何をしたかなどどうでもよかった、私には悲しくて苦しい思いだけが心に響いていました。その心に何とも言えない優しさと温もり安らぎの思いが染み渡ってきたとき、ここに私に答えてくれるものがあると感じました。私にはそれで充分でした。私は真面目に学んできました。目新しさとか上っ面の興味、そんな軽い気持ちはありませんでした。 私自身の現在に至る軌跡は何を物語っているのか、それは本当に強い決意、心に秘めたる誓いです。チャネラーでないチャネラーという肉を選び、学びに集中できる環境を選び、最高の出会いを持たせて頂きました。 心に広がる無限の宇宙を感じる今、私は本当に幸せです。私はひとつの結果を出しました。自分に答えを出しています。肉持つ時間の中でこんな幸せなことはありません。こんな嬉しいことはありません。お母さん、ありがとう、大声で叫びたいそんな気持ちです。 皆さん己が偉いです。だから核からのメッセージもご自分の世界の中から見ておられます。ストレートに皆さんの心に届いていない悲しい現実を私は感じています。だけど私は伝え続けるだけです。これが真実だからです。 私は第一の危機を知りません。しかし長く学びに集われている方の中にそれに係わった方、心を向けていった方、たくさんおられるのではないかと思います。そのときの心を本当に見てこられましたか。その反省を抜きにしては一歩も進めないことをあなた自身どれだけ心で感じておられるでしょうか。それは自分に対する反逆です。自分を否定することです。ただ単に田池留吉に背を向けた自分が間違っていた、申し訳ございませんということでは済まされません。本当に今世その間違い誤りに心で気付けない限り、あなたの未来はありませんというほどのものです。そんな心でアルバートの世界は分かるはずがない、そういうご自分の心の世界であることに本当に気付かれているのでしょうか。また第一の危機に係わっていないと言われる方の中にもそれに類する経験があるのではないでしょうか。それを隠したまま真実の世界を感じていきたいと思っても、それは不可能なことです。また肉の喜びと幸せだけを求めている方はもちろんそれプラス、アルバートの世界を求めている欲深い方、何度セミナーに集われてもあなたが望む結果は期待できません。しっかりと心を見てください。二兎は追えないことをあなたの心で再確認していってください。私は真実の波動の世界を心で知りました、だから本当のことしか言えません。当然厳しいです。でもこれが自然なんです。皆さん己が偉いです。だから核からのメッセージもご自分の世界の中から見ておられます。ストレートに皆さんの心に届いていない悲しい現実を私は感じています。だけど私は伝え続けるだけです。これが真実だからです。 あなたは田池留吉からのメッセージを読まれましたか。口調は優しくてもそこに流れているものは厳しいです。それが意識の世界の真実です。本物を追求する心でないと本物は感じられません。そこのところをあなたの心でしっかりと確認していってください。 今世もそのチャネリングというかそういうものを使い人の心を自分の方に向けさせた方は、余程の反省を自分の中でしていかなければこの道を歩むのは難しいです。 今世もそのチャネリングというかそういうものを使い人の心を自分の方に向けさせた方は、余程の反省を自分の中でしていかなければこの道を歩むのは難しいです。みんな過去においてそんな過ちを嫌というほど繰り返してきました。それをまた今世もやってしまった方は、自分をそのところから解き放していくのは並大抵のことではありません。何はさておいても命懸けでやっていかないと間に合わないということです。心は何ら変わっていない、それほど心を変えていく、心の転回は難しいということです。それが現実です。それをどうとらえておられるか知りませんが、非常に甘い考えでおられるのではないかと思います。 霊道を開くという表現が適切であるかどうか分かりませんがそれがどういうことなのか、己を表していく道具に使っていくということがどういうことなのか、今世もまた懲りずにやってしまったことに対してどんな思いを今持っているのか、もっと徹底的に反省に繋いでいく方向にあって然るべきだと私は思っています。 チャネリングというものはそんな大したものではありません。肉のチャネリングならそうです。しかし真実を知った土壌とそうでないところから発せられるものとは違うということだけは知っておいてください。私達の過去はみんなそれで失敗してきたんです。その過ちを今世もまた繰り返してどうなるのでしょうか。私はぜひそういう点をもっとシビアに見つめていってほしいと思います。 私は田池留吉という印籠を掲げて物申しているのではありません。田池留吉に認められて好き勝手に語っているのではありません。そこのところ肉基準では到底分からないと思いますが、それも仕方がないことです。 私は田池留吉という印籠を掲げて物申しているのではありません。田池留吉に認められて好き勝手に語っているのではありません。そこのところ肉基準では到底分からないと思いますが、それも仕方がないことです。しかしいくら熱心にアルバートだ、喜びだ、次元移行だ、と学ばれてもその成果は薄いことだけは分かってほしいと思います。 先に一応チャネラーと自他ともに認められてこられた方にメッセージを語らせてもらいました。それはそのチャネラーを心に入れてきた方も全く同様です。セミナーに集ってからチャネラーを心に入れてこられた方、ご自分の中でその反省は進めてこられましたか。もちろん私も学びに集った最初はチャネラーという存在に注目し心に入れた時期もありました。そして自分もという思いを膨らませていきました。しかし私は段々にセミナーに参加しそこで言われたことを自分なりに咀嚼し出してから、その間違いというかそれは横道にそれていくことだと感じ始めました。もともと心に感じ響くものだけを信じていこうという思いがありましたし、私は人の言動にあまりとらわれないというところがありました。だからチャネリングを受けた回数も非常に少ないです。それよりもやはり私にはどうしても田池留吉という存在そのものしか目に入らなかったということが、私にとって幸いしたことだということでしょう。 とにかく教祖と信者というかそういう繋がりを自分の中で断ち切っていく決断がない限り、真実の道は歩めないことをもっと自分の心で知っていってほしいと思います。 私は自分に素直です。私はこの道アルバートの道を歩いていきますという自分に素直です。自分の本当の思いに素直です。 意識の流れという言葉が何度となくホームページに出てきます。その流れは厳然としてあります、そしてその流れの中に存在している私達ですとも表現してきました。この意味を本当にお分かりでない、どこまでいっても己を前に出してくる方はここの意味が全く分かっておられないことを語らせてもらいます。 意識の流れに抵抗して真実が分かるのなら、どうぞそのことをあなた自身が証明してくださいと申し上げます。どんなに抵抗なさっても結構です。認められない、受け入れられないなら堂々と渡り合っても結構だと思います。渡り合うというのは穏やかではありませんが、私はそんな気持ちです。 私とあなたとどこが違うのか、それはあなたが素直でないということです。私は自分に素直です。私はこの道アルバートの道を歩いていきますという自分に素直です。自分の本当の思いに素直です。あなたはその心にいっぱいぶら下げてなおかつアルバートの世界を知っていきたいという欲の心を膨らませています。私には何もありません。私は自分の中にアルバートが存在することを知っているから何も求めなくてももう幸せなんです。予定通り望み通りの道を歩いている自分にとても嬉しいです。だから私には人としての幸せとか女あるいは男としての幸せとかもうそんなことはどうでもいいんです。ですが私は充分幸せを喜びを感じています。私の中にアルバートがあった、未来が見えている、そんな自分の世界を感じられることが本当の喜びそして幸せだと私は伝えておきます。 私は今世が今というときがどんなときであるのかということを本当に心で感じています。肉の歴史を含めた長い長い心の歴史の中でようやくその転機のチャンスを自ら作ってきました。 私は今世が今というときがどんなときであるのかということを本当に心で感じています。肉の歴史を含めた長い長い心の歴史の中でようやくその転機のチャンスを自ら作ってきました。今世田池留吉と出会えたから、セミナーに集っているから自分の意識の世界はその転機を迎えているなんて思っている方はもういらっしゃらないでしょうね。 あなた自身が心を見て心で気付いていかなければ何も始まりません。その気付きのチャンスにどうぞ素直であってください。たとえば波動のお勉強もそうです。それはひとつのチャンスにしか過ぎません。それをどのように活かしていくのか、あなた自身の心がまだまだ不安定であればそれがプラスにもなりマイナスにもなっていきます。そういうことを踏まえておいてください。そしてあなた自身が安定してくれば、それはプラス、プラスの結果をまたあなたの心に返してくることでしょう。それはただ単にひとつの肉としてのあなたにとってプラスというのではありません。宇宙が変わっていくエネルギーが増してくるということです。私はそれがたまらなく嬉しいです。私には個人、個人という思いはありません。ただ私達の宇宙を感じ、その喜びをともに喜び合いたいだけです。それには肉にしがみつく心では分からない世界だと言っています。アルバートは宇宙です。だからその波動の世界を本当に心で知っていくことは叶いません。 自分が心に広げてきた世界が偽物だと気付いたなら、なりふり構わずにUターンです。私なら、そうします。Uターンするなら、今です。 自分が心に広げてきた世界が偽物だと気付いたなら、なりふり構わずにUターンです。私なら、そうします。偽物を偽物だと知るチャンスを自分に与えたことにありがとう、出直して今度こそ本物を知る道を歩いていこうと呼びかけてくれた自分自身にありがとうしかないではないですか。 Uターンするなら、今です。まだセミナーがあり田池留吉の肉がある今です。ここをはずせば二五〇年後に繋いでいくということが本当に難しいことをその心で感じておられない方はまだまだ多いです。それほど己がそびえ立っている、それすら気付かれていないようです。 築いてきたと思ったものが根こそぎ崩れ去ろうが、どんなに醜い自分をさらけ出そうが、それが間違いだと誤りだと自分に伝えてくれるものがあったなら、私ならそのことに対して真向かいになっていきます。ただひたすら真向かいになっていきます。己のメンツなどどうでもいい、それこそなりふり構わずにすべてをかなぐり捨てて、どこがどう間違ってきたのか、どうしていけばいいのか、私なら必死でそれを自分の中に求めていくことでしょう。もう二度とこんなチャンスはないことを私の心は知っているからです。生まれては死んで死んでは生まれて、この繰り返しの中を真実を知るために心を繋いできました。最後のチャンスに賭けてきた思いは、私もあなたも同じです。私はそう言えると思います。 そびえ立つ己はもういい、揺らぐことのないアルバートヘの信、それをあなたの中で確立する道を今世一歩歩み出してください。 己を主張し己を守り戦々恐々としてきた心はとても苦しかったです。主張しなくても守らなくても私はここにありました。パワーを求めなくても私自身がパワーそのもの、私はそんな私と出会いました。 私は自分で言うのも何だか少しおかしいですが、学びに集っている方みんながとても愛しいです。みんな我が子のように感じます。肉の心ではとてもとても私自身こんな思いを理解できる訳がありません。苦手な人とか好みとか肉は馬鹿ですから、意識の私のようにすべてを受け入れることにはまだまだ抵抗があります。しかしふっと心を向ければとても愛しい、誰かれの区別はない、みんないっしょに行こうというとても嬉しい思いになります。反省文を読ませてもらったとき感じた私の思いです。 私は出来上がったものではありません。私だって同じです。そして自分の中をもっともっと掘り下げていきたい、いかなければと思っています。そうです、しっかりと心を合わせ自分の中をもっともっと見ていきましょう。決して奇麗事では済まされないその心を見ていきましょう。 田池留吉と真向かいになればすさまじい自分のエネルギーを感じます。しかしそれは喜び、喜びのエネルギー、このパワーが宇宙を変えていくことが私には感じられます。私達はすごい集団です。パワーを求めなくてもすごいパワーの持ち主です。それはやがてあなたの心でも分かるときがやってくるでしょう。それにはそびえ立つ己を崩していくことです。みんな遮っていることを知ってください。 己を主張し己を守り戦々恐々としてきた心はとても苦しかったです。主張しなくても守らなくても私はここにありました。パワーを求めなくても私自身がパワーそのもの、私はそんな私と出会いました。肉最優先の私は確かに変わりました。続けとは言いません、でも参考になると思っています。 ともに生きていく、ともに歩いていく、ともに存在している、肉の世界ではなく波動の世界の中でその思いを感じていることがどれだけ幸せであるかが心に伝わってきます。 ともに生きていく、ともに歩いていく、ともに存在している、肉の世界ではなく波動の世界の中でその思いを感じていることがどれだけ幸せであるかが心に伝わってきます。そのような心の状態で周りを見れば、肉が成した、肉が得たと思う時点でみんな間違っていると分かります。どれほどそびえ立っているかが一目瞭然です。肉で成せることも肉で得ることも何一つありません。すべては必要だからその肉に設定しているだけのことです。結果に着目するのではなく、そこへ行き着くまでのエネルギーを感じていくためのものに過ぎないが、肉基準の心ではそのことはなかなか分かりません。頭では分かっていても心を離すことは難しいです。 二五〇年、三〇〇年かけて転回が行われるにしても土壌を入れ替え種を蒔き水をやっておかなければ、芽は出てきません。いくら種を蒔いて水をやっても土壌が腐っていれば芽は育ちません。その土壌を入れ替える作業を丹念にやってくださいというのが今世のこの時間です。 セミナー十二回のうちに本当にそのことを心の底から感じていってください。だらだらと時間をかけて分かるものではありません。分かるのならもうとっくに分かっています。それほど心を入れ替える、心を転回していくことは難しいということを知ってただひたすらにその作業を進めていってください。 どんなに私は素晴らしい、正しい、間違っていないと主張しようともあなたの心がアルバートに向いていなければ、あなた自身が砂上の楼閣、いつ崩れ去ってもおかしくありません。 アルバートを心に知らなければ、肉が何をしてもどんなに奮闘努力してもみんな崩れていく、砂上の楼閣という言葉がありましたがまさにその通りです。それは社会現象を見れば分かります。べースになるものがないから当たり前と言えば当たり前ですが、己偉い人間はもうそれすらも分からなくなりました。だからせめて今世学びに集えた方々は、そういうことを自分の心で本当に分かっていってほしいと思います。 肉を持った人間はみんな同じです。みんな同じ苦しみ、地獄の中に生き続けてきました。だけどそこから自分の心を見て自分の中でそんな自分を包み込んでいこうとするすなわちアルバートを信じていこうとするのか、それとも依然としてアルバートから心を離したままであるのか、それだけの違いです。 道は真っ二つに別れていきます。本当にアルバートを信じる意識達とこの学びは進んでいきます。いつまでも肉中心、他力の方はついて来れないでしょう。厳しいようですが、それが意識の世界の現実です。 アルバートを知る、アルバートが心にある、それが基本です。その基本がなければ絶対分からない世界です。どんなに私は素晴らしい、正しい、間違っていないと主張しようともあなたの心がアルバートに向いていなければ、あなた自身が砂上の楼閣、いつ崩れ去ってもおかしくはありません。だからそんなもの早く崩して、しっかりと心でアルバートを呼べるあなたに蘇っていってください。 私達の大きな過ちは、他力のエネルギー、他力の神々と一体だと信じていることです。確かに今現在まだまだそういう状態の方は多いです。しかし本当はそうではなく私達はアルバート、アルバートとひとつ、アルバートと一体なんです。 私は満を持して今に至っています。私自身そのように思っています。肉で見ればある時点からすっと出てきたように映りますが決してそうではありません。自分自身を潰したくない、潰してはいけない、その準備を心の中で着々と整えてきました。学びに集うタイミングも心が敏感になるタイミングもすべてその一環です。だから今世私は狂わずに済みました。心の向け先を外せば簡単に狂ってしまうほどのエネルギーを抱えているから、様々な計らいを自分自身に設定してきました。それは言い換えるなら本当に今世に賭けてきた思いの強さの現れです。肉はそういうことは知らずにやってきましたが、本当の私の思いはそういうところです。 私達の大きな過ちは、他力のエネルギー、他力の神々と一体だと信じていることです。確かに今現在まだまだそういう状態の方は多いです。しかし本当はそうではなく私達はアルバート、アルバートとひとつ、アルバートと一体なんです。それを心で分かることが心を転回していくということです。自分が作り出した他力のエネルギーその世界、欲のために利用し利用価値がなくなれば捨て去ろうとするその心、それがどれだけ冷たい思いなのか、自分を利用し自分を捨てていく、本当に愚かしいことだと思います。 他力のエネルギーを求めてきた自分の心にもっと優しい思いを向けてください。諭そう、捨て去ろう、離れてくれ、ではありません。ともに帰ろう、優しい母の温もりの中へ自分を誘っていってください。 待っています。ともに歩める喜びをともに歩める幸せをともにともにできることをあなたの中の宇宙が待っています。 全部自分で決めてきたことですが、本当に嬉しい限りです。田池留吉の宇宙を心に感じ広げていけることが最高に幸せです。たちまちのうちに心が広がっていくのが分かる、本当に素晴らしい世界です。すごいパワー、私はパワーそのもの、私は喜びそのもの、言葉をいくら並べてもこれを表現することはとてもとても無理だけど、その世界その波動の世界を感じていけることはただただ喜びです。 この喜びのパワーが宇宙を覆い尽くしていきます。肉の人間が夢を託している宇宙なんて本当にちっぽけです。私達はもっともっと大きな宇宙を心に持っている、その宇宙が喜び、喜びのエネルギーを流し始めたことがどんなにすごいことなのか、この心にみなぎるパワーを感じます。 大いなる喜びです。想像も絶する宇宙規模的変化すなわち天変地異、宇宙が変わっていくことが喜びです。こんな嬉しいことはありません。待ち続けてきたこと、ようやくようやくその流れをしっかりと心で感じられる私は喜びです。 田池留吉、ありがとう。アルバート、ありがとう。この波動に出会えた私は最高に幸せです。今世目覚めを頂いたことが最高に嬉しいです。ともに喜びを広げるもの、ともに歩みを進めるもの、私はそのような私を今心で感じています。 待っています、ともに歩める喜びをともに歩める幸せをともにともにできることをあなたの中の宇宙が待っています。 真の友、アルバートの道をともに歩む仲間というのは、もっと深いところでしっかりと繋がっている、なぜならばそれぞれが心にきっちりと心棒を持ち、しっかりと自分の道が見えているからです。それが本当の仲間だと私は思っています。 肉の馴れ合いではともに歩めない、今一度伝えておきます。どんなに親しくても、本当にアルバートヘ向かっていこうとする思いがなければ、それは仲間ではありません。この学びで言うところの仲間ではありません。その点は大変シビアです。肉の友かもしれません。肉で慣れ親しんでいる間柄かもしれません。しかしそれはその程度で所詮その域を超えません。肉の学びならともに語り合い意気投合のうちにそれなりに形作られていきます。しかしアルバートの道はそういうことはない、それぞれの心の問題です。 みんなそれぞれに今世厳しい環境を設定してこの世に出てこられたはずです。だからこそ田池留吉と出会え学びに集えています。いかにしてそこから突破口を見出すか、みんな悪戦苦闘してきました。もう本当に自分に優しくそして素直になっていきましょうと私は呼びかけています。 肉で親しいから、お付き合いが長いから、これは全然通用しません。肉は確かにあなたのその思い私も分かるよ、互いに苦しんできたね、みんないっしょだね、だからいっしょに学んでいきましょうと、その心情は肉では理解できる、でもそこからどれだけ本道を歩いていけるのかということについては、ちょっと話が違ってきます。 肉の思いに流されないでください。真の友、アルバートの道をともに歩む仲間というのは、もっと深いところでしっかりと繋がっている、なぜならばそれぞれが心にきっちりと心棒を持ち、しっかりと自分の歩く道が見えているからです。それが本当の仲間だと私は思っています。 私は田池留吉の宇宙、その波動の世界の中で本当に喜びをともに味わいたいです。しかし肉を掲げてそびえ立つ心ではそんな世界は感じることはできないし、肉の田池留吉に心を止めていてもまた同様、早くそんな中から飛び出してきてほしいと思っています。[# 田池留吉の宇宙を心に感じれば、自分の中に広げてきた暗黒の宇宙が浮き彫りにされてくる、宇宙に広げてきた真っ黒なエネルギーつまり自分自身をはっきり感じることができます。しかしそこには以前感じていた田池留吉を否定する思いも拒否する思いも悔しさ怒り我一番の思いもない、ただただ喜び、暗黒の宇宙が喜び、宇宙がひとつ、私達が出会えたことが本当に嬉しいです。 私は田池留吉の宇宙、その波動の世界の中で本当に喜びをともに味わいたいです。しかし肉を掲げてそびえ立つ心ではそんな世界は感じることはできないし、肉の田池留吉に心を止めていてもまた同様、早くそんな中から飛び出してきてほしいと思っています。 私は幸せです。本当に幸せです。波動の世界を感じ心に広げられることが本当に幸せです。私はこの波動の世界を心に感じ広げていくために肉をもらってきました、生まれてきましたと自分にはっきり言えます。そう言える私は幸せでしょう、そう思いませんか。あなたはどうですか、私は幸せですと言えますか。いつまで苦しみの自分を握っているのでしょうか。そこからもう心を離してはどうでしょうか。意識の転回を進めていくのはあなたです。セミナーが田池留吉がしてくれるのではありません。 今世ともに学びを進めてきました。繰り返し促しを与えられてきました。十二回を残してそれも終わりです。後はアルバートを思い田池留吉の宇宙その世界を心に広げていく瞑想のときを堪能していきたいと私は思っています。 宇宙が変わっていく、私の中の宇宙がどんどん変わっていく様を心で感じています。自分の中の宇宙と出会えている私は幸せです。流れの中の私に今出会えています。過去から未来からすべてがひとつになって今の私にこうして出会えている、こんな幸せなことはありません。 お母さん、ありがとう。本当にありがとう。 これしかないですね。波動の世界に存在する自分を感じるとき、生んでもらって本当にありがとうございます、嬉しいですお母さん、その思いが心に充満していきます。 宇宙が変わっていく、私の中の宇宙がどんどん変わっていく様を心で感じています。自分の中の宇宙と出会えている私は幸せです。流れの中の私に今出会えています。過去から未来からすべてがひとつになって今の私にこうして出会えている、こんな幸せなことはありません。 五官を通し心は揺れても私は本当の喜びと幸せを知っています。次の瞬間アルバートを思っている私がいます。田池留吉の宇宙を思ったら心がたちまちのうちに広がっていく私があることを肉は知っています。だから肉の心は揺れても私は不動です。アルバートを思えば嬉しい、田池留吉の宇宙を思えばたまらなく嬉しい、そしてその世界にあるのが私だとはっきりと感じています。心で実証済みだから後戻りすることはもちろんただ真っ直ぐです。もうそんな時間は残されていないことは心が一番知っています。 アルバートは私の中で揺るぎない世界です。もちろん田池留吉の宇宙に心を馳せれば例えようもない喜びを感じます。どうぞ十二回のセミナーのうちに心で確信する学びを広げていってください。それがあなたの今世の仕事です。二五〇年後に繋いでいく心をしっかりと育てていってください。 今現在、田池留吉の肉に認められたいという思いがあるか自分の中を見てみました。全くないとは言えませんが私はその思いが薄いです。それは私には田池留吉そのものがアルバートだからです。 今現在、田池留吉の肉に認められたいという思いがあるか自分の中を見てみました。全くないとは言えませんが私はその思いが薄いです。それは私には田池留吉そのものがアルバートだからです。肉眼は確かに田池留吉という肉を見ていますが、私がとらえている世界はそうではありません。アルバートの世界です。認められたいとか認めてくれとか思わなくても、みんな認めてくれていてみんな受け入れてくれていることを感じています。 私の意識の世界は今世大きく動きました。今世肉を持ってともに出会わせて頂いたことを本当に嬉しく思っています。田池留吉の肉に様々な思いを出してきました。そして私の過去からの思いをその肉を含めて田池留吉の世界はみんな受け止めてくれました。本当に嬉しかったです。私は最高の出会いを持たせてもらっています。ともにあること、ともに生きていける喜びを満喫しています。 アルバートを感じ田池留吉の宇宙を感じる、アルバートに出会え田池留吉の宇宙に出会えている、私は幸せです。心からありがとうしかありません。誰よりも何よりも大切なのは心から湧き上がるこの思いです。繋いでくれました。信じて待ってくれていた私にもう何も言葉はありません。ありがとう、本当にありがとうです。 流れの中にある意識、それが肉を持ったということを私は心に感じています。肉は気張ることも思い煩うこともない、そういうふうに思えるようになった今現在です。 私は宇宙そのもだという実感があります。その宇宙が喜んでいる、二五〇年後の出会いもそして三〇〇年かけて宇宙がすごく変貌を遂げることもみんなみんな伝えてくれています。ともに次元移行できる喜びを伝えてくれています。 私に繋がる意識達、その宇宙に存在する意識達の喜びが心に響いてきます。洗脳されていると表現がありました。そんなちっぽけな世界ではありません。心に感じ心に広げている世界、宇宙は無限大です。私は宇宙そのものだという実感があります。その宇宙が喜んでいる、二五〇年後の出会いもそして三〇〇年かけて宇宙がすごい変貌を遂げることもみんなみんな伝えてくれています。ともに次元移行できる喜びを伝えてくれています。 本当にすごい学びです。すごいセミナー、今世その時間を頂いています。自分の中の宇宙、その波動の世界にこのようにして出会えることが本当に嬉しいです。 滞りなく遂行している、次元移行の流れは淀みなく流れていることを感じます。その中に今世の肉の時間があり再び肉を持つ来世があるということです。だから肉は何のためにあるのか、何をなしていくのか、私は心でとらえています。嬉しいです。文句なしに嬉しいです。今世もそして二五〇年後もまた肉をともにしながら喜びをともにできることが嬉しいです。 アルバートそして田池留吉の宇宙に心を通じていく、すなわち心の転回をどうぞひたすら進めていってください。それがなければ私が語っていることはみんな絵空事のように感じます。洗脳、思い込み、空想…、いえ実在です。アルバートも田池留吉の宇宙も実在するということを心でしっかりと感じていってください。あなたの心で実証していってください。 肉を見て肉を感じている心の世界からは何も見えてこない、これが私達が今世知ったあるいは知ろうとしている真実です。積み重ねてきた心の歴史の中でその転回をしていくのは至難の業です。 「お母さん、私田池留吉と出会えたよ、お母さん嬉しい、嬉しい」私の思いに母は心で答えてくれています。「よかったね、よかったね、本当によかったね」私の中の母は本当に喜びを私に伝えてくれています。 これが肉持つ人間の本当の心だと私は思っています。母の思いを遠くに忘れ去った人間は人間ではなくなった、どんなにその頭脳を誇り己をそびえ立たせても心を失くした人類は愚かとしか言いようがありません。 肉を見て肉を感じている心の世界からは何も見えてこない、これが私達が今世知ったあるいは知ろうとしている真実です。積み重ねてきた心の歴史の中でその転回をしていくのは至難の業です。目に見えない世界を感じてもそれが実は肉基準であることになかなか気付けない、あるいは認められないからです。それほど己がそびえ立っているということです。己をしっかりと持ったままではアルバートは分からない、真実は分からないと繰り返し伝えられています。 真撃にそのメッセージを受けていってください。受けるか受けないかは自由ですが、結果は十二回セミナー後にはっきりしてくるでしょう。 どうぞあなたの心の中に優しい思いを向けていってください。意識達の思いを聞いてあげてください。必死に心を繋いでくれた意識達すなわちご自分の思いを聞いていってください。もう時間は残されていません。まだあると思っているそのあなたの心をしっかりと見ていってください。 ホームページとともに私は成長させて頂いています。ホームページの歴史は私の歴史です。本当に嬉しい限りです。 ホームページとともに私は成長させて頂いています。ホームページの歴史は私の歴史です。本当に嬉しい限りです。 アルバートと出会え田池留吉の宇宙を感じられる心、そんな心に成長しました。我一番、宇宙を支配するエネルギーを膨らませてきた心に素直な本当に素直な心を目覚めさせることができた、今世の私の収穫です。私のこれから、もちろん喜び、喜びです。肉の時間において起こってくる事柄も私はきっと喜びで自分の中に迎え入れることができると思います。 アルバートを思い田池留吉の宇宙をその世界を思う時間の中で私自身の歴史がまた新しいぺージを開いていくことでしょう。それが二五〇年後の来世です。アルバートという肉とともにアルバートの世界を広げていく、喜びの波動が世界中を宇宙を駆け巡っていく、私にとってそれはもう現実の世界です。そして二五〇年後はもうすぐそこです。 ともに歩みを進めていきましょう。今世出会えた意識達、ともに歩みを進めていきましょう。私は今そのように呼びかけ続けています。そのような機会を持たせて頂いています。きっと二五〇年後に繋いでいってください。そしてともに次元移行を果たしていきましょう。宇宙の仲間達とともにみんな次元移行を果たしていこう、その思いがこれから宇宙に仕事をしていきます。喜びのエネルギーが宇宙に仕事をしてまいります。 肉の喜びと幸せもまたアルバートを知らなければ田池留吉の宇宙を心に感じていなければ、嘘の世界です。すなわち根本がなければみんな偽物の世界です。 肉は押しなべて愚かです。愚かな肉を立派に見せかけるのはとても苦しいです。肉は自然体が一番いい、だからと言って無秩序に肉を動かしていいということではありません。アルバートを心に感じている肉は、その肉の世界においても秩序正しいです。それが自然だからです。無理に形に押し込めたり形を整えたりするのではなく、自然な流れの中にその肉を置いている、だから心も楽なはずです。 心を楽にして、しかし真実をしっかり見据えて生きていくということが本道を歩くということ、いい加減な生半可な思いは私にはありません。私は真面目です。真面目でないととてもこの道は歩めません。道徳的に真面目ということではなく自分に真面目ということです。己がそびえ立っているから田池留吉を馬鹿にしている、そしてそれは自分に不真面目だということだと思います。 肉の喜びと幸せもまたアルバートを知らなければ田池留吉の宇宙を心に感じていなければ、嘘の世界です。すなわち根本がなければみんな偽物の世界です。何一つとして本物はない、肉は実感があるから形を見て喜び、幸せと思ってしまうかもしれませんが、決してそうではないということはあなたの心が一番よく知っていると思います。肉の喜びも幸せも本物志向でいってください。それには本道を歩く以外にはありません。 唯一本当のこととは一体何か、そしてそれを心で感じ確信の道を一歩一歩歩み出した今、肉に与えてきた時間を許される限り自分のために費やしていこうという思いが私には強いです。 唯一本当のこととは一体何か、そしてそれを心で感じ確信の道を一歩一歩歩み出した今、肉に与えてきた時間を許される限り自分のために費やしていこうという思いが私には強いです。自分のためにというのはエゴではなく、自分に人に地球に宇宙に最も優しい思いだと私は思っています。そして自分のために費やしていける時間と空間を用意できるということは最高に幸せだと思っています。 自分の心を救いゆくものは外になかった、そのことを心で知った私は今世の肉の時間の中で瞑想を通し、またこれから色々と気付けることだろうと思います。エネルギーを中に中に向けていく、それにはやはりゆったりとした時間、瞑想の時間が必要だと感じています。 肉の時間を存分に楽しみながら慈しみながらのこれからだろうという気がします。二五〇年後の来世が待っています。しっかりと心を繋いでいくための今世の私自身の時間を大切にしていこうと思います。 一本の道筋が引かれています。一歩一歩着実な一歩を歩んでいく幸せと喜びの中にある私自身を感じます。ただこの道を我が信じる道を真っ直ぐに歩んでいくこと、ともに歩む仲間達を心に感じながら歩んでいくこと、それが私の本当に望んできたことです。それが実現の運びとなったことが私には本当に嬉しいです。 アルバートを思う、アルバートを思える私は幸せです。私はすべてを受け入れてもらっていました。アルバートの中にある自分を感じ私は満たされています。そのことに気付けたことが私を救いゆくものです。 自分のことは自分で、自分の始末は自分でつける、こんな簡単で当たり前のことが人間にはできませんでした。人間以外の生き物はみんなそうしています。みんな受け入れています。自然とひとつです。人間だけが攻撃し合いそのエネルギーで自滅していくコースを歩んできました。 ようやくその過ち、間違いに心で気付けるチャンスを頂きました。気付いた人から素直になっていけばいいだけです。人類の歴史の夜明け、まだまだ夜明け前だけど今世その兆しを感じさせてもらえることが嬉しいです。 たくさんの暗い真っ暗なエネルギーを流し続けこの地球も宇宙も汚してきた私達ですが、こうしてともに歩みましょうと伝えてくれる流れの中にあることを知って私は本当に幸せです。 待ち続けてくれていた本当の自分、その世界に心を合わせて真っ直ぐに歩む喜びと幸せ、味わってかみしめてこれからのときを過ごしていこう、いくだけだと心より思います。 自分の外にはなかった、何もなかった、これが私に伝えてやれるメッセージです。外へ向けてきたエネルギーで自分を殺してきたことを私は私に詫びてきました。今優しい自分自身に出会えていることが本当に嬉しいです。 アルバートを思う、アルバートを思える私は幸せです。私はすべてを受け入れてもらっていました。アルバートの中にある自分を感じ私は満たされています。そのことに気付けたことが私を救いゆくものでした。 みんな平等に公平に気付けるチャンスはあるはずです。その転機を逸するというか、結局はふいにしてしまうというのはやはり己が偉すぎるのではないかと思います。 反省、瞑想、闇出し、ある程度心が柔らかくなり心がこなれてきた状態のときに一匹の犬との出会いがありました。そして父の死という現象を通しぐっとまた道を進めてこれたと思っています。反省も瞑想も一応こなしてきたという感覚がありますが、やってきましたという思いはありません。それよりもその肉でこなしてきた積み重ねを素直に活かしてきたということだと思います。みんな平等に公平に気付けるチャンスはあるはずです。その転機を逸するというか、結局はふいにしてしまうというのはやはり己が偉すぎるのではないかと思います。 私は目の前に現れた一匹の犬を見てつくづく肉の人間の愚かさを感じました。肉は何とお粗末だったかということをそこから流れるものを通し感じさせてもらいました。優しい目、素直、全託、そして喜び、私の中にあるものをどんどんどんどん引き出してくれました。すごいと思いました。言葉はいらない世界だと本当に実感しました。波動がすべてだと波動が周りを変えていくんだと私はそのとき実地で学ばせてもらいました。 どんなこともその現象を通して自分の中の思いが噴き出してくる、それにはプラスもマイナスもない、みんな喜びとして受けていける、喜びへと変わっていく大きなチャンスなんだ、それを本当に心で感じていくための反省であり瞑想でなかったならば、私は反省、瞑想やってきましたと大手を振っては言えないと私は思っています。崩すも崩さないも積み重ねてきたものは何もなかったということです。 意識の流れの中にある私、その流れに乗っている私であることには間違いのないことです。だから肉の時間もそのように流れていく、必要なものは現れ必要でないものは消えていく、そういうことを段々とこの愚かな肉も分かるようになりました。だから肉で悪戦苦闘することは愚かだし苦しいだけだという結論です。 もし今あなたがセミナーに集いお金と時間を無駄に費やしてしまったと悔やんでいるとしたら、それは本当に考え違いです。どうしてそのように思うのか、セミナーであなたが望むものを手に入れていないからですか。もしあなたが希望するような状態であれば、心は満足しているのでしょうか。あなたが望んできたものは一体何ですか。誰もが認めるあなたでしょうか。 私は今私達が自分に与えているこの時間と空間がどういうものであるのか、何にも代えられないものであることを頭でなく心で知っています。もちろん私も今肉を持っているので、これからの肉の生活のことを思います。でも心は違うんです。私はもっともっと先の私を見ている、感じているということだと思います。今を生きているというのは、今の人生を生きているというのではないことを私は感じています。 意識の流れの中にある私、その流れに乗っている私であることには間違いのないことです。だから肉の時間もそのように流れていく、必要なものは現れ必要でないものは消えていく、そういうことを段々とこの愚かな肉も分かるようになりました。だから肉で悪戦苦闘することは愚かだし苦しいだけだという結論です。 心を楽にしてゆったりとしてともに学んできたことを喜びとしていきましょう。私は二五〇年後の出会いを楽しみにしています。喜びが爆発的に噴き出してくる出会いを楽しみに楽しんで心を見ています。だから何とも言えない幸せと嬉しさを感じています。 どれだけ抵抗しても意識の流れは厳然としてあり、その流れの中にあるのが本来の私達の姿だということに速やかに気付き、そして気付いたならば速やかにUターンすべきだと思います。 肉は愚かだし何ということもない普通です。私は自分の肉をそのように評価しています。特に何に秀でているわけでもない、だけど生活していくのに何の不自由さも感じていないし毎日一定のリズムの中で肉の時間は流れています。私は肉はそれでいいと思っています。自分に必要なことは形となって現れるだろうし、必要でないものは消えていくだろう、だから形でこうでなければならないという思いは今はほとんどありません。肉持っているこれが私だとするならば、それは私も肉を高め肉を磨き肉の喜びと幸せを手にするために今も日々悪戦苦闘する毎日を過ごしていることでしょう。しかし私は自分の姿、自分の存在を心で知り姶め真実に触れた、言うならばアルバートとともに田池留吉とともに存在するのが私なんだと心で確信しています。これが目覚め、私の中ではっきりと応えてくれる私自身を感じています。 肉に明け暮れている間に自分がどんどん見えなくなる、もともと見えていないけれどもさらに真っ暗な底へと沈んでいく現実をまだ心で知らないから、みんな好き勝手な思いを出します。それでもいつかは気付けるときがくる、今世セミナーに集えた方はできるならば今世気付いてほしいというのが私の思いです。どれだけ抵抗しても意識の流れは厳然としてあり、その流れの中にあるのが本来の私達の姿だということに速やかに気付き、そして気付いたならば速やかにUターンすべきだということを付け加えておきます。 私には二五〇年後の来世が現実です。そして私は今もそしてこれからもずっとアルバートの側にいる、その肉もその意識の世界もずっといっしょ、そんな来世が私には見えています。 セミナーに集い一年ほどしてアメリカセミナーに参加しました。そこで初めて前に呼ばれてチャネリングを受けました。古いビデオを見て当時を思い起こしたとき、私はあのとき心に感じたものがあったと振り返っています。懐かしい、私はこの思いを知っている、そんなことをあのとき感じさせて頂いたことを思い出しました。今なら分かります、あれがアルバートでした。そしてアメリカ、ニューヨークの地は私が来世生まれてくるところです。あのとき私が涙していたのはそのことを心は知っていたからだと思っています。 私には二五〇年後の来世が現実です。そして私は今もそしてこれからもずっとアルバートの側にいる、その肉もその意識の世界もずっといっしょ、そんな来世が私には見えています。この喜びと幸せ、二五〇年後はまだずっと先だなんて言わないでください。二五〇年後を見つめながら今世の肉の時間を過ごしていきませんか。来世のあなたが今世のあなたにその喜びをその幸せをきっと伝えてくれることでしょう。もちろん過去のあなたはいつもいつも伝えてくれている、みんなといっしょに生きていくことの喜びと幸せを心で感じられると思います。それがこの学びで伝えてもらったこと、本当の喜びと幸せは自分を許し自分を受け入れともに歩いていくことです。田池留吉が待ってくれている、アルバートが待ってくれている、こんなに嬉しくて幸せなことはありません。素直になってその思いにすべてを委ねていきましょう。私達は喜びです。 真実の世界を感じていくのに本当は何も難しいことはない、ただ素直になればいい、己の殻を破りただ素直に心を向けていけばいい、そうすれば心にどんどん響いてきます。 心で感じられなければ何も分かりません。心で感じるということは、心から噴き出てくる思いを体験するということです。思いが心から噴き出てくる、沸き上がってくる、それは自分の中で動かし難い事実です。そして何が心から噴き出てくるか、それは何もかも間違いだった、全部全部間違ってきました、お母さん嬉しい、お母さんありがとう、お母さん…お母さん…という思いです。そういうことを体験するということ、まずそこからが出発です。 そしてそのような世界を体験していけば、どれだけ自分がそびえ立っているかということもはっきりと分かってくる、何も言えない何も弁解の余地がない、みんな自分が間違ってきたんだから、そしてそれでもそんな自分が今こうしてお母さんの思いを心で聞くことができる、自分がどれだけ幸せでどれだけ喜びか、私ははっきり感じていけると思います。 そうでなければ、どれだけ田池留吉をアルバートを求めようがその前に己が立ち塞がっているから全く通じないんです。それなのに通じていると思っているからなお始末が悪い、他力の心のままで己が描いてきたちっぽけな世界の中でふんぞり返っているだけです。 真実の世界を感じていくのに本当は何も難しいことはない、ただ素直になればいい、己の殻を破りただ素直に心を向けていけばいい、そうすれば心にどんどん響いてきます。田池留吉の思いがアルバートの思いがひとつに重なって伝わってくる、私達はひとつ、その思いがしっかりと感じられる、そうです間違いありません。 すねたりひがんだり落ち込んだり、先を争ってどうなるものでもありません。どうぞともに生きていくともに歩んでいく幸せと喜びを心で満喫していってください。今世出会えたことを喜びとしていきましょう。 心で感じている思いを言葉で言い表すことはできません。もちろん嬉しいとか幸せとか喜びとか様々な表現はできます。何が幸せで何が喜びか、やはり出会えた、出会えた、出会えていることの喜びです。本当に今出会えているということ、それは心の中から止め処もなく沸き起こってくる喜びです。そしてそれは、遠い遠いはるか遠いところから言うならば心の奥の奥の奥から響いてくる思いです。何かそういうことが感じられてたまらなく嬉しい、何とも嬉しい、本当に嬉しいです。今はアルバートって呼んでいます。でももうそういう呼び名はどうでもいいような、ただただ嬉しい、たまらなく嬉しい、何とも言えない嬉しさです。 宇宙ということも何億光年はるかかなたということも、いわゆる肉的にとらえるのではなく、自分自身が宇宙そして何億光年はるかかなたより存在しているものだということを本当に心で分かってほしいなあと私は思います。ここを感じればもう楽しくて嬉しくて、どうしてこんなに肉にこだわりしがみついてきたのだろうかと思える.きっとあなたも心が開けてどんどん軽くなっていくだろうと思います。 幸せを感じていきましょう、喜びを感じていきましょう。すねたりひがんだり落ち込んだり、先を争ってどうなるものでもありません。どうぞともに生きていくともに歩んでいく幸せと喜びを心で満喫していってください。今世会えたことを喜びとしていきましょう。 私は言葉なんかいらない、本当に心の底の底から喜び合いたい、私達はやっとやっと出会えたよ、嬉しいな、嬉しいね、ただただ出会えたことをそしてこれからもずっとずっといっしょだということをともに喜び合いたいだけです。 私は言葉なんかいらない、本当に心の底の底から喜び合いたい、私達はやっとやっと出会えたよ、嬉しいな、嬉しいね、ただただ出会えたことをそしてこれからもずっとずっといっしょだということをともに喜び合いたいだけです。不純な喜びはいいです、純粋にアルバートとともに歩いていくという思いの中でともに歩みを進めていきたいです。 肉でどんなに言葉を重ねても思いが伝わってこないということもあります。波動は正直です。波動はだませません。私の心の中にあるのはただひとつ、アルバートです。そのアルバートの世界をともに喜び合いたい、肉持って今出会えていることはもちろん、本当に今宇宙の中で私達は出会えたことを喜び合える仲間が現れてくれたらと思っています。本物のチャネリングとは、ここを感じられなければと思います。本物のチャネラーなら…と思います。 私は自分の心で感じている世界を虚飾したり大げさに表現したりしていません。でもそれは本物であることはお伝えしています。田池留吉という肉に引っかかっていては何も分からないのと同じように私の肉を心に止めていてはあなたが苦しいだけです。早くそこから心を離していってください。肉と肉を比べてもどうにもならない、どうにもならないことは頭で分かっているけれど…と言っておられる方、いつまでご自分に甘いんでしょうか。そんなところでグズグズしている時間なんてありません。もう己という看板を降ろしてともに歩いていきませんか。 私は私自身をすごいと思っています。これが肉の正直な感想です。でも私はすごいということを誇る思いはありません。 私は私自身をすごいと思っています。これが肉の正直な感想です。でも私はすごいということを誇る思いはありません。そのすごいということを私は心で感じているから、こんなちっぽけな肉を誇ったりどうとかすることがいかに馬鹿げているかということをまた逆に感じています。ただ意識の世界はすごいなあと私自身感心しているというところが本当のところです。肉って所詮そんな程度です。 周りを見渡せば先行き不透明な将来に不安を抱えながら毎日を過ごされている方がほとんどです。目の前の日常に時間を追われながら心忙しくしているかあるいは時間を持て余し無為に過ごしているか、そのどちらかにしてもみんな何らかの不安と恐怖を心に抱え毎日が闘いの日々です。 そのような肉の世界に今私も肉を持っています。そしてその中で自分の意識の世界その宇宙を心に感じ広げていける運びとなりました。これがどういうことであるのか、先行き不透明どころか私をはっきり感じている自分自身がどれほど幸せで喜びであるかは、ともに心を広げ心で感じられなければ絶対分かりません。肉の世界に止まっていては絶対分からないことだけを強調しておきます。 「偽りの人生とはさようなら」私は心で感じています。だから「はい」と大きく頷けます。喜びです、ありがとう、です。偽りの人生から本物の人生そして喜び、喜びの人生、喜び、喜びの宇宙それが私でした。本当に嬉しいです、宇宙を心に感じている私は今最高に幸せです。そして私の行き先を思えば最高に幸せです。 波動の世界は素晴らしい、この一言に尽きます。そしてその世界を感じていくのは自分の心です。感じなくしているのはあなたの心です。素直になってどんどんどんどん心を合わせていけばどなたでも感じ広げていける、そして波動の世界すなわち自分というものは果てしなく広がっていく存在であることを実感します。 波動の世界は素晴らしい、この一言に尽きます。そしてその世界を感じていくのは自分の心です。感じなくしているのはあなたの心です。素直になってどんどんどんどん心を合わせていけばどなたでも感じ広げていける、そして波動の世界すなわち自分というものは果てしなく広がっていく存在であることを実感します。ぐうの音も出ないという表現は適切でないけれど、そんな感じです。そこには喜びしかありません。ありがとうの思いしかありません。ただただ嬉しいだけです。 未だに肉でどうとかこうとか言っておられる方、私はチャネラーだ私は感じていると己をそびえ立たせている方、私は何とも言えません。その方々は田池留吉の肉は知っているが、その本当の存在を知らないと言えると思います。ということは真実の世界から遠くにかけ離れているということです。なのに肉は熱心に学ばれている、そしてさもアルバートの波動を真実の世界を感じともに進んでいっているような気分でおられる、どうぞそうであるかないかご自分の心をしっかりと見ていってください。 そのひとつの目安がホームページです。これを素直に受けていけるあなたであるかどうかです。学びは意識の流れはホームページとともにです。絶対にこの流れに逆らっては真実は見えてこないことを私は伝えています。田池留吉を私をというのではなく、ただ流れはこうですよと私はホームページを通してお伝えしているだけです。そこのところを間違えないようにともに学んでいきましょう。 困難なことは充分承知でそれでも地獄の奥底に沈み込んだ自分自身を救っていきたいと生まれてきました。濁流を自分の中でせき止め必ず帰っていこうと強い決意のもとに肉を持ってきたことを自分の中で思い起こしてください。 誰もがみんな幸せになりたいはずです。幸せを望んで願ってきた、望んで願って求めています。その幸せ感という価値基準はみんなそれぞれ違うかもしれませんが、とにかく幸せになるために一生懸命です。幸せを求める、幸せを願う、人として当然のことが実は全く間違っている、このことに私達は本当に心で気付いていかなければなりません。 他力信仰は人間の欲が作り上げた世界、不安定な世の中の世情はさらにそれを煽り立てます。ブラックパワーは欲のエネルギーを吸い込み、火に油を注ぐように燃え盛る、すべて人類が宇宙へ垂れ流している真っ黒なエネルギーです。それが宇宙を汚し続けてきました。本当に無知で愚かとしか言えません。 そんな中で私達はようやく今世肉をもらい、こうして真実に触れるチャンスを自ら設定してきました。困難なことは充分承知でそれでも地獄の奥底に沈み込んだ自分自身を救っていきたいと生まれてきました。濁流を自分の中でせき止め必ず帰っていこうと強い決意のもとに肉を持ってきたことを自分の中で思い起こしてください。 心に真剣に聞けば分かるはずです。仮に一生懸命そして真面目に人生を生きたとしても、肉のみの人生、それは根無し草です。本当に頼りないはかないものです。私はそれをしっかりと感じられるからそんな肉の人生に私を賭けることなどできません。私はアルバート、この波動の世界に心を向け心を合わせていくだけです。それが私の人生、本当の人生、喜びの人生、私は実感しています。 本当の世界を知ったなら、何も言えないはずです。正論なんてないんです。己もなければ何もないです。すべてがひとつであることを心で実感しなければそれはすなわち己がそびえ立っているということです。 心のふるさと、タイケトメキチ。私の心のふるさと、タイケトメキチです。この意識の世界この波動の世界に心を合わせていくだけです。心から溢れてきます。懐かしい思いとともに私のふるさと、お母さんが溢れてきます。 漢字の田池留吉もカタカナのタイケトメキチも私には区別はない、なぜならば私は肉の田池留吉を見ているようで見ていないからです。ふっと心を向ければ私にはアルバートの世界です。二五〇年後のアルバートの世界を含めてすべてがアルバートの中にある私を感じているからです。だから田池留吉もタイケトメキチも私には喜びです。思いが爆発します。ただただ嬉しい、本当に嬉しいです。 本当の世界を知ったなら、何も言えないはずです。正論なんてないんです。己もなければ何もないです。すべてがひとつであることを心で実感しなければそれはすなわち己がそびえ立っているということです。ひとつです。本来ひとつであるのに、そこにごちゃごちゃ思いが入ってくるというのはそこに何らかのズレがあるからです。 ずれているあるいは距離感がある、それを心で感じていってください。素直になってそのズレを距離を少しでも縮めていってください。それは肉ではできません。素直に幼子に帰るということです。そびえ立つ己なんて必要ないんです。真実を心で分かっていくのに己は要りません。賢い偉いと思っている己がみんな分からなくしてしまっている、それだけです。そしてそのことに心で気付けばいいだけなんです。簡単なことです。 本当に嬉しいですね、肉も意識もひとつになってともに歩いていける、二五〇年後のアルバートが私には感じられます。 本当に嬉しいですね、肉も意識もひとつになってともに歩いていける、二五〇年後のアルバートが私には感じられます。今の肉を通して来世の肉を感じていける、肉がチェンジするだけのこと、今心に感じている思いはずっと変わることなく繋がっていくことを確認できます。私はアルバートといっしょ、このことが本当に嬉しいです。その嬉しさ喜びがさらにその思いに拍車をかけよりいっそう現実味を帯びて私の心に感じられます。思いがひとつになって歩いているというような感じです。 お母さん、私は幸せの道を真っ直ぐに歩いていきます、そうお母さんの思いに応えていける私はとても幸せです。来世の私を思うとき、もう何とも言えないです。全部の私がまたひとつの肉をもらって心の世界、波動の世界を感じ広げていけます。それが二五〇年後にしっかりと用意されています。お母さんのお腹を通って喜びの声を上げそしてアルバートとの出会いを持たせてもらいます。心から溢れる喜びを爆発させてアルバートとともに歩いていける生きていける、これが私が私に伝えてくれる思いです。 肉の世界は制限がある、人間が作ってしまった制限がある、だけど私がアルバートを思うときその宇宙に存在する私自身を感じるとき、私はなにものにも縛られない本当に自由で喜びの世界が広がっていきます。アルバートとともにその世界を共有できる喜びと幸せを感じています。 喜びしかありません。どれだけ間違いを繰り返し続けてきても私達には気付いていける道筋が用意されているのですから…。それが流れです。 肉は苦しみではありませんでした。肉も喜びでした。私は今世肉をもらってそして田池留吉と出会いそのことを学ばせてもらいました。もちろん私の意識の世界は喜び、喜びです。ともにアルバートの道を歩いていくことを確信しています。しかしその肉もまた私には喜びです。 だから出会いがただただ嬉しいです。肉のみの肉でなく真実を知る肉だから分かる、その喜びをその幸せを心にともに感じ広げていけます。その思いが肉を持っただけのことでした。私達は自分の中の喜びを知るために肉をもらってくるのでした。それが本来のあるべき姿だと私は今世の肉を通し伝えてもらいました。私が私に伝えてくれています。優しさが伝わってきます。 みんな幼子の心に戻ればいいだけです。人類は頭でっかちになって高く高くそびえ立ちました。人類の愚かさはこれからも様々な現象を通して露呈されていくことでしょう。すなわち愚かでしたと心で気付いていけるように整えられてきます。形の世界はことごとく消え去りなす術もない茫然自失の中で、しかしようやく気付いていけるんです。すべてが消えても決して消えないものがあることに気付いていけるんです。 喜びしかありません。どれだけ間違いを繰り返し続けてきても私達には気付いていける道筋が用意されているのですから…。それが流れです。意識の流れに素直になっていきましょう。私はその流れの中でこのように出会いをもたせてもらったことがただただ嬉しい、そして本当に幸せです。 比較競争の世界にはもうさようならですね。そのコースを離れてアルバートの道を歩き始めませんか。重い荷物をひとつひとつはずして足取りも軽く歩いていきましょう。 田池留吉を思うときアルバートを思うとき、私には私の心には何もありません。母の胸に抱かれている幼子の心に一体何があるんでしょうか。何もない、ただお母さんの懐の中で幸せを喜びを感じているだけです。 そんな世界を感じていける、心の中に広げていけるということが肉としても最高に幸せです。そう思える私自身、本当に変わった、様変わりに変わったと言えます。私は現実的でした。温もりとか安らぎなんかで幸せになれるはずがない、喜びなんか感じられるはずがない、そんな絵に描いた餅ではなくもっと現実的なものを求めてきました。しかしそれは真実を知らなかった本当に愚かな思いでした。 私は波動を感じています。アルバートを感じています。その道をともに歩いていることを感じています。この幸せこの喜びは肉では得られないものでした。いえそれが私自身でした。心から溢れてくる喜びと幸せが私でした。アルバートを感じながら肉を生かしていく、本当に私は幸せです。穏やかに時間は過ぎていき、ときに心が揺れることはあってもまたもとの幼子の思いでアルバートに帰っていける、それが私の日常の時間です。 比較競争の世界にはもうさようならですね。そのコースを離れてアルバートの道を歩き始めませんか。重い荷物をひとつひとつはずして足取りも軽く歩いていきましょう。仲間達があなたを待っています。その声があなたにはまだ届きませんか。 私を生かしてくれているエネルギーがありました。私は私を生かしているエネルギーの存在に心で気付きました。だから私の喜びとか幸せは本物だと私は感じています。 私を生かしてくれているエネルギーがありました。私は私を生かしているエネルギーの存在に心で気付きました。だから私の喜びとか幸せは本物だと私は感じています。私はそのことをほんの少し早く知りました。私を生かしてくれているもの、私は生き続ける存在であることを心で感じ始めたのが今世のこのときだと思います。過去においてそういうことを思っていたかもしれません。しかしそれはそう思うことで救われたいとかどこかに無理強いをしていたような気がします。しかし今は自然です。自然にそう心で思える、心に感じられる、だからそれがたまらなく嬉しい、喜び、幸せだということです。 日々アルバートを思いアルバートとともにあることを感じながら肉の時間が流れていく、そのような時間を持っている私達ほど幸せな人間はいないと思います。私は私を生かしてくれているエネルギーにありがとうしかありません。どんな思いを垂れ流してきたか、自分を生かすためだったらどんな思いも使ってきました。そして沈み込んでいった地獄の奥底からようやく明るい方向へと自らを誘っていける道筋を私は歩き始めています。私を生かしてくれているエネルギーをもう見失うことなくかき消すことなくこれからもしっかりとした足取りで、自分に許されている肉の時間を過ごしていきたいと思っています。いつも心にアルバートを感じアルバートとともに歩くわが人生、私はただ真っ直ぐに見つめていくだけです。 私達は喜び、喜びの中に生かされている、喜びがすべてです。この波動の世界、喜びのエネルギーを心に感じています。その喜びのエネルギー、波動の世界をアルバートと私達は呼んでいます。 私達は喜び、喜びの中に生かされている、喜びがすべてです。この波動の世界、喜びのエネルギーを心に感じています。その喜びのエネルギー、波動の世界をアルバートと私達は呼んでいます。そう、アルバートです。アルバートの中にすべての意識達が生かされている、それが私達です。 私は田池留吉が愛しくてなりません。肉でありません、私が愛しいと感じているのはこの世界、田池留吉の世界です。今肉を持って互いに感じさせて頂いていることが喜びです。そしてそれは二五〇年後の私達の姿でもあります。私はそのことを心にしっかりとはっきりと感じています。嬉しいです。またともに肉を持ち喜びを広げていけることがただただ喜びです。 流れ、この流れを私は信じています。言うまでもなく心で感じているからです。だから心に響いてこない方は肉の田池留吉を見て肉の私を見て周りの肉を見てそしてご自分の肉を見てそんなところでうろうろしているだけです。そんなところからいくら眺めても決して私達がお伝えしたい世界とは通じない、それは感じている世界が違うから当然なんです。だからと言って私達が偉いとかではなく、まだあなた自身が真実に目覚めておられないだけで、肉の次元からは私達とあなたは何ら変わることはありません。むしろその次元ではあなたの方が優位にあると言えると思います。 しかしそんなものをいくら前面に出されても、私達はそれに対してお答えすることは何もないということです。それが冷たい、薄情だと言われても私達には返す言葉はありません。 母を捨てたのは私達です。そして母のもとに帰りたいと願ってきたのもまた私達です。田池留吉の世界はそのことを私達に伝えてくれました。 母を捨てたのは私達です。そして母のもとに帰りたいと願ってきたのもまた私達です。田池留吉の世界はそのことを私達に伝えてくれました。私が感じたかったのはこの波動、この世界です。ようやくようやくその道筋を心に見出せた私の喜び、その喜びはどんなにすごいかということはこれからそれぞれがそれぞれの計画の中で知っていくことでしょう。 意識の世界は肉でどうこうできる世界ではないことをもっともっと心で感じていかなければなりません。あまりにも己が強い、己が偉すぎたということを本当に気付いていかなればなりません。その思いが全部遮ってきた、だから気付けるチャンス、心で感じていけるチャンスは多々あったのにということです。 素直になれば何も難しいことはない、どんどん心に響いてくる世界です。素直になって根本的な誤りに気付いたならその過去はみんな肥やしになっていきます。そしてその肥やしが喜びとなって自分に帰ってくる、だから肥やしがたまらなく嬉しい、嬉しいからさらに喜びが大きくなっていく、その循環の中にすっぽりと納まれば後はもう簡単です。 意識、波動の世界は正直で正確です。本来の循環からはずれていけば、あなたの心に広がっていくのは苦しみだけです。苦しんでいるあなたが間違っている、意識の流れに逆らっているから苦しい、素直になってこのことをしっかりと心でかみしめてともに帰ってまいりましょう。 真実を語るのは波動だけです。 誰でもが感じられる世界、心を素直に開いていけば誰でもが感じられる世界、それが本当の世界です。なぜならば私達はお母さんのお腹を通って生まれてきたからです。心に数限りなく存在している母の思い、それは溢れるほどの温もりと安らぎです。その中に抱かれ包まれている私達でした。素直になればなるほどそのことが響いてくるはずです。だから苦しみの自分とはさようならできます。厳しい修行を積まなくてもパワーを下さいと仰ぎ見なくても、私は温もりだ、私は喜びだ、私は幸せだ、こんなこと簡単に分かります。 苦しみの自分を自分だと思っていては自分を包んでいくことはできません。自分に訴えてくる意識達に一体何を伝えることができるのでしょうか。振り回されるか増幅していくか、いずれにしてもどんどん苦しみの淵に沈んでいく結果となっていきます。温もりで喜びで幸せな自分が本当の自分であることを知らなければ、すなわちアルバートを感じ信じていなければ当然そうなっていきます。 この学びは簡単です。アルバートを信じているかそうでないか、それだけです。心が敏感であれば意識の世界を何か感じることはできます。しかしアルバートを感じアルバートの波動をどんどん広げていっているということとそれとは全く違います。そしていつもお伝えしているように真実は言葉ではすなわち肉では伝えることは不可能、真実を語るのは波動だけです。 弾けるような喜びの中をともに進んでいきましょう。肉では色々とあるでしょう、しかし私達は喜びです。みんなみんな喜びの中にあることを心で本当に味わっていきましょう。 弾けるような喜びの中をともに進んでいきましょう。肉では色々とあるでしよう、しかし私達は喜びです。みんなみんな喜びの中にあることを心で本当に味わっていきましょう。アルバートを思えば嬉しいでしょう、思うだけで嬉しい、ともに生きともに存在していることが心で感じてくれば、これほど幸せなことはありません。私達は永遠なんです。喜びを広げていける仲間なんです。その目覚めをその気付きをこんなに待たれています。 どうぞあなたも今世その肉をお母さんからもらったことをただただ喜んでください。それだけでいいんです。お母さんはそのことにあなたが気付いてくれたならそれだけで喜んでくれます。お母さんの思いはそうです。あなたの中のたくさんの母の思いに支えられて、あなたは今日このときまでこられたことを思い出してください。ただただありがとう、お母さんありがとう、本当にありがとうございます、お母さん嬉しいです、幸せです、こんな思いが次から次へと心から沸き起こってくる、それがアルバートの世界、アルバートの波動の中にある本当の私達の姿です。だからアルバートがない世界はもう分かるでしょう、真っ暗な世界です。どれだけ表面上整えられても取り繕っても決して幸せでない、これははっきりしています。 アルバートがすべて、このことが心でしっかりとそしてはっきりと分かるように心で学んでいってください。弾けるような喜びをともに味わっていきたい、私の思いはただそれだけです。 言うまでもなく、ホームページは波動です。至るところからアルバートが流れています。波動を見て波動を聞いてください。 言うまでもなく、ホームページは波動です。至るところからアルバートが流れています。波動を見て波動を聞いてください。私はとても嬉しいです。そして嬉しいだけでなく心の底から突き上がってくる思いはやはりアルバート、アルバートとともにある私だと感じられることです。今こうしてホームページが用意されていることがありがたいです。直通の世界を感じられるようになっている、こんなに嬉しいことはありません。 私達は今情報社会にこうして肉を持っています。情報が氾濫している中、すなわち濁流の中を肉を維持しながら本道を進んでいくということを促されています。人里を離れた山奥で自給自足ではあるまいし、生活の利便さもある程度活用しながらの毎日です。しかしその中でしっかりとした心棒を持っていなければ、濁流に飲み込まれていくのに時間はかかりません。それがこれからの分かれ道、セミナーがなくなって田池留吉の肉がなくなってのこれからの分かれ道です。 そういうことを充分踏まえながらどうぞこれからの年月を過ごしていってください。心に積み重ねてきた他力の思いはそう簡単にはぬぐい切れません。アルバートを感じそしてまた自分の心をしっかり見る、丹念に繰り返していくことが心を来世に繋いでいくことだと思っています。来世に繋いでいくことを念頭に置いて私は私の道を歩いていくだけです。 すべては自分の心にかかっている、こんな公平で分かりやすいものはありません。 意識、波動の世界、田池留吉が伝えてくれているその世界を否定して拒否していくのは自由です。分からない、信じられないと頑張るのも自由です。ここでは何も強制されないし縛るものもありません。また去る者追わず来る者拒まずで、大変あっさりしています。その中で私達はただ真っ直ぐに進んでいくだけです。そして素直な方はどんどん感じていくだろうし、その反対はまたどんどん落ちていきます。すべては自分の心にかかっている、こんな公平で分かりやすいものはありません。 真剣に道を求める方ならどなたでも分かります。アルバートが分かります。分からないのは自分の心が不純だからです。間違った動機、目的そして欲深い己高しの心を野放しにしてきたからです。私は今の時期になってまだ分からないとか信じられないとか平気で語れるということが反対に分かりません。どうしてそんなことがそんな思いが出てくるのか理解に苦しみます。 誰もが真剣に真面目に肉をもらってきました。肉をもらえるチャンス、そして真実に巡り合えるチャンス、これらが重なっているのが今世のこのときだということをもっとご自分の心で受け止めていってください。 アルバートとともにその一途な思いだけあればいい、そうであれば自然に心に響き心で分かってくるようになっている、肉のあなたが出る幕などどこにもありません。 学びは二五〇年後に繋がれていきますが、今世は今世で締めくくりがあります。心に感じ広げているアルバート、田池留吉の世界をなおいっそう揺るぎないものとする締めくくりに向けて、私自身しっかりと心を向けてまいります。 あなたも私も今肉を持っています。そうですね、これは間違いありませんね。そしてそれぞれの環境の中でその心癖ゆえの苦しみも多々あったはずです。その苦しみの度合いというものは人によりまた感じ方受け取り方により違ってきますが、そういうことを問題にするのではなく、あなたも私も苦しんできた、そのことには違いありません。 そしてここからが問題です。その苦しみ等々すなわち喜び以外の思いをどう自分の中で受け止め処理してきたかです。それは学んできた年月には必ずしも比例しません。長く学んだからそれだけ処理してきた度合いも大きいことにはなりません。ましてやチャネラーだからその作業がより効率よく進んでいくということにはなりません。しかし本来はそうであるはずなんです。だから学びに集っているほとんどがチャネラーという肉を選んできたんです。それが肉の段階で止まってしまって本来の役目を果たせなかった方がたくさんおられるというのが現状です。 私はそういう道を歩きませんでした。それだけ私は決意が固かったというか、必死であった、そして心に秘めてきた思いはすごいということだろうと思っています。この点が違うと言えば違います。でも私は特別でも何でもない、ただ自分の心に素直であった、自分に素直であったということです。 学びは二五〇年後に繋がれていきますが、今世は今世で締めくくりがあります。心に感じ広げているアルバート、田池留吉の世界をなおいっそう揺るぎないものとする締めくくりに向けて、私自身しっかりと心を向けてまいります。 肉と意識の境目がない、私は現実に目の前に存在する田池留吉の肉を通しそのことを心でしっかりと感じていくだろうと思います。田池留吉は肉を超えていつも心の中に存在するものであることを、私の心はさらにはっきりととらえていくことでしょう。 私が今現在感じている世界、アルバートの世界そして田池留吉の波動その世界、その中において私は言葉では語れない幸せと喜びを広げてきました。もう充分過ぎるほどのものです。そして今世の締めくくりとしてさらに波動の世界を垣間見る、そのような予定のコースを私は辿っていきます。喜び、喜びの世界へ私とともに進んでいきましょう、私にはアルバートのそして田池留吉の声が聞こえてきます。はい、私はともに歩むもの,心をひとつにしてすべてがひとつの世界の中でともに歩みを進めてまいります。 肉と意識の境目がない、私は現実に目の前に存在する田池留吉の肉を通しそのことを心でしっかりと感じていくだろうと思います。田池留吉は肉を超えていつも心の中に存在するものであることを、私の心はさらにはっきりととらえていくことでしょう。それからが私自身の本当のお勉強であることを私は感じています。セミナーがあり田池留吉の肉があって学びを進めていけるのは当たり前、簡単です。後それをどのように自分の中で大切に育んでいくかがこの学びの分かれ道だと考えています。 自己確立の道、確かな手ごたえとともにその道を歩き、やがてこの肉とのピリオドをつける、肉もきっと幸せ喜びの中、ともに生きていけることと思っています、 メッセージを聞く、十番を聞いてどういう思いをもたれましたか。頭で理解されている通り、この学びは比較競争の世界ではありません。 メッセージを聞く、十番を聞いてどういう思いを持たれましたか。頭で理解されている通り、この学びは比較競争の世界ではありません。学びの進み具合を争うということは学びの原点からずっと遠くにかけ離れているということです。そういうことを言っているのではなく、本当は学びに集った人誰一人脱落することなく完走してほしいということです。確かにそのゴールインの時間制限はあります。それがセミナー、後十二回ということです。でも真面目に真剣に素直に心を開いていけばどなたもゴールインできるということをここで付け加えておきます。それ以外は難しいです。どんなに肉を誇りチャネラーを誇ろうとも素直でなければ難しいです。そこのところを心でしっかりと分かっていってください。 先頭集団、確かに直線コースに入っているのとそうでないのとでは、距離は開いています。あえて否定はしません。でも問題は自ら脱落することなく決められた刻限までにゴールインするということです。そこに焦点を合わせて、それぞれの道をただひたすら進んでいってください。 私は二五〇年後、ともに出会いましょうそう言って学びの友と笑顔でさようならしていきたいです。みんなまたアルバートのもとに集いましょう、そう笑顔で確かめ合いたいです。そのために後、十二回のセミナー、心残すことなくともに学んでまいりましょう。 肉と意識の境目がない、すなわち肉も意識もなくすべてがひとつの世界を今肉を持って感じ確認していけるということ、これは最高の幸せ、最高の喜びですね。 肉と意識の境目がない、すなわち肉も意識もなくすべてがひとつの世界を今肉を持って感じ確認していけるということ、これは最高の幸せ、最高の喜びですね。そこには本当の肉の喜びと幸せが広がっていきます。本当に肉を愛するということはどういうことであるのか、それはアルバートの波動その世界でのみしか通じ合えない、分かり合えないです。肉も意識もひとつの世界、それが本当の一心同体です。その喜びと幸せは計り知れないものです。これはアルバートを本当に信じているから、その共有できる世界にともにあることを感じられるんです。肉の次元での一心同体など何と取るに足らない薄っぺらなものであるか、アルバートを知らなければ肉の喜び幸せさえも本当のそれではないことを心で知れば、もうそんなものを手に入れるために躍起になりません。そんなばかげたことはしない、できない、それよりもアルバートを求める本当の自分とともに歩みを合わせていくような肉になっていくことでしょう。 それが本当に人生を生きる、人として生きていくことだと思います。それが分かりませんでした。だから苦しみ悲しみ嘆き呪いと恨み憎み様々な人間模様を広げてきただけのことでした。そんなものは人生ではありませんでした。本当の私は喜び、幸せです。ひとつに溶け合う自分に出会える、今世のこのときです。ありがとうそして幸せです。 表面だけの薄っぺらな喜びと幸せを追い求めてきた転生でした。今波動の世界に存在する私というものを感じていくほどにそう、三億六千年貪欲に求めてきたものは薄っぺらな色褪せたものでした。 表面だけの薄っぺらな喜びと幸せを追い求めてきた転生でした。今波動の世界に存在する私というものを感じていくほどにそう、三億六千年貪欲に求めてきたものは薄っぺらな色褪せたものでした。そのために心を落とし心を汚してきた、心を犠牲にしてきたことがはっきりと感じられます。 なぜ肉をもらってくるのか、なぜ生まれてくるのか、肉は苦しみ、心の中に山のように積み重ねられた思いはそのような思いばかりでした。しかし私は今世の肉を通し波動の世界を知っていきました。真実に触れていきました。本当の私は喜び、喜びであるという真実、そして肉と意識は密接いえ本当はひとつであるという真実です。 肉も喜びなんだ、ぴったりひとつであれば肉がすなわち意識なんだ、そして肉があっても肉がない、肉は影なんだ、そういうことが現実に肉を持ちながら心で感じ心で分かっていける道筋を歩いていく流れの中に私は今あります。どんなに幸せなことなのか、喜び幸せがひとつになって心に響いてきます。心から溢れてくる喜びは三億六千年の転生を喜びへと誘っていきます。肉を持つことの喜び、持たせてもらったことの幸せ、心でさらに感じていけることでしょう。思いを向ければ、ありがとう、ありがとう、ただただありがとうの思いばかりです。 現象と言えば、普通肉で不都合の現象を連想しますね。そしてその現象はある日突然やって来るものではありません。寝耳に水の出来事なんてありません。原因があるからそこに条件が整えばそれが形となって現れるだけのことです。 現象と言えば、普通肉で不都合の現象を連想しますね。そしてその現象はある日突然やって来るものではありません。寝耳に水の出来事なんてありません。原因があるからそこに条件が整えばそれが形となって現れるだけのことです。最初驚きと戸惑いあるいは心の揺れはあるでしょうが、少し時間が経てばそれも落ち着いてきて心を中に向けようとするエネルギーが働くと私は思っています。そして心を見ることを真面目に学んできた方ならば、心をどこへ合わせていけばいいのか、それは体得していることでしょう。学んでこられた方とそうでない方との違い、アルバートを感じ信じている方とそうでない方との違いがここではっきり現れてきます。またそこで他力でアルバートを求めてきたかそうでないかもはっきり感じられます。 生死に係わるまたはそれに準ずる現象が起こって初めて真剣にこの学びと取り組まれる方があるかもしれません、あるでしょう。その場合本当に生まれ変わったつもりで学んでいかなければ難しいです。自分が出してきた思いの結果が今こうなっているんだと素直に受け止めて、そこから自分の心の立て直しをただひたすらやっていく、そんな一途さというか真撃な思いは不可欠です。しかしやはり現象を喜びの転機と受け取っていける心は、常日頃からの積み重ねがなければなかなか難しいと私は思います。肉の渦の中に飲み込まれて生きてきたからです。それでもやはり心を見て心を合わせていく、アルバートを素直に呼んでいく、それしかありません。 意識の流れをせき止めたり変えることは絶対できない、これが大原則です。波動の世界を深くそして強く感じていけば、そのことは歴然としています。 私は私というものを肉の次元で言うところのいわゆる特別であるとは思っていません。もちろん意識の世界において優劣があるはずがありません。しかし私はアルバートに目覚めるために今世肉を持ったということをしっかりと自覚しています。意識の流れが今世のこの肉を持たせたと表現すればいいのかもしれません。だから比較競争はもうやめていきましょう、そんなことをしても無駄ですよということを知っていってほしいという思いがあります。そう無駄なんです、肉でどうしたって意識の流れには逆らえないんです。なぜならば私達はその流れの中に存在しているからです。肉で言えばそんな効率の悪いことせずにもっと楽に素直にやっていけばいいのではないでしょうかということです。 意識の流れをせき止めたり変えることは絶対できない、これが大原則です。波動の世界を深くそして強く感じていけば、そのことは歴然としています。肉の私がどうとか言っているのではないことが、あなたも波動の世界にもっと素直になっていけばお分かり頂けるのではないかと思います。 私は今世のこのときに照準を合わせてきました。それは何度も心で感じているところです。今世田池留吉という肉を通し波動の世界を広げていくということは私自身が予定してきたことでした。アルバートに出会うために今を用意してきたことを感じている私です。特別でも何でもないけれどそういうことをはっきりと自覚できている私から流れるものがあるということを知ってください。 田池留吉が指し示す方向に素直に真面目に真剣に心を向けてきたか、アルバートを本当に信じているか、白と黒の結果がもうはっきりと出始めています。これからさらにそれはシビアになってくることでしょう。 田池留吉が指し示す方向に素直に真面目に真剣に心を向けてきたか、アルバートを本当に信じているか、白と黒の結果がもうはっきりと出始めています。これからさらにそれはシビアになってくることでしょう。皆さんそれぞれが選んできた結果が形となって現れてくるということです。意識の世界はごまかせないです。流れに逆らって幸せ、喜びの人生が展開されるはずがありません。また他力が強い方はその喜びと幸せを手に入れるために田池留吉の言うことを信じていこうとかアルバートを思っていこうとされています。全然違いますが、その間違いにまだ気付けていない方も多いです。どれだけ欲深いか、真実から遠くにかけ離れているか、やがて肉の現象を通して自ら促しを受けますが、果たしてそれを真撃に受け止めていけるかどうかはその人次第ですが、己が高ければ難しいです。 心をしっかり見ないと、欲の思いと恐怖心から田池留吉をアルバートを呼んでいるようでは従来の他力信仰と何ら変わるところはありません。後に残る思いは恨みと呪いです。田池留吉は私を見捨てた、その思いがどんどん自分を地獄へと落としていくんです。そうではなかったと気付いた瞬間からありがとう、ありがとう、嬉しいとなってくるんですが、さあそれはどうでしょうか、それもなかなか難しいことだと思います。 とにかく自分が選んできたものは自分に帰ってくるということ、意識の世界にはこの宇宙には自分しか存在していないということです。 田池留吉、アルバート、その肉を超える肉はなし、そう宣言できる私です。 私は、私とアルバート、私と田池留吉、その世界その喜びの世界を実感しています。私は今世田池留吉という肉に出会わせて頂きました。出会わせて頂いて今私がはっきり思うことは、肉の次元からもその肉を超える肉はこれから先私の目の前に現れてこない、もちろんアルバートを除いてはということです。これをどのようにとらえてもらっても私は構わないけれど、私には大切な肉です。私に多大な影響をもたらしてくれた肉です。 なぜならば肉と意識がひとつであるということを私に伝えてくれたからです。そのことが心にひしひしと伝わってきます。アルバートを心の底から本当に信じている肉であれば、そこに存在してくれているだけで嬉しい、肉を遥かに超えた繋がりを感じる喜びと幸せは、肉のみで生きている肉には到底分からない世界です。 今世私は予定とはいえ、その世界を心で感じ広げています。もちろん宇宙に向けたときの私の意識の世界、UFOとの係わり、その波動の世界は心に強く大きく響いてきます。宇宙を感じるときはもうたまらなく嬉しいし、どこまでもどこまでも広がっていく宇宙が私の宇宙だという実感もあります。 そのことと同時に私は肉持てた幸せと喜びを田池留吉の肉を通し伝えてもらったことが何とも言えないほど嬉しいです。田池留吉、アルバート、その肉を超える肉はなし、そう宣言できる私です。 宇宙へ喜びのエネルギーが流れていく、宇宙とともに喜び、喜びの中を進んでいけることがただただ嬉しいです。宇宙は喜びでした。 何度も何度も伝えたい、ともに歩めることが幸せです、ともに生きていけることが喜びです。アルバートを知った私は喜びです。アルバートと出会った私は喜びです。これに優るものはありません。そして今世と来世の肉の時間、同じように苦しみから喜び、幸せへと展開していく私自身の肉を持つ時間がもう嬉しくてたまりません。 意識、波動の世界にひとつ、ひとつに溶け合ってともに感じ合えるこれからに思いを馳せるとき、三億六千年に本当にありがとうございましたという思いでいっぱいになります。この地球という星に転生の機会を頂いたことが私の心の歴史の中で喜びへと変わっていける第一歩を今世歩ませてもらいました。地球に宇宙に真っ黒なエネルギーを流し続けてきましたが、すべてに待ってもらいました。本当にありがとう、ありがとうの思いだけです。 これから地球は様変わりしていきます。人類の出す真っ黒なエネルギーに息も絶え絶えの中、しかしすべてが愛の中にあることを自ら示してくれます。本当にありがとう、ありがとうしかありません。 宇宙へ喜びのエネルギーが流れていく、宇宙とともに喜び、喜びの中を進んでいけることがただただ嬉しいです。ありがとう田池留吉、ありがとうアルバート、宇宙は喜びでした。 田池留吉の目、アルバートの目、私は大好きです。本当に優しいです。その目から思いが伝わってくる、この心にどんどん響いてくる、優しい、優しいとろけるほどの優しさです。 田池留吉の目、アルバートの目、私は大好きです、本当に優しいです。その目から思いが伝わってくる、この心にどんどん響いてくる、優しい、優しいとろけるほどの優しさです。私はあなたの目の中に吸い込まれていく、いつもいつもあなたの目を感じている、優しい優しい目を感じています。アルバート、アルバート、私はどれだけ幸せか、お母さんありがとう、ありがとう、すべてを委ねていける私はこんなに幸せです、喜びです。田池留吉の目、アルバートの目を見る私は赤子です。ただただ嬉しい、委ねられることがただただ嬉しいです。 田池留吉の目を恐怖していた私です。みんな見透かされている、どこまでも追及してくる、目を真っ直ぐに見れなかった、見れない自分に自分が怒っていました、悔しくて悔しくて仕方がなかった、そんな心を思い出します。 でも今は本当に嬉しいです。真っ直ぐに見れる、目と目で語り思いが伝わってくる、それは喜びそれは幸せ、ともに生きともに存在できる喜び、幸せです。 目がすべてを物語ってくれている、私とあなたはひとつですよ、ああ二五〇年後に出会う目もこの目でした。嬉しいです、お母さんありがとう、心から嬉しい思いが沸き起こってきます。田池留吉のアルバートの目と出会える私は幸せです。心が一瞬にして開いていく二五〇年後です。私はあなたととともにこれからもずっといっしょに生きてまいります。 本当の自分に素直に正直に生きるということは、アルバートを知ってそしてアルバートがすべてであると断言できるということです。 アルバートの波動を感じていない方、アルバートの世界を信じていない方、あるいは感じていてもほんの僅かでありその信が弱い方、そのような人にはアルバートがすべてだと言っても何か大げさに非現実的に聞こえることでしょう。嬉しいとか幸せとか喜びとか一応は感じて分かるけれども、けれどもです、やはり現実と言えば、今目の前に見えているこの日常生活、その中の自分というふうになってしまいます。私は違うんです、私はアルバートがすべて、そこから派生して肉の生活が成り立っています。だから私は適当に稼ぎ適当に肉も楽しんでいます。でも私はそんなものにこだわりを持っていない、それよりも私の中にアルバートを感じていけることが喜びであり幸せである日々を過ごしています。田池留吉の肉を見ればアルバート、思えばアルバート、本当に私は嬉しいんです。私は幸せです、喜びです。アルバートを感じている私にとって、肉の喜び幸せなど自然に整ってくることを感じます。 だから私には分かります。どれだけ外から見て肉が整っていても、その方がアルバートを知らなければその方にとってそれは幸せでも喜びでも何でもないということです。物、形で幸せになれないことを私達は自分の心で証明しているけれども、結局は素直でないから認められないだけです。 本当の自分に素直に正直に生きるということは、アルバートを知ってそしてアルバートがすべてであると断言できるということです。 闇の帝王、そう今世田池留吉と出会っている私達は闇の帝王に違いありません。みんな己一番の大きなすさまじいエネルギーを蓄え流し続けてきました。 闇の帝王、そう今世田池留吉と出会っている私達は闇の帝王に違いありません。みんな己一番の大きなすさまじいエネルギーを蓄え流し続けてきました。しかし、今世私達は田池留吉と出会えました。闇の帝王を返上するチャンスを自ら与えました。いかなるパワーをもってしても母の温もりの前には通じないことを心で学ぶチャンスです。闇の帝王を広げるのではなく優しく優しく包んでいく喜びと幸せ、そしてアルバートとともに歩いていける喜び幸せを実感できるそんな場、セミナーという時間空間を持たせて頂きました。 私自身を語れば、それはそれは大きなパワーを秘めてきました。過去においてまさに闇の帝王、宇宙を支配し牛耳るエネルギーそのものでありました。しかし今世目覚めがあった、すなわち私は闇の帝王ではなく私は喜びであるという目覚め、私は田池留吉とともにアルバートとともに歩くものであるという目覚め、だからそれが核たる所以なんです。 今世の学びはもう幕を閉じようとしています。核が核としての自覚を持ち真実一直線に歩む足取りが確かだからです。後は二五〇年後の来世に繋いでいくのみです。もうそういう時期であることを、各々しっかりと自覚なさってそれぞれのアルバートヘの道を一歩進めていってください。二五〇年後の来世の出会いをただただ待つ、喜び喜びの爆発をともに味わってまいりましょう。 どんなことも誰がではなく、何でではなく、全部自分が選び自分で決定してきたことばかりです。そのことを素直に受け取れるところから本当の学びは始まっていくと私は思っています。 白には白の人生が、黒には黒の人生が、その通りですが他力の心そのままの方がこの言葉を目にしたとき耳にしたとき、やはり他力の色濃く受け取られていくだろうと思います。学んでいこうとする動機目的が自分の中で見直されない限り、本当にこの道を歩いていくのは難しいです。そこのところが最大のポイントだと思います。だから形でいくら熱心でもそれは違うということです。 やり直しもきくし、Uターンもできる、それはあなたが素直であればということです。欲の心でそして己をしっかりと持ったままではとてもとてもです。そしてまたどうせ私はだめなんだと自ら放棄していく心も根本は同じです。どちらも己が高くそびえ立っている心です。本当の自分を知らずに偽物の自分をつかまえている、しかもそれは正しい立派とやっているから何とも言えません。 長い方で二十年余りという年月を学びに費やされました。本当に学んできたかどうかは別としてそれだけの時間を自ら与えたということです。自分の人生その決定権はいつも自分にあります。どんなことも誰がではなく、何でではなく、全部自分が選び自分で決定してきたことばかりです。そのことを素直に受け取れるところから本当の学びは始まっていくと私は思っています。 田池留吉を通しアルバートと出会っている私、それは永遠の過去とともに永遠の未来を感じている幸せ、喜びと表現する以外にはないです。やはり過去から未来へと続く道が心に見えているということが何にも代えられない喜びです。 二十年近く続いてきたセミナー、そのときそのときの表情がありました。途中参加の私ですがそれでも様々な試みの中を学ばせてもらいました。本当にそうですね、あの手この手で私達は伝えてもらっていました。でも今はもうそれも要らなくなった、後はそれぞれの心に任せていくだけとなりました。二泊三日のセミナー十二回、後は心で感じていくだけです。 私は「こんな幸せな私と出会ったことがありません」という感想を今現在持っています。本当に幸せなんです。田池留吉を通しアルバートと出会っている私、それは永遠の過去とともに永遠の未来を感じている幸せ、喜びと表現する以外にはないです。やはり過去から未来へと続く道が心に見えているということが何にも代えられない喜びです。ともに生きともに存在する喜びと幸せをこうして心に感じられる私は本当に幸せ者です。 もちろん肉の心は揺れます。愚かな肉ですからある程度仕方がない、でも今地球上にどのくらいの人間が生まれて死んでいっているか知りませんが、このように出会わせて頂いたことが私はただただ嬉しいです。ありがとう、ありがとう、ただただありがとう、母にすべての意識達にただただありがとうの思いが込み上がってきます。アルバートとの出会いが私のすべてでした。田池留吉すなわちアルバート、すべてに「はい」の人生を私はあなたとともに歩いてまいります。 社会というルールの中で無理することなく肉を維持していくことができる、そうしながら社会と調和して、しかし本道をしっかりととらえながらの時間を頂いているということは幸せ、喜び以外のなにものでもないと思っています。 今肉持っているこのときに、多くの心の体験があってだからここまで本道を歩いてこれたと思いますが、肉の次元での価値基準も、もともと私は一風変わっていたのではないかと振り返っています。そこへ何度も何度も心の体験があってやはりそうであったという確信を深めていくことができたと思っています。 もちろん意識の現象化したものが肉ですから、そういう肉というか肉の基準を持っていて意識のそれとすんなりと融合していったという感じがあります。だから肉と意識の違和感を抱きながらも、反発はなかった肉もどこかで納得していてむしろ肉の心が楽になりました。 社会というルールの中で無理することなく肉を維持していくことができる、そうしながら社会と調和して、しかし本道をしっかりととらえながらの時間を頂いているということは幸せ、喜び以外のなにものでもないと思っています。 生まれそして新たに家族を形成し社会の中でその一員として生活をしていく、そうすることで寂しさを埋めることができたならそれに私は迎合していったことでしょう。そうではないということを今世の肉もまた確認できたからそれで充分です。後は確信の道を伸び伸びと自由に進んでいくだけです。選んできた、心に抱いてきたことに間違いはなかった、私は今世やっと自分の人生を生きられるという思いでいます。 アルバートを感じる心には己がありません。そびえ立つものなんて何もない、だからそびえ立つ世界においてアルバートを感じ広げていくことはあり得ないんです。己をしっかり持ったままのアルバートの世界なんて存在しません。 先頭も最後尾もない、みんながひとつです。素直であるかそうでないかだけです。私には私が先頭でみんなを引っ張っていくという思いなどありません。でも私は嬉しい、私は幸せ、本当に喜びですということをただ伝えたいだけです。それは心に感じているからです。私は本当にアルバートを信じています。アルバートを本当に感じています。アルバートを思う思いは本物です。アルバートの波動を感じているから、それは私の心の底から沸き起こってくることだから、アルバートを呼ぶ私は喜びそのものです。 アルバートを感じる心には己がありません。そびえ立つものなんて何もない、だからそびえ立つ世界においてアルバートを感じ広げていくことはあり得ないんです。己をしっかり持ったままのアルバートの世界なんて存在しません。アルバートでないアルバートの世界をアルバートだと思い込んでいるだけです。そのチェックをどうぞ素直な心でしてみてください。それがセミナーの時間と空間です。そのためのセミナーです。欲で肉で来られてもご希望には添えないです。 そして波動の世界を本当に感じていけば分かる、言葉なんかいらない、出す言葉があるならありがとう、ありがとう、お母さんありがとう、嬉しい…そんな言葉だけです。 明るく軽く自由で爽やかで清々しい波動の世界を、アルバートに出会えた喜びをともに感じていきましょう。お母さんありがとうございましたと生んでもらったことを心の底から喜べることが最高に幸せだと、その心で実感していってください。 もうそろそろ波動のお勉強の凄さを本当にその心で感じていってください。 心の底からお母さん…、お母さん…、ありがとう…、嬉しい…、思いが込み上がってきてもう何ともたまらない喜び、嬉しさ、その幸せをその喜びをどうぞあなたもその心で体験してください。もう何の説明もいらない、肉だ意識だそんなことももうどうでもいい、幸せなんだから喜びなんだからそしてみんな間違ってきたことも何もかも、みんなみんなその心で分かるということです。 もうそろそろ波動のお勉強の凄さを本当にその心で感じていってください。何度も言います、前に出られた方だけのお勉強ではありません。私達は凄い学びというか凄い世界を垣間見るチャンスを自ら設定しています。過去培ってきたブラックパワーの張本人である私達がようやく今世その計画のもとに肉を持ち、このように本物を知る流れの中に自らを誘っています。肉ではありません、あなたのそんなちっぽけな肉などに私は伝えていない、しかし私は私の仲間に伝えています。だから核からのメッセージはあなたの心を大きく揺さぶります。あなたの心にある日突然信じられない衝撃を与えます。当然です、私は私の仲間達に伝えているのだから。 しかしまだその時期到来のない方もたくさんいます。それでもどうぞそんなあなたも私達はひとつ、私達は仲間なんだ、その意識の流れに乗ってともに進んでいけるあなたに蘇ってください。 あなたが素直であるかどうか、これからもそれのみがキーポイントです。 意識のあなたはみんな素直です。頑固で強情で冷たいのは肉のあなただけです。私はそのことを前に座らせて頂いてつくづく感じています。 喜びは肉で抑えることはできません。心から弾けるようにそして次から次へどんどんどんどんその肉を通し喜びのエネルギーが噴き出してくる、止めようもないこの喜びを互いに喜び合える仲間を私は待っています。 本当に心に何もない、何もない、ただ嬉しい、嬉しい、心と心とが呼び合ってそして私達はこの喜びの中にあったことを確認できる幸せを今このときに持てる、私はもう何も要らないです。あなたがいて私がいてそしてともに歩めるこれからがあって、私はそんなことを本当に心で感じています。だから嬉しい、幸せ、長い長い転生を経てようやく私は巡り合えた、心の中にアルバートを本当の自分を呼べる、私は一人でも多くの方がこんな心の体験をされる日がやって来るのを待っています。 ともに喜び合いたい、ともに歩みたい、ともにアルバートを広げていきたいです。意識のあなたはみんな素直です。頑固で強情で冷たいのは肉のあなただけです。私はそのことを前に座らせて頂いてつくづく感じています。すっとその肉を取ればすっと感じられる世界がある、そしてどんどんやっていけばああこれが私なんだ、この喜んで幸せで嬉しいのが私なんだと信じられる、私はそのことをただただ信じているだけです。肉は何も変わりはしない、特別なところは何一つない、だからよかった、だから本当の世界を感じ広げていくことができた、私は自分を振り返ってそう思っています。 はっきり道が見えている肉とそうでない肉、当然そこから発せられる言葉も波動も違ってきます 私は宇宙そのもの、宇宙が喜んでいる、そう私の中の宇宙は喜んでいます。田池留吉そしてアルバート、宇宙が本当に喜んでいます。 私は宇宙そのもの、宇宙が喜んでいる、そう私の中の宇宙は喜んでいます。田池留吉そしてアルバート、宇宙が本当に喜んでいます。今このような時間空間を持っていることが本当に嬉しいです。肉も意識もひとつ、まったくひとつ、田池留吉の肉もアルバートの肉もそしてその宇宙もみんなみんなひとつ、今が未来であって未来が今、そんなことが感じられる今どれだけ幸せであるか、田池留吉を思うときアルバートを思うときただただありがとうしかありません。波動の世界をともに喜び合える喜びと幸せを満喫できる、私は私の宇宙と出会えた、それがたまらなく嬉しいです。 夫であって夫でない、妻であって妻でない、親子、兄弟姉妹等々みんなそう、肉の繋がりなんか微々たるもの、私が今感じている世界はそんな世界です。しかしアルバートをその宇宙に存在する私というものを感じるとき、また今世このように肉をもらい来世また肉を頂いてくることが本当に嬉しいです。肉を持って確かめ合える幸せと喜び、これは肉の次元に止まっている方には到底理解できないです。これが本当の肉の喜びと幸せ、肉持って知る本当の喜びと幸せ、私は今世の肉を通してその確信を得ました。 そして二五〇年後の出会いがあります。特に目と目の出会いはその瞬間に二五〇年前に戻る、もうお分かりでしょう。そうやって喜びが爆発する、そのエネルギーはたちまち全世界にそして全宇宙に流れていく、肉をそして意識を呼び起こす起爆剤、それが目と目の出会い、待ち遠しい出会いです。 地位、名誉、財産等々、この世のものをいくつ持っていてもそしてどんな業績を残そうとも、真実に疎ければみんな同じ、真っ暗な世界にただひとりいるだけです。 地位、名誉、財産等々、この世のものをいくつ持っていてもそしてどんな業績を残そうとも、真実に疎ければみんな同じ、真っ暗な世界にただひとりいるだけです。この世の評価など幻、もしその方を語るとするならば、重く沈み込んだ世界の住み人としか表現できません。 何のための人生か、必ず振り返るチャンスはある、そんなとき今世学びに触れた人とそうでない人とは雲泥の差です。学びに集っても肉基準の心からなかなか抜け出せない方も、知識はいっぱい持っているのだから、そのチャンスに出会ったときそこで初めて自分は何て幸せなんだろうかとつくづく分かると思います。 真実の見えていない分からない烏合の衆の中で、どんなに拍手喝采を浴びてもみんなみんな真っ暗、そのことが肉を持っている時間に心で分かってくれば、自ずとその生き方は変わってきます。本当の自分を語れることがどれだけ幸せで喜びであるか、肉の時間と空間を自分に与えてきたことがどれだけの愛であるか、真実を伝えてくれた本当の自分に出会いました。 本当の自分と出会うということが天変地異です。それぞれの中に天変地異を起こすこれからが用意されています。私は嬉しくてなりません。真実に目覚めるように設定されているそのことが嬉しくてなりません。 喜びはますます大きくなっていきます。喜びのエネルギーはますますそのスピードを増していきます。喜びが喜びを起こす、喜びのエネルギーが宇宙へと流れ出した今、本当にともにひとつの世界を感じていきましょう。 喜びはますます大きくなっていきます。喜びのエネルギーはますますそのスピードを増していきます。喜びが喜びを起こす、喜びのエネルギーが宇宙へと流れ出した今、本当にともにひとつの世界を感じていきましょう。 もう肉でどうこうなんか要らない、みんな喜びを感じ合える心をお母さんから頂いています。素直に素直にそのことを喜んでいきましょう。 アルバート、私達はアルバートといっしょ、いつもいつもアルバートといっしょ、それが心で感じてきたなら本当に嬉しいです。日々アルバートを思い田池留吉の宇宙に心を馳せる、今がどんなときなのかその心で堪能していくことでしょう。先のメッセージでもお伝えした通り、真実に疎ければどんなに栄光の中歩き続けてきても、我が人生万歳とはならない、最後は哀れな結末です。みんな真実を忘却のかなたに捨て去ったから人類の悲劇はずっと続いていきます。 しかし今目覚めを頂いた意識、その流れがこれから宇宙に天変地異を起こしてまいります。私はそのことをはっきりと自覚できる、それが私の喜びだからです。アルバートとともに田池留吉の宇宙とともに歩むこれから、どうぞ心をひとつにして四次元へ進んでいきましょう。 この喜び、このメッセージを私は伝えたくて伝えたくて、波動のお勉強に座らせて頂いています。ともに四次元への熱き思い、これから真っ直ぐに真っ直ぐにあなたの心に届いていくことでしょう。 肉の小さな殻を突き破ってあるいはそんな他力の神々のエネルギーなどにもう翻弄されることなく、しっかりとあなた自身の心でこの喜びの波動を感じていってください。アルバートはいつまでも待っています、待ち続けています。 欣喜雀躍、私はこの言葉を知りませんでした。辞書を開いてなるほどなるほど、その通りです。喜びは肉で抑えることなどできない、喜びのエネルギーはそのまま肉を通して伝わっていく、私の喜びはアルバートに出会えた喜び、二五〇年後がまさに今の喜び、そしてそして宇宙が喜んでいるということ、もう田池留吉の肉を目の前にする私は肉の田池留吉も肉の私もどこかへ吹っ飛んでいきます。嬉しくて嬉しくてこんな幸せが本当にあったのかと思うほどの喜びです。とにかく嬉しい、理屈ではない、何とも嬉しいです。 だから感じてくださいと何度も何度も伝えています。肉の小さな殻を突き破ってあるいはそんな他力の神々のエネルギーなどにもう翻弄されることなく、しっかりとあなた自身の心でこの喜びの波動を感じていってください。アルバートはいつまでも待っています、待ち続けています。 待ってもらいました。アルバートに出会えた私の喜びをどう表現すればいいのか見当もつきません。ただ言えることはこれからのセミナー会場は今以上に凄いということです。私には田池留吉そのものがアルバートでそして二五〇年後であってということ、それを心で感じ分かってくれる人達が増えてきた、今まで肉で見ていた人達が心で感じてくれるようになってきた、だから私は伸び伸びとこの喜びを素直により以上に表していけると思っています。 自分でもどうなるか分からないほど嬉しいです。ただただアルバートとひとつ、それがたまらなく嬉しいです。 意識の流れを感じる私は、もう何も言葉はありません。ただこの流れに乗っていくだけです。流れの真っ只中で喜びを感じている私は、そう理屈も何もないただただ嬉しいだけです。 意識の流れを感じる私は、もう何も言葉はありません。ただこの流れに乗っていくだけです。流れの真っ只中で喜びを感じている私は、そう理屈も何もないただただ嬉しいだけです。肉の時間、今世と来世のあと僅かとなりましたが私は私の心はもうそれを喜びとしてとらえています。だから肉の心も定まっています。 三次元に留まるのもともに次元移行を果たすのも、それぞれが選んでいくこと、しかし私は私自身ははっきりと自分の進むべき道を見つめている、このことがどれだけのものなのかどんなに凄いことなのか、私は自分の心で感じています。 幸せです。本当に幸せです。永遠に続く道をともに歩いていけることが幸せです。心で感じられることが幸せです。だからもう肉はその幸せ喜びに委ねていくだけです。肉の人生をうまくこなしていこう、上手に生きていこう、そんな思いはさらさらないです。なぜならば私の肉もまた幸せだからです、喜びだからです。肉にも響いてきます、私自身が響いてきます。本当にありがとう、ありがとう、そして嬉しい幸せです。 私の来世は三次元最終のときです。だから自分が書いたシナリオは厳しいです。しかし絶望の淵から蘇ってくる来世の私自身にしっかりとこの意識の流れが伝わってくることでしょう。そのための今世の私が今ここにいることを私は深く感じています。ともに四次元へその思いそのエネルギーが私を大きく動かしていきます。 意識の流れの中にひとつに溶け合って私は私の中の宇宙とともに歩んでまいります。宇宙は喜び、私は喜び、そして意識の流れとひとつが私です。 広いです、意識の世界は広い、止め処もなく広がっていくのが宇宙です。心に感じれば感じるほど、私は逆にこのちっぽけな肉を頂いてきたことがただただ嬉しいです。肉を通し私は今宇宙を感じています。意識の流れをすなわち私自身を感じています。肉を通し感じられることが本当に嬉しいです。 肉は喜びだけを表現する器、私は本当にその通りだと思います。心に響き心から沸き起こってくる思いを、そのままストレートに表現できる喜び、肉を持てたからこそ感じられる喜びです。肉と意識がひとつになって喜びが何倍にも何倍にも倍増していく、この宇宙に喜びのエネルギーが溢れていく、流れの中に存在している自分というものをはっきりと自覚できる喜びは本当に凄いとしか表現できません。目覚めればひとりひとりが凄い存在ですとだけお伝えしておきます。 意識の流れは厳然としてあり、それは滞りなく遂行しています。私自身、私の中の宇宙に呼びかけます。ともにともに喜びに目覚めてまいりましょう、それがこれからの二五〇年、三〇〇年です。流れの中にひとつに溶け合って私はともに歩んでまいります。宇宙は喜び、私は喜び、そして意識の流れとひとつが私です。 何にも代えられない時間と空間を自分に用意してきました。 何にも代えられない時間と空間を自分に用意してきました。今のこの時間と空間、肉を持っている今このとき何にも代えられないという思いです。しかし失いたくないと肉にしがみついているのではなく、ただただ肉を今持っていること、それが嬉しいです。それはアルバートと出会えたからです。田池留吉の宇宙を心に感じ広げていくことができるからです。 肉をくれた母の思いを今度こそ裏切らずにしっかりと心で受け止めていけたこと、肉持つことの素晴らしさと喜び、優しい思いの中に自分を包んでいける温もり、そんなことを思っているとああ私は本当に幸せだとしみじみ感じます。本当の自分自身に待ってもらっていたんだと思え何とも嬉しいです。 田池留吉の肉は確かにある、そして私の肉も確かにある、しかし私達はそんなものをはるかに超えた喜びと幸せの中にあります。私は実感しています。だからもちろんそのことは肉にも表れるだろうし、また肉を通し表現できるということもまた嬉しいです。最高に幸せです。 そしてやがて田池留吉の肉が目の前から消える、私はまたそこで学ばせてもらいます。肉と意識の関係がさらにはっきりとしてくるでしょう。田池留吉と語りアルバートと語り私は自分の中で対話していきます。その嬉しさというか手ごたえを感じます。私とアルバート、文字通りその中で私は自身の道を歩いていく、そして二五〇年後を待ちます。ただただ喜びで待ち喜びで出会い、だから私達はずっといっしょです。 田池留吉は確かに真実を伝えてくれました。真実の世界を波動を通し心に伝えてくれました。別々の流れだと思っていたものが、実はひとつであったことを私は心で知りました。 田池留吉は確かに真実を伝えてくれました。真実の世界を波動を通し心に伝えてくれました。別々の流れだと思っていたものが、実はひとつであったことを私は心で知りました。だから私は本当に嬉しいし、こんな幸せを感じられこんな喜びを感じられることが、もうたまりません。 そしてアルバートの世界は愛の世界、本当の愛の世界です。転生を繰り返し愛を求めてきた、すべてが肉の愛でした。 今肉持って肉の愛でない愛の世界を心に感じられる、心に響いてくる、肉を持ちながらすべてがひとつであることを感じるということは、これほど幸せで喜びで衝撃的なものはありません。肉の愛は所詮、自分可愛さのエゴと欲と無知でまみれた薄っぺらな薄汚いものでした。どんなに優しい言葉も態度も中身はそれでした。本物を知らないもの同士だから、互いに見つめているのはそれぞれの世界だけでした。決してひとつの世界にひとつになれることはありません。 アルバートの世界を知った、それもさらにより本物の世界を深めていけば、もう肉の愛など求めやしない、アルバートとひとつがどんなに幸せで喜びであるか、本当に求めてきたものはこの波動の世界だったと今世確信させてもらったことが、私には喜びです。我が人生、今世にしてようやく合格です。 誰のための人生、何のための人生、真っ直ぐに声を大にして自分に言ってやれることが本当に嬉しいです。 好みじゃない、老いぼれ、お前の化けの皮をはがしてやる…、散々言ってきました。今は何とも懐かしい限りです。そうやって学ばせてもらいました。お前を殺してやると叫んでもなかなか目を合わすことができなかった中で、その思いが頂点に達したときお前と一対一の勝負だ、真剣勝負…そんな思いで田池留吉の目を真正面にとらえその目に挑みかかったこともあった、絞め殺したいそんな思いが両の手をその首にかけたこともあった、色々な場面が思い起こされます。そしてどんなに抗い続けても私の心は田池留吉をとらえて離さない不思議さを何度も体験してきました。どんなときも田池留吉から返ってくるものは温もりと優しさ、とろけるほどの温もりと優しさだけでした。ひとつ思いを吐き出せばよかったよかったと心から喜んでくれる母そのものでした。 父の現象と同時並行的に始まったFさんの反省を初めとするホームページによって私の成長はありました。もちろんセミナー会場における時間と空間の中で、意識の世界の不思議と心から噴きあがってくる懺悔を何度も積み重ねることによって自分を真っ直ぐにとらえることができました。肉の時間の流れる中において今世たくさんの気付きと促しがあったことがただただ感謝です。誰のための人生、何のための人生、真っ直ぐに声を大にして自分に言ってやれることが本当に嬉しいです。田池留吉の肉がそこにいてくれたから、素直な私が素直に現れてくれました。本当にありがとう、今はただただありがとうしかありません。待っていてくれて本当にありがとうございます。 私は心からアルバートを感じアルバートを信じアルバートとともに歩く仲間、田池留吉の宇宙を本当にその心で感じ合える仲間と今世この肉を持っているときに喜びをともにしたい、そして二五〇年後の来世、四次元へとその思いを心で熱く語りたい、今の私の心境です。 肉を通し私の宇宙が田池留吉に挑みかかっていきました。何度も何度も挑みかかっていきました。誰がお前を認めるか、お前の宇宙など誰が認めるか、私の宇宙の方が素晴らしい、そんな思いが心を貫いてそのエネルギーが田池留吉に向かっていきました。三億六千年をはるかに凌ぐブラックパワーが大集合して、今目の前にいる田池留吉を殺せとすさまじいエネルギーが噴き出していった闇出しの現象でした。 口は悪態をつき、身体はセミナー会場を転げまわり、それでも心に沸き起こってくるのは喜び、例えようもない温もりの中を懺悔の思いが吹き上がってくる、声にならない叫び声が涙とともにこの肉から解き放たれる、その爽快感は体験した方でなければ分かりません。 そんな体験を何度も経て、今私は田池留吉を思うとき私の心の中には喜びが大きく膨らんでいきます。そうです、田池留吉の宇宙は私の宇宙でした。私の宇宙は田池留吉の宇宙でした。ふたつはひとつでした。私は喜び、喜びの宇宙が私でした。そのことが心で感じられる、私の中の宇宙は本当に喜んでいます。 だから私は心からアルバートを感じアルバートを信じアルバートとともに歩く仲間、田池留吉の宇宙を本当にその心で感じ合える仲間と今世この肉を持っているときに喜びをともにしたい、そして二五〇年後の来世、四次元へとその思いを心で熱く語りたい、今の私の心境です。 肉でとらえていた田池留吉を私の心はいつしか、その世界その波動としてとらえ、田池留吉の肉は小さく小さくなっていった、そして私の間違いがはっきりと浮かび上がってきました。 心が苦しかった、何をしても何を得ても私の心は苦しかった、しっくり収まらない私を抱えて私は田池留吉との出会いを持たせてもらいました。私は一回一回のセミナーで言われることを自分なりに咀嚼し真面目にセミナーと向かい合ってきました。そしていよいよ時期が熟した、それがほぼ四年前、今はもう私の足取りは確かです。なぜならば私は田池留吉、アルバートと出会うために肉を持ってきたことを確信できているからです。私の思い、肉を含めて意識の世界、その心棒は絶対変わることはありません。 肉でとらえていた田池留吉を私の心はいつしか、その世界その波動としてとらえ、田池留吉の肉は小さく小さくなっていった、そして私の間違いがはっきりと浮かび上がってきました。自分なりに咀嚼していった学びの過程がそれでした。 田池留吉を肉として見る限りそして私を肉としてとらえる限り、自分の間違いに気付けない、真実は見えてこないことを伝え続けています。どんなに自分流に学んでも、その壁は越えることはできない、すなわち肉の壁が前に立ち塞がっていることに早く気付いてくださいとしか申し上げられません。泣いても笑っても今世の学びはあと僅かです。セミナーをどのように思われているか各自それぞれですが、少なくとも私にとってこれが最後のチャンスでした。最後のチャンスを自分に与えてきたその思いを今の私ははっきり自覚しています。私はただそれだけです。だからこの道をひたすらに進むだけ、そしてそのことが心で分かる仲間が出てくれば私はただただ嬉しいだけです。 今世ようやく田池留吉、本当の自分に出会えた私です。私の心の旅は今世ようやく出発で 今世ようやく田池留吉、本当の自分に出会えた私です。私の心の旅は今世ようやく出発です。どれだけの喜びか、そして長い長い間、田池留吉を忘れ去ってきたことが深く心より響いてきます。本当に申し訳ありませんでした、私は喜びでした、この思いが沸き起こってきます。波動の世界に存在する私自身、喜びの私自身を実感する今このときです。 田池留吉に出会えたということを心で感じている、本当の自分と出会えたということをその心で感じている私にははっきりと分かるんです。田池留吉を馬鹿にし、ずっとずっと下に見ているということがどういうことなのか、今世田池留吉と出会いながら田池留吉を裏切ったということはどういうことなのか、ちょっとやそっとの反省では覚束ないということです。事実喜びの波動、アルバートを感じたとしてもそれが目覚めに至らない現実をもっと直視してください。目覚めるということはそんなに廿いものではありません。そんなに容易いものではありません。 己という殻を打ち破り、何もかもかなぐり捨てて素直になる、何も持たない何もない裸になる、委ねる、託するということはそういうことです。田池留吉、アルバートを信じるということはそういうことです。そしてそれは絶対肉ではできない、肉は何もできない頭なんて何の役にも立ちません。 どこまでそびえ立っているのか、波動の世界に存在する私自身を感じそして本物を感じれば感じるほど私はそうお伝えせざるを得ません。どうぞ素直になっていってください。それがあなたの突破口です。 田池留吉の宇宙を心で感じ真のパワーを感じました。真のパワーは温もり、私はその中に生かされ続けてきた意識、それが私でした。宇宙を支配するのが私ではなく宇宙に生かされているのが私、そしてその宇宙が本当の私でした。 私の宇宙はブラックでした。暗黒でした。今世ようやくそのことが心で分かりそして心で認められた、宇宙を支配してきたエネルギーがそのままこの星で転生を繰り返しブラックの上にブラックを重ね塗り固めてきました。暗黒の世界、それが私の宇宙でした。 もちろん心で分かるまで私は闘い続けました。しかしその闘いは闘いのエネルギーを増幅するものではありませんでした。今か今かと待ち続けようやくその大きなチャンスが目の前にやって来たことを私の中はいち早く気付いていたからです。だから闘いそのものが喜びでした。私の宇宙、すべての宇宙が喜んでいる、闘いを挑むほどに喜びのエネルギーが大きくなっていく、待っていた待っていた、ようやく出会えた、そんな思いが怒涛のように寄せてくるのを何度も何度も感じてきました。肉持てたことが喜びです。今世肉を持たなければ私は私の宇宙は永遠に地獄の底に沈み込んだままであったはずです。肉持てたからこそ気付くことができた、まさにその通りです。お母さんごめんなさい…そして本当にありがとうございます。 三億六千年を含む私の宇宙が本当に変わっていくときが今世このときでした。私の心はそれをとらえることができた、だから私はただただ嬉しい、ただただ喜びです。 田池留吉の宇宙を心で感じ真のパワーを感じました。真のパワーは温もり、私はその中に生かされ続けてきた意識、それが私でした。宇宙を支配するのが私ではなく宇宙に生かされているのが私、そしてその宇宙が本当の私でした。、 どんなときも自分が自分をじっと見ている、そんな目で自分を見てやれることが優しさだと私は思っています。そんな優しい目で自分を見つめ二五〇年後に淡々と心を繋いでいく、それが私の今世の仕事です。 誰しも認めてほしい、認められたいという思いはあると思います。特に田池留吉に認められたいという思いはみんな少なからず抱えてきた、抱えていると思います。他の人はおいても田池留吉にだけは認められたいと思ってきた方もあったことでしょう。でもそれも真実その波動の世界を感じてこられたなら自然解消していきます。そう望み通りに私はちゃんと認められていました。田池留吉に認められていました。それは私はひとつの世界を知ったからです。田池留吉は私、私は田池留吉、この真実を心で知ったからです。アルバートとひとつ、その世界を知った私は認めてと言わなくても認めてもらっています。 もうひとつ、自分の評価は自分でつけるべきです。田池留吉を含め人に評価を求めれば方向がずれていきます。 私は肉を含めた自分というものを客観視することが大切なことだという思いを持っています。すなわち一歩引いて自分を見つめるということ、気も狂わんばかりの嬉しさ喜びの中でも私はそんな自分を静かに見ている自分を感じています。 どんなときも自分が自分をじっと見ている、そんな目で自分を見てやれることが優しさだと私は思っています。そんな優しい目で自分を見つめ二五〇年後に淡々と心を繋いでいく、それが私の今世の仕事です。自分を自分で認め自分を評価する、着実な一歩を私はこれからも歩み続けます。 ともに喜び、喜びの中をともに進めることを心の底から喜び合いたい、果てしない過去からやってきて果てしない未来へと続いていくその一点が今、今がすべてであることを心で感じ合いたいです。それが私の仲間、本当の仲間達です。 私はセミナー会場に集っている人達がみんなみんな愛しいです。目を閉じて田池留吉を思い心を向けるとき、すべてが私の仲間達、みんなみんなおいで出ておいで、そんな思いがこの心から溢れ出てきます。私達はひとつ、温もりの中にひとつである私達であることを私はずっとお伝えしています。 誤解されるかもしれません。いい気になるなと反発があるかもしれません。でも私はあえてここで宣言したいです。どうぞ私の方に心を向けていってください。核に心を向けていってください。田池留吉を思いアルバートを思うそして核を思う、すべてがひとつの世界にあることが心で感じられると思います。そしてその意識の流れを心で感じてこられると思います。宇宙はひとつ、私達はひとつ、喜びがその心に大きく広がっていくことでしょう。拒否し反発し認めることができない心はその世界が広がっていくだけです。はっきりとそのことが言える、流れは厳然としてあるからです。 今私のその呼びかけに素直に心を向け呼びかけに応えてくれる仲間達が出てくれたことを私はとても嬉しく思っています。私達は本当の仲間です。本当に手に手を取ってともに喜びの道を突き進みたい、私はそんな思いでいっぱいです。それ以外の思いはありません。だからそれ以外の思いとは合わないんです。ともに喜び、喜びの中をともに進めることを心の底から喜び合いたい、果てしない過去からやってきて果てしない未来へと続いていくその一点が今、今がすべてであることを心で感じ合いたいです。それが私の仲間、本当の仲間達です。 肉にとらわれていては本当のあなた、すなわちその宇宙が分かりません。そして本当の宇宙が分かってくるほどに、ただただ肉を持たせてもらったことそれだけが嬉しい、喜び、そしてありがとうしかないあなたに蘇っていくことでしょう。 私は嬉しくて嬉しくてなりません。私達は宇宙からやって来た仲間、そう仲間なんです。みんなみんな私の仲間達です。今というこのときに私達はようやく出会えている、田池留吉の宇宙にようやく出会えていることを私は伝えたいんです。田池留吉の宇宙にようやく出会えた喜びを私は伝えていきたい、その肉に繋がってくる宇宙の仲間達に私は伝えていきたいです。 ご承知の通りアルバート、田池留吉の宇宙を知らなかった今世以前の私は真っ黒な宇宙を抱えて存在していました。宇宙を我が物にしようとする真っ黒なエネルギーを垂れ流してきました。しかし私は今世、真実の波動の世界を知り、田池留吉の宇宙を心で感じ核という存在であることを自覚するほどに自分というものを知っていきました。また私がこの肉を表していこうものならたちまちのうちに自分のエネルギーの中に自滅していくことも知っています。それほどの大きなエネルギー、だから今に至る手順が必要でした。そして今、かつてはマイナスであったものがプラスヘと変わっていく喜びの中に私はあります。 私はそういう存在です。そしてこれは皆さんもご同様であることを私は伝えたいんです。どうぞ肉から心を離して心を大きく大きく田池留吉の宇宙へと向けていってください。肉にとらわれていては本当のあなた、すなわちその宇宙が分かりません。そして本当の宇宙が分かってくるほどに、ただただ肉を持たせてもらったことそれだけが嬉しい、喜び、そしてありがとうしかないあなたに蘇っていくことでしょう。 「核の方に心を向けてください」は、私は喜びで語っています。嘘か本当かどうぞ波動を感じていってください。真っ直ぐに伝えたい、そしてその中でともに喜びを感じ合いたい、私はそれだけです。 私は繰り返し伝えています。私達はみんな間違ってきたんです。誰一人間違っていない人はいない、みんな間違ってきた、みんな地獄の奥底から生まれてきたんだということを伝えています。誰一人例外なく真っ黒だったということ、その中でもチャネラーと自負している人、自他ともに認める人、そんな人達はそれこそ真っ黒けのけだということです。そんな自分であることに気付くために今世チャネラーの肉を選んできただけのことです。何のためにチャネリングがあるのか、それは己のすさまじいエネルギーを知りそして最終的には喜びの自分を知るためです。それなのにそこへ行き着くまでに己を表しさらに闇を大きくしてしまいました。せっかくのチャンスをみんな自ら踏み潰していった、それだけのことです。そのそれだけのことを早く自分の心で認めていってください。 私は田池留吉、アルバートに帰ることができる自分自身であったことを心で証明できました。だから素直になってほしい、素直になって波動を感じていってほしい、本当のチャネリングはこうですよと私はいつでも証明できます。私には導く思いも競う思いもない、真実を知っている、喜びを知っている私自身は幸せだから、本当にアルバートを感じアルバートを信じて幸せだからです。 「核の方に心を向けてください」は、私は喜びで語っています。嘘か本当かどうぞ波動を感じていってください。真っ直ぐに伝えたい、そしてその中でともに喜びを感じ合いたい、私はそれだけです。 自分自身のためにすべてを費やしてまいります。それが私自身に与えてきた優しさだと思っています。肉も意識も幸せ喜び、自分とアルバート、自分と自分の世界を堪能していきます。 心で感じ心を開き始めた仲間達が増えてきたことを本当に嬉しく思っています。この流れの中そしてこの勢いの中を私達はともに喜びを広げていけることと思います。そして喜び、喜びのうちにセミナーは幕を閉じていくことでしょう。もちろんその流れに乗れない人達もあります。しかしそれはどうしようもありません。自ら選ぶ道ですから選んだものを自ら受けていくその法の中にあることにまたそれで気付かれたなら、それでいいことだと私は思っています。 ところで今世このようなセミナーという場が与えられた私達にとってこれから何が一番大切なことだとあなたは思われますか。私は心を繋いでいくことが最も大切なことだと思っています。セミナー後そして田池留吉の肉が消えた後、セミナーを通して心で感じたものを、それからの肉の時間の中で大切に育んでいけるかすなわち心を繋いでいけるか、これがまた分岐点だと私は思っています。 私はそのことをしっかりと自分の視野に入れてこれからのセミナーをこなし肉の時間を過ごしていきます。もちろん私の心は意識の世界は文字通り不動です。心を繋いでいくことに○.○○○…%の狂いもないことははっきりしています。しかし生身の肉を持っているということを踏まえて、肉としてもより着実な一歩、慎重な一歩を歩んでいくことでしょう。私にとって大切な時間と空間です。自分自身のためにすべてを費やしてまいります。それが私自身に与えてきた優しさだと思っています。肉も意識も幸せ喜び、自分とアルバート、自分と自分の世界を堪能していきます。 自分にありがとうと言える私は本当に幸せ者です。どこまでもどこまでも広がっていく宇宙、喜びの中の私は宇宙そのものでした。私は宇宙、そして田池留吉もアルバートもまた同様でした。 長かった道のり、三億六千年それ以上の道のりを思うにつけ、ありがとうありがとうすべての私にありがとう、お母さんありがとうございます、その思いが心から溢れてきます。今世肉を持った私を識別するためにひとつの名前を頂きました。しかし私はこの心の中に宇宙を持ちし者、私は宇宙そのものでした。ようやくその私にこうして出会えた今世、どれだけの喜びであるか、私の心からその思いが噴き出てきます。いまだ自分自身を知らないときに、ただひとり田池留吉だけが私を知っていました。信じて待っていますの言葉、思いを私に真っ直ぐに伝えてくれました。私はあなた、あなたは私、そう私はいつもあなたの中にありました。ひとつだと絶えず伝え続けてくれていた波動、その世界が田池留吉の世界、田池留吉の宇宙でした。セミナーという肉の時間と空間の中で意識の流れの中に存在する自分を知っていくほどに喜びは大きく深く不動のものになりました。自ら設定してきたこととはいえ私は自分自身に本当にありがとうございましたしかありません。待ち望んできた意識達、そのエネルギーが今世こういう形で自らを誘っていきました。宇宙が喜んでいる、ありがとう、ありがとうを伝えてくれています。自分にありがとうと言える私は本当に幸せ者です。 今その宇宙を心に感じます。どこまでもどこまでも広がっていく宇宙、喜びの中の私は宇宙そのものでした。肉を識別するための名前、しかし私には名前などない、私は宇宙、そして田池留吉もアルバートもまた同様でした。 宇宙を変えていくパワー、それが私達の本当の姿です。そのことに目覚めるために私達は今世このようなチャンスを作ってきました。私達はブラックではなく、真のパワーの持ち主であることを自らその心で証明するために肉を持ってきたということです。 一堂に会し今世このようにともに学ばせて頂いている私達は本当に幸せです。真っ暗闇の中を生き続けてきた私達にとってこんな幸せなときを自分自身に用意してきた、もうそれを思うだけで私は本当に幸せで、何もいらない、何も言葉はありません。 私が心で知った田池留吉の世界はほんの少しです。しかしそのほんの少しがこれほどの喜びであるのかと思うほどのものです。そしてその喜びを心で感じられる仲間達が増えていけばまたセミナーが進化していきます。私はそれがたまらなく嬉しいです。なぜならば私達はまた一歩前進できるからです。今世ともに学ばせてもらえるその中で、さらに喜びが喜びを促しもっともっと大きく田池留吉の世界を心でとらえることができる私達だろうと私は思っています。 宇宙を変えていくパワー、それが私達の本当の姿です。そのことに目覚めるために私達は今世このようなチャンスを作ってきました。私達はブラックではなく、真のパワーの持ち主であることを自らその心で証明するために肉を持ってきたということです。どうぞ正しくご自分を認識なさってください。 二五〇年後の本番が待っています。今か今かと待っています。どうぞどの方もどの方もその準備に邁進していってください。喜びの宇宙が待ち続けていることをあなたの心で感じていってください。私は喜びです。宇宙は喜びです。喜びのエネルギーが宇宙に広がっていく、私は喜びでその様を感じてまいります。 一回一回のセミナーを大切にしてください、心からそうお伝えします。こうして肉持って出会えたことを本当に喜びとしていきましょう。私には出会いがすべてでした。 一回一回のセミナーを大切にしてください、心からそうお伝えします。こうして肉持って出会えたことを本当に喜びとしていきましょう。私には出会いがすべてでした。 今というときがどんなときなのか、悠久のかなた、はるか遠い私にたどり着いた私は、そのことが痛いほど心に響いてきます。だから今セミナーに集わせてもらっていることがどんなに凄いことなのか、どれほどの喜びであるのか、私の心は如実にとらえることができます。 肉は平凡です。しかし私の思い、意識の私、その存在、そのエネルギーは凄いです。悠久のかなたから次元を超えてやって来た私、その私に今世ようやく巡り合えた、心の記憶を呼び覚ますことができました。母との約束です。それを果たさんがための今世、今というこのときだと自分にはっきりと伝えてきます。すべてを捨てて今世に賭けてきた私自身の思いがそこにありました。それはそれは深くて強い思いです。その思いが今世の肉の形を選び環境を選んできた、みんなみんな私の思いが現象化していきました。その深くて強い思いを心に感じている私は肉の世界のことなど本当に取るに足らないものだということを、波動を通して伝えてきました。 その私の思いというか私の世界を心で感じて分かってくれる本当の仲間に出会えたことがまた嬉しいです。ストレートに響き合う心と心、ともに喜びを分かち合える仲間達、今世の学びの締めくくりに向けてただひたすら真っ直ぐに進んでまいりましょう。 喜びのエネルギーが宇宙へ流れ出す喜びを心に感じさらに喜びのエネルギーが溢れ出す、まさに喜びの循環の中に存在していることを感じます。 喜びが弾けるように私の心から出てきます。喜びが宇宙に弾けるように広がっていく、私の中の宇宙がまた広がっていくときです。足を踏み入れたことのない世界、それはいつも新鮮な驚きをこの心に広げてくれます。驚き、驚きの連続、新しい宇宙との出会い、それは喜びです。喜びが本当に弾けるようにこの心からどんどんどんどん出ていくようなそんな気がします。 心を田池留吉、アルバート、本当の自分に向ければ向けていくほどに自分の中の宇宙がまた広がっていく、そしてそれは喜び以外のなにものでもない、喜びのエネルギーが宇宙へ流れ出す喜びを心に感じさらに喜びのエネルギーが溢れ出す、まさに喜びの循環の中に存在していることを感じます。 これからの二五〇年、三〇〇年この循環の中に自ら誘う計画が私達にはあります。だから宇宙規模的天変地異が起こってきます。喜びのエネルギーが喜びを誘う天変地異です。私は嬉しくてたまりません。 私の中の宇宙は残らずみんな諸手を挙げて喜ぶ二五〇年後の来世です。二五〇年後の来世、私はこの宇宙達とともにアルバートのもとに集います。宇宙が私の中から一瞬のうちに飛び出してくる、その喜び、喜びの体験を私はまた再現することができる、今よりもっと大きくもっと熱く…、本当に待ち遠しい限りです。だからその喜びを今感じ合いたい、どうぞ私の思いを心で分かっていってください。 真っ直ぐに言えます。本当の自分に出会わない限り、心の中に作ってきた他力の神々の呪縛から自分を解き放つことはできません。 私は自分というものを心で感じています。本当の私というものを心でとらえることができた今世でした。だから真っ直ぐに言えます。本当の自分に出会わない限り、心の中に作ってきた他力の神々の呪縛から自分を解き放つことはできません。本当のあなたに出会えなければ、あなたの中のアマテラスその他他力の神々は永遠に救われません。あなたはアマテラスその他諸々の神々を大きくとらえているだけ、それはあなたがあなたを知らないからです。自分を知らなければ自己供養などできません、他力の渦の中に飲み込まれてしまう、それが意識の世界の現実です。そして黒は黒、白は白の結果がすでに出始めていますが、そこからがまた出発です。黒はいつまでも黒でなく、気付いた瞬間から白へと変わっていける自分であることに気付き、ただただ喜んでいけばいいだけです。 宇宙、私は宇宙、そのことを心で感じている私は教祖だとかチャネラーだとかそんな類のものではありません。全く異質なもの、私はそんなちっぽけな存在ではないし、そんな欲の渦巻いたエネルギーの中では、きちんと正しく私を分かるはずもありません。田池留吉もアルバートも核もみんなそうです。波動だから、波動を感じられなければ正しく理解することは不可能だということを何度も伝えてきたつもりです。 心と心が通じ合い、ともによかった、よかった、嬉しい、嬉しいと、心から心の底から真直ぐに語り合える、肉を持ちながら肉でないそのような絆を深めていきたい、私はそう思っています。 今世、心を繋いでいくことがどれだけ大切なことであるか、あなたがあなたの宇宙をその心で感じ始めたとき初めて分かってきます。まさにセミナーは宇宙に向けて発信されていることがその心で感じられたなら、自分というものがどういう存在であるのか、今世肉持って出会えた私達はどれほど喜びであるのかも、全部全部その心で分かってきます。 私の素晴らしき仲間達、どうぞ私が辿った道を一歩一歩歩んでいってください。己偉い心を抱えてきた私達です、どうぞその心を見つめながら慎重にその一歩を今世歩まれることを私は切に願っています。 私はこの心の中にすべての意識達を抱きかかえることができる喜びの中にあります。ああ宇宙に君臨してきた私、その私自身を今思うとき本当にありがとう、ありがとう、田池留吉の宇宙よ、ありがとう、その思いがこの心からほとばしるように出てきます。よかったね、よかったね、本当によかったね、私達は出会えたよ、本当に出会えたよ、そんな嬉しい喜びの思いが溢れ出てきます。 そうです、私達は必ず帰ることを約束してきました。その母との約束をこれからたくさんの仲間達がその心で思い起こしていくことでしょう。それは地球上だけの私達でなかった遠い遠い思いでした。宇宙が待っている、私達の宇宙が待っている、それがこれからの三〇〇年という時間の中ではっきりとその形を現してきます。 今世、心を繋いでいくことがどれだけ大切なことであるか、あなたがあなたの宇宙をその心で感じ始めたとき初めて分かってきます。まさにセミナーは宇宙に向けて発信されていることがその心で感じられたなら、自分というものがどういう存在であるのか、今世肉持って出会えた私達はどれほど喜びであるのかも、全部全部その心で分かってきます。私はこれからもそのことだけを伝え続けます。宇宙へそう次元を超えてともに帰ってまいりましょう。 今世私達に残されたセミナーの時間と空間を本当に大切にしていこうと私はさらに喜びの中、あなた方の意識に呼びかけます。こうして肉を持って出会わせていただいたこと、私は最高に幸せです。 私には次は誰が真実に目覚めるのか、そんな思いは全くありません。極端に言えば誰でもいい、誰でも素直に田池留吉、アルバートそして核に心を向けて素直にその心を開いてくださればきっとその心に真実が伝わっていくことを私は確信しているからです。 今私はホームページを開くたびに嬉しいです。確実に私達の思いに応えてくれる仲間達の喜びが伝わってくるからです。私達はともに歩むもの、ともに未来へと進んでいくものです。そのことをどうぞどうぞ一人でも多くの方がその心で感じられるようになってください。 誰がではありません。私の中にはそんな思いは一切ありません。私はだめだと自分自身を落ち込ませ切り捨てていくのはあなた自身です。みんなみんな同じ、私はただそのことを伝えたい、また伝えるためにこうして今世肉をもらい皆さんと出会わせていただきました。ただただ嬉しいです。本当にありがとうございます、ありがとう、ありがとうだけです。 今世私達に残されたセミナーの時間と空間を本当に大切にしていこうと私はさらに喜びの中、あなた方の意識に呼びかけます。こうして肉を持って出会わせていただいたこと、私は最高に幸せです。 田池留吉、アルバートの世界を核は証明してきました。そしてその核をまた正しく把握できる方が増えてきてくれて私は本当に嬉しいです。 田池留吉、アルバートの世界を核は証明してきました。そしてその核をまた正しく把握できる方が増えてきてくれて私は本当に嬉しいです。意識の流れに逆らうことなどできないことを愚かな肉はもう気付かなければなりません。肉の壁を取っ払うことでいくらでもご自身の心の世界が開けてくることを私達の仲間が証明してくれています。そうです、その通りです。何も難しいことはないけれどまた一番難しいことである所以がそこにあります。 二五〇年後私は再び肉を持ちますが、今世以上に素晴らしいアルバートとの出会いと目覚めが私のシナリオになっています。そんな来世の私がもうすでにここにいることを私は感じています。ものすごく嬉しいです。私が今感じている世界は、私にとっては現実の世界です。 「私はあなた、あなたは私、意識はひとつ」それが来世のアルバートと私の世界です。私はそんな世界を感じている、そして信じている。そして私とアルバートの目と目が出会った瞬間凄い喜びのエネルギーが世界を宇宙を駆け巡るという喜びを今実感しています。私はもう本当に幸せで喜びです。私はこのことをまた二五〇年後必ず証明してまいります。また常に皆さんとともにある来世を感じ信じている私は最高に幸せです。 アルバートを感じる、凄い衝撃が身体を突き抜けていく、この体験こそ私自身に目覚めた瞬間だったと四年前を振り返り私はそのように思っています。 アルバートを感じる、凄い衝撃が身体を突き抜けていく、この体験こそ私自身に目覚めた瞬間だったと四年前を振り返り私はそのように思っています。一気に私の中に噴きあがってきたアルバートヘの思い、あのとき私はそんな自分自身をはっきりと認識でき、ああ私はアルバートを本当に求めてきたんだということを肉でも確認しました。衝撃とともに心に広がった喜びはとても貴重な体験でした。信じる信じないの範疇をはるかに超えアルバートが突き抜けていく思いを意識達はそれこそ誠実に受けていました。肉の私などどこにもなかった、それほどの衝撃でした。それからは肉の思いを感じてもともにアルバートがあった、だから喜びでした。目の前の田池留吉の肉も何もかもすべてがアルバートでした。二五〇年後の来世が今だということがはっきりと感じられ、私はもうそれが嬉しくて嬉しくて、不思議なくらいに喜びが噴き出てきていました。私の中の宇宙がみんなみんな喜んでいるということが、それから何度となくその喜びを体験する中で心で分かってきたことでした。田池留吉の肉眼の中にアルバートの目を見た、私自身の肉眼を通しアルバートの目と出会った私の思いは、揺らぐこともなければ変わることもない、それほどの確信を自分の中で温めてきた時間と空間、今、よりいっそう磐石の思いを心に伝えてくれます。アルバートを心の底から信じる人とこれからも肉の時間を過ごしていきたいと心より思っています。その信を喜び合うことが私の喜びです。私にはアルバートがすべて、私がアルバートを思う思い、肉は恐いくらい一途です。 アルバートを感じアルバートを信じていくのはあくまでもあなた自身の問題です。素直に心を開いていくのはあなたです。 ともに歩もう、喜び幸せの中をともに歩いていこう、私は確かにそう呼びかけています。そして私達はともに喜びを広げゆく仲間であることも伝えています。ただこの呼びかけ、本当に伝えたい思いが、他力の方々己偉しの方々には真っ直ぐに届かないことが私には残念でなりません。心が大きく広がりアルバートを田池留吉の宇宙を実感している私は本当に喜んでいます。上から言っているのでもなければ、私の方に心を向けよと教祖の思いで言っているのでもないことをもっと素直になって感じてくださればと思います。 そして嬉しい、喜びの波動を感じていけばいくほど私の呼びかけは厳しいことも分かってくると思います。私の思いの中には妥協はありません。馴れ合いなどありません。肩を抱き合って励まし合ってともに歩いていこうという優しさや甘ったるいものはありません。だから欲で向かってこられても私はそれに応えることはできません。意識の私はもちろんのこと肉でもそんな嘘っぽいことはできません。その場しのぎのいい加減な言葉も出ない、ましてや慰めや励ましの言葉も出ません。波動の世界を感じてくればくるほど肉もそのようになってくる、と私は思っています。 アルバートを感じアルバートを信じていくのはあくまでもあなた自身の問題です。素直に心を開いていくのはあなたです。それが自分の心で分かるまでそして素直なあなたが顔を出すまで、あなたの苦しみは確実に続いていくことでしょうということだけを私はお伝えします。そして素直なあなたがずっとずっとあなたを待っていることもお伝えします。 波動の世界に私達はひとつ、それは唯一絶対の真実です。 田池留吉、ありがとう、本当にありがとう、田池留吉がそこに肉持ってくれたからこそ私は喜びの宇宙と出会えました。本当に嬉しいです、あなたにはただただありがとう、ありがとう、その言葉しかありません。田池留吉の宇宙に心を馳せる私は喜びそのもの、宇宙はひとつ、その喜びに出会えた今世の肉、最高に幸せです。そしてまたそれらのことを心で感じ始めてくれる仲間がひとりふたりと増えていくことが私にはたまらなく嬉しいです。これからアルバートを心から信じる方達から喜びのエネルギーが宇宙へどんどん流れていく、ああ私はその様を今心で感じています。どんどんどんどん宇宙が変わっていく、喜びのエネルギーが宇宙にどこまでもどこまでも広がっていく、私の心が今とらえているこれからです。もう喜びしかありません。本当にありがとう、ありがとうございます。 波動の世界に私達はひとつ、それは唯一絶対の真実です。意識の流れが田池留吉という肉を持たせてきました。真実を知るのに田池留吉という肉が必要であった、それは田池留吉の肉には代替がないことを物語っています。そしてこのことは私自身にもあてはまります。私はそのことを通し肉と意識がひとつの世界が本当の世界であることを学んできました。肉を通し真実を心で知り肉を通し真実を心で伝える、今世も来世もそのプロセスを経て、私はよりいっそう波動の世界の奥深くに進んでまいります。肉も唯一絶対のものであることを感じることこそが、真の喜びと幸せだと私は確信しています。 私はあなた、あなたは私、この波動の世界に生きる自分自身にどうぞあなたも出会っていってください。 今この時期になってこんな当たり前のこと言いたくはありませんが、田池留吉は波動です。私は波動です。皆さんも同様です。その波動を感じていくのがこの学びの原点、すべてです。田池留吉を波動としてとらえ私を波動としてとらえたならば、自分自身の間違いがはっきりと浮かび上がってくるはずです。そしてあなたの中の意識達、すなわち肉のあなた以外はみんなみんなどれほどアルバートを田池留吉の宇宙を待ち続けてきたかということが切実に心に響いてくるはずです。そこには喜びしかありません。どんなに過去苦しみの連続であろうとも今ここに出会えたことを心で知ればもう喜びしかない、お母さんに生んでもらったことにありがとうしかないはずです。いつまでも苦しみを引きずってご自分のチャンスをふいにするような愚かなことはやめていきましょう。 あなたはご自分が崖っぷちに立っていることをどれだけ自覚なさっていますか。私は今世が最後のチャンスだと伝えてきました。このチャンスに何らかの足がかりを得られなければ地獄の淵から浮かび上がってくることはほとんど不可能に近い、地獄から出て地獄へ帰る中から自分を解き放つことは困難を極めます。これまさに現実です。 私は喜びの中にいる私と出会えました。だから私自身とともに生きていくことが私の生きる道です。今、過去とともに喜びの未来、喜びの私に向かって確実な一歩を歩める喜び、幸せの中にあります。私はあなた、あなたは私、この波動の世界に生きる自分自身にどうぞあなたも出会っていってください。 ただひたすら真っ直ぐに自分の道を歩いていく、これからもこの姿勢、思いは決して変わることはありません。本物を感じ本物を見極める心、それが今世の私の道具でした。最高の道具を私は用意してきました。 私自身、人の意識が取れるわけでもなければ過去世をスラスラと語れるわけでもない、今世私はそんな道具を持ってきませんでした。しかし私の心にある思い、それは非常に深くて強いものでした。それだけが肉を突き動かしてきたということです。セミナーが流れていく中で目新しいことに心は揺れることはあってもそれは長続きはしなかった、自分の心にある思いとどこかズレを感じていたのかもしれません。それが私からチャネラーという存在を離していったのでしょう。それからは私は私自身の心に求めていった、しかし肉をまとい肉の思いを積み重ねてきた中において、そう簡単に自分の思いと合致するものには出会えませんでした。しかし私は何かを求めている、だからセミナーにも田池留吉にもそして私自身にも誠実に真面目に一生懸命向き合ってきました。 私が歩いてきた道は予定通り筋書き通りと言えばそれまでですが、私自身としては本当に自分の思いをストレートに受けていける自分の成長というものを満を持して待っていたということです。自ら潰したくなかった、私が心に温めてきた思いはそんな軽いものではありませんでした。 私は特別ではないけれど、今世に賭けてきた私の思いは並大抵のものではありません。だから私が今出している結果は私は当然だと受け止めています。周りの雑音なんて心は素通りです。ただひたすら真っ直ぐに自分の道を歩いていく、これからもこの姿勢、思いは決して変わることはありません。本物を感じ本物を見極める心、それが今世の私の道具でした。最高の道具を私は用意してきました。 肉の喜びと幸せも世間が基準でなく私自身が基準であったことを、ようやく今世の肉を通し立証できました。なぜならば私は法だから、そしてこの法は宇宙にひとつしかない、どれだけ時を経ても決して変わることがない法というのは私自身でした。 セミナーと田池留吉とホームページ、目の前に用意された素晴らしいチャンス、両手を広げて待ってくれている母でした。その中で私は本当の自分を徐々に取り戻し、新たな世界へと旅立つ準備を着々と整えてきましたし、これからもそうです。その旅立ちに必要な肉、その環境、すべてが滞りなく用意されている、その中で私は存分にただただ自分と向き合えばいいだけです。後は時間が流れやがてそのときがまた巡ってくる、厳然と流れる法の中にあることが感じられます。 意識の流れに乗り、その流れのままに肉も生きていくことの喜びと幸せ、心がとらえていった波動の世界の素晴らしさはそのことを痛切に伝えてくれました。肉の喜びと幸せも世間が基準でなく私自身が基準であったことを、ようやく今世の肉を通し立証できました。そうですね、なぜならば私は法だから、そしてこの法は宇宙にひとつしかない、どれだけ時を経ても決して変わることがない法というのは私自身でした。私はそれを本当の意味で心で感じ知ることができた、これは人類の歴史の中での大偉業だと思っています。 そしてさらに深い波動の世界、真実を極めていくこれからのときを思えば、本当にどれほどの喜びの中に生かされ続けているのかということを今はまだほんの一部分を垣間見た状態です。言葉の世界がいかにもどかしいか、決して言葉では伝えられない喜びと幸せの世界ですが、しかし厳然としてあることだけは伝えたい、私はいつもそう思っています。 他力信仰では私達は救われない、他力から心を離していかなければ決して救われない、このことに本当に気付いていってください。 他力信仰では私達は救われない、他力から心を離していかなければ決して救われない、このことに本当に気付いていってください。 依然として変わらぬ他力の心のままで田池留吉にこの学びに繋がっていても、セミナーが終わって取り残されるのは結局他力の強い方と己一番の方です。私達は今世ともに学んできましたから私はそんなふうにはなってほしくないです。しかし心の世界はそれぞれが気付いてそこからが出発ですから、私にはどうすることもできません。現実はこうですよとしか伝えられない、そして素直になれない自分を真剣に見ていくしかありません。 今肉を持って心を見ていく過程にある私は、そんな悟った人とかできた人とかそういうものではありません。しかし本物を感じ本物を知った、本当の自分と出会った私の心は不動ですということは伝えています。波動の世界にある自分というものを確実にとらえている、そしてそれが私自身であることも知っている、だから私の心は不動なんです。私はアルバートとひとつ、田池留吉の宇宙が私の宇宙である、そういうことも私は言葉を媒体として伝えていますが、その言葉通り私は心で実感しています。そしてそれが波動として流れていることはセミナー会場でそしてこのホームページですでに実証済みです。 低次元の幸せを求めたり、低次元で一番を競ったりする学びでないことに一日も早く心で気付き、速やかにそこから脱却していってください。 自分から逃げる、自分をごまかす、偽る、目をそむける、冷たくて卑怯です。どんなに立派な大義名分があろうとも心から流れているものは凍りつくような冷たさと真っ黒な重いエネルギー、だから自分が幸せになるはずがありません。 肉持っている私はもちろん五官を通し肉の心に思いが過ぎる、ロボットじゃない生身の人間だからそんなこと当たり前です。しかしそんなことで私は自分を見失ったりしないそしてそれを苦しみとしてとらえていない、私の中ではすべてが喜びなんです。それは私は本当の私自身を心で知っているからです。だから私は自分自身の中でまだクリアできていない部分にも目をそむけません。そこから逃げない、何かでごまかしたりしない、真っ直ぐに自分と向き合っています。それが本当の優しさです。自分に対する愛です。本物を知ったからこそこのことが心で分かります。 自分から逃げる、自分をごまかす、偽る、目をそむける、冷たくて卑怯です。どんなに立派な大義名分があろうとも心から流れているものは凍りつくような冷たさと真っ黒な重いエネルギー、だから自分が幸せになるはずがありません。 セミナーに集っていても学んでいない方素直になれない方、たくさんいます。みんな自分と真向かいになれないものを握っているからです。その実態を見ようとしない、またそんな自分を認められないほど己がそびえ立っている、要するに一番自分に対して冷たいんです。 私は意識の世界と通じていると密かに豪語するならば、どうぞその通じている世界に心を向けてみてください。そこにアルバートがありますか、田池留吉の宇宙はありますか。波動の世界は正直です。波動はだませません。あなたの心に伝わってくるものは喜びですか、それとも苦しみですか。どうぞその世界を真っ直ぐに見つめていってください。 セミナーに集ってくる人を切り捨てるとか見捨てるとかいうのでもなければ、セミナーが特定の人たちだけのものでは決してないということ、ここのところを波動の世界が分かってくれば簡単に分かるのですが、肉でとらえてしまうと不平等、不公平、そして他力の思いがどんどん膨れ上がってくることでしょう。 目を瞬間見る、あるいは異語を瞬間聞く、それでたちまちアルバートの世界、田池留吉の世界、田池留吉の宇宙に瞬間移動する、そんなお勉強がしたいです。そんな波動のお勉強がしたいです。そのためには波動が心で分かる仲間達が増えていってセミナーが進化していかなければなりません。嬉しいことにそういう方向にセミナーが進んでいくようです。もっともっと中身の濃いお勉強がしたいというのが私の本心です。もう説明も何も本当は要らない、ただ向かい合って座って、目を見る、そこから感じ取ってほしい、喜びの世界、波動の世界をどんどん感じ取ってほしい、私はそんな仲間を待っています。ともにアルバートの世界に広がっていく私達を感じていこう、田池留吉の宇宙その波動の世界をどんどんどんどん広げていこう、ということです。 波動を感じてください。私と競おうとしても所詮無駄なことです。そんな思いと私は相容れないからです。私が見ているのはそんな狭いちっぽけな世界ではないことを波動を感じることで分かっていってください。 セミナーに集ってくる人を切り捨てるとか見捨てるとかいうのでもなければ、セミナーが特定の人達だけのものでは決してないということ、ここのところを波動の世界が分かってくれば簡単に分かるのですが、肉でとらえてしまうと不平等、不公平、そして他力の思いがどんどん膨れ上がってくることでしょう。そうなれば残念は残念ですが、私はそれも仕方がないことだと思っています。ただ真っ直ぐに進む方々とさらなる喜びを広げていく、私の心からの思いです。 ある特定の人達だけが感じられる世界ではありません。アルバートも田池留吉の宇宙もみんなみんなその心ではっきりと感じられるんです。 ある特定の人達だけが感じられる世界ではありません。アルバートも田池留吉の宇宙もみんなみんなその心ではっきりと感じられるんです。あなた自身がそれを信じていないだけです。波動を感じていけば分かること、その前に肉のあなたが前面に出てくるから苦しいだけです。どうぞただただ素直になってもう一度もう一度この学びで伝えられてきたことを心に思い返していってください。 私達はともに歩む仲間です。それを信じるか信じないかはそれぞれの心が決めていくことです。そしてその結果が目の前に現れていくだけのことです。どうぞ言葉を言葉としてだけとらえないでください。言葉をつかみそこから自分の心を小さく閉じ込めないでください。私の心に伝わってきます。セミナーに集う仲間達の思いが伝わってきます。切ないほど伝わってきます。どうぞ今世田池留吉と出会われセミナーに集われたこのチャンスを肉の思いで無駄にすることだけはしないでください。どれだけの思いを込めて今世肉をもらってきたか、みんなみんなどの方も同じです。私はそんな自分自身を心に強く強く感じてきました。 私自身、アルバートを田池留吉の宇宙を感じてその心に実感して本当の私に出会えた、宇宙が喜んでいることをしっかりとはっきりと感じてくればくるほど、地獄の奥底に沈みこんできた私をまた一方でしっかりと抱えながら歩いているということです。私はだからどんなに喜びの中にあっても舞い上がって我を忘れることはない、いつも静かに見守っている私がいる、それが私の心の世界です。 宇宙には肉持てず苦しみの中に沈んでいる意識達が無数に存在します。その中で私達はひとつの肉をもらってこのようなチャンスに巡り会えました。ひとつの肉に込めてきた意識達の思い、それは真実に出会うために決死の覚悟で生まれてきたということです。[# 広い広い無限大に広がる空間、何もない、あるのは温もり、温もりだけです。心が一瞬にして広がり、果てしない空間の中にあるのは温もり、そしてだからこそこの心に感じられる響いてくるもの、それは無数の意識達の存在です。どんなに真っ黒でもどんなに苦しくても信じて信じて信じて歩いていこう、ともにともに歩いていこう、その思いが溢れ出てきます。何とも言えない思いが伝わってきます。 いまだ暗黒の世界で喘いでいる意識達の存在を私は感じられる、温もりの中その思いが切々と感じられる、コンタクトしてくる意識達を包んでやれるのは母の優しい優しい温もりだけです。温もりを待っていた温もりを求めていた宇宙に存在する無数の意識達を私は見捨てることはできません。懐にすべてを抱きかかえてやりたいです。 宇宙には肉持てず苦しみの中に沈んでいる意識達が無数に存在します。その中で私達はひとつの肉をもらってこのようなチャンスに巡り合えました。ひとつの肉に込めてきた意識達の思い、それは真実に出会うために決死の覚悟で生まれてきたということです。肉をもらうということは大変なことであり、大変な喜びです。そのことを本当に知ってください。 無限大に広がる私の中には母の温もりだけが存在していました。私の中の宇宙が広がれば広がっていくほどにまた苦しみに喘ぐ意識達を感じます。温もりの中へ誘う、優しさが心に充満する喜び、そこに流れる思いはただありがとう、ありがとうだけです。ありがとうの思いが母の温もりの中へ包まれていく喜び幸せの中にある私です。 アルバートの肉が今現実にあるのと同様に私の来世の肉もまた今現実です。来世の私が今世の私とともに喜びを伝えている、そしてすべての私とともに歩いていっている、そんな中に私は今います。 アルバートの肉が今現実にあるのと同様に私の来世の肉もまた今現実です。来世の私が今世の私とともに喜びを伝えている、そしてすべての私とともに歩いていっている、そんな中に私は今います。今二五〇年後の来世に生きていることを心に感じている私は本当にアルバートとひとつです。アルバートを思いアルバートとともにある喜びはとてもとても言葉では言い尽くせない、語れないです。そして私の来世は数年前に感じたものと確実に変わっています。もちろん厳しい環境の中に肉を持つことには違いないけれど、来世の私の心は数年前に比べ雲泥の差です。私の中で来世の供養が進んでいることを感じます。 今世は時間がかかりました。田池、殺してやるが喜びに変わっていくまでにある程度時間がかかりました。しかし私の中ではアルバート、殺してやるがすでにもう喜びとなっていっていることを感じます。だから来世その言葉、その思いを発することがもう喜びであり、瞬間に喜び、喜びの思いが溢れ出し飛び出してくる、宇宙に喜びが駆け巡ることを来世の私は伝えてくれます。来世の私すなわち宇宙の喜びを今心に感じられる、本当にアルバートを呼ぶ思いは強烈です。そう私はアルバートの目の中に田池留吉を思い出す、これが来世の目覚めの瞬間です。今世田池留吉の目の中にアルバートを見たように喜びが爆発する瞬間です。 私は喜びです、私の心は喜びです。来世の私から流れる喜びの思い、アルバートとひとつの世界に生きる来世の喜びが心に響きます。もう嬉しいしかない、アルバート、こうやって私達は次元を超えていくんですね。 肉は愚かなもの、その肉をまとった私達は心に田池留吉の宇宙を持つもの、それが本当の私達の姿です。 心が広がっていく、一瞬のうちに広がってそれでももっともっと広がっていく、それはぐぐっ、ぐぐっと広がっていくような感じ、もっともっと広げていきなさい、もっともっと広いんですよ、そんな思いの中で両方の翼をぴったりと合わせてそのどこまでも広がっていく世界にともに羽ばたいているような感じ、私が私の心が今とらえている田池留吉の世界です。その世界は本当に広い、本当に果てることのない空間を感じます。 そんな波動の世界を今ともに広げていけるなんて本当に幸せの極みです。波動の世界の奥深くに入っていけばいくほど、宇宙に君臨してきたと思ってきたその宇宙が何とちっぽけなものだったか、自分の本当の世界を知らずに自分を語ってきた愚かさを感じます。 波動の世界の現実感、それは未知なる世界との出会いすなわち私自身との出会いです。波動は流れている、淀むことなく流れている、だからいつも気持ちを新たにして素晴らしい世界とひとつまたひとつと出会える自分自身に成長させていきましょう。肉とは愚かなもの、その肉をまとった私達は心に田池留吉の宇宙を持つもの、それが本当の私達の姿です。 ともに心を広げていきましょう、今田池留吉が肉を通し私達にそう呼びかけてくれています。ぴったりと翼を合わせぴったりと心を合わせともに旅立っていくことを心に感じられることが最高に幸せです。そしてこの喜び、この幸せは波動として宇宙に流れ宇宙に充満していく、その愛をどうぞ心で受け止め感応していってください。 アルバートは私にとって日常生活なんです。特別なものではありません。アルバートとともに生きるということは私のすべてです。田池留吉の宇宙を心に感じていけばそれはもう充分に分かることです。 そう私は凄いパワー、エネルギーの持ち主です。私はだからいい子ぶりっ子もしなければすべてがアルバート一直線です。その直線から外れるものがあれば私の心は見向きもしません。肉でいい人ではありません。お世辞も言えなければ頑張っていこうなどと嘘めいたことは言えません。私の心は正直だからです。しかし私の心は私の波動は優しいです。本当の優しさを伝えていると断言できます。なぜならば真実を知っているからです。本当の私を知っているからです。肉的な表面的な優しさなど私は気味が悪い、アルバートを知らないアルバートを感じていない人はただの肉の塊です。私にはそこに何の価値も見出せない、私の心はそうはっきりと伝えてきます。でも私は肉の常識は心得ています。肉はきちんとしています。肉は真面目です。言うまでもなく私の中にアルバートがあるからです。アルバートは私にとって日常生活なんです。特別なものではありません。アルバートとともに生きるということは私のすべてです。田池留吉の宇宙を心に感じていけばそれはもう充分に分かることです。 私は何度も言ってきました、今世に賭けてきた思いの強さ、深さ、これは本当に凄いということです。田池留吉一直線に学んできた私の思い、それはもう本当に凄いです。言うならば私は本当に闇の帝王であった、宇宙に君臨してきたエネルギー、パワーが今世田池留吉と出会うために肉を持ってきた、そして来世アルバートと出会うためにまた肉を持ってくる、このことにすべてが表れています。目指す相手はただひとり、田池留吉でありアルバートだということです。 私は今世にすべてを賭けてきた、意識の流れ、宇宙の法が田池留吉という肉を持たせるその時期に合わせて私自身も肉を持ちました。 待っていた、待っていたんだ、待っていたよ、心のあちらからもこちらからもそんな叫び声が聞こえます。心の底から絞るような声もあれば、喘ぎ喘ぎの声もあります。だけどどれにも共通な思いは待っていたという力強い思い、喜びです。 分かりますか、本当に心で私は喜びでしたとそう心で感じられる喜び、喜びが私自身であったと知った喜び、これが私の中の天変地異です。まさに天変地異、莫大なマイナスのエネルギーがグワッとプラスに転じていった、だからこれから宇宙的規模の天変地異が起きてくると伝えています。 半端じゃない、培ってきた思いは半端じゃないんです。だから私は今世にすべてを賭けてきた、意識の流れ、宇宙の法が田池留吉という肉を持たせるその時期に合わせて私自身も肉を持ったということです。私の中の思いはそのような思いでありそのような意識の背景を抱え私は今ここに存在しています。心の世界の奥深くに踏み入れば、そういうことが確実に心に伝わってきて、私自身の姿もはっきりと現れてきます。だから田池留吉の世界に映し出される自分の姿、それがたまらなく嬉しいです。ブラックがブラックでないと本当に分かったとき、それが目覚めです。ブラックをブラックだと誇っていてはまだまだ真実から遠いところにあることを知ってください。ましてや私はいい人間、私はできた人、私は悟った人、もうそんなことやめて本道一直線の道をともに歩いてまいりましょう。 肉を通し真っ直ぐに伝わってくる世界、肉を持ちながら肉がない世界に私は存在する、あなたは私、私はあなた、ぴったりとひとつになることの幸せと喜びの中に私は今存在しています。 セミナーを重ねるごとにまた一歩自分を成長させていきます。喜びの世界は確実に私の中で大きくなり深くなっていきます。私は本当に幸せです。本当に幸せ者です。 波動のお勉強を通し私の思いが真っ直ぐにあなたの心に届いていますでしょうか。セミナーを通しそして波動のお勉強を通し私自身さらに成長してまいります。私はアルバートの世界、そして田池留吉の世界をこの心により大きく深く広げてまいります。セミナーはさらに喜びの度合いが増してくることでしょう。 待って待って待ち望んできたことが今現実に目の前に広がっています。こんな時間と空間を自分に用意してきたことがただもうありがたくて幸せです。肉を通し真っ直ぐに伝わってくる世界、肉を持ちながら肉がない世界に私は存在する、あなたは私、私はあなた、ぴったりとひとつになることの幸せと喜びの中に私は今存在しています。どんなに真っ黒でもどんなに愚かでもすべてが愛しい、愛しいです。私に響いてくるのはお母さんの温もりの中に帰りたい、帰りたいという切なる思い、切なる叫びです。 私は心の底から自分を信じて信じて信じています。アルバートそして田池留吉とひとつ、二五〇年後の来世に必ず繋いでいく意識です。すべてがその流れの中にあり、流れの中の今であることを心で感じています。私は私の思いをあなたが抱えてきた抱えている宇宙、その意識達に伝え続けます。それが私のチャネリング、私はただ波動を伝えます。その波動の世界を心で体験してみてください。 本物の波動を感じるために生まれてきた私達、だから今ともに学んでいる幸せ、喜びを存分に感じていってください。 心で体験される方がゾクゾク出てこられることが本当に嬉しいです。心は無限大です。波動の世界は無限大、そんな己の肉を表している暇はありません。どんどんどんどん波動を感じていってください。 本物の波動を感じるために生まれてきた私達、だから今ともに学んでいる幸せ、喜びを存分に感じていってください。 私達が用意してきたセミナーの時間と空間です。ともに喜びを広げていきましょう。私はあなたとひとつになってともに波動の世界の素晴らしさを広げていける喜びを存分に味わっています。これに優る喜びはありません。ひとつ肉が気付けばそれに連なるたくさんの意識達の喜びが伝わってくる、そうだよ、そうだよ、そうなんだ、私達はアルバートを待ってきたんだ、私に伝えてください、私達もともに帰りたい、そんな思いがどんどん伝わってきて、私はもうたまらなくなります。たまらなく嬉しい瞬間です。肉のあなたがどんなに堅固な壁を作っていても優しい優しい意識達の思いを感じています。解き放たれることを待つ意識達の思い、みんなみんな広い広い世界にそして母の温もりの中にあるということを伝えられるのは今肉持っているあなただけです。 肉を持ちながら肉を見ながら肉を見ていない、肉はあるけれど肉はない、そういうことが心で感じられたなら本当に幸せだと思いませんか。まさに波動の世界に存在する私達であること、そんな私達であったことを心に蘇らせていくこれからです。果てしないときが私達を待ってくれています。 宇宙が変わっていく、大いなる喜びです。今世の出会い、そして二五〇年後の出会い、本当に嬉しいです。 私は今世心を温もりに広げていきました。温もりの中にある私であったと感じたこの宇宙には、もう抱えきれないほどの意識達が存在しています。心を広げてもっともっと心を広げて懐に抱きしめてやりたいです。これをなしていくことが肉持ってきた意味だと仕事だと痛切に感じます。意識達の存在が心に感じられる、確かに感じられる、本当に愛しい、愛しいです。 田池留吉の宇宙を思うとき、田池留吉の宇宙に心を馳せるとき、私の心からは喜びが溢れ出てきます。肉で押さえ切れない喜び、それは宇宙が変わっていくことの喜びです。 田池留吉、素晴らしい出会いをありがとう、本当にありがとう、私は自分が広げてきた暗黒の宇宙を思うとき、もう本当に今言葉になりません。何もかも今というこのときに照準を合わせてきたことがもう嬉しくて嬉しくてなりません。宇宙は喜びでした。私は喜びでした。そう伝えてやれることがただただ嬉しい、そしてありがとうだけです。 私は宇宙を心に感じています。だから喜びなんです。宇宙が目覚めるということがどういうことなのか、喜びのエネルギーが宇宙を包み込み、そして変わっていく喜びを私の心ははっきりととらえています。 宇宙が変わっていく、大いなる喜びです。今世の出会い、そして二五〇年後の出会い、本当に嬉しいです。田池留吉そしてアルバート、私は嬉しい、私は宇宙、今その喜びを伝えます。この喜びが宇宙に仕事をなしてまいります。 肉を持つことの意味と喜び幸せを私は知ってほしいと恩いました。心に、溢れる喜び温もりを持ち無限大に広がる宇宙を持つ、それが本当の私であることを私は自分自身に伝えたくて伝えたくて今世こうして肉をもらってきました。 肉は無力です。波動の世界を広げている私には肉の私などどこにもありません。しかし私はこの肉がとても愛しいです。肉にはありがとう、ただただありがとうの思いだけです。以前には私と肉の私の間には相当のギャップがあり、私の思いがストレートに届かずに、肉は肉を持った苦しみだけを訴えてきました。しかしそれももう今は昔のお話で私と肉とはぴったりとひとつです。私の思いが肉に響き肉が素直に受け止めてくれた、そしてどんどんどんどん私の思いを広げてくれています。肉という器を使って喜びの思いを喜びのエネルギー私自身を流してくれています。 肉を持つことの意味と喜び幸せを私は知ってほしいと思いました。心に、溢れる喜び温もりを持ち無限大に広がる宇宙を持つ、それが本当の私であることを私は自分自身に伝えたくて伝えたくて今世こうして肉をもらってきました。私のラストチャンスでした。お母さんにはもうありがとうしかありません。 そんな大切な時間と空間、誰のためでもない自分のために生きていきたいと心より望んできた私は、どんな場面においても自分を静かに見つめています。肉でない私がひとつの肉をもらって真実に目覚める道を自ら選び実現できた、そしてその道を驀進中ということは本当に凄いことだと感じています。だからマグマのように噴き出してくるエネルギーはみんなみんな喜びです。苦しみでもなければ自らを落とす地獄の世界でもない、私にはもうすべてが喜び、喜びです。本当にありがとう、ただただありがとうしかありません。 いつも両手を広げて待ってくれている私自身に真っ直ぐに飛び込んでいけばいい、田池留吉、アルバートその波動の世界、私自身にただ真っ直ぐに歩んでいくだけです。その存在がただただ嬉しくてありがとう、もうそれしかありません。 私が今どれだけの幸せの中にあるのか、心にビンビンと響く、またあるときは静かに静かに染み渡るように広がっていく、まさに至福のときを迎えています。 本当に私は幸せ者です。来世、再び肉を持ちアルバートの世界に出会う舞台背景はすでに整っている、思えば幸せ、思うことが喜びです。いつもいつもひとつを感じいつもいつもその存在を感じる、肉の思いがかすめても私の中は全く変わらない、変わらない喜びを伝えてくれる、田池留吉の宇宙とともに生きている、アルバートとともに生きている、この幸せはこの喜びは尽きることはありません。 肉を持つことがこんなに幸せでこんなに喜びだったんです。肉を持つ苦しみ悲しみ様々な思いを引っさげて二五〇年後にまた肉を持ってくることが何とも言えない喜びです。肉は苦難の道を選びました。言うまでもなく喜びの私と出会うためです。一気に出会うためです。その瞬間凄いエネルギーが駆け巡る、今世のこの時間はその準備を万全に整えるために用意されています。肉が一旦消えてそしてまた肉が現れるまでの間スムースに自分の中が流れていくために、これからの肉の時間は私にとってさらに大切なものとなってくるでしょう。もちろん私には不安もなければ何もない、喜びがあるだけです。いつも両手を広げて待ってくれている私自身に真っ直ぐに飛び込んでいけばいい、田池留吉、アルバートその波動の世界、私自身にただ真っ直ぐに歩んでいくだけです。その存在がただただ嬉しくてありがとう、もうそれしかありません。 心で感じることがすべてです。感じたもの以外は信じられません。心は正直です。本当の自分は正直です。 心で感じることがすべてです。感じたもの以外は信じられません。心は正直です。本当の自分は正直です。黒のものを白だとは伝えてこない、黒のものを白だと語るのは肉だけです。本当の自分に正直になってする作業が心を見ることだと思います。だから正直でない反省はどんなにしてもどこまでいっても心を見ていないということです。それならいくら時間をかけても何ら変わることはない、すなわちそびえ立つ己の中でどんなに立派な反省をしようとも依然黒の世界の中にいるということです。その打開策は、波動を感じていくことです。それしか方法はありません。自分の過ちに心で気付くのは波動を感じたときです。そびえ立つ己が崩れるときは波動を感じたときです。それでもアマテラスその他他力の神々を苦しみとしてではなく喜びとして感じていくことは難しいのが現状ではないでしょうか。 ゴムひもの原理はあります。セミナーで波動のお勉強でその瞬間は体験できるかもしれません。でもそれは磁石ではありません。持続するかさらに一歩進めるかそれとも心を落としていくかそれぞれの心次第です。心に感じたものは消えない、それを信じているかどうかです。その信が肉の生活の中で問われていくこれからになっていくでしょう。そのときそのときの雰囲気に酔うことなく、いつも現実を把握しながら着実な一歩を歩むことが大切だと私は思います。決して一足飛びに歩める道ではありません。 私がアルバートの波動、田池留吉の宇宙、と言って感じ心で広げている世界と、あなたがアルバートだとか田池留吉の宇宙だとか言って感じている世界とはまだまだ大きな開きがあります。 私がアルバートの波動、田池留吉の宇宙、と言って感じ心で広げている世界と、あなたがアルバートだとか田池留吉の宇宙だとか言って感じている世界とはまだまだ大きな開きがあります。これは私が偉いとか素晴らしいとかを強調しているのではないことは分かってください。私は地に足をつけた学び方をしてくださいとお伝えしたいだけです。アルバートを感じた、田池留吉の宇宙を感じた、嬉しい、喜びと言って舞い上がりそんなご自分の心を見ていないあなたではないでしょうか。 例えばゴムひもの原理であなたが私と同じ世界を感じたとしましょう。でも少し時間が経っていったとき同じ世界を感じたあなたがなぜ心を落とすのでしょうか。心に他力の神々が占領してくるのでしょうか。私と同じ世界を感じたならそんなことはあり得ません。どんな場面が目の前に展開されたとしてもそれは喜びに変わっていくはずです。すべてが喜びの中にあって、どんなことも嬉しいただただ嬉しいとなってくるはずです。 意識、波動の世界は留まることなく流れています。そしてその世界は無限大です。私の意識は私は宇宙空間を飛んでいる、どこまでも果てしなく広がっていく宇宙に私はともに羽ばたいています。何もない、誰もいない、でも私達は存在する、ともにある、もうそれは素晴らしいとか何とか表現できる世界ではない、これが私、私自身が広がっていく、こんな私と今出会えているからもう喜びしかありません。嬉しいを通り越した嬉しさの中にある私です。 ひとつの仕事をなすために田池留吉という肉をもらってきましたという田池留吉の思いが私の心に響いてきます。 ひとつの仕事をなすために田池留吉という肉をもらってきましたという田池留吉の思いが私の心に響いてきます。その喜び、ありがとう、ありがとうただただありがとうの思いが私の心に響きます。よくぞ出会ってくれた、ようこそ出会ってくれました、そのような思いが伝わってきて私はもう嬉しくて嬉しくてなりません。誰よりも誰よりもアルバートの波動をそして誰よりも誰よりも田池留吉の宇宙を待ち望んできました。待って待って待ち続けてきた、それが私、核という存在です。ひとつの仕事をなすために・・、その思いがもうありがたくて、今このときに肉を持って出会えている喜びと幸せは何にも例えられません。 私はただただ嬉しいだけです。だから無限大に広がる波動の深部に触れれば触れるほどアルバートの世界、田池留吉の世界はそんなちっぽけなものではないことを本当に知ってほしいと思っています。表現は自然に厳しくなるかもしれません。しかし流れるものは喜びのエネルギーです。そして喜びの世界、波動の世界はこんなものではないこともまた私の心は知っています。喜びは尽きることはありません。どこまでいっても喜び、喜びです。 二五〇年後の近未来、再び肉を持って出会えるのが本当に待ち遠しいです。素晴らしい計画の中ですべてが順調に推移していることを感じています。そう何もかも順調です。流れの中でそれぞれの肉あるいは肉の思いがいかにちっぽけかを知っていってほしい、ただそう思います。 肉を持って真実を知る難しさなど初めから承知していました。それを承知でみんな今世肉をもらってきたのではないのですか。それは肉がなかったら到底感じられない波動の世界だということを心はよく知っていたからです。 肉を持って真実を知る難しさなど初めから承知していました。それを承知でみんな今世肉をもらってきたのではないのですか。それは肉がなかったら到底感じられない波動の世界だということを心はよく知っていたからです。そう、その通りです。肉を持っているからこそこの波動の世界に出会えた私は、過去ずっとずっと心に抱いてきた「私は肉です」という思いすらも今はとても愛しい、そして嬉しいです。よく、よく、今世生まれてきてくれた、ただただありがとう、ありがとう、今私が私に返してやれる思いです。肉が愛しい、だから生まれてくることも生んだ母も、忌み嫌い呪って抹殺して自分を切り刻んできたたくさんの私とともに、また来世生まれてくることが私にはたまらなく嬉しいんです。苦しみの中にあった自分と出会いそしてそのひとつひとつに私の思いを伝えることができることがもうたまらなく嬉しいです。 私は以前から真っ直ぐに前だけを見つめて歩いていきますという確固たる自分自身の思いを心に感じていました。その思いまたひときわ強くなったように思います。私の心は私の目はもうただ前だけを見つめている、私の道だけを見つめています。核からのメッセージ、ますますその方向に進んでいきます。ますますその凄さを伝えていくことでしょう。心は広げています、しかしそこへ入ってくるかどうかはそれぞれの心次第です。 重苦しい中にある自分自身を救うのは自分しかないということを心で分かるまで地獄は続いていきます。生きながらにして地獄の中にある現実のご自分をしっかりと見つめてください。 私には心があります。アルバートを感じることができる心があります。田池留吉の世界を感じている心があります。もう何もいらない、この心さえあれば何もいらないです。肉を肉で受け入れることなどできないけれど、肉を通し伝わってくる意識達、どんな思いもどんな思いもただただ愛しくてこの心に抱きしめてやりたいです。優しい優しい母の温もりが心に広がっていきます。 そしてまた来世肉持つ喜び、来世の私の喜びが溢れ出てきます。守るものはありません。失うものもありません。肉は何も持てない来世、肉のどん底からああ私にはこの心があった、こんな素晴らしい世界を持っている心があった、そのことをしっかりと確認していくのが二五〇年後の私の来世です。アルバート…、本当に嬉しい、嬉しいです。今まさにアルバートを感じ来世を感じ私自身の世界を感じている、心から突き上がってくる思いは田池留吉、ありがとう、本当にありがとう、ただただ嬉しい…、嬉しい…、そればかりです。 ともに歩きともに生きている、その実感の中に自らを預けられる喜びと幸せ、それは他力のエネルギーの呪縛から自分自身を解き放さなければ決して感じることができないものです。重苦しい中にある自分自身を救うのは自分しかないということを心で分かるまで地獄は続いていきます。生きながらにして地獄の中にある現実のご自分をしっかりと見つめてください。そのことから逃げていては、本当の幸せにも喜びにも出会えないことを知ってください。 肉のどん底で環境を母を社会を呪い恨むことを突破口として私の中のブラックが噴き出してくる来世、アルバートを殺してやる、お前を殺してやる、そう叫ぶ私の心の中に喜びが一気に溢れ出すシナリオは本当に見事です。 心にしっかりと母の温もりを感じている、その母の思いが私を支えています。だからどんなに大きなエネルギーを感じようとも心は動じません。また母の温もりが私を支えているのと同じように、喜び、喜びの私の源は心の底からマグマのように噴き出してくるエネルギーです。今か今かと心の中で来世を待つエネルギーです。今世、田池留吉殺してやると生まれてきたエネルギーよりももっともっと大きなエネルギーがアルバートに出会う来世を心待ちしています。 宇宙を暗黒に染めてやる、その私達の計画は田池留吉という肉を持った意識に阻止された、その思いがまだまだ心に供養されずに残っています。そのエネルギーに突き動かされて今世の私は大きな大きな一歩を歩みました。そして今このエネルギーを心で確認できたことでまたさらに大きな一歩を踏み出したことを感じます。 喜びです。私の中でブラックはブラックでなくて喜びだとはっきりと感じているからこそまた大きなエネルギーと出会える、出会えてさらに喜びが大きくなり心棒が太くて強くなる、だから私には地獄であって地獄でない世界が展開されていくことが分かります。喜びの中で喜びに出会えることがただただ嬉しいです。 肉のどん底で環境を母を社会を呪い恨むことを突破ロとして私の中のブラックが噴き出してくる来世、アルバートを殺してやる、お前を殺してやる、そう叫ぶ私の心の中に喜びが一気に溢れ出すシナリオは本当に見事です。今世のシナリオも凄かったけれどそれ以上のものを自分に用意してきたことが今はただただ嬉しいです。 喜び、喜びの私の源それは地獄の中の私、とてつもなく大きなブラックのエネルギーです。しかし私は地獄であって地獄でない世界を今感じています。 喜び、喜びの私の源それは地獄の中の私、とてつもなく大きなブラックのエネルギーです。しかし私は地獄であって地獄でない世界を今感じています。 肉で覆い尽くされてしまった心に怒涛のように押し寄せてきたたくさんの過去からの私、セミナーはそんな私と出会えた貴重な時間と空間であり、地獄に沈み込んだ心にようやく届いた日の光、忘れようにも忘れられない衝撃でした。心から噴きあがってくる懺悔と喜びでした。皆さんもまた同じ体験をしてこられたと私は思っています。そんな世界を心で感じていわゆる従来の世間並みのチャネラーにこだわっていることが私には不思議でなりません。 肉にとらわれていては苦しくて当たり前、しかし抱えてきた抱えている世界はそんなちっぽけな世界ではない、そんな肉の苦しみでもう私はだめだとか言っている場合ではないことをもっとあなたの現実を知らなくてはどうにもなりません。いまだにアマテラスその他他力の神々を心に宿し素晴らしいものと崇め奉っていては、本当のブラックも本当の喜びも分からずに地獄の中をさまよい続けていくことになるでしょう。 アマテラス等々、ちっぽけな世界です。そんな世界を心に抱きそこからアルバートを田池留吉の宇宙を感じてもそれは小さな小さな世界でしかありません。それをこんなに感じた、分かった、としていては所詮井の中の蛙に過ぎないことをもっと心を見て心で感じていってください。チャネラーという道具を効率よく活用してください。核に意識の核心に近づいてくださることを待っています。 今まさに私の目の前に真っ直ぐに続く道、二五〇年後に続く道をしっかりととらえています。心を繋いでいくことをアルバートと約束した私がはっきりと感じられます。 私は今までに何度か二五〇年後に繋いでいきますとか繋いでいく私であるとか、そういうことを感じてきました。それが今まさに私の目の前に真っ直ぐに続く道、二五〇年後に続く道をしっかりととらえています。心を繋いでいくことをアルバートと約束した私がはっきりと感じられます。もう間違いない、私とあなたの道が今ここにしっかりと繋がったことを感じます。 すべては来世にあります。もう道は繋がった、これからのときはそのシナリオを滞りなく進めていくことだけが私の仕事です。喜び、喜びでこの道をまっしぐらに進んでいきます。 肉のアルバートは今現実です。今世の私を含めすべての私がアルバートの目の中に吸い込まれていくその瞬間、素晴らしい瞬間を今心で感じられる、それはとてもとても言葉では語れない瞬間です。すべての私がその目の中に苦しみをぶつけていったその瞬間にそれが喜びへと転じていく、そうそれは一瞬の出来事です。そして歓喜、歓喜のエネルギーがほとばしる中、心は静かな静かな喜びに満たされていきます。ああ今という一点に過去も現在も未来もあることを心で感じることができる、その瞬間のシナリオがアルバートにそして来世の私に組み込まれていることがただただ喜びです。 田池留吉が伝えようとした真実の波動の世界、愚かな肉を持ちしかしながら肉を持ったからこそ心で感じ心で証明できた今世でした。今世の結果をみんな来世に託していけることが嬉しい、嬉しいです。 アルバートを感じそして感じたものを信じていく信を深めていくことがすべてです。意識、波動の世界は無限大です。何度感じようともこれでいいということはない、どこまでもどこまでも果てしなく続き果てしなく広がっていく世界です。 頭での解釈はもう結構です。そんなもの何の役にも立ちません。真実の世界は頭で感じるものではなく心で感じるということです。講釈を垂れ言葉に酔いさて何が分かったかというと、何にも分かっていない、何にも変わっていない、やっぱり肉基準の世界を抜け出せていないという現実が目の前にドーンとあるだけです。 真実を心で知るということは本当はそんなに容易いものではありません。自分が喜びのエネルギーであると心で分かるということを簡単に考えておられませんか。あまり現実的なことを伝えると学びの意欲というものがそがれるようですが、それでも私は肉持って学ぶことの難しさと厳しさを踏まえつつ自分に誠実に学びと取り組み、そして必ず今世の心を二五〇年後に繋いでほしいという思いからあえて言わせてもらいます。 アルバートを感じそして感じたものを信じていく信を深めていくことがすべてです。しかし失礼ではありますが、あなたが感じているアルバートの世界、田池留吉の宇宙は本当に小さな小さな世界です。意識、波動の世界は無限大です。何度感じようともこれでいいということはない、どこまでもどこまでも果てしなく続き果てしなく広がっていく世界です。だからできたとか分かったとかそんなものはありません。ただ喜びが広がっていく、その世界にともに生かされている喜びだけを感じていけばいい、それ以外はすべてがブラックの世界です。しかしそのブラックもまた実は喜びであった、私が心で知り得た真実、だから私は嬉しいしかありません。 ただ我が道を行くのみです。学びと肉の人生にズレもなければ隔たりもない、肉の人生などあってないようのものです。肉の人生を生きているようで私はアルバートに生きています。 尻尾をちぎれるくらいに振って喜びをどう表していいか分からない、飛びついて飛び跳ねてもう気も狂わんばかりの喜び、ワンちゃんの世界を連想してくれたらいい、本当にアルバートって凄いです。例えばそんな感じ、アルバートを感じているときもう嬉しくて嬉しくて本当に軽い、心が軽い、ゴムまりのように弾んで弾んでまた羽のように軽くて羽ばたいている、アルバート、嬉しい、嬉しい、嬉しいってそしてありがとう、ありがとう、ありがとうって叫んでいます。 こんな心になれない心をいっぱい詰め込んできた、それが肉持つ人間、アルバートを知らない人間、みんな間違い、すべてが間違い、何もかも間違い、間違いだらけの中で立派な人間、素晴らしい人がうようよしています。それが肉の杜会、本当に狂っています。みんなが狂っているからどうしようもない、後はときが来るのを待つだけです。 だから私はあえて肉は何も言いません。人を救い人を導く思いなど毛頭ないし、ただ我が道を行くのみです。学びと肉の人生にズレがある、隔たりがあると感じるならばまだまだでしょうね。私はズレもなければ隔たりもない、肉の人生などあってないからです。肉の人生を生きているようで私はアルバートに生きています。私にとってアルバートとはそんな世界です。アルバートそして田池留吉の宇宙、その波動に出会うために生まれてきたのですから。 肉は大したものは持ち合わせていないけれど、肉でできることも大したものはないと本当に思っています。肉に対する欲の心は小さいです。 肉は大したものは持ち合わせていないけれど、肉でできることも大したものはないと本当に思っています。肉に対する欲の心は小さいです。肉には何も望みません。何も望まないけれど私は十二分に肉も幸せです。衣食住に満ち足りて、物質的にも精神的にも肉を幸せな環境に置いてやれる今というとき、本当にありがたく思っています。こんな安らいだときの中で自分に思いを馳せることができる、思えば嬉しい、思えば幸せ、本当に今何も望むものはありません。 そうですね、今はただ今世生まれてきたことが嬉しい、出会えたことが嬉しい、こんな幸せな時問を自分に用意してきたことが嬉しい、本当にそんな嬉しさばかりです。心の中にありがとう…、ありがとう…、の思いが広がります。ありがとう、私が私に伝えてくれている、とても優しい優しい思いです。そしてそこから悠久のときを感じます。歩いてきたこと歩いていくこと、そのすべてが嬉しいです。 心の喜び、幸せは日に日に薄らいだり消えていくものではないですね。思えばその瞬間に戻れる、一瞬にして心に蘇ってくる、何とも言えない幸せ感の中に包まれる、そんな心の世界を自分の中に広げていけることがもう幸せです。その存在が嬉しい、その存在が喜び、こんな思いを感じられることが喜びであり幸せです。 自分を救うのは自分の中の優しさ、愛だということが他力の中では絶対に分かるはずがありません。そういう方々にとってこの学びは非常に難しい、それが現実です。心で感じている世界が全然違います。 現状に甘んじることもなく驕ることもなく私は淡々と流れています。流れていくことが嬉しいです。行くあてもなく浮き草のように漂いやがて淀んでいく流れではなく、ゆったりと悠久のときを流れていく流れの中にあります。その流れはすべてのものを誘いながら温もりの中へ溶かしていきます。見事にことが成就していきます。来世に繋ぐという目処がたち後はただそのときが来るのを待つだけです。ともに学ばせてもらえて最高に幸せです。ありがとうしかありません。 肉の中にあって我が信じる道を行くということは肉の未熟さから難しいことだと思ってきました。だけど今世の現象も過去からのものもみんなひとつの方向を指していたのに気付いたときから私の心は決まったようでした。もう肉が未熟だからとか難しいは言っておられません。未熟なのは私自身でありました。今その私が肉にありがとうとそう言えるまでに成長を遂げたことが嬉しいです。 事を荒立てることなく騒ぎ立てることなく淡々としかし着実に確たる一歩を歩んでいくことは簡単なようで難しいのではないでしょうか。いつもどこかに評価を求め成果を期待する他力の心癖のままあまりにも長く長く存在し続けてきました。他力のエネルギーの中では自分を救えるのは自分しかないということは分からない、だから自分を救うために他力のエネルギーを使っていきます。自分を救うのは自分の中の優しさ、愛だということが他力の中では絶対に分かるはずがありません。そういう方々にとってこの学びは非常に難しい、それが現実です。心で感じている世界が全然違います。 アルバートを感じている、田池留吉の宇宙を感じている、そしてその世界が大きくなっている、それらは紛れもない事実です。しかし私は決してそういうことで有頂天にならない、肉は舞い上がらない、私自身立派だとも思っていない、それは自分自身が存在し続けてきた世界を本当に心で知ってきた、知っているからです。 何度も何度も自分を裏切ってきた、何度も何度も自分を地獄に突き落としてきた、私はその苦しみをもう気の遠くなるほどたくさん味わってきました。心が敏感になり真実の世界を知っていけばいくほどそんな自分と出会ってきた、だから心から出る思いは懺悔と喜びしかありませんでした。 自分を自分で殺してきた、この思いを本当にあなたは今世その心で感じてきましたか。自分を抹殺してきた、母に対する思いが心から噴き出て荒れ狂っているエネルギーの中にいた自分と真向かいになれたとき、肉持てたこと、生まれてこれたことがどれだけの愛であったか、そして学びに集えたことがどれほどの喜びであったか、もう私の心にはビンビン響いてきました。 アルバートを感じている、田池留吉の宇宙を感じている、そしてその世界が大きくなっている、それらは紛れもない事実です。しかし私は決してそういうことで有頂天にならない、肉は舞い上がらない、私自身立派だとも思っていない、それは自分自身が存在し続けてきた世界を本当に心で知ってきた、知っているからです。 アルバートを田池留吉の宇宙を求めてきた私の思いというものは、どんな肉の思いにも潰されるような柔なものではない、簡単にひっくり返るような脆弱で軟弱なものではありません。この思いに引き換えるものなんてこの世に存在しない、自分が生きるか死ぬかの覚悟で生まれてきたということです。だから今真実に目覚め道が定まったということがどれだけの喜びであるか、その波動、喜びのエネルギー、パワー、あなた方の心の奥深くに届いていると私は思っています。 私はアルバートを信じています。私はアルバートがすべてです。私の中にはアルバート以外のものは何もありません。 喜びの文章なんて何年も学んでいたら誰でも綴れる、でも「一」感じたものを「一」表現しているかと言ったら案外そうではないかもしれません。その表現には脚色がしてあることも多々あると思います。反対に感じたものをうまく文章にできずともその「一」感じたものを感じたまま素直に喜んでおられる方もあると思います。後者の方が学びの進み具合は早い、要は自分が嬉しかったらそれでいいということです。 心で感じたものを過不足なく言葉に置き換えることは難しいし無理だと思っています。だから私は自分自身が心で感じているものが一〇〇%伝わっているとは思っていないけれど、波動を感じていってくだされば頷けると思います。 「私はアルバートを信じています。私はアルバートがすべてです。私の中にはアルバート以外のものは何もありません。」 この三行を読まれてそしてふと心を向けられたときそのときにあなたの心に感じられるものがあると思います。私はそれを感じてあなた自身の学びを進めていってくださいとお伝えします。 意識の世界はごまかせないんです。同じ言葉、同じ表現があってもそこから来る波動はだませないんです。 私は自分の心の中からその三行の思いがはっきりと伝わってきます。果たしてあなたはセミナー会場でその三行を宣言できますでしょうか。 何があるから幸せで何がないから不幸せ、そうではない、そうではなかったと心から思えるから本当に嬉しいです。 何があるから幸せで何がないから不幸せ、そうではない、そうではなかったと心から思えるから本当に嬉しいです。 思うことが幸せで思えることが嬉しくて、本当にありがとう、ありがとうと心から沸いてきます。温もりを捨てた心、捨てたと思ってきた心に温もりがあった、変わらぬ温もりが今こんこんと湧き出る、そしてアルバートヘの思いが止め処もない優しさの中に私を誘っていきます。 アルバート、私のすべて、私が命をかけて出会いたかったアルバートです。私はアマテラスが愛しい、宇宙に存在する意識達が愛しい、みんなみんなアルバートだと私は感じています。波動として存在する私が今肉をもらってこのような喜び、幸せの世界を広げていけることがただただ嬉しくて、お母さんありがとうございます、本当にありがとうございます、その思いでいっぱいです。 今、私の思いはやはり宇宙です。宇宙に思いを向けずにはいられない、宇宙抜きには自分自身を語れません。この思いはこれから二五〇年、三〇〇年かけて熱く熱く語らせていただけるようで私は自分が書いてきたシナリオを嬉しく、はい嬉しく眺めています。アルバートに出会った今世、そしてさらにその出会いをアップグレードする来世、アルバート待ち遠しいです。アルバートそして田池留吉の宇宙、私の中で喜びが大きく膨らみます。この世界を感じている私、もう何がなくてももちろん幸せです。 今世よりももっと素晴らしい来世があります。今世の喜び、幸せとは比べられないほどの喜び、幸せが待っています。 今世よりももっと素晴らしい来世があります。今世の喜び、幸せとは比べられないほどの喜び、幸せが待っています。もう私にはそれらが心の中に痛いほど感じられます。だから私はわくわくしながら今その準備を万全に整えています。三次元の時間と空間に感謝しながら来世に向けてそしてそれからずっとずっと続く未来へ向けての準備を整えています。肉の人生、肉の時間はすべてそのことに繋がっていくだけであり、私の中では肉をどう生かしていくかなんていうものはなく、三次元最終の大事業が目前に控えていることだけがクローズアップされています。 今世はもうこれでほぼ大丈夫だろうという時点で、私はこういう形で出現してきました。ある日突然ではなく満を持して現れました。周りが驚いても騒いでも私には全く予定通りでした。今世との違いは来世はその間の時間が非常に短いということです。準備することが要らないから出会った瞬間でしょうね。そして今世と来世のスケールは違うものの中身は同じ、嬉しい、喜びには変わりはないです。ともに歩める喜び、幸せを心で感じながら肉の時間と空間を共有していることが嬉しくて幸せで、ひとつが嬉しい、ぐっと濃縮された喜び、幸せの中に肉も意識も存在しているということです。 私の中では何がどうでこれがこうなってということはなく、アルバートがある、田池留吉の宇宙がある、もう幸せ、嬉しい、喜び、それしかないんです。田池留吉、ありがとう、嬉しい、アルバート、嬉しい、ありがとうしかありません。こんな分かりやすいものはないと思いますが、素直ってそんなに難しいのかなとも思っています。 嬉しい、ありがとう、本当に嬉しいときその嬉しさを素直に無邪気に伝えられるのは、夫は妻、妻は夫、そして子供は両親でしょうね。そういうパートナーがこの世に今存在しているって嬉しいことですね。 嬉しい、ありがとう、本当に嬉しいときその嬉しさを素直に無邪気に伝えられるのは、夫は妻、妻は夫、そして子供は両親でしょうね。そういうパートナーがこの世に今存在しているって嬉しいことですね。肉持って互いに喜びを分かち合える、夫婦として親子として肉持って出会わせてもらったことを心から喜び合える、そんな夫婦であり親子であれば、たとえ一杯のお茶であってもそれが楽しくて嬉しいと私は思います。 お金や血の繋がりでなく、夫婦、親子を本当に繋ぐものはアルバートです。互いの心にアルバートを感じ合う、だから自然に相手の肉に対して優しさが溢れ出します。執着や支配のエネルギーで相手の心を向けさせなくても、嬉しい、優しい、ありがとうの思いが心を寄り添わせます。 アルバートを感じていけば分かるはずです。肉に対して優しいというのは、決して肉の段階では留まりません。だから本当に肉にも優しいんです。アルバートを知らない人の優しさは肉で優しく見えても実は肉にも冷たいということです。 今世私の肉持つパートナーは母だけになりました。その母とアルバートの道を歩める私は幸せです。今世の父にも夫にも今はただありがとうございましたと伝えられることが幸せです。すべて喜びに変わっていった今世です。 そして今、私にはもう間近に聞こえます。私の本当のパートナー、唯一のパートナー、アルバートの嬉しい嬉しい思いが心に響いてきます。二五〇年後の来世そして宇宙、その足音がもうそこまでやって来ています。 これから二五〇年の間にどれだけこの地球環境を含めて宇宙が変貌を遂げるか、人類に対しての警告であるとともにそれは大きな大きな愛、宇宙の優しさ、法の厳しさが天変地異としてメッセージを送り続けます。 宇宙に目覚めたアルバートの意識、私はアルバートであったと宇宙の中で暗黒の宇宙の中で目覚めを頂きました。宇宙を変えていくパワー、しかしまだその本当の凄さは田池留吉しか分かっていないことを私はお伝えします。地球上に何十億の人間が存在しどれだけの頭脳を働かせ英知を集めようとも、そんなものはこのパワーの前にはなす術がないことに遠からず人類はつぶさにその現実を見ていくことでしょう。これから二五〇年の間にどれだけこの地球環境を含めて宇宙が変貌を遂げるか、人類に対しての警告であるとともにそれは大きな大きな愛、宇宙の優しさ、法の厳しさが天変地異としてメッセージを送り続けます。 次元を超えてやってきた私達、その私達がまた次元を超えてさらなる世界へと意識の中枢を目指す旅を続けます。私は今世このように肉をもらいその流れの中で真実の波動に触れ、過去から未来へと続く自分という存在をこの心に深く知りました。今世肉持てたこと、来世再び肉を持てること、悠久の流れの中に思いを馳せる私はもう感に堪えません。 ただただ嬉しいです。心に響く思いはありがとう、ありがとう、の思いだけです。肉をまとい心に詰め込んで苦しんできた思いは数々あった、肉を本物として生きてきた長い歴史を経て今このように自分自身の歴史が転回期を迎えられたことが本当に嬉しいです。ともに生きてきた自分自身に思いを向けともに宇宙を歩み続けます。来世の肉持つ時間と空間が優しくそして喜びの中で私達を迎え入れてくれるでしょう。 度重なる天変地異により国土は荒れこの地球は見る影もなく変わり果てている、しかし心に響くものは喜び、喜び、さあともに帰ろう、ともに帰りましょう、私達とともに、その思いの中に温もりの中にすべての意識達が誘われていく、ありがとう、ありがとう、ありがとう、これこそがまさしく現実、実在する世界でした。 すべてが愛でした。私は自身が感じ信じる世界、真実の波動の世界を宇宙に存在するすべての意識達に伝えてまいります。心に確実に伝わってくる真実の世界を私はこの心から宇宙に向けてその波動を流し続けます。これがこれからの私、二五〇年後に肉持つまでの私です。そして二五〇年後肉を頂き今度は肉を通し、肉を使い、より強くより深く波動の世界を広げてまいります。 ともに喜びを分かち合い、ともに喜びを信じ合い、ともに喜びを喜び合う、そんな仲間達の輪が大きく広く広がっていきます。意識と意識の交流の中ではみんなが仲間、みんなが愛しい愛しい仲間達です。私とあなたの区別はない、性別を超え国境を越えすべてがひとつ、それが真実の世界、波動の世界に存在し続けるのが私達の本当の姿であることを私はこの心から余すところなく全世界に全宇宙に流していきます。その様が心に今映し出されていく、幸せ、喜びの中をともに歩める私達です。 度重なる天変地異により国土は荒れこの地球は見る影もなく変わり果てている、しかし心に響くものは喜び、喜び、さあともに帰ろう、ともに帰りましょう、私達とともに、その思いの中に温もりの中にすべての意識達が誘われていく、ありがとう、ありがとう、ありがとう、これこそがまさしく現実、実在する世界でした。 セミナーという時間と空間を用意してきた私達の今世、これがどれだけの喜びであったかということはこれからの二五〇年後に出会うまでのあなた方の心にしっかりと刻まれていくことでしょう。自分を大切にするという意味が心に蘇ってくる二五〇年後ではないでしょうか。 あなたの言い分、意見、考え、どんなに主張されようと真実の世界には全く通用しません。なぜか、もうお分かりですね。私はアマテラスに支配されている、他力の神々の呪縛から抜けられない、そんなたわ言を言うのもやめてください。あなたは真面目かもしれません。でも私からすれば単なるたわ言にしか聞こえません。真剣に本当に命懸けで他力の反省を進めてこられたなら、今世セミナーが開かれてきた時間は充分であったと私は思っています。母の温もりをその心で感じてこられたでしょう。それも何度も何度も味わってきたではないですか。それでもアマテラスが苦しみでしょうか。他力の神々がいつまであなたの心を占領しているのでしょうか。何を学んできたのかと自身の心の中から伝わってきて当然です。それでも待ち続けてくれているあなた自身にあなたは支えられています。 まずは一歩を歩み出してください。半歩でもいいです。着実な一歩です。一歩進んで二歩下がって同じところを行きつ戻りつするのではなく、一歩歩んだら次のまた一歩を歩む、そんな学び方をしてきたかどうか要チェックですね。 学びは人生です。自分自身です。そのように自分の中で位置づけてきたかどうかそれも要チェックです。その結果が今目の前に展開しているだけのこと、非常に分かりやすいです。 セミナーという時間と空間を用意してきた私達の今世、これがどれだけの喜びであったかということはこれからの二五〇年後に出会うまでのあなた方の心にしっかりと刻まれていくことでしょう。自分を大切にするという意味が心に蘇ってくる二五〇年後ではないでしょうか。 あなたのシナリオ、あなた自身のアルバートヘの道を示すシナリオを大切にまっとうしてください。 私が今このように語らせて頂いているもの、それはみんな私の心を通じて伝わってくる思いです。決して頭を通じてくるものではないんです。私の頭は何も働いていません。言葉は選んでいるかもしれません。それは思いを飾るとか肉の私を表すとかではなく、どう表現すれば私の心に伝わってきている思いをしっくり伝えられるかということからです。本当はそんな配慮は要らないかもしれませんが、肉はまだその点で愚かです。 とにかく私は私の思いは狭い範囲、低次元には留まっていません。だから私の思いをそのまま分かってくださっているとは思いません。曲解もあり反発、特別視もあるでしょう。しかし私自身とても幸せです。このようにお伝えできることがとても幸せです。二五〇年後に出会うまでひとりひとり心を必ず繋いでいってください、そして必ず喜びで喜びの中でともに学んだことを思い出してください、という思いが込められています。 これからどなたも厳しい転生の中をくぐり抜けていかれることでしょう。みんな自分で書いたシナリオがあります。何度かの転生を経て二五〇年後に再びアルバートに出会うシナリオをそれぞれが書いてきました。喜び、喜びで書いてきたということを心で本当に心で受け止めていってください。 あなたのシナリオ、あなた自身のアルバートヘの道を示すシナリオを大切にまっとうしてください。 今はただ嬉しいだけです。セミナーという場に集える自分自身であったこと、こんな時間と空間を自分自身に与えてきたことがただただ嬉しい本当に幸せだと感じています。 あなたはなぜ足繁くセミナーに集い続けてきたのですか。あなたはなぜ反省、瞑想をやってきたのですか。 〜のために、〜でありたいから、最初はそういう目標を掲げてきたし、目的意識を持つことは優等生として当然で、漫然と学んでいるのではないと思ってきました。大きな間違い、己があまりにも偉過ぎました。 もちろん今は違います。今はただ嬉しいだけです。セミナーという場に集える自分自身であったこと、こんな時間と空間を自分自身に与えてきたことがただただ嬉しいし本当に幸せだと感じています。それはそうでしょう、ここ十一年の間に二泊三日のセミナー、びっしりと集わせてもらった、ということはそれだけの時間を自分に自分だけに集中してきたということです。その間に存分に自分のエネルギーと出会わせてもらった、どこにそんな場があるでしょうか、どこにもない、自分と出会える場を持てた、ああ本当に何と幸せな私だろうと思います。懺悔と喜びの涙、涙でした。涙と汗の中を何度も何度も喜びの体験を重ねてきました。 セミナーに心血を注ぎ、セミナーをこよなく愛してきた田池留吉にはありがとう、本当にありがとうございますしかありません。セミナーという場であなたと出会えたことが最高の喜びであり最高の幸せです。来世の予行演習にしてはあまりにも嬉し過ぎるけれど、またそれにより心に秘めたる思いをひとしお強く感じます。私はありがとう、ありがとうしかありません。嬉しい、ありがとう、喜び、私の心はいつもそこへ戻っていきます。 まずは一歩です。アルバートヘの道を一歩踏み出しそして歩き始め歩み続ける、これは本当に難しいことなんです。 心を変えるということは難しいです。私の中から伝わってくる思いは意識の世界の厳しさです。少々の現象では心を変えること心を一八○度転回することは難しい、そこまで肉持つ人間は堕落してしまったという現実を伝えてきます。真実に触れれば触れるほど喜びが増すとともに厳しさも心で感じられます。 まずは一歩です。アルバートヘの道を一歩踏み出しそして歩き始め歩み続ける、これは本当に難しいことなんです。感じたものを信じていく、それはその通りです。しかし心は正直です。どこか違っていたりズレが生じていれば必ずそのことを伝えてきます。そのときいかに柔軟に素直に受け入れていけるかでまたそれからの道が分かれてきます。 私のべースにあるのは溢れる喜びと温もりそして核としての自覚です。喜びと厳しさです。待っている意識達がいる、宇宙には待っている意識達がいます。その意識達の思いを私はひしひしと感じています。これから二五〇年後に出会う意識達の思い、私はこの心に抱きかかえながら存在し続けます。 砂上の楼閣になどなり得ない、今世の肉に思いを込めてきた私自身の確たる思い、今宇宙へ向けて発信されています。だから二五〇年後が待ち遠しい、厳しいけれど喜びの中を突き進む原動力を私は心に脈々と感じている、そしてそれが私であることを実感しています。 田池留吉、そしてアルバートと呼ぶとき思いを向けるとき、私の心の中に広がる喜びは、未来へ向けて心がどんどんどんどん解き放たれる喜び、無限のかなたに広がっていく宇宙空間を旅する喜びです。 田池留吉、そしてアルバートと呼ぶとき思いを向けるとき、私の心の中に広がる喜びは、未来へ向けて心がどんどんどんどん解き放たれる喜び、無限のかなたに広がっていく宇宙空間を旅する喜びです。 私は意識の流れに流れていくだけです。来世の思いもそれからのことも心に確実に響いてくる、だから流れていくだけでいい、もうそれだけで幸せで喜びの私だということです。何も望むことは要らない、私にとって必要なものはすでに用意されていることが心に感じられます。過不足なく用意してきた自分のシナリオを私は喜びで眺めています。 波動の世界に羽ばたく私にとってもちろんこの肉もその喜びと幸せに不可欠なものです。肉を頂く喜びと幸せを私の心は今世も来世も充分に十二分に味わいます。来世の肉の環境はどん底、肉の心もどん底、それでもそれでも私は再び一瞬にして蘇ってきます。それを私は心で確信している、そのシナリオを忠実に演じていきます。それが私の喜び、そしてそれが次元移行の強烈なパワーとなっていくことを私は確信しています。 アルバートがすべて、決して大げさな表現ではない、本当に私はアルバートがすべて、アルバートを待って待って本当に出会いたかったアルバートです。 今なら分かる、神、神の子、エルランティ田池、私には実のところどこかぴったりこなかった、それは私の心がまだ鈍感だったからとも言えますが、そうではなかったことが今なら分かります。アルバートの顕在化とともにやはりそうであったと確認しています。私はアルバートを待っていたんです。 私自身を目覚めさせたアルバートの波動、アルバートの世界、私にはやはりアルバートでした。アルバートだけを私は待っていた、その瞬間を待っていた、そのことを痛感します。 アルバートがすべて、決して大げさな表現ではない、本当に私はアルバートがすべて、アルバートを待って待って本当に出会いたかったアルバートです。アルバートに出会うために生まれてきた今世、私のすべてを賭けて再びアルバートと出会っていく来世、私の喜びはその肉を通し宇宙の果てまで突き抜けていきます。心に秘めたるパワー、来世アルバートにより見事に開花していきます。 その肉その意識その世界、すべてが私の中でひとつ、アルバートは私の心の中に実在する、心に響くアルバートヘの思いは、アルバートに出会う喜び、アルバートとともに生きる喜びで満杯です。宇宙に存在する意識達がアルバート目指し喜び勇んで集い来る、喜び喜びで集い来る様を私の心ははっきりととらえています。みんなみんな私の仲間、おいで、おいで、愛しき仲間達、私達はともにともにアルバートとともに歩いてまいりましょう、私はその歓喜の中にいる、歓喜の渦の中にいる私を今感じている、アルバート、嬉しいただただ嬉しい、アルバート、私はあなたとともに存在しています。 「なぜ生まれてきたのか、なぜそこに存在しているのか、本当の私と出会ってください。あなたは私と出会うために生まれてきたんですよ。」何度も何度もこの思いを聞き確認してきました。 肉に生き肉に死んでいったたくさんの意識達が、今そのあなたの肉を通して何かを考え何かに気付き始めています。一行の文章、たった一文字、たった一言、そこに心が揺さぶられる何かを感じている、嬉しいですね、こんな計らいの中にあることが嬉しいです。私は嬉しくて嬉しくて泣けてきます。 何度自分を裏切り何度地獄に突き落とし殺しまくっても、私は自分を生かすエネルギーの中にあった、この現実を心で知った私はもう何も言えなかった、私を生かすエネルギーは私自身であった、天と地がひっくり返りました。 「お母さんなぜ私を生んだ」慟哭の中を生き続けてきたたくさんの私を心に抱え今世肉をもらってきました。相当の決意があったからこそ今の喜びがあると思っています。本当の自分自身の声を聞き、思いを聞き、ひたすら真っ直ぐに進んでいく喜びの中に私はいます。 「なぜ生まれてきたのか、なぜそこに存在しているのか、本当の私と出会ってください。あなたは私と出会うために生まれてきたんですよ」何度も何度もこの思いを聞き確認してきました。「ああ、あなたの声が心の底から聞こえてきます。ありがとう、ありがとう、信じて待ってくれていたんですね。今私はあなたの優しい優しい温もりを感じています。あなたが私を信じてくれていたように私もあなたを信じていきます。信じる喜びと幸せを私はこれからたくさんたくさん味わっていきます」喜びの中で私とあなたを繋ぐパイプは段々に太く強くなっていきました。私のアルバートヘの道は今や不動のもの、何も言葉はない、ただありがとうしかありません。 心から飛び出てくる呪いと怨念の数々、それがあなたがあなたに書いてきたシナリオです。これからのシナリオは特に厳しいです。なぜならば今世田池留吉と出会うシナリオを書いてきたからです。 心から飛び出てくる呪いと怨念の数々、それがあなたがあなたに書いてきたシナリオです。これからのシナリオは特に厳しいです。なぜならば今世田池留吉と出会うシナリオを書いてきたからです。もう自分をごまかせない、だませない、逃げることもできません。果たして地獄の奥底から蘇ってくるのはいつなのか、信じて待ってもらっている自分に気付いていけるのか、すべてあなた次第です。でも分かっていることはシナリオにいいも悪いもなく、レベルが高いも低いもありません。そのシナリオはあなたが二五〇年後に心を繋いでいくために必要不可欠のものだということです。そのシナリオをまっとうすることがアルバートヘの道です。しかしその軌道に乗るには一筋縄ではいきません。だから何度かの転生を経てとお伝えしています。それを踏まえて今世の時間大切にしていってください。 三次元最終のときに再び肉を持って出会えることを私は待ち望んでいます。今世の学習、今世の心の体験の数々、それは二五〇年後に見事に花開いていきます。意識の世界に狂いはない、それをあなた自身の心で体験されていくこれからです。それぞれが自分の心で気付いていけることが愛であり、その流れの中に自らを誘っていける私達です。愛が自分に伝えてくれる、自分を誘ってくれる、その優しさ温もり、それに出会うためのこれからです。 今まさに次元移行の流れの中にあります。これからの二五〇年、三OO年まさに喜び、喜びのときを迎えます。心に広げてきた真実の世界、私達はひとつになって喜びを伝え続けます。 まだ見ぬ仲間、二五〇年後に出会う私の多くの仲間達が待っていることを心は感じています。アルバートの波動を伝えたい、心の底からの思いを実現してまいります。 私は今世初めて肉を頂く意味を心から知りました。お母さん、あなたには心からお礼申し上げます。私の今の心情、この心からの思いは例えようもない喜びです。今世私はアマテラスの国日本にこのように生を受けました。私はここからこの国から出発です。お母さん本当にありがとうございます。私は必ずあなたの心を二五〇年後に繋いでいきます、その道がこのように今繋がっていることを心で感じています。 アルバートの波動を本当に感じ真っ直ぐ喜びに繋いでいくことは難しいことです。少し感じれば己の肉を表す、己の肉に心を向ける方向にいかれるというのが悲しいですがそれが現実です。二五〇年後に心を繋いでいってください、私はそう表現していますが、これはとても大変なことだということを今現在あなた自身、心で分かっておられますか。 私は喜びです、そして私は二五〇年後アルバートと出会って…といくら言われてもそれは頭で組み立てられたことかもしれません。自分のこれからのシナリオから脱落していくことだってあり得ます。今世学んだからみんながみんなアルバートと出会って次元移行を果たすというわけでもありません。学びの本流は確かに二五〇年後に引き継がれていきますが、その本流から大きく軌道をはずされる方も出てくるでしょう。 私はそういう現実を感じている一方で、まだ見ぬ仲間、二五〇年後に出会う私の多くの仲間達が待っていることを心は感じています。アルバートの波動を伝えたい、心の底からの思いを実現してまいります。今世真実に触れさせて頂いたこと喜びです。 学びは意識の世界は厳しいんです。感じた、分かった、どれだけ感じて分かっているのでしょうかと私はお聞きします。私は非常に現実的です。自分自身の学びに対する姿勢は最初からお遊びではありませんでした。 学びは意識の世界は厳しいんです。感じた、分かった、どれだけ感じて分かっているのでしょうかと私はお聞きします。私は非常に現実的です。自分自身の学びに対する姿勢は最初からお遊びではありませんでした。この肉を表していくこの肉を認めさせる、学びに集ったときからそんな低次元でとらえていませんでした。確かに最初は田池留吉という肉を見て本当にこの人に私を託していけるのか、この学びに私を賭けていけるのか、そういう段階でした。しかし私はそれは私自身が真実を求めていた、真実は何か分からないけれどそれは必ずどこかにある、そういう思いをずっと持っていたからです。学びに集ったときチャネラーになることがその条件ならという思いもありました。しかしチャネリングを聞いている私の心は次第にチャネラーというものを離していきました。私の求めているものはそういうものではないと感じ始め、そして田池留吉というものを私の思いはさらに真正面からとらえ始めました。それからの私は田池留吉しか心に入らなかった、その私の心にそれこそ肉から波動の世界が響いてきました。心からどんどんどんどん闇が出てきてもそれは私には喜びを伝えてくれていることだと心で知っていきました。大闇でも落ちることはなかった、私はただただ嬉しかった、嬉しくて嬉しくて、この肉とのギャップに悩みながらもこれこそ私が求めてやまなかった道であることを心はとらえて離しませんでした。 私はそういう足跡を辿ってきました。みんなそれぞれに違います。上がって落ちて上がって落ちてもそれが上昇気流となるような学び方をしてくださいと私はお伝えします。 今世肉を持たなかったら永遠に地獄の奥底に沈んだままであったでしょう。ぎりぎりの状態で肉持ってきた私の思いこそが真実に出会わせた、出会ったら最後もうただひたすら真っ直ぐに歩むだけ、そう歩んでいくだけです。 生まれてくることを忌み嫌ってきた私、どんな立派な肉であっても肉はもういらない、永遠に地獄であっても肉なんかいらなかった、生んだ母を自分を呪い殺してきた大闇は自分を永遠に抹殺しようとしてきた、自分を自分で救うというチャンスを自ら潰していこうとするものでした。 そんな私であることを心で抱えながらそれでもこうして今世肉を望みました。もう一度、私にはまさにラストチャンスでした。この肉に込めてきた私の思いは並々ならぬものがあります。どんなにしても私は真実に出会いたかった、肉を持ってきた私の思いはただそれだけでした。その思いが肉を突き動かしてきました。もちろんその思いは世間で言う喜びと幸せとは食い違っていた、そぐわなかった、だから肉は壁にぶち当たっていきました。 それがこの学びに触れ目の前の壁がすーっと取れていき、真実が現れ始めました。肉持つことの喜びと幸せ、母に生んで頂くということがどれだけの愛であったか、母にそして自分自身に対してもう懺悔、懺悔しかありませんでした。私は今世肉を肉の私を初めて愛しいと思いました。肉の私にありがとう、生まれてこれたこと、生んでもらったことが本当に嬉しくて、私は大闇ではなく喜びであったとこの肉を通し自分自身に伝えられることがどれだけ嬉しかったか、本当に嬉しくて嬉しくてただただありがとうしかありませんでした。 今世肉を持たなかったら永遠に地獄の奥底に沈んだままであったでしょう。ぎりぎりの状態で肉持ってきた私の思いこそが真実に出会わせた、出会ったら最後もうただひたすら真っ直ぐに歩むだけ、そう歩んでいくだけです。 地獄の底の底の奥底を味わってきた私には本当に今世が剣が峰でした。肉からは想像できないけれどそれが私の現実、その現実を背負って私は今世肉をもらってきた、そしてもう一度二五〇年後に生まれてくるということです。 真実に触れる、本当の自分の思いが心に伝わってくるほどに私はもう納得、納得でした。ありとあらゆるエネルギーを飲み込んできた自分自身であった、そしてその心はもう極限状態であったと痛感しています。確かに今田池留吉と出会っているあなた方もきっとそのような過程を経てこられたと思います。しかし今心で感じられているような程度ではない、その自覚というか気付きがまだまだ薄いと私は感じさせて頂いています。メッセージを通して私が伝えたいことをあなたの心で本当に感じてくださるには何というかまだまだ距離があるという感想を持たせてもらっています。それは神、仏をパワーを求め続けた心のままで今世もまたその間違いを繰り返してこられたという事実、そのうえ学んでいる今もまだその心をしっかりと抱えて存在しておられる、間違いに気付いたならばどうしてやめていけないのかという現実、今世肉をもらってきた私とあなたとの思いの強弱、決意の強弱がここにはっきりと表れています。と言ってもそれぞれが歩む道でありそれぞれが書いてきたシナリオがあります。その現実を直視してくださいと伝えています。比べる、競争する、決してそんな余裕など残されていないことをもっと心で知ってほしいと私は思うだけです。 私は過去においてすべてをやり尽くしてきました。あなたが今味わっている地獄などすでに味わってきました。だから地獄の底の底の奥底を味わってきた私には本当に今世が剣が峰でした。肉からは想像できないけれどそれが私の現実、その現実を背負って私は今世肉をもらってきた、そしてもう一度二五〇年後に生まれてくるということです。 まず二五〇年後に本当に心を繋いでいける今現在のあなたであるかどうか自分で検分してみてください。その大切な時間を今自分に与えているということにもっと心を向けていってください。 今私にこんな時間が与えられている、こんな幸せなこんな喜びの時間を私は持っている、不思議ではないけれど肉からはやはり不思議という言葉が出てきます。喜びが、あるときは激しく、あるときは静かに沸き起こってくる、心の底から沸き起こってくる、私全部が喜んでいるんだとの実感です。ともに道を歩けるということ、ともに同じ方向を見つめ生きていけるということ、肉の次元ではとてもとてもこんな幸せと喜びは味わえないし、分かるはずもありません。すべてが何もかもがひとつであることの喜びと幸せを私の心は広げています。 またひとつ厳しいことを言わせてもらいます。今世田池留吉と出会えたから、学びに集っているから、だからもう自分の二五〇年後の来世と次元移行の道筋は決まっている、途中に何度かの転生があってもそのコースは決まっている、そう思い込み決めつけておられる方がいるやもしれません。しかし今世学びに触れたけれど途中の転生の間に心を離していく方もあれば、今世学びに集っていなくても二五〇年後にアルバートの波動に触れそれで心の転回をされていく方もあります。私は二五〇年後にアルバートと出会ってと想像を膨らませておられるのは自由ですが、肉との出会いは別として、本当の出会いはそんなにあっちでもこっちでも出会う必要はないんです。宇宙を変えていく出会いはひとつでいいんです。だからそんなことに思いを巡らすよりもまず二五〇年後に本当に心を繋いでいける今現在のあなたであるかどうか自分で検分してみてください。その大切な時間を今自分に与えているということにもっと心を向けていってください。 私の思いはまさに今宇宙に向けて発信しています。愛しき仲間達、二五〇年後に出会う私の多くの仲間達、まだ見ぬ仲間達にも私はこの心から喜びを伝え続けています。 パワーは優しさです。パワーは温もりです。その優しさと温もりが宇宙を変えていきます。宇宙を変えていけるのは優しさと温もりだけです。 私の心に確実に伝わってくる思い、私はこの思いとともに存在しています。喜びの波動の中でただただ喜んでいくだけです。その喜びから発せられるパワー、エネルギーが仕事をしていきます。今地球上で起こっている出来事はその走りに過ぎません。しかし確実にそういう時代に突入したことを感じます。喜びの波動が心に広がっていく、私は嬉しいしかありません、ありがとうしかありません。 暗黒の宇宙が母なる宇宙へと変わっていく、変えていく真のパワーの持ち主は自分自身でありました。これから二五〇年かけて私自身の全容が明らかになっていきます。そして二五〇年後の出会いにより私は爆発的な喜びの瞬間を迎えます。その意識の流れを心に感じている私にはアルバートがあるのみです。今世肉を頂き、田池留吉とともにその波動の世界を広げていけることが私の喜びであり幸せです。また来世ともに肉を持ちアルバートの世界を今度は爆発的に広げていけることが本当に嬉しいです。 私の思いはまさに今宇宙に向けて発信しています。愛しき仲間達、二五〇年後に出会う私の多くの仲間達、まだ見ぬ仲間達にも私はこの心から喜びを伝え続けています。それが私の喜び、ともにアルバートの道をという思いを私は流し続けます。 優しさと温もりの世界はパワーの世界、真のパワーは優しさと温もり、はっきりと心に伝わってきます。 私は嬉しくて嬉しくてたまりません。心の底から嬉しいって叫んでいます。アルバートとともにある私はもう喜びです。二五〇年後、肉持つ私は喜びです。二五〇年後を思えばもうたまりません。私がアルバートと思うとき、私がアルバートと心から呼ぶとき、私の心からはすごいパワーが流れていくのが分かります。私はパワーそのものです。アルバートと一体となった私はパワーそのものです。このパワー、このエネルギーが宇宙に仕事をしていくことが私の喜びです。私は自分が今感じ広げているこの波動の世界を伝えたい、伝えることが私の喜び、心からその思いが起こってきます。 アマテラスもルシフォーも小さかった、我こそ宇宙と君臨してきた意識達は今や私の中では小さな存在になっています。支配と破壊のエネルギーはアルバートの波動に触れアルバートの波動の中で真実に目覚めていきました。もう嬉しいだけです。これからどれだけ大きなすさまじいエネルギーと出会ってもみんなアルバートの世界に包まれて喜びに大いなる喜びのエネルギーに変わっていけることを知りました。 そして今田池留吉の世界の大きさに驚嘆しています。田池留吉は大きい、どこまでもどこまでも果てしなく広がっていく宇宙空間の中でただただ喜びです。お母さん、ありがとう、お母さん、ありがとう、その思いが沸き起こってくる、その思いが響き渡ります。ああこれが私の世界なんだ、優しさと温もりの世界はパワーの世界、真のパワーは優しさと温もり、はっきりと心に伝わってきます。 私は宇宙に存在するエネルギー、喜びのエネルギーでした。確実に自分自身をそうとらえ感じることができることが嬉しい、そして喜びです。 私は宇宙に存在するエネルギー、喜びのエネルギーでした。確実に自分自身をそうとらえ感じることができることが嬉しい、そして喜びです。 今世田池留吉と出会うまで私はずっとパワーを求めてまいりました。パワーが欲しかった、そして求めて得られたパワーはまさしくブラックでした。アマテラスをルシフォーを私は大きく大きくとらえてきました。田池留吉、本当に申し訳ありません。私は長く長く自分を知りませんでした。今世田池留吉に出会いようやく自分自身の大きさを心で知る過程にあります。 私は喜びです。私は大きかった、アマテラスもルシフォーも本当に小さな存在でした。クドーラに至ってはもう話にもならないものでした。パワーは私自身でした。真のパワーは私の中にありました。それはこの心の中に包んでやれる優しさと温もりです。私はそんなパワーの持ち主でした。ずっとずっと待ち続けてくれていたことにただただありがとうしかありません。みんなひとつ、私とひとつ、私の中から伝わってくる思い、優しい優しい母の温もりです。 本当の自分自身に出会う、本当の自分自身を心で知る、その道を確実に歩いています。それが今世の私のシナリオでした。他力の神々を握って我は神なり我は宇宙なりとやり続けてきた私は愚かでありましたが、だからこそ今世このような喜びの私と出会えたのでした。ブラックが真のパワーに目覚めたことにただただありがとう、嬉しいしかありません。さらに目覚めを用意している二五〇年後が待ち遠しいです。 「私は本物を知っている、本道を歩いています。私は幸せです、私は喜びです。」私は自分にそう言えるんです。人に嘘はつけても自分に嘘をつけないその自分に対してはっきりとそう言えます。 私はただただ嬉しいだけなんです。なぜならば私はあなた、あなたは私、私達はひとつ、このことを言葉として知識として私を通り過ぎているのでなく、この心が本当に感じているからです。心で感じている世界の喜びと幸せには揺るぎがない、もう私は嬉しくて嬉しくてだからこんな肉の私を表したり認めさせたりする必要がない、肉の飾りつけも要りません。 「私は本物を知っている、本道を歩いています。私は幸せです、私は喜びです。」私は自分にそう言えるんです。人に嘘はつけても自分に嘘をつけないその自分に対してはっきりとそう言えます。もちろんこの心から流れ出す波動の世界はそれをはっきりと物語ってくれています。 アルバートの波動と出会いその世界をどんどん広げていくことは皆さんが思っておられるような簡単なことではないことをまたここで伝えさせてもらいます。アマテラス、他力の神々と一体の方は絶対にアルバートの世界は分かりません。一時感じられるかもしれませんが、それは本当に一時でその方にはアルバートの心は分からないんです。それを感じたからと得意になっているというのはどういうことなのか、本当にお粗末な世界に自分がいることをもっと心で知っていってください。そびえ立つ心のままでは難しい、本当の喜びと幸せは絶対に分かりません。 しかし心を二五〇年後に繋いでくださいということをお伝えする以外はありません。「繋いでいける学び方をしていってください。そして必ず私達は出会い喜びをともにしてまいりましょう。」これが私の心からの思いだからです。 私の歩いてきた道、歩いていく道、みんなみんな愛しいです。このように今世私はアルバートヘの道を確信させてもらいました。すべては私が予定してきたことです。 私の歩いてきた道、歩いていく道、みんなみんな愛しいです。このように今世私はアルバートヘの道を確信させてもらいました。すべては私が予定してきたことです。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう、私は私にそう伝えています。自分を切り捨て切り刻み冷たく突き放してきた私は、今世自分が用意してきたものを振り返れば振り返るほどただただありがとうしかありません。 私は自分の中に溢れる優しさと尽きることのない温もりがあることを知りました。私はあなた、あなたは私、私達はひとつ、母の温もりと安らぎの中でずっと生かされてきたことを心で知った私はもう懺悔しかありませんでした。お母さんが私の中で生きていました。本当にお母さんと出会った、私の心はもう地に落ちることはありません。 心を向ければアルバートが待っています。アルバートがずっとずっと待ってくれています。そして二五〇年後ともに肉を持ち喜びの道をともに生きていけることを伝えてくれます。私達は喜びです。私達はひとつです。私にはアルバートの思いがアルバートの声が聞こえています。アルバートの波動の中にみんな集ってくる喜びを私はもう間近に感じています。 苦しんできたのはみんないっしょ、でも今私達は出会え、ともに喜び合えるから嬉しいね。本当に嬉しい、お母さん、ありがとう。喜びと喜びの中でこんな思いが飛び交う二五〇年後です。私はアルバートを伝え続けます。二五〇年後に出会う仲間達みんなにアルバートを伝え続けてまいります。 二五〇年後の来世はそれこそ一気に、です。苦しみから一気に喜びへと転回していく来世だからこそ今世の時間は非常に大切な時間だということを私は知っています。 今世の私は聖書を読んだこともなければ難しい仏典経典の類はもちろん哲学書など目に触れたこともありません。そんな私がこの学びと出会え、真実に出会えたことを思うにつけ今世肉持って生まれてきた意味の深さをしみじみ感じます。誰一人例外はないけれど、真実に出会うためだけに肉持ってきたことが私には痛いほどよく分かるんです。今というときがどんなに自分自身にとって大切か、どれだけの優しさか、本当に実感しています。 肉から心を離していく難しさを皆さんの心は訴えておられますが、二五〇年後をしっかり見つめていくならば、自ずとそうなっていくことだと私は伝えています。離そう、離そうとするのでなく自然に自分の心から離れていく、逆にそんなところにこだわりしがみついている自分の愚かさがはっきりと見えてくると思います。 私は二五〇年後をしっかりと見つめています。心に二五〇年後の手ごたえを感じている私にはこれからの肉の時間をどのように過ごしていけばいいのか承知しています。そこには迷いはありません。揺れもありません。まさに喜びに続く道を真っ直ぐに進むのみです。愚かな肉を持っていると言えばそうですが、しかし私には肉を持って心を見ていく時間はもう今世しかないことを知っています。だから愚かな肉に心を埋没させることは絶対あり得ないのです。 二五〇年後の来世はそれこそ一気に、です。苦しみから一気に喜びへと転回していく来世だからこそ今世の時間は非常に大切な時間だということを私は知っています。 田池留吉をアルバートを求めてきた私の思いの中には欲などありませんでした。ただ求めてまいりました。 私は淡々と流れています。しかし私の思いは力強いです。へなちょこではありません。へなちょこにはこれからなしていく仕事は荷が重過ぎます。凄まじいエネルギーを飲み込み飲み干し培ってきたブラックパワーが大きかったからこそ今の私が存在しています。私のアルバートを求めてきた思いというものはそれはそれは強いです。田池留吉をアルバートを求めてきた私の思いの中には欲などありませんでした。ただ求めてまいりました。強い思いを持って求めてきました。心から求めてきた思いの強さというものは私の右に出るものはいないと言ってもいいでしょう。 だから今どれほど嬉しいか、どれほど幸せな私であるか、まだまだ皆さんにはお分かりにはならないでしょう。すべてをかなぐり捨てて私は今世望んできたことを再三伝えてまいりました。うがった目で私を見ておられる方は到底真実には巡り合えないでしょう。そんな心のままで私の感じて広げている世界を感じていくことは無理難題なことなのです。出発が違う、心意気が違います。そして私は私なりの課題をクリアしてここまで進んでまいりました。 真実に出会わずしてこのまま死にたくないではなく、死ねないのです。あなたにはそんな強い思い、心から湧き出てくる強い思いが今感じられますか。どうせ私は今世は無理、適当なところで手を打ってなんて思っておられませんか。そんなことではとても二五〇年後に繋いでいけません。今世どころか…、だから本当にあと一年、真剣にやってみてください。 アルバートを思うことは命懸けです。アルバートの波動、アルバートの世界はすごいです。ただ嬉しいとかただ喜びとかそんなものをはるかに超えた世界です。 アルバートを思うことは命懸けです。アルバートの波動、アルバートの世界はすごいです。ただ嬉しいとかただ喜びとかそんなものをはるかに超えた世界です。心で培ってきたエネルギーは大きい、言うならば真実を知らなかったゆえのブラックはとてつもなく膨らみ続けてきたものです。その大きなすさまじいエネルギーがアルバートと出会う、アルバートの中に溶け込んでいく、アルバートと一体となって放つエネルギーはもちろん喜びのエネルギーです。そしてそのパワーは本当にすごいです。すごいだけにひとつ間違えば発狂します。心を闇に落とせば間違いなく奈落の底へまっしぐらです。アルバートを信じる信が薄いからではなく、アルバートを本当に信じているからこそそのことが分かります。まさしく命懸けです。 私はそんな中を難なく通過してきたのかと今更ながら振り返っています。それほどのエネルギーを蓄えてきたことを心で確認しながら一歩一歩歩める計らいの中にありました。本当にすごい計らいの中にあることをしみじみ思います。そしてここまで大過なく無事に進んでくることができた自分自身の優しさを感じています。 母の温もりこそが私を狂わせることなくアルバートと出会わせてくれたのです。今世私は狂うこともなく、自分を見失うこともなく、ここにこうして存在しています。私の中の愛をいっぱい感じています。ただただありがとうしかありません。 今私は本物の自分と出会ったから肉の私の愚かさもとても愛しいです。肉は愚かだと切り捨て切り離すのでなく、私の喜びはこの肉とともにありましたと言えることが嬉しいです。 喜びは尽きることはありません。真っ直ぐにアルバートに届く心、そしてアルバートの思いが真っ直ぐに聞こえてくる、本当に夢みたい、だけどこれは現実なんですね。アルバート、嬉しい、本当にありがとう、ありがとうございます。しっかりと繋がった二五〇年後への道、もうこれでいいんです。後はこの道をただひたすら歩んでいくだけです。真の喜びと幸せに裏打ちされた道、淡々と歩みを進めていくだけです。 来世を思うとき私はもう飛び上がるほど嬉しいです。もうこれまでと思うところまで心を落としていくことは分かっているのに、私の心は本当に嬉しいです。 「私は肉じゃなかった、そう私は喜びだった、私はアルバート、あなたとひとつ、私達はひとつだった」この思いが心に響き渡り、心が広がって広がって喜びのエネルギーと化していきます。宇宙の果てまでもそのエネルギーは駆け巡ります。二五〇年後を実感している喜びが、つかんできた思いはちっぽけなものだったと伝えてくれました。肉の私はそのことを信じていっただけのことでした。結果その通りでした。 今私は本物の自分と出会ったから肉の私の愚かさもとても愛しいです。肉は愚かだと切り捨て切り離すのでなく、私の喜びはこの肉とともにありましたと言えることが嬉しいです。何とも言えない優しさです。肉持つ苦しみから肉持てた喜びへと変わっていったことが相乗効果となり確信に確信を重ねています。夢物語ではなく現実、こんな幸せなことはありません。 大きい、広いと感じてきたものがさらに大きな世界を感じていくことにより小さかったと分かる、意識、波動の世界はすごいです。無限大そして奥深さを実感します。 アマテラスもルシフォーも宇宙を支配し宇宙に君臨するエネルギーでした。我こそ宇宙なりとブラックパワーを流し続けてきた意識です。私達がこの日本の国に今世転生しそして田池留吉と出会ったのもまずこのアマテラスが目覚めていく流れの中にあったからです。予定通りアマテラスの宇宙は小さかった、私達アマテラスもアルバートヘ帰る温もりでしたと目覚めていく今世でした。そしてエネルギーの強弱、大小からすれば格段の差のルシフォーでした。そしてルシフォーもまた今世そのチャンスを得て私は温もりでしたと懺悔のコースを辿り、ようやくルシフォーもアルバートと呼べる喜び、アルバートと出会えた喜びを心で感じ入っています。 これが私の中の宇宙の大いなる変化です。そしてそれはどなたの心の中にも起こり来る流れなんです。なぜならば意識はひとつ、すべてがひとつの世界が意識、波動の世界だからです。しかしそのとき本当に自分の心にアルバートを信じる信がなければ、すなわち本当の自分を信じていなければそのエネルギーに自ら飲み込まれていくことになります。それがこれからの二五〇年、三〇〇年だと私はここでお伝えしておきます。 そしてこのように心の体験を重ねていけば、ただただ心で感じられることはそれまで感じていたアルバートの世界は小さかったということです。大きい、広いと感じてきたものがさらに大きな世界を感じていくことにより小さかったと分かる、意識、波動の世界はすごいです。無限大そして奥深さを実感します。 アルバートヘの道一直線、どうですかご自分に宣言なさったその思いに嘘偽りはありませんか。今もその思いはあなたの中で燦然と輝いていますか。燃えさしであったり立ち消えになったりしていませんか。 アルバートヘの道一直線、どうですかご自分に宣言なさったその思いに嘘偽りはありませんか。今もその思いはあなたの中で燦然と輝いていますか。燃えさしであったり立ち消えになったりしていませんか。 真実の道を歩いていくには大変なエネルギーが必要です。他力の神々をつかんでいるへなちょこにはとてもこの道を完走することはできません。我は神なりと威勢がよくてもその実態はへなちょこです。そのエネルギーは大したものでない、ちっぽけなものなんです。しかし本当の自分を知らないから苦しみ喘ぎながらも恐怖と背中合わせです。だからそこから自分自身を解き放すことができない、くっついているのは自分自身なのに離れてくれと冷たい思いを流し続けていることにも気付けない状態です。 このように言っている私自身も今世までは本当の自分を知らなかった愚かな私でした。しかし自分がつかんできた世界は本当にちっぽけなものでしたと私ははっきり分かりました。今世そのことに心で気付けた、心で分かりました。自分が生まれてきた意味も今世の重要さも確実に心はとらえています。当然何を基準に私はこれから存在していけばいいのかということも見えています。 どう生きてどう死んでいけばいいのか、私はこういうことを前々からふっと思ってきました。私の中でその答えが明確になったことが嬉しい、自分自身に回答を出すことができて嬉しいです。だから私は幸せです、私は喜びです。お母さん、ありがとうと心から言える私です。 できるならば今世ともに学んだ人、一人残らず二五〇年後に出会いたいです。出会ってそしてともに喜び合いたいです。 できるならば今世ともに学んだ人、一人残らず二五〇年後に出会いたいです。出会ってそしてともに喜び合いたいです。よかったね、本当によかったね、嬉しいね、嬉しいだけだよね、私の思いはそうです、それだけなんです。もう何もいらない、喜びで二五〇年後に生まれてくる私があるから、もうそれだけでいいんです。 真っ暗な闇の中で一筋の温もりに触れた今世、心は離しませんでした。心の奥底からの叫びをしっかりと聞いた私は信じていくのはこの一筋の温もりだということを知っていきました。心から湧き上がる懺悔は喜びでした。やがて温もりは一筋が二筋になりそして心にどっと押し寄せてくるものになりました。 自分を捨て去り切り捨て忌み嫌ってきたけれど、この温もりだけは否定できなかった、なぜか、それが私自身だったから、それを順々に心で分かっていく過程を歩ませてもらったこと、それは自分に対する極上の優しさだと私は思っています。自分を慈しみ愛してくれてきた自分自身にありがとうの言葉しかありません。存在が嬉しい、今ここにこうしてあることが嬉しいそして幸せ、そんな世界を感じています。 自分自身を永遠に抹殺しようとしてきたエネルギーは、本当にありがとう、ありがとう、お母さんありがとうございましたと、心から沸き起こり溢れてくる喜びのエネルギーへと変わっていきました。その思い、そのエネルギーが宇宙にこだまする、その中での出会いを私は喜びで待ち続けます。 田池留吉を思います。アルバートを思います。もう私の心の中に浮かんでくるのはありがとうだけです。私は波動の世界に存在している、優しさと温もり、心に広がるこの世界こそが現実の世界です。 田池留吉を思います。アルバートを思います。もう私の心の中に浮かんでくるのはありがとうだけです。私は波動の世界に存在している、優しさと温もり、心に広がるこの世界こそが現実の世界です。ようやく今世私はこの波動の世界と出会えた、私のすべてを賭けてきた今世です。喜びとか幸せをはるかに越えたものを感じます。自分自身を復活できた喜び、本当に私は何も望みません。こうして出会えてともにあることを感じられる、ありがとう、本当にありがとうございます。 今世、ひとつの仕事をするために田池留吉という肉を持ってくれました。そしてセミナーを通し真実を伝えてくれました。田池留吉の仕事は完遂しましたという喜びは私の心の中に確実に広がる喜びと重なり合います。出会いそして目覚め、たったひとつの真実を求めて肉をもらってきたこと、それだけが心に響いてきます。出会いがすべてでした。 お母さん、私は喜びです。お母さん、ありがとうございます。何度も何度もそしてこの思いだけが心に広がっていく、すべての宇宙とともに存在している私がありました。 今世のセミナー、喜びで閉じていけることが本当に嬉しいです。来世に繋ぐセミナー、心を全開にしてこの喜びをともに味わってまいります。 極め付きはこの思い、この波動です。「私はあなた、あなたは私、私達はひとつです。」私はその波動を心で知っています。 田池留吉の喜びが心に伝わります。 ありがとう、ありがとう。私は本当に幸せです。今私は最高に幸せです。私は命を懸けてセミナーを開いてまいりました。その中で私は誠心誠意心を込めて真実をお伝えしてきました。そして私自身もまた皆さんからたくさんのことを学ばせてもらい今日このように成長させて頂きました。私は待つことが愛であるということを心から知っていきました。だから私は信じて待ち続けてきましたし、これからもまた待ち続けていきます。喜びで待ち続けます。 田池留吉そしてアルバートを思う私の心に響きます。 信じて待っていてくれていたその思いが心に響きます。本当に嬉しい、本当にありがとう、自分自身を信じる喜びと安らぎを私はあなたから伝えてもらいました。セミナーの中で私は何度も否定してきました。私は優しくない、私は温もりなんかいらない、その心をあなたにすべてぶつけていった、だけどその度に返ってくるものは優しさと温もりそして私はあなたを信じています、信じて待っていますという思いだけでした。本当に嬉しかったです。みんな託すことができるということがこんなに幸せであり喜びでした。そして極め付きはこの思い、この波動です。「私はあなた、あなたは私、私達はひとつです。」私はその波動を心で知っています。そう私達はひとつです。これから二五〇年を経てそしてそれからも私達はひとつ、ともに歩いてまいります。 心にはっきりと伝わってくる思いがあります。それは私はアルバートを待っていた、本当に待ち続けてきた、そしてアルバートを本当に信じているということです。田池留吉の世界に心を向ければそれがはっきりと分かる、その波動は私にアルバートの世界を伝えてくれました。 肉持てたこと、お母さんに生んでもらったこと、無条件です、無条件に嬉しいです。信じて信じて待ってくれていた母の思いは例えようもありません。だから私にはお母さん、ありがとうございます、本当にありがとうしかありません。お母さん、私はこうしてアルバートと出会えました。アルバートを待ち続けてきた本当に待ち続けてきた私でした。アルバートに出会えた喜びは尽きることもなく私の心に広がっていきます。 お母さん、私は二五〇年後にもう一度この喜びを再現していきます。来世に繋いだ心の中でその喜びはもっと大きくもっと強く爆発していきます。二五〇年後、私に肉をくださる母の思いをもう私は感じています。喜びで喜びで生んでくださる母の思いを信じられるからこそ私は母への思いを一気に噴き出していけるのです。来世信じて待ってくれているあなたがいることを私の心が知っていくのに時間はかかりません。だからこそ私は今世このようなシナリオを書いてきました。すべては二五〇年後の来世に繋いでいくためです。 心にはっきりと伝わってくる思いがあります。それは私はアルバートを待っていた、本当に待ち続けてきた、そしてアルバートを本当に信じているということです。田池留吉の世界に心を向ければそれがはっきりと分かる、その波動は私にアルバートの世界を伝えてくれました。 田池留吉、本当にありがとうございます。私にはすべてがひとつです。ひとつが喜び、ひとつが幸せの世界を肉を持って知り得たことにありがとうしかありません。 学び一本に心を決められていますか。肉をつかみながらアルバートの世界は絶対分かりません。 学び一本に心を決められていますか。 肉をつかみながらアルバートの世界は絶対分かりません。温もりを感じている、感じられた、アルバートを感じることができた、それはそうかもしれません。そういうチャンスは学びに集っていればあるでしょう。でもアルバートとともに生きる、アルバートがすべてであるということを本当に心で分かるには、肉をつかんでいては実現不可能なことです。ということは、たとえ何度温もりを感じ喜びだ、アルバートだと言ってもほんの上滑りのところで喜んでいる、この学びをやっている、アルバート一直線とやっているに過ぎないということです。 本当に波動の世界を感じていけば、肉にはこだわりがなくなる、どうでもいい薄っぺらなものになってくるはずです。どうでもいいからとおざなりにするのでもないけれど、肉の世界における自分の存在に価値を見出せなくなります。そして自分の肉を肉の世界にある肉でなくアルバートを知っている肉として見るから、肉も愛しく肉の喜びと幸せは全く異質なものになってきます。本当の肉の喜びと幸せは肉持てたことをただ喜べる心がかもし出す思いです。だからそれは意識の世界の喜びと幸せに一致してくる、ひとつに溶け合っていく、肉と意識はひとつであるという図式が成立します。 私自身今世がどれほど大切なときであるかを心で分かっています。すべてを賭けてまいりますと私は生まれてきたその思いが大いなる喜びとして心に響いています。だから心を繋いでいく仕事は限りない喜びと幸せです。 宇宙に向けてセミナーが開かれている、このことを私は心ではっきりと感じています。だからもうたまらない、たまらなく嬉しいです。 私は下呂セミナーが待ち遠しいです。また皆さんとともに喜びを感じ合える、アルバートの世界を広げていけるセミナーがもう少しでやって来ます。私は喜びで喜びで集います。私の中はもうワクワクしています。肉を持ってこうしてともに学ばせてもらえるなんて私達は最高に幸せ者です。本当に嬉しい幸せな時間と空間を用意してきました。 すべてに平等、すべてに公平、そこにあるのは喜びだけです。喜びの波動の中でみんなひとつになって心を向けていくことができる、セミナー会場はそんな場です。そんな中に数え切れない意識達が心を向けてきます。すさまじいエネルギーを抱えながらそれでも限りない喜びと優しさ溢れる温もりを求めて意識達がやってきます。みんなその心で受け止めてあげてください。嬉しい、おいで、おいで、みんないっしょにおいで、アルバートといっしょに行こう、優しい優しい温もりの中でともに喜び合っていきましょう。 私はアルバートを伝えていける喜びの中にあります。アルバートとともにある私達ですと私は喜びで伝えていけることが本当に嬉しいです。宇宙に向けてセミナーが開かれている、このことを私は心ではっきりと感じています。だからもうたまらない、たまらなく嬉しいです。 アルバートとひとつ、アルバートとともに、下呂セミナーはまたひとつの素晴らしい区切りとなるセミナーになることだろうと私は心待ちしています。 私は私自身の決めてきた道筋を歩いていくだけです。シナリオを全うして自分自身を絶対に裏切らない、母との約束を違えません。それが自分に対する限りない優しさだからです。そして宇宙を変えていく喜びのパワーが私自身だからです。 こうして田池留吉との出会いがあって目覚めがあってという今世ですが、その波動の世界を知っていくほどに私というものが見事にそこに映し出されていくのが感じられます。なぜ肉をもらい田池留吉と出会ったのか、そのことがもう喜びとなってドーンと心に響いてきます。マイナスがプラスヘと転じた今世は非常に大きな第一歩です。宇宙を変えていく道筋が見えたということは大いなる喜びなのです。 すべてが喜びです。心に培ってきた大きなエネルギー、しかし大きいからこそ次元移行という大事業がなせるのです。そのためには心を必ず繋いでいくこと、その思いは私が今世選んできた環境その他随所に現れています。肉はできるだけ荷物を背負い込まない、ただいわゆるひとつの仕事をなしていくことだけに集中していけるシナリオを書いてきたということが、肉として振り返ったときよく分かります。これでよかった、本当によかった、意識の流れということに思いを向けるとき、私はその流れそのものだということを感じます。だから流れのままに肉も流れていくことが私の幸せ、喜びであるということも感じられるのです。 私は私自身の決めてきた道筋を歩いていくだけです。シナリオを全うして自分自身を絶対に裏切らない、母との約束を違えません。それが自分に対する限りない優しさだからです。そして宇宙を変えていく喜びのパワーが私自身だからです。 肉を媒介として苦しみを包み、肉を媒介として喜びを溢れ出す、それが肉持つ意味でした。肉は私にとって大切な器、そして私にとって最上の器です。 波動の世界を広げている私が今感じていることは、私は最上級の肉を選んできたということです。肉を持つという意味がはっきり分かった今、肉を高め肉に箔をつけ肉に飾りをつけることが人生の目的であり、それが喜びと幸せに繋がっていくという価値基準は私の中では全くなくなりました。 しかし肉は波動の世界を媒介するために必要不可欠なものです。唯一そのために肉が必要だった、肉があるからこそ真実の世界に触れることができたことを今世私は学ばせてもらいました。肉に覆い尽くされ真実から遠くに離れてしまった心に、その肉というものを通し真実を伝えてもらったことが、私の中の肉という概念を完全に覆す結果となりました。肉としての喜びと幸せを追求するために肉は存在するのであって、それに反するようであれば肉は苦しみでしかないととらえることが完全に間違いでした。肉はただそこにあるというだけで喜びでした。それが普通となればもう上等でした。 肉を媒介として苦しみを包み、肉を媒介として喜びを溢れ出す、それが肉持つ意味でした。肉は私にとって大切な器、そして私にとって最上の器です。 私の目はそして心は肉をそのように見つめています。真実を知る心に映し出される肉と肉の世界、一八○度違っています。楽です、心が軽いです。そして心の底から沸いてくる喜びと幸せがある、そう私にはこの喜びと幸せがあります。 教祖と信者の心を引きずったままでは真実の波動の世界は分かるはずがありません。田池留吉もアルバートも教祖ではありません。そんな低次元のものではないのです。 セミナーは来年の六月で終わります。これからの一年は素直に真面目にやってこられた方とそうでない方との差がはっきりとしてくることと思います。未だにホームページを素直に見ることができないようでは本当に道遠しです。どれほど己が偉くそびえ立っているのかも分からないほどに成り果ててしまったのですね。それでもそうやってそこに存在しているというのはどういうことなのでしょうか。一日も早く心を見てそういうご自分に心から懺悔なさってくださいとしか申し上げられません。 また私を救ってください、私に何か気付きを与えてください、どうしていけばいいのか私に教えてください、こういう思いをまだ心に抱えながらセミナーに集っているなら、全く無駄な努力をなさっています。無駄な時間とお金と体力を使って周りの方々に不自由をかけてと肉的に考えても何のメリットもありません。どうしてそんな不合理なことをやり続けているのか、しっかり心に根の張った他力の思いを見ておられない証拠です。今のままでは呪いと恨みだけが残っていく結果となることは火を見るよりも明らかです。 教祖と信者の心を引きずったままでは真実の波動の世界は分かるはずがありません。田池留吉もアルバートも教祖ではありません。そんな低次元のものではないのです。 私も自分自身がただ嬉しい、喜び、幸せであるだけです。そこに導くとか救うとかいう思いはありません。本当に喜びで喜びをお伝えするということの喜びの中に私は存在しているということです。 本当の自分を知らないまま肉捨てていく人間がほとんどという現実の中で、私達はこうして出会えているではないですか。私はそのことを思うと私達はどれほど幸せであるかと思わざるを得ません。 私は本当に幸せです。皆さんもどうぞ幸せになってください。幸せなご自分、喜びのご自分と出会っていってください。今世それが叶う大きな大きなチャンスを自ら作ってきたのに、また自ら潰していくなんてと私は思ってしまいます。己という看板をはずしていけば、そこに幸せが喜びが待っているのに、その看板がなかなかはずせないんですね。 本当の自分を知らないまま肉捨てていく人間がほとんどという現実の中で、私達はこうして出会えているではないですか。私はそのことを思うと私達はどれほど幸せであるかと思わざるを得ません。 この世に浮かれているのはほんのいっとき、後はまっ逆さまに地獄へ落ちていくことが明らかな人を目の前にして、何を語ることがあるのでしょうか。本当は何も語れません。挨拶程度の会話をして、この世の型どおりの会話をして、それでときを過ごしていくだけです。何も知らないときならいざ知らず今となってはしかしそれもただ空しいだけです。 せめて夫婦、親子間でそんな空しいときを過ごすことのないように、心で分かった方から心で分かった分だけを素直にお伝えすればいいのではないでしょうか。喜びは波動となって流れていきます。それは確かにそうです。でもその喜びを肉を使って表現していくことも大切なことです。心で感じた喜び、嬉しさを素直に表していかれたらどうでしょうか。私なら、そうしています。そうしたくなる、私は喜びだから、私は幸せだからです。もし母が学んでいなかったら、私は何が何でも母にこの喜びと幸せを伝えていることでしょう。 いちいち過去世を聞かなくても凄い、もうどうしようもない状態なんです。だから私達の思いが田池留吉という肉を持たせ私達もまたときを同じくして肉を持ってきたということです。それはもうそろそろどの方もその心で感じられていることでしょう。 私達の過去世、過去広げてきたエネルギーの世界は凄いんです、すさまじいんです。みんな凄いエネルギーを引っさげています。いちいち過去世を聞かなくても凄い、もうどうしようもない状態なんです。だから私達の思いが田池留吉という肉を持たせ私達もまたときを同じくして肉を持ってきたということです。それはもうそろそろどの方もその心で感じられていることでしょう。 そういうことを前提にして心を見るという作業をしていかなければ、またしても自分が培ってきたエネルギーに振り回されそしてそのエネルギーを増長する結果となってしまいます。それがチャネラーと呼ばれてきた方々の今現在における実態なのではないでしょうか。何度も言います、私は今世その道を選んできませんでした。その中から抜け出るというか飛び出るというのは並大抵のことでは困難だということを知っていたからです。 必ず二五〇年後に心を繋ぎそして大事業をなしていくという意識の流れの中で、自分自身が書いたシナリオはそんなに生ぬるいものではありませんでした。それだけの覚悟というか決意を持って生まれてきた私には、今世落ちてそこからまた這い上がってくるということはあり得ないことでした。一度の失敗も許されない、本当に今世意識の世界に目覚めていくということは容易なことではないということを心に叩き込んで生まれてきたんだと、今ははっきりとそう感じています。 田池留吉の目は節穴ではなかったことを感じます。喜びとともにそう感じている私がいます。 1+1=2という厳しさは実に優しいです。1+1=2だからこそすべてを託していける、何もかも信じられるのです。1+1=2の世界に生きる喜びと幸せをあなたの心でぜひ味わってください。 肉は愚かです、しかし肉は私を裏切りません。今世の肉は決して私を裏切らない、なぜならば肉を持ってきたことの喜びを知ったからです。肉を持ってきたことの本当の意味を知りその喜びを知った肉は、私を裏切らない、自分の仕事も自分という存在も当然これからの道もみんなはっきりと心で感じているから、私達はともに歩んでいくということです。肉と意識がひとつだからこそ、これからの仕事をなしていけるのです。真実の世界がそのことを伝えにきてくれました。 今世肉をもらいセミナーという時間と空間をそれぞれが自分に用意してきたということはみんな同じ条件でした。そして自分が自分に与えたものを自分で消化していくこともみんな同じです。それが心で分からない限りこれからの道はまだ深い霧の中だということです。 希望的観測はもういいです。結果を出していってください。意識の世界はすべてにおいて平等かつ正確です。そして1+1=2という厳しさは実に優しいです。1+1=2だからこそすべてを託していける、何もかも信じられるのです。1+1=2の世界に生きる喜びと幸せをあなたの心もぜひ味わってください。 1+1=2でもあれば1+1≠2でもある、そんな矛盾だらけの世界から心を離せない分、あなたの中で消化不良となっています。早期発見、早期治療が最善の方策ですが、それが難しい現実です。せめてこれ以上事態が悪化しないような環境作りが大切です。肉と意識の合作作業を速やかに進められて、消化不良の解消にまずは努めていってください。 己の欲だけで己という看板を掲げてのセミナー一筋は、私のセミナー一筋の思いと全然違います。熱心という形に込められている思いをどうぞあなたの心で見ていってください。 今世のセミナーは後一年です。ということは今世の学びは後一年ということです。その間にあなたの心で感じあなたの心が分かったところでストップです。その後に心の気付きを持たれる方もそれで飛躍的にご自分の意識の世界が進むということはあり得ません。焦る必要はないけれど、それからあなたが肉を捨てそしてまた肉を持ってきてもそのときは真実を伝える肉が存在しないということを思えば、今世の学びがいかに大切かお分かり頂けると思います。 あなたの今現在の心の状態がどうであるのか、客観的に見極めていってください。二五〇年後までに何度の転生があるか知りませんが、今世心にしっかりと真実という心棒を持つということがあなたの本当の幸せ、喜びに繋がっていくことを後一年のセミナーの間に何としても知っていってください。そういう思いになってくるとあだおろそかにセミナーの時間を過ごすことはできないでしょう。どんなことも決して他人事ではない、そこで繰り広げられていることはみんな自分の世界のことなんです。そういう思いであなたはセミナーと接してこられましたか。長い方で二十年という年月をセミナーに費やされました。それだけの時間を自分に用意してあなたはどれだけ自分を見てこられましたか。自分の目を通して自分を見るよりも、他人の目を通し自分を評価してきた時間があまりにも長過ぎたという反省はあなたの中でありましたか。 己の欲だけで己という看板を掲げてのセミナー一筋は、私のセミナー一筋の思いと全然違います。熱心という形に込められている思いをどうぞあなたの心で見ていってください。 私は文句なしに嬉しいです。本当に嬉しいです。二五〇年後の来世に心を繋いでいるからです。しっかりとはっきりとその二五〇年後の喜びが見えているからです。 私は文句なしに嬉しいです。本当に嬉しいです。二五〇年後の来世に心を繋いでいるからです。しっかりとはっきりとその二五〇年後の喜びが見えているからです。私には喜びしか見えません。喜びしかないんです。 来世の肉は苦難の中にあります。もうそれは十二分に承知です。しかし私の心はそんなものはちっとも苦難だと思っていない、ただただアルバートとともに私は今生きている、そしてこの喜びを二五〇年後に繋ぎ爆発的な歓喜の中に私はいることを心で感じています。 本当にありがとう、田池留吉と出会わせて頂いて本当に嬉しいです。私はアルバートあなたとともに生きている、生きていく、こんな喜びの私が今ここにいます。 今世こんな素晴らしいセミナーを持たせてもらいました。そこには二五〇年後に喜びで集える仲間達もたくさんいます。それはそれで嬉しいことです。しかし私の思いは今世の仲間達だけには留まっていません。二五〇年後の私達との出会いによって心を瞬間に開いていかれる仲間、今私はそんな仲間達のことを思っています。 凄い展開になっていくでしょう。目と目の出会いによりその喜びは一瞬のうちにメディアを通じて全世界に流れていきます。全世界ということは全宇宙です。宇宙の彼方から喜び集ってくる多くの仲間達を私達はこの心に迎えていけるのです。本当に待ち遠しい、待ち遠しい二五〇年後です。その舞台をみんな整えて私達は出会うのです。アルバート、本当に嬉しい、アルバート、ありがとう。 私が、私は喜びです、私はアルバートとひとつですと言っているのは、私は立派、私はできているということではないんです。 何重にも折り重なりそれが横に広がり、行けども行けども真っ暗闇の中を私は生き続けてきました。自分の心を見た最初この膨大な闇の世界が本当に喜びへと変わるのかとさえ思いました。でも違っていた、本当にひとつ変わればどんどんどんどん変わっていくことを私の心は証明していきました。 心が変わるということは、心が浄化されてけがれのない心になったとかを言うのではありません。そんな自分に生まれ変わったなんて私自身全然思っていません。だから私は非常に楽です。私が、私は喜びです、私はアルバートとひとつですと言っているのは、私は立派、私はできているということではないんです。その膨大な闇の中に生き続けてきた自分というものをしっかりと見つめてそれが本当に愛しいと、私にはそれが闇であって闇でなくなったということなんです。もう闇は喜びしか伝えてこない、膨大な闇の渦の中にある私にはそれらがみんな喜びだということです。だから私の中のすべての闇とともにアルバートに出会える二五〇年後の来世がどれだけ喜びであるのか、本当に自分を愛しいという思いが心から沸き起こってこない限り、この喜びは分からないと思います。とにかく嬉しい、本当に嬉しいです。 人に認められて嬉しいとか、そんな類の嬉しさなんかどうでもいい、心から突き上がり沸き起こってくる喜びと嬉しさを知っているから、それがとりもなおさず私自身であるから、本当にそんなの嬉しさでも何でもありません。 もう私は私にありがとうしかありません。二五〇年後に生まれてくる私にありがとうしかないんです。 己を前に出している人に温もりの根源は感じられません。私達は今世肉を持ってその温もりの根源を心で感じていく計画を立ててきたのですよ。その計画を頓挫させているのは誰でもない自分自身です。 まもなく今年前半の区切りのセミナーが始まります。今回を入れて後十回です。未だに苦しみのた打ち回っておられる方もどうぞ喜んで集ってください。何か矛盾することを言っていますが、あなたにどんな苦しみの背景があろうとも事実あなたはセミナー会場にその肉を運べるではないですか。それだけでは駄目なんですか。本当にここいらでもう肉という看板を降ろしてみられたらどうでしょうか。 大変楽ですよ、こんな楽なことはない、そして分かります。自分が広げてきた世界がどんなに小さな世界であったか、そんな中で必死になって自分を大きく見せようとしてきただけのことであったことが分かります。そんな愚かで馬鹿みたいな自分だけどまだ一縷の望みがあったからこうしてセミナーに繋がってこれたのではないでしょうか。 己を前に出している人に温もりの根源は感じられません。私達は今世肉を持ってその温もりの根源を心で感じていく計画を立ててきたのですよ。その計画を頓挫させているのは誰でもない自分自身です。みんな条件は同じです。いや同じでない、そう思うことがすでに大きく計画の軌道よりずれていることをどれだけ自覚なさってきたか私には分かりませんが、大変厳しい状況にあると私は思います。 己が偉くて立派だと皆さんそれぞれに思われていますが、そんな偉くて立派な私達では決してないということだけを伝えさせてもらいます。いつまでもそんな亡霊を引きずっていては地獄の奥底から這い上がってくるということは甚だ難しいと私は思います。 意識の世界は自分と自分の世界です。いかに自分に誠実に真向かいになることができるかです。自分を大切に、これほど優しい言葉、思いはありません。 波動だけが真実を語ります。波動がすべてです。私は何も要りません。真実の世界を感じている心それが私、だから何も要らない、この心があれば何もなくても生きていける、本当に肉は真実を知るためにのみ持つということを実感します。心の中に厳然として存在する波動の世界、それはすごいとしか言えません。 何はさておき、心の体験です。まず自分自身が体験しないことには絶対分からないです。そして体験されたものはどうぞご自分の中で大切にしていってください。それは説明などできないはず、あなたが体験されたことはあなたしか分からないことです。そしてそれはあなたのものであるから、ただそのことを大切にしていけばいいだけのことです。 これまで山あり谷ありの学びであっても、これからの一年はどうぞご自分の今世の学びの締めくくりのつもりでセミナーに臨んでいかれたらと思います。私はいつも今世の締めくくりをきちんとしたいということを心の隅に置きながら学ばせてもらってきました。中途半端な学び方はやめてください。自分に納得し自分に結果を出していく、これからの一年は特にそのような一年であってほしいと思います。 言い古された言葉ですが、意識の世界は自分と自分の世界です。いかに自分に誠実に真向かいになることができるかです。自分を大切に、これほど優しい言葉、思いはありません。今世そのような波動の世界と出会えたことを心から喜んでいってください。今世ともに学んだ人達、二五〇年後もまた必ず会いたいと私は思っています。 素直さがなければあなたの心の世界は開いていけません。肉のあなたがどんなに熱心に真面目に場合によっては無理をしてセミナーに集ってきても、あなた自身に素直さが欠けていれば、それは全く無駄骨、無駄足なんです。 波動でしか真実を伝えられないことを今回のセミナーでも学んで頂けたと思っています。私は波動です。私はアルバートを信じアルバートとともにあることが喜びなんです。その喜びが波動となってあなたの心の奥深くを揺さぶっていると私は思います。その心の変化、あなた自身の心でどうぞ素直に感じていってください。そう何度も繰り返します、素直さがなければあなたの心の世界は開いていけません。肉のあなたがどんなに熱心に真面目に場合によっては無理をしてセミナーに集ってきても、あなた自身に素直さが欠けていれば、それは全く無駄骨、無駄足なんです。そのことに一日も早く気付いていってください。 私は一人でも多くの方が二五〇年後に心を繋いでいかれることを願っています。だから私は曖昧なことは言いません。その人にとって必要な部分を真っ直ぐにお伝えします。そのことによって心で気付かれ昨日までどんなに間違っていようとも今日ただいまから変わっていけばいい、そうその通りです。あなたが本物の波動の世界をほんの少しでもその心で感じたなら、それだけであなたの心は変わっていけるはずです。それが意識の世界なんです。その意識の世界に素直になるということが本当の素直ということです。 そういうチャンスを活かされて、今世どうぞあなた自身の方向転回の一歩をまず歩んでいってください。それがなければ私達が二五〇年後にともに喜びを広げていけることは難しいということをこれからの一年間で学んでいってください。 肉を持つ意味、生まれてきた訳、自分の存在、心で分かれば分かるほどにただただ嬉しい、ありがとうしかありません。 私には二五〇年後に至る道筋が見えています。自分の進むべき道が見えているんです。だから私には何が必要であるとか、これがなくてはならないとか、肉の世界には何もありません。こだわらないというか、しかし肉が必要な時間の中では、肉を維持していくのに困らないようになっています。その中で肉も楽しんで喜んで過ごしていったらいい、何も望むものはない、心にアルバートがある、ともに二五〇年後を生き未来に生きている、こんな幸せなことはありません。 探し続けてきた真実、それは本当の自分との出会いでした。心の奥底から湧き出てくる喜びは、もう何も語らなくてもすべてに納得でした。心に響き渡る優しい母の温もりは本当に優しく優しく私自身を包んでくれている、今世その波動と出会わせて頂いたことが最高に幸せです。 私はいつもそこに戻ることができる、今一瞬肉であっても次の瞬間、その嬉しさが喜びが心に蘇ってきます。肉を持っている状態で心の切り替えを瞬間的に行っていける、肉はここにありながら心は意識は…、私はその楽しみを見つけました。 肉を持つ意味、生まれてきた訳、自分の存在、心で分かれば分かるほどにただただ嬉しい、ありがとうしかありません。私はこの肉を十二分に使い自分自身の心の世界をさらに広げていきます。すべてが喜び、存在そのものが喜び、それが真実の波動の世界、心を広げてまいります。 喜びのエネルギーが宇宙に溢れ出していく、宇宙は喜びの爆発を続けます。すべてが喜び、そして真実に目覚めるチャンスに出会っていくのです。 田池留吉、本当にありがとうございます。本当にありがとうございます。私は今自分の中の宇宙がどれほどの喜びであるのか、心に広げてきた宇宙がそっくりそのまま入れ替わったようなそんな感じがするほど私の中の宇宙は変わりました。田池留吉の宇宙をその世界を心に感じることができ、私の中の宇宙は本当に喜んでいます。 広い、広い、果てしなく広がっていく田池留吉の宇宙、その波動の世界に存在している私でした。私はこれからこの宇宙とともに歩みを進めていけるのかと思えばもうたまらなく嬉しいです。母に生んでもらったことが最高に幸せの私でした。宇宙に確実に伝わっていくこの波動、アルバート、本当に嬉しい、私は宇宙、そして宇宙は喜び、ああ私はこの心に抱えきれないほどの優しさと温もりに包まれています。宇宙に存在するすべての意識達に向けてその喜びが流れ出していきます。アルバート、すべての意識達とともに私達はあなたのもとに帰ってまいります。 私達は喜びです。宇宙は喜びです。今心にはっきりと感じられる、宇宙の喜びが心に広がっていきます。その喜びが天変地異を起こしていきます。喜びのエネルギーが宇宙に溢れ出していく、宇宙は喜びの爆発を続けます。すべてが喜び、そして真実に目覚めるチャンスに出会っていくのです。 どうぞ今世セミナーに集われている方々、あなたなりの反省瞑想があったかもしれませんが、心を空にして波動のお勉強を通して真実の世界を垣間見ていってください。そうしてこそそれまでの積み重ねが活きていくことを知ってください。 ともに喜びを広げていきましょう。ともにアルバートヘの道を歩いていきましょう。どんなに苦しくてもどんなに間違ってきても私達にはこの喜びの道がありました。私達の心にありました。 ともに喜びを広げていきましょう。ともにアルバートヘの道を歩いていきましょう。どんなに苦しくてもどんなに間違ってきても私達にはこの喜びの道がありました。私達の心にありました。私はそのことに本当に心で気付いていってほしいと思っています。そしてそれから今世の肉を捨てていってくださいと私はお伝えします。 苦しい、恨んでやる、呪ってやる、お前なんか消え失せろ、くそったれ、思いを吐き出すのは結構です。でもそこから本当に心を見ていってください。そう叫んでいるあなたの心に心を向けていってください。自分に甘えずにしっかりと心を向けていってください。肉持っている今だけです。垂れ流し状態のあなた自身に心を向けていけるのは今だけです。肉を離した瞬間から田池留吉をアルバートを心で呼べる方が今現在どのくらいおられるのでしょうか。現実はそんなに甘いものではないということを知ってください。 今世多くを望まないでください。今世は心の気付きの一歩を踏み出せたならそれでいいんです。第一歩もまだまだであるのにさらにその先を進んでいこうとすることほど己偉しはありません。 私には誰彼の区別はありませんし、何もありません。真っ直ぐにアルバートだけを見つめてアルバートとともに生きていく、その道をともに歩んでいけることが私の喜びです。どうぞともに喜びの道を歩いていきましょう、私はいつもそのように語っています。心の気付きの第一歩をまず踏み出していってください。 お母さんに生んでもらったこと、すなわち肉をもらって生まれてきたこと、そのことがどんなに喜びであるのか、心を見て地獄の自分を見てその叫びを聞いてきた私にはそれはもう心でしっかりと感じてきました。 お母さんに生んでもらったこと、すなわち肉をもらって生まれてきたこと、そのことがどんなに喜びであるのか、心を見て地獄の自分を見てその叫びを聞いてきた私にはそれはもう心でしっかりと感じてきました。生んだ母を呪い生まれてきた自分を忌み嫌ってきた地獄が私の前に数珠なりに続いていました。どれもこれもみんな地獄のうめき声を上げていました。これが私なのか、しかし今世の自分自身を振り返ればそれは自分の心で納得でした。 地獄から出てくるチャンスは今世しかない、自分自身の学びの過程でそのような思い、決意の程を知っていくほどにやがて私は真っ直ぐに核心をついていくようになりました。決して後へは引かない、私には今世このときしかないのだからとそれだけ、欲得の思いはなく周りの雑音は素通りでした。しかし思えば自己中心であったかもしれません。それもみんな許されていた、不思議なほどに肉的にも私は順調に学んでこれました。 今、私は自分の意識の世界、波動の世界にある自分自身を心にはっきりととらえています。肉をつかんできた自分自身の思いをしっかりと抱きかかえながら、これから進むべき方向を真っ直ぐに自分に指し示しています。 お母さんに生んでもらったことを心の底から喜んでいる来世の私がいます。再び生まれてきたことに絶望する地獄を覗きますが、それも時間にすればほんの僅かです。心に喜びのエネルギーが蘇ってくる、私がアルバートを思い出すときです。肉持つ私は喜びでした、幸せでした、お母さんありがとう、喜びが噴き出してくる来世の私を今思っています。 心で感じられなければ絶対信じられないです。自分の心で証明できなければ信じられません。それが真実の世界だということが今の私にはよく分かります。 ともに次元移行を果たせる喜びが心に響いてきます。アルバートは現実、アルバートは実在、二五〇年後の来世も次元移行も私には現実です。 肉の現象と相まってここ三年の自分自身の成長は本当に目まぐるしいです。三年間という凝縮された時間の中に私は意識の流れというものを感じています。 自分自身を振り返れば、必要なことは必要なときに自分の中から伝えてくれるということが分かります。自分の中にすべての回答がある、それが本当の自分自身なんだということを実感しています。だから今肉で分からないこともまた気付けていないことも中の意識はすでに了解済みだということです。ただ肉は素直になりさえすれば、素直な自分が自然に肉を通して表れてくるということでした。 心で分かれば簡単なことです。しかしその肉の壁をはずすというか、何が間違ってきたのか、どこがずれているのかということを心で本当に気付いていくことは難しいことだと思います。 心で感じられなければ絶対信じられないです。自分の心で証明できなければ信じられません。それが真実の世界だということが今の私にはよく分かります。そして心で感じてください、心で分かっていってくださいと伝えてくれてきた田池留吉の思いがただただ優しくて嬉しいです。地に落ちた意識を本当に信じてくれていた温もりに出会ったということが私には本当に嬉しいです。 母の反省を最初耳にしたとき、私にはできないと拒否する思いを第一発、出したのを今でも憶えています。あのときのあの感覚こそ、私が間違って間違って存在し続けてきた所以であり私自身との出会いでした。 何はなくても嬉しい、こんな境地になれるなんて肉の私は自分自身にやはり驚きです。意識の世界の喜びが肉の私にもしっかりと浸透しているのでしょうね。田池先生から肉も随分変わったと思うよと言われても、私自身もうひとつピンと来ていませんでした。でもその何はなくても嬉しいと肉で思えることひとつを取り上げても、そうだなと思っています。初対面であなたは喜びが少ないと言われたほど欲ぼけだった私が、よくここまでという思いは確かに私にはあります。そう思うとき私は私にありがとうの思いが出てきます。ああ私は私に優しくなったなあとしみじみ思っています。 肉で努力すれば、肉で何とかすれば何とかなるという思いを今世の私はずっと持っていました。しかし肉で何ともならない事態に直面して初めて己の愚かさ、無力さを感じました。大きなエポックを自分に投げかけ今世の私自身の学びがようやくスタート、しました。母の反省を最初耳にしたとき、私にはできないと拒否する思いを第一発、出したのを今でも憶えています。あのときのあの感覚こそ、私が間違って間違って存在し続けてきた所以であり私自身との出会いでした。 固く閉ざしてきた自分の心を開いていくのは大変でしたが、様々な試みの中ようやく緩みはじめてきた心に風穴が開きそこから一筋の温もりを感じ、やがてそれが怒涛のように押し寄せてくるほどに感じられる今、私は自分の心の世界をはっきりととらえています。 学びこそ我が人生です。セミナーとともに成長させて頂き、私は本当に幸せ者です。死ぬまでセミナー、死んでからもセミナー、そして二五〇年後の再会、最高に嬉しいです。 ただ真っ直ぐにアルバートの道を生きていくこと、それが私の喜びです。私の心にはアルバートとしかありません。そのような自分と出会えたことが嬉しいです。アルバートの前に私は己というものがありません。ただ喜びと幸せがあるだけです。 ただ真っ直ぐにアルバートの道を生きていくこと、それが私の喜びです。目を閉じても閉じていなくても私の心にはアルバートしかありません。そのような自分と出会えたことが嬉しいです。 私は決して特別な存在ではありません。アルバートを信じる信が強い、アルバートの実在を確信している、それだけです。だからアルバートの前に私は己というものがありません。ただ喜びと幸せがあるだけです。それはまだ己を崩し切っていない、しっかりと他力の神々を握っている心がアルバートを呼ぶのとはわけが違います。その差が大きな壁になって、従って私の感じている波動の世界とたぶん皆さんが感じておられるそれとは大きな開きがあると思います。だから真実の世界をほんの少し垣間見れば、それで己を表していく羽目に陥るか、すぐにまた元の木阿弥に戻ってしまうか、その程度で終わってしまうのです。 私がともにアルバートの道を歩いていきましょう、ともに喜びを広げていきましょうと呼びかけているのは、すべてを心から離してくださいと申し上げていることなのです。大変厳しい道です。厳しいけれど優しい、これこそが本当の優しさ、温もりであることをどうぞあなたの心で分かっていってください。 私は本当に幸せです。なぜならばこうしてアルバートと出会っているから、そしてその道が見えているからです。喜び少ない私もこのように変われました、私はその可能性を示した証人です。 私は途轍もなく大きなエネルギーです。その私自身が一気に飛び出てくる来世は本当に凄いと思います。一瞬にして意識の転回がなされ、そのとき放出されるエネルギーは宇宙にとどろき渡ることでしょう。 アルバートに出会うために生まれてきた今世の私です。真実の波動の世界と出会うために生まれてきた今世の私です。頭でそう言えるのではなく心で言える、それが今現在の私の状態です。このことに嘘偽りはありません。私はいつでもそのことを証明できます。心で語っている私の思いは喜びです。 すべては二五〇年後の来世です。私の心はそこにしっかりと照準を合わせています。すべては二五〇年後に繋いでいくための今世の筋書き、私の中で見事に符合していました。だからとても嬉しい、嘆き悩み苦しんできたことも真実を知り得たからこそみんなみんな喜びだと分かりました。闇は闇でなかったということを知りました。そして莫大なエネルギーを心に抱え私は二五〇年後を喜びで待っています。 意識の転回の道をひたすら突き進んでいくエネルギー、それが本当の自分の姿、本当の自分の世界です。そのエネルギーは無尽蔵に沸いてきます。私の中から伝えてくれる意識達の喜びが私の原動力です。嬉しいだけです。本当の自分に生かされて存在していることがただただ嬉しいです。 私は途轍もなく大きなエネルギーです。その私自身が一気に飛び出てくる来世は本当に凄いと思います。一瞬にして意識の転回がなされ、そのとき放出されるエネルギーは宇宙にとどろき渡ることでしょう。三次元の総仕上げをして次元移行していく私達の喜びのエネルギーが全宇宙を覆い尽くしていくことでしょう。 本当にあなたがアルバートを信じ、自分の中に真のパワーがあることをその心で知っていかれたなら、どうぞその思いをあなたの肉体細胞の不都合な部分に向けてみてください。 本当にあなたがアルバートを信じ、自分の中に真のパワーがあることをその心で知っていかれたなら、どうぞその思いをあなたの肉体細胞の不都合な部分に向けてみてください。 マイナスのパワーを心に広げながら治してください、救ってください、楽にしてくださいでは解消してきませんでした。しかしプラスのエネルギーがそこに働けば、どんなふうになっていくか、もしかしたらこれからあなた自身が体験なさるかもしれません。 言うまでもなくここは病気を治すところではありません。病を得てそこから自分の間違いに気付いていくことが主眼でありますが、そういう体験を経ることにより、ああ自分を癒すパワーは自分の中にあるんだということに心で気付かれたなら、また違った意味でお勉強ができるかと私は思います。もちろん他力、他力、欲では到底無理ですが、自分自身の肉の身体をもってそういう体験をされることによって真実の世界を垣間見られ、反省に繋いでいかれることもひとつの方法だと思っています。 田池留吉の世界、アルバートの世界、ほんの少しでも、しかししっかりとその心に感じていってくださいというのが私の思いであり、あなたの病気を治すあるいは身体的不都合を取り除くことが目的ではありません。そういうものを癒すパワーがあなたの中にあるということ、本当にあなたが真実の世界を信じていったなら肉ではびっくりするようなことも起こり得るということを知ってほしい、そしてそこから何かを学んでいってほしいと私は思います。 自分の肉体細胞に思いを向けたとき、自分の間違いに気付かせてくれるのは心から溢れてくる優しさと温もりです。 私達は今世だけでも長い年月肉体を酷使してきました。己の欲と無知とエゴの思いを肉体細胞は今までもろに受けてくれてきました。自分の肉体細胞に思いを向けたとき、自分の間違いに気付かせてくれるのは心から溢れてくる優しさと温もりです。 今現在どこか身体的不都合がある方は絶好のチャンスなんです。他力の思いを膨らませてしまうとそこから何も発展も進歩もしませんが、そうでなく心を見て心を離し本当に自分が肉を頂いた喜びと幸せを心で分かっていく道を歩こうとなされるなら、いくらでも心は広がっていきます。肉の命を長らえることが幸せなら、病気になった人はみんな不幸せです。しかも死に直面するような病ならなおのことです。でもその方が病を得ることによりまた身体的不都合を抱えた状態になって、自分の肉体細胞に真剣に思いを向けていったとき、いかに肉の自分中心に生き続けてきたことか自分に冷たくそびえ立った心で存在し続けてきたことかが心で本当に分かったなら、その方は幸せなはずです。おそらくこの学びを少しでも真面目になさった方ならば、それは痛いほど自分の心に響いてくることでしょう。優しさと温もりの中に生かされ続けてきた自分自身であるのに、その優しさも温もりも全部自分がマイナスのエネルギーに変えてしまった心の歴史を知って、本当に懺悔の思いが沸いてくることでしょう。 そういうところまでアルバートを信じていく学びをしていってください。そうでなければただの肉の学びに終わってしまい、これまでと何も変わっていないということです。 肉をもらって生まれてきて、そしてたくさんの自分にありがとうと言えることが幸せですよね。優しい母の温もりで自分白身を包んでやれるなんて最高に幸せです。 肉をもらって生まれてきて、そしてたくさんの自分にありがとうと言えることが幸せですよね。優しい母の温もりで自分自身を包んでやれるなんて最高に幸せです。私はその喜びを心で知っています。今世の学びの中で闇は闇でなく喜びであったことを心で知った私の喜びは紛れもなく本物の喜びです。だから私は喜びでまた肉をもらってくる来世がたまらないほど嬉しいし、それは今もうすでに現実です。 肉の時間で言えば今世は今世に違いありませんが、私にとっては今世も来世も変わりはありません。しかし今世の学習がありますから、来世は本当に速いです。周りの舞台背景をみんな整えてその中で闇というかその大きなエネルギーが一気に噴き出してくる、ああ本当に苦しみのどん底から喜びへと一気に転回していく体験が待っていると思うだけで、本当に嬉しいです。 アルバートヘ見事に蘇っていく、その瞬間のためにこれからの時間があるだけです。だから私は心に培ってきた自分の間違い、間違ってきた自分というものを淡々と見つめていくことができます。すべてはアルバートヘ帰ることを知っている、この心の中から喜びと幸せが噴き出してくる自分を知っているから私はその真っ黒な自分と出会えることがただただ嬉しいだけです。来世のために今世のこの時間を用意してきた私であることを心から嬉しく思っています。 今世の肉はアルバートに目覚めるために頂いた大切な肉です。私にはその自覚があります。 今世の肉はアルバートに目覚めるために頂いた大切な肉です。私にはその自覚があります。アルバートを感じていくために肉が必要であったことはもう充分過ぎるほど分かっています。そして望み通りに肉をもらってアルバートの世界をどんどん広げているのだからこんな幸せなことはありません。 私が今世田池留吉と出会い今現在のこのような状態になっているのはすべて予定されてきたことです。だから田池留吉と出会わなかったら私はどうなっていただろうか、また肉、肉の中に埋没しただろうか、という思いは私にはありません。必ず出会えるようになっていたからです。そのための今世の現象を私は用意してきました。 私達は出会うべくして出会ったということですが、私がそのように思っている中に、私は特別であるとか私は選ばれた意識であるとかだからこうして出会えてこういうふうになっているという思いはないんです。もっと言うならばそういうことをはるかに超越しているということでしょうね。 セミナーはこれまでに段々に進化し、今最終段階の仕上げに入っています。そう波動のお勉強を通して私達は今世最終の学びの時間と空間を頂いています。どうぞその時間と空間を大切にしていってください。ここを逃しては二五〇年後に繋いでいくチャンスは再び巡ってこないということを知ってください。