核からのメッセージW 自分を自分で包んでいく作業はアルバートを感じ、アルバートを信じていなければできません。そのために生まれてきた私達です。 あれから身体的不都合な部分に思いを向けられましたでしょうか。あなたの心から出る思いと、その肉体細胞から伝わってくる思いが一致していましたか。そのズレがきっとあなたのその身体に不都合を起こしているのでしょうね。私はそう思います。肉体細胞から伝わってくる思いは優しさだけです。温もりだけです。いくらでも自分の間違いに気付いていけます。どんなに傲慢に生きてきたか、間違って肉というものを使ってきたその思いに気付いていけるのです。 肉に生きる心はとても冷たいです。私はようやく今世そのことに気付かせて頂きました。何が間違っているとかどこが間違っているとかそうではなく、すべてが間違ってきた自分でしたということにようやく辿りつけました。 非常に嬉しいです。間違ってきた自分に出会うたびに心が優しくなれる、本当に自分にありがとうが言えます。そしたら、また心から返ってくる思いがあります。ありがとう、ありがとう、限りない優しさの中でそのような思いが伝わってきます。喜びと幸せの中に包まれている自分自身であることを心から感じます。 自分を自分で包んでいく作業はアルバートを感じ、アルバートを信じていなければできません。そのために生まれてきた私達です。アルバートと出会えることがどれだけ幸せなことなのか、あなたの肉体細胞を通してどんどん心で感じていってください。 誰も何も苦しめているものはない、勝手に穴蔵にはまり込んで苦しいだの助けてくれだの何でこうなるんだとか叫んでいるだけのことなんだということが、意識の世界が分かってくるとよく分かります。 意識の世界、心の世界というものには隔たりも仕切りも何もない、だからみんなが感じていける世界です。なのに幸せ喜びを心に広げている人もあれば、未だに暗くて狭い中でもがき苦しんでいる人もいる、本当にその人の心次第ですね。 誰も何も苦しめているものはない、勝手に穴蔵にはまり込んで苦しいだの助けてくれだの何でこうなるんだとか叫んでいるだけのことなんだということが、意識の世界が分かってくるとよく分かります。決して住む世界が違うのではなく、同じところにいながら通じ合えない、意識の世界とはそういう世界です。 すべては自分次第です。まだ今はみんな喜びとしてとらえていけなくても、それでもせめてグチグチ、ブツブツ、メソメソはもうやめていきましょう。 アルバートの実在がまだおぼろげであれば、肉からでも努力していってください。どこかひとつ何か喜びを見出し、自分がはまっている穴蔵からの脱出を心掛けていってください。 悪循環を断ち切るだけの勇気と決断は必要です。優柔不断、甘ちゃんではアルバートの道は歩んでいけません。 優しいとか受け入れてもらっているとかを自分勝手に解釈しているだけ、それこそ同じところにいながら全く通じ合えない世界にいるということです。あなたが心を変えていけば、ちゃんとそこにアルバートがあるということが、まだ心で分かっていないのではないかと私は思います。 心が広がっていくとは、自分の間違いに気付き、自分の存在そのものが嬉しいという思いがどんどんどんどん湧き出てくること、本当に許されてきた自分自身であったと心で感じていくことです。 心が広がっていくとは、自分の間違いに気付き、自分の存在そのものが嬉しいという思いがどんどんどんどん湧き出てくること、本当に許されてきた自分自身であったと心で感じていくことです。もちろん心が広がっていって未知なる自分との出会いがあり、自分の中には無限大の宇宙があることを実感されることも事実その通りですが、それよりも自分は生かされてきた、自分は許されてきたことを心の底から感じたとき、本当に心は喜びと幸せの中を果てしなく広がっていきます。そのような本当の自分自身に支えられ私はあった、自分を生かすエネルギーの中にあったということを心で感じてくれば、自分の愚かさもはっきりと見えてくるし、肉というものに対しての思い方が全然違ってきます。 波動のお勉強では、肉で説明できないような体験をされるからいいんです。肉で分からないからいいんです。説明も要らない解釈も要らない、ただ波動の世界を心で感じられたらそれでいいんです。感じたものを頭で理解しようとかそういうことをごちゃごちゃやっているうちに、せっかく感じたものが薄れていくというか遠のいていくかもしれません。しかしまたそれもそれぞれのお勉強でしょう。そうやって残り少ないセミナーをどうぞご自分の二五〇年後に繋いでいく時間、空間として充分活用していってください。 私達は喜びです、私達は最高に幸せ者です、そうやって今世の学びの幕を皆さんとともに閉じていきたいと私は思っています。よろしくお願いいたします。 アルバートに目覚めるために頂いた大切な肉であるとともに、アルバートを伝えるための大切な器です。肉を通してアルバートが流れていく幸せ喜びを感じています。 アルバートに目覚めるために頂いた大切な肉であるとともに、アルバートを伝えるための大切な器です。肉を通してアルバートが流れていく幸せ喜びを感じています。喜びが幸せが流れていく、心を開け放していったときそれは自然に流れていくものでした。 みんな己という思いが塞き止めてきた、そればかりか放出してきたのはブラックのエネルギーばかり、そんな私達に今こんなときが与えられること自体がもうすごいことだと、私達の歩いてきた過去を振り返り私はそのように思います。その中でもとりわけ私は何と幸せ者だろうかとつくづく思っています。こればかりはこの世の金銀財宝をいくら積まれようとも敵いませんね。もちろん、それとは次元が違うから比較対照にはならないけれど、例えればよく分かると思います。私が感じている世界はそうですよ、そんなちっぽけなものではありません。自分というもの、自分という存在がはっきり感じられる、これからどのように存在していくのか、心で感じられる私にはもうすべてを任せていくだけでいいんです。それで幸せ喜びの道が開いていくことを心は知っています。だから肉ではあくせくしません。この心の中の世界、真実の世界にある自分自身とともに生きていく私にはそれが自然体です。何も分からない、さ迷い続けている意識でなくなったことは確かです。その意識の世界が現象化するのが肉、形の世界、だから今世の肉の時間も来世のそれも今までとは全く違います。たとえ地獄の自分と出会っても幸せ喜びの世界がそこにあることを、私ははっきりと心で感じています。 道を求めている方ならば、セミナーに集ってきます。何らかの経路を辿って必ず集えるようになっています。それは今世とは限りません。未だその時期に到達していなければ私達と出会うことは叶いません。 道を求めている方ならば、セミナーに集ってきます。何らかの経路を辿って必ず集えるようになっています。それは今世とは限りません。未だその時期に到達していなければ私達と出会うことは叶いません。しかしそれはそれぞれに目覚める時期が違うだけのことであり、いつ出会い、いつ目覚めていくのか、もうすでにそれぞれのプログラムに組み込まれていることでしょう。それはその通りだと思います。そのときその流れに素直になれるかどうかはまた別問題でしょうが、みんな平等に公平に真実の扉は開かれているということです。 だから意識の世界、波動の世界は信じられるのではないですか。みんなに平等でみんなに公平、そして一分一厘の狂いもなく正確です。素直になって喜んでいけばいくほどしっかりと応えてくれるものがあります。 アルバートの前には己はないと言ってきましたが、アルバートの優しさ、アルバートの大きさ、アルバートの温もりを本当に心で感じ、自分はアルバートとひとつであることを感じているならば、それは間違いのないことです。そしてそれは自然にまた自分の心から流れていきます。だから、あなたにとって今一番身近な人が必ず変わってくるはずです。それがひとつのバロメーターでしょうね。変わらないということはあなたのアルバートヘの信が薄い、あなた自身がアルバートを本当にちっぽけにとらえている、すなわちあまりにも己が偉いという証拠です。それは動かせない事実、そしてそれが波動の世界の真実であると私は言えると思います。 心から出てくる思いは、やはりありがとうしかありません。こんな心を使ったあんな思いを出してきたという記憶はあります。だけどそんな自分自身であったからこそ今というときがあるということが切実に感じられます。 心から出てくる思いは、やはりありがとうしかありません。こんな心を使ったあんな思いを出してきたという記憶はあります。だけどそんな自分自身であったからこそ今というときがあるということが切実に感じられます。 真っ黒だから生まれてきました、生んでもらったということが心で分かる今、こんな幸せで喜びはありませんという私の思いが今の私をしっかりと支えています。アルバートに触れ、アルバートを広げ、アルバートとともにある幸せを感じている自分自身を確認しています。だから今目を開けて心は動いているけれど、心がそこへ入り込んでいかない、一応見て聞いているけれどそれで終わっているような状態です。 今私は安定飛行を続けています。アルバートを待っている意識達の存在をしっかりと心の中に感じながら、アルバートを広げていく伝えていく喜びを自分の中で感じています。この喜び幸せを私はずっと心に持ち続け、そしてその集大成である二五〇年後の来世を迎えるということでしょう。 すごいシナリオを自分に書いてきたものだと思っています。二五〇年後に繋ぐ私のシナリオ、喜びの大爆発が今か今かと待ち続けています。そのための準備を滞りなく終えていくことが今世の仕事、ありがとうの思いをかみしめながら私は進めてまいります。 私が伝えたいこと、伝えようとしていること、心で感じていること、そっくりそのままとはいきませんが、ほぼ同じ方向に思いを向けてくださるなら、私のメッセージはストレートにあなたの心に響いてくるはずです。 目を閉じていわゆる瞑想状態になっているとき心に上がってくる思いを、いざ言葉にしようとしてもなかなかまとまらないときがあります。心から伝えたい思いが沸いてくるけれど、それは言葉で表現できない感覚であり、だから、やはり波動を感じてください、心を向けていってくださいとしか言えないのです。 私が伝えたいこと、伝えようとしていること、心で感じていること、そっくりそのままとはいきませんが、ほぼ同じ方向に思いを向けてくださるなら、私のメッセージはストレートにあなたの心に響いてくるはずです。 私は過去においてすべてを飲み干してきたエネルギーです。どれだけ真っ黒を流してきたかを心はよく知っています。だから今肉を持ってこのように真実に出会えたことを思うと本当に許されていることを実感しています。そこのところが私のべースにきちんとあります。そしてそこから言葉を発している、すなわち波動が流れていると思っています。 もちろん宇宙が目覚めていく流れの中においてこのことは予定通り計画通りの筋書きであることは間違いないことであり、そこからすれば至極当然のことですが、真っ黒の地獄を知っている私は、天使だとか大きな使命がある意識が存在するなんてあり得ないと思ってきました。そんなの比べるに値しないほど自分は大きな存在でした。宇宙の目覚めとはそういうことを言っているのだと段々に感じ、これからますます感じていくことだろうと思っています。 肉の生活においても生半可な方は意識の世界においても生半可なんです。生半可なことしか分からないんです。肉も意識もみんな連動しています。 肉持ってこのようにセミナーに集えていることがどんなことなのか、本当にまだ心でお分かりになられていないと私は思っています。そんなに生半可な思いで真実が分かるのなら誰も苦労はしません。自分の心から何一つ離すことなくたくさんのものを握り締めて、そして私に本当のことを伝えてくれ、アルバートを感じさせてくれ、こんなに欲ぼけなことはないと私は思います。 肉の生活においても生半可な方は意識の世界においても生半可なんです。生半可なことしか分からないんです。肉も意識もみんな連動しています。もう身辺を整理してもよさそうな年齢を迎えている方が、どうしていつまでも肉のことにこだわっているのか私は理解に苦しみます。さっさと整理すべきものは片付けて、今世田池留吉と出会え、セミナーに集えている自分を本当に喜んでいきましょう。それが肉のあなたがあなたにしてやれる最高の優しさではないでしょうか。世間の常識、世問並みを前に掲げていつまでのらりくらりをやっているのかと思います。もう本当に時間は残されていません。と言いたくなるのも、やはりセミナーに集っている人みんなそれぞれに必ず心を繋いでいってほしいという思いが、私の中に強くあるからだと思います。だから、こういう表現になってくるのだと思います。 確かに私達はひとつの意識体です。そして意識はひとつです。だからと言ってともに連れもって行くということにはならないことを、どうぞあなたの心で分かっていってください。 まだあなたはあなた自身の地獄の底の底の奥底を見ておられません。地獄の自分を本当にまだ心で知らないのです。地獄の底の底の奥底から生まれてきましたと私が言っている意味が、あなたのその心にはまだ届いていないのかもしれませんね。 まだあなたはあなた自身の地獄の底の底の奥底を見ておられません。地獄の自分を本当にまだ心で知らないのです。地獄の底の底の奥底から生まれてきましたと私が言っている意味が、あなたのその心にはまだ届いていないのかもしれませんね。 そのあなたの地獄を覗くのがこれからの二五〇年でしょう。だから、その間に何度かの転生をなさっていくのだと思います。しっかりとあなたの地獄を見て二五〇年後に出会いましょう。そのためには今世のこのときが本当に大切な時間、空間なんです。私はそのことを心で感じているからこそ、このようにメッセージを伝えさせてもらっています。 もう本当にお遊びの学び、表面だけの学びはやめていってください。いつまでも己偉しをやっていては本当にあなたが地獄の奥底から浮上していくのは困難なことです。我こそ一番なりのあなたがズラリと雁首を並べて待っています。 己を崩して崩していくこれからが待ち受けています。だけど地獄の自分が分かってアルバートが分かってきたなら、本当に今自分がどんな場に集わせてもらっているか、心にはっきりと感じてくることでしょう。 私はただ単に喜び、喜びと浮かれているのではないんです。私が二五〇年後にアルバートに出会うということはどんなにすごいことなのか、私自身の心で感じています。その辺のところが失礼ですがまだお分かりでないように私には思われます。肉はただの肉です。しかし…とだけ今は言っておきます。 お母さん、本当にありがとうございました。やはりただひとつ、出てくる思い、言葉はこれしかありません。 田池、ぶっ殺してやる、そうです私の愛しき思いです。もう私は嬉しくて嬉しくてなりません。真っ黒が嬉しくて嬉しくて、意識の転回、心の転回とはこのことなんだと私の中は実感です。嬉しさがこみ上げてきます。 私は千載一遇のチャンスをものにしました。だから肉の人生なんて私には御茶の子さいさいだという感じです。もうそこで悩んだり苦しんだりはしないでしょう。心揺れてもみんなアルバートヘ帰していけることを知ったからです。そして私の行く先は決まっている、だから今世、残された時間その流れに沿うように沿うように肉の世界は展開していくことが心で感じられます。 そして二五〇年後です。これまでは何も分からなかったから、肉は苦しむだけのものでした。ですが二五〇年後は今世の学習のもとに肉を持ってくるわけですから、今まで以上に肉のどん底を味わってもそれがみんな喜びへと転じていくことを心は知っています。今世と同様いえ比較にならないほど、アルバート、ぶっ殺してやるを思う存分放出することができます。噴き出した瞬間からすべてが喜びへと変わっていく、肉も意識もすべてがひとつになって喜びへと変わっていく、心から溢れ出す喜びが全宇宙に流れていく、こんな素晴らしいシナリオを持って私は二五〇年後に生まれてくるのです。 お母さん、本当にありがとうございました、やはりただひとつ、出てくる思い、言葉はこれしかありません。 意識、波動の世界は全く正直なんです。雰囲気、馴れ合い、肉は一切通用しません。ただ喜び、アルバートを思う、アルバートを呼ぶ喜びが心に広がっていくだけです。 アルバートを感じること、それはセミナーに集っていれば可能かもしれません。あなたが素直であれば波動のお勉強でアルバートの世界をほんの少し垣間見る、今まで感じたことのない世界、あるいは今まで感じていたよりももっと広い波動の世界を感じる、それは可能でしょう。だけどそれでアルバートをあなた自身が信じている、アルバートヘの道を一歩一歩歩いているということにはならないんです。そうしていくのはあくまでもその後のあなたです。 あなたはアルバートを信じていない、あなたの中にはアルバートがない、そうはっきりと肉で言われるまで、たぶん大方の人はそのご自分の現実を正しく認識されていないと思います。私は少しかもしれないけれどもアルバートを信じている、私の中にアルバートを信じる信が芽生えつつある、そのようにみんな自分を評価したい、していると思います。長く学んでセミナーにもオール出席で知識は充分、なんかそういうことでアルバートの道を進んでいると思いがちですが、決してそうではありません。本当にアルバートを信じる信が芽生えつつあるなら逆にそうでなかった自分に心で気付く、そびえ立っている自分が心で感じられるんです。ああ私にはアルバートがなかった、アルバートの道をまだ歩んでいなかった、そういうことが心で分かってくるはずです。 私は非常に現実的です。と言うか意識、波動の世界は全く正直なんです。雰囲気、馴れ合い、肉は一切通用しません。ただ喜び、アルバートを思う、アルバートを呼ぶ喜びが心に広がっていくだけです。 心を田池留吉にアルバートに向ければ向けるほど真っ黒が飛び出してきます。それは心を他力の神々に向けながら真っ黒を飛び出しているのとは全く違います。なぜならば私の根本は喜びであることが分かっているからです。 私はあなたと何ら変わるところはありません。意識の私と意識のあなたはみんなひとつの世界です。ひとつです。しかし私は心を田池留吉にアルバートに素直に向けることが今、できます。今、肉を持っているときにできるということが肝心なことです。今できなくていつあなたはできると言うのでしょうか。今世を外して地獄の奥底から浮上していくことは困難だと申してきました。今世心を繋ぐ足がかりをつけなくては大変困難だと伝えてきました。その真意がどのくらいあなたに伝わっているのか分かりませんが、今世が剣が峰、それでなければあなたの二五〇年後はありません。 私の中には田池留吉の宇宙もアルバートの世界もあります。そしてそれがひとつであることも感じています。私ははっきり言って今そういう状態です。私とあなたは何ら変わるところはないけれど、この違いは歴然としています。 心を田池留吉にアルバートに向ければ向けるほど真っ黒が飛び出てきます。それは心を他力の神々に向けながら真っ黒を飛び出しているのとは全く違います。なぜならば私の根本は喜びであることが分かっているからです。喜びで真っ黒すなわち喜びを迎え入れているのです。だから私は幸せです、私は喜びですと言えるんです。田池留吉の世界、アルバートの波動の中に私は生かされている、包まれている、そんな自分を感じながら心を広げていけます。どんなに真っ黒でもどんなに汚くてもだから嬉しい、本当に嬉しいです。待って待って待ち続けてきた意識達を心に迎えることができる喜び、幸せ、これが本当の喜びと幸せです。 肉を優先する心では絶対アルバートの道は歩けない、そして他力の神々を握っている心でも同様です。そういう土壌からいくらアルバートの世界を垣間見ようとしても、その前には厚い壁が立ちはだかっています。 学びは命懸け、セミナーは真剣勝負、今に始まったことではありません。核からのメッセージは厳しいでしょうか。しかし修飾をしたところで真実は曲げられません。だから私は単刀直入に切り出します。あなたもその心で真実の世界を知ってごらんなさい。きっと私と同じ表現になってくることでしょう。それほど意識、波動の世界は黒と白がはっきりしているんです。チャネリングができる、できない、そんなの関係がないです。もともとチャネリングとは言葉を伝えるものではなく波動を伝えるものです。それならば今までのチャネリングは本来のチャネリングでないと言うことでしょう。そんなものをいつまでも引きずっていては、あなたの歩みは遅々として進まないですよ。全部ご破算です。 また肉を優先する心では絶対アルバートの道は歩けない、そして他力の神々を握っている心でも同様です。そういう土壌からいくらアルバートの世界を垣間見ようとしても、その前には厚い壁が立ちはだかっています。セミナー会場において一瞬その壁がなくなるときがあるかもしれません。しかしそれはほんの一瞬であって根本が変わらなければまた厚い壁の向こうです。そちら側からすればそうです。だけどその壁のこちら側からそちらを眺めればその壁はほんの薄皮一枚という程度のような感じがします。意識の世界はそんな世界だと思います。私は今そんなふうに感じています。そして真っ黒が嬉しい、苦しいのではなく嬉しい、だから私は狂うことなく日々を過ごせていると思っています。 今はまだセミナーがあり、田池留吉の肉もありますから、どうにかこうにか繋がっているような感じですが、それがなくなればプツリと切れてしまい、さあその後はあなたの心はどのようになっていくのでしょうか。他力のエネルギーの中でまた狂っていくのでしょうか。 二五〇年後の来世に心を繋ぐ意識の目覚めを得たことにより、今世の田池留吉の仕事はほぼ終了したと言ってもいいと思います。実際のところそうでしょう。このセミナーはひとりひとりを救済するために開かれてきたのではありません。そこのところをどうぞお間違えのないようにしてください。 大きな意識の流れの中で見たとき、今世セミナーがなしてきたものはすごいとしか表現できません。本当にすごい足跡を私達の心に残してくれました。後はそれぞれが自分の心で感じ得たものをどれだけ大切に育み、自分の中を供養していくかに係っています。 どこまでも肉でとらえていくならば、心に沸き起こってくる思いは他力のエネルギーばかりです。その呪縛から自分を解き放していくのは他ならぬ自分ですが、その中にがんじがらめの状態ではなかなかです。他力の心癖を甘くとらえないでください。 今はまだセミナーがあり、田池留吉の肉もありますから、どうにかこうにか繋がっているような感じですが、それがなくなればプツリと切れてしまい、さあその後あなたの心はどのようになっていくのでしょうか。他力のエネルギーの中でまた狂っていくのでしょうか。 みんな狂う要素はその心にまだまだ抱えています。決して他人事ではありません。特に未だ自己供養が進んでいない方はその危険度は非常に高いです。自分を救うのはあなたの中のアルバート、母の温もりその波動だけです。残り少ないセミナー、どうぞ大切にしていってください。 自己供養は喜びです。そして自己供養はアルバートを知らなければ不可能です。アルバートを知るということは己を知るということです。 自己供養は喜びです。そして自己供養はアルバートを知らなければ不可能です。アルバートを知るということは己を知るということです。自分を知っていけばいくほどアルバートが分かります。なぜならば自分の本質はアルバートだからです。 私はこのことを今世心で知り得ました。だから私の中は喜びです。真っ黒をしっかりと抱えていると言えども私は喜びなんです。真っ黒を引っさげて二五〇年後に出会えるのが楽しみで待ち遠しくて心の中は踊っています。アルバートに出会えた喜びに沸きかえっています。この喜びが心からどんどんどんどん流れ、そして二五〇年後に一挙に噴き出すことが心の中から伝わってきます。 私は肉をつかんでいません。こだわりが薄いというか、ちっぽけなものに感じています。それよりも心が広がっていく、私が広がっていく、このことこそが現実であり、大事業を前にしての今世であるということが心に感じられるのです。 嬉しいです、本当に嬉しいです。田池留吉、アルバートとともに歩く意識であることを心は何度も確認しています。今世生まれてきた意味が心で分かり、母に生んでもらったことを心から喜べる私に出会えたことが最高に嬉しいです。そして腐った目をして生まれてきた私が本当に清清しい優しい目になりました。この目を通し私はさらに私自身を見てまいります。優しい目を自分自身に向けて自己供養の喜びの道を歩いてまいります。 確かにアルバートの世界を感じた、田池留吉の宇宙を感じていると自分は思っていても、その片方でしっかりと握っているものがあるということは、その感じたと思っている世界は果たしてということになってきます。 アルバートを感じるということは、もちろんただ単に嬉しいとか喜びとかだけではありません。真実を感じていけば肉の世界のことなんか吹っ飛んでいきます。それは握るに値しないものなんだとはっきりと分かります。優しいなあ、嬉しいなあ、何か心から泣けてくる、何故だか分からないけれどこんな世界があるのか、それはそれでいいですけれど、実際その程度の感じ方であれば喜びとか嬉しいとかをセミナー会場でやっていても、やっぱり根本は肉だから日常に戻れば、なかなかそれぞれのこだわりとか握っているものから心を離していくのは難しいだろうと思います。離そうとか離していかなければは全部肉です。そこからひとつハードルをポンと飛び越さないと視界が開けてこないでしょう。心の転回はおぼつかないと思います。それでもこの道しかありません。どうぞハードルを飛び越えていってください。そのための現象があなたを待っています。 ところで確かにアルバートの世界を感じた、田池留吉の宇宙を感じていると自分は思っていても、その片方でしっかりと握っているものがあるということは、その感じたと思っている世界は果たしてということになってきます。本当に波動の世界を感じてくれば自分のこれから先の道が見えてきます。当然肉のことは本当にほどほどでいいという思いになってきます。それよりももっと大切な、いえ比較などできないほどの展開がもう目の前に待っていると思えば、その準備に喜んで喜んで心を傾けていくことでしょう。 アルバートを感じている、波動の世界を感じていると言うならば、当然そうなってくると私は思っています。 心の転回は難しいです。過去から引きずってきた心癖のままでは本物が分からないです。どれだけ意識の世界に通じていると自負しようとも、それは手前勝手な解釈であることが往々にしてあります。それが私達の過去からの歴史、ずっと同じ轍を踏んできた歴史です。 すでに伝えられている通り私は二五〇年後、アルバートの目と劇的な一瞬の出会いがあります。その出会いが事の始まりとなります。来世の爆発的な喜びの幕開けとなります。どうぞあなたもそのときその流れに乗っていけるように今世布石を打ってください。それがあなたの今世の仕事、肉を持ってきた意味です。その他には何もありません。 もう自分を見極めていかなければなりません。必要以上に自分を大きくとらえることなく、また小さくとらえることもない、ただ意識の流れの中にあるということだけはしっかりと心で分かっていってください。 心の転回は難しいです。過去から引きずってきた心癖のままでは本物が分からないです。どれだけ意識の世界に通じていると自負しようとも、それは手前勝手な解釈であることが往々にしてあります。それが私達の過去からの歴史、ずっと同じ轍を踏んできた歴史です。それでは埒があきません。 自己流の学び方では真実に触れることはありません。私は意識の流れをしっかりと見つめながら我が道を行っています。だから田池留吉という肉のとらえ方ひとつをとってみても、皆さんとは少し違っていると思います。おもねることもない崇めることもない、ただ喜びの存在です。それは同じ方向を見つめ存在しているという喜びと幸せを感じさせてくれる媒体、それ以外のものは私の上をすっと通り過ぎていく、それが私がとらえている田池留吉の肉です。 みんな連れもって行こう、私がそう呼びかけているのは肉ではありません。肉の思いから発していません。肉のあなたに呼びかけているのではないから、肉はベタベタしません。 みんな連れもって行こう、私がそう呼びかけているのは肉ではありません。肉の思いから発していません。肉のあなたに呼びかけているのではないから、肉はベタベタしません。心をひとつにしてともに同じ道を歩いて行こう、肉で語り合い、いくら結束を固めても所詮それは肉だからもろいものです。私は違うんです。肉はただの肉、突出するところもないし威勢のいい掛け声もない何もないです。他力の方からすれば私は頼りないでしょうね。別に何を言うわけでもないし、当たり障りのない言葉しか返しません。ですが私はしっかりと物申しております。私が心で感じている波動の世界は現実の世界、そして心で確信している世界を波動を通して私は語っています。 心が広がっていく、私が広がっていくという感覚が心で分かる、すなわち心で感じている、またアルバートの世界がどんな世界なのかということも心ははっきりととらえています。だから私は誇張なく、しかし、しっかりと語ることができる、もちろんそれは波動として語っているということです。 二五〇年後のアルバートが田池留吉という過去世を通して私にはもうビンビン感じられる、今世と来世がひとつになって喜びと幸せが響いてくる、決して夢物語ではなく現実も現実まさに現実、ああだから私は幸せです、本当に嬉しいです。この思いで私は呼びかけています。みんな、アルバートだよ、アルバートしかないよ、そう呼びかけています。 自分の中で学びが遅々として進まない理由はそれぞれあると思いますが、そのひとつにセミナー参加の目的と動機の間違いがあります。洗い直しが必要です。そして中断された方はそのときの心を見ることが第一です。 今世ようやく自分の心を蘇らせることができた、本当の自分の声が心に届き信じていける自分を取り戻した、だからこそこれからの道がもう真っ直ぐに開け、ただその道を進んでいけばいいというところまで到達できました。それはもう自分を路頭に迷わすことはない、行き先がしっかりと定まり、その方向に進んでいけば目的地に到着ということです。 ところで自分の中で学びが遅々として進まない理由はそれぞれにあると思いますが、そのひとつにセミナー参加の目的と動機の間違いがあります。洗い直しが必要です。そして中断された方はそのときの心を見ることが第一です。去る者追わず来る者拒まずですが、中断あるいはそれに類した行為をされた方は、一口に言えば今世もそのときすでに田池留吉を捨てたということです。それを簡単に考えておられるのです。とことん反省しなければだめですよ。そのときの心をおざなりにしていては、いくらセミナーに集ってきても根本が変わりません。いつも言っていますようにセミナーに来ていれば嬉しいとか喜びとかは感じるんです。でもそれは本当に一過性のものです。しっかりと己を握りながらやっているだけです。それは心を繋ぐということには程遠いものです。 今、例を挙げました。要はそうやってご自分の来し方を本当に見てこられたかどうかです。喜び、喜び、アルバート、いくらそんなことをやっていても喜びにはならない、根本は変わらずということに気付くことがまず第一です。そしてそこからが本当の出発だと思います。 いくらうず高く積み上げようとも一瞬のうちに崩れ去っていく、それが人類が築いてきた形の世界です。頭の範疇をはるかに超えた意識の世界がもうそこに間近に展開されていきます。これこそが現実の世界であることを、その目を、その耳を、そしてその肉体を通して人類はつぶさに知っていくことでしょう。 いくらうず高く積み上げようとも一瞬のうちに崩れ去っていく、それが人類が築いてきた形の世界です。アルバートの目を見る私の心に高く高くそびえ立った人類の愚かさが心に強く響いてきます。崩れて崩れて崩れ切るまで人類は未曾有の体験をしていきます。宇宙へ流れていく喜びのエネルギーはすごい勢いで全宇宙を覆い尽くしていくことでしょう。それは地球を含め宇宙が大爆発を繰り返していくということになりましょう。まさに宇宙を変えるパワー、愛のエネルギーが惜しみなく宇宙の隅々にまで流れ出し溢れ出していくという展開です。 宇宙に存在する意識達が私の目を通しアルバートの目と出会う、二五〇年後私はその瞬間心の記憶が蘇ってきます。たちまちのうちに心が開き意識達が一斉に心から飛び出すのと同時に今世を思い出します。もうそうなれば止まることを知らない喜びのエネルギーが肉を突き動かしていきます。肉と意識がぴったりとひとつになって喜びのエネルギーが宇宙を駆け巡ります。この喜びのエネルギーの前にはもう何も存在しない、ただ喜びがそこにあるだけです。 頭の範疇をはるかに超えた意識の世界がもうそこに間近に展開されていきます。これこそが現実の世界であることを、その目を、その耳を、そしてその肉体を通して人類はつぶさに知っていくことでしょう。 なぜ生まれてきたのか、人生の目的は、自分とは一体何なのか、肉を通してようやく真実に巡り合えた私は宇宙一幸せです。 私は宇宙一幸せ者です。今許されてその宇宙一幸せを味わっています。 心からありがとうです。私をずっと待ち続け迎え入れてくれた私に心からありがとうです。私は嬉しいだけです。真っ黒だけを垂れ流してきた宇宙が、今世このときを境にしてどんどんどんどん変わっていっている、その事実を知りました。 どんなにブラックでもいい、もうそれはみんな喜びに帰れることを知っている意識達は、私の中からアルバート目指して喜び勇んで飛び出していきます。止め処もない喜びの中で確実に変わっていく宇宙の喜びが心に響き渡ります。そうなればなるほど宇宙はどんどんどんどん広がり喜びのエネルギーを放出していきます。宇宙に向けて仕事をしていきます。私は嬉しくてなりません。今世一つの肉体を頂きました。このことが私には本当に嬉しくて、肉をもらってこうして存在している私に本当にありがとうの思いが出てきます。 なぜ生まれてきたのか、人生の目的は、自分とは一体何なのか、肉を通してようやく真実に巡り合えた私は宇宙一幸せです。宇宙が待ち続けてくれている、私が待ち続けてくれている、その私に向かってさらなる歩みを続けていくだけです。ともに歩いていこう、ともに生きていきましょう、その波動その存在だけが私にとっての唯一絶対の真実です。 ホームページは私の心の歴史、心の足跡です。田池留吉、アルバートとともに歩んできた心の足跡がそこに記されています。こういう形で学びが進んでいるということは二五〇年後を彷彿させます。 ホームページは私の心の歴史、心の足跡です。田池留吉、アルバートとともに歩んできた心の足跡がそこに記されています。こういう形で学びが進んでいるということは二五〇年後を彷佛させます。来世はもっとメディアの世界が進んでいるでしょうから、またそのようなメディアを通じて皆さんと出会えるのを私は楽しみにしています。 ところで意識、波動の世界を感じ広げていく喜び、幸せは言うまでもありませんが、肉も信じられる、信じられる肉に出会ったことが私の歩みの速度を速めたと私自身思っています。田池留吉は絶対裏切らない肉だということを、最初は遠巻きに眺めながらそして一歩近づき二歩近づき、心で確かめる道を歩んできました。肉と意識はひとつが本当の世界であることを私は自分の心の中で実証していきました。だから私は田池留吉を裏切ることも捨てることもないし、当然自分自身を裏切ることはもうありません。私達はひとつであることを確信したからです。 大きかった抵抗勢力も今ではその質を変え、来世再び肉を持って出会えることがただただ喜びとなりました。愚かな肉を持ち再び肉の思いに沈んでいくけれども、あるときそれがパッと消える、目の前の風景が一転します。すなわち心の転回、出会いが心の転回の瞬間です。そして中から出てくるは出てくるは、喜び、喜び、歓喜の渦の中でそれこそもう狂いそうなくらいに喜びが噴き出してきます。その大いなるエネルギーを引き出すための肉を肉の環境を用意した、メディアの世界もそうですがすべては手はず通り整えられています。 すべてはアルバートのもとにひとつです。すべての意識達はアルバートに帰る意識です。 すべてはアルバートのもとにひとつです。すべての意識達はアルバートに帰る意識です。私がこの学びに触れたとき、私達は神から出でて神に帰る意識であるという文言がありました。今、私はその意味がよく分かります。心で感じられます。私達はアルバートヘ帰る意識、そうです心で頷けます。 心で確信した思いは波動となって流れていきます。私の中でアルバートは実在です。だから未だ地獄に沈み込んでいようが宇宙の果てをさ迷い続けていようとも私には信じられるのです。みんないつかはアルバートヘ帰る意識である、それがどれだけの時間を要しようともそうなんだと信じられるのです。 私の中に伝えたいという思いがあります。真実を伝えたいという思いがあります。諭すとか導くとかいうのではなく、その人なりにそれぞれ何かを感じていってほしい、その人の意識の世界にほんの僅かでも波紋を起こしたい、呼びかけを届けたい、という思いがあります。もっともその人が欲でなく真剣に真面目に道を求めているということが大前提ですが、そんな人であると感じれば、私は何らかの行動を起こすかもしれません。こんな思いになるのは、私自身真実の世界に触れ、アルバートを確信しているからだろうと思います。二五〇年後に繰り広げられる喜びの流れの中で、多くの仲間達と出会えることをただひたすら待っている私の思いの表れであると思っています。 結局最後に残るものは自分の心だけです。心にアルバートがあるかないか、ただその一点だけです。自己供養が喜びである、それが本当のユートピア実現への道です。 アルバートの世界は物語に出てくるような桃源郷ではありません。そもそも奇麗事を並べたユートピアなど実在しないのです。私はそんな空理空論を伝えているのではありません。まず全部自分を崩して、本当に地獄の奥底を這いずり回ってきた意識、地獄を嘗め尽くしてきた意識であると心で自覚できない限り、本当のユートピアは分からないと言っているのです。そびえ立つ宇宙を持ちながら分かるはずがありません。 地獄の奥底から肉をもらって地獄の世界へ形を持ってきた私達です。地獄を見ながらそこから浮上するための時間を用意してきたのです。肉の時間はそういう時間です。それをそこに埋没してさらなる地獄へ沈み込んでいっては人生失敗です。たぶん私は学びに集う前より、肉では分からないけれどその自覚はあったのでしょう。今世は非常に大事、強い決意のもとに肉を持ってきた私自身の思いを私は感じていたということだと思います。私を託せる何かを待っていたということです。それに出会えたから私の今世は万々歳です。 本当の意味で強い人間でないと真実の道は歩めないです。つまり甘ちゃんではいつまでも地獄をさ迷い続けるのです。そのことを分かってほしい、他力の強い方は臆病で甘ちゃんです。自分を信じられないから他力の心が膨らむ、その循環をやはりどこかで断ち切る勇気を培ってほしいと思います。 結局最後に残るものは自分の心だけです。心にアルバートがあるかないか、ただその一点だけです。自己供養が喜びである、それが本当のユートピア実現への道です。 他力の心で結びついた宗教の世界も男女の世界も、みんな嘘だらけの世界でした。三億六干年かけてようやくそのことに気付けました。そしてそんな世界を貪欲に求めてきた己の愚かさがあったからこそ、今世の私に出会えたのでした。 自分を自分で包んでいく、受け入れていく、優しい思いを向ける、自己供養を今世私達は初めて教えてもらいました。自分を供養する、本当に何て優しい響きなのでしょうか。優しいです。ただただ優しいです。その手立てを教えてもらった私達は本当に幸せです。 貪欲に幸せを喜びを求め続けてきた過去からの私に、自分の心ひとつで幸せも喜びも蘇ってくること、心が喜びと幸せに満たされていくことを伝えていける、本当に幸せの中に存在していることを感じます。 他力の心で結びついた宗教の世界も男女の世界も、みんな嘘だらけの世界でした。三億六千年かけてようやくそのことに気付けました。そしてそんな世界を貪欲に求めてきた己の愚かさがあったからこそ、今世の私に出会えたのでした。それを心で知った今、私は自分の歩んできた道を決してただ愚かだったとは思えません。それだけの愚かさを重ねてきたから今があり見えてくる心の風景だと思っています。もちろんそれも心に本当のものを感じているからそのように思えるのであって、その愚かさが重く沈んでいくのでなく、軽く浮かび上がってそしてやがて消えていく、それに連れて心がぱぁーと広がっていく感覚を私は学習してきました。もう今は外に求めようという思いはありません。ただ中へ中へ心を向ける喜びを私は心で知りました。いくらでも幸せと喜びを伝えてくれます。それが私の中のアルバートです。 自分の心は自分しか救えない、どんなに苦しみをぶつけても返ってくるものは苦しみでしかない、苦しみはその心で受け止め喜びへと変わっていくまで苦しみとして心に残留します。そしてそれができるのはアルバートを信じている心だけです。 各々が学ぶべきものは、もうすでにそれぞれの手元に残されています。形のあるものないもの、今あなたの目の前にあるものがあなたの学びの材料、それですべてです。みんな与えられてそれで後はそれをどのように活かしていくか、もう求めて得られるものは何もありません。 今世、多くを望まないことですね。一歩、その一歩を踏み出せたなら上出来でしょう。本当にそんなに容易い道ではない、アルバートを本当に信じともに歩いていくということは、皆さんが考えておられるような簡単なことではありません、と私の意識の世界はやはりそのように伝えてきます。 この先、ホームページが更新されている間はまだいいでしょう。しかしそれもやがては終わります。それからのことを視野に入れながら、どうぞご自身の学びを真剣に続けていってください。 自分の心は自分しか救えない、どんなに苦しみをぶつけても返ってくるものは苦しみでしかない、苦しみはその心で受け止め喜びへと変わっていくまで苦しみとして心に残留します。そしてそれができるのはアルバートを信じている心だけです。アルバートを信じられない心は苦しみを跳ね返していくのです。分厚い壁にその声は届かない、氷のような冷たい中で凍えている心に温もりは届きません。その実態をどうぞあなたの心で一日も早く知っていってください。 私は必死です。私は今世必死に自分の心と向かい合ってきました。決して私は特別な存在ではありません。ただ私にはもう今世しか残されていないその思いが非常に強いだけです。それはどなたも同じではないでしょうか。 自分の中に心を向けていけば分かるはずです。本当に私はアルバートを求め、アルバートの道を歩いていこうと思っているのかということは、自分自身の心が正直に答えているはずです。 自分の中に心を向けていけば分かるはずです。本当に私はアルバートを求め、アルバートの道を歩いていこうと思っているのかということは、自分自身の心が正直に答えているはずです。そんな人が今のこのとき苦しいことだけを訴えるはずがありません。自分の周りが整っていても整っていなくても、そこから何かに気付いていこうと愚かな肉でも前向きになっていくでしょう。少しでも真実の方向に向きかけたなら、肉もそのようになってきます。 私はそれでいいと思います。その人その人の道があり決して比較できるものではありません。みんな同じように足並みは揃えられない、これってごく自然なことだと思います。だから私は私でアルバートの道があって、あなたもそうですよという思いで私は語っています。私はひとつのサンプルです。私と全く同じ道は歩めません。それぞれが抱えている意識の背景が違うからです。それを比較対照して自分自身の道を見失うことほど愚かなことはありません。 私は肉の性格上もそうですが、我が道を行くということに何の違和感もないんです。だからあまり人のことは気にならない、自分自身がこれだと思っていることは人の言葉、態度でどうなるものでもありません。そういう気性を持って生まれてきたのも決して偶然ではないのでしょうね。とにかく私は非常に楽です。何をしなくてはならないとか何もなく、ただこの道、心で感じているこの道を行くだけです。 肉のあなたは本当に偉いんですよ。これだけ感じたと言ってどれだけ感じているのでしょうか。本当に意識達の思いを聞いておられますか。優しい思いで迎えておられますか。そして心で感じたものはすぐに戻るようなものでなく、決して逆戻りのない確かなものでしょうか。 私の基準は自分の意識の世界です。過去からの私を知って、そしてこれからの私を感じて、もう肉の私だけが私であるなどとふざけたことは言えません。今は本当の自分の思いを中心に定め、肉の有り様、あり方を思っています。心から心の底からアルバートを呼ぶ私の思いを感じる今、愚かな肉を持っていても、もう今世は肉に埋没することはありません。心癖をしっかりと確認しながらいつもあの目を思えばいい、そうすることがアルバートヘ心を向けること、意識達にアルバートを伝えるということ、私の中にはその道筋がはっきりとついています。 どの方もどの方も二五〇年後に必ず出会ってください。出会っていきましょう。アルバートのもとに集う意識達の約束を叶えてやってください。そのためにまず今世のあなたの中にほんの少しでもいい、変革を起こしていってください。肉のあなたは本当に偉いんですよ。これだけ感じたと言ってどれだけ感じているのでしょうか。本当に意識達の思いを聞いておられますか。優しい思いで迎えておられますか。そして心で感じたものはすぐに元に戻るようなものでなく、決して逆戻りのない確かなものでしょうか。 自分を裏切ってきた心の悲しみ、やるせなさは間違った幸せと喜びを求めれば求めるほど心に蓄積していきました。そんな自分からの脱却を私はようやく試みることができました。それがなければ何もかもが夢のまた夢で終わってしまう、決して自分自身の現実とはなってこないだろうと私は思います。 肉で楽しいことも嬉しいことも、心の中にアルバートがあって初めて、それが楽しみとなり嬉しさとなってくるんです。心にアルバートの実在を確信してこそ肉も喜び幸せなんです。 肉で楽しいことも嬉しいことも、心の中にアルバートがあって初めて、それが楽しみとなり嬉しさとなってくるんです。心にアルバートの実在を確信してこそ肉も喜び幸せなんです。もうお分かりだと思いますが、そうなんですよ。アルバートがない、アルバートを信じていない心では肉も芯から喜べないですよ、幸せだとしみじみ思えないです。そしてそんな人は腹の底から笑えないです、そう思いませんか。顔が引きつって作った笑顔は何て悲しいのでしょうか。笑顔とは裏腹な心の世界をそのまま抱えて、だけど顔は微笑んでいるなんて本当に奇妙です。 いくら表面を取り繕ってもその人から流れてくるものがその人の今を物語っています。幸せでないのに幸せを装う人生とはもうさようならしましょう。そして心の底から屈託なく笑える自分に蘇りましょう。 お金がなくてもいい、一人ぼっちでもいい、ああ私は幸せだ、生まれてこれてよかった、嬉しい、お母さんありがとう、そんな思いが次から次へと心から湧き出てくるのが本当の私達です。みんな忘れ去ってしまって外に求めたのが苦しみの始まりでした。友達にしても偽物の友達を何人持っていても仕方がないです。一事が万事みんなそうです。ただひとつだけ本物を持っていればそれでいいのではないのでしょうか。イミテーションで飾られた人生は卒業です。 肉での決意、決断、意識の流れにそぐわないものを肉から切り離す勇気、これはとても大切なことだと思います。 肉での決意、決断、意識の流れにそぐわないものを肉から切り離す勇気、これはとても大切なことだと思います。もちろん肉だけではできません。本当の自分自身の思いを心に感じて、意識としての決意、今世に賭けてきた思いを心に確認しなければ、いつまでも肉でズルズルと引きずるものがあります。それを応援するのがこの世の肉のしきたり、肉の常識、肉の慣習です。私は自分の思いを率直に申し上げているだけです。学びから外に向けては何も言いません。言ったって分かる人などいない、でもセミナーに集っている人なら私の言おうとしていることは心で分かってもらえると思うから、このように語らせてもらっています。 二五〇年後に心を繋ぐということを心に定めて、あなたの今世の残りの肉の時間を費やしていってください。その心意気でやっていっても今世は難しいことは重々承知です。でも私はこれしかお伝えできません。しかし今世ある程度やった人とそうでない人は完全に違ってきます。私はそのことを言っています。二五〇年後に約束通り意識の流れに乗ってともに参りましょうとお伝えしています。 二五〇年後に出会いたい、今世セミナーをともにした人はみんな二五〇年後に出会いたい、そしてともに歩みを進めていきたい、でもこれは私の思いであって、それを実現可能にするのはどこまでもあなた自身の問題ですが、素直さと強い意志が前提条件だと思います。 セミナーもようやく来世に繋ぐということが達成できセミナー自体の役目も事実上終了です。同時に田池留吉の仕事もほぼ終了です。後はただそれぞれがそれぞれの道を淡々と歩んでいくことだけが残されています。 田池先生がセミナーの講話の時間に同じことを何度も何度も繰り返し伝えてくれてきたその思いが今心で本当によく分かります。話の時間にすれば一分もかからない、それをあちらからこちらから色々なことを引き合いに出されてよくもまあ気長に語ってくれました。二十年、それは三億六千年からすれば僅かの年月ですが、肉の人生からすれば長いです。二十年、古い人はそれ以上の年月同じことを聞いてきました。それでどれだけあなたは心で学んでこられましたか。田池留吉の中には喜びしかないから二十年セミナーが続いたのでしょう。その思いと信じる信の強さを私はしみじみ感じています。私はセミナーを通し田池留吉という人物に出会わせて頂き、その世界に出会わせて頂きました。私の心には待ってくれていた思いが今ストレートに響いてきます。幸せです。 様々な局面を迎え、試行錯誤の中をセミナーは成長していき今に至っています。みんな必要であってみんな肥やしでした。そしてそのときは混沌としていたかのように見えていたセミナーも、ようやく来世に繋ぐということが達成できセミナー自体の役目も事実上終了です。同時に田池留吉の仕事もほぼ終了です。後はただそれぞれがそれぞれの道を淡々と歩んでいくことだけが残されています。そのためのお手伝いが後何回かのセミナーであり、ホームページでしょう。ひとりひとりを救いゆき発掘するためではなく、ひとつの大きな流れの中のセミナーでした。どうぞこの流れに乗ってください。乗れない人はますます遅れていきます。そしてここを取り違えれば他力信仰そのものになってしまいます。 自分から逃げない、自分から目を背けない、自分を切り捨てない、今世このことを心で学ぶために地獄の奥底から生まれてきたんです。それが干載一遇のチャンスだと申してきました。アルバートに出会うということはそういうことです。 自分を供養するために生まれてきたことを、どうぞもう一度その心で確認なさってください。あなたの肉の時間はそのために自分が用意してきたものです。 あなたは何のために田池留吉にアルバートに心を向けようとなされていますか。素晴らしい自分になるためですか。また田池留吉の宇宙を感じアルバートの世界を知っていくことが本当の幸せと喜びへの道だと、そのために一生懸命セミナーに集い、ホームページを開いておられるのですか。 どちらもポイントから大きくずれていますよね。自分、これは地獄の奥底に沈んでいる自分ですが、その自分と向き合えなければいくらセミナーに来ようとホームページを見ようと自分の世界は全く変わりません。そんな心でいくら田池留吉をアルバートを呼んでも本当の喜びも幸せも分からないということを何度も伝えてきました。 自分から逃げない、自分から目を背けない、自分を切り捨てない、今世このことを心で学ぶために地獄の奥底から生まれてきたんです。それが千載一遇のチャンスだと申してきました。アルバートに出会うということはそういうことです。 どうぞ自分を自分で包んでやれる優しさ温もりに触れていってください。あなたの心の中の優しさ温もりが全開されるのをあなた自身が待っているのです。それが本当のアルバートの世界です。アルバートがあなたの心に実在することを信じられるあなたに蘇っていってください。自己供養こそが本当の喜びと幸せを伝えてくれる、すなわち地獄の自分が伝えてくれるものだということを知っていってください。 私は真実の波動の世界に生きています。だから自分のことは自分で、自分の責任は自分でとる、厳しいけれどもこのことがどれだけの優しさと温もりを含んでいるのかが心で感じられます。この心とともに生きていける私は幸せです。 私は真面目です。真剣に自分を自分の人生を考えています。ただ以前と違うのはそれが肉中心ではなくなったということです。でも堅物ではないし現実的だからへたな人生は歩まない、肉も結構楽しんでいます。アルバートを選んだ人生は本当の意味で賢い人生です。大正解でした。 私にはアルバートがある、自分の中の優しさと温もりを知っている、だから私はもういいんです、これ以上望むものはありません。肉は嬉しいし、のめり込むことなく楽しむことができます。苦しい心が出てもいつまでも引きずらない、ましてやそれによって振り回されることはない、自分の中でフッフッとアルバートヘ帰してやれることを学習しています。楽しいです。 田池留吉を思いアルバートを思う、肉の中にいながら肉のことをしながらふっと思うことができる、優しいなあ、嬉しいなあ、ありがとう、こんな毎日を過ごしながらやがてこの肉も終えていくのだなあと思っています。 私は真実の波動の世界に生きています。だから自分のことは自分で、自分の責任は自分でとる、厳しいけれどもこのことがどれだけの優しさと温もりを含んでいるのかが心で感じられます。この心とともに生きていける私は幸せです。長い間探し続けてきた幸せと喜びをほぼ手中に入れたことについて、もう何も言うことはありません。 真実を知らない肉はただの肉の塊に過ぎないけれど、その世界を知る肉は肉も信じられることを知って私の世界は飛躍的に変わりました。 今世私は父の病気を通し自分の中の暗い部分を早くから自覚して成長してきました。そしてひとつの現象をきっかけに真実の世界に飛び込んだ私は、この学び、そしてこの人に自分を賭けていけるのかと私の中で模索が始まり、その私の思いに応じて様々な試みのチャンスをもらい、そのチャンスを活かし私は自分の足で歩いてきました。それまで悩み苦しんできたことが全部私の血となり肉となり肥やしになっていることに気付かせてもらいました。そういう方々を通し苦しい心と出会っていた私に、それこそ次から次へと新風を送り込んでくれたセミナーに、そして田池留吉なる人物に、没頭していったのも当然のことでした。 田池留吉、その肉からは到底想像できない波動の世界を心で感じていくほどに、肉というものに対する思いは変わりました。真実を知らない肉はただの肉の塊に過ぎないけれど、その世界を知る肉は肉も信じられることを知って、私の世界は飛躍的に変わりました。 何を悩み何を苦しんできたのだろうかと思います。肉の塊に何を求めてもともに地獄に落ちるだけであることに気付けなかっただけでした。全く愚かでした。求めた私が無知であり愚かでした。ともに地獄に落ちましょうと広げてきた宗教の世界であり男女の世界でした。だけど地獄から浮上できるものを持たせてもらって生まれてきたことに今世私はようやく気付いたのです。その気付きが私の世界を変えていきました。 天変地異は当然の流れです。自分の内外から激しく揺さぶってくれる愛のエネルギー、間近に迫ってきていることを感じます。宇宙の変貌が心に伝わってきます。 殺すなら殺せ、死にたいなら死ねとやってきた、神を捨て母を捨て温もりを捨てて、すさまじいエネルギーを宇宙に撒き散らしてきた意識の集団です。そんな背景を抱えているのに未だ認識不足、だから中途半端、したがって今ひとつなんだと思います。イエス、ノー、はっきりして、イエスならその道をノーならその道を進めばいいのに、イエスと答えてノーの道を行っているから矛盾だらけです。 オールオアナッシングという言葉をご存知ですか。すべてを取るか、すべてを捨てるかということですが、その中間はないという意味から意識の世界にも当てはまると思います。 自分の現実を見ようとしない、認めようとしない心に成り下がってしまいました。だからもっと自分を震撼させるエネルギーを心に感じていく現象が必要なのでしょうね。生半可な現象ではおいそれと間違ってきた自分を目覚めさせることはできません。緩やかな流れではなく激流の中に自分を置いてこそ、真剣に自分と向かい合っていくのだと思います。それほどまでに人間の心は堕落してしまったということなんですね。 だから天変地異は当然の流れです。自分の内外から激しく揺さぶってくれる愛のエネルギー、間近に迫ってきていることを感じます。肉持って伝えにきてくれた田池留吉との出会いにより、それが実現されていくことが心で感じられ、宇宙の変貌が心に伝わってきます。すさまじいエネルギーで存在し続けてきた宇宙全体が喜びに沸き返る、今肉を持って知る現実です。 私は信じていっただけです。中から突き上がってくる思い、噴き上がってくる思い、肉で止められないその体験こそが動かし難い現実でした。それを私は頭で分析せずにただ感じ信じていったのです。 私は信じていっただけです。中から突き上がってくる思い、噴き上がってくる思い、肉で止められないその体験こそが動かし難い現実でした。それを私は頭で分析せずにただ感じ信じていったのです。まあ言えばそれほど衝撃的であったということでしょう。だから心で感じ心で分かっていく以外にどうしようもないと言えます。どんなにしても肉で分かる世界ではないということです。 私がどんどん広がって私はアルバートを信じるもの、私の中にアルバートが実在しますという思いが溢れ出てくる、同時に間違ってきましたという懺悔の思いも噴き出してくる、そして限りない温もりと優しさが心に充満してきます。これらはみんな頭ではないから、信じる信じないの範疇ではなく、ただ私にはそれが現実であり、その世界が確かにあることを私は告げているだけです。温もりに触れた意識達の思いだけが心に響き、そしてそれは紛れもなく私自身、私が噴き上がってきます。喜びがどんどん大きくなる、間違ってきた自分に出会うたびに喜びが大きくなっていく、それは肉の世界では絶対あり得ないことです。そこが肉基準と決定的に違うところです。その醍醐味を私の心は知っています。 温もりにどんどん触れていくから真っ黒がどんどん出てくる、真っ黒がどんどん出てくるからさらに温もりの世界へと浸透していく、そうですアルバートヘ帰っていく意識達の喜びは計り知れないものです。その喜びの道をあなたもどうぞ歩いていきませんか、ぜひ歩いていってくださいと伝えています。 なぜ生まれてきたのか、どうして苦しみや悩みがあったのか、すべては必要だったからです。私はこのことを本当に心で分かったのです。 肉をもらって生まれてこれたことが最高に幸せです。今世の人生、最高に幸せです。何があるからではなく私は本当に幸せなんです。お母さん、ありがとうございます、私は心の底からそう言える、今肉をもらってここにこうして存在していることが私の喜びすべてです。 こんな幸せな人生を生きたことがない、持てるものすべてを手中に収めた過去もあるでしょう、だけどそれは幻でした。すさまじいエネルギーを自分にぶつけて生きてまいりました。それがみんな私の中に今帰ってきている、喜びとして帰ってきてくれています。それが嬉しい、ただただ嬉しいです。私は今肉を持ってそんな世界を心に広げています。そして心からアルバートが伝えてくれる、ともに歩く喜び、ともに生きる喜びを私の中から伝えてくれています。ありがとう、ありがとうしかありません。 私はこれから二五〇年、三〇〇年かけて大きな仕事をなしてアルバートとともに次元移行をしてまいります。それが心に今しっかりと感じられる、そしてそれが私の歩むべき道なのです。今世その道をしっかりとつけることができました。私の今感じている喜び幸せはもちろん言葉で表現することなどできません。 なぜ生まれてきたのか、どうして苦しみや悩みがあったのか、すべては必要だったからです。私はこのことを本当に心で分かったのです。すべては自分に必要であったこと、すべては自分が選んできたこと、頭でなく心で分かった私は、今本当の喜びと幸せの中に存在しています。 簡単に真実の道は歩けません。そびえ立つ自分というものになかなか気付けないようにしてしまったのは自分です。そんな世界を抱えながらではアルバートとともには歩けないのです。心で感じ広げている世界は己の宇宙、己の世界です。 気付くということが最も大切なことだと思います。そのためのセミナーであり、ホームページです。 私は何も分かっていなかった、全く違う方向を向いて学んでいた、私はこの道だと思ってきたがその方向は大きくずれていた、セミナーがある間に、そして田池留吉の肉がある間にそう気付かれたなら、それは大いに結構、しかしそれは難しいですよとお伝えしておきます。それはその方が肉をつかんでいることに気付けないからです。そんなに簡単に真実の道は歩けません。そびえ立つ自分というものになかなか気付けないようにしてしまったのは自分です。そんな世界を抱えながらではアルバートとともには歩けないのです。心で感じ広げている世界は己の宇宙、己の世界です。 また今世も教祖の思いを心に広げられた方はよほどの反省がない限り、やはり過去からの栄光とおぼしき思いに引きずられていきます。そんな栄光などどこにもないのに自分で握って苦しみの中にはまり込んでいるのです。そこからUターンする道は険しい、しかしやるしかない、自分で広げていった世界は自分で回収する以外にないということを、どこかで気付いていかなければならないでしょう。 どちらも大変です。そのことをどれほど心で感じられているか私には分かりませんが、大変厳しくて険しい道であることだけは伝わってきます。 意識の流れにみんな任せてアルバートとともに存在している私を感じるとき、私は最高に幸せです。 私は私だけの世界を見ています。心で感じています。自分の中で本当にアルバートを思う思いだけを見続けています。そして本当に幸せで喜びの私と出会っています。アルバートを呼ぶとき、アルバートを思うとき、アルバートに心を向けるとき、私は本当に幸せです。その意識の流れにみんな任せてアルバートとともに存在している私を感じるとき私は最高に幸せです。そのときの私をこの愚かな肉の私も信じられる、これが本当の私の世界だということが信じられる、だから私の心は後戻りしないのです。そしてこの波動の世界を心で感じている私にはもう何も要らないということも本当なんです。何も必要としない、私の心に本当の幸せと喜びを思い起こしてくれたアルバートの世界、その波動です。 核からのメッセージ、書かれているものすべてを理解してもらおうとは思っていません。反発されてもいいんです。私は心で感じたこと思っていることを、そのまま語っているだけです。間違い続け苦しみ続けてきた私が、ようやく自分の中で真実の世界と出会えたという現実を伝えているだけです。 私の心から溢れるように出てくる思いは、今世肉を持って田池留吉に出会わせて頂いた喜びです。アルバートを伝えてくれた田池留吉にただただありがとうございました、その思いが溢れてきます。私に本当の喜びと幸せを伝えてくれた田池留吉の世界に心を合わせていける私は幸せです。 自分自身が蓄えてきた莫大なブラックのエネルギーと真正面からもう一度向き合うために、今私はその準備の時間を自分に用意しています。すべては二五〇年後に備えるための今のこの時間と空間だと思っています。 心に感じた確かなものがあるかないか、そしてそれが本当の自分の心の世界だと信じられるものであるのかどうなのか、自分を支える心棒がしっかりしていれば、何があっても何も問題はありません。心が揺れることはあっても、そしてその揺れの大小はあっても、心を合わせることができれば、心を向けていくことができれば、後は信じる信を自分の中で確認しながら流れに沿って対処していけばいい、これが本当の処世術だと思います。所詮この世のことに大したものはない、それをつかんで握って苦しんだり悲しんだり嘆いたりしているだけのことだということが本当に分かれば、握っているものを離せばそれでいいことです。 私はアルバートの世界を感じています。アルバートとともにある自分を確認しています。だからそういったものを離そうとする前にくだらないから握らないだけのことです。そして以前に握ったものはいつの間にか小さくなっています。私の中で価値があると思っていたものが干からびて色褪せたものにしか映らなくなりました。 それよりも私自身が本当に探し求めてきた世界と今出会っている、そしてこれだけがただひとつ待ち続けてきたものだと私に伝えてくれる、これほど確かなことはありません。 自分自身が蓄えてきた莫大なブラックのエネルギーと真正面からもう一度向き合うために、今私はその準備の時間を自分に用意しています。すべては二五〇年後に備えるための今のこの時間と空間だと思っています。 私の中で過去からのものみんなが二五〇年後を指し示しています。間違いなく意識の流れの中にある私です。 そう、すべては二五〇年後です。二五〇年後の来世に繋ぐための今世です、今世のセミナーでした。今世生まれてきた意味、そしてセミナーが開かれてきた意味、よく分かります。私の中で過去からのものみんなが二五〇年後を指し示しています。間違いなく意識の流れの中にある私です。 田池留吉と出会うために肉を持ちました、アルバートと出会うために肉を持ってきます、私はその意識の流れの中で喜びで肉を持つということを心で感じています。肉は必要不可欠です。もちろんエネルギーは莫大です。だからこそ出会いがあった。そしてそれがすべてであり、すべてが喜びと化していきます。そのことを今世心で知った私は幸せだ、嬉しい、ありがとうの思いがどんどんどんどん沸き出てきます。 二五〇年後はすごい展開になっていくことが感じられます。だから肉は一旦どん底に落ちる、そこから再び蘇ってくることが必要なんです。すべてにおいて意識の世界は正確で無駄がない、流れを感じる私にはそれが嬉しいだけです。本当にありがとうだけです。 田池留吉と私、肉は別々、しかし私はその肉を通し自分の世界を見ることができます。私はあなた、あなたは私、意識はひとつということ、そして肉と意識もまたひとつということを肉を持って知り感じ得た今世、ああそれはもう言葉にはなりません。よくぞ出会って頂きました、ありがとう、本当にありがとうございました、その思いしかありません。 私は田池留吉、アルバートとともに歩いていく意識です。肉も意識もひとつになってともに歩みを進めてまいります。 意識の流れの中のセミナーであることをあなたの心で分かってください。意識の流れの中で今世このようにセミナーが開かれていることを、あなたの心で本当に知っていってください。 意識の流れの中のセミナーであることをあなたの心で分かってください。意識の流れの中で今世このようにセミナーが開かれていることを、あなたの心で本当に知っていってください。 もちろんセミナーのときだけではありません。今世の今のこのときがどれほど貴重な時間空間かということを、本当にどれだけの方が心で分かっておられるでしょうか。やはり己が偉い方が多いようですね。皆さん、少し感じれば私はアルバートの世界を感じた、私の意識の世界はもう二五〇年後に繋いでいる、私はこの学びをやっています、ということですが、それはとんでもないこと、とても甘い考えだと思います。学びの入りロに立っている方なんて数え切れるほどです。今そういう状態で今世のセミナーもあと僅かを残すだけとなりました。 本当にあなたが二五〇年後に繋げるかどうかは今そしてセミナー後どんな時間を過ごしていくのか、ひいてはそれが二五〇年後までの間の転生においてどのような心の世界を描いていくのかに係っています。今セミナーがある間に自分の中できちんと心を作っておかないと大変難しいということを何度も伝えてきました。セミナーに集ってきたから、集っているからなんていうことはあまり関係がない、それほど肉に戻るのは容易いということです。 私は本当に心からアルバートを信じ、アルバートとともに歩いていく仲間達とセミナーの時間空間を持っていきたいです。それがほんの少数の方でもいいんです。もとよりそんな平易な道ではないことを私は充分承知しています。 セミナーに集えるということほど贅沢なものはないと私は思います。セミナーに集われている方はみんな本当に恵まれています。 セミナーに集えるということほど贅沢なものはないと私は思います。セミナーに集われている方はみんな本当に恵まれています。何度も何度もその耳を通し、その目を通し、そして身体全体で真実の世界に触れさせてもらって、これほど幸せなことはないではないですか。後はやるかやらないかだけです。ただし我流ではなく素直にただ素直になっていけば道がすっと開けてくるということでしょう。そしてそれをまた淡々と素直に受けていけばいいだけのことです。決して平易な道ではありませんが、そういう意味で非常に平易かつシンプルです。そう、アルバートヘの道はシンプルなんです。 ところで今、肉で苦しみ悩んでいる方はまだその段階なんです。その段階の方がアルバートの世界や田池留吉の宇宙が分かるはずがありません。と言ってもうだめだとか落ち込むのではなく、肉はとことん苦しんで悩んで、やはり最後は自分で結論を出してという道筋を踏んでいかなければならないでしょう。それを飛ばして、その道筋を踏まないで他力的に学びで伝えられていることを求めても心は納得しません。落ちないで傷つかないで失敗しないでというのでなく、落ちるところまで落ちて納得し気付けることもあります。それがその方のアルバートヘの道かもしれません。とにかく自分の心で感じて自分の心で納得しない限り、いくらこれが本当のことだとお伝えしても決してその方の心には届かないでしょう。それが意識の世界の真実です。みんなそれぞれに設定してきたものがあります。それを喜びで受けていける心があることを知っていくことが、本当の喜びの道、アルバートヘの道です。 自分の苦しみは自分にしか分かりません。だから自分で解決していくしかありません。その手立てが分かっている人と分からない人で肉の人生、すなわち意識の世界が全然違ってきます。 自分の苦しみは自分にしか分かりません。だから自分で解決していくしかありません。その手立てが分かっている人と分からない人で肉の人生、すなわち意識の世界が全然違ってきます。そのことを私達は今世学習してきました。もう自分に甘え人に甘えていくのはやめにしましょう。 私は今世のこの人生、まっとうしていきます。途中で投げ出したりしません。自分に課してきたものを最後まできちんと自分の中で見つめていきます。それはアルバートを知っているからです。アルバートを信じているからです。アルバートとともに自分の中の思いを見つめていくことが、私の幸せであり喜びであると本当に心から思っているからです。 私に救いの手を差し伸べるものは私自身です。私の心です。私は今世そのような自分の世界と出会いました。肉の私ではなく私の世界と出会ったのです。そしてその私が私に指し示している方向を辿っていけばいいということを感じています。その方向をきちんと知っているのだから、自分は本当に幸せだと心から思います。肉は幸せや喜びを探さなくてもいい、そのために自ら苦しみの中に飛び込むことももうないし何もありません。 私はこれからの時問、空間ゆっくりと来世に向けての心準備を整えていくことに費やしていくことでしょう。そのためにみんな整えられていることを私は感じています。私の中ではすべてが二五〇年後を指し示しています。 実際そのときになってみないと分かりませんが、たぶんこの肉にありがとうと心から言えるのではないかと思っています。もう決して死にたくない、死ぬのは怖い、そうやって暗い思いに沈んでいくことはないだろうと思います。 私の中のテーマのひとつ「死」というものについて、私の思いを率直に語らせてもらいます。 「死」を恐怖し「死」というものは触れたくもない考えたくもないものでした。だからこそ今世の私は「死」をひとつのテーマとして持ってきたのだと思います。「死」を通して心を見ていく現象を自分の転機となる場面に配置してきたと私自身思っています。学びのきっかけはもちろん「死」でしたし、心の転回を促したのもまさしく「死」でした。「死」という場面を迎えることにより私自身新たな局面に立ち、そこでまたひとつハードルを超えていったようなそんな感じです。一歩また一歩と自分の中の真実の世界に触れていくような、踏み入っていくような、それが今世の私にとっての「死」という現象だと思います。 私達は心を学ぶために様々な教材を用意してきましたが、私はやはりこの人の「死」というものを通して自分の心を見ていく、自分の心を確認していく、そしてまた一歩を踏み出していく道筋を自ら選んできたと思います。そして最終的には見たくもない触れたくもなかった自分の「死」を、どのように受け入れていくかということだと思います。 今現在の私は恐怖心もだいぶ和らぎ、実際そのときになってみないと分かりませんが、たぶんこの肉にありがとうと心から言えるのではないかと思っています。もう決して死にたくない、死ぬのは怖い、そうやって暗い思いに沈んでいくことはないだろうと思います。 真実の世界を垣間見たけれども、どこかで自己弁護をする思いが残されていたならば、喜びもまたその程度のものでしかないということでしょう。 田池留吉、その世界に心を合わせていけば、ありがとう、ありがとう、ありがとう…、その思いが広がっていきます。アルバートが伝わってくる、アルバートが呼びかけてくれる、アルバートに呼応している私がいます。幸せです。 私は今喜びで閉じていくセミナーのことを思います。たくさんの本当にたくさんの喜びをありがとうございました。ともに学ばせて頂いたことが本当に嬉しいです。もちろんこれからの一回、一回のセミナーもきっと素晴らしいセミナーになっていくことでしょう。ともに歩ませて頂くことがただただ嬉しいです。 何もかも自由でどんな人生を描いていくかもその人の自由、みんなそんな自由の中で平等に時間も空間も与えられている、自分に自分が与えているということに思いを馳せれば、本当に幸せだなと思います。いつまでもどこまでも信じて待ってくれているものが確かにある、確かにありました。 私自身今世そのような波動の世界に触れさせてもらって、本当に生きるということを自分の心で知りました。愚かな道を歩き続け真っ黒を垂れ流してきた、今はそのことが本当に嬉しいです。だから気付けた、だから本当のことが心で分かったと思っています。間違ってきたということがその心で本当に分からなければ、決して本物は分かりません。 真実の世界を垣間見たけれども、どこかで自己弁護をする思いが残されていたならば、喜びもまたその程度のものでしかないということでしょう。 心が敏感で心に感じるものがある、今それは一応横に置いておいて、全く白紙の状態で残りのセミナーに臨まれることをお勧めします。そしてそれが本当に難しいことを学んでいってください。 くどいようですが、セミナーはお遊びではありません。同窓会ではありません。骨休みするところでもありません。といって別に心を緊張させてセミナーに参加してくださいとは申しませんが、どこかピントがずれているのではないかと思えてくるのです。様々な思惑、それから動機目的を抱えておられます。ぜひ見直しをと思います。 私は苦言を呈する思いはありませんが、それではあまりにも時間も何もかももったいないなあと思うだけです。肉の時間は確実にときを刻み過ぎ去っていきます。セミナーが終わった時点ではもうどうしようもないということが、まだ切実に感じておられないようですね。セミナーが終わるまでに何とかなるだろう、何とかしてくれるだろう、そんな廿い考えは一日も早く捨ててください。何ともなりません。 真実の方向、全くその方向とはいかないまでもそちらの方向に自分の心を向けていくのは、言うまでもなくあなた自身です。それができるのは田池留吉でもセミナーでもありません。あなたです。あなたの心です。あなたがそれを拒否していれば、どんなにしても真実はあなたの心に届かないということを、もう早く素直になって知っていってください。 心が敏感で心に感じるものがある、今それは一応横に置いておいて、全く白紙の状態で残りのセミナーに臨まれることをお勧めします。そしてそれが本当に難しいことを学んでいってください。いかに愚かな自分であったか心で確認してください。 アルバートを心から信じ、アルバートを求める思いに何の邪念もない方が、本当の私達の仲間です。それ以外の方はともに歩むことはできません。それが意識の世界の真実です。 アルバートを心から信じ、アルバートを求める思いに何の邪念もない方が、本当の私達の仲間です。それ以外の方はともに歩むことはできません。それが意識の世界の真実です。肉でどのような思いを向けられても、ともに歩むこともともに生きていくことも叶わないことなのです。 あなたがあなた自身の心の世界を覗かれたなら分かるはずです。どんな思いを持ってセミナーに集っているのか、どんな思いで田池留吉の肉を見て、どんな思いを出しながらアルバートを呼んでいるのか、もっとシビアに見ていってください。そのような自分の心を素通りのままでは真実の波動の世界など分かるはずがありません。 自分に与えている時間です、もっと自分を大切になさってください。もっとするべきことがあなたにはあるはずです。それをしないで自分の心の世界は何も変わることはありません。 他力の中にすっぽり埋もれている心を、どうぞ一日も早く自分の心で気付いていってく ださい。話を聞いて分かるものではありません。自分自身の気付きがなけれは何も変わらないということです。変わったかのように見えてもそれは錯覚に過ぎない、その証拠にセミナーが終わりホームページが終わり田池留吉の肉が無くなっていけば、やがて肉、肉の生活に戻っていくでしょう。別に驚くこともない、もともと肉、肉であったというだけです。そうは思いたくないけれど、それが現実なのではないでしょうか。それを心で知ってその肉を終えていかれるのも、またいいのかもしれません。 間違えないでください。素晴らしいあなただから喜びに温もりに出会えるのではないのです。真っ黒で真っ黒で真っ黒でどうしようもないあなただから、だから喜びが温もりがどんどんどんどん沸いて出てくるのです。 ともに学ばせて頂いたことが本当に喜びです。どんなにすさまじい心を語ろうともすべてが喜びです。今私達は許されてこのような時間と空間を与えられています。心の底からの叫び、私にはもうただ嬉しくて、本当にありがとう、ありがとうの思いが心を駆け巡ります。 どうぞアルバートをほんの少しでも感じられるあなたに蘇ってください。何度も言ってきました。それにはあなた自身が自分で作ってきた壁を自分の心の中で突き破らない限りどうにもなりません。今回の波動のお勉強もその難しさと、しかしそうしていけば、全く別世界の自分に出会える体験をされたことでしょう。 間違えないでください。素晴らしいあなただから喜びに温もりに出会えるのではないのです。真っ黒で真っ黒で真っ黒でどうしようもないあなただから、だから喜びが温もりがどんどんどんどん沸いて出てくるのです。 あなたはどうか知りません。だけど私は絶対に田池留吉を裏切りません。それは心を縛っているのでもないし裏切らないぞと頑張っているのでもない、私はともに歩きともに生きていくことが喜びなんです。それが私だからです。それが自然、ともに意識の流れの中に存在することが自然なんです。これが波動のお勉強の場に座らせて頂いている私自身の感想です。 私には分かる、すべてが喜び何もかも喜びです。たくさんの意識達との出会いが私にはただただ嬉しいだけです。ともに帰ろう、そう優しく呼びかけていける自分の心が嬉しいです。 セミナーに集えるということは大変なことなんです。それは自分の作ってきた世界が崩れ出していけばよく分かります。今世肉をもらってセミナーに集えるということがどれほどの喜びであるのか、よく分かります。 お金も時間もその他のことも、みんなそれぞれに調整してセミナーに集われているはずです。中にはそうでない方もおられるかもしれませんが、セミナーに集えるということは大変なことなんです。それは自分の作ってきた世界が崩れ出していけばよく分かります。今世肉をもらってセミナーに集えるということがどれほどの喜びであるのか、よく分かります。 みんなそれぞれに大変な世界を抱えて存在してきました。そのことを心で感じてこられた方とそうでない方、当然セミナーに対する思いは違っています。それは田池留吉に対する関わり具合にも表れてきます。もちろん肉での関わりというのでなく、セミナー中に自分に巡ってきたチャンスを真正面から受けていくとか、心が納得するまで食い下がるとか、これまで費やしてきたセミナーを振り返るとき、私自身はそんな感じがしています。 今現在、自分の中が半煮えみたいで中途半端な方はおられませんか。みんな納得ですか。このままであなたは死に切れますか。確かにそれぞれみんな進み具合は違います。それはそれでそれぞれのシナリオがあるのだからいいんです。しかしそのそれぞれの時点で必ず自分の心で納得していってください。私は今世はここまでだとしても、心で納得できるような学び方をしていってください。後でブツブツ、ジメジメはなしにしましょう。今精一杯誠実に学んでください。 肉の世界から自分を見つめ、苦しみのた打ち回ってきた自分自身から、今世やっとその肉の世界から離れて自分を見つめることができました。私は幸せな存在でした。 私は自分の中の膨大なエネルギーを心で見つめています。狂い続け苦しみ続けてきたそのエネルギーが、今たまらなく嬉しいと心で喜びの雄叫びを上げています。今肉を持ってこのように真実に触れるチャンスを用意してきた、自分にチャンスを与えたその思いに私の心は触れています。ようやく今世真実にたどり着いた、私は喜びでした、私は温もりでした、その思いが心に広がっていくとき、本当に今世肉を頂いて生まれてきたことに代えるものは何もありません。 田池留吉を通して流れるアルバートの波動、私の心に真っ直ぐに届きます。意識達がすぐさま反応して私の肉はどこにもありません。心と心が反応し、ただ真っ直ぐにアルバートを呼んでいます。懺悔とともに沸き起こる喜びはまさに私自身、アルバートを待って待ち続けてきた私の心の叫びです。そんな自分自身を心で迎え入れるたびに嬉しさが喜びが広がっていきます。肉を持てたことが嬉しい、本当に嬉しい、この肉は私であって私でない、しかしこの肉にはただただありがとう、です。私は今そのような気持ちです。 肉の世界から自分を見つめ、苦しみのた打ち回ってきた自分自身から、今世やっとその肉の世界から離れて自分を見つめることができました。私は幸せな存在でした。 アルバートの波動が形となって表れてくる二五〇年後、私もまたひとつの肉を頂きます。ひとつの肉を頂くこと、それだけでもう充分幸せな私でした。 あなた自身が他力の神々の世界を大きくとらえているだけで、アルバートの波動の中ではそんなものは本当にちっぽけな世界だということを、本当にあなた自身の心で一日も早く気付いていってほしいと私は思います。 波動のお勉強であるいは喜び、幸せ、ありがとうのお勉強で自分の心で感じ自分の心に響いてきたものだけを信じていってください。間に絶対人を入れないことです。そういうことをしていれば、いつまで経っても他力の渦の中から抜け出せません。自分の心を自分が信じられなくてはどうしようもありません。 例えば波動のお勉強で言えば、肉にもうひとつ響いてこない方であっても、中の意識達はその一歩を踏み出しています。そのことを肉のあなたが素直に受けてくださればと思います。あの場では肉と肉は向かい合っているだけですが、私とあなたの世界はひとつです。私はあなたの意識達を心で感じています。どんなにすさまじい思いを叫ぼうとも、たとえ今他力の神々にがっちりであっても、私の心に響いてくるのは意識達の喜びです。今ようやく温もりの世界を垣間見たその意識達の思いが心に伝わってくるのです。嬉しい、素直に喜んでいる意識達は本当に優しいです。そしてそれがあなたですよと私は伝えています。 あなた自身が他力の神々の世界を大きくとらえているだけで、アルバートの波動の中ではそんなものは本当にちっぽけな世界だということを、本当にあなた自身の心で一日も早く気付いていってほしいと私は思います。 ともに帰る道をこのように三次元の中で伝えてもらい、その呼びかけに応じていける設定が施されている、至れり尽くせりの私達です。本当に幸せ者の私達です。 私の喜びはアルバートを感じること、アルバートを呼べること、アルバートとともにあることです。 私の喜びはアルバートを感じること、アルバートを呼べること、アルバートとともにあることです。私の中には、私はできている、私は素晴らしい、はありません。私は嬉しいだけです。本当に嬉しいです。アルバートと出会えている私は自分自身がどんなに幸せなのか、今世の出会いがどんなに喜びであるのか、それしかないのです。もちろん肉の次元まで降りてくると、肉は馬鹿ですから色々と思います。しかしそれも私の心に長く留まることはない、自分自身の歩いていく方向にそれらのものも溶けていくような感じです。 ともに生きともに歩いていくということ、本当のそれを心で知ったことが私にはもう嬉しくて、こんなに幸せなことはありません。求めても求めても決して分からなかったものが、ようやくこの心で分かった、だからそれがたまらなく嬉しいです。間違い続けてきた自分に苦しかったねと一言言ってやれることが、どんなに優しいことなのかということも、自分自身が教えてくれています。優しいです、たまらなく優しいです。生んでもらってこんなに優しい嬉しい時間と空間を持てるなんて、自分自身が流してきたエネルギーに思いを馳せるとき、ただただ涙が溢れ出てきます。 私とあなたはひとつですよ、ともに生きていきましょう、アルバート、本当にありがとう、待っていてくれました、アルバート、本当にありがとう。 地獄の底の底の奥底に沈んでいる自分と出会わなければ真実は分からない、どこまでもいつまでもそびえ立つ頑固で強情な自分自身を抱えていれば、真実の世界は絶対に分からない、これが私の体験を通して真っ直ぐに伝えられることです。 自分が流し続けてきたエネルギーを思うにつけ、今私がこんな時間を自分に与え、こんな幸せな自分の世界と出会えているなんて、私はこの胸が張り裂けそうなくらいの思いです。もちろんすべては意識の流れの中の必然ですが、私にはもう何もかもありがたいです。それほど間違って間違って存在し続けてきた私です。喜びを温もりを感じれば感じるほど、そのような過去からの自分の歴史が心に映し出されてくる、だからすべてが嬉しい、何もかもみんなみんな嬉しいです。 私達はエネルギーです。そして私達のエネルギーはとてつもなく大きいです。しかし私はその中で今世目覚めを予定してきました。田池留吉と出会うことにより、マイナスをプラスに転じていく過程を今世の私は歩ませて頂いています。自分の心でしっかりと歩いてきた体験を語っているので、言を左右にすることはありません。 私は前々から申してきました。地獄の底の底の奥底に沈み込んでいる自分と出会わなければ真実は分からない、どこまでもいつまでもそびえ立つ頑固で強情な自分自身を抱えていれば、真実の世界は絶対に分からない、これが私の体験を通して真っ直ぐに伝えられることです。 皆さん、自分の世界を崩しているようでまだまだ崩れていないのが現状です。生まれてこれたこと、生んでもらったこと、これだけでよかった、そうこれだけでよかったということが心で本当に心の底から感じられなければ、何も分かっていないということです。 他力では一歩も進めない、そして自分自身と真向かいになる優しさが非常に大切だと思います。 肉の甘えがあなたの心にはないでしょうか。たとえばどれだけ田池留吉の話を直接聞く機会があり、そして親しそうに話を交わしても、心の世界、意識の世界は全く別物です。本当の仲間でなければ、ともに生きていくこともともに歩いていくこともできません。この学びで一貫して伝えられている通り、自分自身が心を見て自分の間違いに心で気付き、そんな自分自身を受け入れていくことの実践がなければ、どんなに先生と慕い、またセミナーに集っても徒労に終わってしまうということです。 確かに先生は誠心誠意私達とつきあってくれています。きっと肉ではあの人もこの人もという思いはあると思います。長く学んでこられた方々ならその思いもひとしおだと思います。しかし肉はそう思っていても意識の世界はそうはいきません。それぞれの気付きがあって初めて自分自身の心で進んでいける道だからです。そのことを何度も何度も寄せては返す波のように優しく優しく伝えてくれて頂きました。しかし肉の廿え、すなわち他力の心のままではその思いはあなたの心に真っ直ぐに届かないです。恨みつらみ、自暴自棄、真っ暗な穴蔵の中から抜け出せない自分、真っ暗な坂道を転げるように転落していく自分を受け止めてやれるのは自分しかないということを、心で気付くまでどうすることもできない、私はそう思います。他力では一歩も進めない、そして自分自身と真向かいになる優しさが非常に大切だと思います。 地位や名誉や財産、そんなものいくらこの世に残しても仕方がない、私達はそんなものを手に入れるために生まれてきたのではない、あなたの心の中であなたが叫んでいます。 肉持つ時間を本当に大切になさってください。真実を知らない意識達にはその今のひとつの肉だけが頼りです。今世学びのチャンスを与えてきたあなたには、もうその意識達の思いが心に切実に響いてきていると思います。肉がなければ真実に触れるということは絶対不可能です。肉があっても自分の中で真実に触れていく、真実の世界を広げていくことがどれだけ難しいことなのか、長く学ばれてきた方はそれは実感でしょう。 地位や名誉や財産、そんなものいくらこの世に残しても仕方がない、私達はそんなものを手に入れるために生まれてきたのではない、あなたの心の中であなたが叫んでいます。生んでもらった瞬間から私達はすでに莫大な財産を与えられています。そうです、肉を持つ時間は私達にとってかけがえのないものです。どんなに心が苦しくて狂いそうでも、あなたには今その肉がある、今肉があるということがどんなに幸せなことなのか、私はそう思います。 肉の勝手で大切な自分の時問を使い込んできたことをまず自分に詫びて、そしてそれから襟を正して自分とともに生きていくことが私は本来の人間の姿だと思います。あまりにも傲慢に存在し続けてきた私達でした。母の思いをことごとく踏みつけてきた私達でした。それでも今世このような時間と空間を用意してきた私達であることを心で感じ入るたびに、言葉も何もなくただありがとうございますが繰り返されるだけです。 私はいつも「死」を心に留めながら学んできたように思います。もうひとつの私のテーマは「愛」でした。だから学びに触れたときからセミナーは私の心をつかんで離しませんでした。 私もあなたもやがてその肉を離すときが必ずやって来ます。肉をもらってきた私達にはそれは避けて通れません。病気になり医学処置の結果一時寿命が延びても、やがてときが来れば肉体細胞は朽ち果てていきます。 そういうことを見つめながら、あなたは学んでこられましたか。私はいつも「死」を心に留めながら学んできたように思います。もうひとつの私のテーマは「愛」でした。だから学びに触れたときからセミナーは私の心をつかんで離しませんでした。ここに私が探し求めてきたものがある、その思いで私は自分なりにセミナーを消化してきました。 私は私の目で、耳で、そしてこの心で、しっかりした足取りで歩んできました。自分のエネルギーをセミナーに集中させてきた、決して生半可なお遊びではなかったです。ふたつのテーマを何としてでも自分の中で消化していきたいという思いがありました。やがてそれが田池留吉の指し示す方向だと自分の中で確認があったのです。自分の心が叫びました。本当に嬉しかったです。長い転生を繰り返してきた心の歴史の中で探し求めてきたものにようやく巡り合った、その手ごたえは私の中で充分でした。 肉を離すとき、離した後、その現実をしっかりと見据えながら私はこれからも自分の確信した道、アルバートの道を一歩、一歩歩んでいきます。それが自分が本当に望んできたこと、そう心で確認できたことが今はただただ嬉しいです。 ゆったりとした時間が自分に今許されているほど贅沢はないと思います。どうぞあなたのその時間、母を想いアルバートに心を向ける時間に使ってあげてください。 日々の生活に明け暮れ、日常雑多なことに一日の大半を過ごされている方は、やはり自分と真向かいになることは難しい、しかし一方では学びをしているという思いがあるから、その狭間で苦しんでいる方も今現在あることでしょう。皆さんそれぞれに事情があると思いますから一概には言えませんが、ゆったりとした時間の中、すべてが緩やかに流れていく中でこそ本当に自分と対時していけるのではないかと私は思います。肉が忙しい人、それはすなわち心もまた忙しいということです。そして忙し過ぎれば心など見る余裕はありません。反対に見たくないから忙しい中に肉を置いている方もあると思います。 ゆったりとした時間が自分に今許されているほど贅沢はないと思います。そういう方はもう何も望むものはないでしょう。自分の来し方を振り返れば、いくらでも喜び幸せは感じられる、間違い続け苦しみ続けてきた自分が本当に今このときを得て喜んでいると思います。 肉のあなたはもういい、もう充分やってきました。どうぞあなたのその時間、母を想いアルバートに心を向ける時間に使ってあげてください。そうやって日々、一日一日を過ごせていけることが、どれだけ幸せなことであるかということを心でかみしめながら、肉の時間を大切になさってください。 いずれ肉を離したときあなたの世界が、あなたにもろに覆いかぶさってきます。それは今あなたが心で感じている程度のものではありません。田池留吉を思う、アルバートを呼ぶ、とてもじやないけれどそんな生易しい世界ではありません。 肉を離せば私達はそれぞれの意識の世界へ帰っていきます。そしてそれがどんな世界なのか今上げ底なく知ってこそ、学びを真剣にとらえていけるのではないでしょうか。 人は必ず死にます。その肉を離すときがやってきます。私はこのことを心に置きながら学びを進めていかなければ、やはりどこかで道がそれていくように思います。会社が倒産したとか子供がどうとか身体的な不都合で苦しんでいるとか色々な問題を抱えておられても、やはり最大のイベントは自分の死に直面することだと思います。もちろん自分の死だけではなく自分の周りの人の死、このことにより自分の心がはっきり見えてくるのではないかと思われます。命あっての物種の言葉にあるように、肉の命に執着する思いは一番強いのではないでしょうか。 そしてまた肉の別れが悲しいとかつらいとかそういったものだけでなく、もっと心の底からの叫びが死という現象に出会うことにより浮かび上がってくると私は思います。それをしっかりと受けられる心の土台がなければ、何も学んでこなかったと言っても言い過ぎではないでしょう。 死は単に肉を離すということですが、自分の心でしっかりと学んでいなければ、それはそれは大変なことだと思います。周りの人の死、そして自分の死、この現象はどなたにも配給があります。そしてそれにより自分の立っている土台がどのようなものであるかがはっきり分かってくると思います。 肉を離せば私達はそれぞれの意識の世界へ帰っていきます。そしてそれがどんな世界なのか今上げ底なく知ってこそ、学びを真剣にとらえていけるのではないでしょうか。 今自分が立っている土台を完全に崩していくことが何より大切なことです。間違った土台の上に立っていることを波動のお勉強を通してご自分の心で体験なさることがすべてなんです。 肉離せばもちろん頭もなくなるということです。頭で感じているものは何の跡形もなく消え去るということです。真実から遠い意識の重さをあなたはその心でご存知ですか。チャネリングとはその波動の世界の違いを心で感じていくことではないでしょうか。言葉ではありません。その口からどんな思いを語り、どんな過去世を語っても波動の違いをその心で感じられなければ、本当の意識の世界など分からないです。分からないから間違ってきましたということがその心から噴き上がってきません。そんな方はどんなに心が敏感でもどんなに私は学んでいますと言われても、全く真実の世界とはかけ離れています。今自分が立っている土台を完全に崩していくことが何より大切なことです。間違った土台の上に立っていることを波動のお勉強を通して、ご自分の心で体験なさることがすべてなんです。言葉など必要としません。私はいつもそのようなつもりであの場に肉を運んでいます。あなたの土台は間違っています、私ははっきりとあなた自身に伝えています。そしてそのことを素直に受け入れてもらえることが私には喜びです。私達の世界にはアルバートしかないことを、本当にあなた自身が心で知っていってほしいと私は思うだけです。 そしてそのような中で、ともに歩む仲間に出会うことがまた私達には嬉しいです。苦しみの自分も間違いの自分もみんなみんなアルバートとともに歩いていきましょう、その呼びかけにただ喜びで応じてくれる仲間に出会えることもまた喜びです。 他力のエネルギーは根深いです。本当の自分を信じていくことは難しいです。その難しいことを私達は今世充分な時間を頂き学ばせてもらいました。 私達はもともとひとりひとり、真実を求めて存在してきました。間違っても間違ってもまたチャンスを自分に与え、七転八倒の苦しみの中を存在し続けてきました。今世ようやくその真実が形となって私達の目の前に示されました。しかしそれは私達の前に提示されただけで、自分の足で自分の心で歩んでいくことをしなければ、真実は自分の目の前をただ通り過ぎていくだけです。 他力のエネルギーは根深いです。本当の自分を信じていくことは難しいです。その難しいことを私達は今世充分な時間を頂き学ばせてもらいました。どれだけ真実に逆らって存在し続けてきたかは、それぞれが自分の心を見て自分の放出してきたエネルギーをその心で感じれば一目瞭然でした。 私は私のすべてを今許されてここに存在を許されていること、そして自分を生かしている優しい温もりを心に感じています。だからどんなにしても、もう私は私自身を離していくことはありません。戻っておいで、母の思いが心に響いてきます。肉の私は愚か者ですが、私自身の思いをしっかりと感じこの心で信じています。それが私には田池留吉の世界でありアルバートの世界なんです。だから思うだけでいい、思えることが私にはただひとつの真実です。 心を見てください。見ていきましょう。そうやってどんどんどんどん私達に迫ってきます。様々な現象を通して寄せては返す波のように真実の声が伝わってきます。 心を見てください、見ていきましょう、そうやってどんどんどんどん私達に迫ってきます。様々な現象を通して寄せては返す波のように真実の声が伝わってきます。これからそのことが益々顕著になってくるでしょう。いよいよ実践を通して私達ひとりひとりが心で学んでいくということでしょう。もちろんこれまでもそうであることには違いはなかったけれど、まだまだ私達の心の中には甘さがあるということは否定できないのではないでしょうか。セミナーがありホームページがあり田池留吉の肉がまだあるという安心感が、心の中に占める割合は非常に大きいと思います。そういったことを含めて、自分の中を見定めて自分というものを確立していく道を心に広げていくことが、よりいっそうこれからの時間に望まれることだと思います。ところで肉があれば心の衝撃も動揺も当たり前、だからこそ肉があるのです。程度の差こそあれみんな心は揺れるし衝撃も受けます。肉はみんな同じ、肉の表面では同じような思いを出していると私は思います。しかしそこからです。それを転回する術を会得しているかどうかということでしょう。それには肉を持ってきた意味を心で知り、その喜びを本当に心に感じているということが絶対条件です。 私にはアルバートに対する絶対の信があります。一瞬あるいはある時間心が揺れても、自分の中にはアルバートしかないというところに帰着します。その繰り返しの中で肉の時間は流れ、そしてそれはみんな意識の流れの中にあるということを私は感じています。 これから起こってくる天変地異は今までとは全く比較にならないほどの規模ですが、それらは愛のエネルギー、喜びのエネルギーであることをきっと知っていける私達であると思います。 アトランティス大陸、ムー大陸が沈むときに大きく関わってきた私のエネルギーは本当にすさまじいです。以前に何度かその方に思いを向けるということをしてきましたが、そのときは心の中に眠る恐怖心とともにただ苦しいだけでした。その時代に限らず天変地異で肉の命を落としていった過去からの思いをたくさん抱えている私にとって、数日前にこの肉が体験した地震はその思いに触れるいいチャンスでした。肉を通して上がってくる恐怖の思いとともに天変地異を起こしてきた思い、そのエネルギーにともに思いを向けるということでした。過去体験した思いの中にふっふっと喜びが感じられるのは、やはり自分自身の心の成長があるからだと評価しています。 アトランティスもムーも私の中では違ってきているように思います。波動の世界を感じている、アルバートを知っている、だからこそ現象を通して自分の出してきた思いを喜びへと変えていけることを確認させてもらいました。心にアルバートがなければ苦しい心は苦しいままだということです。そしてすべては自己供養のために起こりくる現象であることを思うとき、何とも言えない優しさを感じます。 これから起こってくる天変地異は今までとは全く比較にならないほどの規模ですが、それらは愛のエネルギー、喜びのエネルギーであることをきっと知っていける私達であると思います。自分達に与えた唯一最大の愛が天変地異だと、きっとその心で分かることだろうと思います。 アルバートの世界がどのような世界なのか、その心で感じられないからいつまでも他力を離せないのです。そして他力を離せないからアルバートの世界が分からない、肉を持って生まれてきた意味も喜びも分からないということです。 意識の流れを知らない、あるいは感じられないから、肉の世界から心を離すことができないのでしょう。すべては意識の流れの中にあるということが本当に心で感じてくれば、今肉を持って出会わせて頂いていることそれだけがただただ嬉しくて、ありがとうの思いしかありませんということが心でお分かりになると思います。 今というとき、この三次元の中でこのように出会いを持たせてもらったこと、もうそれだけが本当に嬉しいです。お母さん、ありがとうございますと心から沸き上がってきます。どんなに苦しみの自分を心に感じようとも、この嬉しさ喜びこそが私の中で唯一絶対のものです。その喜びが苦しみを癒していける、苦しみを包んでいける、私の中で感じ広げている喜びの世界は、そのような土台の上にどこまでも広がっていく世界です。本当に私は幸せです。 私の中にはアルバートの世界が確立しています。今世の田池留吉との出会いがどれほどの喜びであるのか、私の喜びは波動を通して流れていっていると思います。それはみんなこの意識の流れを心で感じているからです。 アルバートの世界がどのような世界なのか、その心で感じられないからいつまでも他力を離せないのです。そして他力を離せないからアルバートの世界が分からない、肉を持って生まれてきた意味も喜びも分からないということです。 本当に感じた、嬉しい、喜びは絶対に心が落ちない、ただ喜びが幸せが大きくなっていくだけです。そこには肉がないからです。 真実の世界をその心で知れば、間違ってまいりました、申し訳ございません、嬉しいです、本当に私は幸せでした、心から心から噴き上がってくる、これが私達の本当の世界です。 真実の世界をその心で知れば、間違ってまいりました、申し訳ございません、嬉しいです、本当に私は幸せでした、心から心から噴き上がってくる、これが私達の本当の世界です。本当の私達の姿です。このことが心でお分かりになるまで、あなたは文字通り地獄の住人に違いありません。どんなに己を誇り、我は素晴らしい、我こそ一番なり、その世界を広げても絶対にあなたは幸せになれません。 私は真実の世界をこの心で感じさせてもらいました。これが私が私に書いてきた今世のシナリオです。私はそのシナリオ通りの道を歩いています。私はこの肉を頂いてきたその思いをしっかりと心で感じています。何一つ私の中で狂いはありませんでした。私はすべてその意識の流れに「はい」です。「はい」と言える喜び、幸せを私は今心に感じ始めています。確かな世界を心に広げていくにつれて、私の中で肉の世界は遠のいていきます。しかし肉の命を無駄にするということではなく、自分に与えられている時間の中で肉も喜び、幸せであるということです。 間違いなく私の意識は二五〇年後に繋がっています。二五〇年後の出会いから次元移行をただひたすら真っ直ぐになしていくということです。三次元のときをこのように頂き、真実の世界を学ばせて頂いたことが私にはもうありがたくてありがたくて、田池留吉との出会いからすべてが私には喜びです。アルバートの世界だけが真実です、私はこれからもその波動を流し続けてまいります。 今だからこそアトランティスもムーも心に受け入れていくことができます。どれだけ宇宙の法にたてついてきたか、そしてそのエネルギーはみんな自分に返ってきたことを、この心で知りました。 今だからこそアトランティスもムーも心に受け入れていくことができます。どれだけ宇宙の法にたてついてきたか、そしてそのエネルギーはみんな自分に返ってきたことを、この心で私は知りました。流れに逆らってきた法に逆らってきたエネルギーはすべて自分に返ってきました。しかしもうそのとき使ったエネルギーで自分を狂わすことはありません。エネルギーに翻弄されることはありません。真実を知らなかったゆえの愚かさでございました。神に通じることをよしとしてきた愚かなエネルギーはすべてを狂わせ、そしてまた己自身が深い深い地獄の奥底に沈み込んでいく結果となりました。もう私は充分でした。私は充分苦しみました。狂い続けました。だからもう私は今世その同じ轍を決して踏まないことを自分に誓ってきたのでした。私のこの決意は並大抵のものではありません。セミナーに賭ける思いも田池留吉に対する思いも生半可なものではありませんでした。そしてすさまじいエネルギーだから肉が潰れていくのを一番恐れてきました。私は自分の中で用意を着々と整えただそのチャンスを待っていました。それが多分、田池留吉の目に触れる時期と合ってくるのではなかったかと私は振り返っています。 そのような私が今このように肉を持ち、真実の波動の世界を知るに至っています。これが意識の流れでなくて何なのでしょうか。もうそのことを思えば私は何も必要としません。ただ申し訳ありませんでした、そしてありがとうしかありません。私は許されていました。 私の基本は我ひとりです。そしてこの基本をしっかりと持っているからこそ、ともに歩いていくともに生きていく喜び、幸せが本当に心に感じられるのだと思います。すなわち真実の波動の世界に私は存在しているそのことを実感しています。 過去からの私を思うとき、私にはただ嬉しさがこみ上げてくるだけです。どんなに間違い続け狂い続け、そしてすべてを狂わせてきたことか、そのような心の歴史に埋もれて私は存在してきました。今世その過ちに気付きこのように許されてきた自分自身を思うとき、もう何とも言葉がありません。 私の求めてきた世界は単に肉の喜びと幸せに留まらず神と通じる世界でした。すなわち私は大いなるパワーを求めてきました。言うまでもなく己一番、我こそ宇宙なりというエネルギーが根底にしっかりとありました。だから田池留吉をなかなか心で受け入れていくことができなかった、温もりをずっと待ち続けてくれている思いを心に感じながらも、私の中で綱引きが長く続いていたことは事実です。 しかし私はようやく気付けました。我こそ宇宙なりのその思いこそが実は大きな大きな喜びであることに気付けたのです。そして私はそんなちっぽけな存在ではなかったと知ったのです。私はあなた、あなたは私の世界を本当にこの心で知りました。もちろん私は自分自身がどんな世界で苦しみ喘いできたか心で知ってきたから、どんな思いを向けられても、それで私自身がどうなるものでもありませんでした。当然心に感じたときから私は肉に向けるエネルギーをどんどん弱めていきました。それが私には自然でした。 私の基本は我ひとりです。そしてこの基本をしっかりと持っているからこそ、ともに歩いていくともに生きていく喜び、幸せが本当に心に感じられるのだと思います。すなわち真実の波動の世界に私は存在しているそのことを実感しています。 闇とはいったい何なのでしょうか。所詮は己が作り出してきた幻、実体はありません。己偉しの自分が作り出してきた世界です。それは本当の自分を知らなければ決して消えることはありません。 闇とはいったい何なのでしょうか。所詮は己が作り出してきた幻、実体はありません。己偉しの自分が作り出してきた世界です。それは本当の自分を知らなければ決して消えることはありません。そして小さな小さな世界を心の中でどんどん大きく膨らませてきただけです。全部己の欲と無知とエゴが作り出してきた世界です。そのことを自分の心を見ていくということを通して自分の心で分かってこなければ、どこまでもいつまでもそのエネルギーに翻弄されていくだけです。だから一時喜びを感じてもそれらはみんな上滑りになっていくのです。 自分を生かすのも殺すのもみんな自分次第だということを、もう一度その心でかみしめていってください。学びはそんな生易しいものではありません。それは自分の中の意識達の思いを心で聞けば分かるはずです。いかに己という思いが立ち塞がっているか、幻を幻と思えず実体がないものをしっかりと握っていることに気付けなければ、学びの入り口にさえ立っていないことを知っていってください。気付けるか、気付けないか、素直であるかどうなのか、それは決して学んだ年月に比例するものではありません。 自分自身の欲と無知とエゴの心を本当に見ていかなければ、真実はあなたの前を素通りしていくだけです。それは誰でもないみんなあなた自身が選んでいるのです。自分の間違いを心の底から認めようとしない己の偉さがありませんか。また認めていこうとする裏には本当に何もありませんか。 私は自分が存在してきた現実を心で感じています。そこから思いを発していますので、伝える内容は厳しいです。しかし私は今世を境にして真実の方向に向かって歩き始めました。 肉の私はどうしてこんな厳しいことをパソコンに向かって打っているのかといつも思っています。皆さん肉で見ていたらセミナー会場でも喜んでおられるようだし、実際本当に喜びを感じておられる方も少なくないと思います。しかし私の中からは皆さんが感じられている闇も喜びも小さいと出てきます。私達はそんな生易しい中を生き抜いてきたのではないと出てきます。 私はいつも言うことですが、肉はさっぱり分かりません。ただ心で感じられる、たとえばこの地球に降り立つ以前を私は心に感じています。地球に降り立ったということが心に響いてきます。そしてそのときすでに苦しみの中にありましたということも感じられます。当然地球上の過去世をいくつ分かったとしても、それは自分の心の歴史からすればほんの一部分であって、そんなもので上がったり下がったりすること自体がおかしいとなってきます。 私はそういうところから私の思いを核からのメッセージとして伝えているのです。だから失礼ですがそのメッセージを心で分かるということは本当に難しいでしょう。私は自分が存在してきた現実を心で感じています。そこから思いを発していますので、伝える内容は厳しいです。しかし私は今世を境にして真実の方向に向かって歩き始めました。だから本当に波動の世界を心で感じられる方ならば、きっと私の思いを心で受け止めてくださると思っています。それ以外の方はやはり他力の中にありますから、私が伝えようとしている本筋は曲解されることでしょう。 私達の歴史はあなたが思っておられるような浅いものではありません。ずっと間違い続け狂い続けてきたのです。 私はいつでもあなたと向かい合うことができます。あなたが広げてきた世界と私は真っ直ぐに向かい合うことができます。そしてあなたに真っ直ぐに伝えることができます。どんなに私は分かっていますとあなたがおっしゃられても、それは私が感じている世界からすればほんの微々たる世界であり、また私自身が感じ広げている世界も、真実の波動の世界からすればほんの一部分であるということを、私はあなたに真っ直ぐに伝えるでしょう。 私達の歴史はあなたが思っておられるような浅いものではありません。ずっと間違い続け狂い続けてきたのです。本当に感じた、嬉しい、喜びは心が絶対に落ちないと伝えましたが、その通りです。本当に自分自身の現実を心で感じればただ嬉しいだけです。よくぞ今というこのときに出会わせ頂きましたという思いだけが心を埋め尽くしていきます。そんな世界からは当然肉として握っているものはどうでもいいようなものばかりです。だから離していけるということです。 肉を握ったままではいつまでたっても真実の世界の外側です。どんなに心が敏感でも真実の世界から大変な距離があるのです。そういうことを本当に分かっていってほしいと思います。もちろん今世セミナーに集っている人がどれだけこういうことが心で分かるかということは私には未知数です。やはりこれからの時間をまだまだ待たねばならないだろうとも思います。しかし歩みをともにしたいという私の思いは変わりません。その思いがこのように文字となってくるということだと思います。そしてただ私は伝え続けるだけです。 アルバート、悠久の過去より出会いたかった意識でした。待っていてくれていたことを心で知った私にはもう何もありません。これから二五〇年後の出会いをただひたすら待つのみです。 今世の私はずっと自分を賭けていくものを探し求めていたと思います。自分を賭けていくものが見つかれば私はただ真っ直ぐに飛び込んでいく、それで自滅しようとも自分自身がこれだと定めたものであれば私は本望であった、そういう心意気が確かに私にはありました。しかしそれは肉にはありませんでした。肉には私を賭けることができませんでした。そんな私でしたから充分吟味させてもらいました。田池留吉という人物、セミナー、心はつかんで離さなかったけれど何度も何度も自分に問いかけを持ちました。それほど私は心を決めて生まれてきたということです。誰が何がではなく私自身が納得するものが必要でした。そして私はそれを見つけたのです。だから私は幸せです、本当に幸せです。 アルバートでした。悠久の過去より出会いたかった意識でした。待っていてくれていたことを心で知った私にはもう何もありません。これから二五〇年後の出会いをただひたすら待つのみです。形の世界はそのためにすべてが整えられていくことを私は感じています。ただ嬉しいだけです。アルバートあなたとともに生きていくことが私にはただ嬉しいだけです。思えば心に響いてくる、アルバートの思い、アルバートの世界、あなたに出会うために私は長い長い転生を繰り返してきた、今世それが叶い私には喜びしかありません。どんなにすさまじいエネルギーを感じようともだから私は喜びなんです。今世、このときを私は待っていました。本当にありがとう、こざいます、本当にありがとう。 自分を導いてきたものが自分の中にあるということを感じずにはいられません。いつも自分と対話してきたように思います。私の話し相手は人ではなく自分でした。 肉で探しました。だから勉学に励んだし就職も結婚もした、一応のコースは自分の肉で体験をしてきました。それでも私の心を納得させるものはなかった、そこにエネルギーを使ってきたけれど、もうそれはいいと思いました。これ以上エネルギーを燃焼させるものはそこみはなかったです。しかしそれも私のコースであって、そこには自分に合致するものはなかったと納得したから、何一つ無駄なものはありませんでした。そしてそういうことを経ることにより、肉は取り立てて際立つところはなくても私はたったひとつのものを求めてきた、そういう土壌を持って生まれてきたことの確認が私の中でありました。今の私にはそれで充分です。 学びに触れる前より私はどこかに真実はあるという思いをずっと持っていたことと、学びに集ってから鈍感のときが長かったけれども、今敏感にならないことが自分にとって最も大きな愛であると心にたびたび伝わってきたこと、この二つが今でもよく思い出されます。だから自分自身を振り返るとき、そうやって自分を導いてきたものが自分の中にあるということを感じずにはいられません。いつも自分と対話してきたように思います。私の話し相手は人ではなく自分でした。自分に問いかけ自分で確かめて自分で納得する、このことをやり続け、そして今ようやく私ははるか遠い過去より探し続けてきたものに出会ったということです。だからもう後戻りすることは私には万が一にもありません。ただ前へ前へと歩みを進めていくだけです。それがこれからの私の軌跡です。幸せです。 悠久のときを超えて出会い悠久のときを超えて存在していく、それが私達ですと私ははっきりと答えることができるのです。 私は何も今二五〇年、三〇〇年先のあなたを分かってくださいとは申しません。まだまだ道見えず道遠しの方々は失礼ですがたくさんいらっしゃると思います。しかしその方々も二五〇年、三〇〇年先は見えずとも今世の肉の時間のこれから先はもう見えているのではないですか。でしたらもう肉のことはよろしいのではないでしょうか。残された時間はただひたすらに田池留吉にアルバートに心を向けることをやっていきましょう。あなたがご自分に与えた時間です。どうぞ最後の最後までご自分のために使っていってください。自分自身の心で感じられなければ信じることはできませんが、私をひとつのサンプルとして頂けたらと私は思うだけです。 アルバートの波動と出会うためだけに肉を持ってきた、私の今世の人生とはアルバートと出会うことでした、そう私は言えるのです。真実に出会いたいと強く願う思いが肉を持たせ、田池留吉と出会わせたということが、私の心にもう間違いなく響いてきます。そして肉と私はひとつだと感じています。当然肉の喜びと幸せは私の喜びと幸せに一致してきます。みんな肉と意識がバラバラだから苦しいのでしょう。 そしてまた二五〇年後の来世も、私はすさまじいエネルギーの中に沈んでしまうことはあり得ません。そのエネルギーを全開させながら必ず喜びの自分にたどり着く、そういうことを私は自分の中で確認しております。 悠久のときを超えて出会い悠久のときを超えて存在していく、それが私達ですと私ははっきりと答えることができるのです。 心で感じること、これが第一です。そして感じたからどうとかではなく、感じているものの基盤がどうなのかを自分の心で確認することです。 心で感じること、これが第一です。そして感じたからどうとかではなく、感じているものの基盤がどうなのかを自分の心で確認することです。基盤が違っていればどれだけ感じようとも、全く異なる世界であるということを自分の心で一日も早く知っていってください。 要は己を全くなくし素直になるということです。簡単なことです。自分が感じている世界は本物、私はアルバートを感じている、そこにこだわっているからなかなかなんだと思います。確かにアルバートに一瞬触れたかもしれません。でもそのことが心の中で誇大になって一人歩きをしてしまう、それはすなわち自分自身の基盤が変わっていないということです。そういう方は結構多いです。それがこの学びの難しいところだと思います。 心に感じる、心に響く、繰り返しセミナーに来ていれば誰しもそのようになってきます。しかしそれで分かったわけでもなく、それからが本当のお勉強です。ましてやいまだお金、子供、仕事、肉の身体等々から心離せずに、そして他力の神々を心に握ったままでは本当のお勉強はできかねると私は思っています。人生の彩りにセミナーがあったわけではありません。セミナーが人生だということです。その本意をどこまであなた自身の心でとらえていけたかは、あなたのこれからの時間にその結果を待つということでしょう。すべては自分が選んできた結果、潔くご自分で受けていってください。 肉でいくら集ってきても自分の心に本当に感じるものがなければ、すべてが水泡に帰するのです。 私の今世の父は侍、武士でした。今世肉を一度もセミナー会場に運ぶことはなかったけれど、従って肉がない意識は真実とは程遠いですが、私は自分の父を立派だと思っています。数え切れないほどセミナーに集い、その耳にたこができるくらい話を聞いてきた多くの方よりも、おそらく父なりに学んでその肉を離していったと思っています。自分の死を見つめながら過ごした時間は学びをしてきた人以上だと私は思います。学びとはそういうものです。肉でいくら集ってきても自分の心に本当に感じるものがなければ、すべてが水泡に帰するのです。 今世の父に対して出してきた私の思いというものは、本当にすさまじいものがありました。切って切って殺し抜いてきたエネルギーをその肉は引き出してくれました。肉を終える瞬間まで、そして肉を置いていった父の意識とともに私は学ばせてもらいました。それが私には非常に大きな転機でした。そのときの私自身を振り返るにつけ、そしてその後の父を思う私を思うにつけ、私は本当に幸せだと思っています。 真実に出会うために今世書いてきたシナリオは本当にすごいです。何一つ無駄がなく、必要なときに必要なものが現れそして消えていく、周りはすべてが愛であったことが心に響きます。 父を思います、本当にありがとう、ございましたしかありません。ともに学ばせてもらえた意識として、ただただありがとうしかありません。もし今肉があれば私の成長を父が一番喜んでくれるのではないかと思います。 私はそれぞれの肉を見ていない、私はアルバートを感じ、ただこの道を歩いてまいりますという喜びの波動と出会いたいだけです。言うことと流れてくるものが違っていれば、そこでストップです。思いは通じ合わない、どんなにしても私達は通じ合わないです。 二五〇年後はすぐそこです。私はもう嬉しくて嬉しくてたまりません。間違ってきた自分とまた肉を持って出会える、心から噴き上がってくる叫びは、すなわち大いなる喜びです。そんな自分を心にしっかりと抱きかかえながら、私は喜びの道をただひたすらに生きていける、これこそが本当の喜びです。どうぞあなたも、そしてあなたも長い長い転生を繰り返してきたことが喜びだったと、心の底から思えるあなたに蘇ってくださることを私は待っています。私達はともに歩むことを誓ってきた仲間であるという思いを込めながら、私はこのようにパソコンに向かっています。必ず、必ず出会い、ともに喜びを広げていきましょう。二五〇年後を思う私の中にはもう何もありません。ただ喜びが広がっでいくだけです。今世の出会いからすべてが始まり、そして二五〇年後の出会いへと私は引き継いでいきます。苦しみ狂い続けたままずっと存在してきた私を思うとき、本当にありがとう、ありがとうしか出てきません。 私はそれぞれの肉を見ていない、私はアルバートを感じ、ただこの道を歩いてまいりますという喜びの波動と出会いたいだけです。言うことと流れてくるものが違っていれば、そこでストップです。思いは通じ合わない、どんなにしても私達は通じ合わないです。 波動の世界は本当に正直です。信じて信じて待ってくれていた波動の実在を心に感じている私は幸せ、心の底から思います。 あなたが誇る頭脳も地位も名誉、財産、美貌、そしてその霊能力もあなたが素晴らしいから今あなたが携えているのではありません。そこのところがまだまだ分かっておられない方はたくさんいらっしゃいます。 あなたが誇る頭脳も地位も名誉、財産、美貌、そしてその霊能力もあなたが素晴らしいから今あなたが携えているのではありません。そこのところがまだまだ分かっておられない方はたくさんいらっしゃいます。最後の切り札として自分の心にしっかりと抱えながら学んでおられる姿は私からすればとても哀れです。心から離していきなさいの促しがそれぞれにあったはずですが、喉もと過ぎればということで、結局はそれらに飲み込まれていくことを自ら選んでいるということなのでしょう。すなわち肉を本物として存在するその枠の中からご自分を解き放すことが難しいということです。 あなたは二五〇年がまだずっと遠くにあると感じておられます。しかし私は今が二五〇年後なのです。意識の世界はそうです、そのことを私は伝えています。二五〇年に至る現実を私の心は伝えています。今心で感じ心で分からない方つまり肉を本物として存在している方は、本当に大変ですよという現実を私は伝えています。 あなたの世界がどうであれ、意識の流れは厳然としてあります。流れに乗れない意識達は当然地獄の奥底に沈みこんだままです。自分自身が気付くまでその世界から浮かび上がってくるということはありません。意識の世界にはあなたが思っておられるような甘さはありません。だからそのことをやはり心に置きながら今の自分の現実を見るというか知っていくことが、自分にとっての最大の優しさだと私は伝えています。 私は私で自分の心を見て自分の決めてきた道を歩いていくだけです。あなたもまたご自分が決めてきた道を、ただひたすら苦しみ続けてきたご自分とともに生きていくという方向にのみ心を向けていかなければ、その地獄からご自分を救うということは至難の業です。 私は私で自分の心を見て自分の決めてきた道を歩いていくだけです。いまだに田池留吉の肉を、あるいは私の肉を見て心を揺らされてばかりでは、本当にあなたの道は遠いです。あなたもまたご自分が決めてきた道を、ただひたすら苦しみ続けてきたご自分とともに生きていくという方向にのみ心を向けていかなければ、その地獄からご自分を救うということは至難の業です。あなたが今いる場所、現実をその心でどのくらい感じておられるのか、知っておられるのか、本当に肉というものは自分の現実を覆ってしまうほどのものなんですね。何のために生まれてきたのか、そのことを心で分かっていくことがすべてだと私は思うのですが、それもみんなそれぞれが選び取っていくことだから、私はそれ以上のところへ介入していくつもりはありません。 肉のみの喜びと幸せ、肉の生きがい、もう私には色褪せたものとなりました。肉の中で肉は少しだけ遊ばせてもらっているだけで、それにエネルギーを費やすということが、どんなに空しくて自分を偽っているかということを心で感じさせて頂いた今世です。 肌の色が違うというだけでそこでいつも壁に突き当たってしまう、人間性をすべて否定されてしまうような肉の世界の愚かさを嫌というほど知る二五〇年後の来世の私です。だからこそ肉は何のためにあるのか、なぜ私は生まれてきたのか、そして絶望の中から私の心に蘇ってくるのは、肉の世界には真実がないということでした。心の中の真実に出会う私自身が演じる来世の私、見事なシナリオが出来上がっています。 すべての意識に平等に公平に真実の扉は開かれています。どんなに苦しい中に存在されていても、真実に出会えるチャンスはすべてに平等であり公平であるということです。 すべての意識に平等に公平に真実の扉は開かれています。私はそのことを心に感じています。どんなに苦しい中に存在されていても、真実に出会えるチャンスはすべてに平等であり公平であるということです。これは間違いのない事実、なぜならば私達は優しさと温もりの中に抱かれているからです。何もかも平等です。 そして気付いた瞬間からその道は開けていくという意識の世界の正確さは、すなわち厳しさとともに計り知れないほどの優しさと温もりです。苦しみも喜びも全部自分に返ってくる、これほど確かな世界はありません。嬉しいです。そのような世界を心で感じ信じられる私はただただ幸せです。 あなたは今幸せですか。心の底から私は幸せですと言えますか。あなたを今支えているものは何ですか。何もなくても幸せを喜びを感じられますか。ただ生んでもらったことだけが嬉しい、お母さんありがとうございますと、その心の中の私の目を真っ直ぐに見つめながらあなたは言えますか。 どうぞ自分から目をそらさずにしっかりと自分と向き合ってくだざい。どんなにしても自分の心の世界から逃げ出せないということを知っていってください。優しさと温もりに包まれて自分は存在しているんだということを、心で分かる学びをしていってください。一人でも多くの方が心で気付かれるのを待っています。 肉で忙し過ぎることもなく、向かい合うものは自分の心だけです。今世のこれからの肉の時間も、私はその中でゆっくりと自分を見つめていけるだろうと思います。こんな贅沢はないと私は思っています。 私には今も二五〇年後も同じです。今が二五〇年後であり二五〇年後が今です。真実に出会う流れの中でこのように肉を頂いてくることがただただ嬉しい、私の心にそのことが響いてくるだけです。 なぜ私は生まれてきたのか、人生とは何か、私というひとりの人間からひとつずつひとつずつ離していったときに私に残るものは何なのか、自分を紛らわすことなくただ自分だけを見つめていくことを今世の私は願ってきました。その思いが形となっています。肉で忙し過ぎることもなく、向かい合うものは自分の心だけです。今世のこれからの肉の時間も、私はその中でゆっくりと自分を見つめていけるだろうと思います。こんな贅沢はないと私は思っています。 ほとんどの方は何が幸せで、何が喜びで、何のために自分が存在しているのかということを知らずに、それでも毎日毎日は過ぎ去っていきます。歩みを止めて我が人生を振り返るときが人生の晩年ではとき遅しの感があります。 はるか過去から肉の人生を生き続けてきた、だからこそ今世はもうそういうものをできるだけ簡素化しようと思ってきたのでしょう。仕事を持つことで幸せにたどり着くなら、そして結婚をすることで喜びにたどり着くなら、たぶん今世の私はそこへ自分のエネルギーをもっと注ぎ込んでいったことでしょう。でもそれはできませんでした。それは違うよという思いがそうさせなかったと私は解釈しています。 それではなぜ生まれてきたのか、私はやはり意識の流れが肉を持たせたということを感じずにはいられません。 本当に波動の世界は正直です。苦しみは苦しみとして喜びは喜びとして自分の心に返ってくる世界です。 喜びと幸せを感じながらその裏に不安と恐怖が控えている、言うならばそれらは裏表にある、それは何故なんだろうか、学びに集う前より心の中にあった疑問でした。そしてまた喜びも幸せだと思うことも一瞬のうちに消えていくなあとも思ってきました。 今私というものの思いを感じれば感じるほど、肉の疑問も合点がいかなかったことも、納得しています。分かれば簡単なことだったんです。それは肉の喜びと幸せだったからです。こんなことは皆さんもう充分知り尽くしていますよね。ということですが、それならばなぜその喜びと幸せをなかなか心から離すことができないのでしょうか。それはこれも言い尽くされ知り尽くされたことですが、本当のご自分に出会われていないということです。 実体のない己をしっかりと握っていては、土台無理な話です。たとえセミナー会場で一瞬喜びを垣間見ても、あなた自身がそれを信じていくという方向に歩んでいかなければ行きつ戻りつ、いえさらに事態は悪くなるかもしれません。なまじっか頭で知っているためにそれがよけい自分を苦しめていくという結果を起こしてしまうかもしれません。しかしそれもこれもやはりあなた自身が間違っている、何も学ばれていないというれっきとした証拠です。本当に波動の世界は正直です。苦しみは苦しみとして喜びは喜びとして自分の心に返ってくる世界です。ただそれだけの世界です。 私はそびえ立つ自分を崩していくことの喜びを、セミナーで十二分に感じさせて頂きました。ひとつ崩すごとに喜びが温もりが心を駆け巡り心に染み渡っていく、そんな醍醐味をこの肉を通し学ばせてもらいました。 私にはいっぱい、いっぱいありました。幸せになりたかった、喜びが欲しかった、探しました、求めました。でも私にはいっぱいあったんです。だからもう何も要りません。私はいっぱい持って存在していました。心の中に溢れるほどありました。私にありがとう、ありがとうと言ってくれる優しい私がいっぱいいます。本当にありがとう、私は今世そのことに気付かせて頂きました。嬉しいです。 何もなくても幸せ、この気持ち分かりますか。こんな私に変わることができたなんて、実は自分自身が一番驚いています。でも嬉しいという思いが、ありがとうという思いが、どんどんどんどん沸き起こってきて、そんな自分がまた嬉しくて、本当に私は変わったんだと実感しています。 前にも言ったことがあると思いますが、私は先生からあなたは喜び少ないねと初対面で言われました。全くその通りでした。あって当たり前、何でも当たり前の私だったからです。そのとき先生はどんな小さなことでも喜んでいきなさいという言葉を添えてくれました。 あって当たり前、何でも当たり前ではありませんでした。そこから見下ろしていたんでは何も見えてこないということでした。私はそびえ立つ自分を崩していくことの喜びを、セミナーで十二分に感じさせて頂きました。ひとつ崩すごとに喜びが温もりが心を駆け巡り心に染み渡っていく、そんな醍醐味をこの肉を通し学ばせてもらいました。心が叫びました。私は幸せ、私は嬉しい、そう心が叫びました。私はそれが私だと思いました。これ以上の喜びはありませんでした。 肉の生き方を死に方を学ぶために、私達は今世の時間を自分に与えたのではないということを、本当にその心で知っていってください。知っていけばどうすればいいのか分かります。頭でなく心で分かるのです。 人それぞれの生き方があり、そこにはそれぞれの価値基準があります。生き方も死に方もみんな肉基準でいくなら、何もセミナーに集う必要などないのです。肉の処世術なら街中に溢れています。それと同列にセミナーをとらえておられるならば、すなわち他力のままでは全く無駄骨です。私は違う、私は真実を学ぶために集っているんだと思われていても、看板だけを替えてという方がまだまだおられます。まだ気付かれませんか。何のために自分はセミナー会場に肉を運んでいるのかということを真剣に自分に問いかけて、それでもここにしか自分が本当に求めたいものはないと答えを出したならば、そのことに必ず責任を持ってください。それからでないとあなたの学びは始まりません。それくらいの思いでないと学べないということです。 自分を裏切ることがどんなに苦しいことかということは、どなたの心にも焼きついているはずです。今世もその同じ道をあなたは歩むのですかと、私はあなたにお聞きしています。意識の上っ面などどんなに分かっても、それが一体何の役に立つのでしょうか。あなたの根幹に届くほどの思いを自分の中で呼び起こすということをしていかなければ、あなた自身はこれからもずっと地獄の奥底です。 肉の生き方を死に方を学ぶために、私達は今世の時間を自分に与えたのではないということを、本当にその心で知っていってください。知っていけばどうすればいいのか分かります。頭でなく心で分かるのです。そしてそれは誰が伝えるのでもない、自分自身が伝えてくれるのです。自ずと方向は定まってきます。みんなアルバートだからです。 繰り返し、繰り返し同じことを伝えます。同じことを伝えられても、心で分かるということは大変難しいということです。心癖はこびりついています。他力の心は根深いです。 繰り返し、繰り返し同じことを伝えます。同じことを伝えられても、心で分かるということは大変難しいということです。心癖はこびりついています。他力の心は根深いです。すべてが他力のエネルギーの中に埋没してしまっていることに気付いてください。正しい自分、間違っていない自分が中心にあれば、お伝えしていることは右から左、あなたの頭を通過しているだけです。 私とあなたは意識の流れの中で、二五〇年後の出会いを持ってくるでしょう。しかしそれであなたがその意識の流れに乗るということではないのです。それは真実に出会うチャンスは平等に公平にその扉は開かれていますということです。その流れに乗っていくかどうかは、みんなこれからのあなた次第だということをお忘れにならないようにと思います。 あなた自身が他力のエネルギーの中に埋没したままではだめだということです。そこから出てくるのはあなた自身の気付きです。いくらいざないがあっても、頑としてそこから出てこようとしなければ、どうしようもないのです。 救い出してくれる、導いてくれる、とんでもないことです。私はそういうことを心で感じているから、今世のこのときがとても大切ですよ、私達は本当に幸せ者ですよといつも伝えています。真実を伝えてくれる肉は二五〇年後にしか現れない、そうであれば今世あなたの心に感じていくものですべてです。それがあなたのこれからを作っていくということです。今がどれだけ大切か、お分かり頂けるでしょうか。 現実にはあなたの周りは真実と程遠い世界ばかりです。他力に生きていればその世界と引き合う、だからやはりそちらの方へと心が向いていくのです。 私もあなたも必死の思いで肉を持ってきたんです。必死に母に肉をくださいと願ってきました。それは本当の自分と出会いたかったからです。自分の間違いに自分の苦しみに出会い、そんな自分に安らぎを幸せを本当の喜びを伝えたかったからです。もうあなたの心で素直に認めていってください。間違ってきたのはあなた自身です。どんなに肉で正論を唱えようとも、ずっとずっと間違い続け狂い続け苦しみ続けてきたのはあなた自身です。そのことが本当に心で分かってくれば、今自分自身がどんなに素晴らしい環境に身を置いているのか、心からありがとうございましたという思いが噴き上がってきます。自分という存在がどれほどの愛の中にあったのか、そしてこれからもその愛に包まれて存在していくのだということが、心で感じられるはずです。 しかしあなたの心が他力のエネルギーに埋もれていては、そういうことが分からないのです。現実にはあなたの周りは真実と程遠い世界ばかりです。他力に生きていればその世界と引き合う、だからやはりそちらの方へと心が向いていくのです。それは何も周りが悪いのでも何でもない、あなた自身にしっかりとした基盤、心棒がないからです。どれだけ強いエネルギーであろうとも自分の中にしっかりとしたものがあれば、全く合わないということです。そしてそれはそのエネルギーを跳ね返すというのではなく、それよりももっと大きな温もり優しさで包み込んでいくということでしょう。もちろんそれは肉ができることではありません。ただ真実を知る心から流れるものが仕事をしていくということです。 法に逆らって、逆らって存在し続けてきたから、苦しんできたことも狂ってきたことも当たり前でした。今世ようやくそのことが自分の心で分かりました。苦しみは誰が与えるものでもない、自分が自分を苦しみの中に落としていったことを、ようやく今世心で知りました。 法に逆らって、逆らって存在し続けてきたから、苦しんできたことも狂ってきたことも当たり前でした。今世ようやくそのことが自分の心で分かりました。苦しみは誰が与えるものでもない、自分が自分を苦しみの中に落としていったことを、ようやく今世心で知りました。 もう私の世界は素晴らしい、私の宇宙は…ということは言えなくなりました。無限大の優しさと温もりの中に抱かれて、その中でちっぽけな世界を大きくとらえていた自分であったことを私は知ったのです。心で知ったのです。これが今世の私自身の計画でした。その中でどれだけのブラックを流し続けてきたかを心で感じさせてもらいました。それでも私は自分自身に生かされていました。だからこそこうして肉をもらって真実に出会えるチャンスを自らに与えてきたということです。 私は自分自身の思いに触れました。今世の肉、来世の肉がどんなに愚かでも、私はだからもう自分自身を裏切らないということです。二五〇年後に生まれてくる私は喜びです。私の心の世界はそれを感じ広げています。私はいち早く今世の肉とともにその世界を広げています。もう来世の肉がその出番を今か今かと待っているのを、ともに喜びで感じています。 セミナーは楽しい、嬉しい、今と二五〇年後がひとつになってともに喜びを広げていけるからです。たとえそれが今は苦しみであっても私にはみんな喜びです。喜びの声にしか聞こえません。待っています、待っているよ、そんな喜びの声にしか聞こえません。 まず自分の現実を知り、自分の間違いを認めて己を崩していくことから出発しなければ、アルバートの世界を心で呼ぶということは全く不可能です。 嬉しい、アルバートを思い母を思う私の心には喜びしかありません。中からどんなにすさまじいエネルギーが噴き上げてこようとも、私は自分自身を見失うことはありません。私は私自身が培ってきたエネルギーの大きさを感じています。と同時に私は喜びだ、そして温もりだということも感じ、だからその信は揺らぐことはありませんということです。 私は私の道を淡々と歩いているだけです。そして私はあなたもあなた自身の道を歩いていってくださいとお伝えしています。私にはその他の思いは一切ありません。喜びと喜びが、嬉しさと嬉しさが合致して、ともに喜び合いともに嬉しさを広げていく、それがたまらなく嬉しいだけです。他力のエネルギーは冷たくて重いです。でもどうぞそれらはみんなアルバートに帰りたいと叫んでいることを知っていける優しいあなたに蘇ってください。 今回の波動のお勉強でも示されたように、学びの入り口にすら立っていない方はまだまだたくさんおられます。反省をして瞑想をして、また心が敏感でも真実とは程遠いところにおられるあなたの現実を、今というこのときにしっかりと自分の心で知っていってください。 それからです。まず自分の現実を知り、自分の間違いを認めて己を崩していくことから出発しなければ、アルバートの世界を心で呼ぶということは全く不可能です。あなたが感じているアルバートとは何かを、どうぞあなたの心で確認していってください。 なぜ生まれてきたのか、アルバートに出会うためです。答えはひとつです。そのアルバートが分からなければ肉を持ってきた意味がありません。 なぜ生まれてきたのか、アルバートに出会うためです。答えはひとつです。そのアルバートが分からなければ肉を持ってきた意味がありません。私達は自己供養をするために肉をもらいました。お母さんに生んでもらいました。そして自己供養をするにはアルバートを知らなければ絶対にできません。 自己供養をしていない人からは本当の優しさは流れません。優しさも温もりも全部全部肉です。だから最後には自分を自分で裏切っていくのです。本当に真剣に自分と向かい合うということをしていかなければ、また自分を地獄に突き落としていく結果となってしまいます。 喜び、嬉しい、確かにそうです。私は本当に喜びです、嬉しいです、幸せです。しかし私は決してそれによって舞い上がるとかそういうことはありません。私の喜びはそんな薄っぺらなものではありません。またそんな暇はありません。人を構っている暇もありません。次から次へと出てくる私自身が待っているからです。アルバートを伝えることが喜びです。嬉しい、嬉しい、ありがとう、ありがとうと伝わってきます。アルバートとともに生きていく道を一歩また一歩と着実に進んでいく私は本当に幸せです。これが本当の喜びの道だ、本当の幸せの道だと実感です。それには何も要らない、ただアルバートと呼べるこの心があるだけでいい、それだけで私は幸せ、喜びだということです。肉を持てた私、そして田池留吉に出会えた私、ただただ幸せです。二五〇年後が本当に待ち遠しいです。 どんな形でこの肉を置いていくか私には定かではありませんが、そのときには肉を持たせてもらって本当にありがとうございましたと、心の底から自分自身に言えると私は思っています。それが私には本当に嬉しいです。 どんなに肉で幸せで喜びでも、そこから心を離せなければ、それはみんな苦しみだということであり、喜びと苦しみが裏表でした。本当の喜び、幸せは裏も表もみんな喜びであり幸せでした。そして当然本当の喜びを知れば、肉の喜びも幸せも本当に喜びであり幸せであるということを心は感じています。それは私にはアルバートが現実、肉のアルバートも意識のアルバートも、私には今現実だからそういうことが心で分かるのだと思います。だから私は何も要りません。何も望みません。アルバートを思うことが最高の喜びであり幸せです。それ以外のことを心はつかまない、前を流れていくだけです。 ともにあることが喜びです、幸せです。心からふつふつと沸き起こってくるこの思いは間違いなく私自身の思いです。自分に書いてきたシナリオとはいえ、肉を持たせてもらってこのような展開を迎えられることに、ただただありがとうございますという思いしかありません。生かし許し待ってくれていた私にありがとうしかありません。 どんな形でこの肉を置いていくか私には定かではありませんが、そのときには肉を持たせてもらって本当にありがとうございましたと、心の底から自分自身に言えると私は思っています。それが私には本当に嬉しいです。肉を慈しみ肉を今世のような優しい優しい思いで思える私があったことがたまらなく嬉しいです。言葉では表現できないほどの苦しみの中から生まれてきた私が、言葉では表現できないほどの喜びの私自身と出会えています。私は幸せです。 己偉しでは到底アルバートは分からないということです。核からのメッセージもまたそうです。自分の基準で文字を追っているだけでは、絶対にあなたの心に響いてきません。 もうお気付きかと思いますが、己偉しでは到底アルバートは分からないということです。核からのメッセージもまたそうです。自分の基準で文字を追っているだけでは、絶対にあなたの心に響いてきません。 セミナー会場では、喜び、嬉しい、ありがとうと涙を流し、それなりに感じておられるかもしれません。確かにそうでしょう、あなたの心の中には溢れるほどの喜びも温もりもある、これは間違いのないことです。どなたも同じ、みんな喜びに帰る意識であるということに違いはありません。しかし現実はというと、まだまだ道遠しの方はたくさんおられます。要は基盤が違うからどんなに熱心に学び喜んでおられても、真実とは絶対に合わないということです。肉の学びでないから、そこのところが大変難しいです。心が敏感な方が意識、波動の世界が分かっているということではありません。 アルバートを呼ぶ心をしっかりと見ていってください。波動はだませません。喜び、喜びといっても己を表す喜びもあります。他力のままで喜びを求めてくる波動もあります。 私自身、心で感じるということをひとつひとつ経ながら、波動の世界の正確さを確認させてもらっています。姿、形、言葉、態度ではなくそこから流れてくるものを感じていくということを学んでいます。言うまでもなく基準はアルバートです。その基準からいくと道遠しの方が多いということです。ともに学べることは嬉しいですが、波動は正直に伝えてくれます。本当に正直です。 アルバートと出会うために肉を持ってきた今世の私であることを感じるばかりです。意識の流れの中の私を感じ、私はただただ嬉しいということと、意識の世界の正確さを思うだけです。 今年の終わりか来年そうそう書店に並ぶ一冊の本、素晴らしい本が出来上がりました。とても嬉しいです。文字を目で追いながら意識の世界を感じることができます。波動です。アルバートの波動の中に吸い込まれていく喜びを感じています。まだ見ぬ仲間達との出会いを楽しみにしています。 肉を使っていただいたことが喜びです。ただただ嬉しいです。その過程より私は喜びを感じさせてもらって何とも言えない私があります。それは核からのメッセージも同様です。私はただただ嬉しいだけです。パソコンに向かうということが嬉しい、キーを打つということがアルバートを思うことだからです。 私は本当に喜びの時間と空間の中を、このように肉をもらって過ごさせていただいています。アルバートと出会うために肉を持ってきた今世の私であることを感じるばかりです。意識の流れの中の私を感じ、私はただただ嬉しいということと、意識の世界の正確さを思うだけです。 自分は偉いとか、自分は特別とか、そういった次元の話ではなく、全く世界が異なっていることを感じます。皆さんはなぜあの人なのかとずっと思われてきたと思いますし、今もまだそうでしょう。私の方が素晴らしいという思いはそう簡単には供養できません。しかし私は意識の流れの中の私であることを知っています。だから私は私を表すこともなければ、何もない、ただその流れに乗っているだけです。心は軽いです。そして私は嬉しくて幸せだということです。本物を知っている私は何も必要としません。 アルバートの世界は実在の世界です。アルバートとの出会いを、はるかかなたよりずっと待ち続けてきた私達であるということを、私は心からお伝えしています。どうぞ、本当のあなたと出会っていってください。 どうぞ、意識の流れに心を合わせていってください。今世肉をもらってこのように出会えている私達です。肉のご自分ということに留まらずに、もっとご自身の心を広げていってください。 もうすぐ出版予定の本、すごい本だと思います。これは意識の世界、波動の世界を知れば知るほど、そのすごさが心に響いてくると思います。あなた自身が本当に意識の世界をその心で広げていけばいくほど、そのことが感じられると思います。もちろんすべてはあなた自身の心で感じていくことであり、今すぐそのように感じていけるかどうかは定かではありません。平易な言葉で綴られてあります。どうぞ何度も何度も心で読んでいってください。読めば読むほどに何とも言えないものを感じると思います。すなわちあなたの心にきっと響いてくるだろうと私は思っています。きっとときを経て、そのことを心で分かる方が多く出てこられるだろうと思います。そういう本に仕上がりました。 二五〇年後、私は一人でも多くの方と喜びの出会いを持ちたいと思います。今世のそれぞれに残された肉の時間をどうぞ大切に、そして何よりも何よりもアルバートを思う、アルバートを素直に呼べるあなたに蘇ってください。 アルバートの世界は実在の世界です。アルバートとの出会いを、はるかかなたよりずっと待ち続けてきた私達であるということを、私は心からお伝えしています。どうぞ、本当のあなたと出会っていってください。 意識の流れは厳然としてあるということを、どうぞ心で知ってください。その流れに逆流するものはみんな淘汰されていきます。どんなに抵抗しても宇宙の法の中に存在しています。それが本当の優しさ、愛であることが分かるこれからの二五〇年、三〇〇年だということです。 来年六月で十二年余り、セミナーとともにあった私の今世の肉の時間、それは自分の心の歴史の中ではほんの僅かな僅かな時間です。でもその時間と空間に本当にありがとう、ありがとうの思いでいっぱいです。私はその体験を振り返りながら、大切に、そしていとおしくこれからの肉の時間を過、こさせてもらいます。 三億六千年それ以上費やしても決して分からなかった真実の世界です。しかし今というこのときに出会うためにすべてが必要でありました。長い、長いときを要して、だからこそ今があることを感じます。そのことに思いを馳せるとき、私は本当に幸せだと心の底から思います。 私は宇宙、と暗黒のエネルギーを広げてきた私ですが、それは大いなる喜びだと心で知りました。暗黒を抱えていることには違いないけれども、私の中は変わりました。だから私は二五〇年後、もう一度喜びで生まれてきます。肉を持つことが私にはただただ喜びであるのです。アルバートの波動がもう一度形となって現れてくるそのときに私もまた肉を持ってくる、私はもう最高に幸せです。その筋道が心で感じられる、そのシナリオが出来上がっています。 意識の流れは厳然としてあるということを、どうぞ心で知ってください。その流れに逆流するものはみんな淘汰されていきます。どんなに抵抗しても宇宙の法の中に存在しています。それが本当の優しさ、愛であることが分かるこれからの二五〇年、三〇〇年だということです。 すべては波動です。波動しかありません。波動だけは絶対だませません。波動は恐いほど正直です。 すべては波動です。波動しかありません。言葉なんていくらでも語ることもできるし、綴ることもできます。でもその方から流れる波動だけは絶対だませません。皆さん、それをあまりにも軽くとらえておられます。私は分かっている、私は感じていると思われても、波動は全く正直にその方の意識の世界を語ります。恐いほど正直です。 頭で学びをやっている方はたくさんおられます。だから何が間違っているのか、なぜ間違ってきたのか、心で分からないということです。数え切れないほど反省文にしたためて涙を流し、それでも心は変わらないのです。 この学びと比較対照するものはこの世には存在しないし、比較対照の中ではこの学びは全く分かりません。だから今世どこかの宗教の世界、精神世界の中に、あるいは私はチャネラーというその思いの中に己を埋没させてきた方々は、本当に難しいということです。決して私は大げさに表現しているのでもなければ脅かしているのでもなく、ただ現実をこのように述べているのです。 すべてをかなぐり捨てて学んでも今世は難しいということです。そこまでご自身の現状を思われていますか。私にはまだまだ甘いという思いが感じられます。申し訳ありませんでしたというその心のすぐ後に己が見え隠れしている、そういうものが私には感じられます。アルバートを、そして田池留吉の宇宙を感じていくことはそんなに容易いことではありません。基盤はそんなに容易く変わらないということです。 本当の自分自身に出会ったなら、本当にアルバートの世界を広げていったなら、心は揺るぎないものとなってきます。表面は揺れているようでも、中は盤石です。 きっと皆さんもこれからの時間の中で、自分が模索してきたものと出会われることだろうと思います。今世はたとえ難しくても、私達が出会う二五〇年後までにそうなられることだろうと思います。そのためには今世の時間を大切になさってください。私はそのようにしか伝えられません。 本当の自分自身に出会ったなら、本当にアルバートの世界を広げていったなら、心は揺るぎないものとなってきます。表面は揺れているようでも、中は盤石です。だからその表面の揺れはすっと消えていくということです。吸収されていくということです。 自分の人生は自分のために生きる、肉中心でいた頃は本来の意味より大きくずれて、それは単なる我がまま、気まま、自分勝手だったかもしれませんが、その軌道が修正されていった今その思いは正解だったと私は思っています。自分のために生きるということが本当の幸せであり、本当の喜びの人生です。そういうことが心で分かったことが嬉しいです。 自分を生かしているものは自分自身であったということを心で感じている私は、私にありがとうと素直に言えます。肉を含め愚かでどうしようもなかったけれど、そんな私があったからこそ、私は本当の自分に出会えたということでした。優しくて、優しくてどこまでも優しい私がありました。 田池留吉に心を合わせる、アルバートを心に呼ぶ、それは自然のことでした。何もかも忘れ去って存在し続けてきた過去からの私でした。その歴史が大きく動き大きく変わった、どんなに喜びであるかということを知りました。 意識の流れの中で肉を持たせてもらったということを心にはっきりと感じられる今、私は何とも言えない喜びの中にいます。ともにありますという存在感、波動として心に伝わり響いてきます。 意識の流れの中で肉を持たせてもらったということを心にはっきりと感じられる今、私は何とも言えない喜びの中にいます。ともにありますという存在感、波動として心に伝わり響いてきます。 ここまでたどり着くまでには並大抵のことではなかったということが心で感じられ、遠い過去より探し続けてきたことに出会えた嬉しさ喜びは、私の中で決して消えないものです。本当の私からの呼びかけを心で感じています。本当の私を信じていける喜びの中に私はあります。そうやって私自身これからのときを経ていくのだということでしょう。形の世界は全く色褪せたものに映っています。必要以上にエネルギーを費やすということはできなくなりました。 真面目に学びと取り組み、自分と取り組んできました。私が誇れるものと言えばそれだと思います。肉でできることはこなしてきましたけれども、私はやはり自分の思いに素直であり忠実であったということでしょう。自分が決めてきた道筋が自分の中で見えてくるまで必死であった、見ようによっては周りを思いやることはできなかったということかもしれません。周りを気にしていたら大願成就はなし得ない、少し乱暴な表現かもしれませんが、今世に賭けてきた私の思いはそれほどのものだと私は理解しています。そのためだったら何もかも捨てる、その思いでセミナーに臨んできました。 この世は濁流です。肉に生きる意識の苦しみはこれからも続いていくことでしょう。肉でないのに肉だと思うその思いこそが苦しみの大本でした。土台が違う、基盤が全く違う、そうそれしかありません。 この世は濁流です。肉に生きる意識の苦しみはこれからも続いていくことでしょう。肉でないのに肉だと思うその思いこそが苦しみの大本でした。土台が違う、基盤が全く違う、そうそれしかありません。そうなんです、だからこれは本当のことだと頭は理解できるけれども、足踏み状態の方が多くて、そこからなかなか飛び出てくることは難しいということでしょう。 優しさや温もり喜びを感じても、肉をどこかで握っているということだと思います。それは自分自身が存在してきた歴史の深さを、まだその心でよく分かっておられないからだと思います。どんなに苦しい中にあったかということの気付きが薄い、あるいは弱いのだと思います。他力のエネルギーの中に埋もれて心が麻痺している状態なのだと思います。他力のエネルギーを注入していれば、自分の心の麻痺状態は続いて、苦しみの中にあることを感じなくてすむし、また分からない、そんな循環の中にあったのではないでしょうか。 セミナーがある間に自分の間違いに気付いて、ただひたすら修正の道を歩まれることが最も望ましいということですが、それもまた、それぞれが歩んでいかれる道筋ですからどうすることもできません。いずれにせよ、ああ私は間違っていましたと心で分かる、そのようなシナリオをみんな用意しています。間違っていた自分が崩れていくことがただただ喜びである、そんなあなたをあなた自身が待っているなんて、本当に嬉しいことではないでしょうか。 他力の世界からどんなにアルバートを求めても真実を求めても、それは所詮他力の渦の中にあることを知ってください。そのためにあなたは心が敏感な肉、すなわちチャネラーとしての肉を選んできただけのことです。 喜びは変わることなく続いていきます。私は本当の喜びを知っているからです。アルバートを知っているからです。アルバートとともに生きている私を私は感じているからです。私にとって肉の世界のこと、肉というもの、本当に今世その質を変えました。真っ黒なすさまじいエネルギーを抱えている私が私は愛しくてたまりません。肉で間違ってきたとかどうとか、そんな次元の懺悔ではありません。自分の存在そのものが全部全部違っていた、そしてその違ってきた自分をただ心から受け入れていくことができる自分に出会ったということが、私には喜びなんです。 田池留吉に認められる、誰それに認められる、そんなちっぽけな世界で私が諸手を挙げて喜んでいるのではありません。すごい転生のチャンスを自分に与えてきました。意識の真っ只中にあることを真っ直ぐに感じます。肉で肉の次元からは絶対にこの喜びは理解できないと私は思います。 私とあなたの感じ広げている世界は、その根本から違っていることを早く自分の心で知ってください。他力の世界からどんなにアルバートを求めても真実を求めても、それは所詮他力の渦の中にあることを知ってください。そのためにあなたは心が敏感な肉、すなわちチャネラーとしての肉を選んできただけのことです。チャネラーは真っ黒です。本当に自分の心の世界は真っ黒です。どこを向いても真っ黒です。今世これからの時間、そして二五〇年後に至るまでの時間の中で、そのことが心で実感するようになっています。私達は修正の道を歩いていくことを自ら決めてきた意識だからです。 自ら決めてきた道筋を忠実に歩むこと、これ以上の喜びはありません。本当の幸せと喜びを心に感じれば、このことがどういうことなのか、あなたの心で分かるはずです。 自ら決めてきた道筋を忠実に歩むこと、これ以上の喜びはありません。本当の幸せと喜びを心に感じれば、このことがどういうことなのか、あなたの心で分かるはずです。肉にはないということが分かるはずです。喜びも幸せも絶対に肉にはないということは明白に分かります。アルバートに生きるということはそういうことです。しかし私は肉の喜びも幸せも知っています。肉の喜びと幸せを追い求めている方よりも、はるかにまた比べられないほどの肉の喜びと幸せを心で知っています。それは私の中にアルバートがある、アルバートとともにある私であることを心で感じている、だからこそ肉も喜びであり幸せであるということなのです。つまりアルバートに目覚めていない意識は、自分が今幸せで喜びであると思っているその肉の喜びと幸せすらも、また偽物であるということです。 意識の世界は、本当にすごいと思います。すごいとしか表現できない、今本当にすごい中にある私達であることを伝えます。これが本当に自分自身の予定してきた道筋なのかと恐いほどの思いを感じます。嬉しさ、喜びを通り越す恐いほどの喜びです。 私ははっきりと心で感じられる、自分の培ってきたエネルギーの大きさ、そのすごさが感じられます。アルバートに出会った瞬間それを感じます。中が叫んでいます。嬉しい、喜びの雄叫びを上げています。だから真っ黒が嬉しくて、嬉しくてということです。マイナスはプラスでした。大いなる喜びだと心で分かります。 土台が変わらなければどんなに年月を重ねても、その成果はないに等しいということを、やはりきっちりと知ってほしいと思います。心の転回なくして学びは成立しません。 肉の時間からすれば二十年は長いです。二十年、本当によく学んでこられたものだと振り返っていらっしゃるのではないでしょうか。あなた自身、その年月を振り返って今どのような感想を持たれていますか。そこに費やしてきたエネルギー、使ってきた心、それを見直し、自分の歩んできた道筋を辿り客観的に評価していくのも、また必要ではないかと思います。学んできた、しかも長く学んできたという自己満足だけではどうにもなりません。肉の学びであればそれなりの成果は得られるかもしれませんが、土台が変わらなければどんなに年月を重ねても、その成果はないに等しいということを、やはりきっちりと知っておいてほしいと思います。 この学びは自分が立っている場を確認し、それを変えていくことにありました。そのために様々な試みがあり、またそれぞれに反省と瞑想を繰り返しやってこられたと思います。 確かに夫婦も親子も、それなりに仲良く前向きに日々を過ごせるようになったという方々は多いでしょう。毎日いがみ合うよりも楽しく明るく暮らしていくことができて、ああ私はそれで満足ですと言われる方も多いと思います。その通りだと思います。しかし土台が違えば、いずれそれは現象化してくるということです。そのときにそれぞれの学んでこられた真価が問われることだろうと思います。 心の転回なくして学びは成立しない、それがはっきりと示されると思います。そのときこそがその方がスタートラインに立ったということだと思っています。 マイナスばかりを流し続けてきた私達でありますが、それをプラスに変換する術を今世このように学ばせてもらっています。これから待ってくれていた宇宙にようやく応えていける私達であることが、私にはただただ嬉しいです。 私自身の心の気付きが嬉しいからいくらでも語ることができます。本当に嬉しいです。はるかはるか遠い過去より存在し続け、次元を超えてやってきた自分自身の歴史が大きく動き大きく変わった今というときです。これは心で実感がなければこの喜びは絶対に理解してもらえないでしょう。 私は間違ってきました。本当に狂い続け苦しみ続けてきた意識です。でも今世このようなチャンスを自分に用意してきたことがたまらなく嬉しいです。ただそれだけです。 私は自分に対して告げているのです。メッセージは自分に対してのものであると理解しています。そして心から沸いてくる思いは、長かった、本当に長かったね、だけど今本当に嬉しいよ、というものなんです。どんなにこのときを待ちわびてきたことかが心に響いてくるのです。真実の世界、その波動を伝えにきてくれたのが田池留吉でした。来世はそれが正真正銘アルバートです。もう私には嬉しくて、嬉しくてということです。 私達は男性あるいは女性である前に、ひとりの人間です。意識の私達がこのように肉をもらって、肉の人間としてあるべき姿がやはりあるのだと私は思います。この宇宙に受け入れてもらってきた人間として、これからなしていくべきことがあると思います。マイナスばかりを流し続けてきた私達でありますが、それをプラスに変換する術を今世このように学ばせてもらっています。これから待ってくれていた宇宙にようやく応えていける私達であることが、私にはただただ嬉しいです。 もう分かっている、同じことを何度も何度も繰り返してと思うその心の底には、本当に己偉い自分自身が鎮座していることを知っていってください。 肉をもらって学ぶことができる時間が残り少なくなってきました。地球上に肉を持ってどれだけのエネルギーを放出してきたか、本当に私達は長く、長く受け入れてもらってきました。緑なる地球そしてこの宇宙に想像を絶するほどのエネルギーを垂れ流し、これからもまだ垂れ流していく人類は、どうしようもないところまで堕落してしまいました。自ら流してきたものを自らが受けていくこれからの時間と空間、これこそが本当に愛の中に生かされ愛されてきたということの証でしょう。 ところで、もう分かっている、同じことを何度も何度も繰り返してと思うその心の底には、本当に己偉い自分自身が鎮座していることを知っていってください。その方は何にも分かっておられないということをいつでも証明できます。肉で分かるということと心で分かるということは全く違います。この時期になっても、ほとんど心で分かっておられない方が本当に多いです。あまりはっきり言ってしまうと、と思いますが、心を転回していくことはそんな容易い作業ではありません。アルバートを本当に感じ、心にその世界を広げていく方が、そんなに何人も出てこられないでしょう。今世は難しいです。だから二五〇年という時間、空間が用意されているのです。そのことを心に留めながら真摯な思いで、それぞれの歩みを進めていくことが大切なことではないでしょうか。 母には母の、そして私には私の決めてきたシナリオがあり、その中でこのようにともに学ばせてもらえることが嬉しいと伝わってきます。肉の優しさでない優しさで母を思えることが、やはり私には一番嬉しいことです。 ようやく探し続けてきたものに出会えた私です。心に充分過ぎるほどの手ごたえがあって、だから何を目にしようと何を耳にしようとも、それは所詮影の世界でしかありません。心に広がっていくのはアルバートとともにある私です。その喜びと幸せです。アルバートこそ実在の世界、今世その確信を得た私は幸せです。 肉の世界に肉を持てたことだけが今嬉しいと伝わってきます。その中において肉がどうなっていこうという思いは、もう私には何もありません。ただ肉を持っている時間がありがたいということです。自分に与えている肉の時間は大切にしていこうという思いはありますが、肉にしがみつく思いが非常に弱くなったことを感じます。 自分の肉に思いを向ければありがとうと返ってきます。私は自分の肉が愛しいです。ただただ愛しいです。肉を持って今こうして存在していることが嬉しいです。私は優しくなれました。自分に一番優しくなれました。母に分厚い壁を抱えてきた私の心は今本当に軽くなりました。壁がいつの間にかなくなっていました。 私に肉をくれた今世の母とともに学べるということは、本当に幸せなことだと思います。親子であってもそれぞれに歩む道筋は違います。母には母の、そして私には私の決めてきたシナリオがあり、その中でこのようにともに学ばせてもらえることが嬉しいと伝わってきます。肉の優しさでない優しさで母を思えることが、やはり私には一番嬉しいことです。 意識、波動の世界は証明できる世界です。黒か白かしかない世界だから、簡単明瞭です。複雑なものは何もない、ただアルバートを知っているかどうかだけです。 意識、波動の世界は証明できる世界です。黒か白かしかない世界だから、簡単明瞭です。複雑なものは何もない、ただアルバートを知っているかどうかだけです。そしてアルバートを本当に知り、心に広げている方であれば、心は変わらないということです。他力のエネルギーがどうとか、そんなものでグラグラはしません。自分の中にどんなにすさまじいエネルギーを感じようとも、その根幹は揺れないということです。もともとアマテラスとか諸々の他力の神々など存在しないからです。存在しないものを実在するものと思ってきただけのことです。そのような幻に振り回されて自分自身を見失っている肉の人間はごまんといます。肉を信じるということがどれだけ愚かなことであるか、たくさんの気付き、促しの中をこれから歩んでいく人類の軌跡は、本当にすごい愛の中にあると言えると思います。 堕落してしまったその心を救っていく愛は、蘇ることをただ信じて待ってくれていた本当の自分の姿でありました。そのことを心で知った私は本当に自分自身の間違いに気付かせてもらいました。自分自身が愛の存在であったということに心で気付かせてもらいました。このことを心で知ってどれだけの喜び、幸せであるか、本当は言葉などで語ることなどできません。心で感じてくださいとしか、伝えられないのです。しかしそれも土台が違っていれば、通じ合わないということです。そういう方々が残念ながら、まだまだたくさんおられるというのが現実かと思います。 お勉強はひとりでできるのです。これが大原則です。またすべての回答は自分の心の中にあります。これも大原則です。 もうそろそろ、何のために生まれてきたのか、あなたの人生の目的は何であるのか、心で答えることができるでしょうか。どうぞ片手間でなく、真剣に学びと取り組み、自分と取り組んでいってください。 いつも申していますが、セミナーがある間は何とか学んでいるような感じではあっても、来年の六月以降あるいは再来年になり、やがて時が経つにつれて、学びから離れ元の状態に戻る方達は多いと思います。学びの目的、動機が違い、そして冒頭にあることが自分の心で答えられない方は、肉に埋没するスピードは速いでしょう。 またそうでなくても自分の心にきちっとしたものがなければ、心は外に向きます。そしてお勉強と称してまたあの人、この人を頼っていくかもしれません。 お勉強はひとりでできるのです。これが大原則です。そのことをしっかりと心に置いておいてください。だからこそこれまでの年月をあなたはご自分に用意してきたのではないでしょうか。すべての回答は自分の心の中にあります。これも大原則です。要所、要所をピシっと押さえて学んでいなければ、世の中という濁流の中に、そして他力という濁流の中に沈んでいってしまいます。 ここで、前宣伝ではありませんが、セミナー後のお勉強は十二月初旬出版予定の一冊の本、これ一冊あればもう充分ですということを伝えておきます。この本をいつも手元に、そしてアルバートを思っていればそれでいいと、私は思います。 出会えるためにすべてを整えて待ってくれていた、その思いを痛いほど感じます。だから私にはありがとうしかありません。 ヘッドホンをつけてパソコンの前に座る、ふるさとの音楽が流れてくる、核からのメッセージに触れ写真に触れ、そして目を閉じます。 ありがとうございます。今世このようにしてアルバートの世界に触れさせてもらっています。本当にありがとうこざいます。アルバートを思う、最高に嬉しい、幸せです。ともにあることを感じそしてありがとう、ありがとうと心に響いてきます。私は幸せです。本当にありがとう。アルバートに出会えたことが嬉しい、ただただ嬉しいです。肉をもらってくることがこんなに幸せなことだったと、その思いが涙とともに突き上がってきます。 街中の喧騒の中に肉はあります。人の流れも車の流れも目の前を通り過ぎていきます。だけど私の心の世界は本当の喜びを知りました。目の前に広がっている世界をただ眺めているだけです。そして私はその中にありながら、実は本当の流れの中にあることを知っているから、私の心は安らいでいます。アルバートを思う喜び、幸せを心に知る私にはその他のことは本当はどうでもいいことです。本当にこれだけでした。アルバートを待ってきた私の心の嬉しさと喜び、肉をもらってそんな私と出会えたことが、もう私には何よりでした。 出会えるためにすべてを整えて待ってくれていた、その思いを痛いほど感じます。だから私にはありがとうしかありません。 アルバートが実在することを知っている私には、肉の私など愚かでも何でもいいんです。ただ肉を持って今こうしてあることが嬉しいだけです。 アルバート…、悠久のかなたを思います。悠久のかなたの私を思います。今、出会えていることがただただ嬉しいです。本当にはるかはるか遠い過去から、あなたに出会うためにずっと存在し続けてきた私であることを感じるたびに、私はもう何とも言えない思いです。心から溢れてくる喜びと幸せの思い、それは間違ってきた私の中に、どこまでも、どこまでも染み渡っていきます。今をありがとう、そう意識達が語ってくれています。 アルバート…、ああ私は嬉しい、アルバートの中にある私を感じます。悠久のかなたへ続いていく幸せを感じます。何も要らないです。二五〇年後に出会って、そしてこの喜び、幸せの中を私達は歩いていくことを知る心には、もう何も要りません。心がすべてを知っているということが、肉にも響いてきます。だからアルバートが実在することを知っている私には、肉の私など愚かでも何でもいいんです。ただ肉を持って今こうしてあることが嬉しいだけです。 それだけに、アルバートを知らない肉がどれだけ空虚な思いを抱えているか、決して肉では幸せになれないということも、喜びを知らずに肉の人生を閉じていく無念も、私には分かり過ぎるくらい分かります。しかしそれもまたそれぞれが通っていく道筋なんだと思うとき、信じて待たれている私達は本当に幸せだと思います。 これから意識の世界の優しさ、大きさ、深さ、そして素晴らしさを存分に味わっていける私達は、本当に幸せな存在だと言えるでしょう。 信じて待ってくれている本当のあなたにどうぞ心を向けていってください。素直に心を向けていってください。そうすればいくらでも喜びに触れていくことができます。 波動の世界を感じてくれば、私は初めから幸せでしたと、はっきり分かります。そのことが見えずに分からずに、ずっと他力の渦の中に沈み込んでしまっていた愚かな自分を感じてくるはずです。 信じて待ってくれている本当のあなたに、どうぞ心を向けていってください。素直に心を向けていってください。そうすればいくらでも喜びに触れていくことができます。 思うだけでいい、今思える自分がある、それだけで私は本当に幸せだと感じます。自分が自分を待っていた、信じて待ってくれていた、こんな優しいことはないと思います。優しいです。そして嬉しくてありがたいです。 母の温もりに包まれている、しっかりと抱かれている、今世狂うことなく今までやってこれたのは、その思いを心にしっかりと持っていたからです。母の温もりの中で、自分のエネルギーとどんどん向かい合ってきました。母の温もりの中にあるからこそ、それができるのでした。立派な自分が自分を狂わせてきたのでした。それが分からなかった私は本当に愚かでした。しかし狂いに狂った、間違い続けてきたすさまじいエネルギーが、アルバートと出会わせてくれました。 今世そうです、アルバートとの出会いがありました。それを実感し、そしてアルバートの実在を心に確信していく時間を頂いています。ああだから私は本当に幸せです。こんなことが現実にあったといつもしみじみ思っています。 要は土台です。土台が違っていては問題外です。何度も言います。土台を変えていくのは、あくまでもあなたです。決して片手間ではできません。過去をしっかり握っていてはこれもまた難しいでしょう。 要は土台です。土台が違っていては問題外です。肉はともにあっても本当はともにないということです。簡単明瞭です。そしてまた土台は堅固なものでなければなりません。 そういうことを学ぶために今世の時間がありました。まず土台が違っていることに気付 く、そしてその土台からやり直していくことを始める、それには素直ということが一番大事ですといつも伝えていただきました。 全く違っていた、全く間違っていた、これがなければ何年学んでも、結局は他力の中から抜け出すことができません。学んでいても学んでいないということでしょう。 自分の土台は何か、これを心で確認することです。正直に自分の思いを見ることです。今更いい格好しても仕方がない、本音を出さないといつまで経っても前へ進みません。 土台を変えずにアルバートなど分かるはずがないことを何度も伝えてきました。そんなに簡単にはアルバートの波動と出会えないということが、まだお分かりならないようです。確かにセミナー会場では、その世界をほんの少し垣間見られることもあるでしょう。しかしそれで分かった、感じたということではありません。それは、あなたの土台が違っていますとお伝えしているだけです。何度も言います、土台を変えていくのは、あくまでもあなたです。決して片手間ではできません。過去をしっかり握っていてはこれもまた難しいでしょう。 天変地異は必然の現象です。愛に目覚めていく、真実に目覚めていくための愛のエネルギーであることが、アルバートの中ではっきりしています。 アルバートと天変地異は切り離せないものです。アルバートの波動、その喜びのエネルギーが強まってくるにつれて、天変地異の波が押し寄せてきます。力強いエネルギーが喜びのエネルギーが、天変地異となってこの宇宙に溢れてきます。 アルバートの波動が宇宙に流れ出していく、宇宙を覆い尽くしていく、その喜びが心に響いてきます。 天変地異は必然の現象です。愛に目覚めていく、真実に目覚めていくための愛のエネルギーであることが、アルバートの中ではっきりしています。そのようなこれからの時を経ていくことが、心に伝わってきます。 アルバートは愛のエネルギー、喜びのエネルギー、二五〇年後にはそのことがはっきりと示されていくことでしょう。私は今世、その世界を垣間見ることができ、ここにこうしてお伝えしています。 アルバートに出会った私の中の宇宙は本当に喜んでいます。肉を持つ人間にその宇宙を知ってください、分かってくださいと、今宇宙に存在する意識達の喜びを私は心で感じています。彼らとともにこれから歩みを進めていくことが私には感じられます。もう嬉しいだけです。地球に留まることなく、私の世界は広がっていきます。この宇宙とともに私は存在しています。アルバート、私達はあなたの中にありました。 肉の喜びと幸せは意識のそれと一致することを、以前より伝えてきました。それは悠久の過去より存在する自分、そして悠久の未来へ存在していく自分、そのような自分との出会いがなければ、肉の本当の喜びも幸せも分からないということです。 私は宇宙でしたという思いが、心を広げ喜びを伝えてくれます。自分の中の宇宙に出会 うために今世のこの時間をもらってきたことが、心に確実に伝わってきて私は本当に嬉しいです。 宇宙なんです。私はこの宇宙を思い出すために三億六千年の転生を繰り返してきました。宇宙は狂い続けてきました、苦しみ続けてきました。しかし、こうして今私は私の宇宙と出会い、そしてそれがこんなに喜んでいると感じられて、その喜びはもちろんとても肉では推し量れないものです。 私は、肉の喜びと幸せは意識のそれと一致するということを、以前より伝えてきました。それは悠久の過去より存在する自分、そして悠久の未来へ存在していく自分、そのような自分との出会いがなければ、肉の本当の喜びも幸せも分からないということです。 肉で今幸せだ、喜びだと言っているのは、本当にちっぽけな世界のことだと分かってくださればと思います。そのような心の世界からは、到底アルバートの世界を感じていくのは不可能だと思っています。肉の枠から自分自身を解き放つことがなければ、私が申し上げている喜びも幸せも、すなわち自分の中の宇宙が喜んでいる、大いなる喜びの中にある宇宙が自分であったというその喜びと幸せが心で分かっていただけないと思っています。 真実は言葉では伝えられません。そして波動がその方を物語っているのです。肉を信じてきた方には、それが全く分かりません。言葉を重ね言葉で飾り、言葉で己を表し、そして態度でごまかしていく、それが肉の世界です。中身がない、幻の世界です。 私の喜びは、ともに歩みを進めていくことです。アルバートとともにあることが感じられることです。それのみが私の喜びであり幸せです。 私は特別ではありません。しかし、ただ今世に照準を合わせてきたことを心で知っています。私の今世の時間はアルバートに出会うためにあったことをはっきりと感じている、ただそれだけです。だから肉も、そして肉の時間もそのように流れていくことを心で感じています。つまり、アルバートに照準を合わせる肉の生き方が、私には自然になっているということです。 意識の流れは厳然としてあるということを、心に感じられるからこそ、その世界はますます私の中で不動のものになっていきます。そしてマイナスの現象がプラスに転じていくということも、心で分かります。それは、形がマイナスであっても、心がマイナスと思えない、そういうことだと思います。マイナスをプラスと思おうとか思わなくてはとか、プラスに転じていこうとか、そうではなく、心が揺れたならそれらを含めてただありがとうが、自分の中に返ってくるような、そんな心の世界が広がっていると私は解釈しています。 真実は言葉では伝えられません。そして波動がその方を物語っているのです。肉を信じてきた方には、それが全く分かりません。言葉を重ね言葉で飾り、言葉で己を表し、そして態度でごまかしていく、それが肉の世界です。中身がない、幻の世界です。 意識の流れの中、アルバートとともに歩んでいく、その喜びと幸せを心はすでに大きく大きく受け止めています。その喜びと幸せを感じて広げて深めていくために、今肉を持っています。 今世の肉は、宗教あるいは精神世界の本を読みあさったこともなければ何もないです。また宇宙について特に興味を持っていたわけでもありません。 しかし心は知っていました。そして肉の知識とか経験がないからこそ、本当に心が知っているということは、こういうことなんだと、逆に心で分かります。 心が知っていた、アルバートと出会った私は宇宙を知っていました。そしてそのことが私には唯一確かなものでした。だから私は言を左右にしません。確実に心に響き伝わってくることだから、時間が経っても変わりません。アルバートとともにある私自身が存在する喜びと幸せは変わりません。 意識の流れ、アルバートとともに、こう表現すればおこがましいようですが、それはまさに私自身であるように思います。ようやくここまでたどり着いたというか、ようやくその姿を現し始めたというか、そんな感じがします。 意識の流れの中、アルバートとともに歩んでいく、その喜びと幸せを心はすでに大きく大きく受け止めています。その喜びと幸せを感じて広げて深めていくために、今肉を持っています。私はただただ嬉しいだけです。本当にありがとう、ありがとう、その思いでいっぱいです。 苦しい私も、悲しい私も、狂ってきた私も、今はただ嬉しいだけです。そして二五〇年後にはそれがマグマのように一瞬に噴き上がってくるのだから、もう最高に幸せです。 目を閉じればもちろん、私の中にはアルバートの世界が広がっていきます。そして今肉を持っている、そのことも本当に大切にありがたく受け止めています。私は今、田池留吉とともに肉を持たせていただいていることが、嬉しくて嬉しくてたまりません。ともに歩みを進め、ともにある存在として、私は肉としても本当に嬉しいです。本当に出会えたことが最高に嬉しいです。 それはすべて私の中にアルバートが実在することを確信しているからです。ひとつの肉として見るその目に映る風景が、完全に違います。だから今というこの時が幸せで喜びです。言うまでもなく今は永遠に続いていきます。永遠の中の今、田池留吉、アルバートともにある私の世界は本当に喜びです。ありがとう、お母さんありがとう、意識達がそう伝えてくれます。苦しかった意識も、悲しかった意識も、狂ってきた意識も、みんな喜びへ温もりへ歩いていけることを知りました。ただただ嬉しいです。幸せだと分かるのにお金も何も要りませんでした。幸せも喜びもこの心に抱えきれないほどあった、優しさと温もりが心から沸いて出てくる、これが私の心の世界、つまりそれが私自身でした。だから嬉しいだけです。苦しい私も、悲しい私も、狂ってきた私も、今はただ嬉しいだけです。そして二五〇年後にはそれがマグマのように一瞬に噴き上がってくるのだから、もう最高に幸せです。 私達が見ていくものはアルバートだけです。そのために今肉を持っているのです。私達は肉ではない、これだけです。 肉でどんなに努力しても、どんなに思いをかけても、それらは所詮肉だから崩れていくものはみんな崩れていきます。天変地異は地震や台風などの災害だけではありません。宇宙の法に逆らって存在し続け、そして心に蓄え続けてきた真っ黒なエネルギーが、心の中から噴き出し突き上がってきます。そのエネルギーが、自分自身に天変地異を起こしていくのです。それらはすべて真実に帰りたい、心からの叫びです。どんなに狂った状態であっても、今世を境にして吹き荒れてくる叫びです。それは心の中に眠っていた意識達がほんの、ほんの少しでも温もりに喜びに触れたからです。 しかし肉として見る限り、その噴き出し吹き荒れてくるエネルギーは、決して愛だとは受け取れません。まさにその中で真実の声を聞いていけるか、それはひとえに自分の中のアルバートヘの信の大きさ、強さ、深さにかかっていると思います。 肉は愚かです。揺れ動く肉の心を抱えています。そんなことは分かり切っていることです。しかしその心の奥底にどっしりと揺れ動かないものがあります。何のために生まれてきたのか、なぜ今ここにいるのか、どんなに心が揺れてもそこへ帰ってくるはずです。そういう学びを私達は今世させてもらったのではないでしょうか。 私達が見ていくものはアルバートだけです。そのために今肉を持っているのです。私達は肉ではない、これだけです。 ちっぽけな世界で、心を落とし心を汚し心を閉じ込めてきた人類が、ようやく自分達の間違いに気付いていける道筋を歩めることが、ただただ嬉しいです。 あなたにとって一番大切なもの、生命、財産、家族、仕事、国家、地球人類…。ああ、そうです、この地球人類という文字を見たとき、私は嬉しくなりました。 やはり私の思いは宇宙に広がっていきます。地球に留まることなく宇宙に、アルバートの世界は宇宙に今その喜びが溢れ出していることを感じます。宇宙が変わっていく、宇宙を変えていく大いなる喜びのエネルギー、アルバート、アルバートを抜きに何も成立しないことを、私の心はしっかりととらえています。 私達はアルバートとともにある、アルバートの中に存在していることを心で知っていくこれからの時が、どれだけの喜びであるのか、心に響いてきます。実体のない幻の中で狂い続けてきた意識達の帰っていく道筋、それはそれはとてつもない喜びの中にあります。こうして肉を持ってそのことを今感じていけることが、本当に嬉しいです。 ちっぽけな世界で、心を落とし、心を汚し、心を閉じ込めてきた人類が、ようやく自分達の間違いに気付いていける道筋を歩めることが、ただただ嬉しいです。自分達の中に宇宙があった、宇宙の喜びをその心で感じ広げていけるこれからだと思うとき、さあともに、アルバートとともに歩いていきましょう、その誘いの何と優しいことでしょうか。温もりに満ち溢れているその世界に、自らを誘っていける私達は、本当に幸せな存在です。 どんなに形が修復されても、暗黒の世界に沈み込んだ意識達に気付きがなければ、それはまた崩れ去っていくということでしょう。流れが淀めば、そこにひずみが生じ、形にその結果が現れてきます。それはアルバートが流れているということです。 私は幸せな人生を今歩んでいます。私は本当に今幸せです。本当の幸せとは何か、本当の喜びとは何か、心で知った私は今真っ直ぐにそう告げることができます。ああだから私には何がほしいとか何をしたいとか、本当にそういうのはどうでもいいことなんです。ただこうして今肉を持ってアルバートを思えることが嬉しいです。また私の周りには肉で言えばいい方がたくさんおられます。だから肉ももちろん幸せです。 ところで、アルバートの実在を確信することは大変難しいです。しかし本当に真実の世界に触れていけば、アルバートだけが存在することがはっきり分かります。そして無知とエゴと欲の渦巻いた世界の実態が浮かび上がってきます。どんなに形が修復されても、暗黒の世界に沈み込んだ意識達に気付きがなければ、それはまた崩れ去っていくということでしょう。流れが淀めば、そこにひずみが生じ、形にその結果が現れてきます。それはアルバートが流れているということです。気付きを促しを形で表現されていきます。気付けるまで何度も何度も繰り返し起こってきます。そしてそれは喜びのエネルギー、決して真っ暗な中に突き落とすエネルギーではありません。 アルバートを確信していけば、もうそれは納得、納得です。そして地獄に沈み込んだその奥底がどんなに深いか、ちょっとやそっとのものではないことも分かります。それだけのエネルギーを肉を持つ人間は、宇宙に放出してきたということでしょう。 どんな時も変わらない優しさと温もりの中で、自分を生かしていたのは自分自身でした。そしてこれだけが唯一の真実でした。裏切っても見捨てても、信じて待っていてくれていた自分との出会い、こんな幸せなことはありません。 今世、私はようやく自分の人生に、そして自分というものに責任がとれます。自分の外にずっと求め続けてきた私が、ようやく本当の意味で自分の中を信じていくことができる私に出会えました。ひとつひとつ自分の中で確認して、歩いていくというか生きていくことが、本当に優しいことなんだと知りました。たった一つ本当のものを知ったということは、私のこれからの時間において、肉がある肉がないに係わらず、幸せと喜びの流れから外れるということはもうありません。もちろん、それは心が浄化されて幸せ喜びというのでなく、もっと大きなもっと広いものです。 あなたはどうでしょうか。あなたはまだ自分の外に、自分を幸せにしてくれるもの、喜びを与えてくれるものがあると思っておられますか。たとえ今そうであっても、この学びは道徳ではありませんから、現実がそうならそれもすべてよしということでしょう。頭で理解したり、心を縛ったりするのではなく、自然に自分の中で気付いていける、そのような計らいの中に自らを誘っているのが、とりもなおさず自分自身だということが感じられて、私はただただ嬉しいなあと思うだけです。自分が自分を誘う、どこまでも許されている、優しいと思います。 どんな時も変わらない優しさと温もりの中で、自分を生かしていたのは自分自身でした。そしてこれだけが唯一の真実でした。裏切っても見捨てても、信じて待っていてくれていた自分との出会い、こんな幸せなことはありません。 肉を肉として見る限り、苦しみは続いていきます。やはり波動を感じることなしには肉のままでは苦しみだけです。幻を実在としてとらえる肉の心からは、どんなにアルバートを思っても苦しみでしかありません。 肉を肉として見る限り、苦しみは続いていきます。やはり波動を感じることなしには肉のままでは苦しみだけです。どんなに一時幸せで喜びでも、それは苦しみです。すべて虚構の世界だからです。幻を実在としてとらえる肉の心からは、どんなにアルバートを思っても苦しみでしかありません。もうそんなことは充分過ぎるくらい分かっておられると思いますが、実際はどうなのでしょうか。喜びだ、嬉しいとおっしゃられても、土台が肉であればそれらはすべて、全く次元が異なる世界のお話です。 アルバートの世界を、アルバートを感じるというのは本当にすごいことなんです。今世、数多くのセミナーでたくさんの時間を持たせてもらい、真実の世界を垣間見るチャンスを自らに用意してきた私達ですが、あまりにもそのことを軽くとらえておられるような感じがします。肉の心でない真の心で、その世界を感じ広げていったなら、すごい時間と空間だということがはっきり分かります。そしてこんなちっぽけな肉の世界のことなど、どこかに消え去っていきます。それほど嬉しい、それほど素晴らしい、それほど待ちわびてきた瞬間であったということです。少なくとも私はそうです。自分自身が本当に待ち続けてきた真実の世界に今出会えている、私にはそれだけです。見ているものはそれだけです。 アルバートを思う私の目の前には何もありません。波動の世界が広がっているだけです。肉も肉の世界も何もありません。 何のために生まれてきたのか、なぜ転生を繰り返してきたのか、その問いかけをどんな時も自分にしていくことが大切です。自分の中に本当の心棒を見出せない方は、もう簡単に他力のエネルギーの渦の中に飲み込まれてしまうでしょう。それがセミナーが終わり、時の経過とともに映し出される近未来の映像だと私は思っています。 肉のしがらみ、肉の慣習等の中から心がなかなか抜け出せないことは、肉としては理解できます。しかし私の思いからは全く理解できません。結論から言えば、そういう思いを抱えて苦しんでいるということは、全く何も分かっていない、根本が何も変わっていないということです。 もうお分かりと思いますが、今世は大変難しいです。容易くアルバートだ、喜びだ、二五〇年後だとはいかないということを心に置きながら、そしていつも原点からでないと、みんな肉で転び肉に埋もれてしまいます。それでもここにしか真実はありません。だから地獄の奥底を這いずり回ろうとも、帰っていくところはここにしかないということを心で知るこれからの時間なのでしょう。 何のために生まれてきたのか、なぜ転生を繰り返してきたのか、その問いかけをどんな時も自分にしていくことが大切です。そうすれば、舞い上がることも落ち込むこともなく、淡々と喜び、そして幸せの道を、一歩一歩歩いていくことが、ただただ幸せだとなってくるはずです。 必ずその問いかけに戻って、それから方向を定めていくことをしなければ、深い迷路の中を自ら突き進んでいくことになるでしょう。それほど他力のエネルギーはすさまじいということです。自分の中に本当の心棒を見出せない方は、もう簡単にそのエネルギーの渦の中に飲み込まれてしまうでしょう。それがセミナーが終わり、時の経過とともに映し出されてくる近未来の映像だと私は思っています。 肉で心を縛っていては、心の中の宇宙には出会えません。みんな肉という思いがそれを妨げているのです。自分の中の宇宙と出会うために、そうアルバートと出会うために今ここに肉を持って存在しているのです。 肉で心を縛っていては、心の中の宇宙には出会えません。みんな肉という思いがそれを妨げているのです。手かせ足かせとなって、重石となって、自分の広がりを自分で閉じ込めてしまっているのです。もちろん肉の枠から飛び出せなければ、今私が語っていることは全く分からないと思います。それは心が肉の次元で留まっているからです。そこからいくら呼べども肉は肉です。そのことが自分の心で分かれば、あなたの心の世界は一気に広がりを見せていくでしょう。しかしいつも言っています通り、肉が土台では感じている世界が全く違います。喜びと言っても全く違います。 私は心が広がっていくことも、自分の中に宇宙が存在する、すなわち私自身が宇宙であることも、この心ではっきり感じています。UFO達とともにこれからが展開していくことも、この心は感じています。だから私は嬉しいだけです。宇宙ということが心に響いてきます。心が思いが宇宙に向いていきます。肉の私、肉の生活、そういうものは宇宙に向ける思いの中で、自然に整ってきます。整えるために私が今ここに存在しているのではないのです。自分の中の宇宙と出会うために、そうアルバートと出会うために今ここに肉を持って存在していることが、宇宙を感じるたびに、そうだ、そうだの大合唱のように聞こえます。 ご自分を肉の枠から解き放し、早く、こ自分の宇宙に思いを向けられるようになってください。宇宙は待っています。出会いをひたすら待っています。 生きていく道筋が心に見える、これからもずっと存在し続ける自分が心に見える、こんな幸せで喜びはありません。 嬉しいです。ありがとう。大声で叫びたい気持ちです。本当にありがとう。生きていく道筋が心に見える、これからもずっと存在し続ける自分が心に見える、こんな幸せで喜びはありません。肉をもらってその世界に流れてきた私が、今世もまたひとつの肉をもらいました。本当に嬉しいです。ひとつの肉をもらって自分自身の行き先をようやく知りました。 真っ暗な中を生き続けてきた私の世界がようやく変わり始めた今、地獄でありながら地獄でないと言えると思います。肉を持つ意味を今ようやく自分の中で理解できたことが、本当に嬉しいです。 もちろん心の世界、真実の波動の世界は肉の頭など何の役にも立ちません。かえって妨げるになることも往々にしてあります。しかし今を振り返り、これからを思うとき、ただ敏感な肉だけでも天真爛漫な肉だけでもだめだと私は思います。周りの状況を見極め、肉としても本当の意味で賢明さを備えていることは必要だと思います。そういう肉を通して、これから起こり来ることが心で分かってくる、真実の世界が見えてくるということだと思います。そしてそのような時代の到来の中で、肉を通し意識としても目覚めていくということでしょう。 すべてが喜び、その中において肉も肉本来の喜びを伝えていく器としての役割を果たせるには、やはりある程度肉としての能力を兼ね備えていることは必要だと私は思います。肉は喜びを伝える器、その機能を充分に活かせることも肉を持つ喜びだと私は考えています。 今を大切に、今を生きることが喜びです。自然にそう思えることが幸せです。すべてが二五〇年後の来世へと繋がっていることを心で確認しながら、今という時を過ごすことができるのがただただ嬉しいです。 今を大切に、今を生きることが喜びです。自然そう思えることが幸せです。私は今世の この肉の時間において、来世への準備を滞りなく進めています。すべてが二五〇年後の来世へと繋がっていることを心で確認しながら、今という時を過ごすことができるのがただただ嬉しいです。だから心に肉のしがらみ、肉の慣習、肉の煩わしさ等に代表される肉の世界の苦しみが伝わってきても、ふっとアルバートを思えば、それらのものはいつの問にか立ち消えになっています。肉の世界は地獄だから、地獄の映像がそこに映し出されているだけで、そこへ入り込まないし、心はつかみません。目の前を流れている映像を眺めているだけです。 私の心はただ二五〇年後を見つめています。二五〇年という肉の時間を待って、私達は再び肉を持って出会えることが現実のものとなっている今、自分の心をただその一点に絞って、これからの時を費やしていくだけです。 私には私の課題があります。今世の予定があります。クリアして肉を終えていくことが私の喜び、幸せです。肉を持たせてもらったことに対する私の心からの喜びと幸せを、自分に返していきたいと思っています。 今世、肉持てた私は幸せです。本当に幸せな人生を過ごしています。私は今世自分を信じるという中に、本当の幸せと喜びが存在するということを学ばせてもらいました。これからもその信をますます深めていくでしょう。そしてそれは宇宙を変えていくパワーでもありました。二五〇年後が非常に楽しみです。 私は自分に誠実に、自分に正直でありたいと思うだけです。その思いはとても強いです。誰のための人生か、自分のために生きたい、この思いを抱えて生まれてきました。 私は自分に誠実に、自分に正直でありたいと思うだけです。その思いはとても強いです。誰のための人生か、自分のために生きたい、この思いを抱えて生まれてきました。これこそが自分自身の心の叫びだったと言えるでしょう。 思いが形となって現象化していくのが、意識の世界です。もし、自分のために生きたいと思う思いが真実より大きくずれていれば、すなわち無知とエゴと欲からその思いを発しているなら、それは間違っているというサインを自分に与えていきます。しかし、本当に真実を求め、ただひたすらにその思いを向けていったならどうでしょうか。ふと気がつけば自分は幸せの中にいる、喜びの中に存在しているということになるのではないでしょうか。 肉で説明はできません。しかし自分が体験してきたことは、みんな自分にとって必要なことであったと心で理解できると思います。たとえそれが世間の常識云々からは理解できないことであっても、自分自身にとって、そうなったことがあるいはそうであったことが、みんな幸せだ、よかったと心から思えると思います。そして幸せが喜びがふつふつと、ときには大きく大きく湧き出てくることでしょう。 肉持った喜びと幸せをしみじみその心で感じ広げていく人生が目の前に広がっていくはずです。そこには何があってもいい、何がなくてもいい、ただ存在していることが本当に嬉しい、お母さんありがとうの思いだけが沸き起こってきます。波動の世界に生き続けている現実をはっきりと感じられることでしょう。 心の中に宇宙がある、私自身が宇宙、そしてその宇宙が喜びに溢れている、この現実を心で知ることは、肉を持つがゆえに難しいことですが、しかし肉を通してこそ知っていけることだと私にははっきりと分かります。 私はこの肉を通しアルバートの世界、アルバートと出会っていることが、もうたまらなく嬉しいです。嬉しいから、これが本当だよ、本当にアルバートは実在するよ、と何度も何度も語りたくなります。握っているもの、とらわれているものをすっと離せば、何でもないことであって、そして離せばたったひとつのものを求めてきたことが、心に痛いほど響いてくるはずなのにと思っています。 心が伝えてくる喜びには、この肉が喜ぶ喜びなど到底、敵うはずがありません。足元にも寄れません。心が喜びで沸き返っています。宇宙に広がっている私自身が本当に喜びを伝えてくれています。もちろん、それはこの肉があるから出会えた世界、宇宙でした。そして言うまでもなく田池留吉という肉と出会えたからでした。 心の中に宇宙がある、私自身が宇宙、そしてその宇宙が喜びに溢れている、この現実を心で知ることは、肉を持つがゆえに難しいことですが、しかし肉を通してこそ知っていけることだと私にははっきりと分かります。だから肉を持たなければ、決して意識の目覚めはあり得ないということも明白です。 どれだけ肉をもらってくるということが素晴らしいことなのか、今世私は肉を持ってそれを知りました。そして真実の世界を垣間見ている私には、今世がこんなのだから、二五〇年後がどれほどのものか、ただただその喜びと幸せが心に響いてくるだけです。 心に喜びを幸せを感じるのは、やはり長い長い転生を思い出すからです。苦しみだけ真っ黒だけを抱えて存在してきた自分自身に思いを馳せれば、もう本当にありがとう、今をありがとうの思いだけしかありません。 たったひとつの真実に巡り合えた幸せ、喜び、それは尽きることなく心に蘇ってきます。心の広がりとともに、本当に出会えた、本当にあった、何度も何度も心に沸き起こってくる喜びをかみしめながら、肉の時間を過ごしています。 心に喜びを幸せを感じるのは、やはり長い長い転生を思い出すからです。苦しみだけ真っ黒だけを抱えて存在してきた自分自身に思いを馳せれば、もう本当にありがとう、今をありがとうの思いだけしかありません。 心の歴史が変わった瞬間を、今世の私は体験させてもらいました。たくさんの過去を抱え、間違い続けてきた歴史のピリオドを自分に打てる、ようやくその段階まで辿り着いたことを実感しています。 二五〇年後の来世は、今世以前と全く違います。真っ黒を抱え持っていると言っても、それは質が全く異なっています。すべてが喜びに帰っていくことを、心はすでに知っているからです。出した瞬間、それは一瞬のうちにすごい喜びのエネルギーに転回していくことが、心はすでに了解しています。今その予行演習の時間をもらっています。アルバートに心を向ければ向けるほど、喜びで沸き返る私自身を、今肉を通し垣間見ている状態です。 私はアルバートとともに生きています。これが私の現実です。そのような私と出会えたのは、肉を持ったからです。今度肉を必要とするのは、二五〇年後です。楽しみにしています。 信じて待ってくれていました。あなたも信じて待ってくれている限りない優しさと温もりを、感じておられることでしょう。たとえ今、他力のエネルギーで満杯であっても、心のどこかにそのことを感じておられるから、今まで続いた学びの年月だったと思います。 信じて待ってくれていました。あなたも信じて待ってくれている限りない優しさと温もりを、感じておられることでしょう。たとえ今、他力のエネルギーで満杯であっても、心のどこかにそのことを感じておられるから、今まで続いた学びの年月だったと思います。 心を落とし何度つまずいても転んでも、あるいは心を離したときがあっても、ここにしか帰っていく場所はない、ここがやっぱり私のふるさとだった、今までそういう体験をされた方は少なくないと思います。信じて待ってくれている、その中にあるからこそ、その思いに触れてまたやり直そうと思うのでしょう。そこには飛躍的な歩みこそありませんが、少しずつ少しずつそうやって自分の中で軌道修正されていく過程を歩むことによって、真実にほんの少しでも近づいていかれるのではないかと思います。 だからすべてよしなんだと思います。それぞれが真実に向かって歩んでいく過程が、今自分の目の前に広がっているだけです。絶対評価の中に自分を置いてみると、みんなが嬉しい、本当にありがとう、私は幸せです、そのような中に自分を自分で誘っていることが感じられると思います。 愚かな自分は自分のところにしか帰ることができません。そしてそれが喜びの自分となって巣立っていく時、それは最高に喜びの時ではないでしょうか。そうです、アルバートとともに巣立っていく自分自身を喜びで見つめていくことが、最高に幸せだと私は思います。 どんな時もどんな場合も、最後に決を採るのは自分自身です。自分以外の誰もそれはできません。そういうことをピシッとわきまえているか否かは、とても大切なことだと思います。 すべてがアルバート一色です。心の底に流れているものはその思いです。もちろん肉の喜びも楽しみもあります。しかし、それはアルバートが基盤となってあるだけです。当然、度を越えることもなく、まあ赤信号は止まれ、青信号は進めという程度のものです。アルバートが基盤にあれば、そんなことはいとも簡単に自然です。肉に溺れるとか埋もれるとか、あるいは流されるとかにはなりません。 今世の肉として、その程度まで心を定めておられないと、たくさんの過去からの思いが心に残留していますから、時とともに容易に元へ戻るということでしょう。応援し正当化する思いが心より出てきて、いつの間にかアルバートなど遠い存在となってしまう危険性は充分にあると思います。それが肉に生き続けてきた歴史の数々です。その自覚がないというのもまたとても危険な状態だということです。 どんな時もどんな場合も、最後に決を採るのは自分自身です。自分以外の誰もそれはできません。そういうことをピシッとわきまえているか否かは、とても大切なことだと思います。 本道を歩くには廿ったれでは無理だという私の持論は、当を得ていると思います。本当の優しさとは何か、本当の優しさを知らないから、最後は自分を見捨てていく、甘ったれとは自分に一番残酷なんだと私は感じています。 私はこの肉を私だと思っていません。私は思いです。この思いこそが私なんです。そして肉を通し自分の世界を見ています。私には肉というものはそういうものです。そこから感じる思いを淡々と見つめています。 私はこの肉を私だと思っていません。私は思いです。この思いこそが私なんです。そして肉を通し自分の世界を見ています。私には肉というものはそういうものです。そこから感じる思いを淡々と見つめています。それが私には嬉しいだけです。以前はそのことが苦しみでした。自分を肉として見て、周りもすべて肉として見て、そんな中で心を見ようとしてきただけでした。 私は自分だけを見つめてきましたし、今ももちろんそうです。心を見るということを通して、どれくらい自分の心が軽くなったか、どのくらい自分を解き放つことができたか、それが私のバロメーターでした。なぜなら、そうしていけば幸せも喜びもきっと分かると私自身ずっと思っていたからです。お金や物があっても心が苦しければ、幸せでも喜びでもないということを心は知っていたけれど、ただそれにはどうしていけばいいのか、その手立てが分からなかっただけでした。 だからこうしてごらんと言われたことを、一生懸命やってきただけです。もちろんすべてが流れの中にあると言えばそれまでですが、私は自分に素直に忠実に、そして誠実でした。 肉として特別なものは何一つ持ち合わせていません。皆さんがつまずいた霊能も私にはありません。しかしたったひとつ、アルバートが分かる、アルバートとともにある私である、そのひとつが私にはあるということです。だから肉の特別なものは何もいらない、霊能もいらない、ですが私にはみんなあるということになるかと思います。 セミナー後、ホームページがなくなった後、この本(田池留吉著『意識の流れーアルバートとともにー」)は大いにあなたのお役に立てるだろうと、私は今からお伝えしておきます。そしてまた欲とこの本は絶対に合わないことも、併せてお伝えしておきます。し] もうすぐこの世に出てくる本に思いを向けると、ただただ嬉しい、喜びが広がっていきます。どれだけの人の目に触れるか定かではありません。もちろん本がどれだけ売れるかということに私の主眼はありません。ただ、本を手に取った人は最後まで読んでほしい、何度も何度も読み返してほしい、そしてそこから流れるものを感じてほしい、これが私の願いです。本当のところ、この本をこの世に送り出せたということだけで私はもう充分なんです。 嬉しいです、本当に嬉しいです。この本が二五〇年後に繋ぐ橋渡しとなってくれることを私は感じています。この学びにおいてたくさんの出版物が出されました。しかし、私はこの本はそのどれとも比較できないものだと思っています。 内容は目新しいものはありません。長年学んでこられた方々には、そうでしょう。ですが、その奥は深いです。どうぞ読みこなしていってください。何度も何度も読み返し、そして真実の世界に一歩でも歩み出していってください。 それは波動です。この本から流れる波動の世界に、どうぞあなたの心を向けていってください。文字を追いながら追っていない、それはちょうどホームページと同じです。 セミナー後、ホームページがなくなった後、この本は大いにあなたのお役に立てるだろうと、私は今からお伝えしておきます。そしてまた欲とこの本は絶対に合わないことも、併せてお伝えしておきます。 どんなに心が敏感であって、意識の世界をどんなに語ろうとも、肉が基盤であれば、感じた喜びは苦しみに変わってしまいます。もともとその喜びは偽物だからです。 どんなに心が敏感であって、意識の世界をどんなに語ろうとも、肉が基盤であれば、感じた喜びは苦しみに変わってしまいます。もともとその喜びは偽物だからです。だから心が変わるのです。肉を基盤としない、すなわち意識を基盤とするならば、そんなことは絶対あり得ません。それが意識の世界の真実です。肉を基盤とする心では、当然意識の世界、真実の世界は絶対分かりません。心の転回が進めばそのことはいとも簡単に分かることですが、自分は心が敏感で意識の世界に通じているという思いが、そのことを分からなくしてしまっているのです。つまり肉の次元に留まっていることが、分からないのです。 だからチャネラーと自負してきた方は、本当に難しいです。すべてをご破算にすることができないからです。自分が感じてきた世界は肉を基盤としてきたということを、その心で自分自身で認めない限り、大変困難だということを伝えてきました。そしてそのことを認めるということが、また大変でしょう。なぜならばみんなそびえ立っているからです。 では自分自身がチャネラーだと自覚のない方はどうなのかと言えば、今世この学びに集っている方々はみんなチャネラーなんです。そういう方しか集ってきません。 要するに、肉が基盤であれば、感じている世界、広げている世界が全く違います。それは自分の基盤が変わらなければ、何も変わっていないということになるでしょう。 喜びはパワーです。私は今、心からそう思います。パワーは外から与えられるものではありませんでした。 喜びはパワーです。私は今、心からそう思っています。パワーは外から与えられるものではありませんでした。パワーを求めてきたことがどんなに無知であったか、そして冷酷なものであったか、それは自分自身が貪欲に求め続けてきたからこそ分かることでした。そしてその結果がどのようなものであったかということは、語るまでもありません。 本当に心から喜んでいれば、肉で不思議なことも起こり得る、しかしそれは決して不思議でも何でもなく、またそこに不思議なパワーが働いたということでもありません。喜びは仕事をします。喜びの仕事をします。そういうことだったんです。そしてまた喜んでいけばいい、ただそれだけでした。喜びが喜びを呼び起こす、本当に喜んでいれば、その循環が次第に形を整えていくということでしょう。もちろん、形を整えていくというのは、アルバートヘアルバートヘと思いが意識が向けられていくという意味です。本来の流れに乗ろうと意識達が心を整えていくのです。そこには肉で都合のいいことも悪いこともあるでしょう。しかしそれは肉の次元から見ているからであって、意識達の喜びの思いに触れていけば、みんな喜びだと心で感じられます。そのために生まれてきたことも意識達が伝えてくれます。 中から突き上がってくる思いは、喜びです。すごいエネルギーで訴えてくる思いは、みんな喜びです。そういうことが、やっと今世ひとつの肉をもらって、心で感じられることがただ嬉しいです。私は喜びだと、喜びのパワーだと、そう心で知ったのです。 私は欲も何もない、ただアルバートを分かる方との出会いがあれば、それが私の喜びです。ともにアルバートを喜び合える、これ以上の喜びも幸せも嬉しさもありません。 私達は、もう十二分に学ばせていただきました。今世肉をもらって、真実の世界を肉を通して知るチャンスに恵まれました。長年学んでこられた方の中で、これ以上何とかという思いが出たなら、それはもう救いようのないほど欲深いのではないでしょうか。至れり尽くせり、そして手取り足取りとはこういうことを言うのでしょう。そのような中でぬくぬくと私達は過ごしてきました。後はそれぞれが巣立っていくだけです。 セミナーは事実上終息の時を迎えています。今はもうそういう時期なのです。未だに肉を本物として心をふらつかせている方は論外です。もちろんセミナーの門戸は大きく平等に開かれています。本を通して集ってくる新しい仲間との出会いのために、今世その扉はまだ大きく開け放たれています。その扉の向こうは、言うまでもなく二五〇年後の世界です。二五〇年後の来世に出会う仲間との出会いを、私は楽しみに待っています。本を通して必ず集ってくれる仲間を待っています。 私は欲も何もない、ただアルバートを分かる方との出会いがあれば、それが私の喜びです。ともにアルバートを喜び合える、これ以上の喜びも幸せも嬉しさもありません。喜びの中に幸せの中にあったということを、心で分かり合えるほど嬉しいことはありません。 それぞれが自分で選んで歩んでいます。間違いなく意識の世界における自分が選んでいます。そしてそこには良いも悪いもありません。その過程において、それぞれが心できっと気付ける時が巡ってくるでしょう。 それぞれが自分で選んで歩んでいます。間違いなく意識の世界における自分が選んでいます。そしてそこには良いも悪いもありません。その過程において、それぞれが心できっと気付ける時が巡ってくるでしょう。自分を地獄に突き落として突き落として、それでもまだ気付かずに地獄の奥底を這いずり回っても、自分という存在は消え去ることはありません。本当の自分が自分を生かしています。 私は、今世そのことに気付きました。今私は自分を生かしている本当の自分の存在を心で感じています。だからもう地獄から出て地獄へ帰る従来の循環の中に私はいません。もちろん二五〇年後の来世を待って、次元移行というスケジュールがありますから、莫大なエネルギーは心に抱え持っています。しかしそれは地獄の奥底という意味ではありません。すべてが一瞬にして喜びへと変わっていくエネルギーということです。そして喜びはパワー、プラスのパワーとして宇宙に仕事をしていくこれからの時間です。 私はアルバートにすべてが「はい」です。「はい」と答える私が嬉しいだけです。アルバートとともにある、これからの時間、空間を思うとき、ただただ嬉しい、喜びです。 肉は色々な方の協力を得て成り立っています。私はだから肉ももちろん幸せです。アルバートを基盤とする心には、みんなありがとうしかありません。そしてこれからの時に思いを馳せる意識達の喜びが心に響いてきます。 消えていく影を影と知りながら過ごす人生と、影をしっかりとつかみながら影を追う人生、幸せ感に大きな隔たりがあります。いえ隔たりどころか決して交じり合わない世界です。 消えていく影を影と知りながら過ごす人生と、影をしっかりとつかみながら影を追う人生、幸せ感に大きな隔たりがあります。いえ隔たりどころか決して交じり合わない世界です。私は、一人でも多くの方がそのことに心で気付いていってほしいと思っています。自分の人生を振り返ったとき、本当に生まれてきてよかったと心から思える、そんな肉の時間が持てるなんて最高に幸せだと思いませんか。誰がいるからとか何があるからとか、そうではなくて誰もいなくても何がなくても、私は生まれてこれたことがただただ嬉しい、ありがとうお母さん、お母さん私は幸せです、その思いの中の自分と対面できる時間、空間、本当にそれだけでいいんです。 自然から遠くに離れてしまった人類に幾度となく促しがあるでしょう。影を影と知らずに存在し続けてきた人類にとって、それは大変な時代の突入です。ああ、でもすべての意識達がその流れの中に存在している現実を、そのような形で示していけるなんて、宇宙に流れ出す喜びのパワーのすごさを思います。 流れ、その流れに逆らえば逆らうほど、それは正確に返ってくることを自らの体験で知っていくことでしょう。あまりにも偉くなり過ぎた、そして驕り高ぶってきた私達でした。それでも自ら顧みるチャンスを用意している、すごい計画だと感じています。 チャネラーの次元の肉などこの世にゴロゴロいます。そんな次元を誇ってきたり崇めてきたりしてきたことが、どれだけ愚かなことであったか、無知とエゴと欲の塊であったという自覚が本当にご自分にあるでしょうか。 肉で生き肉で死んでいった長い時間の中で、その基盤を変えるのは容易ではありません。そのことは私がここで改めて言うまでもなく、それぞれの心ですでに何度も感じておられると思います。確かに肉は一生懸命かもしれません。しかしじっと心を覗いてみてください。あなたの心は肉の基盤を決して離していません。しっかりと握っておられることを自覚していってください。 それぞれそれなりに以前よりは変わってこられた方は多いでしょう。私はでも何度も言いますが、チャネラーと思ってそれなりのことをなされた方、あるいはチャネラーを心に入れ学んでこられた方、本当にしっかりと自分の使ってきた心を確認しないと、難しいでしょう。端的に言えば、同じ基盤の上で以前よりもどうとかをやっているだけだと思います。 そういう場からは、アルバートとか田池留吉の宇宙とかは分かりません。程遠い世界です。チャネラーの次元の肉などこの世にゴロゴロいます。そんな次元を誇ってきたり崇めてきたりしてきたことが、どれだけ愚かなことであったか、無知とエゴと欲の塊であったという自覚が本当にご自分にあるでしょうか。 学びの一過程だったから仕方がなかった、その大義名分を掲げては、自分の愚かさも過ちも気付けないです。都合のいい反省では、結局は基盤を変えるのは難しいということになると思います。 アルバートは私のすべて、そこから私は出発しています。私の基盤はアルバート、だから幸せ、だから嬉しいです。 多くの仲間達と出会える二五〇年後が楽しみです。肉を持ってアルバートのもとに集える喜びを今私は満喫しています。アルバートは私のすべてです。アルバートがあるから肉も幸せで喜びです。肉で受ける感動、すなわちその次元の楽しみとか嬉しさ喜びは、アルバートとともに存在しています。私は、アルバートとともに存在するところからそれらの映像を眺めています。根本にアルバートがあるから、映像を映像として受け取っています。それが楽しければそれもよし、また映像が乱れてもチャンネルを切ればいいだけです。 チャンネルを切れば心に広がっていく本来の世界があります。アルバートの世界に思いを馳すれば、全然比較できない喜びと幸せが心に広がっていきます。そしてそれは映像ではなく、紛れもなく私の世界、私自身がそこに存在しています。私が生きている、大きく広がっていく世界、それが私の世界です。それを心で感じているから、肉の感動は確かに薄くなったように思います。ただの映像に過ぎない、そこには実体がありません。まさに影です。その影を楽しみながら、またありがとうの思いを流しながら過ごす肉の時間です。 肉の幸せも喜びも楽しみもみんなアルバートにひとつ、本当の喜びと幸せの中にある私には、それが実感できます。アルバートは私のすべて、そこから私は出発しています。私の基盤はアルバート、だから幸せ、だから嬉しいです。 元気で行動的で、そしてそこで出会う様々な出来事を通して、自分の心を見ていくことだけが、アルバートの道ではありません。病床にあっても、身体が不自由でも、本当に自分の中の優しさ、温もり、アルバートの存在を信じていこうとするならば、それらはみんな自分にとってかけがえのないものになってくると思います。 肉がなければ真実の世界に触れることはできません。そしてまたその肉も体力、気力を要求します。肉体細胞が病んでからでは難しいです。やはり身体が充実していればこそ、気力も高まってくると思います。ここを踏まえて自分の健康管理をきっちりとしていくことも、アルバートを知っていく大切な条件でしょう。 しかし健康管理をどれだけしていても、肉体細胞が病むことはあります。病とともに心を見ていく、自分の使ってきた心、思いを見ていく、そのことを自分で設定しているのだと思います。そういう状態になってこそ気付けることはたくさんあると思います。自分が出してきたエネルギーをその肉体細胞はしっかりと受けてくれていると思えば、そこにはただただ懺悔とありがとうの思いしか出てこないでしょう。自分の間違いに気付けるとともに、いかに私は優しさの中にあったかということが、その病とともに感じていけるのではないでしょうか。 元気で行動的で、そしてそこで出会う様々な出来事を通して、自分の心を見ていくことだけが、アルバートの道ではありません。病床にあっても、身体が不自由でも、本当に自分の中の優しさ、温もり、アルバートの存在を信じていこうとするならば、それらはみんな自分にとってかけがえのないものになってくると思います。アルバートだけを見つめて存在すること、それが最も大切なことだと私は思います。 心にふるさとがある、帰りたかったふるさとがある、それがアルバートだった、紛れもないたったひとつの真実に巡り合えるチャンス、それが私には今世でした。 アルバート…、お母さんの子守唄が聞こえる、そうそれは温もり、優しさ、まさにふるさとです。ふるさと…、ああだからたまらなく嬉しい、懐かしい、心は知っています。ようやく辿り着きました。ようやく思い出しました。私はだから今世、大きな大きなどこにもないたったひとつの宝物を心に持って、この肉を離すことができます。本当に幸せです。心の底から幸せだという思いが沸き起こってきます。 こんな人生があったんですね。いつも私はそのことをしみじみ思います。心が満たされるとはこういうことなのかと、肉が幸せで喜びとはこういうことなのかと、おびただしい数の私が心で頷き、喜びをかみしめているように思います。 心にふるさとがある、帰りたかったふるさとがある、それがアルバートだった、紛れもないたったひとつの真実に巡り合えるチャンス、それが私には今世でした。そのことをよく知って私はこの肉を持ってきたのでしょう。今世がどんなに大切なときなのか、心に感じてくればくるほど、深く強く響いてきます。 思いが現象化する、その通りだと思います。アルバートに出会いたい、この思いのままに自分の人生は遂行してきました。そのときは肉は分からずとも、着々と事は成されていったのだと思います。自分を振り返るとき、まさに流れというものを感じています。流れの中にあるということを感じずにはいられません。 自分自身との約束、固い約束、私の心はいつもここに突き当たります。自分を決して裏切りたくない、だから自分にしてきた決意は、ここぞというときにはみんなかなぐり捨てるほどのものです。 自分自身との約束、固い約束、私の心はいつもここに突き当たります。自分を決して裏切りたくない、だから自分にしてきた決意は、ここぞというときにはみんなかなぐり捨てるほどのものです。この決意の強さは自分自身にしか分かりませんが、心に喜びを感じれば感じるほどに、やはりそうだったと、そしてこの思いが私自身を引っ張ってきたのだと思います。 私は特別ではありません。肉で頑張っているわけでもありません。肉は愚かだし闇だらけです。心ができているなんて口が裂けても言えません。でも事実私は嬉しいし、幸せな時を過ごしています。肉は何も不自由していません。どこにでもある肉をまとっている私ですが、意識の世界ははっきり違っています。波動を感じながら、波動の中に存在する自分自身を感じながら日々を過ごす、幸せだなあと思います。 究極はアルバートです。アルバートを思う私には何もありません。アルバートに出会うために生まれてきた決意の強さを感じながら、今その望み通りの人生を自分に与えている喜びとともに私はあります。本当に望み通りの展開です。心から沸き起こる思いは、嬉しい、ありがとう、だけです。 アルバートとともにある私だということだけが動かし難い現実、それだけを見つめて私はこれからも存在し続けていくことでしょう。 長い長い転生を思えば、肉の世界がどんなに色鮮やかな映像であっても、そんなものは本当に映像に過ぎません。そんなものに心を売り渡して自分を台無しにしたくないというのが、私の本音です。 長い長い転生を思えば、肉の世界がどんなに色鮮やかな映像であっても、そんなものは本当に映像に過ぎません。そんなものに心を売り渡して自分を台無しにしたくないというのが、私の本音です。 どんなに長い時を経て今ここに存在しているのか、それも地獄の奥底を這いずり回って沈み込んできた転生ばかりです。そんな中からようやく今世必死の思いで、母から肉をもらってきたのです。私は私の心は、そのことをよくよく心得ています。何にも引き換えるものなんてない、この世に何があるのか、私の中の思いと引き換えるものなんか、この世に存在するはずがない、私の偽らざる思いです。 その思いが根底にあるから、私は真っ直ぐです。自分が望んできたものにただ真っ直ぐに突き進むだけです。それは肉では推し量れないほどの思いです。私の基準は誰が何がではない、その私自身の思いです。 どんなに喜んでいるか、どんなに私は幸せであるか、アルバートを本当に心から感じていない方には分かりません。真実の世界、真実の波動の世界を感じれば、出てくる答えはひとつです。ああ私はこれだと心で分かります。どうでもいいようなことは別として、でも、どうして、何で、どうしよう、こうしよう、そんな思いは出てきません。 喜びは喜びを誘い、気付きを促していきます。アルバートを思い、アルバートとともにある心から流れるエネルギーは仕事をしていきます。嬉しいね、幸せだなあとやっていれば、自然に周りが整ってきます。 せっかくこのようにして肉を持って、そして出会いがあり、ともに学べるチャンスを用意してきました。私は一人でも多くの方が、自分が生まれてきたことを心から喜べる幸せ、喜びを、その心に広げていってほしいと思います。 ほんの一握りの方々が、真実の世界を知るチャンスに巡り合っています。全部自分で予定してきたことでしょうが、そのことを心から喜んでいきましょう。 こうなりたい、ああなりたい、こうしてくれ、ああしてくれ、感じさせてくれ、知りたい、分かりたい、もうそのようなもの一切なしにして、ただただ喜びで、そうですね、ただただ喜びで、ともに喜び合っていきませんか。 私は気負いも頑張りも比較競争も何もない、もちろん要求する思いもありません。真っ直ぐに自分を見つめて、自分の道を進んでいます。それだけでいい、真っ直ぐに突き進んでいけることが幸せで喜びです。 喜びは喜びを誘い、気付きを促していきます。アルバートを思い、アルバートとともにある心から流れるエネルギーは仕事をしていきます。嬉しいね、幸せだなあとやっていれば、自然に周りが整ってきます。こんな嬉しい中に私達は存在していたんだと、一人でも多くの方に心で味わってほしいと思うだけです。私自身幸せだから嬉しいから、ただただそう思うだけです。 意識、波動の世界は、文字通り心で感じる世界です。そして言葉にならない世界です。しかし、その世界を言葉あるいは態度により巧みに変換されてしまうと、肉が基盤である方はそこにはまっていきます。基盤が肉であるということにも気付かずに、意識、波動の世界に通じていると思ってしまう、最も危険な状態です。 何もかもあなたの心で感じていくことですが、そしてまた心で感じていく以外にないことですが、基盤が違っていれば、その世界は全く違います。と言ってもどこか別世界に存在しているのでなく、確かにひとつの世界にともにあるのに、基盤が肉だから通じ合わないということです。意識の世界に壁などないけれど、大きな隔たりがあるのを感じます。 基盤が肉であれば、絶対通じ合わないということ、このことを自分の心で知っていくことこそが最も大切なことです。みんな何がしか通じていると思っている、しかし基盤が変わらない限り、それはその次元のものなんです。 意識、波動の世界は、文字通り心で感じる世界です。そして言葉にならない世界です。しかし、その世界を言葉あるいは態度により巧みに変換されてしまうと、肉が基盤である方はそこにはまっていきます。基盤が肉であるということにも気付かずに、意識、波動の世界に通じていると思ってしまう、最も危険な状態です。 喜び、心の広がりと言っても、真実の世界と違う、程遠いということを、自分の心で感じていってくださいというのが、波動の勉強の主眼です。すごい勉強をしているということに、もうそろそろ気付いていってください。もちろん気付かれなくてもいいです。しかし、従来のチャネリングとは全く違うということに、いつかはあなたの心で分かるときが来ると私は思っています。 肉を肉として見る限り、真実の世界は分かりません。私はそのことを今世、この肉を通して知ることができました。嬉しいです。何とも言えず嬉しいです。 私は、今はもちろん自分の心の世界、意識の世界を現実のものとして受け止めています。それは言うまでもなく心に響いてくるからです。しかしまだそれがおぼつかなかった頃、すなわち田池留吉を肉として見ていた頃がありました。しかし、肉として見ていたその時においても、私は当時を振り返り、私の眼中には田池留吉しかなかったと断言できます。そのこの人と集中する思いが、肉を通し、あらゆることを語ってきたのだと思います。口汚く言い放った言葉でしたが、私は決して田池留吉を見下してとか、そういう思いはありませんでした。結局、目をむいて挑みかかったり、首を絞めにかかったり、もちろん言いたい放題の憎まれ口も、自分の中の決死の思いの表れでした。その証拠に私の心は本当に変わりました。 肉から意識への転回、波動を感じるたびに、嬉しさが、喜びが、幸せ感が大きく心を埋め尽くしていく体験を重ねることにより、様々なことが心で感じられるようになりました。 一番は、生まれてきたことに対する喜びです。本当の自分の存在を知り、なぜ肉をもらってきたのかを心で知りました。田池留吉を通してアルバートの波動に触れ、その世界を深めていく喜びと幸せを味わっています。私は大満足です。自分が望んできた通りに歩みを進めています。 肉を肉として見る限り、真実の世界は分かりません。私はそのことを今世、この肉を通して知ることができました。嬉しいです。何とも言えず嬉しいです。 態度や言葉ではありません。明るくふるまっても、にこやかに丁寧な物腰であっても、信じているものが肉であり、握っているものが肉であれば、それはその世界のものです。波動は暗い、重い、冷たいです。 私はあなた、あなたは私です。ということは、私は私の世界を語っていると同時に、それはあなたの世界でもあると言っているのです。 そびえ立っている方は、それが許せないのです。認められないのです。何で私でないんだという思いが心の根底にあります。全部肉です。また自分の心に感じられないから、もうひとつピンとこない、しっくりこない、それも全部肉です。 肉基準は、一様にして己がそびえ立っているということです。皆さん、自分がそびえ立っていることが、なかなか心で分かりません。そびえ立っていない方などないに等しいと言ってもいいくらいのものです。 そんな中で、私は何々の意識、誰それの生まれ変わりと浮かれてきただけのことです。それはあまりにも厳し過ぎると言うのであれば、あなた自身その過程を本当に自分の肥やしになさってこられましたか。そういうことを経てどれだけ自分の心が変わられたでしょうか。もし変わりつつあるならば、それは波動にみんな表現されていきます。流れるものが優しく柔らかく軽くなっていくということでしょう。態度や言葉ではありません。明るくふるまっても、にこやかに丁寧な物腰であっても、信じているものが肉であり、握っているものが肉であれば、それはその世界のものです。波動は暗い、重い、冷たいです。その波動の違いを、自らの心で感じて知っていくことこそが、極めて重要なことではないでしょうか。 アルバートもいいけれど、こちらもいい、そんな思いなど微塵も出てきません。それが私の現実です。肉を持っている今の現実です。 もうそろそろ皆さんの手元に置いてもらえると思います。どうぞ大切に、そして読みこなしていってくださることを願っています。粗末に扱われた方も、いずれはここにまた戻ってこられるだろうと私は思います。なぜならば、これが原典だからです。単なる本ではないことを、自分の心で分かる時が必ず訪れると私は思っています。 二五〇年後に向けて準備が着々と整えられている、その喜びが心に感じられます。二五〇年後に繋ぐために今世のこの時間と空間があることを、私の心ははっきりととらえています。肉に踊らされ肉に舞い上がり、また肉に沈み込んでいくことはゆめゆめあってはならない、私のシナリオの中には、もうそういうものはありません。 なぜ私はいつもそうはっきりと言えるのか、それは自分が探し求め続けてきたものにバチっと出会ったからです。それはそれは長い長い転生の果てでした。心で感じている私には、何度も語るように、待ち続けてきたこの思いと引き換えるものなんて何もないことが、手に取るように分かるからです。 アルバートもいいけれど、こちらもいい、そんな思いなど微塵も出てきません。それが私の現実です。肉を持っている今の現実です。何のために今肉があるのかということを、私は本当に知っているのです。この喜びが一冊の本になりました。ありがとう、そしてただただ嬉しいです。 次元移行の流れ、私達はまさにその流れの中にあります。これは空理空論でもなく予言でもありません。その流れは実在です。それは基盤を変えれば分かります。 次元移行の流れ、私達はまさにその流れの中にあります。これは空理空論でもなく予言でもありません。その流れは実在です。それは基盤を変えれば分かります。その流れの中で、私は今世肉をもらいました。そして肉をもらう、生まれてくることの喜びと尊さを心で知りました。 私の心に響いてくるのは、来世の喜びと肉を持っている幸せです。周りの出来事から人から、そして社会現象から、自分の心に訴えてくるものを感じます。でもそれもまた、今こうして肉を持って見て聞いて触れているから感じられるのです。このように肉を持っているからこそ、私は私と出会えています。それがありがたい、どんな私でも、今出会っていることに、たまらない優しさと嬉しさを感じます。自分自身の優しさと喜びを感じます。 私はどれだけ幸せな中にあったかを、心に溢れるほど感じています。そしてまたこれからどれだけ喜びの自分自身と出会えるか、全く見当もつかないくらいの喜びだということが分かります。 私の二五〇年後は、一瞬にしてそして一気にです。今世の肉を通しそれを感じ、知りました。心が叫んでいます。嬉しいって叫んでいます。二五〇年後の来世が叫んでいます。そしてその来世とともに過去からの私がみんな次元移行していく、新たなる旅立ちを今か今かと待っています。 肉に生きる意識は、本当に信じるとはどういうことか、知りません。信じることの喜びと幸せを知りません。簡単に信じるという言葉を使うけれど、それは心の底に欲の思いがあるからです。[#「肉に生きる意識は、本当に信じるとはどういうことか、知りません。信じることの喜びと幸せを知りません。簡単に信じるという言葉を使うけれど、それは心の底に欲の思いがあるからです。」は小見出し] 肉に生きる意識は、本当に信じるとはどういうことか、知りません。信じることの喜びと幸せを知りません。簡単に信じるという言葉を使うけれど、それは心の底に欲の思いがあるからです。満たしてほしい欲があり、そのために私は信じていますと誓うのです。だから要求するものが手に入らなければ、その信じる思いはたちまち変貌していきます。本来の姿を露呈していくのです。それが他力のエネルギー、他力の心です。そのことにまだ気付かれていない、だから当然、私はそんな欲いっぱいではないと思っておられるかもしれません。 基盤を変えると、そういうことも明白に感じられます。私にはともに歩んでいこう、歩んでいきたいという思いはもちろん強くあります。だからといって、私はそのような他力のエネルギーには引きずられません。ただ真っ直ぐに我が道を見つめ、真っ直ぐに突き進むだけです。肉基盤から見れば、独断的、冷酷、エゴに映るかもしれませんが、私の心はそのような外野の声は受け付けないでしょう。 他力に沈む意識とともにはできません。この一文を見て冷たいと思われるなら仕方がありません。しかし波動を感じていってください。どちらが冷たいのか、あなた自身の心の中を感じていってください。今はそのようにお伝えする以外にはありません。 自分が特別だと思っている方は、絶対アルバートの道は歩めません。アルバートを低く低く見下げ続けているのです。 私はただ私だけを見つめています。自分の歩いてきた道、これから歩いていこうとする道、その道筋をしっかりと真っ直ぐに見つめています。 私の心の中にはっきりと浮かび上がってくるのです。もちろん私の今世以前の転生は真っ黒、地獄の底の底の奥底でした。私はそのことを自分の心の中ではっきりと確認しています。そしてどうして今世肉をもらってきたのか、なぜ田池留吉との出会いがあり今があるのか、私は自分の心で認識しているのです。私の世界には私しかありません。 自分が特別だと思っている方は、絶対アルバートの道は歩めません。アルバートを低く低く見下げ続けているのです。私はだから、こ自分の実態を、一日でも早くご自分の心で分かっていかれることが先決だとお伝えしていますが、あまりにも己が偉くて、馬耳東風の感があります。もうご承知のように肉では低姿勢で物腰も柔らかく、この学び一筋のように見える方も、その方の意識の世界に思いを合わせれば、心に響いてくるものはとても重苦しい、そしてとても冷たいものです。 そこのところがまだ学びの日々の浅い方はもちろん、長く学んでこられた方々においてもピンときておられません。 何度も言いますが、学びはアルバートと自分、自分と自分の世界です。何をするのもどんな思いが出てくるのも、それはみんな自分が選んだ結果だということです。自分に厳しくが自分に最高に優しいということが、お分かりになられるでしょうか。 私は本当に自分に一番冷たかったなあと、心からしみじみ思えるような今世であってほしいと私は思います。あなたの肉を通して伝わってくる意識達の思いを、私は代弁させてもらっておきます。 本当の喜びと幸せが心で分かるには、真っ黒な自分との出会いがなければなりません。己が偉くそびえ立っていては、真っ黒な自分と出会うことはありません。心で色々感じられていても、本当に優しくなければ自分自身を受け入れてやれないのです。自分を受け入れていくというのは、教えるのでもない、諭すのでもない、ただ受け入れていくということです。抱きしめていくということです。己がそびえ立っていれば、それができないのです。全然優しくない、出会いがあっても全部拒否していきます。頭で受け止め頭で受け入れていっているだけです。真っ黒な自分との出会いがあってこそ、肉をもらって生まれてこれたことが、どれだけ喜びかが感じられるのではないでしょうか。地獄の奥底から這い上がってきた、一纏の望みを今世の肉に懸けてきた、その思いがあなたの心に響いてきませんか。本当に肉というものはやっかいなものですね。それだけの思いを心に秘めてみんな生まれてきたのに、今世もまた同じ過ちを繰り返していくのですかと、私は何度も何度もお尋ねしています。 決意の強さの差はあるでしょう。またそれぞれにシナリオは違っています。だから当然足並みは揃いませんが、私は本当に自分に一番冷たかったなあと、心からしみじみ思えるような今世であってほしいと私は思います。あなたの肉を通して伝わってくる意識達の思いを、私は代弁させてもらっておきます。 心、意識の世界はそれぞれの気付きでいくらでも広がっていく世界です。逆に言えば気付けないと何も変わらない世界、波動の世界はそのような世界です。 ともに生きる喜びと幸せ、ともに歩む喜びと幸せ、どうぞどうぞその心で感じていってください。 肉に覆われた世界には、どのようにしてもこの世界の喜びと幸せを伝えることはできません。あなたの心が肉の世界を離したとき、その時に私達がお伝えしていることが、それこそ手に取るようにお分かりなられることだろうと思います。実感として、これこそが現実として心に伝わってくるその世界の喜びと幸せは、本当に何にも換えられないものだと本当に分かることでしょう。 これから二五〇年の間が大変楽しみです。今世出会ったあなたも、あなたも、どうぞ私達と出会ったとき、喜びの花開くそんな出会いとなられるように、これからの時間と空間をよろしくお願いしたいと思います。喜びのエネルギーに変換していけるご自分であることを、心で確信できるこれからの転生になるだろうと思います。 私はただただ嬉しいです。ともに次元を超えていける意識達が集ってくる来世の時間と空間を、ただただ喜びで迎えたいと思っています。素晴らしい計画のもとに、このように集わせていただいたことが本当に嬉しいです。他力のエネルギーに沈んでいくのではなく、そのエネルギーを抱きしめともに歩める、こ自分であることに早く気付いていってください。 心、意識の世界はそれぞれの気付きでいくらでも広がっていく世界です。逆に言えば気付けないと何も変わらない世界、波動の世界はそのような世界です。 他力のエネルギーを心に蓄えてきた意識の世界は、とてつもなく己が偉いのです。それは今あなたが思っておられるような程度ではありません。そしてその自分の世界が根底から崩れていかなければ、真実の世界を心に広げることはできません。 今、肉を持っているその条件は私もあなたも同じです。肉を持っているということには何ら変わりはありません。そして学んでいくチャンスも平等に割り当てられています。そこからどのようにして心の転回をしていくかが、それぞれの問題です。多くの方はそれよりもずっとずっと離れたところでごちゃごちゃしていて、少しも中心に入ってこなかったというのが実情でした。ポイントを外した学び方では、いくら年数をかけても実りはないのです。そういうことが今発売中の本を通して分かってもらえればと思っています。 他力のエネルギーを心に蓄えてきた意識の世界は、とてつもなく己が偉いのです。それは今あなたが思っておられるような程度ではありません。そしてその自分の世界が根底から崩れていかなければ、真実の世界を心に広げることはできません。その手立ては天変地異より他にないということは、もうそれぞれが程度の差こそあれ、心に感じられておられるだろうと思います。 大きな計り知れない愛のエネルギーが働く中でなされていく出来事、そこのところに思いを向けるとき、自分自身が今肉を持っていることがたまらなく嬉しいし、どうして肉があるのかということと、肉を持ってなすべきことが明確に心で分かります。心の歴史が変わる喜びを私は感じています。 「心は知っています。すべては自分の心で分かります。自分の心の中に真実があります。私は真実、私は愛です。」私は今世の学習の中で、そのことを自分の心で体験しました。 タイケトメキチ、肉を持ってくれてありがとうございます。田池留吉という肉を持ってくれて、そして私達も肉をもらって、出会わせていただきました。そのことがただただ嬉しいです。心の奥底から響いてきます。私は肉を持つことの喜びを心に感じています。 肉を本物とする心では、本当の喜びも幸せも分からないどころか、肉の喜びも幸せすらも実は分かっていないということなんです。肉を本物とする心は、肉を大事にしながら実は粗末に扱っていきます。それは肉をもらってきた喜び、幸せ、嬉しさを知らないからです。だから欲を膨らませ、不平、不満、愚痴を並べ、真っ黒なエネルギーの垂れ流し状態のままです。 真っ黒なエネルギーを宇宙に放出してきた私達が、今肉をもらってその現実を心で感じれば感じるほどに、今がどれだけありがたいか、そして私達はどれだけ幸せな存在であるのか、もう明々白々です。 「心は知っています。すべては自分の心で分かります。自分の心の中に真実があります。私は真実、私は愛です。」 私は今世の学習の中で、そのことを自分の心で体験してきました。だからタイケトメキチと私、アルバートと私、その基本は決して揺らぐことはありません。真っ直ぐに自分を見つめていく道をただ真っ直ぐに進むだけです。 真実の世界は、心でしか感じられない世界です。だから当然、形すなわち文字だとか言葉等々では表現できません。波動だけが真実を語る、それが分からなくなってしまった私達でした。 私は幸せです。ふつふつと心の中から沸いてきます。私は自分がエネルギーであることを自覚しています。学びに集う前はそのエネルギーをすべて肉に向けていました。その中で自分の人生というものを考えてきました。間違ってはいたけれど、私は真面目に自分の人生を考えていました。そしてようやく学びに集えた私は、肉に集中してきたエネルギーのその向け先を、自分の中へ変えていく過程を歩み始めたのでした。肉に向けてきたエネルギー、肉に消費してきたエネルギーを、今度は自分の中を見るということにエネルギーを使うようになったのです。 だから私には分かるのです。みんな自分が蓄えてきたエネルギーの大きさ、すなわち自分のエネルギーをその心で自覚して、その矛先を肉から意識へと変えていけばいいだけなんです。それはそうですが、肉の基盤に留まっていれば、そのことすらも全然分からないようです。分かったように思うことも、基盤が肉であれば、全く何も分かっていない、それが意識、波動の世界だということです。 それならば、分からないことを分かったようにおっしゃるよりも、生まれてこれて嬉しいです、ありがとうと素直に喜んでおられるほうが、実があってよろしいのではないでしょうか。 真実の世界は、心でしか感じられない世界です。だから当然、形すなわち文字だとか言葉等々では表現できません。波動だけが真実を語る、それが分からなくなってしまった私達でした。 人生を真面目に考え、そして学びを真剣にとらえてきた方ならば、学びを通して過ごされてきた時間と空間は、大変感慨深いものとなっておられるだろうと思います。 人生を真面目に考え、そして学びを真剣にとらえてきた方ならば、学びを通して過ごされてきた時間と空間は、大変感慨深いものとなっておられるだろうと思います。ただし、欲だけで、自分の思いを満たしてほしい欲だけでずっと来られた方、あるいは隙あらば己を表していこうとする思いが強い方、その方々は残念ながらこの学びと全く相容れません。学びの動機とか目的を再三確認するように呼びかけてきましたが、それも自分の心で気付き自分で認められなければ、一堂に会して学べるチャンスはあっても、それを無駄に費やしてこられたということになるでしょう。後に残るものは恨みと呪いです。そのエネルギーをこれから心で知っていかれるのも、その方々の学びでしょう。私はそう思います。 ところで、私達にはそれぞれに設定してきたシナリオがあります。みんなそれぞれに苦しみやら悩みやらを抱えてきました。それを今現在もまだ自分の苦しみだけをただ訴えるだけでは、何と自分の学びはお粗末であったのかと思いませんか。肉を通してこれだけの年数学ばせていただいた私達ほど幸せな存在はありません。喜びが分かってくれば自ずとそう思えてくるはずです。 心に実感があるということは、それが決して消えない現実であり、それしかないということです。あるようなないような、昨日感じたものが今日はひっくり返っている、そんなことは決してないんです。 救いようがないほど真っ黒だから生まれてきた、お母さんに生んでもらったのではないんですか。ただその真っ黒を皆さんそれぞれが、本当に自分の心で確認できているかどうかは、私には分かりません。自分は真っ黒だ、何も分かっていないと口では言っているものの、本当に自分の真っ黒を知っているかどうか、そんな自分を認め受け入れているかどうかは定かではありません。本当にそのような自分を心で受け入れているならば、真っ黒を知っていけばいくほど嬉しくなってくるはずです。決して心を落としたり小さくしたり、人をむやみに崇めたりはしません。 また波動の世界の真実を感じていけば、己を誇るとか認めさせるとか、分かった分かったと大騒ぎなどできるものではありません。更に自分自身の真っ黒を感じていくからです。それでも嬉しい、たまらなく嬉しい、こんな幸せなことはない、私は本当に幸せだ、私は本当に喜びだ、ありがとう、ありがとう、ただただありがとう、これが本当の私の世界だ、私は現実にここに存在し続けている…、そのような思いが次から次へと湧き出てきます。決して頭を回していない、頭などどこにもない、ただ心が感じている世界です。当然そこにはアルバートがあって、タイケトメキチの世界が広がっています。心に実感があるということは、それが決して消えない現実であり、それしかないということです。あるようなないような、昨日感じたものが今日はひっくり返っている、そんなことは決してないんです。 私は言葉を選びません。黒か白です。ともに学んでいこう、ともに歩んでいこう、その思いの底にこの厳しさがあります。その厳しさに私は支えられています。その厳しさが実は大きな大きな温もり、優しさであることを私は本当に知っています。私はアルバートを本当に信じているからです。 すべては自業自得の世界です。自己選択、自己責任です。頭だけでも真実の世界を知ったなら、これからの自分のあるべき方向が見えてきて然るべきです。 二足の草鞋では絶対にアルバートが分からないと何度も繰り返してきました。本当にそうなんです。自分の都合のいいところだけをつまみ食いしているだけの方は多いです。また誰が、何がと、どこまでも責任を転嫁している方も多いです。誰が何がではない、自分が、です。自分がどうすればいいのか、自分は何をしたいのか、本当にこの学びをやっていこうと思っているのか、その自分の思いだけです。誰が何がなんてどうでもいい、自分のはっきりとした思いがあって、そしてそこからすべてがその思いに沿ってなされていくだけのことです。 意志薄弱、そう結局はそうなんです。他力のエネルギーに振り回されてなんて言うけれど、結局は自分にしっかりとした心棒がないだけのことです。それを言葉巧みに自分に有利なように言葉を並べても、たった一言、アルバートヘの信がない、自分を信じていない、冷たくて愚かな自分自身であるということです。 私は言葉を選びません。黒か白です。ともに学んでいこう、ともに歩んでいこう、その思いの底にこの厳しさがあります。その厳しさに私は支えられています。その厳しさが実は大きな大きな温もり、優しさであることを私は本当に知っています。私はアルバートを本当に信じているからです。 私は次元移行をしてまいります。それが自分に予定してきたシナリオです。そのことが今心に確実に伝わってきている現実です。だからこそ、私にとって今世は絶対外せない時間、空間だということでした。 まだ自分の心にはっきりとした確信がなかったとき、私は何度も何度も自分に問いかけてきたことがありました。それは、自分の今世の人生すべてをこの学びに賭けられるのかということでした。壁に突き当ったり、あるいはさあどっちだと選択を迫られたとき、私は私だけにこの問いかけをしてきました。私は私に聞いてきたのです。なぜならば、私は自分が大事だったからです。自分の人生を無駄にしたくなかったからです。 今思うと、この思いを私は学びに集う以前よりずっと持ち続けていたのでした。そのときは、自分というものの認識も間違っていたので完全に肉の段階でしたが、今現在はなぜ自分はそう思ってきたのか、心で頷いています。 この三次元における私の歴史はようよう幕を閉じようとしています。二五〇年後に転生するのはその総仕上げのためです。それで私の三次元は終わりなのです。そして私は次元移行をしてまいります。それが自分に予定してきたシナリオです。そのことが今心に確実に伝わってきている現実です。だからこそ、私にとって今世は絶対外せない時間、空間だということでした。 すべての意識達は平等に公平に真実に触れるチャンスを予定しています。そしてそのチャンスを活かすのもどうするのも、全部自分が選び決めていくことです。学びに集っているから、自動的に次元移行の流れに乗れるなんてことはありません。それはいくら出会いがあったとしても、三次元に留まる意識もあり得るということを意味します。 本当に喜び合える、真実の喜びと幸せの中で確かめ合える、それは厚い厚い肉の殻を突き破って初めて触れる真実の世界です。その真実の世界に誘う喜びのエネルギー、天変地異はまさに私達の喜びが起こす愛に間違いがありません。 次元移行の流れの中で、このように肉を持たせてもらった私は、今幸せであり喜びであるとともに、何とも感慨深いものを感じています。次元移行を今現実のものとしてとらえる私には、ああもう何とも例えようもありません。 肉のちっぽけな世界を飛び出した心に響いてくるのは、壮大な計画です。宇宙の法の中に生かされ続けてきた喜び、それが私達の真実の姿でした。その喜びが大きく花開く三次元最終のときに、再び肉を持って出会えることが、ただただ嬉しいです。 肉に生きる意識達には、まだ私達の声は心に届きません。まだもう少し時間が必要でしょう。しかしそれももうしばらくです。やがて自分達が自分達に計画してきたシナリオの中で、ようやく真実に触れていくチャンスがあるのです。そのことが私にはたまらなく嬉しいです。 本当に喜び合える、真実の喜びと幸せの中で確かめ合える、それは厚い厚い肉の殼を突き破って初めて触れる真実の世界です。その真実の世界に誘う喜びのエネルギー、天変地異はまさに私達の喜びが起こす愛に間違いがありません。 宇宙にとどろき渡る喜びのエネルギーが、肉に生きる意識達に目覚めを促します。天も地もひっくり返り、そしてこの宇宙とともに私達は次元移行を果たしてまいります。それが私達が約束してきたこと、はるかかなたより悠久の時を越えて約束してきたこと、もうそれが間近に迫っています。 メッセージ47を心で読んでください。優しいね、どこまでも優しいよ、ふっと思いを向ければ、限りない優しさと信じて待ってくれている田池留吉の心しか伝わってきません。どんなに苦しみを訴えても、どんなに自分の正しさを語っても、その心が分からなければ、どうすることもできないことを伝えてくれています。 今まで学んでこられてよかったですか。あなたにとってこの学びは何を意味しますか。やがて一堂に会して学んでいくこともなくなり、パソコンでも出会えなくなります。後はそれぞれが自分ひとりで学んでいく方法しか残されていません。メッセージ47[#「47」は縦中横]を読みながら、そこに書かれてあるような方であれば、本当に大変だなあと思わざるを得ません。後セミナーは何回ですよ…、後一年ですよ…、何度こう予告してもらったでしょうか。残念なことに全部聞き流しにしておられる、そういう方こそ本当に心で聞いてほしいのにと私は思ってしまいます。 心で読んでください。優しいね、どこまでも優しいよ、ふっと思いを向ければ、限りない優しさと信じて待ってくれている田池留吉の心しか伝わってきません。どんなに苦しみを訴えても、どんなに自分の正しさを語っても、その心が分からなければ、どうすることもできないことを伝えてくれています。 これもまたどこかに書かれてありました。アルバートを感じられる人はいい、そうでない私達はどうなるのか…ということですが、そう思っている自分の心を覗いてみれば、いくらでもそこから学んでいけると私は言いたいです。そうしていけば、アルバートを感じられなくしている張本人は自分だということに簡単に気付いていけます。その気付きが本当に心であったら、嬉しいですよ。だから学びの材料なんてどこにでも転がっています。いくらでも喜びを見出していけると私は思います。 アルバートを知らない人に心優しき人など存在しません。アルバートを知らない人にいい人はおりません。みんな真っ黒を宇宙に垂れ流し続けている悪人です。 私は今世、濁流の中で自分の生きていく道を見つけました。明確な回答が自分の心に返ってくるから、これから自分がどうあるべきか、私には何の迷いもありません。もっとも肉のところでは多少の迷いも揺れもあるでしょうが、そんなものは取るに足らないものであり、決して私自身がそのことによって苦しむということはもうありません。 今はただ出会いをありがとうとお伝えしたいです。形では田池留吉から教えてもらった、伝えてもらったということになるでしょうが、教えてもらってありがとう、伝えてもらってありがとうというより、出会いをありがとう、出会わせてもらって幸せです、ありがとうということだと思います。 真実に触れた私の世界は本当に喜んでいます。私自身との出会いがあったことを実感する中で、無知とエゴと欲のエネルギーを垂れ流してきたのが、肉を本物とする心そのものであったことをはっきりと感じます。そしてその流れはもうどうすることもできないこと、人類は堕落の一途を辿っていることも明白です。 アルバートを知らない人に心優しき人など存在しません。アルバートを知らない人にいい人はおりません。みんな真っ黒を宇宙に垂れ流し続けている悪人です。これが意識の世界の真実、このことが心で分からなければ、やはり濁流の渦の中にともに飲み込まれていくことになるのでしょう。地獄から出てきて地獄に帰る転生を繰り返していくだけです。 肉を頂いたことを最大限に活用していきたい、それを今世も来世の私も強く希望するところです。私は肉を持ってくることの意味を知っています。だからこそその大切さとありがたさ、幸せと喜びがこの心に溢れてきます。 私は今、肉を持っている時間を堪能しています。特別なものは何もないけれど、私の中に確実に広がっている世界を深く感じつつ、今肉を持っている本当の意味を知り、幸せで喜びです。 私自身の勉強として、田池留吉がその肉を消した後、自分の心に伝わってくるもの、響いてくるもの、それを自分の中で見極めていく作業、その作業を私自身が進めていくこと、それが残されています。肉があることによって、色々な出来事が目から耳から入ってきて、心に揺れや波を生じさせていきます。そしてその揺れや波は、心を中に向けることによって、どんどん吸収されていきます。すなわち正真正銘そこには肉はないけれど、田池留吉の、そしてアルバートの確かなメッセージを心に感じていく時間と空間が用意されています。それを実際、自分ひとりで確かめていく、そのために私は肉をまだ持ち続けることでしょう。 肉を頂いたことを最大限に活用していきたい、それが今世も来世の私も強く希望するところです。私は肉を持ってくることの意味を知っています。だからこそ、その大切さとありがたさ、幸せと喜びがこの心に溢れてきます。私は今世も来世も素晴らしいシナリオを書いてきたと思っています。 私はとにかく自分のために生きたかった、自分の心の世界を本当に救いたかった、今世の私はそれだけでした。だから肉を維持するために心を使っていくことは最小限にしたい、またできるようになっているのだと思っています。 私と核とはどう違うのか、私だって真剣に学んでいる、むしろ私のほうがチャネラーという点で優れている、私もアルバートを田池留吉を信じています、そのような思いを今まで多くの方は持たれてこられたことでしょうし、いまだにその思いを引きずっておられる方もあることと思います。 私はそうです、特別ではありません。そして私には比較対照するものもなければ、その思いも全くありません。ただ私は私を見つめてきただけです。私の思いを遂行しようとその思いだけを中心に据えてきただけです。その自分自身の思いの妨げになるものは、みんな自分の中で整理してきました。切り捨てたり見限ったりではなく、そういうものに心がとらわれたり、振り回されたり、取るに足らないもので自分の思いを見失ったり曇らせたりしてきませんでした。私は自分に正直に素直に真面目に取り組んできました。 私とあなたと違うところと言えば、そういうところでしょうか。やはり今世に賭けてきた思いの強さの違いということでしょうか。なるほどそういうところから見渡せば、私の環境は整っています。それは私の強い決意のなせる業だと解釈しています。特別とか偉いとかではなく、その思いが現象化しているだけのことです。私はとにかく自分のために生きたかった、自分の心の世界を本当に救いたかった、今世の私はそれだけでした。だから肉を維持するために心を使っていくことは最小限にしたい、またできるようになっているのだと思っています。 しっかり自分の心を見ていないと、偽物を本物だと思い込んでしまうのです。そこのところが最も難しいことだと思います。しかし、それは自分の心で分かります。本当のあなたは自分に嘘はつけません。 肉を通して感じられることが喜びです。肉の状態が良い状態であってもそうでなくても、自分の肉を通して様々な思いが感じられる、それが嬉しくはありませんか。心が落ち込んでいけば、そこで自分が見えてくるし、有頂天になっていれば、そんな自分が見えてぎます。こんな嬉しいことはないと思います。 「意識の流れ」を読みこなしてくださいと申しました。上っ面だけを読むのではなく、何度も何度も繰り返し読んでいってくださることをお願いしました。アルバートが分かってくれば、申し上げている意味が心でお分かりになると思っています。書かれてある以上に、知識としてはたくさんあなたの頭に詰め込まれているでしょう。そして確かに心に何かを感じておられます。しかし、果たしてそれは…とクェスチョンマークがつく方はたくさんあるように感じられます。 己をなくして初めて感じられる波動の世界です。アルバートも田池留吉の宇宙もそう、二足の草鞋では絶対分かりません。そして、他力の神々のエネルギーのままでは、心に感じている喜びは真実の喜びではありません。しっかり自分の心を見ていないと、偽物を本物だと思い込んでしまうのです。そこのところが最も難しいことだと思います。しかし、それは自分の心で分かります。本当のあなたは自分に嘘はつけません。その本当のあなたの思いに素直になっていってください。すなわち、己を外していってください。 私は、アルバートが実在すると証明しています。あるような、ないような、そんな不確かなあやふやな世界ではないのです。しかし、それぞれが自分の心で感じられなければ絶対に信じられないはずです。また自分の心で感じてくれば、あなた自身すなわちその波動が変わってくるはずです。 私は、アルバートが実在すると証明しています。あるような、ないような、そんな不確かなあやふやな世界ではないのです。しかし、こればかりは私がいくら語っても、それぞれが自分の心で感じられなければ絶対に信じられないはずです。また自分の心で感じてくれば、あなた自身すなわちその波動が変わってくるはずです。 要は波動です。自分に絶対嘘はつけません。自分を絶対騙せません。ごまかすのはできます。しかしその瞬間に心は痛みを感じます。心の世界は全く正直です。その自分自身を侮るのはもうおやめください。 あなた自身に与えている学びの時間です。その時間をどのように過ごされても、誰も責めもしなければ、とがめることもないでしょう。どんなに間違った動機で集われ、欲だけの思いを広げられてもまた然りです。それらはみんな自分につけが回ってくるだけです。 襟を正す、肉的な表現で申し訳ありませんが、学びに対する姿勢はこうあるべきだと思っています。そうしてこそ、本当に自由で開放感のある喜びと幸せ溢れる世界を広げていけるのではないでしょうか。 あまりにも甘え過ぎ、慣れ過ぎ、言いたい放題の中をセミナーが通り過ぎていきました。肉持ちともに学べるチャンスは残り少ないです。皆さん、それをどのように感じられているか様々だと思いますが、どうぞご自分のために大切になさっていってください。私はそうお伝えするしかありません。 肉は愚かだから何度も間違いを繰り返します。でもその度に自分を責めたり心を落としたりするのではなく、あの時に戻ろう、あんなに喜んでいた自分があった、その自分を信じていこうと心を向けていってください。 限りなく優しい、何とも言えずに優しい、この温もりを、この優しさを忘れていた、忘れ去ってしまっていた、そう心で感じた方は多いと思います。 セミナー会場がどんな場であるか、今肉を持って集えていることがどんなに幸せか、きっとあなたの心で感じられたことでしょう。肉の生活が流れる中で、様々な人と出会う中で様々な出来事と出会う中で、セミナー会場で体験されたことを持続されることは難しいかもしれません。しかし、いつもあの時に感じたものを思い出してほしい、あそこからまた出発してほしい、私は思います。 肉は愚かだから何度も間違いを繰り返します。でもその度に自分を責めたり心を落としたりするのではなく、あの時に戻ろう、あんなに喜んでいた自分があった、その自分を信じていこうと心を向けていってください。 私は二五〇年後の出会いをただ楽しみに待っています。みんなとともに喜び合えるその時を喜びで待っています。私にはアルバートしか見えません。アルバートとともに喜び合えるその世界しか感じられません。この喜びをこの幸せを一人でも多くの方が今世、セミナーがある間に心の底から感じていってほしいと思います。私には肉の一人一人という感覚はありません。ただアルバートとともにある幸せな存在、それが私達であるということを私は伝えたいだけです。 アルバートを思うとたまらなく嬉しい、本当に嬉しい、今回もまたその喜び幸せを存分に味あわせていただきました。 心を浄化するために、素晴らしい自分に生まれ変わるために、自分は間違っていなかったと確認するために、そのために一生懸命反省を続けてこられ瞑想を続けてこられた、それが本当のところではないでしょうか。 何のために心を見るのか、その意味すらも全く分からないというか、間違っている方がたくさんおられます。心を浄化するために、素晴らしい自分に生まれ変わるために、自分は間違っていなかったと確認するために、そのために一生懸命反省を続けてこられ瞑想を続けてこられた、それが本当のところではないでしょうか。 全く違います。それは根本に素晴らしい自分、間違っていない自分が鎮座しているからです。真っ黒だ、私は間違っていたと語りつつ、片方では素晴らしい自分、間違っていない自分をしっかりと握りしめておられる現状に、一日でも早く気付いていってください。 できた人、分かった人などおりません。ましてや意識が語ってくる、意識を受けていると、それとなく周りに語っている人など、そうやってただ己を表しているに過ぎないということなんです。もうそんな馬鹿げた人に心を向けていくなんてことはおやめください。 自分にしっかりとした心棒がない方は、当然心が外に向いています。向いていきます。だからいつも絶えず自分の心の向け先を管理することが大切です。教祖と信者のエネルギーは巧みです。その思いを掘り下げて見てこられた方ははっきり言って少ないです。それもまたセミナー後の勉強と言えばそれまでですが、どうぞその危険性をたくさんはらんでいることを、お忘れにならないでください。 どんなに間違った生き方をしてきたか、肉が基盤では到底分かりません。立っている場が変わらなければ、みんな人として当然のことだと思ってしまいます。当たり前のことだと心は通過していきます。 どんなに間違った生き方をしてきたか、肉が基盤では到底分かりません。立っている場が変わらなければ、みんな人として当然のことだと思ってしまいます。当たり前のことだと心は通過していきます。しかし、ひとたび基盤が変われば一目瞭然なんです。そのことをお伝えしています。簡単なことではありませんが、不可能なことではないと言っています。 肉が基盤の方は、誰かが何かが幸せにしてくれるのではない、喜びを運んでくれるのではない、このことが分からないんです。自分の欲の思いが見えていません。だから、当然思いに沿わないものが出てくれば、呪いと恨みの世界を広げていきます。 何のためにセミナーに集ってくるのか、田池留吉に対してどんな思いを持ってきたか、このことは非常に大切なことです。それをおざなりにしては、自分の学びが根本的に間違っているということに気付けません。気付けないということは、どんなに学んできた、学んでいると主張しようとも、それに対する結果は他力の域を出ないということです。そこのところをはっきりさせないで、ぼやかしたままでは、どんなにセミナーに集っても効果なしです。 私達は肉を持てた幸せな存在です。肉を持つということがどんなに幸せなことなのかを心で感じてくれば、もう何も言えないです。そう心に響いてくるまで、心を見て自分にどんどん問いかけていってください。必ず自分の心で分かります。それが本来の私達だからです。 消え去るもの、崩れ去るもの、その真っ只中において、あるいはその残骸を見て、何を感じていくか、心を通り過ぎていく思いはどのような思いか、ただそのためだけにエネルギーが働いていきます。そのエネルギーはプラスです。 犬や猫やその他人間以外の生きとし生けるものはみんな知っているのに、本当に人間は何と堕落してしまったのだろうかと思わざるを得ません。それでも人って素晴らしい、人間とは何て偉大な存在かと信じて疑わない思いは根深いです。真実を知らずに存在しているのは肉の人間だけです。だから自分達が闇を垂れ流している、宇宙を汚しまくっているなどとは思いもしません。その現実を知らないで、私は世のため人のため家族のために尽力しています、私は愛の人、どこまでも滑稽です。 人間の無知とエゴと欲の姿、そして無力さを、これからはよりいっそうその規模を大きくして、あらわに目の前に示されることでしょう。何も分からなくなってしまった自分達に気付きを促していく、そこに作用するエネルギー、波動の世界に思いを向けるとき、真の力、真のパワー、まさに力強い意識の流れを感じます。 消え去るもの、崩れ去るもの、その真っ只中において、あるいはその残骸を見て、何を感じていくか、心を通り過ぎていく思いはどのような思いか、ただそのためだけにエネルギーが働いていきます。そのエネルギーはプラスです。それはマイナスのエネルギーをみんな包み込んで吸収していく優しさ、温もりです。私はそのように感じています。だから私は、私達は幸せな存在だとしみじみ心で思えます。 私にとって肉の環境、周りが整ってくるなんて二の次三の次でした。自分の学びが軌道に乗るまでは、そんなものに心を向ける余裕など私にはありませんでした。 私の今世の人生は幸せな人生です。そして今世、本当の喜びと幸せを知ったことで、私の過去も未来もみんな喜びであったことを感じています。自分自身が真実を知らなかった、忘れ去っていただけのことでした。誰も何も私を苦しみに突き落としたものはなかった、心からそう思います。 恨んで呪って自分を切り裂いてきたけれど、ようやく私はそんな自分を心から抱きしめてやれる本当の自分と出会え、今は狂い続け間違い続けてきた自分の実態を、心で受け止めてやれることが嬉しくてたまりません。 上っ面の薄っぺらな喜びとか幸せではなく、心の底からの叫びです。今世肉を持つにあたって、自分に約束してきたことを果たすことができて、ただただ嬉しいです。私にとって肉の環境、周りが整ってくるなんて二の次三の次でした。自分の学びが軌道に乗るまでは、そんなものに心を向ける余裕など私にはありませんでした。私は元来器用ではなかったことが、功を奏したとも言えると思います。 私の学びのスタイルはとてもシンプルでした。それは私と私の対話しかなかったからです。外からの情報は一応受けておくだけでした。心に入れかけても、そこにのめり込んでいくことはなかったです。私には私の思いがあって、それが本当のこととどれだけずれているか、いつもそのチェックをしていたように思います。それを確かめるためのセミナーであり、田池留吉という存在でした。そしてすべてが符合してきた証が、「意識の流れ」でした。どうぞ波動を感じ真実の流れを感じていってくださいというのが、私の今の思いです。 自分が自分に与えてきた時間と空間、そして大きなチャンスだということを、どんな時も心に持ちながら、残りの肉の時間を過ごしてください。 私はそびえ立っていません。私は私に正直なだけです。そして自分の心で感じていることを、ただお伝えしているだけです。私には教祖の思いはありません。私の心で感じているものを、そのまま感じてくださいと言うのも土台無理な話だし、また反対も然りです。だから比べるとか、ましてや競争するのは愚の骨頂なんです。 セミナー会場に肉を運び、そこで何かを感じれば、その思いに従って学んでいけばいいだけです。あるいは本を通して何かを感じれば、その方はきっと自発的にセミナーに集ってくるだろうし、たとえ来られなくても、それぞれの意識の世界に何かが起こっていると、私は思って、います。 今、セミナーに集われている方がどの程度自分の心で感じ、気付かれているか、私にはあまり関心はありません。喜んでおられればそれでいいし、落ち込んでおられてもまたそれもよしです。しかし、自分に納得する学び方、すなわち生き方を、残された肉の時間、できる限りしていってほしいという思いはあります。自分が自分に与えてきた時間と空間、そして大きなチャンスだということを、どんな時も心に持ちながら、残りの肉の時間を過ごしてくださいとお伝えします。 お金が物が地位、名誉が肉のつながりが、あなたに幸せと喜びと希望をもたらしてくれるのではないことを、しっかりと心で分かっていくことが何よりだと私は思っています。 何が起こっても、みんないいんです。不都合な現象も都合のいい現象もありません。そこからどのくらい心を転回させていけるかです。これはいい現象、これは不都合な現象、そうとらえる自分の心を見ていけばいいんです。それらの現象から何に気付いていけるか、です。 心、思いが間違っているから、肉に不都合な現象が起こり、真実の世界を感じ始めているから、肉にも都合がいい現象が起こってくる、そう思っておられるのなら、それは全く違っています。何が起こっても、みんないいんです。不都合な現象も都合のいい現象もありません。そこからどのくらい心を転回させていけるかです。これはいい現象、これは不都合な現象、そうとらえる自分の心を見ていけばいいんです。いい、悪いを判断するのではなく、それらの現象から何に気付いていけるか、です。その時、そびえ立っている自分であったなら、みんなマイナスととらえていきます。頭ではプラス、しかし心はマイナスです。だから暗い、真っ暗、そんなご自分に早く気付いていってください。 心にアルバートを感じていれば、アルバートがどんな世界かを本当に心で感じてくれば、みんな喜びのはずです。あなたにはまだ肉の時間が残されているのですから、いくらでも自分の心次第で、喜びのご自分と出会えるのではないでしょうか。肉体細胞の優しさに触れていってください。そうすれば、どれだけ自分自身に対して冷たかったか、厳しかったか、心の底から懺悔が沸き起こってきます。人間以外はみんな知っています。人間だけが堕落してしまったのです。 肉をありがとう、肉を持たせてもらってありがとう、肉の喜びと幸せもまた心から溢れてきます。長い長い転生でした。心から上がってくる万感の思い、何にも換えられない思いです。 肉の時間はどんどん流れていきます。私は自然に二五〇年後を思っています。今が二五〇年後であることに間違いありませんが、二五〇年という肉の時間を経ることにより、私の心の歴史、肉の歴史に終止符を打てる、喜びの私とともにまた遥かなる旅に出ていけることを、私は本当に嬉しく思っています。 次元移行の流れを心に感じている私には、ただただその現実がもう嬉しくて幸せでなりません。今世の出会いをありがとうと何度も何度も心から出てきます。田池留吉との出会い、そしてアルバートとの出会い、それがもう私の心にははちきれんばかりに喜びと幸せが膨らんでいます。 肉をありがとう、肉を持たせてもらってありがとう、肉の喜びと幸せもまた心から溢れてきます。長い長い転生でした。心から上がってくる万感の思い、何にも換えられない思いです。今世の父がいて母がいて、そして私は生まれてきました。たくさんの私とともに生まれてきました。今その思いが心に突き上がってきます。 私は心で感じています。だから私は、あなたもそしてあなたも、早く気付いていってくださいとお伝えしています。気付けないようにしているのは、あなた自身であることに気付いていってほしいと思います。 確かに後一年あります。しかし本当に後一年なんです。この意味を心で感じていってください。あなたの時間は永遠に続いています。しかし今のあなたの心の状態で本当に私達と次元移行できるのか、これから大変厳しい状況が待っています。 あなたが本当に私に心を向けてくれば、いくらでも私はあなたに語っていることが、あなたの心で分かります。核だけが特別ではありません。しかし核とあなたとは全く違います。真実の世界を心に広げている意識と、まだ真実から程遠いところで喘ぎ苦しんでいる、悩んでいる、あるいはそれすらも気付けないほど堕落してしまっている今の現状に気付けない意識とでは、全然違います。 肉で集い肉で互いに励まし合って、同じだ同じだと慰め合っている、セミナーの最後までそのような状態では、何ともお粗末な学びではないでしょうか。 お金と時間と周りの方のご協力、そしてご自分の身体を使って、いったい何を学んできたのか、あなたは真剣にご自分に尋ねられているでしょうか。 真剣に真面目に学びに取り組むことの意味すらも、まだ心でお分かりになられていない方は多いと思います。私には感じられます。確かに後一年あります。しかし本当に後一年なんです。この意味を心で感じていってください。あなたの時間は永遠に続いています。しかし今のあなたの心の状態で本当に私達と次元移行できるのか、これから大変厳しい状況が待っています。どうぞ心が沈んでいくことのないように、今世できる限り学んでいってください。