正しい瞑想をしましようW 第三回「意識の流れ」初心者のための勉強会を終えて[#「第三回「意識の流れ」初心者のための勉強会を終えて」は小見出し]田池留吉[#「田池留吉」は小見出し] 今回の勉強会で、参加された皆さん方に、3÷0はいくらになるでしょうか、とお尋ねしました。このことは、何も、数学の勉強をしようというものではありませんでした。 私は、これから、0の世界の存在を、もっと知ってもらいたいための問い掛けだったのです。さあ、頭脳では、どこまで解明できるでしょうか。 0の世界は、言葉で言えば、何もない世界、無の世界とでも言いましょうか。私は、これまで、その世界を愛の世界、あなた方自身の真実の世界だとお伝えしてきました。となると、心でしか分からない世界ということになってきます。実は、タイケトメキチ、アルバートの世界は、この0の世界のことなのです。したがって、本来、タイケトメキチ、アルバートといった名称のついた世界はないと思ってください。便宜的に、呼称してお伝えしているものです。0の世界に、あなたの心を向けなさいと言っても、雲をつかむようで、なかなか難しいのではないでしょうか。ただ、今の段階では、タイケトメキチ、アルバートに心の針を合わせていけば、0の世界が、分かってくるようになっているのは事実です。 さて、もう一つ、私がなぜ日本の地を選んで肉体を持ってきたか、これから徐々に明かされていくことになるでしょう。また、塩川香世さんが、今世、この日本の地に生まれ、この学びに繋がっているか、そして、皆さんが、この学びに繋がっているか、これもまた明らかになってくるだろうと思っています。その時、私達はすごい集まりだったと、実感されることでしょう。 「意識の流れ」の学びも、いよいよ、その終章を迎えられるようになってきました。どうか、このことが、皆さん方の心で実感できるように、学びのポイント、手順に従って、しっかりと、私が指し示してきた方向に進んでいってください。 最後に、もう一度、0の世界をと、お伝えしておきます。0は、ゼロ、零と読みます。(従来開いてきたセミナー、勉強会とホームページは、平成二十一年三月三十一日を以て閉じます。ただし、本の出版は続けられると思います。) 私は、今世、この日本の国で、タイケトメキチの意識と出会わせていただきました。そして、真実に目覚めさせていただきました。この日本の国は、アマテラスの力を、隅から隅まで及ぼしてきたところでございます。今世は、この土地で、私は、真実に出会い、そして、私の軌跡を、真実の方向に向ける時でございました。核 タイケトメキチ、そしてシオカワカヨ。今世、肉を持ったこの意識は、ともに二五〇年後に、再び、アメリカの地で出会います。それが、三次元最終の時期だということは、すでに明かされております。その頃、この日本の国は、もはや、海の奥底に沈んでいます。 私は、今世、この日本の国で、タイケトメキチの意識と出会わせていただきました。そして、真実に目覚めさせていただきました。この日本の国は、アマテラスの力を、隅から隅まで及ぼしてきたところでございます。今世は、この土地で、私は、真実に出会い、そして、私の軌跡を、真実の方向に向ける時でございました。 私は、そのために、この日本の国に肉を持って生まれてまいりました。ただただ、そのためでございました。 タイケトメキチという呼称は、便宜上あるように、シオカワカヨという呼称もそうです。私には、名前は必要ございません。ただただ、アマテラスの意識が真実に目覚めた、その事実がとても大切なことでございました。 宇宙から、この日本の国に降り立ち、私は、この日本の国とともにありました。もちろん、地球上のあらゆるところで、転生をした過程はございますが、やはり、私の初めは日本の国、そして、最後は日本の国でございます。 日本沈没というような、甘ったるいものではございません。私のアマテラスの歴史が、喜びの歴史へと変わる瞬間でございます。私は、それを確認して、そして、あのアメリカの地で、再び、肉を持たせていただきます。多民族、多宗教が集まるアメリカの地で、私は、再び、肉を持ちます。そして、そこで伝える真実の声。あらゆる宗教は、すべてブラックであることを、私の心が伝えます。 タイケトメキチ、そう、そこに行き着くまでに、私は、タイケトメキチの世界を、もう少し、しっかりと知らねばなりません。アルバートの世界を、もう少し、知らねばなりません。それが、私の今世の残された仕事でございます。もちろん、田池留吉という肉がある間にも、その勉強が続き、そして、田池留吉の肉がなくなってから、私の肉をなくすまでの間は、私にとっては、とても大切な時間となることは、間違いのない事実でございます。 私は、思います。アマテラスは喜んでいます。アマテラスが苦しめているのではないことを知っていただきたいと思います。核 心にアマテラスを呼び起こしても、私の中には苦しみがありません。 アマテラスを思い、アマテラスに心を向けてきた私自身を語っても、私の心の中には、苦しみはございません。すさまじいエネルギー、それをどれだけ広げてきても、私は、今幸せです。心は、何ら変わることはありません。真実を見つめる私の心の中には、あれほど大きかったアマテラスのエネルギーでさえも、今は、とてもとても愛しく感じます。 アマテラスが目指してきたものは、ひとつの美かもしれません。ひとつの愛かもしれません。しかし、その世界は、恐ろしく冷たい世界でございました。戦って得られるものは何もなかった。アマテラスを誇っても得られるものは、何もなかった。それが、ようやく、本当の優しさ、温もりに、出会ったからこそ、分かることでした。 アマテラスを神として奉る思い、アマテラスを神として尊ぶ思い、アマテラスこそ素晴らしき神だとする思い、ともに帰ることを誓ったから、私は、私を語ることができます。 自分を見失うことなく、私は私の心をしっかりと正しい方向に向けて、自分を語ることができます。 ひとつの時代の中で、数え切れないほどの意識を踏みにじってきた。アマテラスは、無知だったからこそ、それができたのです。アマテラスは、本当の神ではない。アマテラスには、本当の温もりが分からない。そのことを明らかにするために、アマテラス信仰を崩していかなければなりません。 アマテラスを神として奉る思いが間違ってきた。アマテラスは神ではございません。そのことが、それぞれが心で分かっていかない限り、自らを救う道は見えてこない。人の心の中の戦いのエネルギーは、緩めることはできません。 私は、かつて、人の心を操ることが、どれだけの罪であるのか、人の心を苦しめ、どれだけの人を地獄に陥れてきたのかということを、何度も何度も転生の中で感じてきました。アマテラスの中で、私は、そのことを感じてきました。ああ、今世は、だから私は、用心に用心をして、自分の土台作りに専念しました。自分を見失ってはならない、その思い一念で、私は、学んでまいりました。 アマテラスの心に、本当の温もりと本当の喜び、安らぎを伝えたかった。それが、私の本当の思いでございます。 なぜ、日本の国なのか。なぜ、こんなに小さな島国の日本の国なのか。アマテラスの心の中に響いてくる思いは、それが予定通りの道筋であったことを感じて、喜びでございます。 私は、思います。アマテラスは喜んでいます。アマテラスが苦しめているのではないことを知っていただきたいと思います。 アマテラスの心は、待っています。それぞれの心の中のアマテラスは、それぞれが解き放してくれることを、心から待っております。私は、そのことを感じます。核 幸せにしてやる。力を与えてやる。だから、我を敬え、我を神と崇めよ。そのように私は、人々の心を牛耳ってきました。支配してきました。脅迫してきました。人間の心など、いともたやすく、こちらのほうに向きました。簡単に、我らアマテラスのほうに向くのです。 優しいお母さんを演じ、立派な人間を演じ、それがすべてアマテラスのなせる業だということに、日本国民はまだまだ気付いておりません。日本の国が、どのような運命を辿っていくのか。アマテラスの崩壊とともに、日本の国も崩壊していくのです。なぜならば、アマテラスを具現したものが、日本の国家だからです。 アマテラスを神として奉る団体がとても多いです。我こそ一番の真実を伝える集団である、そのように、みんなが力を誇ってきます。その奥底にうごめくエネルギーをご存知でしょうか。すべてを蹴散らして、戦いのエネルギーの渦の中に、すべてを引き込む、そのエネルギーのすごさをご存知でしょうか。また、独自の考えを打ち出す団体もございます。ですが、所詮、ちっぽけなエネルギーに牛耳られているのです。肉、形を中心にしたエネルギーなど、ほんの微々たるものでございます。それを大きく、大きく、人々の心に植え付けてきた。それは、とても、大きな罪でございます。自分達が自分達をバカにしてきたのです。自分達の本来の姿を知らない、こんな無知なことはございません。 とっかかりはアマテラスです。アマテラスの心を崩していくことでございました。しかし、学びに集われて、皆さんも感じておられるように、アマテラスの心は、そうたやすくは崩れないのです。その歴史たるや、その時間たるや、すごい時間を経てきたからです。 心に染み付いてきたアマテラスを美化する思い、アマテラスを神として誇る思い、それが、学びに集い、真実のことを、肉を通して知らされても、なおかつ、その意識を牛耳る、すごさでございます。とはいえ、アマテラスにひれ伏してきた自分の愚かさを、心を見るという作業を通して、感じることを重ねてきたことは事実でしょう。 しかし、私からすれば、とても生ぬるいのです。アマテラスの心は、そのようなことでは放つことはできません。それは、とりもなおさず、その人に意識の転回が、起こっていないからです。それを、これからの三〇〇年の間にしてくださいとお伝えしております。従って、これからの三〇〇年に至る道は険しいと伝えています。 転生は厳しい道です。そして、二五〇年後の出会いを、再び持ちましょうと、私は伝えてまいりました。その時までに、アマテラスの心のまま沈んでいく意識も、たくさんあります。やはりアマテラスの心を離さずに、そのままアマテラスとともに、沈んでいく意識があるということは、否めません。ですが、私は、二五〇年後に、肉を持ち、アマテラスを始めとするブラックのエネルギーを、心に培ってきた意識達に向けて、真実の声を発信してまいります。 私は、十月のセミナー会場で、この肉体をいただいたことに対する思いを、叫ばせていただきました。喜びの思いを伝えさせていただきました。お母さん、ありがとうございます。この肉体を下さって、お母さん、ありがとうございます。心からの叫びを、会場にいた人は、どのようにとらえられたでしょうか。そのことが、心に響いてこない限り、どれだけ、肉をいただいても、そう、肉をいただいても、ブラックの中から抜け出ることはできないのです。 しっかりとした思いでもって、これからの時間を過ごしていきましょう。 アマテラスの心は、待っています。それぞれの心の中のアマテラスは、それぞれが解き放してくれることを、心から待っております。私は、そのことを感じます。厳しい言葉を重ねているようですが、甘ったるい思いでは、真実の道など歩けるはずがないのです。 本当の温もりに触れない限り、何も事は始まりません。核 私は、数など考えの範疇にはございません。 学びの裾野は広がっていくんです。これが真実だからです。それは当然のことです。しかし、学びの裾野が広がっていくからといって、真実の中核に触れる意識の数は、ほんの僅かでございます。 それでもいいのです。真実の中核は、不動の心でございます。 いずれ、私は、そのことを、もっと具体的な形で、示していきたいと思います。 タイケトメキチの肉を通して、私が心に感じてきた喜びの思い、それをそれぞれの心の中のブラックのエネルギーで歪めてほしくはない。私は、切に望んでいます。 今世、私達は、肉を持って、真実を知るという過程にありました。 初めてです。真実を肉を通して知る、この学びが初めてです。 どこかで同じことを聞いた、同じことを習ってきた、とんでもございません。その心を、もっともっと深く掘り下げて見ていってください。 真実は、この学び以外に伝えるところはございません。 私は、意識の世界が、非常事態宣言が出されていることを、すでに伝えています。 それは、私自身の肉の環境においても、そのことを感じています。 それぞれの道があるでしょう。ああ、でも私には、今世と二五〇年後の来世、そのふたつの時間だけだったんです。 そのことを、しっかりと踏まえて、今世の肉も来世の肉も、その環境を選んでいます。従って、私の肉の環境は、とてもシンプルです。肉の諸々を通して、自分の心を見る、その形がとてもシンプルなのです。 私には、もう時間が残されていないと感じているからです。残されていないというよりも、私は、これまでの転生の中で、すでに充分に学習してきたという思いがあります。 様々な役柄を通して、色々な心を使ってまいりました。そして、それを今世、真実に触れさせていただいたその中で、私は、あたかも映像を早送りしているかのように、自分を振り返らせていただきました。 私には、それで充分でございました。 肉の諸々が、自分を幸せにしてくれる、喜びに導いてくれる、そういうことはあり得ないのです。 自分の心を、真実に向けて、自分が真実であったことに、目覚めない限り、喜びは、決して分かるはずがありません。 私は、その思いとともに、今世生まれてまいりました。 しかし、どれだけ、こちらが本当のことですよ、それを握っているようでは、あなたは、真実の道には、到底辿り着けませんよと、お伝えしようとも、その人に係っているのです。その人が、握っているものを、自分から手放さない限り、不可能であるということを、波動の勉強を通して、これまで、何度も伝えてきました。 もちろん、肉は、ああ、これは間違っているんだ、そう思っているでしょうし、それなりの反省と瞑想をされていると思います。 ですが、本当の温もりに触れない限り、何も事は始まりません。 たとえば、自分に向けて、ひとつのメッセージが伝えられたとします。 そのメッセージを、いついかなる時も、心に留め置いて、そのことを、自分の中で、自分の心で、本当に分かっていこうという、素直さというか、そういうものがなければ、いくら、メッセージを伝えようが、やはり素通りなのです。もったいない時間を過ごされていると思います。 ある程度の生活基盤ができ、あとは、死んでいくだけの時間の中で、いったい何が楽しみで生きているのでしょうか。田池留吉の肉がある間に、学ぶことすらできなければ、それ以後に、いったい、何をあなたは、学んでいけるのでしょうか。核 田池留吉は、六十歳を過ぎれば、そして、今は、六十五歳を過ぎれば、みんな、すべてを捨て置いて、この学びをしなければならないということを、言われました。 私は、それでも遅いという思いを持っています。 ある程度の生活基盤ができ、あとは、死んでいくだけの時間の中で、いったい何が楽しみで生きているのでしょうか。 本当は、そのように、問うてみたいのです。 それぞれの自由、そう、そうかもしれません。 ああでも、それは、あなたがあなたを知らないからです。 どれだけの思いで今世、肉を持ってきたのかを、心で知らないからです。 その一端にでも触れれば、そんな言葉を口から発することはできません。 また、そういう言葉を発する、それほど、堕落してしまった、ということでしょう。 田池留吉の肉がある間に、学ぶことすらできなければ、それ以後に、いったい、何をあなたは、学んでいけるのでしょうか。 私は、そのようにお伝えしたいです。 こんなに絶好なチャンスはないのです。 私は、もちろん、田池留吉の肉がある間、しっかりと学んでまいります。 さらに、自己確立の道を深めてまいります。 この学びは、自主的な学びでございます。核 この学びは、自主的な学びでございます。 学んでくださいという表現になっていますが、それは、お願いしているのではありません。 それぞれが、選択して、自分は学んでいこうと思うならば、何よりもただひたすらに、素直に、学んでいけばいいのです。 お願いされて学べるものでもございません。 なぜならば、この学びは、簡単なようで難しい、難しいようで簡単な学びだからです。 簡単なようで難しい、そちらのほうが分かりやすいかもしれません。 もう、こんな学び、やめてやる。放り投げ出したくなる思い、くじけそうになる思い、その思いが出てくれば、非常に重症だと判断してください。放り出そうとする思い、やめてやると叫ぶ思い、何度やっても同じだ、そのように諦めの方向にいくそのことを、もっと自分の中で、しっかりと見ていってください。 そこには、どれだけの己偉いエネルギーが詰まっているのか、そういうことでしょう。 お願いして学んでいただいているのではありません。 あなたは、なぜ、今世、この日本の国に生まれてきたのですか。そして、あなたはなぜ、この学びに集ってきたのですか。アマテラスの僕《しもべ》となるのではなく、アマテラスを神として崇め奉るのではなく、アマテラスも本当のことを知らなかった寂しい、寂しい心を持った意識だったことを、伝えてあげてください。核 あなたは、なぜ、今世、この日本の国に生まれてきたのですか。 そして、あなたはなぜ、この学びに集ってきたのですか。 一人ひとりの心に問いかけていってください。 どんなときでも、問いかけに対して、自分の心で答えるということを忘れないでください。自分の心に響いてくるまで、自分に問いかけていくことを止めないでください。 アマテラス…、アマテラスの国、日本。 アマテラスの心をアルバートに向けていってください。 あなたの心の中にもお母さんの温もりがあるんですよ。 どうぞ、心を、アルバートに向けてください。タイケトメキチに向けてください。 母を捨てたあなた、寂しかったあなたの心を、そう、あなたの温もりで包んでいってあげてください。宇宙にさ迷っているアマテラスがたくさんいます。みんなみんな、お母さんを捨て去り、自分の帰るところを探し続けている意識達でございます。 「アマテラスは恐怖に満ちておりました。寂しい寂しい心に満ちておりました。だから、我を認めよと自分の力を誇示していったのでございます。 ああ、でも、あなたは、本当のあなたを知りませんでした。 あなたはあなたを忘れ去って、捨て去って、本当の温もりを心から離して、ずっと存在してきたのです。」 はい、そのように、あなた自身が、あなたの中で作ってきたアマテラスのほうに向けて、しっかりと言えるあなたであってください。 アマテラスの僕《しもべ》となるのではなく、アマテラスを神として崇め奉るのではなく、アマテラスも本当のことを知らなかった寂しい、寂しい心を持った意識だったことを、伝えてあげてください。 アマテラスに、心を向ける時、私は、アマテラスの思いを感じ、とても嬉しいです。アマテラスは喜びでございました。アマテラスは苦しみではございませんでした。アマテラスは、間違い続けてきたけれど、アマテラスはブラックではございませんでした。アマテラスは喜び、それが、私の心の中に響いてくる思いです。核 タイケトメキチ、アルバートを思えば、とても嬉しいです。私の肉にまつわるものなど、取るに足らないものだということが分かります。私の求めていること、私の探していたこと、私が広げている世界、心で感じている世界は、そんなちっぽけな世界ではなかったことを、心にどんどんどんどん感じて私は、とても嬉しいです。肉を持っていれば、肉のルールがあります。肉を維持していかなければならない。肉は、食べなければならない。肉は寝なければならない。肉は、服を着なければならない。だから、私は、それを、満たせばいいんです。ただ、満たせばいいんです。私の心の中は、そういうことは、求めていない。もう、私には、特別、何も必要としません。 今世、私は、この世的に言えば、結婚という形をとりましたが、それも、私には、ただこの道を歩みたかったその過程のひとつでございました。それが、私にはよく分かるんです。おそらく、私の来世もそうです。私にとって、肉の生活とはそういうものです。私の肉を維持するために、必要なものを、揃えていくだけのもの、それ以上でもそれ以下でもないということを感じます。 私は、そう、本来の宇宙へ帰る意識、その確認をさせていただきました。その思いがとても強いです。自分の中の宇宙を変えていくことが、今世の役割でした。今世、そこから始まりました。宇宙空間をさ迷ってきた意識、それが、ようやく、本来の宇宙へ帰る軌道に乗ったのです。これほどの喜びはございません。私にとって、これほどの喜びはない。肉というものをいただいて、私は、それを達成いたしました。そして、来世、ひとつの肉を持って、その道を、ただただまっしぐらに進んでいきます。真実の世界へ、自分自身を進化させていく道筋、これが、私が、ずっとずっと追い求めてきた道筋でございました。肉を持つということは、そういうことでした。ありがとうございます。ありがとうございます。 アマテラス。アマテラス。アマテラス。心の中でアマテラスを呼んでいます。 宇宙の中でさ迷い続けてきた、アマテラスの意識に伝えていくことが、私の役割でございました。アマテラスの宇宙を、私自身崩壊していくことが、私の役割でした。アマテラスの宇宙をずっと広げてきた、そのことが間違い続けてきた自分を感じることによって、崩壊していきます。それを心で感じることが、とても幸せです。アマテラスから生まれた意識、アマテラスの子供達がたくさんいます。すべて私の子供でございました。アマテラスに、心を向ける時、私は、アマテラスの思いを感じ、とても嬉しいです。アマテラスは喜びでございました。アマテラスは苦しみではございませんでした。アマテラスは、間違い続けてきたけれど、アマテラスはブラックではございませんでした。アマテラスは喜び、それが、私の心の中に響いてくる思いです。タイケトメキチ、アルバート、アマテラス、そう、私の中で、ひとつになって、これからも突き進んでまいります。アマテラスをこよなく愛しています。あなたをこよなく愛しています。私に喜びを伝えてくれたアマテラスよ、どうぞ、どうぞ、私とともに歩いていってください。私が、アマテラスと思えば、そう、ブラックの宇宙が崩れていくのが分かるんです。これからも、どんどんアマテラスを思います。どんどん宇宙を崩していこうではありませんか。ブラックの宇宙を崩していくんです。崩して、崩して、崩して、そして、本来の宇宙に帰る道筋に、皆さんが気付いていけばいい。温もりを心に呼び起こすことをしてください。ブラックにひれ伏しているのではありません。ブラックも喜びに帰る道筋にあることを伝える、温もりであることを伝える、それが私達の役目でございます。 私が、言っているアマテラスの世界は、アマテラスの思いというか、その世界は、そう、とても大きな、大きな世界なのです。核 この学びに繋がっている人達の中に、アマテラスを神として奉る宗教団体に属していた人達は多いです。その数は多いです。しかし、その団体が目指すアマテラス、神として奉るアマテラスという世界と、私が申し上げているアマテラスの世界、波動とは、全く異なるとは言いませんが、イコールではございません。私が、言おうとしているアマラテスの世界は、そう、そういうものではないんです。私が、アマテラスと心に呼ぶ思いは、そういうところには留まっておりません。それを、心で分かってほしいだけです。いいえ、分かってほしい、そう、分かってほしいといって、分かるものではありません。ちっぽけな世界を神として、そこに、何がしかを求めてきた心の中に、響いてくるその思いでは、私がアマテラスと呼ぶ世界を理解することは、不可能でございます。そこに広がっているアマテラスの世界は、ちっぽけな世界です。私が、言っているアマテラスの世界は、アマテラスの思いというか、その世界は、そう、とても大きな、大きな世界なのです。だから、他力信仰の反省をして、そこから、半歩、一歩を抜け出すことに、集中していかなければなりません。本当にちっぽけな中で、自分を押し込めているに過ぎない、それで、いくら懺悔をしても、アマテラスの心には響いてこないのです。そういうことが、これからの時間の中で、それぞれの心の中で、分かっていければいいと思っています。 なぜ、日本の国に、今世、転生をしてきたのか、大きなポイントでございます。 また、先の文章の中に、私の子供とあるのは、愛しい我が子という思いから、そのような表現になりました。その他の意味はありません。 私達のふるさと、母なる宇宙へ帰ろう。差別も、神も、存在しない愛の世界、アルバートの世界へ帰ろう。 私達のふるさと、母なる宇宙へ帰ろう。差別も、神も、存在しない愛の世界、アルバートの世界へ帰ろう。 二五〇年後、差別に悩み、貧困に苦しむ友よ、私達のもとに集ってきなさい。ともに次元移行の道を進んで行きましょう。母に感謝し、生まれた環境を喜び、ともに地球にさよならを、ありがとうを心から発しながら次元移行の道を進んで行きましょう。 私は、UTA会発足に際して、二〇〇九年を瞑想元年として「正しい瞑想をしましょう」を二五〇年後につなげていきたいと思っています。どうか、今世の友よ、あせらず、あきらめず、たゆむことなく、正しい瞑想を続けていきましょう。 みんな、みんな、苦しい中、自分を繋いできたのです。すべては、ここに集結するために、苦しい中を繋いでまいりました。そのことを、どうぞ、ご自身の心で、深く、深く、感じていってください。 二五〇年後に私達と出会い、すべては喜びだったことを、ご自身の心から喜びで叫んでいってください。私達は、あなた方を待っています。 ともに手を携え、しっかりと自分の心を見ながら、これからの時間を過ごしていってください。それぞれに、それぞれが用意したプログラムがあります。そのプログラムに沿って、しっかりと、自分の道を歩いてきてください。 私達の行く手には、大いなる喜びが待っています。どうぞ、そのことを信じて、信じて、今、自分がするべきことをして、できることをして本当の自分に誠実に応えていってください。 苦しみも憎しみも哀しみも、差別も偏見も何もない世界、ただあるのは、温もりだけ、ただあるのは、喜びです。その道を、どうぞ、真摯な思いで、焦らずにたゆまずに、一歩を進めていってください。 学びの友から次のようなメールが届きました。 優しい思いが伝わってきました。 アルバート、私はシンシアでございます。あなたとともに、アルバートヘ帰る意識で、ございます。 二五〇年後のアメリカ、それはそれは荒廃しております。人々は心のよりどころを見失い、毎日何を糧に生きていけばいいのかまったく分からない。そんな中に、私は生まれます。人々の心の荒廃、それは私自身の心の荒廃でございます。 生活は恵まれていても、心は荒み切っている、そんな自分を何とかしたい。でもその手立てが分からない。自暴自棄の中で、どんどん自分を追い詰めていきます。父も母も、私の心なんか分かってくれない。誰も私を助けてくれない。いったい私はどうしたらいいの!私の心は叫んでいます。真っ暗な中で、何の支えもなく、呆然と立ちすくんでいる私です。 私は、あなたに伝えます。私とあなたはひとつです。私は、あなたとともにあります。これからアルバートを目指して、ともに歩んでいきましょう。 UFOも次元移行も、私には現実です。私の心はすでに確信しています。その喜びを、あなたに伝えます。喜びとともにある私の心を、今、あなたに伝えます。 夜明けはもう目の前です。長く長くさ迷い続けてきた人類の夜明けは、目前です。すべてが喜びでした。すべてが愛でした。そのことを、私達は、これから証していくのです。 肉にまみれた私達人類は、自分で自分の首を絞めてきました。その中でいくら奮闘努力しようと、本当の解決には程遠いところでうろうろしているにすぎません。自分を転回させるのは、自分です。誰も、あなたの心を救ってくれません。そのことに目覚めていく、これからの三〇〇年です。 最後にひとつになって、本当の自分に帰っていくのです。その時はもう、タイケトメキチもアルバートも何もなく、すべてがひとつになって、本来の自分の故郷に帰っていくのです。 喜びが鍵です。喜びのエネルギーだけが、自分の心を救っていくのです。喜びは、すべての人の心の中に流れています。その心に気付いていくための、これからです。 天変地異は愛でした、喜びでしたと、一人ひとりの心の中から湧き上がってくるエネルギーが、自分を生かしていきます。私は意識、私は喜び、私は生き通しの命。一人ひとりの心の中から、自分を生かすエネルギーが湧き上がり、すべてがひとつに帰る時、もう名前も何もない、そこには喜びがあるだけです。 シンシアです。私も、深い深い苦しみの中から、喜びに目覚めてまいります。私は喜びでした。私は愛そのものでした。このエネルギーは、地球を包み込んでまいります。 心の中の闇に蓋をせず、どんどん解放していってください。自分が何のために生まれてきたのかを思う時、本来の自分に帰るには、それしかありません。二五〇年後を目指して、しっかりと自分と向き合い、すべての自分を受け入れることから始めていきましょう。 あれは駄目、これは良し……ではなく、すべてです。それが、お母さんの思いです。お母さんとともに、お母さんの温もりを糧にして、アルバートヘの道を歩き始めてください。私は愛でしたと心から感じ、心から喜べるご自分に蘇っていくこれからを信じて、一歩一歩、たゆむことなく、焦ることなく、私の元へ帰ってきてください。 いつも、あなたとともにあります。アルバートとともにある、あなたです。 心を見ること、それは喜びです。自分を知ること、それは喜びです。二五〇年後に繋いでいける自分を感じる時、すべては喜びでした、すべては愛でしたと、心は叫んでいます。 私は、愛である自分を信じ、アルバートともに歩いていく意識です。二五〇年後、あなたの心の中で、あなたを待っている意識です。 今世のタイケトメキチヘの思い、もっともっと強くしていってください。自分に残された時間の中で、どれだけ自分の思いに誠実に生きていけるかです。一日一日を大切に、誠実に生きていってください。 人は愛なり 霊能者達の意識 霊能者A 私は、A。 人は私を、すごい霊能の持ち主だと評価します。私も、その通りだと、自分自身思っております。ああ、しかし、私の心の中にあるものは、そう、恐怖の心でございます。 私は、自分自身、心で感じるだけに、常に、その存在を恐怖しております。私自身を導いてくれるもの、守ってくれるもの、そう思う反面、私は、いつも、危険にさらされている自分自身をも感じております。 そう、私は、自分の耳に聞こえてくる声に従うんです。それは、恐怖からです。 お前は、堂々とすればいい。私が、お前にはついている。私が、すべてを見通しているのだ。お前は、その口を動かすだけでいい。お前には、わしがついている。その代わり、わしを裏切るということをするな。私を敬え。私を上に見ろ。お前の口を通し、私がすべてを導いていってやる。私の力を、お前こそ、知っているだろう。私の言う通りにすればいい。私の言う通りに、言葉を発すればいいんだ。あとは、何もしなくても、お前の今の地位は安泰だ。どこをどう話せばいいのか、私が教えてやる。 私は何も知りません。ただ、私の耳に聞こえてくるもの、それがあるんです。私には、昔から、そういう力がありました。 不思議でした。自分でも不思議でした。自分の口から、言葉を発するたびに、そう、相手の人は驚きます。それを、私は得意としてきました。いつの間にか、私は、それを、自分の特技だとしてきたんです。 ああ、でも、私は、本当は、とても恐怖の思いを感じています。 突然、自分の中が、狂い出しそうな、何を語るか分からないような、そして、自分で自分の首を絞めているような、そういう時があるのです。 ああでも、私は、自分が特別だとする思いを、心から離すことができません。そう、言ってくるんです。お前の未来は安泰だ。お前の人生は、輝かしき人生だ。私がついているじゃないか。私の言う通りにすればいいんだ。お前には、お金が入る。それで、輝かしき人生が送れるではないか。名声も手に入るだろう。お前の名前を世間に売ってやる。世間のやつらは、みんな、お前を目指してやってくるだろう。みんなの望むことを、お前が言えばいい。その秘訣を、私がお前の中から、教えてやる。そう、お前は、私の言う通りに動けばいい。 その思いが、時には、とても私を威圧してくるのを感じます。 夜中にふと目が覚め、私は、それを感じる時がございます。 Aさん、あなたは、自分の霊能を誇っておられますが、その霊能を誇る思いを、心で感じていってください。 あなたの恐怖の思いが、ずっとずっと、その心の奥底にある。それが、霊能を誇るあなたの思いでございます。 口から出す言葉によって、人の人生を左右する、そのことが、どれだけの罪であるのか、私は、あなたにお伝えしたいです。 人は、誰しも幸せを求めます。幸せな人生、輝かしき人生を求めていきます。そのお手伝いにと、あなたは、あなたの口を通して語られているかもしれませんが、そのエネルギーたるや、すごいエネルギーなのです。 あなたは、そのエネルギーを牛耳っているあなた自身の奥底にあるエネルギーをご存知ない。 もし、あなたが、本当に心が敏感で、そちらのほうに、どんどん心を向けていかれたなら、あなたは、間違いなく狂っていくでしょう。 今、あなたは、物質的にも、恵まれていると思います。しかし、あなたは、いずれ、その自分の奥底にあるエネルギーで、自分を苦しめていく、その道筋にあることをお伝えします。 人を救うのが、あなたの仕事ではありません。 あなたは、あなたのその奥底にある恐怖の思いと、真正面から向き合い、そして、その思いを、自分の中で解放していくこと、それがあなたの今世生まれてきた意味でございます。 あなたが、生まれながらにして、心が敏感であり、霊能力というものを身につけていたとするならば、その心に、少しでも、本当の温もりと優しさを伝えるべきものなのです。それを、あなたは、間違って使ってしまいました。 しかし、今、あなたに、このようにお伝えしても、あなたの心は、これを素直に受け入れないでしょう。 それほど、あなたは、もう何もかも分からない状態なのです。 私からすれば、とても深刻な状態です。 やがて来るあなたの結末が、私には感じられます。 あなたがあなたを牛耳っているあなた自身のエネルギーを、恐怖する心を、その心をずっと持ち続けたまま、あなたは、今世も、その肉体をいただきました。そして、これからも、何度も、何度も、あなた自身が気付いていかれるまで、肉体を持つということでしょう。 しかし、あなたが生まれてくる社会はどうでしょうか。とても、とても、大変な時代に、何度も、何度も、転生をしてこられるでしょう。 それほど、あなた自身の心に培ってきたエネルギーは、すごいということです。 あなたが、その霊能を誇る思い、本当は、その思いは、とても、ちっぽけなものなのです。それを素晴らしいとする限り、あなたは、自らを地獄に陥れている、そのことを、自分自身に気付かせるために、これからの転生がございます。 霊能者B 私は、Bと言います。 そう、寂しい、寂しい、寂しい、私の心の中に寂しさが募ります。 私は、煌びやかな衣装を身につけ、この身体を、煌びやかな中において、その寂しさを紛らわせています。 人間の心の奥底にある寂しさを、私は、感じるのです。 色々な芸能を通して、私は、自分の心を紛らわせてきました。 歌を歌うことも…、ああ、でも、私の心は、歌を歌えば歌うほど、役柄を演じれば演じるほど、私の心の寂しさは、募ります。 どうしていいか分からないくらい、寂しい時がございます。 そんな時、私は自分の将来を占ってみます。 自分のこれから先を、私は、自分に聞くということがございます。 そう、私は、自分に暗示をかけているのかもしれません。占いということで、私は、自分に暗示をかけ、大丈夫だよ、大丈夫だよ、寂しくないんだよ、寂しくないんだよ、そのように、私は、私に言って聞かせているのかもしれません。 輝かしき未来を夢見て、私は、占いをし、歌を歌い、そして、人の話を聞き、ああ、この人も私と同じだ、私と同じ寂しさを抱えて、どうしようもないところにいるんだと、そのようなことを考えています。 私は、母を思いたくありません。私にふさわしくない母でございました。 私は、綺麗なものが好きです。母は、とてもみすぼらしくて、汚くて、私には、耐え難いものでございました。母を見下げ続けてきました。 私の母親は、もっと素晴らしい人でなければなりませんでした。 美しく、美しく、どこまでも美しく、輝かしき母親でなければなりませんでした。 私の母は、全くそれとは逆でございました。 私は、今、何とも言えないものを感じます。自分の心が苦しい。この寂しい私が、私の心が、苦しい。私は、それを、紛らわすように、紛らわすようにしてまいりました。どうすれば、この寂しさを埋めていくことができるのか。だから、私は、目に見えない世界を、自分の中で、追い求めることをしてきたんです。 占いはやめましょう。 人にお伺いを立てるのもやめましょう。 すべては、ブラックでございます。 指導霊の類など存在しません。 自分を導くものは、自分自身です。 心に聞こえてくる声、心に上がってくる声、心に上がってくる思い、耳に聞こえてくる声、それらは、すべて、自分自身でございます。 誰かが誰かを指導する、誰かが誰かを導く、これは、すべて誤りでございます。 神の声を聞く者など存在しません。存在すると思っているその人が思う神とは、まさしくブラックでございます。ブラックの声を聞く者、その声の方向に心を向け、その通りにやっていけば幸せになると、そこに群がってくる者はみんな、狂っていって当然です。ブラックに従い、ブラックの意のままに動いていく、ブラックだから、人の心を狂わせ、そう、狂わせていくのです。 私は、すべて悟った者として、この世から、消えていきたいです。 私は****です。私の中にある情欲の思い、世捨て人となっていますが、私の心の中にある、この思いは、まだまだ、くすぶり続けております。 真実とは、何でしょうか。私は、本当のことが、心に見えておりません。その私が、大勢の皆さんの前で、いかにも、悟ったかのように、人の心を説いております。何ともはや、お粗末な私を感じています。しかし、私は、もうすでに、作られた像の中に納まっておかねばなりません。 今更、私には、何も分からない、何も分からないと言えたものではございません。 「あなたにとって、本当のことは何でしょうか。真実の世界をご存知でしょうか」。私は、そのような質問に対して、何ひとつ答えることはできません。 私の帰る世界は、真っ暗な世界でございます。 今も、真っ暗な世界にいることを、感じています。 このことが、私の真実でしょう。そう、たぶん、私の真実は、この暗黒の世界、それを、あなたは、私に伝えてくれているのですね。 私だけではございません。いかにも分かったふうを装って、人様の前で、ご説法をされている方は、私一人ではございません。 みんな、何も分からずに、とくとくと、自分を表しているではありませんか。 そうですね、私も、その一人だと思います。今更、私には、何も分かってはおりませんとは、言えないんですよ。 私は、このままで、このままで死なせてください。 ****は、すべてを悟った者として、この世から、消えていきたいです。 あなたは、本当に何もご存知ないんですね。あなたの肉体を終えることはあっても、あなた自身は、終わらないんです。 その苦しみは、あなた自身が気付かれるまで、永遠に続きます。 どうぞ、そのことを、少し思ってみてください。 あなたの苦しみは、永遠に続く、あなたの心で気付かない限り、永遠に続く、私は、あなたにお伝えしたいと思います。 家族の誰かが、介護を必要とするようになった場合について 私も、世間の人によくあるように、波乱に富んだ一生を送らせていただいています、こんな人生が待っているとは思いませんでした。 煌びやかな世界に、身を置き、私は、****という名で仕事を、楽しんでおりました。華やかな世界で、自分の力を試していこう、自分の力を、技量を磨いていく、その喜びを、私は、日々、堪能しておりました。 そんな矢先、夫である****が、病を得て、突然、倒れました。 身体が、不自由になりました。流暢に、あれほど、流暢に色々なことを語り、とてもユニークな考えを持つ人が、全く人が変わったようになりました。 私は、あの人を支えることに、専念しようと思いました。私の愛する人と、ともに歩いていく、そういう時間をいただくことを、私は、嬉しく思いました。一方、とてもとても、苦しい時間を過ごさせていただきました。 一口に、介護するといっても、人様々ですが、私の場合は、本当に天国から地獄へ引きずり下ろされたような、そんな転落を感じました。 その間、色々な宗教の世界からのお誘いがありました。この本を読みなさい。ああしてごらん。そう、あなたの過去からの因縁とか、色々、言われました。 こちらに、いいお医者さんがいるよという話しもありました。 もちろん、医学の力を、私達は、出来る限り駆使して、様々な試みを受けました。経済的には、私達は、それを充分に施していけるような環境にございました。 しかし、私が、ずっと、主人を介護している間に、私自身が、感じたことは、やはり、人としての優しさ、心から、その人を思いやる、それが一番大切だということに、私自身は、感じさせていただきました。 医学的な処置そしてリハビリ、神、仏にお祈りする、そのようなことも、私達に功を奏したのかもしれません。しかし、私は、そこに、人を思いやる心、優しさ、そういうものが、欠けていれば、どんなに立派な技術をもってしても、うまくいかないのではないかと思います。 私は、夫と二人三脚で歩いてきた自分の人生に、悔いはありません。私は、彼の病気により、自分を大きく、成長させました。彼の介護ということを通し、私は、自分の人間の層が厚くなったように感じています。これが、私が好きだった仕事を続ける人間としての幅を広げてくれるような気がします。 私は****です。身体は不自由です。身体は不自由ですが、私の心からは、色々な思いが出てきます。その中で、私は、やはり、身体の不自由な自分に対して、どうしようもない思いを感じるのが、とても苦しいです。この身体さえ、もっと自由に動ければ、私は、自分の思うところを、素晴らしい作品に残すことができただろうに。私は、いったい、何のために生きてきたのか。今、何のために生きているのか。どうして、私は、この病が、私に降りかかってきたのか。どれもこれも、私の中で、何ひとつ、満足な答えに出会えていません。 妻は、よくやってくれた、よくやってくれている、そのような思いを感じているのは、確かです。しかし、私は、どれだけ、尽くされても、私の手となり足となり、彼女がどのように心を砕き、私に接してくれようが、私の中は、とても苦しいです。私は、私の中は、とても苦しい。そのことが、とても、辛いのです。 心の世界というのは、それぞれのものなんですね。彼女には、彼女の世界があり、私には私の世界がある、どれだけ、彼女が私の手助けをしてくれても、私の心の領域まで踏み込むことはできない。私も然るべき、彼女の心の領域まで踏み込むことはできない。 そのような、ジレンマの中で、私は、苦しい日々を過ごしています。私の心の中から上がってくる思いは、とても苦しいことを感じます。 何が苦しいのか、分かりません。ただ、私は、自分に対して、色々と質問をしてみたけれど、何ひとつ、答えが返ってこない、それが、とても苦しいのかもしれません、 今、ご家庭で介護を必要とされる人とともに、生活をしていらっしゃる人は、たくさんおられると思います。 介護、肉体的にも大変でしょう。ビジネスとしての介護ではなく、家庭の中で、ともに暮らす家族の中で、介護を必要とする場合が起こった時、ご自分の心に沸き起こってくる思いは、どのような思いでしょうか。 私達は、人間というものの本当の姿について、今、学びを進めています。 このことを自分の心で、本当に分かっていくには、意識の転回ということが必要ですし、でも、その道のりは、とても厳しいものがあります。 そんな中で、家族の誰かが、介護を必要とするようになった場合、どれだけ、心と心で、いいえ、意識と意識の中で、その作業を互いに進めていくことができるでしょうか。 介護という作業の中で、互いの意識と意識が学び合う、これは、互いが、この学びをしていなければ、とても難しいですね。 肉体的な重労働から、心が疲弊していくことは、よくあることです。 しかし、そんな時でも、ふっと心を、本当の自分のほうに向けて、ただ、思いを真実の方向に向けて、介護という作業をしていった時、同じことをしていても、何かしら、心に嬉しいというか、そうですね、ありがとうという思いが、ふつふつと沸き起こってくるのではないでしょうか。 これは、ただ単に、人の心の優しさだとか、その人に対する愛情だとか、そういう思いではありません。 ひとつの意識、人間の本質である意識を、それを、心で感じた時に、自然と心から湧き上がってくる思い、それは、肉を基準とした優しさ、肉を基準とした愛情、それを遥かに超えたところにあると思います。 介護ということを通して、本当の喜びを互いに感じ合う、本当の幸せを互いに通じ合わせる、そうなってくれば、形を見れば同じでも、互いに心と心で、意識と意識で、ありがとうございます、ありがとうございました、ただ、その思いだけが、交わされることになるかと思います。 私は、長く生き過ぎました。しかし、今、幸せでしょうかと、真っ直ぐに問いかけられました。私は、返事ができません。 私は、長く生き過ぎました。 たくさんの人達と出会い、色々な事柄に接してきました。私自身も、様々な活動を通して、この人生を過ごしてきました。 しかし、今、幸せでしょうかと、真っ直ぐに問いかけられました。 私は、返事ができません。 世間様から見れば、私は、一応の成功者だと思います。俳優としても、この私が演じる役柄を通して、皆さんの心の中に残っていると思います。歌も、歌います。詩を書きます。曲もつけます。そして、私は、文章も認《したた》めました。それは、私自身、自分というものを探していたのでしょう。そういうことを通して、私は、何かしら今の私でない、何と言いますかね、それを感じたかったのかもしれません。 そういう意味において、私は、いまだ、自分の満足のいく人生を歩んでおりません。ということは、私は、幸せでないということでしょう。 私は、そのように思います。私は、今、年を取っています。今は、ただ、時の過ぎていくのを、ぼんやりと思うだけです。活動はしています。ですが、この私の頭も身体も、そして心も、時の流れの中で、ほとんど活動していないのと、同じでございます。 やはり、私は、死んでいくのが、とても怖いです。底なしの恐怖を感じます。 私は、****です。自分の文筆活動を通して、私は、世の中に、訴えてきたことがございました。自分の、****という自分の世界を、皆様に知って欲しい、そのように思ってまいりました。 ****さん、では、あなたにお尋ねします。 あなたは、だいぶお年を召されて、身体も不自由なようでございますが、あなたのこれから先の時間、そして、あなたが死んでからの時間、それをどのよう思われていますか。 私の時間は、はい、この今の時間です。命の果てるまで、私は、文筆活動を続けてまいります。命がなくなって、私というものが亡くなって、私は、この世界を離れていきます。****の世界を広く、広く、後世に残したい、私の思いを、一人でも多くの人に知っていただきたい、そう思って、私は、たくさんの作品を、この世に残しました。 それは、私、****の足跡です。****です。****は、この肉体を終えるまで、****、私なんです。 その先?その先は、私には、分かりません。 命がなくなれば、私の身体は、荼毘に付される。その後、私は、どこへ行くのでしょうか。今このように語っている私は、無くなってしまう。 はい、そう思うと、底なしの恐怖を感じます。いつまでも、この時間に、私は、ああ、そう、しがみついていたいなあ。しがみつくというのは、適当な言葉じゃないけれど、やはり、私は、死んでいくのが、とても恐怖でございます。 UFOと地球人類 一四〇、自分流のやり方で積み上げた上で、さらに、宇宙とか、アルバートとか、田池留吉の世界とか、そういうものを学んでいこうとしても、全く違う世界にいながらでは不可能だと、何度もお伝えしてきました。はっきりと申し上げます。本当に真実の世界に触れていこうとする思いがあるならば、正しい手順に沿っていこうとします。そして、正しい手順に沿っていこうとする思いがあるならば、肉は、自然にその思いを行動に移します。肉は、そういうふうに動いていくのだと思います。 「正しい瞑想の仕方」の冊子、申し込みはお済でしょうか。販売という形はとっていますが、ほとんど原価です。印刷部数はそんなに多くはありません。無くなり次第、それで終了、追加発行はしません。 私は、事を遂行していくためには、手順を踏むということが必要だと思っています。まさに、この学びはそれに当てはまります。学びに集う以前に、どこかで神とか神の世界とか、そういう世界のことを勉強されてこられた方々の中には、もう自分には、それらについて、かなりの蘊蓄《うんちく》があるという前提で、この学びをやってこられた人も多いでしょう。そういう人達は、この手順を踏んでということができません。自分には自分流のやり方がある、正面きってそうは言いませんが、その意識の世界は、まさに、我は神なりです。自分流のやり方で積み上げた上で、さらに、宇宙とか、アルバートとか、田池留吉の世界とか、そういうものを学んでいこうとしても、全く違う世界にいながらでは不可能だと、何度もお伝えしてきました。 はっきりと申し上げます。本当に真実の世界に触れていこうとする思いがあるならば、正しい手順に沿っていこうとします。そして、正しい手順に沿っていこうとする思いがあるならば、肉は、自然にその思いを行動に移します。肉は、そういうふうに動いていくのだと思います。 一四一、あなたは、意識の世界は、もうすでに、非常事態宣言を発していることをご存知でしょうか。肉のあれこれを楽しみながらでいいのです。ゆったりとして、しかし、心は、きちっとひとつの方向を定めていなければなりません。それがない人には、所詮、肉のあれこれは、泡沫《うたかた》の夢でしかありません。そして、泡沫《うたかた》の夢でしかない肉のあれこれをつかんでしまうのです。結果、苦しみが残ります。 私は、意識の世界を中心に回っています。私の中心にあるのは、意識の世界です。肉の世界を中心に回っている軌道とは違います。当然、学びに対する思いも違います。 人間、半世紀も生きれば、もうあとは見えています。ある程度、生活が整っているでしょう。あとは、どのようにして、自分の肉の時間の締めくくりをしていくか、その点について、本当に自分と向き合っていくことの大切さを感じませんか。 あなたは、意識の世界は、もうすでに、非常事態宣言を発していることをご存知でしょうか。肉のあれこれを楽しみながらでいいのです。ゆったりとして、しかし、心は、きちっとひとつの方向を定めていなければなりません。それがない人には、所詮、肉のあれこれは、泡沫《うたかた》の夢でしかありません。そして、泡沫《うたかた》の夢でしかない肉のあれこれをつかんでしまうのです。結果、苦しみが残ります。ひとつの方向を見定めて、そして、肉のあれこれを楽しんでいれば、泡沫《うたかた》の夢でしかない肉のあれこれは、ただ楽しいだけ、それ以上でもそれ以下でもありません。見定めた方向にある喜び、幸せとは比べようがありません。 一四二、意識の世界は、それぞれの責任のもとで、自らを誘導していくしかなく、示された手順の他で、自らを真実の軌道に乗せることができるならば、それはそれでいいのかもしれませんが、果たして、そういうことができるのでしょうか。できないというのが私の思いであり、できないことを自らが知っていくようになっていると思っています。 タイケトメキチ、私はあなた、あなたは私、ひとつ…。瞑想をして響いてくる思いに、深い思いを感じます。 学びの裾野は、段々に広がっていくでしょう。一方では、やはり、己の世界を捨て切れずに、自らさらなる地獄へ沈む方向に行く人達も出てきます。それはやむを得ないことかもしれません。 一口に、瞑想と言っても、その中身は、色々とあります。心で感じていく世界です。その人が、自分の心で感じている世界を、その人以外が操作するわけにはいかないし、そんなことはできません。だから、一応、参考となる手順を示しています。それに沿っていくかどうかは、自由です。意識の世界は、それぞれの責任のもとで、自らを誘導していくしかなく、示された手順の他で、自らを真実の軌道に乗せることができるならば、それはそれでいいのかもしれませんが、果たして、そういうことができるのでしょうか。できないというのが私の思いであり、できないことを自らが知っていくようになっていると思っています。そんな、遠道、回り道、苦難の道を自ら選ばなくてもとも思いますが、我は神なりのそびえ立ちのエネルギーは、どうも自分のエネルギーに酔いしれてしまっていて、なかなかそこから抜け出すことは難しいようです。 一四三、自分を自分で追い詰めて、どうすることもできない状態、自分の心の世界が、そのような状態になって初めて、そこから自分に活路を見出そうとするのではないでしょうか。それは、形の世界云々ではなくて、自分の心が貧しい、苦しい、まさに地獄の叫び声が、心に響いてくるほどに自分が追い詰められていることを、感じてこそという意味です。 自分は思いの世界に生きている、そうはっきりと感じられればいいのです。そして、その思いの世界は、形、たとえば、人、物、金、頭、そういうものでは、決してどうすることもできないことが、本当に分かってくればいいのです。そうすれば、思いの世界に生きている自分に活路を見出すには、自分を変える以外になく、自分を変えるには、素直に誠実に自分を見つめていく以外にないことが分かってきます。もっとも、自分に活路を見出そうとするまでに、自分自身が至っていない場合は、話は違います。 自分を自分で追い詰めて、どうすることもできない状態、自分の心の世界が、そのような状態になって初めて、そこから自分に活路を見出そうとするのではないでしょうか。それは、形の世界云々ではなくて、自分の心が貧しい、苦しい、まさに地獄の叫び声が、心に響いてくるほどに自分が追い詰められていることを、感じてこそという意味です。そういうところまで行き着かない限り、自分を変えていこうとする思いは継続しません。思いの世界に生きていると感じる一方で、形の世界に生きているとする自分に引っ張られていくからです。 一四四、心に作り上げてきた宇宙の間違いに気付くことができるのは、今という時間しかありません。田池留吉が肉を持っている今という時間です。他力的に、田池留吉をとらえていては、そのチャンスをみすみす逃してしまいます。もともとあった宇宙に帰る道筋を、どうぞ、ご自分の中で見つけてください。真摯に瞑想を続けていってください。 心を田池留吉の世界に向けてみてください。 心が広がっていく、広がっていく、広がっていく…。宇宙…。UFO、天変地異、アルバート……。私は、もっと、もっと、宇宙を語りたい、宇宙を語りたいんです。 異語で語り合える喜びの中にありました。異語は喜び、心からどんどん思いが飛び出てきます。そう、宇宙に向けて喜びが出てきます。呼応してくる思いを感じ、ともにともにという思いが心を広げていきます。 瞑想をする喜びを心で感じていってください。瞑想は喜びです。しなければならない、すれば何かが分かる、感じられる、そういう次元のものではありません。 心に作り上げてきた宇宙の間違いに気付くことができるのは、今という時間しかありません。田池留吉が肉を持っている今という時間です。他力的に、田池留吉をとらえていては、そのチャンスをみすみす逃してしまいます。 もともとあった宇宙に帰る道筋を、どうぞ、ご自分の中で見つけてください。真摯に瞑想を続けていってください。 一四五、私達は、UFOでございます。UFOでございます。心をアルバートに向けることを伝えられました。宇宙にさ迷うUFO達、心に苦しみを抱えております。遥か彼方より地球目指してやって来るUFO達の軍団、私達は、その意識でございます。 UFOにあなたの思いを向けてみましょう。まず、お母さんを思いましょう。お母さんの温もりを思いましょう。あなたの心にお母さんの温もりを思い起こしてください。 私達は、UFOでございます。UFOでございます。心をアルバートに向けることを伝えられました。宇宙にさ迷うUFO達、心に苦しみを抱えております。遥か彼方より地球目指してやって来るUFO達の軍団、私達は、その意識でございます。肉が欲しい、肉が欲しい、この心の中にそのように訴えてくるUFO達の思いを、しっかりと心で感じていってください。あなた方は、今肉体を持っています。形あるものを携えて、今そこに存在しております。しっかりと自分の心を見ていってください。肉を持てる喜びを感じていってください。肉を持たないUFO達に、伝えていってください。それには、あなたの心から、恐怖の思い、不安な思い、狂ってしまうのではないかとする不安な思い、それを取り除かなければなりません。お母さんを思い、お母さんの温もりを思い起こすこと、そして我は神なりという思いをしっかりと認めていくことでございます。それは、冷たい心、その思いでは、UFO達には届きません。心を田池留吉に向けましょう。心をともに田池留吉に向けて、UFOを救っていってください。 一四六、私達には、本来の自分に帰る道しかないのです。激動の時間を通過してまいります。その中で、その過程で気付ける時があるのです。いいえ、気付かなければなりません。元の自分に帰るしか道がないことに気付かなければなりません。自分の本質に心で気付けることが喜びです。 私達には、本来の自分に帰る道しかないのです。激動の時間を通過してまいります。その中で、その過程で気付ける時があるのです。いいえ、気付かなければなりません。元の自分に帰るしか道がないことに気付かなければなりません。自分の本質に心で気付けることが喜びです。 このようなメッセージとともに、私は、今世生まれてきたのだと思いました。どうしても外せない今世の時間でした。そして、二五〇年後の来世でした。二五〇年後が、なぜ過去形になるのかなんて、今更言わないでください。意識の流れを感じれば、すべてが予定通り、ああなるのもこうなるのも、本来の自分に帰る道だったことが分かります。 瞑想をすれば、嬉しいだけです。限りない思いを感じます。そこには、何もない、ただ、広がりゆく世界があり、そして、あえて表現するならば、母の温もり、母の懐にある安らぎということでしょうが、それさえも言葉にしてしまえば、微妙に違ってくる気がします。やはり、言葉では表現できないというほうがいいのかもしれません。 すべてが崩壊していく中で、心と心が反応し合い、ともに移行していく瞬間、その瞬間を私は待ってきたのです。そして、その瞬間が確実にやって来ることを感じているのだと思います。瞑想をして、そのようなことを感じているのだと思います。 一四七、宇宙を思うことが嬉しい、間違ってきた私を思うことが嬉しい…。タ、イ、ト、メ、キ、チ。私はあなたに心を合わせます。心の中に、広がり、温もりを感じ、私達はひとつを感じます。私はあなた、あなたは私、私達はひとつ、この言葉を、今、心でかみしめています。 宇宙を思いなさい。宇宙を思ってごらんなさい。私とともに宇宙を思いましょう。 私の呼びかけに、私は答えます。 数限りない宇宙を作ってきた…。数限りない宇宙を潜り抜けてきた…。 作ってきた宇宙、潜り抜けてきた宇宙を、今、愛しく思える自分があります。さらに、私が私に語ります。 心から、心から、アルバートを思うこと、ただそれだけでございます。アルバートは私、私はアルバート、アルバートの世界を感じる私は、ただただ幸せな存在でございました。今世、私は、そのことを、しっかりと心で感じさせていただきました。私の宇宙は、すべて間違っておりました。今、宇宙が変わっていくのが分かります。遥か彼方から、私は、この宇宙に気付きたかった。今このようにして、肉体を持たせていただいて、自分の思いを叶えることができましたこと、幸せでございます。 私は、ただの平凡な肉、ああでもたまらなく嬉しいです。宇宙を思うことが嬉しい、間違ってきた私を思うことが嬉しい…。 タ、イ、ケ、ト、メ、キ、チ。私はあなたに心を合わせます。心の中に、広がり、温もりを感じ、私達は一ひとつを感じます。私はあなた、あなたは私、私達は一つ、この言葉を、今、心でかみしめています。 一四八、これからもどんどんどんどん、世の中は崩壊していきます。何を信じていいのか分からない、すべては偽装の上に成り立っていた世界にいたことを、人類は真剣に心から感じる時がやって来ます。本当の幸せとは何か、本当の喜びとは何か、人類とはいかなる存在なのか、何もかも信じられない状態の中でこそ、自らを省みるチャンスがあるのです。 淡々と心を見るなかで、しっかりとタイケトメキチに心を合わせていくこと、アルバートを思うことがすべて、それがあなたのすべてでございます。 これからもどんどんどんどん、世の中は崩壊していきます。何を信じていいのか分からない、すべては偽装の上に成り立っていた世界にいたことを、人類は真剣に心から感じる時がやって来ます。 本当の幸せとは何か、本当の喜びとは何か、人類とはいかなる存在なのか、何もかも信じられない状態の中でこそ、自らを省みるチャンスがあるのです。 肉のあなたにできることは、ただただ、心を真実の方向に向けていくことでございます。 心をタイケトメキチに向けていけばいくほど、そして、アルバートを思えば思うほど、あなた自身がさらに分かってまいります。 偽のパワーではなく、真のパワーを秘めたあなた自身の存在を、あなたは心で感じていくことでしょう。 一四九、心に引きずるもの、心のどこかに持つもの、それを根絶することは難しいと思います。それは、一度、よしとして自分の中に入れた世界だから、そう簡単には、心から離すことができないというのが、実際だと私は思っています。しかし、その難しいことをやっていくしかないのです。 タイケトメキチもアルバートも、ひとつの符号です。何か言葉を使って、表現しなければならないから、そう言っているだけで、その言葉にとらわれてしまっては、結局は、今までやってきた他力信仰の延長線上にあることに、変わりはないのです。要は、言葉ではなく、どこに自分の心が通じているか、何と繋がっているか、それを、自分に用意してきた時間の中で、知っていかなければなりません。 これまでに広げてきた世界と決別することは難しいです。どれだけ自分のこれまでを滑稽なものだと感じても、その滑稽な世界を引きずったまま、あるいは、心のどこかに持ったままでは、その世界と決別したとは言えません。 心に引きずるもの、心のどこかに持つもの、それを根絶することは難しいと思います。それは、一度、よしとして自分の中に入れた世界だから、そう簡単には、心から離すことができないというのが、実際だと私は思っています。 しかし、その難しいことをやっていくしかないのです。自分を生かしていく道は、自分で築き上げてきた世界を崩していくことです。それを淡々とやっていく以外に道は残されていない、私は、そのように伝えたいと思います。 一五〇、「心を見よう。しっかりと自分を見よう。見つめていこう。自分の生き方、存在の仕方が間違っていた。だから、私は、自分に素直に従い、本来の自分に蘇っていこう。本来の自分を取り戻していこう」。心を見ていくことは、そのような思いからではないでしょうか。それ以外に何の目的があるのでしょうか。 「心を見よう。しっかりと自分を見よう。見つめていこう。自分の生き方、存在の仕方が間違っていた。だから、私は、自分に素直に従い、本来の自分に蘇っていこう。本来の自分を取り戻していこう。」 心を見ていくことは、そのような思いからではないでしょうか。それ以外に何の目的があるのでしょうか。 間違ってきたのです。すべて、自分が間違ってきたのです。その自分を見つめること、そのために生まれてきたこと、それを心を見ることを通し、しっかりと自分の心で感じていったならば、何よりも、今の自分の生活は、きちんと整っていきます。 私は生活のリズムが整うと言いました。生活のリズムを整えるということは、とても大切なことです。それは、しっかりと自分の心を見て、そして、タイケトメキチに心を合わせようとしていけばいくほど、分かってまいります。自分の心で分かっていくのです。日常の生活が、どれほど大切なことなのか、あなたが今思っている思い、その思いとは別に、大切なことだということが分かってまいります。 自然に生活のリズムは整っていきます。自然に沿った生き方をしていきます。私達は自然だからです。それを忘れ去った私達、狂って当然、苦しんで当然でございます。 一五一、心にとらえてきた宗教の世界を、自分の中で崩していくには、余程の衝撃がなければなりません。衝撃、そう、肉の上での出来事かもしれない、その出来事を通して、自分の心を見たときに、はっきりと自分の歩いてきた道筋が、どれほど愚かであったか、いいえ、愚かだからこそ、とても愛しいと思えるのです。 数の上からは、ほんの一握りかもしれません。真実の世界に、肉を通して触れることができた意識は、ほんの少しかもしれません。しかし、本当に真実の世界を自分の心で感じていったならば、それがどれほどのものであるのかが分かるのです。 宗教の世界に深く足を踏み入れた人には、とても難しいかもしれません。心にとらえてきた宗教の世界を、自分の中で崩していくには、余程の衝撃がなければなりません。衝撃、そう、肉の上での出来事かもしれない。その出来事を通して、自分の心を見たときに、はっきりと自分の歩いてきた道筋が、どれほど愚かであったか、いいえ、愚かだからこそ、とても愛しいと思えるのです。愚かだから、それを切り捨て見捨てる、そういうものではありません。愚かな自分を自分の中で受け入れていく喜び、その喜びを感じなければ、本来の自分の心に戻っていく道筋には、出会えないと思います。 しかしながら、私達は、今世を含め、まだ時間の猶予がございます。その時間の中で肉を持ち、その肉を通し、自分を本当に見つめていくというチャンスが、まだ、何度か残されていると思います。そのチャンスを活かすには、やはり、真実に肉を通して触れた意識達にとって、今世は、とても大切な時間と空間だと思います。淡々と自分を振り返る、果てしない作業かもしれませんが、それが、二五〇年後に自分を繋いでいく道筋であることを知ってください。 一五二、苦しい自分を知ること、苦しい自分の状態を知ること、それに触れずして、肉の時間を閉じていくことが、どういうことなのか、学んでいったならば、感じていかれるでしょう。学びに触れることができてよかった、ありがとう、せめて、そう言って、肉を置いていける状態にまでなってください。 小冊子、「正しい瞑想の仕方」を入手されましたでしょうか。 小冊子「学びのポイント」とともに、どうぞ、正しい手順で学びを進めていってください。 見栄や格好など要らないのです。苦しい自分を知ること、苦しい自分の状態を知ること、それに触れずして、肉の時間を閉じていくことが、どういうことなのか、学んでいったならば、感じていかれるでしょう。 学びに触れることができてよかった、ありがとう、せめて、そう言って、肉を置いていける状態にまでなってください。実際、そうであっても、肉を離せば、厳しい状態です。ほとんど、意識が動かない状態であるか、どこかさ迷っている状態です。そのような現実を踏まえて、だからこそ、今、しっかりと本に示している手順通りにやっていって、自分を少しでも真実の方向へ向けていこうとするべきではないでしょうか。 肉、形が自分の現実ではないことを、しっかりと知っていくために、今の時間があるのです。自分の現実でないものを、しっかりと握っている自分に気付いていくことが待たれているのです。誰に待たれているのか、言うまでもなく、自分自身に待たれています。 一五三、瞑想を続けていくと、やはり、最後に残るものは宇宙です。宇宙を思うことです。宇宙を心に思い、自分の中の宇宙を思い、そして、ともにともに行く喜びを感じること、それに尽きます。瞑想を続けていくと、そこに行き着きます。 瞑想を続けていくと、やはり、最後に残るものは宇宙です。宇宙を思うことです。宇宙を心に思い、自分の中の宇宙を思い、そして、ともにともに行く喜びを感じること、それに尽きます。瞑想を続けていくと、そこに行き着きます。 私達は、肉を持って、自分のいる場を確認することをやってきました。肉は、そのためにありました。そこには、家族がありました。肉の繋がりがありました。そのために生きてきた人達ばかりでございました。しかし、やはり違いました。肉の家族も、肉の何もなかったのです。私達には、何もなかったのです。ただ、私達には宇宙がありました。宇宙があるだけでした。自分達の世界があるだけでした。 宇宙を、限りなく広がっていく宇宙を、自分の中で確立すること、本来の自分に戻っていく道を探し求めてきたこと、そこに行き着くまで、苦しみは続いていくと思います。肉、形を持つ、その思いが、自分を苦しみの中に陥れていくのです。人間の情愛だとか、人間らしさとかを否定することではないけれど、それだけではダメなのです。そこから、ポンと…、ああ、何と表現していいのか分かりませんが、そう、やはり意識の転回ということでしょう。言葉にすれば、意識の転回です。自分のいる場からポンと、場面を変えるというか、そういうことが、自分の中で起こってこなければ、難しいと思います。 一五四、この学びをしていけば、自堕落な生活態度は改まります。道徳や規律で自分をその中に押し込み、形を整えようとする思いからではなくて、自然に生活は、シンプルになり、そして、一定のリズムを刻んでいくようになります。 肉の次元では、みんな愚かです。みんなそれぞれに癖を持ち、そしてそれぞれに考え、思い、価値基準があります。そんなことは当たり前です。己自身も、色々と癖があり、周りに苦しいエネルギーを撒き散らしてきた、そういう反省に繋がっていけば、随分、自分の中は変わってくると思います。お互い様なのです。肉というものはそういうものです。しかし、そこから先は違います。真実の道を淡々と行こうとするのかどうなのかで、意識の世界は全く違ってきます。そういうことが、本当に心で分かってくれば、肉のあれやこれやは、結局どうでもいいとなってきます。それよりも、自分の行く末です。もっと、そのほうにエネルギーを注いでいこうとします。 また、この学びをしていけば、自堕落な生活態度は改まります。道徳や規律で自分をその中に押し込み、形を整えようとする思いからではなくて、自然に生活は、シンプルになり、そして、一定のリズムを刻んでいくようになります。それが嬉しいのです。窮屈でもなければ、しんどいこともありません。生活態度の乱れは、心の乱れ、正規の軌道に乗っていない現われでもあると思います。 一五五、我が一番なり、その心の状態では、その人達の周りに集ってくる流れは、所詮、真実の意識の流れとは異なった流れとなっていくでしょう。まず、その中心となる人達が、意識の流れの中核を、しっかりと自分の心で感じることです。その中核とひとつであるということを、自分の心で感じたならば、我は一番なり、その思いが出てまいりません。みんなとともに行こう、ともにともに行こう、その思いだけでございます。 流れの中で、伝わってくる思いをそのまま文字にします。真実の流れが波及していくには、あちらでも一番、こちらでも一番と、名乗っている状態ではダメなのです。そのような中で、何をどのように行われようが、中身は、全く違うのです。そうではありません。あちらで、こちらで、確かに、中心になられる人達が出てくると思います。その人達の心の状態です。我が一番なり、我が一番なり、その心の状態では、その人達の周りに集ってくる流れは、所詮、真実の意識の流れとは異なった流れとなっていくでしょう。 まず、その中心となる人達が、意識の流れの中核を、しっかりと自分の心で感じることです。その中核とひとつであるということを、自分の心で感じたならば、我は一番なり、その思いが出てまいりません。みんなとともに行こう、ともにともに行こう、その思いだけでございます。 流れの中核です。流れの中核に心を向け、ともに歩いていこうとするのです。そういうことを、これから、それぞれの環境の中で学んでいくことが、待たれています。 一五六、本当の優しさが根本に芽生えない限り、他力の反省は進んでいきません。他力のエネルギーの中に酔いしれて、あるいは、他力にひれ伏しながら、そして、それに恐怖しながら、どんなに自分が愚かだったと振り返っても、その根っこに思いが届かないのです。上っ面の反省になってしまうということです。 心を見る、自分を振り返る、学びを進めていく、その根本にあるものは、優しさです。そして、その優しさは、母の反省を通し、愚かな自分と出会っていくことで、心に蘇ってきます。 本当の優しさが根本に芽生えない限り、他力の反省は進んでいきません。他力のエネルギーの中に酔いしれて、あるいは、他力にひれ伏しながら、そして、それに恐怖しながら、どんなに自分が愚かだったと振り返っても、その根っこに思いが届かないのです。上っ面の反省になってしまうということです。 ただ、そうであっても、学びに沿って、自分を振り返ることをしていけば、随分と変わってくると思います。それは、それぞれ自分の心で、感じておられる人も多いだろうと思います。自分は変わったなあと自覚されているかと思います。 そうやって、自分に用意してきた時間を、自分を振り返ることに使い、そして、瞑想を重ねていけば、他力の根深さの現実を心に感じられると思います。 本当の優しさ、本当の温もりに出会うことの難しさを感じ、しかし、それしかないことを感じられると思います。そして、そのために、これからの時間が用意されていることが、自ずと心に響いてくると思います。 一五七、形の崩壊が、様々なところから見受けられ、しかし、それでも、まだまだ何も気付けていない状態です。この濁流、激流とともにありながら、しっかりと自分を見つめ、そして、自分を合わせていくことは、難しい作業ですが、分かってしまえば、こんなに簡単なことはありません。 目や耳や心を使って、自分自身を本来の自分に戻そうとする思いが、あなたの心にふつふつと湧いてきていますか。それとも、従来通り、それらを、やはり、主に肉の自分のために使っておられますか。スイッチの切り替えを、速やかにしていきましょう。形の崩壊が、様々なところから見受けられ、しかし、それでも、まだまだ何も気付けていない状態です。この濁流、激流とともにありながら、しっかりと自分を見つめ、そして、自分を合わせていくことは、難しい作業ですが、分かってしまえば、こんなに簡単なことはありません。 日々の時間を楽しみながら、そして、本来の楽しみに心を向け、心を合わせていく時を刻む毎日、私は、そのような毎日を過ごしています。あなたの毎日は、どのような時間でしょうか。自分のこれまでの間違いに、速やかに気付き、そして、速やかに方向転換をすること、それだけで、どんなにか楽しくて幸せな自分が待っているか、どうぞ、ご自分の心で体験なさってください。間違いに速やかに気付き、速やかに方向転換するには、どうすればいいのか、何が必要なのかは、すでに伝えているとおりです。 一五八、自己確立をするためには、自分がなぜ生まれてきたのかを、心を見る実践を通して、心で知っていくことが必要です。心で知っていけば、今の肉の生活は、あだやおろそかにできません。そして、肉をくれた母親に対しての思いは変わってきて当然です。瞑想を通して、母という意識に行き着き、そして、さらに自分の世界を突き進む、そこに広がっていく宇宙を思い、自分の中の宇宙が変わっていく喜びに行き着くのです。 今ある中で、自分を見つめていくことができる喜び、幸せを知ったならば、それに優るものはありません。どんなにすさまじいエネルギーを流している自分であっても、そのエネルギーを感じていくことができる今が喜びなのです。ただし、そのエネルギーに振り回されるとか、そのエネルギーを、さらに大きくしていくとか、そういうことでは、どんなに自分に適した環境であっても、ただ苦しみが増してくるだけでしょう。結局は、自分で苦しい道を選んでしまいます。もちろん、すさまじいエネルギーを流している自分自身を受け入れていく、それは、一朝一夕でできることではありません。淡々と過ごす時間の中で、繰り返し、自分と自分の中の対話を進めていくことに尽きます。そして、それを進めていくためには、自己確立が必要です。自己確立をするためには、自分がなぜ生まれてきたのかを、心を見る実践を通して、心で知っていくことが必要です。心で知っていけば、今の肉の生活は、あだやおろそかにできません。そして、肉をくれた母親に対しての思いは変わってきて当然です。 瞑想を通して、母という意識に行き着き、そして、さらに自分の世界を突き進む、そこに広がっていく宇宙を思い、自分の中の宇宙が変わっていく喜びに行き着くのです。 一五九、ほとんどの人は、自分自身の岐路に立っていることすら分からず、よしんば、それをうすうす感じていたとしても、肉を土台として右か左かの分かれ道程度にしかとらえられないところに、真実を知らないできた人間の哀しさがあるのではないでしょうか。それを打破するには、やはり、大きな出来事が必要です。まさに、人智を超えたものが必要となってくるのでしょう。 これだけ心を見なさい、見てごらん、そして、瞑想をしていってくださいと伝えられても、なかなかそれを実践することは難しいようです。やはり、何か決定的な現象が起こってくることが、心の方向をより正しいほうに向けていくために待たれているのかもしれません。もちろん、それは今世であれば、なおいいと思います。なぜならば、学んでいる人であれば、肉から正しい情報は入っているので、それを活用していく強みがあるからです。そして、自分の転生に繋いでいくことができればいいという、願ってもない幸せなチャンスに恵まれています。そうでない人は、自分自身の節目に出会っても、それが何を意味しているのか、実際よく分からないのでしょう。分からないまま、やはり、また、次のチャンスを待つということでしょうか。 ほとんどの人は、自分自身の岐路に立っていることすら分からず、よしんば、それをうすうす感じていたとしても、肉を土台として右か左かの分かれ道程度にしかとらえられないところに、真実を知らないできた人間の哀しさがあるのではないでしょうか。それを打破するには、やはり、大きな出来事が必要です。まさに、人智を超えたものが必要となってくるのでしょう。 一六〇、自分の中に作ってきた他力の世界と、じっくりと向き合いながら、そして、それが、どんなにすさまじい世界であろうとも、嬉しい、ありがとう、必ず…という方向に心を向けていかれたなら、それでいいのです。簡単なことです。今ある状況が苦悩に満ち満ちていても、やがて、それは、霧が晴れるように視界が開けてきます。 明日から勉強会、会場に来る人も来ない人も、みんな、心を向けていってください。田池留吉の世界に、そして、宇宙へと心を向ける時間を、日常の中で持つように心掛けてください。基本は、勉強会があろうがなかろうが、変わることはありません。そのようにして、自分の時間を使うように心掛けていく姿勢に、何ら変わることはありませんが、あと少しの間、勉強会という場が設定されているのだから、それを、ただ喜んでいきましょう。それぞれの意識の世界の歩みを、正しい方向へ、一歩でも、半歩でも進めていくことに専念してください。自分の中に作ってきた他力の世界と、じっくりと向き合いながら、そして、それが、どんなにすさまじい世界であろうとも、嬉しい、ありがとう、必ず…という方向に心を向けていかれたなら、それでいいのです。簡単なことです。今ある状況が苦悩に満ち満ちていても、やがて、それは、霧が晴れるように視界が開けてきます。それが、真実の世界のなし得るパワーです。嘆き悲しむこと、悩み苦しむこと、それが間違っていることに気付かせるパワーなのです。 一六一、意識、波動の世界のすごさというか、素晴らしさ、嬉しさ、喜びが、心に広がっていく今という時が、たまらなく嬉しい、そして、たまらなく幸せです。私は、そのことを感じることができる肉体というものを、今持っていることが、たまらなく嬉しいのです。 意識、波動の世界のすごさというか、素晴らしさ、嬉しさ、喜びが、心に広がっていく今という時が、たまらなく嬉しい、そして、たまらなく幸せです。私は、そのことを感じることができる肉体というものを、今持っていることが、たまらなく嬉しいのです。 自分の心で感じなければ、自分の心に響いてこなければ、何も分からないし、信じられない世界です。意識、波動の世界は、そのような世界です。 私は、今、肉体があって、その喜び、幸せな世界と、本当に出会わせていただいています。心の底から噴き上がってくる喜びというところの心とは、ちっぽけな心を指して言っているのではないことが、はっきりと感じられます。 今、タイケトメキチの世界と出会っている喜びは、確かに私の現実です。その現実にある私こそが私だと、はっきりと感じられるから、私は、幸せです。私の中には、宇宙が広がっている、私とあなたはひとつの宇宙が広がっている、感じたものを言葉にすれば、そういう感覚です。しかし、うまく表現できないもどかしさが、どうしてもついてまわります。 一六二、肉を持てば、肉の喜びと幸せを求めます。それは当然です。今の形の自分を自分だとしているから、そこを中心にして、すべてが回っていくことに、何の抵抗もありません。むしろ、その方向に自分のエネルギーを費やし、自分を賭していくことが素晴らしいのです。しかし、そうでないことが、自分に本当に響いてくれば、これも当然のことながら、見るもの、聞くものが違ってきます。 肉を持てば、肉の喜びと幸せを求めます。それは当然です。今の形の自分を自分だとしているから、そこを中心にして、すべてが回っていくことに、何の抵抗もありません。むしろ、その方向に自分のエネルギーを費やし、自分を賭していくことが素晴らしいのです。しかし、そうでないことが、自分に本当に響いてくれば、これも当然のことながら、見るもの、聞くものが違ってきます。そして、自分が、肉を持って今があることの喜びが、心にドーンと響いてきます。 過去からの自分が響き見えてきます。そして、これからの自分が響き見えてきます。永遠と続く時間の一点に、今がある喜びが響き見えてきます。そうなってくれば、なおいっそう、今がいかに大切で、そして、その今があることに、たとえようもないほどの喜びを感じます。私は、私自身の勉強をこれからの時間においても、淡々と積み重ねていくだけです。自分の軌跡を振り返り、今世、ようやく、私は、本来の宇宙に帰っていく自分を知りました。これほどの喜びはないのです。瞑想を重ね、そして、私は、この道をただひたすらに歩いていく、それが私と私の約束だと響いてくることが、また嬉しくて幸せです。 一六三、肉の母も肉の私も、愚か者同士です。しかし、その中で、私は、私を感じています。今、肉を持っている私を感じ、その肉を通して、私は、私を感じています。もう、私には、それだけで充分です。 手元にあった、少しくたびれた、たった一枚の便筆。その便筆に、一度もセミナーに参加しなかった父が、自分の思いを数行綴って、これもまた、自分が全く見知らない人に送りました。 私自身、それがどれだけのことなのか、当時はもちろん、あまり深く自分の中で受け止めることはしませんでした。ただ、私は、一生懸命でした。セミナーと実生活の現象の中で、必死で自分を見つめてきたことは、間違いのない事実でした。 どんなに愚かであっても、どんなに間違い続けてきても、私は、私を見失わずに、本当の私自身が指し示した道筋を歩いていることを感じています。だから、私は、今、肉を持っていることが、たまらなく嬉しいのです。肉など愚かなことは分かっています。肉の母も肉の私も、愚か者同士です。しかし、その中で、私は、私を感じます。今、肉を持っている私を感じ、その肉を通して、私は、私を感じています。もう、私には、それだけで充分です。宇宙に馳せる思いを、今、心で感じ、そして、その宇宙に帰る道筋がすっと続いていることを感じ、これ以上のものはないのです。 一六四、今は、アルバート、タイケトメキチという表現になっています。少しでも、肉の次元でも、これからが進めるような、そういう表現になっています。しかし、本来は、何もないんです。本来は何もありません。意識の世界は、何もないのです。何もない世界を証明するのは、自分自身の心でございます。自分自身の意識、自分自身でございます。 二五〇年後を見つめながら、私は、存在しています。大きなポイントである今世の時間、そう、今世の時間は、とても大きなポイントでした。色々な役柄を演じてきました。しかし、この心の中に残るものは、苦しみ、ブラックのエネルギーでした。何度役を変えようが、自分の心が変わらない限り、ブラックはブラックのままだった、そのことを痛感してきた今世の私があります。 目を閉じて思いを向けると、過去からの自分が響いてきます。ああ、それらは、すべて、これからの二五〇年後を見つめながら、存在していくことを知っています。 ひとつの肉を得て、そして、私は、自分の中をしっかりと見ていく、その過程の中で、私は、ひとつの自分の歴史にピリオドを打ち、そして次のステージに移行します。いわゆる、それが次元移行です。 科学、物理の世界においては、宇宙創生の謎に迫る功績があったようですが、しかし、それも、三次元での出来事でございます。 宇宙を、三次元的にとらえた中での発見は、いかにも、宇宙の謎に迫るかのような快挙だと伝えられておりますが、それは、いわゆる、三次元でのことです。 私達の次元での思いは、そのようなものではございません。 宇宙を、三次元的にとらえることはできない、私の心の中に響いてくる思いです。 それを、今、肉を持っている意識に向けて、発信しても、それに賛同する人は、皆無に近いです。 とにかく、私達人類には、あと三〇〇年の時間が残されています。その中で、どれだけの意識が次元を移行していけるのか、そういうことは、まだ定かではありませんが、これからの三〇〇年が、とても大切な時間、空間でございます。 今は、アルバート、タイケトメキチという表現になっています。少しでも、肉の次元でも、これからが進めるような、そういう表現になっています。 しかし、本来は、何もないんです。本来は何もありません。 意識の世界は、何もないのです。何もない世界を証明するのは、自分自身の心でございます。自分自身の意識、自分自身でございます。 三次元の中で、どれだけ思いを向けても、それは、決して理解することはできません。 一六五、今現在の私自身があるのは、アマテラスがあればこそ、なのです。私は、こよなく愛しているアマテラスに、真実を伝えることができました。まずは、ここから始まりました。真実への道の第一歩は、まずは、ここから始まりました。だから、タイケトメキチという意識は、日本人という形を持ったのです。同じく、私も、また今世、日本に生まれてきました。 波動の勉強でも、お分かりのように、この学びに集われてくる人達の心の中のアマテラスは、まだまだ苦しみの淵に沈んでいます。 それぞれが作ってきたアマテラスの世界を、まだまだ解き放つに至っていない人が多いです。 アマテラスは、もちろん、宇宙に繋がっています。宇宙に勢力を伸ばそうとしてきた意識の集合体です。だから、自分の心の中に作ってきたアマテラスを、自分自身が受け入れられなければ、本来の宇宙を心に広げることはできないと言ってもいいでしょう。本来の宇宙とは、ゼロの世界、愛の世界、無限大の世界です。 私は、アマテラスをこよなく愛しています。その愛しているということを、どうぞ、肉の次元でとらえないでください。アマテラスにひれ伏しているとか、アマテラスを素晴らしいとしているとか、そういうことではありません。 今現在の私自身があるのは、アマテラスがあればこそ、なのです。私は、こよなく愛しているアマテラスに、真実を伝えることができました。まずは、ここから始まりました。真実への道の第一歩は、まずは、ここから始まりました。だから、タイケトメキチという意識は、日本人という形を持ったのです。同じく、私も、また今世、日本に生まれてきました。意識の流れの見事に合致した結果でした。その思いを、私は、いずれ、形にしていくと思います。 一六六、母の温もりを心に感じていない、あるいは、その程度が弱い。それでは、どれだけ宇宙に思いを向けようとも、それは、アマテラスの配下にしか過ぎないことを知ってほしいのです。だから、当然、己を表すエネルギーに満ち満ちています。我一番のエネルギーが宇宙を語り、みんなをその支配下にしようとするエネルギーが充満しています。波動の世界を軽んじないでください。 今世、日本の国に転生してきて、学びに繋がったわけを自分の中で確認できること、その喜びをべースに、私は、私を語ることをしていきます。アマテラスの心で存在してきた自分の過去を、苦しみではなくて、喜びとして受け止めることができたからこそ、アマテラスの心のままに存在し続けてきた過去の愚かな自分を、淡々とさらけ出すことができるし、また、本当のことを、はっきりと物申すことができます。 さて、ここで、問題となるのは、宇宙です。心に響いてきているかどうかは、別にして、確かに、私達と宇宙の関係は、切り離すことができません。だから、宇宙という言葉を出すと、そちらのほうにばかり思いが向いてしまう傾向にある人は多いのです。しかし、今一度、原点に戻ってください。母の温もりを心に感じていない、あるいは、その程度が弱い。それでは、どれだけ宇宙に思いを向けようとも、それは、アマテラスの配下にしか過ぎないことを知ってほしいのです。だから、当然、己を表すエネルギーに満ち満ちています。我一番のエネルギーが宇宙を語り、みんなをその支配下にしようとするエネルギーが充満しています。波動の世界を軽んじないでください。まずは、母の温もりを心にしっかりと樹立することです。そうすれば、口幅ったい表現になりますが、私という存在も決して、無視することはできない、私は、ここまで語らせていただきます。 一六七、海にぽっかりと浮かんだ小さな島国の中で、私の足跡を心に刻んでまいりました。アマテラスの歴史を、しっかりと心に刻み、今、アマテラスを思えば、嬉しい、喜びです。 私は、宇宙を思います。 遥かなる宇宙、遥かなる宇宙…。ようこそ…。 お母さん…、お母さん…、母なる宇宙に思いを向けます。 心に、アルバートの喜びがございます。アマテラスは喜びでございます。アマテラスの苦しみが喜びへ変わる、それが今世でございました。私はそのように感じております。海にぽっかりと浮かんだ小さな島国の中で、私の足跡を心に刻んでまいりました。アマテラスの歴史を、しっかりと心に刻み、今、アマテラスを思えば、嬉しい、喜びです。 私は、日本という島国が、再び海の底に沈んでいくのを喜びとしております。よかった、よかった…、お母さん、ありがとうございます。アマテラスの心を、私は、しっかりと見つめさせていただきました。アマテラスの軌跡を、このようにして、喜びの軌跡へ変えさせていただきました。ありがとうございます。アマテラスとともに帰る意識でございます。 一六八、言葉にならない思いを、異語で語ります。言葉にできない思いを、異語で語ります。心で感じていけば、もう言葉は要りません。そして、今、肉があるから、肉の世界の最低限のルールを守って、生活をしていればいいだけです。 言葉にならない思いを、異語で語ります。 言葉にできない思いを、異語で語ります。 思いを言葉で語るとするならば、やはり、ありがとう、ありがとう、ありがとう、それだけです。すべてにありがとうございます。嬉しい。喜び。でも、言葉に出してみると…。 ゼロの世界は、何もない世界。何もない世界だけど、確かにある世界。それがゼロの世界。ゼロは喜び、ゼロは愛。ゼロは温もり、ゼロは私…。 心で感じていけば、もう言葉は要りません。そして、今、肉があるから、肉の世界の最低限のルールを守って、生活をしていればいいだけです。肉はそれ以上望まないし、それ以下に落ちることもありません。もっとも、肉の満足感など、取るに足らない微々たるものに過ぎないけれど、意識の世界とともに、自然に育まれるものだと感じています。自然に育まれるものは、喜んで享受すればいいだけです。無理しているわけではないから、すべてにありがとうしかないのです。 一六九、今世、日本の国に転生をしてきたことは、とても大きな意味があるのです。同時に、真実の目覚めがこの日本の国から起こった、これは、単なる偶然ではございません。 タイケトメキチ、アルバートも、いわゆる呼称ならば、アマテラスもそうです。要は、真実の世界であるのかそうでないのかを、便宜上、言葉として表現しているに過ぎません。だから、タイケトメキチ、アルバートが何か、アマテラスとは何かは、それぞれの心でしか分からないのです。 そう、その心で感じ、心で分かるという大前提が意識の世界、波動の世界です。今世その道しるべに、田池留吉という肉がありました。そして、田池留吉という肉は道しるべですから、その肉を上に見ても、下に見ても、本当のところは何も分からないのです。道しるべは道しるべ、それをどのように自分の中で活用していくのかは、自分です。 ただ、長い転生の時間の中で、そのような道しるべに出会ったことは、何よりもすごいことだというのは、確かです。道しるべに素直に沿っていけば、どこまでも視界が広がる世界に辿り着くことは、明らかです。もちろん、本当は、田池留吉という道しるべの他に、今までみんな、それぞれに見合った道しるべ(例えば、病気だとか経済的な行き詰まり、その他諸々の肉の問題)を、たくさん用意してきました。それは事実ですし、たくさん用意してきたそれらを、本来の道しるべとして活用せずにきたのも事実です。言ってみれば、本来の道しるべとして活用していきなさいという真実の世界からの声を、無視し続けてきた思いが集合したものが、アマテラスというもので表現されているのでしょう。そのアマテラスの意識が具現したものが日本の国だと、伝えています。だから、今世、日本の国に転生をしてきたことは、とても大きな意味があるのです。同時に、真実の目覚めがこの日本の国から起こった、これは、単なる偶然ではございません。どうぞ、アマテラスに代表されるマイナスの思いを、しっかりと見つめ、真実の方向にともに進んでいってください。 一七〇、やってごらんなさいと言われたことを、淡々とするだけです。こんな簡単なことはないのです。しかし…、その過程で、他力のエネルギーがそれを阻止する、ただそれだけです。だから、難しいと言えば、難しいということでしょう。 私は、本当の私に帰ることを誓い、その道筋にあることを確認して、今、とても幸せです。あなたは私、私はあなた、心をひとつにして、見つめる先を思えば、もうすべてが喜びでございました。この心を、さらに磨いてまいります。自己確立を、さらに、さらに、深めてまいります。お母さん、ありがとうございます。田池留吉、ありがとう…。 ブツブツ言わずに、ただひたすらに、自分がある今を見つめる時を刻んでいけば、どなたにも分かります。分からないのは、頭を回している人達と、素直でない人達だけです。 立派な文章を書き、知識もふんだんにあって、とうとうと話ができても、肝心要の部分に触れることはありません。触れることができるのは、頭でないからです。もちろん、肉の心でもありません。こう言っても、頭を回している人達、素直でない人達には、そうだから分からないということが分からないのです。 では、どうすればいいのでしょうか。やってごらんなさいと言われたことを、淡々とするだけです。こんな簡単なことはないのです。しかし…、その過程で、他力のエネルギーがそれを阻止する、ただそれだけです。だから、難しいと言えば、難しいということでしょう。 一七一、自分を進化させるために、私は永遠と続いていきます。続いていく私が私だと感じていくことこそが、本当の喜びでした。私が私を思い、私が私に流すメッセージを感じながら、肉の時間を刻んでいくことができることを嬉しく思います。 私が私に贈る言葉。私が私に流す思い。 あなたは、今、幸せですか。 あなたは、今、何を喜びとしていますか。 あなたは、あなたの未来を感じていますか。同時にあなたの過去も感じていますか。 お母さん、お母さん、お母さん、心からお母さんと呼べる私がいます。 私は、今、幸せです。この心を自分の中で見出すことができたことを、喜びとしています。 たくさんの時間をいただきました。たくさんの役柄を演じさせていただきました。すべてにありがとうしかございません。今世、私は、この肉体をいただきました。今は、私はとても幸せです。過去を思い、未来を思う、そこには、私しかいないんです。 ああ、そうでした。自分を進化させるために、私は永遠と続いていきます。続いていく私が私だと感じていくことこそが、本当の喜びでした。私が私を思い、私が私に流すメッセージを感じながら、肉の時間を刻んでいくことができることを嬉しく思います。どうぞ、あなたも真実の喜びの扉を、自分の中で開けてみてください。 一七二、立っている場を、肉、形の世界に戻せば、なるほどそうだと思うことも、その場を変えれば、結局はどうでもいいことで、初めから何もなかったのに、後生大事に、これだけはとか、ここだけはとか、そうやって、自分を小さな中に押し込めてきたことが歴然とします。 ひとつの肉体を通して、今、私自身を感じていくことができることが嬉しいです。私の目の前を色々な風景が通り過ぎるけれど、私は、私の真実を知っている、これは、私自身にとって、本当にすごいことです。立っている場が違えば、本当にすべてが違う、こんな当たり前のことが、過去の自分の時間の中で分からなかったから、自分自身、苦しみの中から抜け出すことができなかったことを、痛感しています。立っている場を、肉、形の世界に戻せば、なるほどそうだと思うことも、その場を変えれば、結局はどうでもいいことで、初めから何もなかったのに、後生大事に、これだけはとか、ここだけはとか、そうやって、自分を小さな中に押し込めてきたことが歴然とします。 限られた肉の時間の中で、自分を真実の軌道に乗せることは、難しいことだけど、それしか道はないことを知っていく方向に、これからさらにはっきりと、すべてが進んでいくことを感じ、その時に、しっかりと自分の進路を見定める用意を、常日頃からしておくことが、大切だと思わざるを得ません。 一七三、タイケトメキチ、アルバート、その波動が、私に伝えてくれました。タイケトメキチもアルバートも私自身です。私が私に伝えてくれた真実でした。すべてが、すべてが私自身、すべてが私でした。 形の世界が、あらゆるところから崩れていくから、心で感じる世界が真実だということが、信じられるのです。心で感じる世界を知らない人にとっては、形の世界が崩れていくことは、恐怖でしかありません。しかし、目の前の形の世界が崩れていっても、心で感じる世界を知っている人は、ただただ、その世界に自分を感じ、幸せ、喜びを感じられる、それが真実の世界だと思います。 タイケトメキチ、アルバート、その波動が、私に伝えてくれました。タイケトメキチもアルバートも私自身です。私が私に伝えてくれた真実でした。この思いだけを、心にしっかり刻み、これからの時を過ごしていく、それが、ひとつの意識として、どれだけ幸せなことなのか、このことは、それぞれの心でしか分からないことでしょう。 真実に出会いたくて、転生を重ねてきた結果が、今、形となって表れていることが、感じられます。自然に心から、ありがとうございます、の思いが出てきます。異語が出てきます。本当は何も語らなくていいけれど、口を通して、異語が飛び出て、そして思いはありがとうございます、ということです。この心で、過去からの私を思い、未来の私を思います。すべてが、すべてが私自身、すべてが私でした。 一七四、基本は、自分で選んで、そして、自分の足で歩いていく道です。その時間と空間を、それぞれに用意しています。それについて、各自がどう感じているかだけなのでしょう。自分の時間は、永遠に続く、それが苦しみであるのか、喜びであるのか、ふたつにひとつです。 霊能者AもBも、そして、すべてを悟った者として、この世から消えていきたいとする意識も、みんな、みんな、過去からの私達の思いです。そうやって、私達は、無知なまま、長い時を過ごしてまいりました。今世は、そういう過去からの自分に決別するまたとないチャンスを、自分に用意してきたのです。 自分は、それほどでもない、そんな自分ではない、私には無縁の世界だ、決して、そういうことではないと思います。どうぞ、ホームページを活用して、最大限に活用して、自分の存在のあり方を学んでいってください。せっかく、学びに触れたのです。真実へ続く学びに触れたのです。しかし、そのところが、まだ、何というか、軽く、軽くとらえている人が多いようで、私は、本当にもったいないというか、そういう思いを、感じざるを得ません。 基本は、自分で選んで、そして、自分の足で歩いていく道です。その時間と空間を、それぞれに用意しています。それについて、各自がどう感じているかだけなのでしょう。自分の時間は、永遠に続く、それが苦しみであるのか、喜びであるのか、ふたつにひとつです。 一七五、みんな同じ思いを使っています。心の中にある思いは、みんな同じです。みんな、総じて真っ黒でございます。肉にまつわる思いは、真っ黒でございます。しかし、その真っ黒から、本当の喜び、本当の幸せを、伝えてくれる、それが、宇宙でございます。 心にアルバートを思えば、嬉しい、嬉しい、嬉しい。宇宙が、私の中に広がっていきます。嬉しいです。 愚かな肉を、ちっぽけな肉を、自分だとして生きてきた私の中に、本当の喜び、本当の幸せ、その私を伝えてくれた宇宙よ、ありがとうございます。 宇宙の中に、アマテラスもありました。その他の大きな、大きなエネルギーもありました。すべてにありがとうでございます。ありがとうと、私が宇宙を呼べば、心に返ってくる思い、ありがとうしかありません。言葉にならない、言葉にならない思いが、溢れてきます。異語で語るけれども、それも、追いつかない。言葉にならない思いが溢れてきます。タイケトメキチ、とても嬉しい。とても嬉しい、とても嬉しいです。 ゼロの世界を心に広げていきます。 ゼロの世界は、喜びでございます。 地球上に肉を持って、たくさんの自分を今、それぞれの心の中で見ていると思います。私は、その一端を紹介しています。みんな同じ思いを使っています。心の中にある思いは、みんな同じです。みんな、総じて真っ黒でございます。肉にまつわる思いは、真っ黒でございます。しかし、その真っ黒から、本当の喜び、本当の幸せを、伝えてくれる、それが、宇宙でございます。宇宙を心に思い起こせば、真っ黒でよかった、真っ黒でよかったと、心に染み渡ります。どうぞ、日々の生活の中から、自分の心を、真っ黒な心を見ていってください。そのために、あなたには、家族があります。色々なかかわりがあります。その生活とともに、あなた自身を、進化させていってください。肉の生活をないがしろにしていては、自分を進化させる道筋は、到底歩めません。そのことを、忘れないようにしてください。肉の生活は大切です。肉の自分は大切です。それを飛ばして、真実の道は歩めません。私は、今、様々な人達の肉での思いを、皆さんに、ご紹介しています。どうぞ、そのところから、それぞれが学んでいってください。皆さん学んでいってください。 一七六、今世、私は、真実を伝えてくれたタイケトメキチの肉とともに学ばせていただきました。自分の中の温もりを確信する学びをやってまいりました。私のこの肉を失くすまでの時間、私にとっては、さらに大切な時間でございます。ただ一点だけを見つめ、心と心を通じ合わせ、私は、その中で自分を見つめてまいります。 お母さん、お母さん、お母さん…。 お母さん、お母さん、私は幸せです。ありがとうございます。 お母さん、あなたによって、私は、たくさんの私に出会わせていただきました。本当にたくさんの私と出会わせていただきました。心を温もりに向けるために、私は、たくさんの私と出会わせていただきました。 私は、この温もりとともに、宇宙へ帰ってまいります。お母さんの宇宙へ帰ってまいります。心が望んでいたことでした。私が望んでいたことでした。三次元を超えて、宇宙へ帰っていく、今世、私は、ようやく、心に感じられる。その道筋を辿って、私は、これから二五〇年後を経て、さらに、自分を進化させてまいります。 私の中にあるのは、宇宙、宇宙、宇宙でございます。温もりでございます。喜びでございます。心からありがとう…って、伝えてくれます。 今世、私は、真実を伝えてくれたタイケトメキチの肉とともに学ばせていただきました。自分の中の温もりを確信する学びをやってまいりました。 私のこの肉を失くすまでの時間、私にとっては、さらに大切な時間でございます。ただ一点だけを見つめ、心と心を通じ合わせ、私は、その中で自分を見つめてまいります。 田池留吉という道しるべが示してくれたその道を、私は、私の温もりとともに進んでまいります。二五〇年後、そしてさらにその向こう、すべては今、今でございました。 一七七、心をタイケトメキチ、アルバートに向けることを喜びとしています。異語で語る時、アルバートの思いが心に伝わります。嬉しいです。宇宙を思う時、とても嬉しいです。 タイケトメキチ、アルバート。私は、宇宙を思います。 二五〇年後、アルバート、あなたと出会い、私達は、宇宙を思い、ともに瞑想を続けてまいります。心をともにひとつにして、宇宙にかける私達の思いを確認してまいります。天変地異が訪れてきます。天変地異とともに、次元を超えていく私達でございます。天変地異は喜び、天変地異は愛、そう、私達は、この心の中に感じてまいります。タイケトメキチ、アルバート、ありがとうございます。転生を重ねてきた私の意識達、ともに、ともに、学べることが、今とても嬉しいです。 二五○年後に向けて、私の中は、さらに、さらに、進化をしてまいります。これからの時間、タイケトメキチ、アルバートに心を向けてまいります。喜びでございます。苦しい、苦しい中を、私は、心を繋いでまいりました。そして、今世を迎え、私の中が、すべて一新されました。心をタイケトメキチ、アルバートに向けることを喜びとしています。異語で語る時、アルバートの思いが心に伝わります。嬉しいです。宇宙を思う時、とても嬉しいです。UFO達、私達とともに帰っていこう、そうUFO達が伝えてくれます。宇宙が喜びでございます。天変地異は喜びでございます。天変地異とともに次元を超えていく、アルバート、私は喜びでございます。 「ありがとう」しかありません 人生は、「ありがとう」で始まり、「ありがとう」で終わるものと心得ています。そして、人生は、永遠の一点でもあると心得ています。すべての人間、すべての存在、すべての現象は愛、ただ、「ありがとう」と応えるものと心得ています。「ありがとう」の思い、言葉しかない人生にこそ真実があります。 真実に目覚めよ、目覚めない人生って、暗黒で、儚くて、空しいものと思いませんか。真実の愛を知らないまま、本当の自分自身に出会うこともなく、このまま死んでいってもいいのですか。この世に生まれてきて一番大事なものは何でしょうか。この世に何をするために生まれてきたのですか。解答は、すべてあなたの心の中にあります。心して、せっかく得た貴重な人生を無為に過ごすことのないようにとお伝えしておきます。 これからは、一日に何回、「ありがとう」の思い、言葉が出たか、数える楽しみを味わいながら過ごしていってはいかがでしょうか。 次に、「ありがとう意識の流れ姉妹編」の著者塩川香世さんを紹介します。 幸せとは何だろうか。喜びとは何だろうか、生きるとはどういうことだろうか。色々な現象から、そのようなことを、自分に問いかけるようになっています。それが、本来の人間のあるべき姿なのだと思います。その思いに背いて、いかに、エネルギーを消耗しようとも、それで、自分が幸せになるはずがありません。喜びを感じるはずもありません。これから、何度、荒波を超えれば、人は、気付いていくのでしょうか。 皆さん、私は、塩川香世と言います。 「ありがとう」という本を、本当に読んでいただけましたでしょうか。この本は、私の原点だと、私自身思っています。再度、目を通されることを、私はお願いしたいと思います。単なる自叙伝的なものに留まっていないことを、それぞれの心で、感じていっていただきたいと思っています。このように、私が申し上げても、私自身から、己を表す波動は流れていないと思います。なぜならば、この本は、私という愚かな肉が、真実に目覚める道筋を辿るについて、偽らざる思いを綴った内容だからです。 ところで、皆さんは、私の肉に、それぞれ様々な引っかかりが、これまであったと思われます。私の意識の世界は、そういうことを、きちんと把握したうえで、あえて、私は、今、物を申しています。私という肉に引っかかっていては、それが、あなた自身の手かせ足かせとなって、真実への道を歩んでいくことは、少し難しいのは確かなようです。果たして、そうであるのか、ないのか、あなた自身のこれからの時間の中で、とっくりと見ていかれたらと思います。 田池留吉は受け入れられるが、どうも、あの人(塩川香世)はという場合、どうぞ、そのあなたの思いを見ていってください。私は、田池留吉とひとつでございます。もちろん、この場合の田池留吉とは、肉ではありません。どうぞ、お間違えのないようにしてください。そして、それを踏まえたうえで、それでも、私に引っかかるようであれば、残念ながら、あなた自身の勉強は、その成果を見ることはないでしょう。それが、意識の世界の現実でございます。その流れに逆流するということは、どういうことであるのか、これもまた、これからの時間の中で、自分が自分に、必ず、伝えてくるだろうと思います。 以下、「ありがとう」より、抜粋。 この世のどこかに必ず本当のことはある、真実を探し求める自らの心の声に、肉の私が思いを向けるように設定してきたシナリオが、父の病気と死、そして夫との出会いと死でした。自分がこの世に生まれてきて、何をしなければならないのか、どのように生きていけば、自分は心の底から納得し満足するのか、徹底的に自分に問いただすチャンスを、自ら用意してきたのです。 人生と呼ばれる時間の中で、どんなに凄まじいエネルギーを噴射しようとも、現に、今、ここにこうして存在している自分を思う時、私には言葉は何もありません。 予定通りのコースを歩き続け、これからもその歩みは淡々と続いていくでしょう。その過程で関わってきた意識達、父にしても母にしても夫にしても、だから私はありがとうしかないのです。真っ黒な私に出会わせていただきました。どれだけ死ね、死ね、お前なんか消え失せろと叫んできたことか、目の前の肉に向かって、私の過去からの思いすべてが、総出で叫んでいる意識の世界の現実を感じてきました。それは、とても言葉では表現できないものであり、本当に地獄の奥底から這い上がってきたのだと実感できました。そして、今は、真っ黒だから生まれてきた、生んでもらった、この喜びの雄叫びが心に響き渡っています。 メッセージ 一、「ありがとう」の「あ」の一欠けらも言うこともなく、不平不満愚痴ばかりを並べて、己をそびえ立たせてきた、その意識の世界の愚かさを、自分の中ではっきりと知る、それが自分に対する最大の愛、だから、「ありがとう」しかないのですね。[#「一、「ありがとう」の「あ」の一欠けらも言うこともなく、不平不満愚痴ばかりを並べて、己をそびえ立たせてきた、その意識の世界の愚かさを、自分の中ではっきりと知る、それが自分に対する最大の愛、だから、「ありがとう」しかないのですね。」は小見出し] 「ありがとう」しかありません。本当にそうですね。本当に、私達には「ありがとう」しかありません。「ありがとう」という思いを、どこかへ忘れ去ったから、私達は、ずっと自分を見失ってきました。もともと、「ありがとう」が私達だったのに、それをどこかへ置き忘れて、「ありがとう」を思うことなく、ずっと、生き続けてきました。それが私達でした。「ありがとう」の「あ」の一欠けらも言うこともなく、不平不満愚痴ばかりを並べて、己をそびえ立たせてきた、その意識の世界の愚かさを、自分の中ではっきりと知る、それが自分に対する最大の愛、だから、「ありがとう」しかないのですね。 二、ありがとうと言える自分が嬉しくないですか。 自分に申し訳なく思う、そして、自分にありがとうが言える、そのような時を刻んでいきましょう。どんな自分でもよかった、どんな境遇でもよかった、ただ、今があること、それが嬉しいですね。私は、そのことに気付いたのです。気付きは、心の奥底からありました。 ありがとうと言える自分が嬉しくないですか。ありがとうって、ちょっぴり言えても嬉しいでしょう。小声で言っても嬉しいでしょう。そして、心の奥底から、ありがとうの思いが沸き起こってくれば、どうでしょうか。 三、みんな、我一番のエネルギーを過去からの時間の中で、蓄えてきました。それが、今までの転生の数々でした。その方向を正反対に変えていこうとするのが、この学びですから、学びは、確かに難しいです。しかし、やるしかありません。 自分の出すエネルギーのすごさを感じれば感じるほどに、ただもう、ありがとうの思いしかないと思います。ありがとう、そうやって、自分を自分で包んでいくことを伝えていただいた、それがどれだけ幸せなことなのか、何度も、何度も、私は、お伝えしたいと思います。そうです、みんな、我一番のエネルギーを過去からの時間の中で、蓄えてきました。それが、今までの転生の数々でした。その方向を正反対に変えていこうとするのが、この学びですから、学びは、確かに難しいです。しかし、やるしかありません。ありがとう、ただ、その思いを広げていってください。己という肉は、もういいではありませんか。 四、肉は嘘つきです。いいえ、別に嘘をつこうとは思っていないのでしょう。しかし、肉を通ってくると、あなた自身の思いが、歪んで出てきます。私は、だから、あなたの肉を介さないで、あなた自身に、ストレートに尋ねます。そこに、あなたの偽らざる思いが溢れてきます。 私は、意識と意識の世界で語り合っています。私は、あなたと意識で語り合っています。あなたは、私の問いかけに答えてくれます。素直に、そして淡々と、今の状況を語ってくれます。肉は嘘つきです。いいえ、別に嘘をつこうとは思っていないのでしょう。しかし、肉を通ってくると、あなた自身の思いが、歪んで出てきます。私は、だから、あなたの肉を介さないで、あなた自身に、ストレートに尋ねます。そこに、あなたの偽らざる思いが溢れてきます。とてもいい勉強ができます。ありがとうございます。 五、あなたは、今世、学びに触れたのですから、せめて、自分が全く間違っていたことに、少しでもいいですから、心で感じていく方向に進みましょう。そして、その修正に出来る限り、取り組んでいきましょう。自分にその誠意を示して、肉を終えていってください。 世の中で活躍している人は、山ほどいます。しかし、みんな本当のことを知りません。本当のことを知らずに、この世を去っていくのです。とても残念なことです。あなたは、今世、学びに触れたのですから、せめて、自分が全く間違っていたことに、少しでもいいですから、心で感じていく方向に進みましょう。そして、その修正に出来る限り、取り組んでいきましょう。今ある時間と空間の中で、喜んで、喜んで、取り組んでいきましょう。自分にその誠意を示して、肉を終えていってください。 六、私の目指すところは、ただ一点です。ただ一点を見つめて、私は、私とともにいます。 私の目指すところは、ただ一点です。ただ一点を見つめて、私は、私とともにいます。それが嬉しいと私は伝えています。どうぞ、自分を見つめていってください。どんな思いもみんな、あなたです。そして、どんな思いもみんな、私です。今世をありがとう、ありがとう、今、心に響く思いのままに、私は、みんなと語り合っています。それが楽しい、嬉しい、ただそれだけです。そして、さらに、宇宙と語れば、なお楽しい、なお嬉しい、私の思いです。 七、根本は、自分に対する優しさです。自分に優しいから、「ありがとう」で出迎え、「ありがとう」で送り出すことができるのだと思います。 「ありがとう」で出迎え、「ありがとう」で送り出す、その流れがスムーズであれば、そこから限りない喜びが溢れてきます。 そのことを心に知っていこうと思ったから、それぞれに肉の環境を整えてきました。 だから、その流れが、自分の中で見つからなければ、いつまでも、どこまでも、本当の喜びにも幸せにも巡り合うことはありません。 根本は、自分に対する優しさです。自分に優しいから、「ありがとう」で出迎え、「ありがとう」で送り出すことができるのだと思います。 八、例えば、ガン告知がある、あるいは、それと同じような状態になっても、肉体を持つ時間が残されている間は、それこそ何もかも捨て置いて、学びをしなければなりません。そのくらいの思いで、学びをしなければ、難しいでしょう。なかなか、心からありがとうは言えません。 例えば、ガン告知がある、あるいは、それと同じような状態になっても、肉体を持つ時間が残されている間は、それこそ何もかも捨て置いて、学びをしなければなりません。そのくらいの思いで、学びをしなければ、難しいでしょう。なかなか、心からありがとうは言えません。 学びに触れた人はたくさんいます。しかし、本当に学びをしている人の数はと言えば、果たしてどうなのでしょうか。 そうなって、はじめて、自分と向き合うことの大切さを感じ、そして、今までの自分の学びに対する姿勢の間違い、甘さを感じるかもしれません。 しかし、それも、我が身に降りかかってようやくでしょう。それほど、人間は、他力の中にあり続けてきたのです。 九、本当は、もっと深く語り合ってみたい、常々そう思っています。ああ、でも、宇宙を語り合うことは難しい、そんな感じを抱いています。 今、私は、主に、心に浮かんできた学びの仲間と語っています。あなたは、このままで死んでいっていいのでしょうかという思いで、私は語らせていただいています。あなたというのは、ひとりを特定するものではありません。表現は、誰か特定の人に宛ててというものだけれど、そこにある思いというのは、みんなに当てはまると思います。本当は、もっと深く語り合ってみたい、常々そう思っています。ああ、でも、宇宙を語り合うことは難しい、そんな感じを抱いています。 一〇、決して消えない自分を知る、そして、それが、いいえ、それのみが自分である、このことが、心で感じられたならば、もう何も言うことはありません。その自分に沿って、流れていけばいいだけ、私は、そのように思います。 はっきり一言の八十一番を、どうぞ、頭ではなくて、心で分かるようにしてください。決して消えない自分を知る、そして、それが、いいえ、それのみが自分である、このことが、心で感じられたならば、もう何も言うことはありません。その自分に沿って、流れていけばいいだけ、私は、そのように思います。決して消えない自分がある、真実とは、このことでした。その完成に、私は、私とともに、これからの時間を経ていくことを感じています。田池留吉の世界が、それを伝えてくれました。だから、ただ嬉しいだけです。 一一、自分が出したものは自分に返ってくる、そして、何が返ってくるか、どんな形で返ってくるかは、どうでもいいことです。返ってきたものに対して、どのような思いが出てくるかでしょう。 自分が出したものは自分に返ってくる、そして、何が返ってくるか、どんな形で返ってくるかは、どうでもいいことです。返ってきたものに対して、どのような思いが出てくるかでしょう。ありがとうの思いとともに、自分を思うことができたなら分かります。最高に幸せな自分だったということが分かります。それ以外は、みんな苦しみだということが分かります。 一二、要は、学びをすることに繋がっていくように、すべてが成り立っていっている、それが意識の流れの中にある私達、そのように感じます。 学びをしている人達の中には、身体に不調和を来たしながらも、今現在、確かに、元気になっておられるという人たちもいます。 それは、少し、肉の時間をいただいたということです。 その間に、少しでも学ぶ、本当のことを学ぶ、自分の心の向け先を、少しでも変えていこうとする、そのためにあるのであって、そして、色々な意味で、そこに肉の時間を持つことが必要だから、そうなっていくだけです。 一方、肉を失くすことが、これもまた、色々な意味で、必要な場合ももちろんあります。 肉の時間をいただいて勉強できる場合もあれば、そうでないことが勉強になる場合もあると思います。 要は、学びをすることに繋がっていくように、すべてが成り立っていっている、それが意識の流れの中にある私達、そのように感じます。 一三、私は、私の勉強をするために生まれてきました。はっきりと自覚した今世でした。その自覚とともに、学びに触れ、学び始め、そして、今に至っています。 私は、私の勉強をするために生まれてきました。はっきりと自覚した今世でした。その自覚とともに、学びに触れ、学び始め、そして、今に至っています。 その状態の中で、今、私は、主に学びの仲間達の思いを聞かせていただいています。これは、私にとって、大変いい勉強になります。 色々なパターンの反省材料の提供、ありがとうございます。 語り合う作業の中で、私は、私の勉強を進めてまいります。 その時間と空間をいただけることに、ありがとうしかありません。 一四、私の歩みは、行きつ戻りつではない、壁を感じても前進あるのみ、その思いで私はやってきたと言えます。 私の今世の歩みは、行きつ戻りつではありませんでした。それが私自身の計画でした。私の中は、そういう意味において、大変厳しいものがあります。 あほうの肉の田池留吉もいいでしょう。心底好きですと手を差し伸べてくれるのもいいでしょう。それらをサラリと流して、そして、本当にひとつの世界を心に広げていく幸せ、喜びの道を淡々と歩く、私にとって、これ以上の幸せ、喜びはありません。 タイケトメキチ、アルバート、そのゼロの世界を、心に広げていく道、私には、その道しかありません。それを確かなものにするために、私は、生まれてきました。その思いが大変強いことを、今世の私を振り返り感じます。だから、私の歩みは、行きつ戻りつではない、壁を感じても前進あるのみ、その思いで私はやってきたと言えます。 一五、「こんにちは、ありがとう」で、生まれてきて、「ありがとう、さようなら」で、死んでいく、これが基本でした。 「こんにちは、ありがとう」で、生まれてきて、「ありがとう、さようなら」で、死んでいく、これが基本でした。 「こんにちは、ありがとう」で、生まれてきたのだから、今世こそ、「ありがとう、さようなら」と、自分に心から言って、そして、自分の世界に戻っていきましょう。 自分の世界とは、もう、ご承知だと思います。しかし、肉がある間は、本当に自分と向き合って、少しでも自分に優しい思いを伝えていくことに、専念すべきです。 ありがとう…、自分にその思いで、これから先、どれだけ接していくことができるでしょうか。 自分にありがとう…、最大の愛だと思います。 一六、どんなことも、基本は、喜び、ありがとう。基本はというよりも、本来、喜び、ありがとうしか存在しなかったのです。 基本は、喜び、ありがとう。どんなことも、基本は、喜び、ありがとう。基本はというよりも、いうよりも、本来、喜び、ありがとうしか存在しなかったのです。本来の軌道から外れてきてしまったことを知るために、みんな生まれてきます。だから、それを知ることなく、時間を過ごして、そして、再び死んでいくことは、本当に自分にとって残念なことです。 ところで、皆さん、あとどのくらい時間が残されているか知っていますか。ありがとうと言って、その身を置いていけますか。年齢には関係がありません。死は年齢を選ばないし、年齢が高いから、死を受け入れているとは限りません。 一七、あなたの心の中に霊能、霊道、そういうものを求める思いがありませんか。そういうものを求めなくても、手順に沿った学び方をしていれば、ここでは、いったい何を言わんとしているのか、そして、どういう生活をしていけばいいのか、自ずと自分で分かってきます。 あなたの心の中に霊能、霊道、そういうものを求める思いがありませんか。そういうものを求めなくても、手順に沿った学び方をしていれば、ここでは、いったい何を言わんとしているのか、そして、どういう生活をしていけばいいのか、自ずと自分で分かってきます。 そういうことを、きちんと踏まえていない人は、いくら、心が敏感で、色々なものを感じることができても、決して本道は歩けません。 本道が歩けないということは、自分を苦しみから解き放つことはできないということです。 一八、ありがとうございますが基本、それさえ忘れなければ、どんなこともよかった、嬉しいとなってくるのではないでしょうか。 どうぞ、意識の掲載を、学びを進めていくうえで、参考になさってください。反発、意見、納得、何でも結構です。そこから、また、ご自分の心を見ることをやっていってください。今は、納得、頷けない部分も、必ず自分の心に思い当たる時がくると思います。今、認めることができなくても、おそらく、認めざるを得ないようになってくると思います。また、喜んでいる人もそれに溺れることなく、ただ一歩ずつ自分の勉強を進めていけばいいだけです。ありがとうございますが基本、それさえ忘れなければ、どんなこともよかった、嬉しいとなってくるのではないでしょうか。 一九、言葉に託して語る世界よりも、もっと深い意識の世界と通じ合う喜びを感じているから、私は、どんな思いでも、意識でも、ただ嬉しいです。 肉を介さないで、ストレートに問いかけに答えてくる思いは、私にとって、とてもいい勉強になると同時に、私に、喜びを伝えてくれます。 思いは喜びです。こうやって、私達、間違ってきた意識は、苦しみながらも、本当の世界に心を向けようと、今、このように時間を与えられていることが、本当に嬉しいです。 言葉に託して語る世界よりも、もっと深い意識の世界と通じ合う喜びを感じているから、私は、どんな思いでも、意識でも、ただ嬉しいです。 早く肉の中から解き放してもらいなさい、そのような思いで、今、私は、この作業を続けています。 二〇、今は、どんどん学びに触れた人に思いを向けています。ありがとう、そうやって、自分に言えることが、どんなに幸せなことか、それを私は、お伝えしたいです。 今は、どんどん学びに触れた人に思いを向けています。 感触として、どんどん奥を聞いていこうという人が少ないのが残念ですが、しかし、これをきっかけに、自分の学びに対する姿勢だとか、自分に用意してきた今世の時間の見直しがあれば、それは大きな効果だと思います。要は、自分の転生に繋いでいくことができるかどうかです。 私は、最終時期に出会って、ともに進んでいきたい、いきましょうという思いを心に持っています。それに呼応してくるかどうかは、本当にそれぞれの問題です。 ありがとう、そうやって、自分に言えることが、どんなに幸せなことか、それを私は、お伝えしたいです。 二一、ありがとうを忘れては、どんなにしても幸せが分からないです。それを肉ではなくて、心で意識で感じる時間を過ごしていきましょう。 心の転回には、やはり何か現象が必要です。もっともそれを一直線に活用することは、今世難しいにしても、それぞれの転生に繋いでいくためには、それぞれの身の回りに起こる様々な現象は、学びをしてきた人達にとって、大いに効果的に働いていくでしょう。心を繋いでいく、これがすべてです。そして、その基本にあるものは、ありがとうございます、の思いです。数知れない自分とともに存在していくこれからの時間、ただありがとうの思いだけが、自分を引っ張っていくのだと思います。 ありがとうを忘れては、どんなにしても幸せが分からないです。それを肉ではなくて、心で意識で感じる時間を過ごしていきましょう。 二二、次元移行に照準を合わせて、これからの時間は流れていきます。私達は、その流れとともに存在しています。そのことを、私達は伝えているだけです。その喜び、その幸せを感じる心には、肉にまつわることなど、本当にちっぽけなことです。 私達は、特別なことを学んでいるわけではありません。 ただ自分達が間違ってきたことを、そして、本来の自分の軌道から大きく外れてきたことを、それぞれの心で知っていくために、これまでがあって、これからもあることを学んでいます。 次元移行に照準を合わせて、これからの時間は流れていきます。 私達は、その流れとともに存在しています。そのことを、私達は伝えているだけです。その喜び、その幸せを感じる心には、肉にまつわることなど、本当にちっぽけなことです。ちっぽけなことだけれど、本来の流れにきちんと自分を合わせていけば、けっして疎かにしません。だから、自然と整ってきます。それが言うならば、肉の喜びであり、幸せです。 流れにそぐわないところに、意識はもちろん、本当の肉の喜びも幸せもあり得ない、私はそう思っています。 二三、意識の世界のすごさ、そして真実が心で分かってくれば、今自分が置かれている場がどんなところなのか、つぶさに感じられることでしょう。 意識の世界のすごさ、そして真実が心で分かってくれば、今自分が置かれている場がどんなところなのか、つぶさに感じられることでしょう。 そして、ただ目の前に指し示された方向へ、ほんの少しずつでも心を向けようとしていけば、必ず、本当の喜びと幸せが心にふつふつと感じられることは確かです。これほど確かなものはありません。 瞑想をして心に響く思いは、確かな喜びと確かなこれからです。それを、あなたもご自身の心で証明していってください。 二四、自己確立ができていなければ、どんなに嬉しい、喜び、ありがとうと言っても、それは一時的なものに過ぎません。 瞑想をする時間の持てない人、持たない人には、分からないでしょう。心で感じる確かな喜びと幸せは、目を閉じて静かな時間の中で確立していきます。肉の生活の中で、心を揺らすことがあっても、心の中心棒は揺れません。自己確立ができていなければ、どんなに嬉しい、喜び、ありがとうと言っても、それは一時的なものに過ぎません。そういうことも、これからの時間の中で、それぞれが体験していってください。自己確立の道に勤しむこと、これがすべてです。 二五、私の目指す先にあるものは、母なる宇宙。様々な意識を感じ、様々な意識を語る時、心の中に喜びが湧いて出てきます。ありがとうございます。ただただ、ありがとうございます。 田池留吉、アルバート、そして、母なる宇宙。 心の中に、確かな思いを持って、二五〇年後に臨む私は、この思いを実現させていきます。 田池留吉、アルバート、私は、自分の過去からの転生を繋ぎ、今、ここに、自分の思いを語らせていただいています。母なる宇宙を目指して、私は、過去よりずっと転生をしてまいりました。 そして、あと一度、転生をして、私は、母なる宇宙へ帰ります。 たくさんのUFO達とともに、母なる宇宙、私のふるさとへ帰ります。 田池留吉、アルバート、ただただ、私は、喜びでございます。心の中に、宇宙を呼ぶ時、私の中は喜びでございます。 今、私は、あなたの意識ではありませんか…という勉強を通して、様々な意識を語らせていただいています。 私の目指す先にあるものは、母なる宇宙。様々な意識を感じ、様々な意識を語る時、心の中に喜びが湧いて出てきます。 ありがとうございます。ただただ、ありがとうございます。 二六、一瞬のうちに心を向ける、合わせる、それがこれから必要となってくるでしょう。天変地異は、すべての意識に配信されます。その瞬間、心を合わせ、そして、次元移行を成し遂げる。 すべてが喜び、すべてが喜びです。目を閉じて心を向ければ、そのよう伝わってきます。何もかもすべてが喜びの中にあることを感じ、その喜びが心に響いてきます。 一瞬のうちに心を向ける、合わせる、それがこれから必要となってくるでしょう。天変地異は、すべての意識に配信されます。その瞬間、心を合わせ、そして、次元移行を成し遂げる。私達の計画したシナリオ通りに、遂行していくことを感じます。その意識の流れに乗る、そのために、それぞれに、これからの転生が待っていると思います。 二七、次元移行に照準を合わせ、そこに至る最終時期、二五〇年後に意識を繋ぐ、その流れが確実なものとなった今を感じています。 次元移行に照準を合わせ、そこに至る最終時期、二五〇年後に意識を繋ぐ、その流れが確実なものとなった今を感じています。 肉を持ち、三次元の空間にあったことに、ありがとうの思いが出てきます。これは、肉の私などには、到底理解できるものではありませんが、瞑想をすれば、そのように響いてきます。 ああだから、私の中は永遠に生きている、永遠にある存在が私自身だと感じるのです。そして、これこそが、私が過去よりずっと探し求め続けてきたことだったと、今、はっきりと感じています。 私の喜びは、だから、消えることはありません。肉のあれこれに表面が揺れようとも、私は、そこにきちんと収まっていく、そういうことを、今世の私は、学んでまいりました。 田池留吉、お母さん、本当にありがとうございます。 二八、ありがとう、ありがとう…、この五文字の重みを、心で味わってください。そうなってくれば、いかにこれまでの自分が軌道を大きく外して存在してきたことかということが、自ずと心に響いてきます。そして、間違って存在してきたことが、たまらなく嬉しくなってきます。 なぜ自分は肉を持ってきたのか、もうどなたも、自分の心で感じられるようになってきましたでしょうか。 そうです、今あなたがその頭で出しているのが、その答えです。 それを、どうぞ、自分の中で本当に知って、その本当の思いに沿った生き方と死に方をしていきましょう。 ありがとう、ありがとう…、この五文字の重みを、心で味わってください。そうなってくれば、いかにこれまでの自分が軌道を大きく外して存在してきたことかということが、自ずと心に響いてきます。そして、間違って存在してきたことが、たまらなく嬉しくなってきます。 ただ嬉しい、ありがとう…、そして、喜びへと突き進んでいくことが感じられるでしょう。 二九、田池留吉、アルバート、アルバート、アルバート…、二五〇年後のアルバートを思う時、私の心は、はちきれんばかりの喜びで、ああ、いっぱいでございます。私は、この喜びを心に大きく感じると同時に、自分を絶対に裏切らない固い決心を感じます。揺らがない自分への信、私は、その喜びを感じています。 田池留吉、アルバート、田池留吉、アルバート。異語。 心より、田池留吉、アルバートを思います。異語。 苦難の道を歩いてまいりました。今世、私は、幸せを自分の中に確信しております。幸せと喜びの道を歩いていく自分の道筋を確信しております。田池留吉、アルバート、アルバート、アルバート…、二五〇年後のアルバートを思う時、私の心は、はちきれんばかりの喜びで、ああ、いっぱいでございます。 私は、この喜びを心に大きく感じると同時に、自分を絶対に裏切らない固い決心を感じます。揺らがない自分への信、私は、その喜びを感じています。まさにアルバートです。ありがとうございます。今世、ようやく、喜びの道へ自分の軌道を修正することができました。この道を、ただひたすら、真っ直ぐに歩いてまいります。二五〇年後、そして、その先へと私は進んでまいります。 田池留吉、アルバート、私は、その意識とともに歩いていく意識でございます。今、そのように、はっきりと心に感じさせていただいている私は、幸せでございます。ありがとうございます。 三〇、肉を持つ今世の時間も、二五〇年後も、自分にとって肉とはどのような役割を果たすのか、もうはっきりと心に感じています。ともに生きることの喜びを感じ、本当に幸せだなあと思います。 今回の勉強会もまた、私にとって、実り多い時間となりました。 二五〇年後、そして次元移行に向けて、意識の流れは着実に遂行されていることを確認させていただき、本当にありがとうございました。幸せです。 肉を持つ今世の時間も、二五〇年後も、自分にとって肉とはどのような役割を果たすのか、もうはっきりと心に感じています。 ともに生きることの喜びを感じ、本当に幸せだなあと思います。淡々と喜びと幸せを感じます。意識の流れを感じられること、そして、自分を感じられること、こんな幸せと喜びはありません。本当にありがとうございました。 三一、学びの指し示す方向は、二五〇年後そして次元移行です。はっきりとその方向を示しました。そこに照準を合わせて、これからの時間が流れていくこと、意識の流れがさらにより鮮明になっていくこと、喜びの思いとともに伝えさせていただきました。 学びの指し示す方向は、二五〇年後そして次元移行です。はっきりとその方向を示しました。そこに照準を合わせて、これからの時間が流れていくこと、意識の流れがさらにより鮮明になっていくこと、喜びの思いとともに伝えさせていただきました。 三月の瞑想会に参加される人達、どうぞ、真剣に真摯な思いで日々の瞑想を重ねていってください。 初参加者のための勉強会、最後の勉強会に参加された人達は、それぞれの心で感じられたと思いますが、私は、もちろん、それを淡々と遂行するべく、これからも存在してまいります。たくさんのUFO達とともに、私達は宇宙へ、母なる宇宙へ帰ることを伝え続けてまいります。 三二、二五〇年後を見据え、次元移行に照準を合わせて、意識の流れは流れていくことを、はっきりと伝えます。たった一本の道しかない、そう伝え続けます。 アルバートと出会うために、今世の肉を持ってきた私にとって、セミナー初参加から、今現在に至る学びの道筋は申し分ないものと言えます。きちんと計算され尽くされ、予定通りのコースを歩み、これからも予定通りに事が遂行されていくことを確信しています。 今、学びはここまできています。セミナーは、数年前に事実上終了し、そして、初参加者のための勉強会も五回開催されました。この五回の勉強会を経て、学びの中身は大きく進んだようです。 三月の瞑想会において、その感想を持たれる方も多いと思います。旧態依然のままでは、とても、とてもということでしょう。 二五〇年後を見据え、次元移行に照準を合わせて、意識の流れは流れていくことを、はっきりと伝えます。たった一本の道しかない、そう伝え続けます。 三三、肉という思いは最悪です。そういうことを、肉を持った意識は感じていきます。厳しい転生を感じて、真実の波動に呼応していく様は、とても言葉では表現できません。 私には、二五〇年後の気配を感じられます。すごい勢いで真実の波動は伝わっていきます。肉の人間がというよりは、宇宙を挙げてそれは流れていくことを感じます。肉という思いは最悪です。そういうことを、肉を持った意識は感じていきます。厳しい転生を感じて、真実の波動に呼応していく様は、とても言葉では表現できません。 そういうことを経て、すっと次元移行をしていく、意識の流れの現実を、今、心に感じています。嬉しいというか、意識の世界の素晴らしさを感じます。 三四、自分自身の来し方行く末をしっかりと見つめながら、本当に真実の世界と出会った今を、心で感じながらの時間を経て、そして、瞑想会には、喜んで参加させていただきたいと思っています。 三月の瞑想会も、私にとっては、やはりひとつの区切りとなるでしょう。ひとつひとつ、自分の中で確かめながら、私は、私の道を歩んでいくことの楽しさと喜びを感じています。 「あなたの意識ではありませんか、参考にしてください」のぺージを通して、私は勉強させていただきました。ありがとうございます。このぺージは、装いも新たにして、また四月にともに学ばせていただけるかと思います。 それまでの間、私は、三月の瞑想会に思いを向けてまいります。 自分自身の来し方行く末をしっかりと見つめながら、本当に真実の世界と出会った今を、心で感じながらの時間を経て、そして、瞑想会には、喜んで参加させていただきたいと思っています。 三五、勉強会に参加するには、準備が必要です。最低限の知識、そして瞑想という実践、心を見る実践、そのような準備を、自分なりにしっかりとして、そして、瞑想会に参加してください。学びは進化しています。誰でも参加できるかもしれません。しかし、参加すれば、何かが感じられる、何かが分る、自分の問題点を解消できる、根本的に、そういうことではないことを、今一度、確認しておいてください。 瞑想会に参加される人達、どうぞ、これから一ケ月、瞑想する時間をそれぞれにしっかりと持っていってください。たとえば、ホームページに載っている瞑想5を聞きながら、そしてそこから瞑想に入っていく、そういうことを、どうぞ、一ケ月続けてください。もちろん、一ケ月だけという意味ではありません。瞑想会に参加されるならば、とにかくこのことを実行してください。ただ、実行してください。 今までに、何度もお伝えしてきました。色々な思いを持って、勉強会に集ってこられます。ですが、間違った思いで、つまり欲で勉強会に集われても、そこで伝える世界が、心にすうっと入っていくというのは難しいのです。それは、これまでに繰り返し伝えてきました。すべて、自分自身がシャットアウトしていることを、知ってください。 勉強会に参加するには、準備が必要です。最低限の知識、そして瞑想という実践、心を見る実践、そのような準備を、自分なりにしっかりとして、そして、瞑想会に参加してください。 学びは進化しています。誰でも参加できるかもしれません。しかし、参加すれば、何かが感じられる、何かが分る、自分の問題点を解消できる、根本的に、そういうことではないことを、今一度、確認しておいてください。 三六、気の遠くなるような時間を経てきました。永遠の時間の中で、より真実に近づいていく道筋を、私は、私の中で感じさせていただいています。田池留吉という世界、アルバートの方向へ心を向ける喜びを心から味わえる今、ただただありがとうございます。 田池留吉、気の遠くなるような時間を経てまいりました。どれだけこの時を待っていたことか。ようやく、今という時間をいただき、私の中で、自分が待ち続けてきたことが実現可能となった今を感じ、心の中の喜びは、大きなものがございます。 二五〇年後に向けて、今世その準備のために、私はひとつの肉を自分に用意しました。意識の流れを着実に遂行するために、肉を持ち環境を整え、今、正しい方向に歩みを進めています。 気の遠くなるような時間を経てきました。永遠の時間の中で、より真実に近づいていく道筋を、私は、私の中で感じさせていただいています。 田池留吉という世界、アルバートの方向へ心を向ける喜びを心から味わえる今、ただただありがとうございます。 三七、言葉は何でもいい、田池留吉でもアルバートでも宇宙でも何でもいい。ただ、自分がずっと待ち望んできたことが、本当に今、実現して、もうその方向に進んでいけばいいという事実だけがある状態です。 私はあなた、あなたは私…、田池留吉、アルバートの中に生きる喜び、心に響きます。 ひとつの肉を通じ、心にストレートに伝えてくれたことが幸せです。 本当に衝撃的な時間と空間の中に、自らをいざなった幸せと喜びを感じ、私は、何とも言えないものを感じています。 言葉は何でもいい、田池留吉でもアルバートでも宇宙でも何でもいい。 ただ、自分がずっと待ち望んできたことが、本当に今、実現して、もうその方向に進んでいけばいいという事実だけがある状態です。 長い瞑想もよし、短い瞑想もよし、心を向け、心を合わせる、その喜びと幸せを感じます。 三八、三月の瞑想会は、本当にひとつの区切りなのです。二五○年後に向けてすでに走り出した意識は、その区切りを境に、さらにひた走りに進んでいきます。 三月の瞑想会は、本当にひとつの区切りなのです。 二五〇年後に向けてすでに走り出した意識は、その区切りを境に、さらにひた走りに進んでいきます。 自分と自分の中で、ともに生きる喜びを味わいながら、歩みを進めていくでしょう。 そこにあるのは、真実へ続く道。確かな手ごたえを、どうぞあなたも、そしてあなたも、自分の心で感じていってください。 すべてが愛。あんなことも、こんなことも、すべてが愛。愛しかないことを、意識は伝えてくれます。それが私達でした。 三九、間違い続けてきた自分の時間にありがとうしかありません。狂い続けてきた自分にありがとうしかありません。しかし、それも、二五〇年後の一瞬の出会いから、大輪の花を咲かせる段階になり、私としては、言葉ではどうにも表現できない思いがあります。だから、異語で応えます。 二五〇年後の再会を楽しみに心待ちしています。三次元の総仕上げをして、そして、次元移行をする、心の中にその予定図がきちんと出来上がっている楽しみ、喜びを感じ、今、肉を持っていることを感慨深い思いで見ています。 間違い続けてきた自分の時間にありがとうしかありません。 狂い続けてきた自分にありがとうしかありません。 しかし、それも、二五〇年後の一瞬の出会いから、大輪の花を咲かせる段階になり、私としては、言葉ではどうにも表現できない思いがあります。だから、異語で応えます。異語は自由に自分の思いを語ります。異語を聞き、異語を語る、楽しい私の時間と空間です。 四○、今世の勉強は、中心棒の確立が主眼でした。この結果をもって、意識の流れは、これからも、ただ真っ直ぐに予定のコースを流れていきます。その流れを、心で知る、心に感じる…、瞑想は喜びです。 確実な中心棒を据えて、二五〇年後に向けて歩み出した、間違いありません。そこで展開される素晴らしい筋書き、シナリオ…、度重なる天変地異を用意し、そこに至るいくつかの転生を経て集う意識達…、だからこそ、最終時期に出会い、呼びかけに応じ、すごい反応を示してくるのです。 他力の中に沈んだ意識を呼び起こし、そして、真実のほうに向けることは、並大抵のことではありません。 今世の勉強は、中心棒の確立が主眼でした。この結果をもって、意識の流れは、これからも、ただ真っ直ぐに予定のコースを流れていきます。 その流れを、心で知る、心に感じる…、瞑想は喜びです。 四一、すべてがひとつとなって溶け合っていく、そう、それが本当に嬉しい、本当にありがとう…、その意識の世界にある自分を知っていくために、それぞれ、これからがあることに、ありがとうしかない、そう思いませんか。 あなたは、二五〇年後に向けて歩き始めていますか。 あなたの意識は、二五〇年後に向けて、喜びを伝えてくれていますか。 間違った狂った意識が、どんなに抵抗、反発、反逆を繰り返しても、流れの本流は、悠然とその様を示していくでしょう。 ありがとう…、その言葉と思いしかありません。すべてがひとつとなって溶け合っていく、そう、それが本当に嬉しい、本当にありがとう…、その意識の世界にある自分を知っていくために、それぞれ、これからがあることに、ありがとうしかない、そう思いませんか。 四二、すべての意識がアルバートに向いていけば、全く争いはなくなります。平和を、自由をと叫ばなくても、本当の平和と自由に溢れています。しかし、そのような世の中は、実現不可能です。なぜならば、三次元の時間と空間の中にあるからです。 すべての意識がアルバートに向いていけば、全く争いはなくなります。 平和を、自由をと叫ばなくても、本当の平和と自由に溢れています。 しかし、そのような世の中は、実現不可能です。 なぜならば、三次元の時間と空間の中にあるからです。 私達は、ここで、様々なことを学習するようになっていました。これが、自分達の進化していく過程です。私達は進化しなければならない、進化していくべきなのです。 瞑想をしていけば、そのようなことが如実に感じられ、何一つ不必要なものはなかった、だから、ありがとうだけでよかったのです。 四三、これまでは、人それぞれ、様々な逃げロを作って、自分を欺いてきたと表現しても、決して大げさではないと思います。これからは、そういうわけにはいきません。はっきりと自分と向き合う時間を用意しています。 自分と向き合わずして、本当のことは分かりません。 真向かいから自分を見つめ、自分と付き合っていくために、生まれてくるのです。それが私達でした。 これまでは、人それぞれ、様々な逃げ口を作って、自分を欺いてきたと表現しても、決して大げさではないと思います。 これからは、そういうわけにはいきません。はっきりと自分と向き合う時間を用意しています。それが、これからの転生であり、天変地異です。 四四、心を繋いでくれてありがとう。宇宙に点在する仲間、UFO達、どうぞ、どうぞ、心をアルバートに向けていきましょう。UFO、心の中の苦しみも哀しみも喜びへと変えていく時を得ています。これから、私達は、喜びへと邁進してまいります。宇宙よ、UFOよ、心からありがとう。アルバート、ありがとう。 命を繋いできた、心を繋いできました。今という時に心を繋いできました。アルバートに出会うために、私は心を繋いできました。今とても幸せです。心を繋いできた私には、今世は、かけがえのない時でございます。 苦しい中、すべてが許されていました。私は、すべてに許されていた。自分を生かしてきた私自身を感じています。とても嬉しいです。ありがとうございます。お母さん、ありがとう。心からありがとうございます。 心を繋いできた私、今、自分の中に本当の喜びと安らぎを広げていくことができる私自身を感じます。 限りない時間の中で、今、この時を自分に用意していることが、とても幸せでございます。お母さん、ありがとう、ありがとう…。心からありがとう…。 異語。 心を繋いでくれてありがとう。 宇宙に点在する仲間、UFO達、どうぞ、どうぞ、心をアルバートに向けていきましょう。UFO、心の中の苦しみも哀しみも喜びへと変えていく時を得ています。これから、私達は、喜びへと遭進してまいります。宇宙よ、UFOよ、心からありがとう。アルバート、ありがとう。 心を開いて、UFO達よ、あなた達の心を語ってください。 苦しい中を、ずっと、ずっと、ともに歩いてきた仲間達、UFOよ、仲間達、心からアルバートに思いを向けてまいりましょう。どうぞ、心を開いて、アルバートヘ…、私達は待っています。心の中からUFOを呼ぶ声を、待っていました。温かな優しい思い、それがUFO達の思いでございます。UFO達、心を広げていってください。何も恐れることはありません。アルバート…、ああ、そう、お母さんの温もり、お母さんの温もりでございます。 四五、私が、今世、肉を持ったのは、アルバートに出会うためでした。そして、二五〇年後に、再度肉を持つのは、次元移行をするためです。予定のコース、予定のシナリオ、瞑想をして心に感じる今です。 私が、今世、肉を持ったのは、アルバートに出会うためでした。 そして、二五〇年後に、再度肉を持つのは、次元移行をするためです。 予定のコース、予定のシナリオ、瞑想をして心に感じる今です。 瞑想をして、心に響く思いは、やはり宇宙です。俗に言う宇宙というのではなくて、その意識の世界は、自分が帰るところです。 母なる宇宙…、そのような言葉を出しました。暗黒の宇宙から、母なる宇宙へ、この軌跡がたまらなく嬉しいと感じます。 ようやくその緒についたことを感じ、ありがとうしかありません。 四六、私は、特別ではありません。しかし、私は、核です。これは、動かせない事実です。 私は、特別ではありません。 しかし、私は、核です。これは、動かせない事実です。 核だということがどういうことなのか、私自身もまだ、深く自覚していないのかもしれません。それが自分の中で、明らかになっていくこれからなのでしょう。 今朝は、このような思いが、心に上がってきました。 四七、流れのスピードの速さに驚きながらも、ただただ喜び、そして、その喜びの中に、ひとつと化していくことが喜び、そんなシナリオを用意して、そして、次の学習へ進んでいく、本当にすごいことだと感じています。 裕福ですべてに満たされているところからは、変革は生まれてきません。 疲弊して、もう後がないところから、そう、そこから鮮やかに蘇ってくる、そのエネルギーの源は、もちろん大いなる喜びです。 流れのスピードの速さに驚きながらも、ただただ喜び、そして、その喜びの中に、ひとつと化していくことが喜び、そんなシナリオを用意して、そして、次の学習へ進んでいく、本当にすごいことだと感じています。 四八、私は喜びです、喜びとともにありました、アルバートに出会ってこそ、その思いが樹立されていきます。後は、淡々とその道を歩いていけばいい、こんな簡単で単純なことはない、そして、こんな幸せはどこを探してもない、絶対にない、それがアルバートの世界です。 自らを牽引するエネルギー、それがつまり自分自身であり、そのエネルギーを知っていくことが心を見ること、つまり、心を見ることは自分を知っていくことだから、当然喜びが、心の底から湧いて出てきます。 そのような心の見方、学習のテクニックを、今世、肉を持って学ばせていただきました。 私は喜びです、喜びとともにありました、アルバートに出会ってこそ、その思いが樹立されていきます。 後は、淡々とその道を歩いていけばいい、こんな簡単で単純なことはない、そして、こんな幸せはどこを探してもない、絶対にない、それがアルバートの世界です。 四九、アメリカは、これから変わってまいります。はい、その仲間達が、今世、集ってきてくださいました。とても喜びでございます。まず、黒人の意識が変わってまいります。その喜びはすさまじいものでございます。すさまじいエネルギーを蓄えながら、喜びへと変わっていく。二五〇年後、そう黒人が立ち上がるのです。すべては、ああここからでございます。 田池留吉を通して語る意識に思いを向ける時、ああとても嬉しいです。ああ、心の中に喜びが広がっていきます。アルバートを感じます。 田池留吉を通して、アルバートを感じる時、私の中の宇宙は喜んでいます。 心の中にアルバート、アルバート、アルバート、宇宙は喜び、宇宙は喜び、そのように私の中に広がっていきます。 この喜びとともに、私は、二五〇年後に転生をして、そして、喜びとともに帰ってまいります。 私の中には、その予定図が、ああ、きちんと出来上がっています。 心を、田池留吉、アルバートに向ける時の喜びを、心の中に広げながら、私は、今、宇宙を語ります。 宇宙の彼方より、私はやって来た意識でございます。心の中に宇宙が広がっていく。とても、大きな、大きな世界でございます。アルバート、待っていました。私は、あなたを待っていました。ようやく出会えたことが喜びでございます。 心の中の宇宙、私は、あなたに心を向ける時、喜びを感じます。 田池留吉、喜びでございます。ひとつになって、ともに歩んでいけるこれからでございます。 お母さん、ありがとうございます。宇宙へ帰る道を、喜びで迎えてくれたお母さん、心より感じ、私は、喜びでございます。田池留吉、ありがとうございます。 異語。 二月の勉強会で伝えさせていただいた通り、アメリカは、これから変わってまいります。はい、その仲間達が、今世、集ってきてくださいました。 とても喜びでございます。 まず、黒人の意識が変わってまいります。その喜びはすさまじいものでございます。すさまじいエネルギーを蓄えながら、喜びへと変わっていく、はい、その様子を、私は、心の中で感じています。二五〇年後、そう黒人が立ち上がるのです。すべては、ああここからでございます。 異語。 五〇、二五〇年後に至るまでの転生は、もちろんみんな自分の地獄を確認する時間と空間です。[#「五〇、二五〇年後に至るまでの転生は、もちろんみんな自分の地獄を確認する時間と空間です。」は小見出し] 二五〇年後に至るまでの転生は、もちろんみんな自分の地獄を確認する時間と空間です。 それまでしっかりと自分の地獄を確認して、そして、二五〇年後を迎えるということでしょう。その時に、今学んでおられる方がみんな、私達に呼応するという確約はありませんが、できればそうなっていただきたい、そのために、今世、学習する機会を自らに用意してきたのです。 私は、このように感じていますが、あなたはどう思いますか。 自分を確認し、自分を変えていく、それは自分にしかできないこと、自らの誘いにより、自らを目覚めさせる、そういうことだと思います。 五一、ありがとう…、地球という空間に降り立った私にありがとう…、ああ、本当に、これからの時が待ち遠しいです。 言葉にならない思いが、どんどん心から湧いて出てきます。 母なる宇宙へ帰ろう、帰ることができる、自分を繋いできた時間、今、その喜びが、心から溢れ出てきます。 すべては、宇宙を目指してきた。温かな母の波動の中に、溶け込んでいく喜びをどんなに夢見たことか、自分の中の切なる思いが、響いてきます。 自分を呪い、社会を呪い、生まれてくることを呪う思いを、もう一度、そう、もう一度、苦しみではなくて喜びのエネルギーとして、心から噴射して、そして、私は、本当の自分とともに、母なる宇宙を目指して地球を後にします。 ありがとう…、地球という空間に降り立った私にありがとう…、ああ、本当にこれからの時が待ち遠しいです。 五二、母のもとへ帰ろう、私達の帰るべきところは母なる宇宙…、ひとつになって、地球を飛び立っていきます。 私は、まだ見ぬ友との出会いを楽しみにしています。 今度肉を持つアメリカの地で出会う予定の友達。呼びかけに集い来る仲間達の思いを、心に感じます。 彼らは、これから二五〇年後に至るまで、何度かの転生を重ねてくるだろうと思います。ああ、だけど、みんな、みんな、仲間です。 二五〇年後、ともに立ち上がる仲間です。 私達は、これまで、どんな時間を過ごしてこようとも、今、この思いを互いの中に確認できる喜びがあることを喜び合うでしょう。 母のもとへ帰ろう、私達の帰るべきところは母なる宇宙…、ひとつになって、地球を飛び立っていきます。 五三、二〇〇九年、瞑想元年、来るべき瞑想会を境にして、どうぞ、今世の時間を、これからの自分の行く末にしっかりと活用してください。[#「五三、二〇〇九年、瞑想元年、来るべき瞑想会を境にして、どうぞ、今世の時間を、これからの自分の行く末にしっかりと活用してください。」は小見出し] すべては、真実のもとにひとつです。 宇宙は、ひとつしかありませんでした。 心を繋ぎ、命を繋ぎ、自分を繋いでくれたことに、ただただ感謝です。 二〇〇九年、瞑想元年、来るべき瞑想会を境にして、どうぞ、今世の時間を、これからの自分の行く末にしっかりと活用してください。 心ゆくまで、瞑想を楽しんでいってください。 正しい瞑想のもとに、瞑想を楽しみ、自分の世界を堪能していきましょう。 五四、UFO達に伝えていきたい。私達は暗黒の宇宙の中で苦しみ続けてきたけれど、もう帰っていく時期なんだ、だから私達とともに母なる宇宙へ帰ろう、私は、心の底からそのように呼びかけ続けます。[#「五四、UFO達に伝えていきたい。私達は暗黒の宇宙の中で苦しみ続けてきたけれど、もう帰っていく時期なんだ、だから私達とともに母なる宇宙へ帰ろう、私は、心の底からそのように呼びかけ続けます。」は小見出し] 真実の波動は、世界へそして宇宙へ流れていきます。 宇宙の彼方から、流れに目覚める意識達が、二五〇年後に集結することを心に感じ、ともに、心と心で反応する喜びの中、私達は、母なる宇宙へ帰ることを確認するのです。 UFO達に伝えていきたい。私達は暗黒の宇宙の中で苦しみ続けてきたけれど、もう帰っていく時期なんだ、だから私達とともに母なる宇宙へ帰ろう、私は、心の底からそのように呼びかけ続けます。 UFO、それは私の仲間。私のたくさんの仲間が、これより地球に飛来してきます。そして、私達は、心から待っていた母なる宇宙に帰ることを知るのです。アルバート、本当にありがとう……。 はっきり一言 六九、あなたの心の向け先はどこでしょうか。タイケトメキチでしょうか。ただこれだけですよ。こんなやさしいことがなぜできないのですか。ひたすら瞑想、心に響いてくるものは何でしょうか。 七○、優柔不断はだめ、素直で、一途さが大切。いつまで、我は神、我一番をやっているのですか。 七一、愛の中にいながら、愛を知らない、愛が分からない人間の未来は、哀れとしか言いようがないでしょう。 七二、本を読んでいますか、ホームページを開いていますか、そして瞑想をしていますか。後は、誠実、真剣、不断の努力だけ。自分を、もっともっと大切にしていこうではありませんか。 七三、いつまで、ぶつぶつ、ぐずぐず、イライラしているのでしようか。いつまで無知で、エゴで、欲が深い自分に気が付こうとしないんでしょうか。 七四]、「私は、やってきた。私は、やはり、やってきた」という思いが、とても強い人が、未だに沢山います。あなたはどうでしょうか。 七五、「私は、あなたの上を行った者なんですよ、あなたに何も言われたくない」という思いが根底にある人が未だにいます。あなたはどうでしょうか。 七六、私とあなたの決定的な違いは、土台が、肉か意識かにあります。私を上にしたり下にしている方達の土台は私と違っているはずです。本もホームページも、すんなりと読めないと思います。己が偉すぎませんか。 七七]、私は、何も求めていません。私は、私を知っているから。土台が肉の方々には、私はあなた、あなたは私、ひとつと言っても、到底分かってもらえないと思っています。残された僅かの時間と空間を、真剣に、誠実に意識の転回を目指していかれる方達とともにしていこうと思っています。 七八、本当に長い間一緒に学んできたのに、未だに、肉肉の人達、己偉い人達、他力どっぷりの人達、これからどうしていくのかと少々案じています。一歩でも、半歩でもいいですから前に進んでいってくれませんか。 七九、肉が土台の人は、立派でない自分は嫌、自分は美しくて素晴らしくなくては嫌、だから、自分の心が暗い、闇だと認めることが大変難しい。99.999…%の人間の心はその暗くて闇です。その暗くて闇だということに気付き、そして、それを受け入れる作業を通して、真実の自分に目覚めるために生まれてきたのです。この学びを信じて、学びの手順に従って行っていってください。 八○、学びの手順は分かっている、手順に従ってやっているといっても、土台が、まだまだ肉であれば、やっているとは言えません。最後は、瞑想の継続ということになるでしょう。 八一、死んだ時消えてなくなる自分と、消えない自分がある。前者は肉体、後者は意識。意識には、肉体が自分だと思い込んでいるもの、正しい瞑想・反省を重ねていけば段々と消えていくものと、永遠に消えない、存在するものがある。 八二、肉のことはほどほどに、ただし、肉があるゆえに色々の心が見えてくるから、その心を見ていくように心掛けていけばよいのです。心を見ない人生って人生ではないと言えるでしょう。おんぞうえく 八三、仏教で言うところの四苦八苦(生・老・病・死、・愛別離苦・怨憎会苦《おんぞうえく》・求不得苦《ぐふとくく》・五陰盛苦《ごおんじょうく》)は、意識を土台とする人間・意識の転回がなされている人間には、ほとんどないと言えます。人生の苦悩から自分を救う道は意識の転回しかありません。 八四、母親の反省が進んでいない人、母親の温もりが感じられない人、今世の母親を見下し、愚痴をこぼし、不平を並べている人は、いくら学びをやっても空回りするだけです。そんな状態で、心がタイケトメキチに向く、世界が分かることはありません。もちろん正しい瞑想なんか出来っこありません。 八五、己偉い我一番の人、われこそ神、大いなる使命あるものと思っている人は、決してタイケトメキチの世界が分かることはありません。 八六、タイケトメキチでないものを心の中に掴んでいる人は、タイケトメキチに心の針を向けることは出来ません。もし、出来ていると思っているならば、それは、タイケトメキチではありません。 八七、パワーを求めないでください。チャネラーになりたいと思わないでください。間違った動機です。求めたパワーで、成りたいと思ったチャネラーとして出すエネルギーで自壊自滅していくでしょう。どうぞ、すぐに思い止まってください。 八八、究極は、田池留吉を信じているかどうかだけです。信じていなければ、真実は何も分かってこないでしょう。田池留吉を信じるということは、肉の田池留吉をということではありません。波動・エネルギー・世界を信じているかどうかということです。 八九、肉の田池留吉を上にしたり、下にしたりしているようでは、いかがなものでしょう。くそ田池、死ね、殺すぞ、消え失せろ、何と言われてもいいですが真っ暗闇ですね。母親の反省、そして、母親の温もり、優しさで闇を受け入れ、包み込んでいく作業が不可欠です。 九○、タイケトメキチに心の針が向いていない霊能者・チャネラーに、心を寄せたり、悩み事などを相談したりしないように、後々が大変でしょう。 九一、この学びには、先輩、後輩、幹部、上位のもの、下位のもの等の差は一切ありません。ただ、タイケトメキチを信じている度合いによって、色々の人がいます。 九二、肉の田池留吉は少々愚か者でしょうが、タイケトメキチは何人といえども支配することは絶対できません。そのような思いを向ければ向けるほど自滅の道を選ぶことになるでしょう。 九三、本当の幸せを知りたければ、タイケトメキチを感じ知っていく以外にはありません。せっかくこの学びに導かれたのですから、指し示された道を素直に、安心して、真っ直ぐに進んでください。裏切られることは絶対にありません。 九四、いまだに肉を信じ、肉の平安、幸せを求めている人々よ、目を覚ましてくださいよ。いつまで苦しみ悩みながら、何を頑張っているんですか。愚劣極まりない人生をいつまで続けるのですか。さよならしましょう。 九五、あなたにとって、誰が立派なんですか、偉いんですか。尊敬できる人ってあなたの周りにいますか。どなたですか。勲章をもらった人ですか。最高の位についた人ですか。歴史に名を連ねた人ですか。その人達にあなたの意識を向けてごらん。真実とは何かが、鮮明になってくるでしょう。 九六、過去、現在の宗教指導者に、心を向けてきた人、向けている人は、最大級の反省、転換に残された時間空間を使うようにしてください。やがて迎える大いなる試練にうろたえ、阿鼻叫喚、そして、恨み死に、狂い死にしないようにご忠告しておきます。 九七、「意識の流れ」「続意識の流れ」が読めない人、反発している人は、残されたセミナーに参加しないようにお願いします。ホームページが読めない人も、反発してる人も、残されたセミナーに参加しないように伏してお願いします。私は、誠心誠意、全力投球だから。参加者全員とともに次元移行したいからです。 九八、あほうの肉の田池留吉は、本を読み、ホームページを開き、セミナーに参加する人達が、心底好きなんです。いい加減な気持ちで接していないはずです。だから、いつも、一緒に、タイケトメキチの意識、世界へ進んでいきたいのです。それが、私の人生を誠実に生きていくことになるのです。 九九、私は、何も求めません。自分自身に誠実な人達と、用意された時間と空間を、ありがとうと楽しんでいきたいとも思っています。私は、今、とても幸せです。ありがとうございます。 一○○、自分自身を大切に思っている人、自分自身に誠実な人というのは、タイケトメキチに心の針を合わせ、タイケトメキチを感じ、信じる道をひたすらに進んでいる人を言います。どこまでも肉を基準に生きていこうとしている人は、自分自身を大切にしているとは言えません。 一○一、「正しい瞑想の仕方」に書かれてある手順に従って、瞑想を続けてください。少しずつ、ものの見方、考え方と生き方が変わってきます。そのことをありがとうと受け取って喜んでいってください。更に変わってきます。悲しんだり、泣いたり、わめいたりしないように、あなたには似合いませんよ。明るい笑顔で三月の勉強会に参加しましょう。 一○二、本当に長い間勉強してきても、心からありがとうが言えない人は、まず、一日に三十回、ありがとうと口に出さなくてもいいですから、心の中で思うようにしましょう。対象は、あなたの目に入ったもの。ありがとう、ありがとうと言いながら、一日一日を過ごすようにしましょう。 一○三、自分を知らない、タイケトメキチの意識・波動・世界を知らない霊能者に近づかないように。彼等のほとんどは、闇のエネルギーに操られているといってもいいと思います。すばらしく見えれば見えるほど要注意です。道を誤らないように。 一○四、数え切れないほどの過去世の中の一つや二つを口にして、自分を誇っている方、どうしようもありません。甘い、甘い。地獄から出てきて地獄に帰っていく転生を数え切れないほど繰り返してきたのに、今世もまた地獄ですか。 一○五、立派、正しい、賢い、偉い人なんて、どこにいますか。もういい加減に、冷たくて、あほうで、寂しいって叫んでいる自分、地獄の住人だと確認なさってはいかがでしょうか。それには、母親の反省と瞑想を通して、母親の況もりが愁じられるようになること、それしかありません。 るようになること、それしかありません。 一○六、闇、闇の過去世たちが、肉を持たせていただいたのが今世のあなたです。誰も、相手の過去の闇を責めることができるでしょうか。誰にも、責め裁ける相手も、戦う敵もいないと思えませんか。とくに、今世肉体をいただいた母親を見下したり、責めたり、泣かしたり、何人もできないはず、そのように思えませんか。 一○七[#「一○七」は小見出し]、昨日、感動の勉強会が意識の流れをはっきりお伝えできました。嬉しくて、ありがたくて泣いています。本当に長い間待っていた涙でした。幸せです、ありがとう。偽りの神々から、貧困・差別から真実の自分自身へ、タイケトメキチ・アルバートヘと、人類救済・次元移行へと、第一歩が進めたことが嬉しくて嬉しくて、ありがとう、ありがとうしかありません。 一○八、差別の土地に生まれてくる人達よ、偽りの神々に、貧困・差別に光を放っていってください。暗黒の土地に、国に光を、そして、ともにひとつの世界へ移行していきましょう。偽りから真実へ、真実の愛へ、アメリカの大統領が訴え続けた「Yes,Wecan.Change.」で進んでいってください。 一○九、意識の流れを証かす人々よ、待っていますよ。二五〇年後、アメリカの地で待っています。 一一○、田池留吉を見て、田池留吉を見ていない人がほとんどではないでしょうか。田池留吉の存在の意味がまったく分かっていない人がほとんどです。今あなた方の心の針はどちらに向いていますか。それさえも分からないで、分かっている、できている、正しい、立派だとはどういうことでしょうか。 一一一、苦しんでいる人は間違っていると、二十年以上伝え続けてきましたが、いまだに助けろ、救ってくれ、何とかしろとは、どんな思いで、今日まで学んでこられたのでしょうか。自己選択、自己責任、自分を救うのは自分自身です。誰も救えません。自分を苦しめているのは自分自身だからです。 一一二、田池留吉に手を合わせている人、田池留吉を下に見ている人、いずれも、田池留吉を知らない人々です。田池留吉、我を認めろ、なぜ我を見捨てた、田池留吉死ね、田池留吉消え失せろ、邪魔だと叫んでいる人々は、田池留吉について何も分かっていないと言えます。 一一三、いたずらに霊能力を求め、その霊能力を誇るものたちは、やがて、田池留吉から去っていくようになってくるでしょう。去るものは追いません。しかし、二五〇年後に向けて、ともに進んでいきませんか。 一一四]、私達は、二五〇年後の再会に向けて歩み始めました。さあ、先頭集団に。厳しい来世を予定しているでしょうが、ひたすらにアルバートに心の針を合わせていってください。 一一五、アルバートの世界を少しでも感じることができたら、まさに転回、見る見るうちに整ってくるでしょう。本当の喜び、安らぎ、幸せを知ることになるでしょう。一筋に信じて、迷わずに、真実の人生を楽しんで生きていってください。 一一六、田池留吉・アルバートに心の針を向けようとしても、欲や他力の思いでは、まったく反対の方に向いていると思ってください。そして、母親の温もりを知らなければ、決して田池留吉・アルバートに心の針は向きません。田池留吉・アルバートに心を合わせることはできません。 一一七]、お母さんに心を合わせて瞑想してください。田池留吉に心を合わせて瞑想をしてください。瞑想は毎日、続けてください。これだけです。真実が分かってきます。これ以外に分かる方法はありません。しっかりお伝えしておきます。ただし、その前に、自分が使ってきた真っ黒などす黒い闇に出会っていかねばなりません。いわゆる闇出しです。 一一八、いわゆる闇出しが、前へ進むかどうかの大転換点です。本の熟読、母親の反省、他力の反省をしっかりやって、これらは頭の、肉の実践ですが、その上で瞑想が楽しめるようになってください。 一一九、あなたは、甘ったれではありませんか。あなたは、わがまま、気まま、自分勝手な人だと言われていませんか。悪いのは相手、幸せにしてください、どうして私ばかり苦しまなければならないのですかと、いつもブツブツ、泣き言ばかりなんですか。いい加減にさよならしませんか。それでは、田池留吉からの指針を肝に銘じて進んできてください。 一二〇、は小見出し]最近、ピンチこそチャンスだと前向きに進み始められるようになった人が、今は少しずつですが出てきているように感じられます。嬉しいです、幸せです。どうぞ、あなたも前向きになってくれませんか。待っています。