「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」

はじめに
1. お母さんの中に帰ろう



昨日、アマテラスのことで、権力闘争というか、アマテラスは戦いのエネルギーだって言ったんですが、その通りなんですが、アマテラスと思えば、戦い、一族、我一番とか、そういう言葉や思いが出てくると思うんですけど、もう一つ、アマテラスといえば巫女(みこ)が出てくるんですね。

巫女、もう皆さん全員の方が過去、転生の中で、何度も何度も何度も何度も、繰り返し巫女をされてきました。巫女っていうのは、幼い頃に母親から引き裂かれて、訓練というか神の声を聞くそういう訓練所というか、そういうところへ連れて行かれた心の体験が皆さんの中に絶対にあるはずなんです。だからアマテラスといえば、なんとも言えない寂しいっていうか、辛(つら)いっていうか、我一番! という猛々(たけだけ)しい思いの裏には、お母さんから引き裂かれた、小さい時から訓練訓練で厳しい中で成長していって、それで、その能力が発揮できなかったら、それこそボロクズのように簡単に捨てられていった、そういう、なんとも言い難い思いがあるんです。瞑想していけば、必ずその思いに到達すると思います。そういう思いが出てくると思います。

だから、これからアマテラスに向けて瞑想しますが、我一番とかそういう思いに向けるのもいいんですけど、小さかった頃の、自分の言いたくない、触れたくない、どうしてもここだけはという、暗い暗い、なんとも言えない思いをアマテラスに向けた時に感じられれば、その思いを、「そうじゃないんだよ」って、「お母さんの中に帰ろう」って、ただただ、ただただ伝えてあげてください。

小さかったんです。お母さんから引き離されるっていうか、どこへ連れて行かれるかわからなかった。はじめは、もてはやされるようなきれいな言葉で、「あなたはすごいんだよ」とか、いろいろ言われたと思うんですけど、行ってみれば、それはそれはひどいところで、そこで権力者の言われるままにできれば、またそれで良かったんですけど、そうしているうちに利用されるだけ利用されて、末路は哀(あわ)れな人生、狂ってボロクズのように死んでいった過去の思いが、皆さんの心の中に山ほどあります。その思いをやはり田池留吉の中に帰していってあげてください。やさしいあなたに蘇(よみがえ)っていただきたいと思います。

仲間がたくさんたくさんいます。だから私はアマテラスに思いを向けることが、本当に自分の中にごめんなさいとか申し訳なかったとか、なんかそういう思いが出てきて、アマテラスに向ける瞑想がとても大事だと思っています。

(2016年5月橿原セミナー2日目/於 橿原ロイヤルホテル)