「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」

4. 卑弥呼を題材にして、
反省と瞑想の時間を持たれていると思います。



卑弥呼が巫女を利用して、己の権力、己というものを誇示しようとするエネルギーを、自分の中の卑弥呼から感じてこられたと思います。

では、反対に巫女はただ利用されていっただけ、そして用無しになれば、捨て去られただけ、哀しくて辛い巫女の心、あるいは恨みと呪いだけの心の中に自らを苦しめていっただけなのでしょうか。

巫女の心を聞いてください。

巫女は確かに悲しくて苦しくて辛くても、どんな困難にも打ち勝てるように教育されてきました。それはただひたすらに神の声を聞くという修行です。その中で巫女として培ってきた心、エネルギーもまた凄まじいものだったはずです。私は利用されているのではない、卑弥呼を操っているんだ。我こそ神なり、私は卑弥呼の上に行くもの、そのようなエネルギーを流しながら、形の上では卑弥呼に仕えてきたのです。

そのエネルギーを、それぞれの心でもっと深く味わっていきましょう。

巫女の心も卑弥呼に負けず劣らず凄まじいものです。ただ年端のいかない幼少の身で親元から引き離され、ひたすら神の声を聞くという訓練を強いられたということかもしれませんが、しかし、巫女はしたたかです。

どんなに蔑(さげす)まれても生き延びる術を自ら培ってきました。

己の呪術に身を滅ぼしていった末路ですが、その中で培ってきたエネルギーは、卑弥呼以上の巫女もありました

卑弥呼を陰で操る巫女のエネルギー、パワー。卑弥呼以上に、ブラックパワーをもって、すべてを牛耳ってやる、我一番なり、そんな巫女達の心の中でした。すべては真っ暗闇、闇黒の中でした。そのことに全く気付かずに、ただ闇に心を売っていた愚かな自分達でした。