「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」

8. 間違った神を神として伝えてきた大きな過ちは、
自らを地獄の奥底の底のまだもっと底に突き落としていきました。



大罪人でした。巫女を利用してきたとか、男どもを手玉に取ってきたとか、首をチョンチョン刎(※)ねたとか、そんなことよりも、間違った神を神として伝えてきた大きな過ちを、過去、繰り返し犯してきたことに対して、どれだけ自分に懺悔してきたか、そういうことだと思います。

田池留吉、アルバートを思い、卑弥呼と思うとき、泣けてきます。

どんなに大罪人であったのか、それでも私は、今こうして肉体を持って大きなチャンスを得ています。

間違った神を神として伝えてきた過ちに自ら気付き、自らに懺悔するチャンスを自分に用意しました。それが今世の学びでした。

田池留吉を通して、真実の波動の世界を学ぶという絶好のチャンスを用意しました。私、田池留吉に心を向けなさいというメッセージがいかに愛であるか、本当にありがとうだけでした。

卑弥呼が語ってくれます。

私は女王、卑弥呼。卑弥呼の世界を作り続けてきました。卑弥呼の世界を広げながら私は転生を繰り返してきました。

卑弥呼の心はそのままでした。私はいく度も、いく度も肉体をいただきました。そのたびに地獄の苦しみを味わってきました。

卑弥呼の時代はよかったと私は卑弥呼の時代を懐かしく思う時がございました。

なぜ私はこんなに苦しい目に遭うのかと、私は素晴らしいのにと、そんな思いの中で私は苦しみ続けました。

今、卑弥呼の心を語ることは私にとって、本当に喜びとなっています。

私の心の中を全部明るい温もりの中に出していくことが、本当に喜びであり温もりであることを伝えていただきました。

卑弥呼は間違っていると真正面から伝えてくれました。

そうです、私はそのように自分に伝えたかったんです。私は間違っていたんです。間違っていたことを自分に伝えたかったけれど、私にはその勇気がありませんでした。

私は私を見つめる勇気がありませんでした。私は素晴らしい者、神の化身だとしてきたことが私の頼りでした。私はその思いをずっと、ずっと心に秘め転生を繰り返してきました。卑弥呼は素晴らしい者ではありませんでした。本当に地に落ちた私でした。地獄の奥底を這いずり回っていると言ってもらいました。そうです。その通りです。私は地獄の苦しみを味わい続けました。私はすべてを、すべてを呪ってきました。こんな苦しい私はどうしても自分で受け入れることはできませんでした。私の苦しみは自分を受け入れることができなかった中にありました。

苦しみはそうでした。自分を受け入れることができなかった。

こんな苦しい、苦しい、みっともないみすぼらしい自分を、どうしても、どうしても、私の中で受け入れることができなかった。私は自分自身が間違っていることを認めることができなかった。それが苦しみでした。伝えていただいた通りです。自分を自分で受け入れることができなかったことが苦しみでした。

今、今、少しずつ、少しずつ、苦しみを吐き出しながらも、その吐き出したところから優しい思いを感じます。温もりを感じます。ああ、これで私は少し楽になれます。

自分を苦しめてきたのが自分だったということが、全く私には分かりませんでした。
※チャネリングでは「首を刎ねる」というような表現がされていますが、この時代、高貴の者や神に仕える巫女たちは血を流すことが禁じられおり、縊り殺されることが一般だったようです。いとも簡単に殺されたという意味合いで「チョンチョン首を刎ねる」という表現になったと思われます。 (編者注)