「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」

9. 卑弥呼。 長い、長い時を経て私達は出会いました。
あの飛鳥の地で、 私達はともに、神に忠誠を誓った仲間です。



私達は、心を闇に向けました。もちろん、闇とは思いもしませんでした。神に忠誠を誓う者、その思いのままに、私達は自分の肉体を動かしました。

心の中から凄まじいエネルギーを流してきました。

「我の言うことを聞け。我の語る言葉は神からの言葉。これに逆らう者は、即刻地獄に落ちろ。

我は国を統治する者。我の言うことに従えば、すべてはうまくいく。すべてを支配するこの力を見よ。この力を以て、この国を治めん。

我らはこのエネルギー、このパワーを、この国にもたらす者。」

私達はそのように、民に言葉を発してきました。

大きな力を示してきました。

その陰に哀れな巫女達の姿がありました。あの者達を利用して、我らは、ここに、この国を大きなものにしていこうと誓い合ったのです。

卑弥呼の中には野望がありました。野心がありました。

卑弥呼の名を轟(とどろ)かせたい。海を越えてこの名を轟かせたい。この国を治め、そして海を越えて我の名を轟かせたい。そして、海の向こうの国の民もすべてこの手の中に牛耳って、己の帝国を築きたい、そんな野望がありました。

しかし、今思えば、それは、とても、とてもちっぽけな世界のことでした。

田池留吉、アルバート、私達の本当のふるさと、母なる宇宙へ心を向け、その波動を感じていったとき、私達の心の中に作り続けてきた思い、その支配力、エネルギー、パワー、素晴らしいとしてきたパワーは、本当にちっぽけな、ちっぽけなものでした。

卑弥呼よ、私達は間違ってきたんです。そう、私達は間違ってきました。

あなたは母を呼べないと言いました。私は、母を呼んでくださいと言いました。

私も母を呼べなかった。私の中に、母は、見下す愚かな存在でしかありませんでした。

いいえ、殺して、殺して、殺しまくってきたそんな母親を、どうして心の中に呼べるものか。母に逆らってやる。どこまでも母に逆らってやると、そのように、私は、田池留吉に伝えました。

田池留吉から返ってきました。

そんなあなたの中に、私は「母を呼びなさい」と伝えます。あなたの中の喜びと温もり、限りない優しさを私は信じています。あなたは私、私はあなた、私達は一つ。

その思いを心に感じたとき、私は何と愚かしい私だったことかと、本当に自分に懺悔でした。

だから、私は、今、時を経て、あなたと出会えて、本当に私が今、学ばせていただいていることを、あなたに伝えたいと心から思いました。

そのための準備が、私がこの学びに集う前に、私達が生まれ育ったあの地を、何度も、何度も行き交いしてきた私の心でした。

「苦しかった心をこれから見ていくよ。」

あなたに伝えていたと思います。

あの二上山を眺めながら、私はどんな思いでこの学びに集いたかったか、この真実の、田池留吉の波動に触れたかったか。アルバートの世界に触れたかったか。そんなこととはちっとも知らずに愚かな肉の時間を経て、ようやく私は、この学びに集えたんです。

今、私は卑弥呼の思いに心を向ける時間をいただいています。

卑弥呼は喜びです。私も喜びです。

喜びと喜びの中で、田池留吉、アルバートを思える喜びの時間を今いただいています。

ありがとう、卑弥呼。本当にありがとう。心の中に私達は喜びだった。私達は温もりだった。ともに、ともに帰りましょう。いっしょに帰りましょう。はい、邪馬台国、卑弥呼、そして私達のふるさと、飛鳥の地。あの二上山とともに、母なる宇宙へ帰りましょう。