「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」

15. 田池留吉を思い、卑弥呼を思います。



私は卑弥呼。私の中にあった温もりが私をいざなっています。今、静かに、静かに広がっていく中で、私は私を見つめています。愚かなことを繰り返してきました。申し訳ございません。

私は私を知りませんでした。私の中にあった喜びも温もりも、私は知りませんでした。

私が求めてきた神は、本当の神ではありませんでした。愚かな私が作り続けた世界。喜びとはとても、とても言えない真っ黒な中を、私は生き続けてきました。

私は神を知らないと言えなかった。私は神に逆らうことを恐れてきました。神に逆らえば、私はこの私がどうなるのか、とても、とてもそんなことはできませんでした。

だから、私は必死に、必死に神を求めていきました。そんな私の過去でした。

私は卑弥呼という意識の世界を作り続けてきました。

ない神をあるものとして伝え続けてきた愚かな存在でした。

そのことに気付いてくださいと伝えていただいています。

あなたの中の喜び、温もり、広がる心、それがあなたですよと伝えていただいています。

それが神と言えば神なのですね。私の中にあった。私の中にあったんです。私自身でした。私は私を知りませんでした。

愚かなことをやり続けてきました。申し訳ありません。哀しい、哀しい私の思いを語らせていただきました。

哀しく辛くて苦しい中で、ようやく、私は自分の間違いを見つめることができる時期にきたんです。伝わってきます。喜び、温もり、優しさ、目覚めてくださいと伝えていただきました。愚かな私を見つめてまいります。

田池留吉に心を向け、もう一度卑弥呼を思います。

卑弥呼を語ることは喜びでした。卑弥呼を思うことは喜びでした。

少し心を広げてくれているようです。伝わっていることを語ってくれています。喜び、温もり、優しさの中にあったことを、もっと、もっと信じてほしいと思います。そうすれば、どんどん意識の世界が変わっていきます。大きな闇の部分が少しずつ変わっていけば、そこに繋がっている意識達に揺さぶりをかけることができます。

流れをせき止めるのではなく、ただ流れを素直に流していくことを卑弥呼に伝えました。卑弥呼に伝えたことが喜びです。伝えたことを素直に受けて、そして、ともに歩んでいこうとしてくれています。意識の変革を促してまいります。