橿原セミナー(2016年5月22日〜24日開催)に参加されて


巫女について思いを受けられた方の体験文や意識
1~10



初めての橿原で、やっとこの地に来られたという思いが現象中に何度も溢れてきました。

この地で僕の心の歴史が溢れてきました。

戦いのエネルギーで身を滅びしたり、お母さんから引き離され、巫女になり、アマテラスに身を捧げ、神の言葉を伝え、ぼろぼろになり死んでいったり……

最後のセミナーでの瞑想で二上山が見え、あの山の向こうに帰りたいと出てきました。

今世、「お母さんに捨てられてた」という寂しい寂しい思いが幼き頃より常にありました。お母さんに生んでもらって、育ててもらっているのに「なぜなんやろう」と思っていました。学びに出会い、この橿原の地に来て、「あぁ、そういうことだったんだ」と改めて思いました。やっとやっとこの地に来られた、お母さん、ありがとう、お母さん……涙がぼろぼろと流れてきました。

最後の瞑想で、こんなにもさびしく苦しい、肉を自分としてきた僕の心の歴史と共に田池留吉に向ける喜び、母なる宇宙に向ける喜びを感じて、心がどんどん広がっていきました。居ても立ってもいられず、前に飛び出していました。

『ふるさと』での塩川さんの目がとても優しく、うれしかったです。「お母さん、ありがとう」という思いが涙と共に溢れてきました。

六月の琵琶湖セミナーで僕の心の中のたくさんのお母さんを呼ぶ思い、お母さんを求める思いが、アマテラスに向ける現象の中で、巫女の思いの中から溢れてきました。

アマテラスを求め、崇め、祈り、利用し、利用されてきた、その心の底にはお母さんのぬくもりを拒絶してきた寂しい思いがありました。気が狂いそうに、寂しくて寂しくて、怖くて怖くて、そんな思いを今世も同じように使ってきました。その思いを封じ込めるために、たくさんの神を心に入れ、他力の心を膨らませてきました。封じ込めようとしても、その思いは隠せませんでした、気が狂いそうに寂しく怖かったです。自分の心の転生の歴史そのままでした。

たくさんのお母さんを呼ぶ思いが、僕の肉を通してすさまじいエネルギーで噴出してくる。その思いが、愛おしいと同時に田池留吉が肉を持つ今世、どうしても「お母さんに生んでください」と懇願した思いが溢れて、うれしくてくうれしくて「お母さん」と泣き叫んでいました。やっとやっと狂いに狂って寂しくて怖かった巫女の思いと共に帰れる……今、この場に集える喜びを、苦しい僕の心の歴史を、お母さんを求める思いと共にしみじみ感じられてうれしかったです。


橿原セミナーに参加させていただいて、今もなお巫女の意識を引きずっていると、強く確信しました。

私は、まだ、幼い時、母に連れられて、巫女を育成する為の訓練所に行きました。そこで、無理矢理、母と引き離され、私は、逃げたかった。母を追い求めました。しかし幼い私には、とても叶わないことでした。神のお告げを受けられる巫女になる為の訓練は、途轍もなく苦しいものでした。

私は、毎日、毎日、母を思いました。でも、何時しか、私の生きる場所は、此処しかないと諦め、巫女になるしかないと、必死に厳しい訓練に耐えに耐えました。

死に直面するかもしれないと恐怖の思いで、神に祈りを請いました。

何年か立って、私も権力者や卑弥呼に神のお告げを伝えられるようになりましたが、心の中は、恐怖心でいっぱいでした。何故なら、受けた神のお告げが、権力者や卑弥呼の意に沿わなかった場合、即刻殺されるか、厳しい罰を与えられることを知っていたので、私は、感じた神のお告げをそのまま伝えられず、権力者や卑弥呼の意に沿うように、言葉を慎重に選んで、伝えていました。

しかし、私の心は、とても苦しかった。真実を伝えられない罪悪感に苛まれ悩みました。そんな時、若い男の方との出会いがあり、時々逢うようになったのです。その時だけは、私の苦しい心も癒されました。しかし、決して、許される行為ではありません。

ある巫女の密告により卑弥呼の怒りを受ける事になり、巫女達への戒めのために、私は、男達に辱めを受け、惨殺されたのです。その時の恐怖心、恨み、憎しみ、呪いの思いを持ったまま、死に絶えました。以上が、その時の意識です。その時の思いが、セミナー会場での現象の時、私の心に蘇って来たのです。今世も私は、男性が怖くて、まともに話ができませんでした。出来るようになったのは、主人と交際するようになってからです。それまでは、言葉を語るのも、相手の目をまともに見ることが出来ませんでした。

このような癖は、今世の育ってきた環境によって影響を受けていると、田池留吉氏に出会うまで、思っていました。田池留吉の真実の学びに出会えて、本当に良かったと強く思います。今世必死で、お母さんに肉を持ちたいと希った強い思いを感じます。

今世の私のシナリオを必ず果たします。今は、日々幸せと喜びで、過ごさせていただいております。やっと本当に知りたかったことに巡り会いました。アルバートと共に、皆、一緒に母なる宇宙に帰れると希望を持っています。塩川香世さん、皆さん有難う。


3

橿原セミナーで巫女の瞑想をした瞬間、私の中に、真黒な錘(おもり)のような何とも言えない塊(かたまり)の私を感じて動くことが出来なくなりました。

お母さん、お母さんと、呼ぶことで、その恐怖から逃れたかったように思います。

ただ呼びました。何とも言えない世界の中で、その私を思って詫びていました。

瞑想をしてこなかった……ごめんなさい。気づこうともしてこなかった。聳(そび)える思いで瞑想をしてきたことも、苦しい世界で産まれてくることを待ち続けた私だったんだと知りました。

「ごめんなさい」としか言えませんでした。

お母さんの中で、優しいお母さんに抱きしめてもらっているように泣きました。その苦しい私と会えたことが嬉しかったんだと、その母の優しさを思い出して感じます。

優しくされ、うれしい褒(ほ)め言葉で手を引かれ、従(つ)いていった私が、気づいた時にはお母さんの所にはもう帰れないんだという現実でした。心が凍り付くような寂しさの世界に滑り落ちていった恐怖を知りました。

「お母さん」と呼ぶことさえできない環境で、黙って心を閉ざしてしまった私は、一人や二人ではないと感じました。

その心を持つ私が一斉に私に悲鳴と共に伝えてくれました。

ともに帰りたいと思いました。

そうだった……だから私は、この私として生まれてきたんだと思いました。

あの橿原の地で、ゆったりとしたやさしい環境で、このような勉強をさせていただけた私は本当に幸せです。

大切にしていきます。感じたことを大切に学んでいきます。

嬉しかったです。本当に、ありがとうございました。


4

橿原セミナーで、巫女に思いを向ける瞑想の時間がありました。

真っ暗な世界です。ああ、真暗闇、どこまで行っても闇、闇、闇、闇……。闇しかありません。ああ、ただただ苦しい、苦しい……。

冷たい、冷たい、冷たい世界です。ああ、どれほどの時間がたったのでしょうか。ああ、もうそんなことも忘れてしまったほど、長い、長い時間を過ごしてきました。ああ、苦しい、苦しいだけです。

あなたは巫女でした。覚えていますか?

ああ、寂しい、寂しい、寂しい……。

寂しい思いを抱えています。心が寂しさで埋め尽くされています。

ああ、誰も私の声を聞いてはくれませんでした。母さえも私の声を、本当の声を聞いてはくれませんでした。私は巫女になどなりたくはなかった。

そうです、私は巫女になどなりたくはなかった。でも、私の周りはそれを許してはくれませんでした。母さえも私の声を聞いてはくれませんでした。

「巫女になれば、幸せになれる。お前は神に選ばれたのだから……。」

ああ、違う、違う、違う。私の心は違うんです。私は巫女になどなりたくはなった。私は自分の運命を呪いました。母を恨みました。一族を恨みました。「あいつらの為に犠牲になるのではない、私は私の為にこの力を使ってやる。」

幼い心にそう刻み込みました。

ああ、苦しい、苦しい、苦しいです。すべてを呪ってきました。運命を呪ってきました。「運命に流されるものか、私がこの力を使い、上り詰めてやる。」そう心に刻みました。

「神のパワーをも利用して、神の力も我が物にして、私はのし上がってやる。私をこんな世界に放り込んだものたちに、目に物を見せてやる。」

その思いで、巫女としての力を磨いていきました。真っ黒に歪んだ思いだけで、パワーを求めていきました。

すべてが敵でした。私の周りの者、取り入ってくる者、殺そうとする者、好意を向けてくる者、全てが敵、敵、敵……。

「殺してやる、殺してやる。私を利用するものはすべて殺してやる。」

そう思ってきました。

ああ、そうです。今は、寂しい思いしかありません。憎しみも恨みも……もちろんあります。

お母さんは私を捨てました。簡単に切り捨てました。それが許せなかった。

「何でそんな簡単に子を捨てられる? お前には愛はないのか?」

そう思いました。しかし、嫌だとは言えませんでした。行くのが嫌だ、巫女になるのは嫌だとは言えなかった。でも、気付いてほしかった。私の心の奥の奥のずっと奥の寂しさに気付いてほしかった。

母への恨みを生きる糧にしてきました。母への絶望が力をくれました。母を殺して、殺して、殺し続けてきました。ああ、でも、私は苦しかった……。ずっとずっと、苦しみの中でもがき続けてきました。

ずっと、ずっと、お母さんと呼びたかった。本当は、お母さんと呼びたかった。寂しさの中で、苦しみの中で、孤独と戦いの中で、長い時間を生き続けてきた過去世でした。

呼んでもいいんだよ。呼びたかったら、呼んでもいいんだよ。お母さんと呼んでもいいんだよ。そう語りかけました。恨んで、憎んで、殺してきた母を許すことができなかった。それでも、心の底の底の奥底で、母を求める思いが確かにあるんです。捨てようとしても、絶対に捨てきれない、母への思いが確かにありました。


5

巫女に思いを向けて……

橿原の地に着いた時、懐かしい思いがしました。昔、家族でよく来ていたからと言う思いとは、別の懐かしい思いがなにかありました。

昔、この地で巫女をしていました。西の方角にある二上山を見ながら、祈ってきました。

恨み、妬み、そして底知れぬ寂しさ。すべて、捨て去ってしまった私は、祈ることしか出来なかった。祈ることで、すべてを心の奥底にしまってきました。苦しかった。お母さんと呼べなかった。

「優しくなっていいんですよ」「自分のすべてを優しく包んであげてください」

そんな言葉をかけていただきました。

あふれるほどのうれしさ、やさしさを感じました。そうでした、私はお母さんに会いたかったのです。「お母さん」と呼びたかったのです。お母さんに包まれたかったのです。ごめんなさい、ごめんなさい。アマテラスと共に帰ります。優しい自分にかえります。

お母さん、ありがとうございます。


6

巫女と遊女

踊り狂う自分。私を見なさい、私を見なさい、私を見ているだけでも幸せでしょう。幸せにしてあげましょう。神の力も持っています。幼い頃から身につけました。素晴らしい神の女。この私が欲しいでしょう。この私に近づきたいでしょう。

権力のある者、この中で一番力のある男になら、この身を捧げましょう。

こうして私は生きていく。生き抜かなければならない。帰る場所などないのです。もう私には帰るところなど無いのです。お母さん、お母さん、私はあなたに騙された。

こうすることがあなたにとって一番良いこと、あなたの為になります。あなたには幸せになって欲しい。あなたの為ですから行きなさい。

私は行きたくなんかなかった。いつまでもいつまでもお母さんの傍にただいられるだけで良かった。

もしもそれで不幸になったとしても、それでも良かった。あなたの傍にいたかっただけなんです。

それなのにお母さんは、あなたの為だからと、幸せになれるからと言いました。

これがお母さんのいう幸せですか。

踊り狂って、男たちの目にさらされて権力者を選び生き抜く。これの何処が幸せなんですか。貧しくても構わない。

お母さんの傍にいたかった。忘れられない、お母さんが頭をなでてくれたこと、髪をなでてくれたこと。微笑んでくれたこと。ただそれだけで嬉しかった。幸せだった。離れたくなかった。どんなことをしてでも本当は離れたくなかった。

私はお母さんに騙されたんだ。お母さんの口車に乗せられて、こんなところへ連れてこられて何が幸せなんだ、何が私の為なんだ、それでも母親なのか、裏切り者、裏切り者、結局は自分の為だろう。私の為なんかではない。自分の為に私を売ったんだ。

帰りたいけれど、帰るところがない。もう死んでしまいたい。早く死んでしまいたい。生きていても仕方がない。

私はこんな為に生まれてきたのですか。こんなことをする為に生まれてきたのですか。お母さんはそんな為に私を生んだのですか。こんなことになるなら、生まれてきたくなんかなかった。苦しく冷たく寂しく這いずり回っている。ずっとずっと這いずり回っています。


7

過去世、ある所で巫女だった時、私は人に「いい人、素晴らしい人だ」と思われるのが嬉しくて、修行に修行を重ねました。しかし私はあの場所で息絶えました。

水業のしすぎで肺を悪くしたからです。水業は体を冷やします。それが命に関わらないわけがありません。無念です。あのまま私は田舎でおとなしく生きていればよかったのかなあ、と思いました。

お母さんを捨ててわざわざこの神社までやってきたのに、この年齢で。私は田舎でおとなしくお母さんたちの言うように結婚して人生を送っていた方がよかったのかなあ。無念です。

お母さんに会いたかった。でも死んでしまいました。

すごい思いでした、私の使ってきた思いは。もういいです。少なくとも今世はそんな思いをもう使わなくていいように生きていきたいと思います。

疲れた、本当に疲れた。あの時使った思いは本当に凄まじかった。あなたもよく分かっていると思います。もういいです、あんな思いは使いたくありません。少なくとも今世はもういいです。

己を表すのが、私が巫女として使ってきた思いです。もういいです、本当に。早く故郷に帰りたいです。本当の故郷に。心の中に本当の故郷があるなんて知りませんでした。

人と争う思いなんて、もういいです。早く一刻も故郷に帰りたい、ただそれだけです。今世も同じ過ちをしないで下さい。約束です。せつに訴えています。人に良いように思われようとするのは本当に愚劣の極みです。早く私もそれに気がつけば良かった……。ちょっとそれが遅すぎたと思います。


8

私たちは皆、アマテラスの巫女でした。

戦って、戦って、戦って、戦いぬいてきました。

苦しかった。苦しかった。苦しかった。苦しかった。

この思いを思い出したくて、私はこの橿原の地に来ました。この苦しい私に出会いたくて、私は今、ここにいます。

私たちはみんな本当に苦しんできた。アマテラスの巫女として、争い、競い合い、殺し合い、戦いの世界を繰り広げてきました。

本当に苦しかった。苦しくて、苦しくて、苦しくてたまらなかった。

この苦しい私に出会いたかった。だからこの地に肉を運んできました。苦しんできた私に出会いたかった。私は、苦しかった私字素因を迎えに来たかった。

だから、今世、母に肉体をもらいました。母に日本の地に産んでもらったのです。アマテラスの巫女として生きていた自分に出会うため、苦しんで、苦しんで、苦しんで生きてきた自分に出会うために、今世、肉をいただきました。

橿原セミナーで最初にアマテラスに向けたときにこのような思いが出てきました。

橿原セミナーは、過去の自分を救う、ともに帰ろうと呼びかけるきっかけ、スタートとなりました。

波動の勉強に参加させていただいたとき、塩川さんから「お母さん」を呼んでくださいとのメッセージをいただきました。そのときから、瞑想をするときには、最後にともに帰ろう、ともに帰ろうと自分に呼びかけるように意識しています。

「ともに帰ろう」と呼びかける瞑想の練習をはじめてから、巫女を皮切りに、さまざまな過去の思いが蘇ってきました。

みんなみんな故郷に帰りたかった。ずっとずっとお母さんの元に、家族の元に帰りたかった。帰りたかったけれど、もう故郷がわからなくなってしまった。

どこに帰ればいいのか。故郷はどこなのか。一体、故郷などあるのか。どうしようもない焦りと虚無感と虚しさの中で、帰るところがわからず、さまよい続けてきた私でした。

「家族の元に帰りたい」「お母さんのところに帰りたい」と、私自身が訴えてきます。

過去の私は、みんなお母さんの元に帰りたくて、故郷に帰りたくて叫んでいるのです。

そう心では訴えてくるのに、「ここが故郷だよ、これがお母さんの温もりだよ」と、しっかり指し示してあげられない自分がとてももどかしかったです。それでも根気強く、ただひたすらに自分と向き合い、自分の心の叫びを聞き、何度も何度もともにともに帰ろうと呼びかけるしかない、私自身が本当に故郷に帰れるその日まで、ひたすらに自分と向き合い、自分に伝え続けるしかない、そう思います。

巫女の私が、喜んで故郷に帰るまで、これからも心を見続けていきます。


9

ただひたすらに、神のため、神の声を聞くため、そしてその声を下々の者へと伝えるために全てを捧げてきた巫女の自分でした。

お母さん、苦しかった、寂しかった、怖かった、なぜ手放した、一人引き裂かれた苦しみと悲しみの思いを、どうする事も出来ずに心の奥底へと沈ませていた。

私は何の為に生まれてきたのか。

お母さんと素直に呼びたかった。お母さんと声に出して呼びたかった。

本当は優しい母の温もりに帰りたかった。心の奥底に固まり続けていて、隠しておきたかった憎しみと悲しみの思い。二上山……巫女の意識が叫び続けます。

止めどなく異語が出てきます。

怖がらなくてもいいですよ、心を広げて下さい。母なる宇宙へ帰っていきたいと願って肉体をいただきました。お母さんと心から呼べる喜び。嬉しいです。心が温もりで広がっていくのを感じます。お母さんの優しい温もりの中に包まれていた自分を思い出し、アマテラスと共に本当の自分、愛の中に帰っていきたい。

私は愛、田池留吉の意識の中に一つ。

憎しみや怒り、悲しみが喜びに変わって、果てしない温もりの中で喜びが満ち溢れている様に感じました。嬉しい、嬉しい、お母さんありがとう、ありがとう。

もっともっと自分の心に素直になり、お母さんを心から呼んでいきたいと思いました。

巫女の思い、これからも愛へ帰していきたいと思います。

ありがとうございました。


10

巫女に思いを向けると、瞬時に出てくるのは、力、力、力。我に力を与えよ。という思い。人を操る力。人を平伏せさせる力。我が一番。我は神の声を聞くものなり。我以外の者は、切り捨てろ。我を認めよ。我は、誰よりも勝る力が欲しい。

田池留吉などクソくらえ。我は、神の声を聞く者として、選ばれ、そして、育てられてきた。神の声を聞かねば、我も切り殺されてしまう。だから、生き抜くためには、神の声を聞かねばならない。

弱い自分など、見せてはならない。誰かに見せれば、そこを突かれる。見せるな。見せるな。弱さを見せるな。隠せ、隠せ。お母さんを求める思いなど必要ない。その弱みに付け込んで、相手が攻撃してくる。やられる前にやり返せ。戦え。戦え。信じる者は我、アマテラス。我は神の声を聞く者なり。

苦しい、苦しい、心の歴史。自分の心の中は、狂っていた。狂った心をひた隠し、自分には神の声を聞き、皆を助ける力と使命があると思っていた。

戦いのエネルギーと欲の思いを、撒き散らしながら、我は清く美しい。正しい。間違ってなどいない。と主張してきた。偽りだらけの巫女。

愚かな事を、愚かな事と思わず、生きてきた。

しかし、その一方で、お母さんを呼んでいる巫女の自分を感じた。けれど、素直に呼べなかった。呼ぶのは神。神を呼べ、神に従え、神の声をきけ。そう教えられてきた。その為だけに生かされている巫女の存在があった。苦しかった。苦しかった。寂しかった。とても寂しかった。

巫女はお母さんを呼びたかった。素直に呼びたかった。

巫女の意識は、お母さんのぬくもりに帰りたい意識。

存在しない神を作り出し、それを一番の神だとし、その声を聞く者になろうとした巫女。

間違ってきた。その中を生き抜こうとした。

苦しかった。

お母さんを呼べなくしたのは自分でした。

しかし、お母さんの意識は、待っています。巫女の思いと共に、帰ってくるのを待っています。必ず、帰ると約束した、今世の時間。大切にしていきたい。

巫女の意識と共に、お母さんのぬくもりに帰ります。