橿原セミナー(2016年5月22日〜24日開催)に参加されて


巫女について思いを受けられた方の体験文や意識
11~20



11

巫女を思えば、卑弥呼を思います。

私は卑弥呼を求めてきました。卑弥呼を崇めてきました。

私は寂しかった、認めてもらいたかった。だから卑弥呼を崇拝してきました。

何でも言うことを聞いてきました。卑弥呼の語ることは、すべてが神の言葉だと信じていました。

でも、私は一方で、卑弥呼の寂しい姿を知っていました。一人、寂しさの中にある卑弥呼を知っていました。孤高の存在でした。

ああ、でも、卑弥呼の寂しさ云々よりも、私は自分の寂しさを埋めたかった。肉の幸せ、喜びで埋め尽くしたかった。どんなに狂っていても、それしか術はなかった。そのためには私は言われれば何でもしてきました。

神を求め踊り、祈り、地位と権力を手に入れるためなら、この身を捧げることも惜しまなかった。

また、この身には神が宿ると自分に信じこませ、肉体を使っていきました。

でも、そんな狂った中で、たくさんの巫女たちが死んでいった。戦いと破壊の繰り返しの中で、みんなみんな最後は苦しみの中に死んでいった。

その叫びが、その姿が、私の心の中に響いてきます。

どれだけ苦しい世界に堕ちていった私たちだったのか。巫女はみんな、寂しさと狂った中に生きていた。それが私達の現実でした。

私は小さい頃から、「私はお母さんに愛されていない」その思いを強く強く持っていました。この学びを始めてお母さんの反省を始めると、すぐに「私は愛されていない、温もりなんかくそくらえ、温もりなんて要らない、お母さんなんて要らない。」

お母さんを思えば、その思いがただひたすら出てくるだけでした。なぜここまでお母さんの温もりを否定するのか、温もりを信じられないのか、愛を信じられないのか、ずっとずっと不思議でした。

ただ漠然と、私がお母さんを捨てたからだと思っていました。でも心ではなぜなのか、分かりませんでした。でも巫女の時に使った思い、幼い頃、お母さんから離れて巫女として生きてきた自分を思い出していくにつれて、その心の叫びがここから来る思いだったのだと、初めて何か一つ自分の中の疑問が解けていくように感じました。

今世初めて、お母さんの温もりが心の中にあること、私は、愛されて愛されて、今ここにあること、そのことを伝えて頂きました。私にはどうしても信じ難いことでした。でも「お母さんの温もりが分からない人は決して幸せにはなれない」と、ハッキリと伝えて頂いたことが、自分が変わる大きな大きなきっかけになったことは確かなんです。

私は幸せになれない生き方しかわからなかったからです。お母さんの温もりが信じられなかった。このことが、私の苦しみのすべてでした。


12

以前の話ですが、「アマテラスを思う瞑想」と言われても、「自分はアマテラスなんて関係ないし」と思っていました。ところがあるとき「アマテラス」と思ったとき、幼い女の子の顔が出てきてびっくりしたことがあります。かなりリアリティのあるイメージで、かなり古風な――着物以前の装束のような感じで、その女の子がこちらに微笑みかけています。

僕の場合、何か、きっかけがあると、自分の中で物語が醸成していきます。

アマテラスが卑弥呼のイメージと重なり、国生み神話を生み出していった人たちのことが、自分の中で動き出します。自分たちの国、新しい国、ヤマトが誕生するんです。
その国作りの神話、この物語を全国津々浦々に伝えていくんです。巫女たちと一緒になって、この新しい国の新しい神話を、地方の神々と一体にさせるよう、物語にし、歌にし、その物語を背負って、渡り巫女たちが、このヤマトから日本中に旅立っていきました。

それを送り出した記憶が、自分の中からムクムクと湧き上がってきます。

アマテラスの物語には、自分たちの卑弥呼の記憶が隠されていました。大陸から、半島を抜け、海を渡り、はるばる対馬(つしま)、壱岐(いき)、伊都国(いとこく)と、幼い卑弥呼を守りながら旅してきた記憶。

壱岐、対馬と、倭人の国を目指すなか、イルカの群れが私達を迎えてくれました。幼い卑弥呼のキャッキャッと笑う楽しげな声が耳を離れません。

私たちは、争いのない国をつくるという名目のもと、あのあどけない卑弥呼を、邪馬台国の盟主という怪物に変えてしまいました。

その記憶が、その後ろめたさが、今度こそ、今度こそという思いで、アマテラスと国生み神話を生み出す原動力になりました。

でも、争いのない世界なんて絵空事でした。その理想を掲げた人たちが、骨肉で争い、権力の犠牲になって消えていきました。

その代表的な例に大津皇子の悲劇があります。

天武帝の后、鸕野讃良(うののさらら)、のちの持統女帝ですが、彼女は皇位を自分の息子草壁皇子に継がせるため、ライバルである大津皇子に謀反の罪を着せ殺してしまいました。この後、大津の祟りを恐れて巫女たちにその御霊を鎮めさせようとしますが、功なく、大津の後を追うようにして草壁は病死してしまいます。大津の祟りを鎮められなかったとして、巫女たちは、大津皇子の陵(みさぎ)の前で縊(くび)り殺されていきました。史実としては残されていませんが、自分の中はそう感じますし、そのすべてに関わっていたようにも感じます。

「ごめんなさい」としか出てきませんが、すさまじい恨みも出てきます。こんなはずじゃなかったと繰り言ばかりが出てきます。

すべてをさらけ出して白紙になって、今度こそという思いを振り絞り、アメリカへ、さらにはその先の次元移行へと向かって進んでいきたい、今、そう感じています。


13

「肉では、卑弥呼、巫女、まったく縁のないことだ。」とずっと思っていました。

「卑弥呼、悲哀から目覚めへ」の冊子を読ませてもらいました。

使っている、思いが、同じでした。

橿原セミナーへ参加させていただき、「巫女の意識を受ける」――受ける、と言うより、以下の思いで日々過ごしている自分を、セミナーを通して、なぜ、いつも、これほど、暗くて暗くて重いのか、原因は、外からでなくて、自分の中にあったことを確認させてもらいました。ありがとうございました。

ひとつ、ひとつ、しっかりと心を見ていこうと思いました。

「幼稚」さを感じます。感じるけれど、そこで止まっているんです。

いつも、何か感じるけど、そこで止まっている。その思いが己を現す思いに変わっていく、その思いこそ、間違っていました。「間違いだったことを確認するために、今回のセミナーはありました。」

己を誇る、「我一番」の思いです。

それとは別に、いつまでも、小さい頃の、「お母さんの側にくっついていたい、甘えたい思い」が非常に強い、縋る思いを、自分が放出してきました。

香世さんの言葉、「巫女は幼い頃より母のもとを離れて」に反応して、「幼い頃、母親と離されて、不安で不安で仕方がない、恐怖で恐怖でおどおどしている私。」それでも、巫女として、自分をなんとかして、ここで、生きていかなければならない、自分という思いが、今、現在の自分と重なりました。

もっと、もっと心を中に向けて行くと、「寂しくて、寂しくて、辛くて、心が張り裂け狂っていった私、重くて、暗い暗い私。」ここを、自分で自分に伝えていきたい。「本当にあなたも寂しかったんだね」「何にも、良いことなんか無かった」「ただただ、寂しいだけで幕を閉じた自分に」。

重く長く重なった、鉛のような塊が心の底に沈んでいます。

この、思いが、あったから、この思いを、何とかしようと、悪戦苦闘してきたんですね。

ありがとう、ありがとう、意識を受けると言うようなものではありませんが、自分の心は、その思いを確認して、温もりに包み込んでいく。返していく作業を喜んでしていくことを、繰り返し、繰り返ししていくことでした。

なのに、私は、拒んできました。拒否してきました。私は出来ない。私は出来が悪いから、どうしょう、こうしようと、人に聞き、頼り、こんなことしかできないと、いつも自分を責めてきました。「ああああぁあああぁ……。ありがとう、ありがとう。」

「なんだ、なんだ、いつもここで、肉の自分が出てきて、そうやろ、そうやろ、そうやって出来たことを喜べ」、肉の思いが先行して、肉肉と生きてきた自分。何でもかんでも、苦し紛れに、ごちゃ混ぜにしていく自分を確認させてもらいました。

そうではなかったことを、橿原セミナーから帰宅して、「巫女の意識を受ける」、機会をいただきました。

セミナー会場で、感じて、自宅へ帰り、勉強の整理をしてこなかったなあ、頭をくるくる回す癖、人を掴む、握る癖、言葉を掴んで離せない癖、心癖をしっかりみていくことを、そして、いつまでも、いつまでも同じところで回っていては、いけませんよ、と心の中から、指導されているような思いになります。

「焦らなくても、いいですが、あなたの中で、早く、真実は心の中にあることに気づいてください。」と思いが返ってきたように感じました。ありがとうございました。

まだまだ、ぐるぐるまわる、回っている自分ですが、温もりに帰って行こうな。「間違ってきました」を自分で再認識させていただいた橿原セミナーでした。


14

私は子供の頃、家族で遊びに出かけた時など、よく迷子になった苦い思い出があります。その時は子供心にも「もう父や母には二度と会えないのではないか」という絶望的な不安にかられた悲しい体験でした。他の姉妹は誰もそんなことはなく、私だけがいつもみんなからはぐれてしまうのです。必死になって探し途方に暮れて泣いている時に父が見つけてくれたり、時にはお巡りさんにお世話になったりと悲しい体験がありました。

もうずい分と昔のことなので普段は思い出すことはないけれど、あの時の心細さや悲しさは非常なもので決して忘れることが出来ず、今でもその心の内は鮮明に思い出されます。

それが何故なのか分かりませんでした。始めそれが巫女の私からくるものだとは思いもよらないものでしたが、今UTAブックさんの、「巫女」について触れる機会を得て、初めて私の中に今も巫女の私が生きているということが、誰に言われるでもなく、ああ、そうだったのかと受け止めることが出来ました。細かい内容は分かりませんが、子供心に感じたあの不安と悲しさは今も私の心の奥深くに生き続け、何時気づいてくれるのか、ずうっと待ってくれていた「巫女の私」だとはっきり知りました。今まで気づかずに、ずうっと無視してきた私でした。

私の心にはアマテラスを神と仰ぐ心がどっかりとあります。田池留吉の肉に出会え、真実を伝えてもらっても私が自身の苦しい心を知っていかなければその苦しみに愛は流れません。巫女の私が、「アマテラスを神と信じ、救いを求め癒されたいと願ったのは大きな間違いだった」と、本当に気づかなかったら、私の地獄は永遠です。

折角、巫女の私との接点の機会を得た今、いままでのように他力の神と縁を切りたいと思っても、そこに救いを求め癒されたかった自分自身の過去の思いを本当に受け止めていける優しさが今の私にあるかどうかです。形ではありません、そこに救いを求め縋った心に気づかないで、いくら形だけ唯一本当の学びだと正しさを求める心は本当に冷たかったと心の内を思います。己一番の心、何も変わっていない冷たい心でした。これこそアマテラスの心でした。

今の自分さえ良ければと固執する心は寂しかった自分に何も埋めることは出来ず、むしろ自分を切り捨てているとハッとなりました。今、巫女の心を知っていくチャンスに出会っています。そんな自分を愛していきたい温もりに触れていきたいです。

巫女の自分が根底にあって、数々の長い転生を経てきた私、田池留吉の肉に出会え、優しく噛み砕いてこの肉に伝えていただきました。今世の私の転生は本当に幸せです。私はあまり敏感ではありません。心の中は地獄の苦しみをいっぱい抱えているけれど、肉に伝わる思いはまだまだです。でも今、ごめんなさいという思いを心に伝えながら、巫女の私と共に来世に繋いでいける自分でありたいと思っています。数々の転生、本当にありがとうございました。

残された肉の時間、精いっぱい喜びで心を見ていく私でありたいと思っています

ありがとうございました。


15

私の心の中にいつの頃からか、役立たずという思いがしっかりと存在していました。

今世の私はそんな言葉を誰からも言われたことはありませんが、いつも心のなかで役立たずそんな者にはなるまいと、硬く思い詰めてきました。

橿原セミナーでは二上山がまっすぐに見えるお部屋でした。眺めているうちに又お母さんの所に帰ろうと、あの山を駆け下りました。と思いが出てきました。

今思うのです。私はあの時嫌だって言えばよっかた、行きたくないって言えばよかった。

私は母に褒められたくて認められたくて、自分の本当の思いをたった一言を飲み込んでしまいました。

今もそんな心を使ってしまいます。いい人を演じてしまった時の寂しく惨めな自分を何度も何度も繰り返してきました。

巫女になる訓練、それは苦しい苦しい厳しいものでした。私は巫女の中の巫女になろうと、負けたくない負けたくないと一生懸命頑張りました。役立たずと思われたらどういう事になるのか知っていました。

けれども私の油断でした。私は自分の置かれている状況が分かっていなかったから、背中をドンと突かれ高い所から落ちて死んでいきました。肉は死んでも思いは生きていました。そんな思いがつたわってきます。

今世の私も何事につけ注意して注意して、肉の自分を守ろうと、苦しい生き方をしてきました。

あのこともこのことも、みんなお母さんが悪いと、母を恨み憎み見下げながらその思いと裏腹に、母に褒めてもらいたくて認めてもらえるように心を使ってきました。でもお母さん、私は心からお母さんを呼んでいます。

セミナーの中で、そんな私の心に思いを向けると、帰りたい帰りたい帰りたいと伝わってきます。

帰してあげたいです。ともにともに帰っていきたいです。

私は残された時間を大切にしてしっかりと学び、この思いに応えたいと思っています。


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セミナーの最終日の瞑想で、今世、幼いとき、母と生き別れとなった自分に思いが向いていきました。気がついたとき、私のそばに母は居なかった。母を求めて彷徨った心の体験が思い浮かんできました。

求めても、求めても、母は心の中に居なかった。襲ってくる寂しさ、孤独感、絶望感、冷酷さ。しだいにお母さんを呼べなくなっていきました。

すでに自分で自分を律していく心も感じていました。他力の中に、アマテラスの中に沈んでいった今世でした。苦しい思いが次から次へと噴き上げてきました。自分を殺して、殺して、殺してきた巫女がぎっしりと自分の中に詰まっていました。

塩川さんの促しを受けた瞬間、自分の体が崩れ「お母さーん、お母さーん、お母さーん」と、心の底の底からの叫びとなって噴き出してきました。何度も何度も叫んでいました。

巫女の思いが、心の底からお母さんを呼んでいました。お母さんと出会えていました。

遠い、遠い、慟哭の思いは巫女でもあり、アマテラスでもありました。

私たちは愛の中にひとつでした。

二上山、畝傍山、橿原の地よ、ありがとう。


17

私は、いつもアマテラスの瞑想の時、ピンとこないと言うか、漠然としていて分かりませんでした。

先日の橿原セミナーで、巫女と聞いた時、身体が震えました。

あの哀れな悲しみの思い、それを押し込めて、認めてくれ、認めてくれと、必死な肉の頑張りが思い返されました。

私は本当は寂しかった、悲しかったんだ、母を良く思っていなかった心が表れました。母に捨てられたという思いを、ずうっと、ずうっと持っていたんだと、納得しました。

今まで何事も、仕方なかった、仕方なかったと抑え込んできた、自分に冷たい冷たい思いが出てきました。この捨てられた悲しみ、寂しさの心と、己偉い心と共に、愛へ温もりへ帰ろうと伝えていきます。

本当に嬉しいセミナーでした。ありがとうございました。


18

今まで、巫女は自分にとってあまり実感のない存在でした。

漠然と人の心を見抜いて人を動かしてきた人というイメージでしかありませんでした。

ところが、今回のセミナーで塩川さんから「巫女」という言葉を聞き、心の中から出てきた思いは――恨み、つらみ、闘い。人にも自分にも負けない。私こそが一番の資格を持つ者――そのエネルギーたるやすさまじいものでした。

巫女の思いを全て引き継ぎ、そのままの心で今も生きていると実感しました。

夫・姑・職場の人達に向けた数々の思いはまさしく巫女の思いでした。

一番になれない悔しさ。いつか見ていろと心の中で復讐の思いをふくらませていく。

この時期になって複雑に絡んだ思いの数々が巫女の時代に使った思いだったことを確認でき心の中はホッとしています。

やっとやっと確認できた。

うれしいです。うれしいです。

巫女の時代から現在の私まで、たくさんの転生を経てひとつの流れとなり、全ての意識が一つになって喜んでいる感覚です。

「みんなひとつ」 ほんとうに優しい嬉しい思いですね。


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私は子供の頃から、将来起こりうる事への予想をすることで、何故か優越感に浸ろうとする心癖がありました。初対面の人を見て、「この人は将来は出世して偉くなるかもしれないが、家庭は大事にしないだろう」とか、とにかくこれから起こることを言い当てたい思いに駆られるのです。

実際言い当てると、優越感に浸り「俺はすごいんだな」と感じることもある反面、外れると「そんなはずはない、なぜだ」という思いに駆られ、相手を責めたり、非常に悔しい思いが湧き上がってくることを何度も経験してきました。頭では、道徳的に人の将来を勝手に予想することの浅はかさは分かっているにも関わらず、何故か同じことを繰り返し行ってしまうのです。

橿原での瞑想の中で、巫女同士が足を引っ張りあい、私も相手を蹴落とし我一番の思いを広げてきたことや、その反面、信じていた相手に裏切られ心を落としていった過去も確認させていただきました。

今でも、どこか他人を信じることが出来ないのも、裏切られてきた過去があるからなのかもしれません。人一倍、世の為、人の為、私の予言者としての力で幸せに導いてあげようと奮闘してきたのに、結果はさらに有能な巫女に足蹴にされ、人を救うべき道を選んだ私が救いを求めていました。

私は神にすがりました、祈りました、この苦しいやりきれない思いを何とかしてほしいと。

でも、苦しい思いは晴れなかった。神への恨み、神さえも私を裏切るのかと怒り狂いました。

ああ、私は何を信じて生きていけば良いのか、ああ、本当の幸せ、喜び、世の中の平和って何なのでしょうか。お母さん、お母さん、何故私を産んだのですか、こんな苦しみを抱えるくらいなら、生まれてこなければ良かった。お母さん、寂しい、寂しいです。


20

私は、「巫女」に思いを向けたとき、寂しさで、気が狂いそうになっていました。いいえ、中は、狂っていました。「寂しい、寂しい、寂しい」と、体が千切れんばかりに、狂乱する思いでした。どうしようもない孤独。圧倒的に押し寄せる寂しさ。「胸ふたがる思い」とは、このことだ。寂しくて、胸が詰まって、息もできない。寂しくて、寂しくて、寂しくて、いっそのこと狂ってしまったほうが楽になれる。狂って、狂って、心が壊れていきました。

巫女。寂しさを忘れたくて、一生懸命、一生懸命、神、アマテラスに心を向けました。

お母さんが私を捨てた。お母さんが私を捨てたんだ! ちょっとばかりお姉ちゃんだからと、私は捨てられたんだ! お前は、賢い子だから。お前には、能力があるから。お前は、いい子だから。」

どんなにおだてたって、自分が生きるために、私を捨てるんじゃないか! 他の幼い弟妹のために、私を捨てた! お前、それでも母親か! お母さんなんて二度と呼ばない。呼んでも居ない母親など、二度と呼ばない。「お母さん」なんて呼ぶものか! 私は母親の温もりなど、二度と信じない。自分の幸せのために子供を生み、自分の幸せのために子供を捨てる。そんな母親に、温もりなどあろうはずがない。

寂しい、寂しい、寂しいよ。

いいや、私は寂しくなんかない! 同情なんてまっぴらだ。頑張って、頑張って、頑張って、一番になってやる。私を捨てたことを後悔するがいい! 見返してやるんだ! あぁ、くそっ。我が子だと、私を自慢するな! お前は何もしていないじゃないか! 私が素晴らしいのは、すべて私の努力の賜物だ! お前は一切関係ないんだ! 悔しい、悔しい、悔しい、悔しい……

橿原で行われたセミナーに、初めて参加したとき、「狂いそうに寂しい自分と、向き合って下さい」との、ワンポイントメッセージを頂いた。過去も未来も、今に一つ。巫女の思いが、今世の思い、全てのベースになっている。巫女の思いを紐解くことが、母の反省、他力の反省、自己供養……、すべてにつながっていく。まさに、学びのポイントでした。