第1章 宇宙とは

1. 母の心と宇宙



それでは、具体的に話を進めていきます。

今ここに、大阪府在住の一人の老人がいます。御年八十六歳。名前は田池留吉とおっしゃいます。三十年近く前に大阪府立高等学校の校長職を退かれて以来、氏は、日本各地で数多くのセミナーを開催してこられました。氏は、セミナーの中で、「私達人間は意識、エネルギーです」というテーマを私達に示されてきた方です。
日々の生活の中で、自分の心を見るという実践を通して、そのテーマが、それぞれの心で感じ分かっていける方向に学んでくださいと、セミナーに集ってくる人達に、熱く語ってこられました。
このように説明すれば、一般的には、氏はセミナーに集ってくる人達にとって、師であり指導者であり、もっと宗教的な表現をすれば、教祖という立場となるでしょうか。そして、誰しもが氏から教えを乞いたいから、セミナーに集ってくるというのが、常識的なとらえ方だと思います。
しかし、このセミナーにおいては、そのような世の中の常識と大きくかけ離れた部分が露わになってくるんです。
その状態は、確かに形の上からは、常識を大きく逸脱しているかのように見えますが、上記の「日々の生活の中で自分の心を見る」という実践を重ねていけば、きっとどなたもご自分の心で納得されるはずです。
それはどういうことなのかと言いますと、自分は、田池留吉氏から教えを乞うという柔(やわ)な思いで、セミナーに集ってきたのではなくて、自分は、田池留吉を殺しに生まれてきて、そしてセミナーに集ってきたんだということが、自分の心でつぶさに感じてくるということなんです。
もちろん、自分の今抱えている悩み、苦しみを何とかしてほしいという他力信仰の続きで、セミナーに集って来られる方も少ないとは言いません。しかし、そういう方達は、ある程度時間が経ってくると、このセミナーでは自分達の思うような回答が得られないということで、いつしかその姿は消えていきます。そしてまた、あちらの宗教、こちらの宗教と、尋ね歩くんです。それは結局のところは、田池留吉氏を、よくある宗教団体の教祖様、指導者という感じでとらえ、セミナーに集って来られただけのお話です。いわゆる、その方達はセミナーに集ってきた動機が間違っていたんです。
動機の間違いは、もちろんこの他にもあります。
実は、その修正をしないで、セミナーに集い続けていても、それはセミナーに、そして田池留吉氏にぶら下がっているだけで、田池留吉氏が示すところの「私達人間は意識、エネルギーです」というテーマに沿った学びの成就は難しいことは確かなことなんですが、ここでその点を語ると、話がそれていきますので、一応、ここで話を戻します。
先の「自分は田池留吉氏から教えを乞うという柔(やわ)な思いではなくて、自分は、田池留吉を殺しに生まれてきて、そしてセミナーに集ってきたということ」は、どういうことなのか、全く訳が分からないとおっしゃる方もおられるかもしれません。
その通りなんです。それは、あなたの頭では絶対に分からないことなんです。けれども、それは、あなたの心で分かります。
その心の体験をあなたもどうぞしてみてくださいということで、氏は、文字通りその身体を張って、二十年余りの年月をかけて、誠心誠意、セミナーを開催し続けてくれました。
私自身、セミナーに参加させていただいて二十年です。その年月の中で、私は、氏が示された「私達人間は意識である、エネルギーである」ということを、自分の心で実証してきました。
それは、セミナー会場での実体験と、それと並行して起こった自分の身の周りの出来事の両面から、実証できたというわけです。

ところで、今、「自分は田池留吉を殺しに生まれてきた」と申しましたが、それは何も田池留吉氏を殺しに生まれてきたということではありません。それでは単なる殺人行為です。
私の本意は、この一文を通して、誰一人例外なく、私達の心、すなわち私達の意識の世界には、すさまじいエネルギーが渦巻いていることを、できるだけたくさんの人達に、自分の心で知っていただきたいというところにあります。
それは、そうしないと、私達のたったひとつのふるさとである「母なる宇宙」に帰り着くことが叶わないからです。
まず、どなたも無知とエゴと欲で作り続けてきたすさまじいエネルギーで覆い尽くされている自分の現実を、心で知っていくことから始めなければならないんです。
しかしながら、それは、実は、おいそれとはできないことでもあります。だからそのお手伝いということで、田池留吉氏がいました。セミナーの開催がありました。
自分の心を見て、そしてセミナーに参加していけば、私達はみんな、田池留吉氏という一人の人間を通して、自分の培ってきた、無知とエゴと欲のすさまじいエネルギーをつぶさに感じていくことができるということでした。
それが、田池留吉氏が、今世、二十数年の長い年月を費やして、セミナーを開催してくれた大きな理由です。
もちろん、そのエネルギーは、あなた自身の心で感じられればお分かりかと思いますが、すべてを破壊していくエネルギーです。
そんなエネルギーを心に抱え、私達は日々の生活を送っています。
そんなエネルギーを抱え、人類は、政治、経済、文化、教育等々、あらゆる分野で、日夜奮闘しているのです。

ところで、「自分は、田池留吉を殺しに生まれてきた」という訳のわからない一文を載せましたが、それは具体的に言えば、次のような感じです。田池留吉氏という一人の人間をセミナー会場で目にしたとき、私の心から噴き上がってくるもの、つまりエネルギーを言葉で表現すれば、こういう風になります。

「ぶっ殺してやる、お前なんか消え失せろ、お前は目障りだ。」
「雑魚ども、どけ、あいつを殺すのは私だ、誰の力も要らぬ、田池、お前を殺してやる。」
「何が田池留吉の宇宙だ、何をぬかすか、ちゃんちゃらおかしいわ、我の宇宙こそ素晴らしい、我のパワーのほうが大きい、田池、死ね。」

断っておきますが、私と田池留吉氏の間に、現実的に何のトラブルもありませんでした。また、私が氏によって、何か被害を被ったとかそんなことは一切ありませんでした。
しかし、セミナー会場で氏の姿を見るとか、声を聞くとかすれば、私の心の中から、上記のような思いが噴き上がってくるのを、私は何度も体験させていただきました。
しかも、こういう体験は私一人だけではなく、セミナーに集ってきた多くの人達は、これまでに何度も同様の体験をされています。
この現象は、ある意味、とても不思議な現象だと思いませんか。
田池留吉氏と私にしても、あるいは田池留吉氏と誰それにしても、殆どみんな、セミナーを通して氏と関わりあってきただけの人達なのに、なぜ、その姿を見ただけで、声を聞いただけで、心から、それも、おぞましい真っ黒な思いが、突如として噴き出してくるのでしょうか。
私は、最初、不思議と驚きばかりでした。
しかし、やがて、その不思議と驚きの現象も、「私の地獄の蓋が、今世開きました。」と理解させていただくことで、不思議でも驚きでも何でもなくなりました。
確かにその現象は、田池留吉という一人の人間により、地獄の釜の蓋が大きく開き、白日のもとに引きずり出された衝撃を私に与えました。
最初、それが、私には悔しくて腹立たしくてたまりませんでした。まさに、腸(はらわた)が煮えくり返るほどの悔しさだけが、心の底から噴き上がってきたのでした。
しかし、今思えば、それが私の母なる宇宙へ帰る軌跡の始まりだったのです。

このように、私は、セミナーでの数え切れないほどの、特に上記のような心の体験を経て、今世、ようやく、「私は間違ってきました。真っ黒な宇宙を広げてまいりました」ということを、本当に心で知ったのです。
だからはっきりと言えるのです。
私達は誰一人例外なく、すさまじいエネギーを心に抱えていますと。
そして、こんな状態を野放しにしているから、巷では理解に苦しむ事件、事故等が多発してくるし、大きな規模の災害も起こってくるんですと。
そして、それは、決して他人事ではありません。私達の心の投影です。

日々の生活の中で、自分の心を見ていくことによって、すなわち、自分自身の思いの世界を丹念に追っていくことによって、このことが自ずと分かってきます。自分のすさまじい思い、エネルギーを心で知っていくのです。つまり、自分というものを知っていくのです。
だから、どなたも自分の周りに、気に食わない人、そりが合わない人、そういう人を一人や二人、必ず用意しているはずです。
あなたの心の中をかき乱す嫌な人、その一言、その態度が何か心に引っかかる嫌な人があなたの周りにいて、その人達が、あなたの心からどんどんマイナスのエネルギーが噴き出すのを手伝ってくれるのです。
どなたも目の前にいる人間に向かって、マイナスのエネルギーは、際限なく噴き出していきます。
しかし、自分の心からエネルギーが噴き出していることは、自分の心を見るということを実践していかなければ、到底分かることではありません。だから殆どの方は、マイナスのエネルギーを垂れ流すだけ垂れ流しているだけです。そして、いかにも善良な人間を装っているだけなんです。
地獄の釜の蓋が開いたということは、マイナスのエネルギーを垂れ流してきた自分の現実に、自分の心が触れたということです。それはある種の絶望かもしれません。
しかし、その絶望は単なる絶望ではありません。絶望で終わることはあり得ないんです。
それは、自分の作ってきたすさまじいエネルギーを知っていけばいくほど、やがて、そのすさまじいエネルギーを大きく包み込む温もりというか、喜びを感じていくからです。
そして、それは、自分の外から感じられるものではなくて、自分の中から湧き起こってくると感じてきます。つまり、大きくて広くて温かくて優しい自分が自分を包み込んでいることを知っていくんです。
すさまじいエネルギーを出しているのも自分ならば、優しい思いであるとか、温もりであるとか、そのような、言ってみればプラスのエネルギーを出している自分もここにいることを感じてくるんです。
それは言い換えれば、本当の自分と出会っているということです。
そうなってくると、「人はなぜ生まれてくるのか」、「なぜ死んでいくのか」も自然に分かってきます。
そして、肉体という形を持って、今ここに存在している意味を、本当に自分の心で感じ分かってくれば、この章のタイトルで示した「母の心」があなたの心に響いてくるはずなんです。

ところで、この「母の心」ということですが、自分達を意識、エネルギーだと知らずに、肉体という形が自分達の姿だと思い込んできた私達は、「母の心」とくれば、お腹に子供を宿し、そしてこの世に誕生させ、大切に育てていく過程の中で感じる母性とか母性愛を連想します。
しかしながら、ここで言う「母の心」は、それとは少し趣を異にします。
もちろん、「母の心」は、母性、母性愛にも通じていますが、そういうものを遙かに超えた世界を指していると思ってください。
と言いましても、それは、何も特別な世界ではないんです。
その世界は、今は、殆どの人が忘れ去った世界ですが、誰もが心の奥底に眠らせている世界なんです。
それを、私は、「母なる宇宙」という言葉で語らせていただきました。
そして、私は、母性とか母性愛を遥かに超えた「母の心」は、私達のたったひとつのふるさとである「母なる宇宙」という意識の世界、エネルギーと繋がっていることを、本書を通して語らせていただきたいと思っています。そして、どうぞ、あなた自身の心で、このことを証明してくださいということなんです。

「母なる宇宙」、そうです、「宇宙」です。
では、「宇宙」とはいったい何でしょうか。「宇宙」という言葉から、私達は様々なことを連想します。
私自身、宇宙と思えば、私はこの地球に、どこかの星からやってきたという思いを、ずっと以前より感じてきました。
そのことを三次元的にとらえれば、何億光年の彼方から、宇宙船に乗ってという、さながらSF映画の中のⅠシーンを想像されて、未知なる宇宙への思いをかきたてるかもしれません。
しかし、私が感じているのは、そのようなものではなく、次元を超えてきたという感覚なのです。
例えば、今のこの世界は、縦、横、高さの立体感がある三次元の世界ですが、その感覚でとらえる宇宙と、私が感じている宇宙は違っていると思います。
私が宇宙と言い、宇宙と思っている宇宙とは、太陽系の惑星云々の形の世界ではなく、波動の世界のことなんです。そうです。宇宙とは、エネルギーです。
その宇宙というエネルギーは、実は私達自身なんだ、私達は宇宙そのものなんだということを、それぞれの心で感じていただきたいというのが私の思いです。
そして、「母の心」と宇宙が繋がっている、つまり、本来の宇宙のエネルギーは、母なる宇宙と繋がっている、いいえ、一つであることを知っていきましょうということなんです。

宇宙に興味がある人もたくさんおられると思います。宇宙のパワーが大好きな人も多いのではないでしょうか。しかし、「母の心」を忘れ去った中で、宇宙に思いを向けていくことは大変危険です。
まず、「母の心」を感じていくことが一番大切なことだと分かってください。
確かに、宇宙という波動の世界、エネルギーは、私達にこれから大きな影響を与えていきます。だからこそ、自分達の中に本当の意味での母の温もりを蘇らせることが第一なんです。
「宇宙は遠くにあるものではありません。宇宙は自分達の心の中にあるのです。」
ということを心に留めて、ありふれた日常から、宇宙を感じていってほしい、宇宙を思うことをしていってほしいと思っています。
宇宙を感じること、宇宙を思うことは、母の思いを感じること、母を思っていくことなんだと知っていただきたいと思います。

ここで、宇宙というところから、今一度、私達の日常生活に視線を向けてみます。
私は、日々、目にするニュース、耳にするニュースを通して、次のようなことを感じています。あなたはどうでしょうか。

人は、みんな心の中に暗闇を抱えています。日々、目にしたり、耳にしたりするニュースは、そのことを示しています。身震いするような、目を覆い、耳を疑う事件が、次から次へと出現してきます。
許せない、何でここまでするのか、怒りの矛先をどこへ向ければいいのか、その責任はどこにあるのか、問題解決を叫ぶ人達も、実はそれが自分達の心の世界のことなのだということには、思いも及びません。
しかし、それが現実なのです。誰がではなく、また特定の特殊な人種がというものでもないと、私は思っています。
大切なもの、自分の原点を忘れ去った人間の心の中から出てくる闇の世界が、ある時には、弱い者いじめになったり、児童虐待になったり、その他、営利誘拐、児童買春、親殺し、子殺し、保険金殺人、おれおれ詐欺、霊感商法、詐欺商法、収賄贈賄、談合汚職、臓器売買、援助交際、集団暴行、麻薬密売に麻薬中毒等々、諸々の事件となって、毎日毎日、世間を騒がせています。しかし、それもほんの数日で、やがて、そのことは人の間から消えて、新たな事件へと世間の目は向けられていっているようです。
ただ、確かに、世間の人達にはそうであっても、その事件、事故等の当事者には、決して忘れられない記憶となって、心に残留していきます。
たとえ、加害者となった側を裁判にかけて、仮に極刑を言い渡されても、被害者側には、心の禍根として残ります。
被害者の人権を蹂躙した加害者が、堂々と人権を主張していく場合も往々にしてあり、心中は複雑でしょう。
一応は結審した事件等も、当事者達の心の中は、依然として、それらを引きずったままなのではないでしょうか。
このように、一度、心に受けた衝撃は、大きな心の傷となって、それが完全に癒えることは、なかなか難しいのではないでしょうか。
また、事態によっては、最終的に、やはりお金によって決着つける以外にないのかもしれません。お金に蠢く思いは、例えようもないほどのエネルギーですが、それしか方法がないというのが、今の世の中の悲しさかもしれません。
一方、日々の生活の中では、熾烈な受験戦争や経済戦争が続いています。実際に武器弾薬が飛び交い、多くの人命が犠牲になっている現実や、核の脅威にさらされている現実に目を向ければ、ひとつの家庭から世界中に至るまで、今や戦いのエネルギーが蔓延していることを感じます。
それを、人類は発展,進歩、繁栄と位置づけるのでしょうか。
戦争のない平和で明るい社会を作り上げていくために、人類は戦争を起こしていきます。あなたは、この矛盾をどのように思われますか。
確かに、時代の流れ、時の変遷により、人々の考え方も変わります。
社会との繋がりも、互いと互いの関係も、より複雑になっていくでしょう。その中で、互いが互いの立場を尊重し、理解し合いながら、互いに利益を追求していこう、人類の幸福と繁栄のために、充分に話し合いの場を持とう、知恵を出し合っていこう、その姿勢は大切かもしれませんが、本当のところどうなのでしょうか。果たして、そう、うまくいくのでしょうか。
世の中は、今、水面下で激しく動いています。その水面下の動きが、ポッ、ポッと頭を出していることが、様々な自然現象や人的現象に現れているのです。
もうすでに、その動きは始まり、いよいよ、これからだという時期に差し掛かっていると思います。これから、さらに世の中は混沌としていきます。事態は、もう、そういう局面を迎えています。
だからこそ、それぞれが心の奥底に眠っている「母の心」に触れていかなければならない、またこれから、そういう方向に流れていくだろうと、私は感じています。

次の項目で、このような世の中の流れを踏まえた上で、いくつかのテーマを出し、私の心に上がってくる思いを綴ってみました。

そのテーマについて、あなた自身がどのように感じられ、また思われているかを、自分に問いかけてみてください。