第2章 天変地異

7. 人生は、自分の計画通りです



人生は、自分で立案して、自ら構想を練ったものです。その中に、自分に伝えたいメッセージを織り込んでいきます。
「本当の自分のために生きなさい。」
修飾部分を、全部取り去ってしまえば、そのメッセージが浮かび上がってきます。
「ああ、そうだったのか。そう思えば、あれもこれも、辻褄(つじつま)が合ってくる。」
自分の来し方を振り返り、そう感じる人も、これから多く出てくると思います。
その一方で、「私は、自分にこのようなシナリオを書くはずがない」と、どうしても、納得できない人もまだまだ多いでしょう。
それは、「なぜ、苦しみ多い人生を、自ら選んでいくのか。自分で立案して、自ら構想を練るならば、もっと楽なものにするはずだ」ということなのだと思います。
何を喜びとして、何に幸せを感じるかによって、それぞれの人生も、とらえ方は分かれていきます。さらに言えば、自分を肉として見るか、意識の自分を中心にとらえていくかで、それぞれの生きる方向が決定されていきます。
結局、「苦しみ多い人生とは何でしょうか。楽な人生とは、いったい何でしょうか。
そのすべてが、形を中心にとらえているのではないでしょうか」ということだと思います。
自分を意識、心、エネルギーとして見ていけば、人生の中で起こることすべてが、自分を知っていくチャンスであり、苦しみも楽しみも、みんな喜びとなっていくと思います。

ところで、天変地異も、自分で書いたシナリオだと伝えました。
天変地異とは、一般的には、自然災害を指しますが、「ある日突然」という意味からすれば、どなたの人生の中にも、天変地異のひとつ、ふたつは、配布されているかと思います。
本当は、それは、ある日突然ではなくて、そして、寝耳に水でもなくて、きちんと計算されて、起こるべくして起こってくる出来事なのでしょう。
どういう状況の中で、その出来事が引き出されていくのかは、私達の肉で推し量ることはできませんが、自分自身、その出来事によって、何かを考え、何かに気付いていくことを予定していることは、確かなことだと言えると思います。
ただ、心を見る、自分の中に思いを向けることを知らない状態では、気付きが喜びであり、喜びであるからこそ、その喜びが自分を解き放していくんだというところまでには、到底至らないと思います。
「自分が作ってきたちっぽけな枠の中から、飛び出していく喜びを、心から味わっていきましょう。」
その願いを込めて、それぞれの人生を用意してきたのではないでしょうか。
このことを理解するには、なかなか難しいとは思いますが、私自身は、「はい、その通りです」と答えます。
私は、ちっぽけな枠の中に押し込んできた自分自身に、申し訳なく思ってきました。
肉として生きることが、本当に愚かだということを感じる一方で、自分で立案し、構想を練ってきた人生というシナリオを通して、意識の世界の緻密(ちみつ)さを感じてきました。
すごいなあと思わざるを得ませんでした。
自分が自分に与えた肉の時間を、どのようにして生きていくのかが、最大のポイントだと思います。
世間に流されて、無難に生きていく生き方が、自分が本当に切望してきた生き方なのでしょうか。
「逆流して生きよ」という意味ではなく、絶えず本来の自分に戻って、その自分の目線から、自分の存在、その他あらゆるものを見ていく姿勢が大事なのではないでしょうか。
その本来の自分の目線というものを、肉を携えている時間の中で、試行錯誤をしながら育んでいくべきなのだと思います。
だから、試行錯誤をする過程で、「ある日突然」の天変地異に遭遇して、その目線を変えるという計画が、それぞれにあるのだと思います。
目線を変えるということは、自分の人生観がガラリと変わることに繋がっていきます。
天変地異とは、それほどの衝撃を、自分にもたらすのです。

「ある日突然」の天変地異によって、自分は間違っていましたと心から思えるから、天変地異なのです。
気付きも何もなければ、形の上から見れば天変地異であっても、その人にとっては、実は天変地異になり得なかったということだと思います。
そして、その人の中に、今度こそ変わっていこうという思いがあれば、再び、天変地異のシナリオを予定していきます。
すべては、その人の意識の世界が計画していくものなのです。

さて、次章では、さらに母なる宇宙へともに思いを向けて語らせていただきたいと思います。