第3章 母なる宇宙

3. 宇宙はひとつです



私達は、それぞれに、自分の中に、宇宙を作ってまいりました。
自分独自の法を自分の中で作り、それに基づいて存在してきました。法だから、全ての点において、自分は正しいのです。何よりも自分の法が優先されていきます。
ひとつの小さな家庭においても、また地域社会においても、そして、広くは民族、国家間においても、それぞれの法を盾にして、それぞれが自己の立場を主張していきます。
それで、利害が一致している時は、物事は丸く収まっているようですが、ひとたびその均衡が崩れれば、戦いが起こります。当然です。両者は融和しているのではなく、互いに駆け引きの中にあるからです。そして、それぞれの法に則(のっと)り、時には、相手を完膚(かんぷ)なきまでに攻撃していく場合もあります。
私達は、そのようなことを、長い時間の中で繰り返してまいりました。
長い時間を経てきましたから、宇宙はひとつだと伝えられても、にわかにそのことを信じることなどできなかったというのが、本当のところでした。
それどころか、私の宇宙は素晴らしいと、どれだけ抵抗してきたことか、自分が培ってきた世界を崩していくことに対して、徹底抗戦していく構えで、みんな肉をもらってくることを、私は、今世初めて心から知りました。
そして、自分自身の思いの根底を崩すことなくして、本当の宇宙は分からないことを知りました。そして、そういうことが、全く分からなかった私達ですから、苦しみ、狂い続けてきたのも当たり前のことでした。
しかし、まだ、今の段階では、自分独自の法を作ってきたことや、徹底抗戦している自分にさえも、全く気付けずに、相変わらず我一番の宇宙を広げ、闇のエネルギーを垂れ流しているというのが、殆(ほとん)どの人達の実情です。

確かに、人々は、我一番の意識の背景を抱えながら、日々の生活を過ごしています。戦いのエネルギーを、しっかりと心に蓄えながら存在しています。そして、自分の心を見ることをしないで、目の前の形の世界が本物だと思い、その世界で幸せを求め、繁栄を願っている状態です。
また、人は、波乱に富んだ一生であったとか、平々凡々な一生であったけれども幸せだったとか、そういうことは話題にするけれども、本当はその程度では、それぞれの人生の背景にまで、思いが届いていません。
いいえ、それぞれの人生の背景にある宇宙にまで、思いはなかなか届かないと、表現したほうが適切かもしれません。
では、人生の背景にある宇宙とは何でしょうか。それは、あなた自身の意識の世界のことです。
背景にある宇宙、つまり、自分自身の意識の世界が分からなければ、どのような人生であろうとも、本当は一様にして失敗なのだと、私は思っています。
ただ、それぞれが、自分の人生が失敗だったと認めることは、決して容易なことではないはずです。それは、自分を否定することになるからです。
しかし、背景にある意識の世界が変わってこそ、生まれてきた意義があるのです。
意識の世界が変わるとは、「私達、宇宙はひとつでした」ということに、目覚めていくことを意味します。

このようにお伝えしましても、「我一番の宇宙」とか、「闇」とかの表現もそうですが、今はまだまだ、一般的ではありません。
背景にある宇宙と、自分の今の生活とどう結びついてくるのかと、一笑に付(ふ)されてしまうでしょう。
しかし、私は声を大にして、
「私達は宇宙でした。」
「私達の宇宙はひとつでした。」
とお伝えします。
そして、その宇宙の中に、私達は、ずっと生かされて、受け入れられていたことを、これからも伝え続けます。
それが私の喜びです。たくさんの意識達が集ってきます。

苦しみ喘ぎながらも、真実の世界に触れたいという必死の思いに応えるべく、存在し続けていくことが、どれだけの喜びであるのかは、私自身、今世の肉を通して知るに至ったからです。