最後の私の皆さんにしてほしいこと!

 
音声からの書き起こし
そこで私のホームページ、今現在、どんどんどんどん小さくなって、「あなたの意識です」というところの一番最後に赤い文字で大きく書いてある、あれが、最後の私の皆さんにしてほしいことです。
それはね「お母さんの反省」そしてお母さんを思う、瞑想ですね、お母さんの温もりが分かるということが、これが99.9パーセントです。後の0.1は、もしひょっとしたら私の分からない世界があるかもしれません。それ以外に分かる方法があるかもしれません。しかし私は絶対にないと思ってるいんです。絶対というとなんですから99.9パーセントは、このお母さんの温もりの分からない人は、なんにも分からない人だと、こう思ってください。
過去において分かった人はおらないんです。皆さんは、「あの人は偉い人や」と言われるけれど、私が見たら、偉いも何もない、分かってないんですよ。けれど世間では、その人は聖者であったり、素晴らしい人になっていくんですよ。だから皆さん、困るんだと思います。
だからお母さんの温もりが分かるということが大事です。そうしたら私の言うことがよくわかってくるんです。
お母さんの温もりの分からない人は、他力の反省ができない。自分が、今世、あるいは過去世において、拝んだり、祀ったり求めたりしてきた諸々の神々、それを皆さん、しっかりと握ってるんですよ。よろしいか、「いや、私はそんな記憶ない」。そりゃ頭ではないですよ。記憶ないって言って、みんな握っているんですよ。
過去世においては、素晴らしい神だ、素晴らしいなんだと言って、信じ、一生懸命信心したり拝んだり、行(ぎょう)をやってきたが、全部間違いなんですよ。それを握ったままで、今世、また生まれてきているんです。
ところが、その反省ができない。できない、頭では絶対にできない。
だからお母さんの温もりが分からん人は、他力の反省もできない。ハッキリ言います。
できた人がおられたら出てきてください。「私は、お母さんの温もりが分からんけれど他力の反省ができた」という人は、ここへでてきてください。絶対にない。
人は、「田池留吉の世界」、こう言うとね、田池留吉というと、「このおっさん、おじいちゃん」――こういう姿を見て、皆さんは、そんな世界なんか、頭では想像できないんですよ。私が死んでね、誰かが、昔々、田池留吉という人が……って描けばね、そら読んだ人が、「そんなすごい人が、そんな偉い人が日本に生まれてきて」と、こうしてだんだん作り上げていくんです……肉だから。
私の肉を見たらだめですよ。肉はただのおじいちゃんですよ。こんなのを見て、ここから「田池留吉の世界」なんて、とっても分かりません。だから、お母さんの温もりが分かって、「他力の反省」が進んで、そして「田池留吉」でもいいですよ、ハーッてしていくと、だんだんだんだん波長が合うというのかね、広がっていくんですよ。広がってきたらビックリしますよ。「こんな世界があるのか」って思いますよ。どんなに今世、修行なさろうと、なになさろうと、「こんな世界があるのか」と。それを言葉で言ったら「温もり」とか「広がり」とか「安らぎ」とか、あるいは「パワー」ですね。もうそれが分かったら、自分の進む道がパンと決まりますよ。これですよ、もう、迷いません。
皆さん、迷っているのは、他力の神をもってこの勉強をしているから、「こうかなあ」と思うけれど、「そやなあ」って、こうしているうちに、10年、20年たってしまったんです。
最近学びに集った人は、「20年せえなあかんのか」いうたら、それは必要ない。と言って「私は、もう半年やった」、半年ではいかん。まだこれから10年、20年あると思いますからね、それをきっかけにやってほしいんです。
母親の温もりでしょ、皆さんが産んでもらったお母さん、今のお母さんを、なんぼ見てもだめです。お母さんに産んでほしくなかった、あんなお母さんを軽蔑している、くそ婆々…、…こんなんあるんですよ。だから、「お母さん」というのは、あなたの過去世、今世も含めて、それだけのお母さんがいるんです。一人じゃないんですよ、お母さんは。数えたら、何百、何千、何万と、もっとおるんですよ、お母さんは。
というて、それだけのお母さんを、皆さん、覚えているわけがないんです。皆さんが覚えているおかあさんいうと、産んでくれたお母さんだけですよ。ひょっとしたら、おぎゃあと生まれて、おっぱい飲ませてもらって、おかあさん、どっか行っちゃったかもしれない。あるいは死んだかもわからない。けれど、あなた方には、何百、何千、何万、何十万のお母さんがいてるわけです。
そのお母さんに心を向けていかなあかん。
そんな、先生、そうしたら何百、何千っていうお母さん、調べるの? そんな。調べんでもええねん。今のお母さん、今のお母さんの、自分がゼロ歳の時に、お母さんのおっぱいを吸ってるわけです。お乳を吸ったか吸わなかったかは別として、そういった時期があったわけですよ。十月十日、お母さんのお腹の中におったんです。chっと早く出た人があるか知らんけれど、その間に皆さんは知ってるんですよ。そのお母さんの温もりを知ってるんです。ところが生まれてきて、ほんのしばらく経つと、だんだんそれは押し込められて、皆さんの持っている闇が、グーッと出てくるんです。親のしつけを受ければ受けるほど出てくるんです。親の育ててもらっても出てくるんですよ。学校で教育を受けても出てくるんですよ。もう闇、闇、闇、闇、闇がグワーッと膨らむ。ところが、「こりゃぁいかん」と、「何か勉強をして自分を高めないといけない」、「修行しないといけない」とやるんですけど、みんな、嘘っぱちの勉強をやるから、結局、最後はわからなくなるんです。そこで、「まぁええわ、神の大慈悲にすがって」とか、何かパワーくださいとか、そんな風に慈悲とか恵みとか信じていったら幸せになれると思う。ところがならないんですよ。そして歳いって失敗して、また元の闇へ帰っていくんです。で、また生まれてくるんです。
生まれてくるといってもね、自分の頭で考えるんちゃうんですよ。今度生まれるときは、こんなお母んでなくて、あんなお母んに産んでもらおとか、そんなん、ちゃうんです。これはとても頭で理解できない世界なんですよ、組み合わせがね。そういうことでね、皆さんの反省文をいただくんですが、今の母さんの反省をしてるんです。お母さんがどうとか、ああとかくると、なんぼそんなやってても、時間はどんどんどんどん経っていくんです。この三次元の時間はね。
5年も10年も勉強してて、まだ今のお母さんが、どうとかこうとかやってるんです。今のお母さんつつけばホコリだらけですよ。私だって、田池留吉だってホコリだらけですよ、こんなもん、いくらつついてもしょうがない。ところが、皆さん一生懸命、ホンマにこのおっさん信じてええんかなあ、なんか頼りないなあ、威厳がないなあとか、みんな、そんな……私は、皆さんの顔見て、その人の学歴とか、生い立ちとか、なんか見て、皆さんをほんでも判断しませんよ。本でも、皆さん、書くでしょう。私は読まない、読まないんです。眺めるんです。眺めたらわかる。そういうことです。読んだってしょうがない。昔は読んだよ。僕は、あんまり小説は読まない、大阪府の教員してましたけどね、当時の教育委員会のある方に、「私、小説を読むのはあんまり好きじゃないんです」と言うてたけど、私は、かなり読んでるんです。もちろん、哲学、宗教、心理学もかなり読みました。文科系でないんでね、それでも読んだですよ。特に「本当の自分に出会う」系の本なんか読んだけれど、最後はみんな囲ってしまうんですよ。神を信じよとか……私はそんなこと言いませんよ。言いませんでしょ。ただ最初は、私の言うこと、お母さんの反省はこうしてやっていこうな、そうしたら自分でわかる、自分で感じたこと、わかったことを信じてやっていきなさい。やっているうちに、それがワーッと広がりますよ、と、こう言ってる。よろしいか。
それを皆さん、勝手に自分の頭でゴジャゴジャゴジャゴジャやってきて、5年、10年、15年、20年経つんです。もう今まで、何億という時間が経ってきたんですよ。10年、20年すぐ経ちますよ。だから、さっさとやりなさい。さっさとやっても、10年、20年かかりますよ。そんなことやってたら、今世ダメですわ、来世、もちろんダメですわ。その人に、よっぽどショックを与えない限りは、与えてもダメかも。
もう一遍言いますよ、お母さんの反省というのは、簡単に言うたらノートに書く、今のお母さんですよ、前のお母さん、分かりませんからね、書くんですよ。してもらったこと、あるいはしてくれなかったこと、あんたがお母さんにしてあげたこと、それを書くんですよ、ノートに。はい、5冊でも10冊でもええが、どんどん書くんです。大きい字でもええし、あるいはそのノートにボールペンで「クソババアッ」ってやってもいいんですよ。「クソババァ」でも「死ねーっ」でも、やったらいいんですよ。誰も犯罪にならない。そうしているうちに変わってくるんですよ。しかし、続けないといけませんよ。チョチョッとやって、やった……みたいなんはダメです。やるんですよ、なにか成るまでやるんですよ。これが私の哲学、私が発明したわけではないですが、量をどんどんどんどん積んでいったら、質的に変わるんです。ある時期がきたら変わるんです。これが私の人生の哲学です。同じことを、焦らずに弛まずに、ただコツコツと積みい重ねていけば、ぐっと変わる。これをドイツ語で「アウフヘーベン」、何もドイツ語で言わんでもええけれど、僕はそういうドイツ語を習った、そのときの哲学の本を読んだりすると、その「アウフヘーベン」、日本語で言うと「止揚」、これが私の一つの哲学になった。哲学になった言うたかて実際にそうやっていけばいいんです。僕は学校の教師になったんです。そうしたら、皆さん、勉強して大学に行きたい、どうしたらええかというと、淡々と積み重ねていくんですよ。そうしたら量が変わるんです。何かその人間に力がついてくるんです。なにかチョコチョコって勉強してチョコチョコって行けると思うのは大間違いです。そういう人生は、どっかでダメになる。
それでノートに書くよ、ノートに書いて、そればっかりしていてはあきませんよ。そうしたら今度は、お母さんのおっぱい吸っていた頃を思い出すんですよ。あるいは人の子供がお母さんのおっぱい吸っているのを見て、私もあんな風に吸ってたんやなあ、かわいらしい顔してるなあ、私もあんな顔をしてて、お母さんのおぱい吸ってた……安らいだ顔やなあ。今の私の顔と比べたらぜんぜん違うなあ、今の私の顔は険しい顔してるなあ、あの子はなんにも塗ってないけど、かわいい、安らいでいるなあと思う。私も、あんなときがあったんやなあと思うと、またスーッと……。
そういうことをだんだんやっているうちに、今度は、「お母さん」と思うと、いつもと違う。何か違う。
皆さん、お母さんて言えない。お母さんて思えないし、できない。そうかと思えば、あのクソババァ、なんであんなクソババアに合わせないかんね。そんなんやってるうちに、だんだん歳とっていく。
これですよ、ここが一番大事!

 

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