卑弥呼(ひみこ)とは何者でしょうか? 卑弥呼は、どこでどのようにして誕生したのでしょうか?
我々が卑弥呼について知ろうとした時、一体、どれだけの資料を持っているというのでしょう。
私たちが何かを知ろうとしたり、調べようとするとき、まず思いつくのが「本」という存在です。近代教育の恩恵とでもいうのでしょうか、私たちは、知識の根源、認識の基準を、まずは文字に求める習慣がついてしまいました。
ところが、「卑弥呼」や、彼女が統治したという「邪馬台国(やまたいこく)」について知ろうとする時、私達に与えられた文字情報は「三国志」の中の「魏志(ぎし)・東夷伝(とういでん)・倭人(わじん)の條」、俗に「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」と呼ばれる二千文字そこそこの情報にすぎないのです。
「いや、そんなことはない、世間には邪馬台国や卑弥呼に関する本があふれているではないか」、そう反論される方も、たくさんおられるに違いありません。
しかし歴史というのは根元主義を原則とします。さかのぼれる限り元の情報にさかのぼり調べていくということです。では根源主義とは何でしょうか?
噛み砕いて言いますと、例えばAさんが「Bという奴は悪いやつだ。夜には泥棒稼業もやっている。目撃者もいるから確かな話だ」と言っていたとします。それを伝え聞いた僕は、まずAさんに話を直接聞き、Aさんの言う情報が本人が確認したものかどうかを確かめます。
「いや、俺が見たわけではない。Cさんから聞いた話だが、どうも確かな話らしい」と言ったとします。そこで、次にCさんに確認を取ります。その結果、Dさんが目撃者らしいという情報を得た僕は、いよいよ情報の根元らしいDさんに話を聞くことにします。
「いや僕はそんなこと言っていない。ある夜、通りがかりにFさんの家の裏口から慌てて飛び出してきた人を見た。翌日、彼の家に泥棒が入ったことを知り、てっきりあれが泥棒だと思ったんだ。そこで警察にも話したんだが、暗くてどんな人だったか分かるはずもない。でも、後で思ったんだが、近くに住むBさんと背格好が似ていたように思う。これは警察には話していないが、親しくしているCさんにだけは話したような気がする。」
このように、話の出どころにできる限り近づき真偽を確かめようとするのが歴史学のやり方です。年代や人物を暗記させるのが歴史教育の目的ではありません。人の話を鵜呑みにせず、必ず自分で確認し、情報の出所を探っていこうとする。そんな考え方を養うのが歴史教育だと思うのです。
話がとんだ横道に逸(そ)れてしまいましたが、「卑弥呼」や「邪馬台国」に関する限り、どの本もさかのぼっていくと、たどり着くのが、この「魏志倭人伝」ということになります。
つまり「魏志倭人伝」は、これ以上さかのぼることができない原点史料という訳です。同時代の中国人によって書かれた原点になるわけです。だからと言って、書かれていることがすべて正しいとは限りません。そのことは容易に想像していただけると思います。
しかし、「嘘か真(まこと)かわからないから」と言って切り捨てるのでなく、この史料を注意して読んでいけば、いろんなことが見えてくるし、いろんなひらめきが湧き上がってきます。
そこで、卑弥呼を知るために、まずは、この「魏志倭人伝」から、卑弥呼と邪馬台国について分かること、想像できることを考えていくことにしましょう。