神のお告げを聞こうと、心の中にしっかりと神のお告げを聞こうと必死になって、修行をしてきた巫女達の思いを感じます。
その意識に、「神とは何ですか。神は存在するのですか」と聞きました。
「初めて、初めて、そんな問いかけを自分にしてみました。
神とはいったい何だろうか。本当に神はこの世に存在するのか。
これまで、ただの一度も自分の中にそんな疑問が湧いたことがありませんでした。神は存在する。神に向けて自分の心に神のお告げを聞く、その使命があるとばかり思ってきました。神は存在すると確かに、確かに信じていた。信じていなければ、私というものがない。そこまで私は神を信じてきました。そんな答えを心に返しながら、私は神を求めてきたんです。神の声を聞くために、私は修行をしてきた。」
そんな巫女達の思いが伝わってきます。
とても、とても、苦しくて暗くて閉ざされた中で、「神を、神を、神を」と求めている、そんな思いを感じます。
私は自分の中を感じてきました。私の中にも、もちろん、巫女としての転生がたくさんあります。
巫女をたくさんやってきました。卑弥呼という地位に昇りたかった。
卑弥呼と崇め奉られたかった。そして、私の霊能力でのしあがろうとする思いに、自分を苦しめてきた過去の私を感じてきました。
私はその自分の中の思いを、しっかりと今世、感じさせていただき、それが間違ってきたこと、本当に間違っていたことを知りました。
今、「神とは何ですか。神は存在するのですか」と自分に問いかければ、私の中に明確に答えが出てきます。
神は存在しません。私達が求めてきた神とはブラックのエネルギー。
もともとないものを求めてきた。求める心がブラックだったんです。なぜ求めてきたのか。欲があったからです。己を高め、己を高きに置きたかったんです。己を捨て去ることができずに、己を掲げ、己を高めていく、闘いのエネルギーの中で求めてきた、その心の中は真っ黒です。真っ暗です。そこからどんなに神のお告げだと言葉を発しても、そのエネルギーは真っ黒なエネルギー。
そのことを、私は今世学ばせていただきました。だから、卑弥呼に心を向けた時、確かに卑弥呼という意識の世界を語ります。語るけれども、私の中には何もありません。ただそうだったと、そのことを淡々と語るだけです。
卑弥呼は、孤独でした。卑弥呼は小さな世界に自分を押し留めて、ただ、表面だけを素晴らしき者だと作り続けていかなければならなかったんです。そんな、哀しい、哀しい人生を送り続けてきたのが、卑弥呼という意識。卑弥呼だけではありません。世の中に名の知れた人物はすべてにおいて孤独でした。
その己を崩すことは容易ではありません。孤独で、孤独で、しかし、そんなことは表面に決して出せないことでした。
だからこそ、余計に哀れだったんです。
神は存在するのか。いいえ。
神とは何か。本当の神。それは私達の心の中の温もり、喜び、広がり、安らぎ。私達自身がそういう存在だった。それを私達は、今、愛と表現しています。愛のエネルギー、パワー。私達がもともと持っていたものでした。それが私達だったんです。そのもともと持っていた自分を捨て去って、ブラックのエネルギー、パワーを長い、長い時をかけて求め、求め、そして積み重ねていきました。愚かなことを繰り返してきたんです。
しかし、全くそれが愚かだったということに、ただの一人も気付けませんでした。