その人、田池留吉 
―田池留吉の世界―

7.心を向ける、合わせる



さて、瞑想をすることは大切なことですけれど、一番難しいのは、何に心を向けるか、何に心を合わせるかということです。
瞑想、いわゆるメディテーションは一般的なものです。やっている人達は、世界各地でやっています。
しかし、果たして、その心の向け先にあるものはどのような世界なのでしょうか。
どのようなエネルギーと繋がっている世界なのか、思ってみたことがありますか。
盲目的に、そして、あまりにも無防備に瞑想をしたり、精神統一をしたりしていませんか。
人間は満たされない心、根源的な寂しさを抱えていますから、癒し、安らぎを求めていきます。癒し、安らぎと言われる世界も、ちょっと危ないかもしれません。あまりのめり込んでいくと、癒しが癒しにならず、安らぎが安らぎにならないという可能性は高いです。心がほっと落ち着くとか、安らぐとか、その程度で納まっている場合は、特段の問題はないと思いますが、それ以上のレベルを求めようとするのは、本当に危険です。たかが癒し、たかが安らぎではありません。
瞑想をする、精神を統一する、癒し、リラクゼーション、私達は日常生活の中で何気なくやっていることかもしれませんが、自分の心を見るということを知らずに、目に見えない世界を求めていく危険性を充分に孕んでいます。しかし、そんなことは、誰も教えてくれません。
殺伐とした世の中だからこそ、人はそういうものを求めていきます。癒されたいのです。安らぎたいのです。ゆったりとのんびりとリラックスできる時間と空間を、人の心は求めていきます。果たして、その求めていく世界とはどんな世界なのでしょうか。
表立って、宗教という看板は掲げていないかもしれません。
しかし、その中には、多分に宗教色が強いものがあります。そして、ほとんどがパワーの世界です。そこには、先生と呼ばれる人、あるいは、指導者とか、特に名称にこだわりませんが、そういう人達が必ずいます。
問題は、そういう人達がどの方向に心を向けているか、どんなエネルギーと通じているかです。
もっとストレートに言えば、そういう人達の中に田池留吉を知り、田池留吉に心を向けることを知っている人がいるかと言えば、ノーです。
だから、どの方向に心を向けているか、どんなエネルギーと通じているかと言っても、全部ブラックなんです。つまり、闇です。
闇に心を向けても、闇は闇です。そういうことが、心を見ることを知らない人達、見ない人達には、全く分からないことなんです。
分からないうちに、知らず知らずのうちに、闇の深みにはまっていく危険性が充分にあるということです。
私達は、それを田池留吉のもとで学んできました。田池留吉の世界に心を向ける、合わせる瞑想は、そういうものとは全く違う、根本的に違うことを、自分の身をもって学んできたのです。これほどの幸せはないのではないでしょうか。
もちろん、田池留吉の世界に心を向ける、合わせるというのは、田池留吉という人物に心を向ける、合わせるということではありません。従って、田池留吉が、私のほうに心を向けなさいという、私とは、一体どのようなものなのか、ここを間違えれば、それは、従来からある他力信仰と何ら変わりはありません。ここが、真実を知っていくかどうかの最大のポイントです。
しかも、そう簡単には、田池留吉のほうに心を向けることはできません。
なぜならば、私達は、何も考えずに、何も思わずに心を向けることをしてこなかったからです。
欲深い私達は、ただ思う、ただ心を向けていくことができなくなりました。
他力信仰を重ねてきた私達人間が心を向ける場合は、必ずと言っていいほど、ああなりたい、こうなりたい、ぜひこうしてください、私の願いを叶えてください、あるいは、自分は素晴らしくなりたい、パワーが欲しいという、諸々の欲の思いがあります。さしずめ、この学びで言うならば、田池留吉の世界が知りたい、真実の世界を知りたいということでしょうか。
そして、そのような諸々の思いが、欲の思いだとは、なかなか分からずにきたのです。
自分達の幸せや繁栄を願い、祈るのは、人として当たり前だと思っています。よもや、そうすることが間違っているなどとは、全く考えもしていないのです。
日本の国で言えば、正月に神社に詣でるのは、普通のことです。必勝祈願、合格祈願、安全祈願、願掛け等々も一般的だし、山開き、海開き等々には必ず、神事が執り行われます。山が、そして、海が御神体なんです。別に、これは日本の国だけではなくて、世界各地で、人間は神に祈りを捧げ、神に忠誠を誓い、そして、仏、あるいは神のご加護を請うてきました。これが私達人間の歴史です。
そのように果てしなく続いてきた歴史の中で、願い、祈る心、念じる心が実は間違いであって、自分達に繁栄と幸福を呼び寄せるどころか、それらの心こそが闇であり、自分達を苦しめていると気付いた人など、これまで皆無でした。
だから、願い、祈り、念じる心を自分の中から解き放していくことは、至難の業です。
なぜ、願い、祈り、念じることは間違いなのか、闇なのでしょうか。
誰しも幸せになりたいと願うのは当たり前です。
しかし、田池留吉は言いました。
私達は、もう、すでに幸せな存在です。
なぜ、どうしてそういうことがサラリと言えるのか、田池留吉の話を聞き、これまでの年月をかけて学んでこられた人達の多くも、その真意がなかなか分からなかったのです。
今現在も、心で分かっている人の数は、決して多くはありません。
それでも、田池留吉が、さあ、これからセミナーを開きますよと、ひとたび声をかけたなら、今も、おそらく、たくさんの人達が、嬉しそうに全国各地から集まってくるでしょう。
それは確かです。
その人達は、一体、何に魅力を感じているのでしょうか。
集まってきたからといって、特にどうということはないのです。
二泊三日のセミナー、人によっては、一泊二日のセミナーに参加するために、時間を作って、お金を工面して、そして、家族や職場の人達に不便をかけて、せっせとセミナー会場にやってくるのです。
しかも、ほぼ全員に共通なのは、嬉しそうに、幸せそうに集まってくるということです。何が嬉しくて、何が楽しくてと言いたくなるような、この集団は、ある意味では不思議な団体です。
不思議と言えば、もっと不思議なのが、田池留吉です。
田池留吉という立場は、世間では普通、教祖、指導者ということでしょうが、およそ、田池留吉の姿格好からは、その気配は一切窺えません。全くの平々凡々の老人です。強いて言うならば、まあ年齢よりは元気ということかもしれませんが、それにしてもどこから見ても、教祖様という趣ではありません。
もちろん、田池留吉という人物は、絶対にそういう教祖様とか何とかというものではないことは、「私、田池留吉と欲とは合いません」という言葉の通りです。欲の思いで、いくら、田池留吉の世界を知ろうとしても、無理なんです。分かるはずはないのです。
そういう人達は、分からないと言えないから、自分達の目指しているものとは違うとか適当に理由をつけて、途中で姿を消してしまいます。
しかし、去る者は追わず、来る者は拒まずの田池留吉は、そんなことには、ほとんど頓着せずに、本当に真剣に心から真実の世界を学んでいこうとする人達に向けて、これからもどんどんその世界を語っていきます。
もっとも、高齢な田池留吉の活動範囲は、自ずと限られている現在ですが、その意識の世界は、喜び、喜びが溢れていると申し上げていいでしょう。

田池留吉の姿格好からは、到底窺い知れない意識の世界からの通信を、私は、これまでにも受けてきましたし、これからは、さらに、その世界を感じていきます。
有体に言えば、本当のこと、真実の世界は、人の姿、話す言葉、所作からは、決して判断できないのです。
どんなに立派な肩書きがあって難しい話をされても、立派なことをおっしゃっても、その人の意識の世界が真実の世界と通じていなければ、つまり、自分の本当の姿、人間の本当の姿が何なのかを心で知ることがなければ、所詮、そういったものは、ほとんど値打ちはないのです。ただし、世の中は違います。世間では、立派な肩書きや、由緒ある家柄、素敵な容姿、知的な頭脳、豊かな経済力、その他様々な技能は、それなりに有効です。
そういうものを駆使して生きていくことに、無上の喜びを感じる人達は、枚挙に遑がありません。
そのような中において、田池留吉の世界から出てくる内容を、理解していくことは、確かに難しいです。
頭で理解していくことも然ることながら、あなたの心で分かっていく難しさを、私は否定しません。
しかし、それでも、私は、はっきりと物を申します。
「人間の本当の幸せはここにしかない。つまり、田池留吉の世界を感じていくことしかない」と。

田池留吉の世界の田池留吉というのは、むろん、一個人を指して言っているものではありません。
田池留吉という人名がついていますが、その人個人の世界という狭い世界のことではないのです。
そもそも、洗脳をするとか、遠隔指導をするとかいうものは、本当にちっぽけな低俗な次元のものです。その行為の根底に流れるものは、我に心を向けよ、我は一番なりというブラックのエネルギーです。もっと平たく言えば、あなたを洗脳しても、遠隔指導をしても、田池留吉には、何のメリットもありません。
田池留吉の世界は、世間で言うところのギブアンドテイクではありません。
ギブアンドギブ、オンリーギブと憶えておいてください。
田池留吉とともに学んでこられた人達は、このことを知っているから、きっと、長いお付き合いができているのだと思います。
また、田池留吉の世界には、化けの皮はありません。従って、はがしようがないことを、私は、学んできました。
実際、私は、最初に語りましたように、盲目的に、田池留吉様、教祖様と仰ぎ見ながら、教えを請うてきたのではありません。
むしろ、その逆で、あいつの化けの皮をはがしてやろうという意気込みでした。
そんな私が、よく、ここまで変われたものだと、密かに私は、思っています。
それは、ひとえに、田池留吉の真実を伝えるという思いの熱さのお蔭でした。
それはそれは、根気よく待っていただきました。手取り足取りと表現しましたが、本当にその通りでした。
ただただ、真実を伝えたいという田池留吉の思いは、それこそ、昔も今も何ら変わることはありません。
年齢を重ね、形を見れば、世間一般の老人に違いないけれど、田池留吉に関して言えば、そういうものは、度外視すべきでしょう。
肉体的にも、同世代の人達からすれば、ほとんど驚異に近いです。もちろん、その意識の世界には、年齢云々がありませんから、田池留吉の思いは、なおも熱く、そして、限りなく優しいということです。
田池留吉が、そのすべてを賭けて私達に伝えたい思い、本当に今、私達に伝えたい思いというのは、これは、本当のところは、どんな言葉を用いても的確に表現できません。
その世界を心に感じ、出てくる思いは、嬉しい、ありがとう、幸せ、喜び、そういったものです。
そういう表現に留まっているというのが、何とも歯がゆくもあります。言葉にすれば、せいぜいその程度です。あとは、それぞれが自分の心で感じていくしかないのです。
言葉で表現できる部分は、もうすでに、書籍を発刊済みです。それをいかに理解していくかは、ひとえにあなたの心にかかっています。

例えば、過去も未来も、今の一点にあると言えば、あなたはどう思いますか。
文字通り、過去は、過ぎ去った時間であり、未来は、未だ来たらずの時間です。今の以前に過去があることは理解できても、未だ来たらずの未来が、今という時間と同時にあるということは、あなたの頭では、到底理解できないでしょう。
時間というものは、過去から未来へ流れていくものだと、あなたは、いいえ、あなただけではなくて、世間一般はそう理解しています。
しかし、田池留吉の世界をあなたの心で感じていけば、このことも、難なく自分の心で感じられるのです。
例えば、「転生」「過去世」「来世」という言葉をどこかで聞かれたことがありますか。
前にも記しましたが、私達人間には、転生があります。つまり、私達は生まれては死んで、そして、また生まれてくるということを繰り返してきました。その数は、百回や千回どころではありません。どなたにも数え切れないほどの転生があります。そして、その転生の一つひとつがあなたの過去世ということになります。従って、過去世の数も膨大です。
同様に、これからもあなたは転生をしていきます。つまり、来世のあなたがあります。
しかし、実は過去に生まれてきたあなたも、未来に生まれてくるあなたも、今のあなたも、あなたなんです。そして、単に数の上から考えるとたくさんのあなたがいるようですが、実は過去に生まれてきたあなたも、未来に生まれてくるあなたも、すべて今のあなたに集約されているのです。つまり、その時々によって、姿、形は変われども、その中身は同じなんです。なぜならば、私達人間の本質は、意識、エネルギーだからです。私達の本当の姿は目に見えないもの、ただ意識、エネルギーとして、過去から未来へ永遠とある存在なんです。そして、その意識、エネルギーを本来のそれに変えていこう、つまり、あなたの中身を変えていこうと呼びかけてくれたのが、田池留吉という人物なんです。
この呼びかけは、もちろん、田池留吉が初めてです。
今まで、私達は数え切れないほどの転生を繰り返してきたけれど、この真実の呼びかけに出会うことは、全くありませんでした。従って、私達の過去世達はみんな、つまり、私達はみんな地獄の奥底に落ちたままの状態なんです。なぜならば、過去世達はみんな、自分の本当の姿を知らないからです。自分の本当の姿は意識、エネルギーなんだと気付かずにいることが地獄の奥底に沈んでいるということです。
そんな私達が、今世生まれてきて、「形を本物とする思いが苦しみの根幹だった」というメッセージを、田池留吉によって、初めて伝えられたのでした。田池留吉との出会いによって、自分の心を見ることを伝えられた私達だったのです。
「姿、形は変われども、その中身は同じ状態にある自分自身が、田池留吉の指し示す方向に学んでいけば、その中身を変えることができる。つまり、地獄の奥底に落ちたままの自分を変革できる。それは同時に、これから生まれてくる自分の意識の世界も変わっていくということだ。今の自分が本当の自分に目覚めていけば、自ずと過去の自分も未来の自分も変革の一途を辿ることができる。なぜならば、私は、過去から未来へ永遠に存在しているエネルギーだから。今の一点が過去も未来もみんな変えていくんだ。今という一点が過去であり、今という一点が未来でもある。」
理路整然とした真理を、私達は、田池留吉とともに学んできたのでした。
田池留吉という人物を通して流れてくる意識の世界、エネルギーに心で触れることにより、ああ、これが自分達の本来の姿だと学んでいきなさいと、田池留吉は伝えてくれました。
繰り返しになりますが、田池留吉という人物はどこにでもいる普通の老人です。
ただ、三次元にいる私達に真実を伝えるためには、私達と同様の肉という形が必要だったということでした。
因みに、ここで来世のことについて、少々触れさせてください。彼はもう一度だけ、肉という形を持ってきます。
今度は、アメリカ人で白人です。名前はアルバートです。
名門で大富豪の御曹司という境遇ながら、しかし、贅沢三昧、放蕩息子などではなく、人生とは何か、人間とは何か、そして、自分とはというように、いつも何かを考えている、心が敏感な青年という設定です。少々神経質という嫌いがある青年かもしれませんが、ある時期を境に、自分が生まれてきた意味をはっきりと知っていくのです。
今、田池留吉という名前がついている人物の、もう一度の転生がこれです。日本人、男性という姿が、アメリカ人、男性という姿に変わっても、その本質は、つまり、意識の世界、そのエネルギーは変わることなく、いいえ、今度は、若さと超敏感な心と、そして、豊富な資金源と人脈も加わって、真実の道をどんどん推し進めていきます。

一方、私はと言いますと、私もまた、もう一度だけ転生をしてきます。彼と時を同じくして、アメリカに生まれてきます。私は黒人の女性です。私自身もこれが最後の転生です。私は、田池留吉とは違い、極貧の中、兄弟達も多い中に生まれてきます。誕生を手放しで喜んでもらえるような環境には程遠いです。名前すらまともにつけてもらえないのでしょう。子沢山の一家は、その日の食べる物にも事欠くような、そんな毎日です。兄弟達の中で育てられて、やがて私もどうにかこうにか成長していきます。ただ、食い扶持は自分で稼がなければなりません。そこで大きなネックとなっていくのが、黒人ということです。肌の色は真っ黒ではないけれど、黒人は黒人です。自分の人生の中で、いつも、そのことが大きなネックとなっていくのです。どんなに一生懸命働き、能力的には劣ることはなくても、最後はそこです。黒人だから、そこでどん詰まりです。私は、私の人生とはと思い悩んで、あてもなく街中を歩き、そして、ハドソン川のほとりに辿り着くのです。ある日、その川面をじっと見つめていた、その時に……。

はい、このように私達の出会いは、これから二五〇年という時間を経て、現実のものとなっていきます。未だ来たらずの未来、来世について、少々触れてみましたが、なぜ、そんなことが分かるのかと訝しく思う方もおられると思います。それは、その人の思いの世界が、やはり、一秒、一分、一時間といったこの世的な時間にとらわれているからです。形を基準にすれば、過去と今と未来は別々というふうになってくるでしょう。しかし、形ではなく意識の世界に存在しているのが私達だととらえれば、過去も未来もみんな今という一点にひとつです。これは本当に自然のことなんです。
さて、余談ですが、この私達の二五〇年後の出会いは何を意味するのでしょうか。もちろん、今世、田池留吉が伝えてくれた真実の世界を完成させていくのです。過去から未来へと続いていく意識の流れの中で、私達はこの三次元をともに超えていきましょうという田池留吉、そして、アルバートからのメッセージを完成していくために、私達は、二五〇年後に再会するのです。

ところで、今、田池留吉の来世の名前がアルバートだと紹介しました。これから先の文章には、田池留吉、アルバートと併記されている箇所がありますが、そういうことから併記されているのだと理解しておいてください。
それよりも、大事なことは、田池留吉もアルバートも確かに人名ではありますが、ただ単なる人の名前ではないということです。
田池留吉の世界、アルバートの世界と表現されるように、それは意識の世界を指しています。しかも、一個人の狭い世界ではないということは、すでに書きました。
田池留吉、アルバートとは波動の世界です。真実の波動の世界を、今、私達は、田池留吉、アルバートという固有名詞を使って表現しています。その世界は、限りない広がりと温もり、安らぎの世界、喜びだけの世界です。
田池留吉、アルバートの真実の世界からは、絶えず波動が流れています。絶えずメッセージが流れています。波動はエネルギーです。エネルギーは仕事をします。どんな仕事をしていくか。それは、私達人間を、本来の私達に蘇らせていく仕事です。必然的に、形の世界は総崩れとなっていきます。

【すべてが今の一点にある。過去も未来も今の一点にひとつ】

例えば、この一文も、田池留吉、アルバートの世界からのメッセージです。真実の波動の世界からのメッセージです。頭では理解できません。なぜならば、頭脳は形を基盤としているものだからです。
このように、あなたの頭では、到底理解できない世界を、あなたの心で感じていくことを、あなたもやってみませんか。
今という時がどんな時なのか、自分とは一体どんな存在なのか、それが、自分の中で解き明かされてくる喜びを味わっていきませんか。
きっと、これからの生き方が変わってきます。
自分を自分で知っていく喜びは、何にも代えがたいものがあります。
今、あなたが自分だと思っているあなたは、本当にちっぽけな存在なのです。
しかし、そのちっぽけなあなたを通して、どこまでも広がっていくあなたを感じていくことができるのです。
その方法は、たったひとつしかありません。
そのたったひとつの方法を、私は心で知り得たし、だからこそ、名前がついている私もまた、幸せなのです。
この世にたったひとつあった真実が、田池留吉の世界だった。私は、誰はばかることなく、そう言えることが、たまらなく嬉しいです。
さあ、あなたも、あなたの頭ではなくて、あなたの心で感じてみてください。そして、そのためには、瞑想をすることがとても大切なことだと言ってきました。
ただし、すでに記しましたように、闇雲に瞑想をすれば危険だし、効果もないに等しいです。この点を充分に踏まえて、それぞれがそれぞれの生活の場で、ゆったりと自分を振り返る時間を作っていくことが大切です。
毎日の生活の中で、時間に追われてバタバタと忙しく暮らしていくことが、あなたの人生を充実させていくとは決して思えません。
また、経済的に時間的にゆとりがある生活であっても、自分に本当のことが伝えられなければ、決して幸せな人生であるとは言えないのです。
これは、本当にそうだと頷く人もいれば、そうでない人もいます。
そして、残念ながら、今はまだ、そうでない人の数が圧倒的に多いのです。今はまだ確かにそうでしょう。しかし、それも、これからの時間の中で、逆転していきます。
私達人間は、老いも若きも男も女も、もちろん、人種や宗教などに関係がなく、みんな、みんな、田池留吉の世界を感じていくようになってきます。
田池留吉の世界は、自分達の本当の世界だということを知っていくようになってきます。
そのような中に存在していることが、自分の心の中ではっきりと感じられることが、どれほどの喜びであるか、私は、今、それを実感しています。

学びにはまっていき、田池留吉の世界にはまっていけば、色々なことが心で分かってきます。自分の心に響いてきます。
例えば、宇宙という世界です。もっとも、私が宇宙と言っているのは波動の世界のことです。それぞれの心の中にある意識の世界のことです。宇宙はエネルギーです。宇宙とは、私達の外にあるものではありません。私達の心の中にあるのです。
今、人間達が莫大な金と労力を費やして、未知なる世界を解明していこうとしている宇宙ではありません。
そもそも、私達人間の本質はエネルギーです。私達は、過去から未来へ永遠と続いていく意識、エネルギーです。私達はエネルギーなんです。つまり、私達が宇宙そのものです。
だから、宇宙を知っていくということは、自分の中のエネルギー、自分を知っていくことになってきます。
逆に言えば、自分の中の宇宙を知らないということは、自分を知らないということです。人間は、自分を知らないのに知っているつもりになっているから、様々なところから色々と問題が噴き出してくるのは当たり前なんです。
もちろん、私達人間だけではなくて、すべてはエネルギーです。形というものはもともと存在しないのです。ただ、今、私達は三次元の中にあります。縦、横、高さのある三次元では、必然的にエネルギーは形となります。それにも関わらずに、私達人間だけが、長い、長い時間、あたかも形の世界が現実の世界だと信じ込んできたのです。いいえ、信じ込むというよりも、思い込んできました。そして、その思い込みがすべてを狂わせてきました。
しかし、まさに思い込みだから、もう人間の心の隅々まで浸透してしまっているのです。なかなかその思い込みを解除することは難しいです。
その解除する方法は、もはや、ただひとつしかありません。
それは、私達人間が現実だとしている形ある世界が、目の前からドドッと音を立てて崩れ去っていく現象が起こってくることです。その現象が必要となってきます。しかも、常識の範囲、あるいは、これまで私達が体験、経験してきた範囲を逸脱する現象が次から次へと起こってくる必要があります。
人間は何かが起きれば、なぜ、そういうことが起こってくるのかを解明、分析していこうとします。しかし、これからは、そういったものは全くと言っていいほど役に立たないほどの大規模な現象が、次から次へと起こってくるのです。
自然災害、事件、事故等々あらゆる方面から、自分達の流してきたエネルギー、つまり、自分達を知りなさいと想像を絶する大きな警鐘を鳴らしてきます。自分達を知っていくために、色々な現象が起こってくるのです。

それでは、先ほどの宇宙という世界について、もう少し語らせてください。日々、瞑想をして心に響いてきた思いを少し聞いてください。
私は、心の中の宇宙、たくさんの意識達に思いを向ける毎日です。宇宙へ思いを向けることがとても嬉しいです。宇宙と語っています。宇宙と語り合う、宇宙を思い、宇宙と語り、宇宙の思いを聞く、こんなに嬉しいことはありません。なぜならば、それが私自身だからです。
肉を持ちながら宇宙と交信できるのです。私の中の宇宙は語ってきます。喜びの中に宇宙があります。田池留吉へ心を向けることを喜びとしている宇宙達です。例えば、こんなふうに、私の心に伝わってくるのです。

    ◇

今、ひとつの肉を通し、私達の思いを語らせていただいています。私達は、地球、つまり三次元から、遥か遥か、遠い遠い空間に存在している意識です。
私達は、田池留吉、アルバートの宇宙へ帰ります。喜び勇んで帰ります。その道筋を教えていただきました。これから二五〇年の時間、その中で、田池留吉、アルバートを呼び続けます。
私達もまた、その世界へ心を向けてまいります。私達の思いは、ともにひとつを目指しています。母なる宇宙へ思いを向けていきます。
母なる宇宙へ帰っていきたい、帰っていこうとするたくさんの意識達です。その中に私達は帰ります。はい、ありがとうございます。
これからの時間、私達の心の中に、ともにともにという思いを広げていきます。ひとつの目覚めから、さらに宇宙が目覚めていく、たくさんの宇宙へその思いが伝わっていきます。
田池留吉、アルバートの思いが伝わっていきます。意識の伝達は、光よりも速いです。
二五〇年後という一点を境にして、私達は、今よりももっと速いスピードで母なる宇宙を目指してまいります。
ひとつ、ひとつを感じます。はい、私達に思いを向けてくだされば応えます。通じています。私達の思いは通じています。ひとつになって、心を見てまいりましょう、そのように通じています。心の中に喜びの思いを広げていける、田池留吉、アルバートと呼んでいける、その喜びを私達も共有しています。ともに心を見てまいりましょう。ありがとう、嬉しいです。

    ◇

このように、瞑想をしている私の中から伝わってくるメッセージがあります。その中に「母なる宇宙」とあります。
「母なる宇宙」とは、一言で言えば、私達のふるさとです。喜びと温もりだけの世界です。そして、その世界は、どこか遠くにあるのではありません。母なる宇宙を目指すという表現から、そうとらえられるかもしれませんが、喜びと温もり溢れるふるさとは、私達の中にあります。言うなれば、私達の本質が、喜びと温もり溢れる世界、そのものなんです。私達は私達のふるさと、母なる宇宙へ帰ろうとしている途上にあるのです。それが意識の流れ、その流れの中の今という時間と空間なんです。
私の中には、母なる宇宙へ帰る、その道筋しかありません。田池留吉、アルバートの宇宙へ自分の思いを向ける、その喜びと幸せを心で感じています。
本当に今世、肉をありがとう。狂った暗黒の意識の世界よ、本当にありがとうございます。このように肉を持って、狂ってきた意識の世界を見させていただきました。
今世、その過程を経て、今、瞑想をすること、心を宇宙に向け、宇宙と語り合うこと、それが本当に大きな喜びとなって、心に返ってきます。
宇宙を思う私は喜びです。宇宙が待っていることが喜びです。たくさんの宇宙に真実を伝えていく喜び、宇宙とともに次元を超えていく喜び、その喜びが確実に私の中に広がっています。
さらに、私の瞑想は続きます。

    ◇

遥かなる宇宙、愛しき宇宙です。
田池留吉を思い、宇宙を思う今の時間、本当に幸せです。心に伝わってくる思いは喜びです。はい、ありがとうございます。
伝えたかったこの思い、真なる世界へ繋がっていることを伝えたかった。
田池留吉に心を向けています。たくさんの意識達を感じます。
瞑想をする時間はとても幸せな時間です。目を閉じて心を向けられることが幸せです。
心を大きく、大きく広げていきます。どんどん心が広がっていきます。温かい温もりが心に広がっていきます。幸せです。
幸せを感じるのに、本当に何も要りませんでした。この心があればそれでよかった。心から湧き起こってくる喜びの思いは、私のものでした。
絶対に消え去ることのない喜びと幸せ、ああ、そうなんですね。思えばいつも応えてくれていた田池留吉の世界でした。優しくて、限りなく優しくて、広くて温かい思いは、いつも私とともにありました。
思えば嬉しい、思えば幸せ、思えばありがとう。本当にありがとうございます。

    ◇

広い、広い、とらわれのない世界、自由に羽ばたいていく世界、そんな世界が田池留吉の世界。その中に自由に羽ばたいていける喜び、温かい温もりの中にある優しさ、田池留吉の世界を言葉で表現するならば、そんな世界です。
田池留吉と呼べる幸せを感じています。
心に何もありません。何のわだかまりも何もない。ただただ喜びが、静かに、静かに広がっていく……。温かい優しい温もりが広がっていく……。そんな中にいるんです。
目を閉じて心を向ければ、そのような世界に通じています。私は、幸せです。私達は幸せです。どこまでも、どこまでもこの喜びと温もりの世界にある私達なんですね。私は、自分の中にこの世界を広げています。
宇宙が語ってくるんです。宇宙が語ってくる喜びを感じています。
宇宙に思いを向けると、異語が自然と出てきます。異語でリズムを語っているんです。異語で語り合う喜び、そんな喜びの中にあります。
異語は喜び、喜びの波動、喜びのエネルギーです。
田池留吉、その世界、その宇宙の中にある喜びを、異語で奏でます。このリズムに乗って、私はすべての宇宙に伝えています。波動を伝えています。心の中に、田池留吉を思い出していきましょう、そのように伝えています。
軽やかに、軽やかに飛んでいる意識。その意識の中にある私達。
その意識が肉を持った途端に、苦しく苦しく、重く重く閉塞的な中にあるんです。その違いを心で感じています。
ああ、肉って重いものなんだなあ。肉の世界って重いものなんだなあ。そんなことを感じています。
私達の宇宙には、とてもとても大きな温もりと喜びの世界があるんです。そのような誘いの中にある私達です。今、私は、ともに心を向けよう、合わせよう、そうやって呼びかけています。これが私の宇宙です。
今、私は、喜びで伝えています。田池留吉の世界は、そんな世界ですよと伝えています。心の中に感じていけること、喜びです。喜びが喜びを誘ってくる、それが田池留吉の世界です。
私は、瞑想をする時間がとても嬉しいです。幸せを感じる時間が瞑想の時間です。

    ◇

田池留吉、私の中にお母さんの優しい温もりを感じます。
宇宙に向けて思いを語るとき、その温もりが心に広がっていきます。
本当に優しい宇宙でした。お母さんの温もりの中にあった宇宙でした。こんな宇宙を、私は忘れ去ってきたんですね。
お母さん、今、あなたに思いを向けています。田池留吉に思いを向けています。優しいです。とても嬉しいです。穏やかに心が広がっていきます。
何もありません。ただただ穏やかに、静かに心が広がっていきます。
そんな中にあるんです。その中で、私は自分を語ります。
嬉しい、ありがとう、お母さん、ありがとう。
喜びと温もりが心に広がってくるよ。
お母さん、ありがとう。優しい私が待っていました。本当にこんな世界がありました。
優しい私が手を広げて待ってくれていました。
はい、嬉しい。お母さん。田池留吉。
優しい、優しい世界、温もりの世界を伝えていけること、喜びです。
田池留吉の世界に心を向けること、喜びです。
ひとつ、ひとつ、ひとつの喜びを伝えています。田池留吉、私は田池留吉の世界とひとつ。はい、ひとつです。

    ◇

私は、まさにこれから文字通り、田池留吉の世界を心で学んでまいります。
気負うことなく、頑張ることなく、淡々と瞑想を続けていきます。
心に感じられる世界は、確かなものです。
私は、宇宙とともに存在している意識、宇宙とともに喜びを共有していける意識です。
田池留吉の世界、その宇宙を、楽しみながら、喜びながら、宇宙とともに心を広げていくでしょう。
田池留吉、今世の出会いを本当にありがとうございます。心からありがとうございます。
肉体細胞よ、肉体細胞にありがとうを伝えます。
この肉をありがとう。肉体細胞に支えられて、私は存在しています。今、私は、肉を持っています。肉体細胞のひとつひとつに「ありがとう」を向けています。
本当にありがとう。嬉しいですね。ひとつひとつの肉体細胞が喜びを伝えてきます。
はい、ありがとうございます。ああ、お母さん、ありがとう。肉をいただいた喜びを堪能しています。心の中を感じていけることが喜びです。
長い、長い時間の中でつけてきた心の垢、心の傷。今、私は、その心の垢や傷を、ひとつの肉を持って見つめています。
宇宙を思えることが嬉しいのも本当です。宇宙は私にとって喜びです。パワーを誇ってきたけれど、心は暗黒の中に沈み込んでいました。苦しいからパワーを求めてきたその心、今、私の心に感じています。田池留吉の世界を思えば、このことが出てきます。
私は、この地球上に気の遠くなるほどの長い時間、その心のままでずっと過ごしてきました。心の垢、心の傷は、積りに積り、私の中にしっかりと残っていました。そのすべての私を抱えて、今、このひとつの肉をいただいています。そして、私は、今、この肉体細胞とともに、田池留吉の世界に心を向けています。
お母さん、私の心は本当に感謝の思いで爆発寸前です。これからの二五〇年の間、この心をしっかりと見つめていきます。
二五〇年後の肉に繋ぎ、私は、その間に見つめてきた自分の思いを、その肉を通して、宇宙に向けて爆発させてまいります。次元移行には、そのエネルギーが必要です。私は、その道筋を今、心に感じています。
田池留吉と出会い、私の喜びは確かなものになりました。田池留吉の意識の世界、その世界は、私に力強く教えてくれました。
「心を見つめていくことが喜びです。あなたの心の歴史を私とともに見つめていくことが喜びです」、そのように、何度も、何度も伝えていただきました。私は、田池留吉とともに心を見つめてきました。田池留吉の世界に歯向いながらも、自分を見つめてきました。
田池留吉の思いを心に感じながら、だからこそ、できた作業でした。
すごいエネルギーを培ってきた私の心の中にあったものは、ただただ真実の世界に帰っていこうとする私の真なる思い、本当の優しさ、本当の喜び、本当の温もりの私でした。
私は、その本当の自分と出会ったのです。今世は、本当に大切な時間でした。肉体細胞に思いを込め、この肉体細胞がある限り、私は、肉体細胞に思いを向け、ともに歩いてまいります。そして、私は、やがては、この肉体細胞にも別れを告げ、この心を二五〇年の間、しっかりと見つめてまいります。

心の中に培ってきたエネルギー、本当にありがとうございます。宇宙に向ける喜びを心に感じている私でございます。