| 第二の人生 |
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| ― ラストチャンスです ― |
さて、ここまで、いわゆる第二の人生の時期に差し掛かっている人達を念頭において、ページを進めてきました。
意気揚々と第二の人生の一歩を歩み出せる人は、見様によっては、幸せな人と言えます。
一応、自分では、何らかの形で、これまでの人生の区切りを付けて、そして、その次を考えているのだから、おそらく、体力も気力も、そして経済的にも、余裕があるのでしょう。
そういう人、そういう条件が整っている人こそ、本当の意味の第二の人生を堪能していけたなら、おそらく、自分の人生の締めくくりとしては、最高のものになるだろうと、私は思うのです。
そのような思いから、これまで綴ってきました。
もちろん、この内容は、本来は、一部の人達に限定されるべきものではありません。
というのも、私達人間が生まれてきて、本当は何をしていかなければならないかと言えば、それは、自分の修正以外に、何もないからです。
生まれ落ちたところがどんなところでも、そして、どんな肉体を持って生まれてきても、またそれから、どんな人生が展開しようとも、私達がしなければならないことは、自分の修正なんです。
それは、老いも若きも男も女も、みんなです。
人種、民族、国籍を問いません。
この世に生を受けた人間は、みんながみんな、自分の修正に取り組み、そして、本来あるべき姿に戻っていく道筋を、見つけなければならないのです。
しかし、私達人間は、そんなことは全く頓着せずに、これまで、それぞれの生活を続けてきました。
それは、取りも直さず、自分達の姿を見誤ってきたからです。
もちろん、私も、全く間違って自分をとらえてきました。
自分のことを、全く知らなかったのに、自分のことは自分が一番よく分かっていると、偉そうに生きてきました。
私は、あるようでないような心の世界などには、殆ど興味がありませんでした。
それよりも、この目で見て、触れて、確認できるもの、確認できること、それらを重視してきました。
まさに、私は、形のある世界に価値を求めてきた人間でした。
喜びも幸せも、形で示されてこそ、感じられるものだとしてきたのです。
そんな私が、ようやく、自分の間違いに気付き、本当の私が求めてきたことが何だったのかを、心で知りました。
自分の目に映る風景は同じでも、私の心に映る風景が、全く違っているのです。
そして、今、私は、五十歳。決して若くはありません。
半世紀を、この肉体とともに過ごしてまいりました。
その中で、波乱万丈の時を経験してきたとは、とても言えません。
私は、戦争を知らない世代です。
しかし、私にも、これまでに、いくつかの転機がありました。
決して、順風満帆《じゅんぷうまんぱん》の時間を過ごしてきたわけではありません。
そんな私が、悩み、迷い、苦しみながら、ここまでやってくることができたのは、本書の前半で記したように、私自身もまた、「母親の反省」と「他力の反省」を通して、必死で、自分を見つめてきたからです。
そして、この肉体とともに、自分の世界を見つめていくことが、私がするべき仕事なのだということを、私は、知ったのです。
今は、自分の心の向け先を、絶えず確認しながら、本当に私がするべきこと、すなわち、意識の世界の修正を可能な限りして、この肉体を置いていこうと思っています。
そのような思いを改めて確認した今が、私にとっての第二の人生のスタートと言えるでしょう。
そして、今より、私の肉体を終える時まで、しっかりと心の管理をしていくことが、私の第二の人生の仕事です。
先行き不透明な時代が、これからも続いていきます。
時代の流れに翻弄《ほんろう》されることのない自分の行く末が、しっかりと感じられる今、そして、その方向へ真っ直ぐに進んでいっている今を感じる時、私は、大変強い決意をして生まれてきたことを感じずにはいられません。
「母親の反省」と「他力の反省」によって、自分を見つめていく過程の中で、私は、そのことを、幾度となく確認してきたことが、思い起こされます。
その決意とは、真実とは何かを、何としてでも知っていくことでした。
言い換えれば、私は、私の意識は、本当にどうしようもないところまで落ちて沈んでいたということです。
暗黒の中で、苦しみ喘いできた意識は、今世という時間に自分の存亡を賭けてきたのです。
その意識の世界を背景に、私は、今の肉体を母からいただきました。
温もりに徹底抗戦する背景を抱えて、そのような意識とともに生まれてきた私です。
母の意識に対して、歯向かい、反逆するエネルギーは、半端ではありませんでした。
もっとも、今、このように記したところで、何が何やら分からないかもしれませんので、この続きは、またの機会に譲ることとして、話を戻します。
この世に生を受けた人達は、全員、自分の修正に取り組まなければならないというところまで、話を戻します。
自分の修正と言ってみても、漠然としています。
そこで、
1.何を修正するのか。
2.どのように修正するのか。
3.なぜ、修正しなければならないのか。