第二の人生
― ラストチャンスです ―


第3章



2.人生は喜びです


 「母親の反省」と「他力の反省」を通して、自分の流してきたエネルギーの凄さを確認できれば、自分がなぜ生まれてきたのかが分かります。
 そして、どんな状態の中から生まれてきたかが、心に響いてくるのです。
 あなたが、そのような状態になっていけば、いよいよ、今までしてきた反省のパターンを、瞑想を通してする反省のパターンに変えていきましょう。
 そうすることによって、これまでにしてきた反省を通して心に感じ響いてきたものが、さらに、はっきりとしてきます。
 瞑想、それも正しい瞑想を重ねていけば、間違いなくそうなっていき、しみじみと、今ここにある喜びを感じていきます。
 
 かけがえのない家族や、気の置けない仲間達と楽しい時を過ごしていくのもいいでしょう。
 ゆとりのある生活の中で、多種多様な趣味の世界を満喫するのもいいかもしれません。
 また、まずまずの健康は、あなたの行動範囲を広げていき、程よい刺激が気力の充実に繋がっていって、いい循環をもたらすと思います。
 そういった中において、今ここにある喜びをかみしめている、人生の喜びを味わっているという人達も、現実にたくさんおられます。
 それはそれでいいけれど、ベストではありません。
 そういうことでは、自分がなぜ生まれてきたのかということ、そして、どんな状態の中から、その肉体をいただいたのかということが、決して分からないからです。
 このことが分からない限り、喜びをかみしめている、喜びを味わっているというその喜びは、本物ではないと言えるでしょう。
 はっきりと申し上げて、人生は喜びですという「喜び」は、そんなちっぽけなものではありません。
 
 それよりも、そういうことは、ほどほどにして、静かに目を閉じて、今まで続けてきた反省の中で、書き出し拾い出してきた思いを、振り返っていく時間を持ってみてください。
 特に、あなたが母親に向けて出してきた思いを、静かに思ってみてください。
 
 母親があなたの瞼《まぶた》に浮かんできます。
 その時のお母さんは、どんな様子でしょうか。
 あなたに小言を言っていますか。恐い顔をしていますか。
 いいえ、あなたに微笑みかけているのではないですか。
 お母さんって呼びたくなるような、駆け寄っていきたくなるような優しいお母さんがそこにいませんか。
 お母さんって呼んでいるあなたはどうでしょうか。
 もしかしたら、あなたはお母さんに抱かれていた時に戻っているかもしれません。
 そうして安らいでいるあなたは、今、こんな感じではないですか。
 「何もないけれど、何か嬉しいなあ。
 赤ちゃんの頃は、こんなんだったのかなあ。」
 
 例えば、こんな時間を、持っていってください。
 現実にあなたを生んでくれた母親は、今では、あなたの中では遠い存在になっているかもしれません。
 今のあなたは、母親を通り越して素晴らしいあなたに成長されているかもしれません。
 もしかしたら、今は、自分にも子供がいて、孫がいてという年齢になって、今更ながら、母親の偉大さが身に染みてよく分かるという人もいるかもしれません。
 そういうことも、考え併せながら、日々の時間の中で、先ほどのように、目を閉じて、静かに母を思うことを実践していってください。
 これまでに、自分の出してきた思いを振り返り、その思いが、自分の肉体を動かしてきたエネルギーであることに、微《かす》かながらでも気付いている人ならば、この実践を重ねていけば、どんな母親が目の前にあろうとも、愚かなのは自分、間違ってきたのは自分だと、段々と見えていく過程を経ていきます。
 
 目を閉じて静かに思うこと、いわゆる瞑想をすることによって、今までしてきた反省が活きてくるし、だからこそ、色々なことが感じられるのは確かです。
 瞑想をするということは、五官を閉じて、自分の意識の世界を感じていく作業です。
 目や耳などの五官に頼らずに、自分に響いてくる世界の存在を信じていく作業です。
 五官が開きっぱなしの生活の中で、それらを閉じていくこと自体が、難しいかもしれませんが、自分の生き方について、思うところがあるならば、前向きに、この作業に取り組んでいってください。
 
 ただし、ここで要注意です。
 これは、世間でいうところの瞑想、メディテーションとは、全く異質のものです。
 だからあえて、正しい瞑想としています。
 癒しのための瞑想、パワーを引き寄せる瞑想、ヒーリングといったものとは、全く異質です。
 実は、この一点が、なかなか理解できないところなのです。
 言葉は同じです。
 同じですが、中身は同じではありません。
 どこが違うのでしょうか。
 さあ、ここで、あの図式を思い出してみてください。
 結論は、こうでした。
【 私は心です。私は思いです。そして、私達人間の本質は意識です。】[#「【 私は心です。私は思いです。そして、私達人間の本質は意識です。】」は小見出し]
 人間の本質は意識、そうです、人間は、エネルギーとして、波動として存在しているのです。
 
 エネルギーには、プラスとマイナスがあります。
 そして、波動には、明るい波動と暗い波動があります。
 人間は、絶えず、波動を流しています。エネルギーを出しています。
 ただし、人間は、今現在、形の世界を基準として存在しており、自分達の本質である意識の世界を基準としていません。
 このように、私達人間は、大きな矛盾の中にあるのです。
 矛盾があるということは、エネルギーで言えば、マイナスです。
 波動は暗いです。
 だから、形の世界を基準にしている人間から流れる波動は暗い、そして、エネルギーはマイナスです。
 では、癒しのための瞑想、パワーを引き寄せる瞑想、ヒーリングという世界は、どんなエネルギーの世界と繋がっているのでしょうか。そこから流れる波動はどうでしょうか。
 要は、どんなエネルギーと繋がっているか、どんな波動を流しているかの問題です。
 ただ、今のところは、殆どの人が、そういうことには、無頓着です。
 自分自身がエネルギー、波動であることにさえ気付けていない状態だから、どんなエネルギーと繋がっているか、波動はどうなのか、などということは、頓着しなくて当然です。
 「ああ、瞑想か。瞑想なら、私もこれまでにしてきたことがある」というくらいにしか、受け取っていただけないのです。
 
 また、「母親の反省」にしても、確かにそのことを行っているところがあるという話は聞いたことがあります。
 話だけで、その内容まで詳しくは知りませんが、母の深い愛に触れ、涙を流して、自分の愚かさを詫びるということでしょうか。
 この場合も同様です。
 そこで言う母とは何か、自分とは何か、何を基準にしているのか。それが、最大のポイントなのです。
 涙を流して、心がすっきりとしてということかもしれませんが、心がすっきりとして、引っかかるものが何もなくて、心が明るければ、そこから流れ出す波動も明るいはずです。
 それなのに、なぜ暗いのでしょうか。
 現実は、誰も、そこに着目しません。できません。だから、要注意なのです。
 
 このように、心得ておかなければならないことがありますが、瞑想は、非常に大切な作業です。
 いいえ、最後は、瞑想しかないのです。
 しかも、正しい瞑想です。
 正しい瞑想なくして、真実は分からない、自分というものの本当の姿が分からないということになります。
 分からないから、私達人間は、いつまで経っても、自分の外へ心を向けてしまうのです。喜びや幸せを与えてくれる対象物が要るのです。
 あれがあるから、これがあるから、あの人がいるから、この人がいるからと、五官を頼りに、いつも、何かを外に求めていく生き方しかできなくなってしまったのです。
 だからといって、瞑想をして、無念無想の境地になれということではありません。
 もっとも、無念無想の境地など、本当はあり得ません。
 人間は、絶えずエネルギーを出しています。
 だから、その人の心の世界もまた、何かのエネルギーと繋がっているはずです。
 無念無想と言いながら、神であるのか、仏であるのか、宇宙のパワーであるのかは分かりませんが、必ず、心の向け先があるのです。
 その人の意識の世界は、何らかの意識の世界、もっと言えば、他力のエネルギーと繋がっています。
 だから、大切なのは、瞑想ではなくて、正しい瞑想です。
 あなたが目を閉じて思う心の向け先を、きちんと正しい方向に合わせてする瞑想です。
 そこで、正しい方向とは、どの方向かということになります。
 それは、何も特別なものではありません。
 あなたが、母親の反省を通して知っていく母の温もりです。
 あなたが、ゼロ歳の時にお母さんに委ねていた世界です。
 それは、安らぎの世界、すべてを包み込む優しくて温かくて広い世界です。
 そこには、何もなかったはずです。ただ、あなたは、何もない中に、自分のすべてを託すことができる幸せを感じていただけなのです。
 その世界を、その波動の世界を、あなたは、間違いなく憶えているのです。あなたには記憶がなくても、意識のあなたは憶えています。
 だから、あなたが、正しい方向に心を向けることを邪魔しなければ、その波動の世界が心に響いてくるのです。
 それは、明るい波動です。その明るい波動の世界を、どなたも知っているはずなのです。
 その中にある喜びを感じながら、母の胎内から生まれてきたからです。
 しかし、実際は、癒しやパワーだとして、波動の見極めもできないまでに、人間の意識の世界は堕落してしまっています。
 堕落した意識は、「母親の反省」を通し、母に使ってきた自分のエネルギーを確認することで、ようやく、温もりの世界を拒否し続けてきた現実を目の当たりにするのです。
 そして、温もりを拒否すればするほど、寂しさが増していき、その思いが、他力のエネルギーを引き寄せていくという、悪循環の中にあったことも分かってきます。
 日常生活の中で、自分が、何に思いが向いているのか、そこでどんな心を使っているのか、じっくりと振り返れば、この構図、つまり、プラスの温もりを拒否してきた心に、寂しさが募り、その寂しさを癒すために、マイナスの温もりを求めていくという哀しい人間の姿が浮き彫りになってきます。
 
 以上のようなことを、あなたの頭で理解するのではなくて、あなたの心に響いてくればいいのです。
 また、そうならなければ、その悪循環を断ち切ることはできないでしょう。
 
 もともと、明るい波動の中にあった私達が、なぜ、暗い波動しか流すことができなくなったのか。反省と正しい瞑想を継続していくことにより、自分の心で答を出す以外にはありません。
 私達人間は、そのために生まれてくるのですから。
 
 どうでしょうか。
 それでも、あなたは、かけがえのない家族や、気の置けない仲間達、ゆとりある生活に多岐にわたる趣味、まずまずの健康が、あなたに、本当の喜びと幸せをもたらしてくれると思いますか。
 本当に、それだけで、今、生きていることの喜びをかみしめていますと言えますか。

 それだけで、人生は喜びですと言っているあなたのその喜び、幸せの薄っぺらさを感じていってください。