「ありがとう」
―意識の世界への架け橋―

ようやくセミナーに集えました



パワーへの憧れと鈍感な自分

最初、自分が自分としてどう生きていけばいいのか、それを知りたくて、セミナーに集った私でしたが、セミナーに参加してみて、まず私の興味を惹(ひ)いたのは、当時盛んに行われていたチャネリングとチャネラーでした。そのことにより、私の心にあった思いが、またムクムクと頭をもたげてきたのです。それは、自分の中のパワーを引き出したいということでした。チャネリングを能力すなわちパワーととらえていた私は、自分自身ももちろん、そのパワーを自分の中で見出しそれを大きくしたいと思いました。パワーを発掘してどうしたかったのか、こんなこともできると己を誇り、人の上に立ちたいのか、それで人の心を読み取ってその人を牛耳(ぎゅうじ)ろうという魂胆(こんたん)なのか、それはそれぞれの思惑(おもわく)があるでしょう。私の場合は、その能力さえあれば、セミナーで伝えられている自分自身の心を見るという作業が捗(はかど)っていくのではないかと思っていたのです。その作業が捗っていくということは、何かしら自分が求めてきた本当のことに出会う近道になるのではないかと思っていましたから、やはり私はここでも頭を働かせて計算をしていた愚か者でした。どこまでも、自分の肉、頭中心の思いばかりを膨らませていたのです。

しかし、私のそのような計算とは裏腹に、自分自身は長く鈍感を絵にかいたようなものでした。鈍感というのは、肉の殻が厚過ぎて、心に響いてこない状態です。頭では理解できるものの、頭ではなくて、心で分かる学びということでしたから、鈍感ではどうしようもありません。反省や瞑想はするものの、どれだけそれが心に感じているのか、さっぱりと分からない状態が、学び始めてから五、六年続きました。その間、そこで伝えられていた、私達は神の子、神ですということは、正直申しまして非現実的でした。ましてや、エルランティ田池なんて、何か分かったような分からないような状態だったことは確かです。

しかし、反省材料は山ほどありました。私は、我がまま気まま自分勝手でしたので、その時々に使ってきた思いなんて、みんな自己中心的な己一番の思いばかりです。どこに清く正しく美しい私などいるものか、心なんて真っ黒けということはしっかりと頷(うなず)けることでした。天使などこの世にいるものかとも思ってきました。さらに、肉の力を信じてきた私の自信は、夫の発病と死という現象でもろくも崩れていましたし、実際、私は立派、素晴らしいと言ってみても、肉は平々凡々であり大したこともないし、セミナーでは鈍感だったし、何かその言葉だけが空(うつ)ろに響いてくるのを感じていました。

また、私は、今世に限って言えば、特に何か他力信仰に打ち込んできた形跡はなく、聖書や哲学書、精神世界に関する本を読み漁(あさ)った体験もありませんでした。だから、イエスやマリアがどうとか、仏陀(ぶっだ)の生まれ変わりがどうとか、というのをまるで他人事(ひとごと)のように聞いていたのも事実でした。イエスや仏陀と同じ時代に転生をしてきたと思ったことはありましたが、それを今の自分自身の反省に繋(つな)いでいくよりも、やはり興味本位の思いのほうが強かったです。ただ前に触れたように、ある教団の教祖を心に入れていましたから、その教祖とセミナーを開いていた田池留吉氏を知らず知らずのうちに比較していました。向こうは、渾身(こんしん)の力を込めて講演と実演をしていました。しかしこちらは、その語り口は淡々としていて、当時、セミナーはチャネリング、チャネラーが中心で、セミナーには惹(ひ)かれる思いはあるものの、田池留吉氏という存在は私には今ひとつの感がありました。それは、私の中でつかんできた教祖の存在が大きかったからです。それが何を意味するのか、私はまだその時は自分の心で分かるはずもなく、しかし、言われるままに、来る日も来る日も、母に使った思い、教祖に使ってきた思い、その他自分の周りの人達に出してきた思いをノートに書き綴(つづ)っていったのです。

学びに集って最初に言われることは、母の反省、つまりお母さんに使ってきた思いを見てくださいということです。それを聞いて、まず最初に出た私の思いは、私にはとてもできないということでした。それは瞬間的でした。同時に嫌悪感すら感じました。自分と母の間にある壁が部厚いのを瞬間的に感じたのです。もちろん、それは今世の肉の母を思い浮かべての話ですが、私は肉ではそれほど母を嫌っていたわけではありませんでした。しかし、私の中に生き続けるそれこそ何万、何十万、何百万、いえ数え切れないほどの母の意識に対する思いは、それだけ凄まじかったということでしょう。母の意識とは、自分の中にある温もりです。その凄まじい思いは、温もりを拒否して、そして温もりからずっと遠くに離れて心を閉ざして存在してきたという何よりの証(あかし)でした。それでも、私はここに自分が探し続けてきたものがあるとすでに感じていましたから、セミナー中、その時々で与えられた課題は、自分なりに消化していったつもりでした。しなさいと言われることは忠実にこなしていきました。そんな時よく思ったものでした。「チャネラーはいいなあ、自分の心が簡単に見えるのだから。鈍感な私がいくら自分の心を見ようとしても、そんなに深いところまで突き当たることができない。どうしたら敏感になれるのか。早く敏感になりたい」

そして、またふっと、こんな思いも感じていました。

「今はまだ敏感にならないのが、自分への愛です」

今思えば、もうその時すでに、肉の私(偽物)と意識の私(本物)が、自分の中で行き来していたのです。その通りでした。その時点で私が敏感であったなら、私はとっくの昔に狂っていたでしょう。過去そうであったように、己一番のエネルギーの大きさに自分を飲み込ませ、そのエネルギーで自分をだめにしてしまっていたことでしょう。それでは今世の私の計画が頓挫(とんざ)してしまいます。まず必要だったのは、母の温もりを思い出すことでした。その土壌(どじょう)を自分の中で着実に育てていくのには時間が必要であって、その時はまだ時期尚早(しょうそう)ということを、自分に伝えてくれていました。肉が鈍感であった時期が長かったけれど、私にはちょうどよかったのです。



セミナーでの闇出し体験と喜び

そうして、時が経ち、1998年から1999年にかかる頃、やがてその頃には、鈍感な肉も徐々に敏感になり始め、全然動かなかった肉体が自分の中のエネルギーに突き動かされていく様(さま)を、セミナー会場で存分に感じられるまでになりました。セミナーもやがて、チャネラーがチャネリングをするという形から、みんながチャネラーだということで、形を変えてのチャネリング、いわゆる「闇出し現象」が主流になってきていました。そこでは、田池留吉氏による「指差し」というものが行われていました。それは、それぞれセミナーに参加しているみんなが自分の中に培(つちか)ってきたマイナスのエネルギーを、自分の肉体を通して体験していく勉強であり、それがセミナーの中心になっていました。どうして田池留吉氏に指を指されてこうも反応していくのか不思議でした。言葉もなく何もないのに、自分の身体(からだ)が勝手に飛び跳ねて転げ回るんです。しかも心から出る思いは、「くそったれ」ばかりでした。母の意識と繋(つな)がれたり、他の人の意識と繋がれたり、私は様々なチャンスをもらいました。数え切れないほど体験させてもらいました。もちろん、田池留吉氏に歯向かうエネルギーの凄まじさは超一流でした。すごかったです。腸(はらわた)が煮えくり返るほどの思いを感じてきました。セミナー会場におけるあの目が大嫌いでした。何もかも見透かされている、そんな思いを強く感じて、反発、反発の連続でした。「くそったれ、お前なんか消え失せろ」「お前は目障(めざわ)りだ」「お前を殺してやる」散々この口からも罵声(ばせい)を浴びせかけました。やがて、私の思いは、実は罵声とは裏腹で、それは喜びの雄叫(おたけ)びだと心に強く感じながら、私は文字通り反省と瞑想を、セミナー会場の中でやり続けていくという幸運に恵まれました。その心の体験は、筆舌に尽くせないほどの喜びです。思いが身体中を駆け巡り、腹の底から噴き上がってくる感じで、私の肉体など吹っ飛んでいました。肉の頭などでは到底理解できない体験を重ねていったのです。まさに心で分かる学び、心でしか分からない学び、本当にそうでした。



宗教観の崩壊と真実への懺悔

田池留吉氏に歯向かうエネルギーのすごさを、自分の肉体を通して実感する体験を重ねることによって、私自身何に気付いていったかと言うと、私が学びに集う前に心につかんできたある宗教団体の教祖の存在の小ささでした。まさに肉の次元で心にとらえてきたその存在は、私の中で芥子粒(けしつぶ)のように小さくなっていました。それは、田池留吉氏の意識の世界そして自分の意識の世界の大きさを垣間見ることによって、私の心の中ではっきりとしてきました。その教祖に魅せられたパワーというものは全く間違っていた、真実の世界からくるパワーとは全く次元が違うものであったことを、私の心はとらえていったのです。私の肉の頭ではなくて、私の心がとらえていったから、私は本当にそこで心の底から懺悔(ざんげ)の思いを感じてきました。全然違う世界の中で、全く間違った世界の中で、私自身がずっと存在してきたことに気付いていったのです。懺悔しかありませんでした。なぜならば心につかんできたものは、ちっぽけな自分自身だったからです。私は自分というものを本当に小さく小さくとらえてきたことを、心で知りました。

鈍感な肉が敏感になるように、鈍感な肉がそこへ行き着くまで、様々な試行がセミナー会場で繰り返されました。手を変え品を変え、見ようによっては、私は田池留吉氏に育てられたと映ったかもしれません。田池留吉氏が私を発掘して大切に育てたと思われた方もあるように聞いていますが、それは全く見当違いで、多分に穿(うが)った目で見られていたと思います。確かに田池留吉氏は、セミナーに集ってくる人の中に、必ず目覚める人が一人はいると信じていたことには違いないけれども、私に白羽の矢が立ったということではありません。私は私自身の思い、その決意があって、今世生まれてきたのです。そして、私なりに色々とあって、ようやくその決意を自分の中で自覚するに至ったということでした。だから田池留吉氏に、素直に反応していったのです。

これこそ私が探し求め続けてきた道だと、私自身心で知ったから、私は自分だけを見つめてきました。自分に巡ってきたチャンスを無駄にしたくはありませんでした。チャンスはみんなに公平に平等にあり、田池留吉氏はそれぞれの肉、一人ひとりを見ていたのではなく、意識の世界からすべてを感じていたということでしょう。立っている場が違っていました。そして、そういう人達が、自分の立っている場を確認するために、素直になって自分の心を見ていかれたなら、もっと様子は変わっていたと思いますが、残念ながら心は中に行かずに外に向いてしまったのです。



ホームページとの出会いと新たな学び

ちょうどその頃2000年くらいから、田池留吉氏が「反省と瞑想の時間ですよ」というタイトルのホームページを初めて立ち上げました。それから、私はセミナーとそのホームページの二本立てで、まさに自分が本当に望んでいた通りの道筋を歩いていきました。つまり、「アルバート」と出会うシナリオを現実のものとしていったのです。私が最初に「アルバート」の波動に少し触れたのは、2000年1月だと思っています。それ以降、「Fさんの反省」、その他ホームページ上で、私自身、実にたくさん学ばせてもらいました。