「ありがとう」
―意識の世界への架け橋―

Fさんの反省



私は信じています。あなたはどうですか。あなたは私を信じていますか。すべてを委(ゆだ)ねていくことができますか。

朝の瞑想での思いでした。私の中のやさしい思いが肉だと思っているこの私に伝えてくれているのだと思いました。

日々何を思って生活していますか。喜びで生活をしていますか。この学びを盾にとって自分を上に置いていませんか。人には人の学び方があります。その人なりの神に帰る道があるのです。みんな一生懸命なのです。こうしてくれたらと思う思いはもう苦しみだけなのです。ただあなたはご自分がどれだけ喜びの心で毎日を過ごせるか、それだけでいいではないですか。伝えたい思い、少しはこの学びに心を向けてほしいという思い、その思いの中にはきっとその人を責めている思いが入っているのです。そうではありません。やさしい思いはあなたが何も特別に思い煩(わずら)うこともなく、あなた自身が喜んでいれば自然と伝わっていくものなのです。みんな神の子だからです。肉で何とかしようという思いは傲慢(ごうまん)です。そのことに気付いていくために必要な時間なのかもしれません。肉があってこそ見える思い、だから肉を与えられた時間を大切にしてください。そうしていったとき、肉がなくてもそこに存在しているのだとあなたの心で実感できるのです。

私が肉基準の心だから、人を見下げ人を責めているにもかかわらず、みんなこの学びをしてくれたら、私がこんなに苦しまなくてもいいのにと、こんな苦しい心を使うこともないのにと、そういう思い方を何度もしてきました。相手がどうであれ苦しいのは私の心だったのに、その思いを変えていく以外にはないのに、やはり苦しみは外からくるものだと思ってきたのでした。

死と隣り合わせなのは父だけではありません。それが現実ですよと父は伝えてくれています。父の肉を見ることにより、私は自分の生き方、死に方を間近に考えます。自分で出してきたものは自分で清算する、それが自然の流れなのだと思いました。

生きることは苦しい、死ぬのも怖い、この流れの中にすっぽりとはまり込んでしまった私の心です。いつ清算するのか、いつその流れを変えていくのか、これが私のこれからの課題です。そこには誰もいない、ただ自分があるだけだと思いました。

目覚めてください。そして知ってください。本当のあなたは意識であることに目覚めてください。これからの300年はそのことをあなた自身の心で分かるためにあなたがあなたに与えていく時間です。すべてが愛です。真実に目覚めるために起こり来る出来事です。心の転回を速やかに、そしてそのことをあなたの心から伝えられる人になってください。私は待っています。あなたの心でずっと待ち続けています。私はあなたの中のタイケトメキチ、そして田池留吉の意識です。



今日、朝瞑想したときに「怖がらずに思いを出していきなさい」ってメッセージがきました。そうだ、私はいつも自分の思いを飲み込んできたって思いました。だから苦しかったんだって思いました。

自分の思いを素直に表面に出せない、自分を取り繕(つくろ)ってしまう、これが私の最大の苦しみでした。負けず嫌いで自分中心、己ほど素晴らしい者はないと、私はいつもその思いで、どんなときもその思いを出しながら生きてきました。先を越されることも譲ることも嫌で、本当に私にだけという思いを強く持っています。私にだけ、私にだけ、この心がどれほどの闇の思いであるか、またそれらの思いをストレートに出したら絶対に周りとトラブるからということも、よくこの肉は分かっておりました。だけど心は正直に出ます。いつも私はその思いとそして己の肉の看板との狭間で苦しかったのでした。その闇の思いを嫌ってきたから、そんな思いは私には受け入れられないと思ってきたから、素知らぬ顔をして蓋をしてきたから、苦しかったのでした。

肉のあなたはそんなに素晴らしいのですか。肉はなぜあるのですか。あなたのその神より大きくずれたそのあなたの心を見るためにあるということを知ってください。たくさんのあなたが今までその存在に気付いてくださいとあなたに訴えてきたのです。どうぞ心をタイケトメキチに向けて、その思いをやさしく受け止めてください。



今、目覚めのとき、目覚めのときです。ともに心を見ていくことが喜びです。いっしょに神に帰りましょう。あなたも私もみんないっしょ。肉は個々にあります。でも思いは通じ合っているのです。苦しい心、汚い心、神より大きくずれた心を使い続けてきたのです。私はお父さんの肉体を通して学ばせていただきます。私の中にある闇の思いをしっかりと見つめていきます。お父さん、どうぞ私とともに学んでいってください。私たちは喜びの存在であることを忘れてしまいました。肉の思いの中で、いつも恐怖と孤独、寂しさの中でこの肉体を終えていったのでした。でも私は、自分の中のタイケトメキチ、お母さんの温もりをこの心で信じて、そして私は寂しい存在でも恐怖の存在でもなかったということをこの心で明かしていきます。いっしょに歩いていってください。

肉体細胞にありがとう。ここまでこの愚かな肉を支えてともに生き続けてくれました。あなたがいたからこそ私は学ばせていただけるのです。肉は愚かです。あなたを酷使(こくし)し続けてきました。もう少し、もう少し私に時間をください。私はなぜこの肉体をもらい、そして自分の人生がどういう意味を持っていたのかということを、そしてこれまでの私の数々の過(あやま)ちを、もう少し見続けていきたいのです。肉は今の私にとって大切です。ほんの少しほんの少しでも真実の自分に触れて私は今世を終えていきたいのです。たくさんの過ちを繰り返してきた私の心の中に、ようやくほんの少しの明るさを見出せるような気がします。それまでどうぞ私に時間をください。



喜び人生の門出にふさわしいセミナーでした。私の出しているエネルギーはすさまじいです。でもまたそれを許してくれている思いを感じられることが、ただただ嬉しいです。他力の神々が怒り、決して田池留吉を認めようとはしない思いと、それでも許され、ただ許して愛されている思いを何度も何度も確認していける、そんな時間を与えられている私は、本当に幸せ者だと思います。セミナーに集えるということがどれほど幸せなことなのか、痛切に感じさせていただきました。

嬉しいです。ありがとうございました。

お母さん、ありがとう。嬉しいです。

私はあなたを呪って呪って呪って呪って呪って呪って殺して殺して殺して殺してきました。私を許してください。私を許してください。お母さん。

現象で田池留吉に向かっていく他力の神々のエネルギーも、お母さんの温もりを感じ詫びているその思いが嬉しくて、一歩一歩、神に帰る道を歩き続けていくことが、それがただ嬉しいと思いました。現象の時間は許されていることを実感できる時間だと思いました。

この心にどんなに汚い思いを秘め、どんなに腐り切った心に成り果てても、ずっとずっと信じてそして愛して許してくれている本当の自分の思いを確認していく時間が現象の時間なのだと思いました。とっくに見限ってしまったと思っていたけれど、そうではなくずっと見守り続けてくれていたということに気付いていけることが、幸せだと思いました。闇の思いを嫌い切り捨てる方向に心を使ってきた私でしたが、本当はその汚くてどうしようもなくて見たくないその思いこそが、神に帰ろう、神に帰りたいと必死に叫び続けていたのだとそう感じられました。

田池留吉から流れる波動を自分の心で確認すること、その波動を知ること、それがこれから大変重要な鍵となってきます。私たちはこれから300年かけて心の世界、本当の意識の世界を知っていきます。それは私、田池留吉、そしてアルバートとともに進んでいく道なのです。私の心の中には来世がもう着々と用意されています。ともにともに歩いていきましょう。喜びの道をともにともに歩いていきましょう。私は待っています。あなた方の目覚めを待ち続けています。私の心の中は喜び喜び喜びだけです。どうぞどうぞ私を信じ、そして私とともに歩いてきてください。一歩一歩確かな道をどうぞどうぞ歩いてきてください。



田池留吉は意識です。私の中に存在するやさしいお母さんの温もりです。だから懐かしいのです。私は田池留吉の意識を信じて、また一歩一歩本当の自分に帰ります。心の中には私が過去掴(つか)んできたたくさんの神々のエネルギーが渦巻いています。でも私は田池留吉の心を信じ、そして我が心にその思いを蘇(よみがえ)らせていきます。「私は意識です。私は肉ではありません。」とその信を自分の心で少しずつ膨らませていくことが喜びです。肉いっぱいの心でも私はまた今世こうしてお母さんに生んでいただき、そして田池留吉と出会えました。お母さん、私、生まれてこられてよかった。お母さん、私を生んでくれてありがとう。

先生の電話での指差しが、私の中の素直な思いを語らせてくれました。そして私が掴んできた他力のエネルギーが私に教えてくれたのでした。すべて私です。私が私に伝えてくれているその思いのやさしさに、私はただこうして今このたくさんの自分と出会えることが嬉しいと思いました。

田池留吉はただ待ち続けています。やさしい思いで喜びの心を私たちに伝え続けてくれる意識です。あなたは私、私はあなた。その思いをこの心で本当に感じていったならば、何も恐れることはないでしょう。

たくさんの他力のエネルギーに支配され、がんじがらめになっているその心の底の底の奥底に、本当の自分が埋もれているのです。私はあなた方をただ信じ待ち続けているだけです。今世、肉の田池留吉との関わりもあと僅かを残すことになりました。しかし意識の世界では、私はあなた方とともにあるのです。そして今世学ばれたことを、どうぞあなた方の来世へとつないでいってください。私はいつまでも待ち続けています。



何が間違っているのでしょうか。心で感じていってください。言葉ではなく、そして頭でもなく、あなたの心で感じていってください。

私の心はがんじがらめです。身動きひとつ取れない状態です。がっちりと自分の心を押さえ込んでいます。それが苦しいのです。だから苦しいから、どうすればいいのか自分に尋ねてみました。返ってくる答えは、お母さんの反省でした。お母さんの温もりを思い出してください、お母さんの温もりを思い出して、あなたのその苦しい思いを受け入れていくのですよ、というものでした。

がんじがらめの心だから、以前は肉を鼓舞(こぶ)し、がんばらせることができたのだと思います。肉しか信じていない心で一生懸命自分なりの人生を生きてきた、そのエネルギーの源はこのがんじがらめの心でした。それを素晴らしいと自負し、その思いを益々膨らませる意識と同通し、自ら苦しみの渦の中に入っていきました。

私が選び心の中に膨らませていったエネルギーです。肉基準の心で強く求めたエネルギーです。私の中の隠された能力を引き出したいと求めていった心です。私はずっとその心で神を求めてきました。神、神、神、私に力を与えてくださいと、その心で神を求め続けてきました。肉を崇(あが)められたいから、だからこの私に力をください、肉、肉、肉の心で神を求めてきました。

肉基準の心で力を求める思いは苦しい、だけどやめられない。間違っているって伝わってくるけどやめられない。

3億6千年の数字を示しました。そう簡単には心癖は修正できません。しかし不可能なことではないのです。私が常々申し上げている反省と瞑想を繰り返し、内在のタイケトメキチを思い、そしてあなたの目の前にいる田池留吉に心を向けていくのです。この道標に心を向けていくのです。真摯(しんし)な思いでやってください。あなたの心で分かってきます。これから私たちは大きな転換の時を迎えます。それが流れなのです。私はその神の流れを信じているだけです。他力のエネルギーが根こそぎ崩れ去るその時をまもなく私たちは迎えるでしょう。



「心の転回一直線で進みましょう」のぺージを読みました。傲慢でした。私はやはり肉でできる、肉で何とかできる、肉で変えていけるとそう思っていました。肉なんて何もできなかった。肉でなんか何もできなかった。反省して瞑想して現象に参加してそして自分の心で気付けたことをただ喜んでいればよかった、それだけでよかったと思いました。

変えていかなければ、変わっていかなければと、いつのまにか肩に力を入れていました。反省して瞑想してそして何か気付いていかなければ、それをやっている値打ちがないと、いつしか私は肉の勉強の延長をやっていました。そうじゃなかった。反省も瞑想も現象参加も、そして先生のマン・ツー・マンも、みんなみんなただ喜びだけでした。

瞑想して自分の心の中のタイケトメキチを思って、そして田池留吉を思ったとき嬉しいと感じる心をただ信じていくだけでよかったと思いました。いかに傲慢な心であるかということを感じました。ありがとうございました。



私の心の中にもやさしい思いがありました。

私をお腹に宿したときの母の思いに心を向けてみました。お母さんはただ私が生まれてくることを喜んでくれているだけでした。素直ないい子になってねって、ただそうやって私を育ててくれたのだと思います。人と競争し人を見下し、人を責め裁き、お母さんをないがしろにしてきたのです。それでもお母さんはあなたはいい子だよって私を生んで育ててくれました。

お母さんは私を愛して信じてくれていました。神の子の心を信じてくれていました。それは田池留吉の心でした。田池留吉を見下し、田池留吉を認められなくても、田池留吉は私を受け入れてくれています。許して待ってくれています。田池留吉の波動は私に伝えてくれているのです。あなたは本当は素直な人なんですよって。私はあなたを信じていますよって。私は自分が一番好きでもあり、一番嫌いでもありました。

嫌いで嫌いで突き放して突き放してきた私を、田池留吉は、ただ待っているだけでした。やさしい思いで待ってくれているのでした。長い長い時間待ち続けてくれていたのでした。そしてこれからも待ち続けてくれている意識でした。

お母さんでした。お母さんは私を待って待って待ち続けてくれていました。どれだけ裏切り続けようが、私を信じ待ち続けてくれている意識でした。

お母さんの心に帰りたい、私のふるさとでした。お母さんの心は私のふるさとでした。



全知全能、オールマイティ、久々に聞く言葉でした。好きな言葉でした。私がT氏に抱いているイメージがそれでした。超能力者として崇拝してきました。肉を比べていました。みんなの前に立つ者は、ベールに包まれていなければならない。みんなとお風呂に入って、みんなと同じ部屋で食事している田池留吉にそんなことしてほしくないと思ってきたのかもしれません。知らず知らずのうちにそう思ってきたのかもしれません。肉的に嫌いなところがあるかと聞かれて、普通の人であることがだめで、もっと秘密めいたところがある人であったらいいと思ってきたのかもしれません。

T氏に向けなさいと言われて、心で感じるものは苦しい思いだけです。そしてここでは自分の力が充分に出せないから悔しい、田池留吉消えうせろ、という思いが出てきます。しかしなお、田池留吉の波動はその思いさえも包み込むやさしさです。心が変わっていくのが分かります。お母さん、お母さん、お母さんはこんな私を受け入れてくれた、こんなすごいエネルギーを出している私を受け入れてくれたと、私の心は変わっていくのでした。

先生はただその波動の違いを教えてくれているのです。言葉はいりませんでした。姿形はいりませんでした。力説しなくても感じられるやさしさがありました。形で示してくれない先生に苛立(いらだ)っていました。T氏をはるか上に置き、田池留吉、本当の自分を見下げ続けてきました。私は田池留吉の肉にとらわれていました。田池留吉を肉としてしか見ていませんでした。田池留吉の方に何回も向けさせてもらいました。田池留吉の波動はお母さんの温もりでした。お母さんでした。田池留吉に心を向けて、T氏を崇拝している私の思いを緩めていきます。



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目を閉じて田池留吉を思うとき、嬉しいという思いが心の中に広がってきます。嬉しい、嬉しい、そしてお母さん、ありがとうと続いて出てきます。涙があふれてこんなに素直になっている自分が不思議なくらいです。

この心でこの思いで人と接しられたらどんなに心は軽く毎日が楽しいだろうかと思います。

今は、セミナーに集うみんなそれぞれが敏感になって田池留吉の波動を感じるようにセミナーは続けられています。時代錯誤も甚(はなは)だしいと思いますが、私はセミナーに集って長い間、チャネリングということに拘(こだわ)ってきました。いわゆる霊道が開かなければ、この学びが分からないとずっと思ってきました。霊道を能力としてとらえてきた私は、その能力を身につけたくてどうすれば私の心の窓が開くのかとそういう思いで反省をし、セミナーに参加していました。セミナーに参加する動機、目的を何度も確認するように促しを受けましたが、見たくない部分だったから自分に甘くおざなりにしていました。チャネラーになれば、みんなの注目を引くこともさることながら、意識の世界に敏感になれば、すなわちチャネラーになれば、自分の心がよく見れて反省もスムーズにいく、そうなれば自分の心癖も簡単に気付けて修正も容易だろうと思ってきました。もっとも手軽な方法を探してきました。そういう幼稚というか、打算的な思いで長い間セミナーに通い続けていました。

7年の年月が過ぎました。私の中の他力のエネルギーは、まだまだしっかりとこの心の中にあります。少し敏感になってそのことが自分の心で確認できるようになりました。そして田池留吉を思えば、嬉しくやさしい思いもこの心から出てきます。そしてその他力のエネルギーは、そのやさしい思いを信じて受け入れていかない限り、私の中から決して消えることがないということも分かりました。

意識の世界に敏感になるということは、私が考えていたそんな生易しいものではありませんでした。自分がどれだけのエネルギーを握っているかを確認するために私はチャネラーということを選んできたのだなあと思います。本当にチャネラーというのは自分のためでした。たくさんの意識を受けて多くの言葉を出すチャネラーをよく分かった人としてきました。根本が変わらない限りどうしようもなかったことが分かりました。波動が分からない、波動が信じられない限り何も見えてはこないということだったのです。いつも原点でした。そして「田池留吉を信じていきます」というこの心から出てくる思いを大切に育てていきたいです。



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私は己が高いです。だから自分の感情を素直に表面に出すのが苦手です。それは苦しいことでした。嬉しかったら嬉しいと叫べばよかったのです。私は素直に自分の思いを出している人を見ると羨ましいと思うよりも見下げていました。感情を制御することはよくて、感情のままに動いている人を見下げ続けてきました。

でも私の中の意識は素直に語っていました。その思いがとてもやさしい思いでした。田池留吉に委(ゆだ)ねている思いは、とても安らいでいます。私はこの自分の素直な思いを信じることができませんでした。このことを田池留吉は伝えてくれていました。



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いつもいつもどんなときも私は、本当の自分に支えられていたのでした。いつもいつもやさしい思いが本当のあなたですよと私は教えられていたのでした。それに気付くだけでよかった。難しいことは何もいらないと思いました。私が私を見下げていました。本当の自分を足で蹴飛ばしていました。大きな顔をして私は素晴らしいと、私は間違ってはいないと、自分に唾を吐きながら生きてきました。

本当に自作自演の世界でした。私は意識の世界を何か摩詞不思議な世界だと、そして、神もそういう感覚で捉えてきたと思います。だから知りたいとか、それを感知できる力がほしいとか、そんな思いをこの心で膨らませてきたのだと思います。

田池留吉を信じるということは、自分を、本当の自分を信じるということでした。私の中のやさしい思いを、私の中の嬉しい思いを、そして「お母さん、ありがとう」って素直に思えるこの心を信じていけばそれでよかったのだと思います。

いつもどんなときも愛されて待ち続けてもらっている私に気付けることが幸せでした。私の中のやさしい思いだけを信じていきます。

焦らずに気負わずに、ただ淡々とあなたの道を歩いてきてください。心の中の私を信じて歩いてきてください。



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私は、さまよい続けている意識でした。神を求め、真実を求めてさまよい続けていました。今世だけでもたくさんの場所、神社仏閣を訪れました。肉はただ遊びの気持ちで軽い気持ちでと、なかなか自分の他力の反省へとつなげることができませんでした。

でも「私からあなたへ一筆啓上」を見たとき、私は私の心は完全に外に向き、そしてずっとずっとさまよい続けていたと思いました。

私は待ち続けてもらっている存在でした。帰ってきなさいと待ち続けてもらっている幸せな存在でした。

そして私には来世があります。来世、アルバートと出会え、またこの学びをつないでいけることを私はこの心で知っています。それが嬉しいと思いました。田池留吉もアルバートも私の心の中にありました。ありがとうございました。未来へとつないでいけることが幸せです。



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自分で何でもできると思ってきました。何とか頭を使い体を使っていったら、何とかできると思ってきました。何ともできない状況に身を置いたとき、はじめて自分の愚かさを知ることができました。私はすべて上からものを見て自分がやっている、私がという思いがとても強かったのです。この学びもそうでした。自分がやっていく、自分でできる、そのための方法を教えてくださいという思いで学んできました。そして自己供養を全く飛ばしてきた学び方でした。

田池留吉を見くびってきました。意識の世界を簡単に捉えてきました。自分の闇を甘く甘く捉えてきました。単に人を見下げているとか、己一番とか、そんな次元のものではなかったのです。

「我は神なり。全世界を牛耳っていく。私は田池留吉を殺すために生まれてきた。」

はっきりとはっきりと自分の口からその闇の思いを出させてもらったときに、初めて自分がどれだけの闇をこの心に抱えているかを確認させていただきました。現象ではすさまじいエネルギーを出している私ですが、まだまだ自分はあの人ほどではないと思ってきました。認めたくはなかったけれど、認めざるを得ないすごいエネルギーを持っています。認められなかったから、反省にもつないでいくことができないと思いました。田池留吉に向けなさいと言われたとき、私は「田池留吉に向けられないんです。田池留吉を思えないんです。私は田池留吉を殺すために、今こうして目の前に肉を持って生まれてきたのに、こんな私を許してくれるのですか」、そう語っていました。田池留吉、田池留吉の波動は、ただただやさしく包み込む思いでした。あなたはすでに「許されているのですよ」と言われました。心を閉ざしてきました。心を開けていくだけでよかったんです。

私は自分の闇が怖かった、自分の闇に押しつぶされそうだから、だから肉は心を向けることをしてきませんでした。だけど闇も自分なら、田池留吉も自分の中にある温もりでした。すべて自作自演の世界が意識の世界でした。私の心の中で闇は解放されるのを待っています。ひとつ出ればまた次と闇は尽きることなくこの心から出てきます。田池留吉を殺すために生まれてきた闇が、田池留吉に出会いたくて出会いたくて生まれてきてくれたことを心で感じさせてもらって嬉しいです。闇とともに田池留吉に心を向けていくことを学んでいきます。ありがとうございました。

私は己が偉かった。己一番、己一番、すべてのものを見下げてきました。お父さん、お母さん、ありがとう。私は一番愚か者でございました。私は愛されて愛されて許されている幸せな存在でした。今世こうやって田池留吉と出会えること幸せでございます。3億6千年の長き転生でございました。私はこれから心の修正をしてそして来世に必ずつないでいきます。ありがとうございました。



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私は愛を求めてきました。心が満たされなかったのです。どんなに求めても求めても私の心は満たされませんでした。みんなみんな裏切る、最後は私の前から消えていく、もうそんなこと二度とごめんだと心を開くことができませんでした。寂しかった。寂しいけど寂しいって言えませんでした。そんなはずはない、私が寂しいはずがない、私は一生懸命その心を隠しました。一生懸命心を逸(そ)らすことだけをしてきました。絶対認めたくない思いでした。私は寂しくはない、私はその思いを認めることができませんでした。寂しい心を受け止めてあげることをしてきませんでした。寂しい心を押さえつけて、愛をそして力を求めてきました。愛は求めて得られるものだと思ってきました。愛が流れているのを遮(さえぎ)っていたのは私でした。



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この学びにつながり、自分を解放することをどれだけ望んできたことなのかよく分かります。そして田池留吉と出会えたことは決して偶然ではなかったような気がします。出会えるべくして出会えたように思います。田池留吉が伝えてくれたことが自分の心で確認でき、その波動とともに心で感じさせてもらえる時間が与えられていることが幸せです。



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欲、欲、欲の心でした。今、目を閉じて私が私と対話できる時間があります。自分の心で語り合える時間があります。自分に思いを向けたとき、私は幸せだと少しでも思えるそんな時間があります。いっぱいいっぱい望んできました。目を閉じて田池留吉を思う時間があることが一番幸せなんだと思います。

何が幸せで、どうすれば幸せになるのか、どうなったら私のこの心は満足するのか、そう思って一生懸命やってみました。一時の充足感が得られました。しかしその後ですぐに襲ってくるのは空しさ、不安でした。心が満たされない、何で何でと心が定まりませんでした。心が荒(すさ)み干からびていることを感じていました。だけど弱音なんか吐きたくなかった。グチグチブツブツの私なんて認めたくなかったのです。幸せで充実している時を過ごしているっていう証拠が私には必要でした。まったくばかげていました。どうしてそこまで飾らないといけないのか、決して同類だとは認めたくはありませんでした。

生まれて死んでいく時間の中で、見たくない許したくない自分を少しでも受け入れることができたなら、それで私の人生、丸でした。何も持たなくても、何も求めなくても、心の底から自分をいとおしいと思えたならそれでよかったんだと思います。心が満たされない、心が寂しい、心を癒(いや)してほしい、みんなみんな過去からずっと生き続けてきた心の叫びでした。田池留吉に心を向けるとき、その心の叫びは一斉に飛び出してきます。押さえ隠し続けてきたけど、もうどうすることもできなくなりました。今世受け入れる以外には道は残されていません。



18

無条件でした。何もありませんでした。何もなかったのです。ただ許されていました。どんな思いもすべて受け入れられていました。包み込まれている感じでした。受け入れてもらっていることがこんなに嬉しくて、許されている私は理屈も何もなくただ幸せでした。心を私に委(ゆだ)ねていきなさい、私はあなたですよ、あなたは私ですよと、田池留吉の波動の中で私は生かされている存在でした。自分が間違ってきたことを認められることが嬉しかった。私は間違ってきましたとそう自分に伝えてやれることが嬉しいと思いました。

私は認めて欲しかったのです。自分の中の闇の思いを認めて欲しかったのです。私を受け入れて欲しかったのです。私はあなた、あなたは私ですと言って欲しかったのです。嫌い切り捨てるのではなく、ただあなたに気付いて欲しかったのです。あなたも許されています、あなたも受け入れてもらっていますと言って欲しかったのです。

何度でも何度でも私に心を向けて、自分に素直になっていくんですよとただ待ってくれている田池留吉の思いに触れました。ただ待ち続けてくれている思いがこんなにも温かく私を包み込んでくれているのかと思います。時間が与えられています。自分で受け入れることができるやさしい思いに気付いてくださいと、その時間が私には与えられています。苦しいとき、悲しいとき、あなたの心の中に思いを向けていくんですよと、私は伝えられていました。いつもいつもあなたの心の中で支えている私の存在に気付いてくださいと私はこの心の中で教えてもらっているのでした。



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母がパソコンを始めました。その操作方法を聞いてくる母に対して、私とのやりとりは全く私がこの学びに使っている心そのものでした。それを母は示してくれていました。電話でのやりとりは自分の心がストレートに出ます。「ここをクリックしたら、こうなるよ」「ならない」、順序を追って説明しようとしても、それより先に自分の言いたいこととか、知りたいことだけをさっさと要求して相手の言うことに素直に耳を貸さない母に、自分の姿が重なります。パソコンを使うに当たって、本の一ぺージも読まないで何とか使いこなそうとしている母のあつかましさというか、横柄な思いは、私がこの学びにおいて、先生に対して出している思いそのもののように思えてなりません。順序立てて教えてもらっていることに素直ではなかったようです。心を空にして聞いてこなかったように思います。

どこかに自分の思い込みやら希望やら欲の思いがあって、それらを優先する形で、先生の言われたことを解釈していたと思います。母を通して教えてもらいました。ありがとうございました。素直になることでした。



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私の肉では分からないけれど、意識は知っています。心は意識はすでに未来でした。

その時の思いは温かいとか嬉しいとか、そんなものを飛び越えた感覚でした。言葉ではありませんでした。何の抵抗もなく、「私は意識です」と思えました。「あなたは苦しい存在ではありません。あなたは意識です。ありがとう、ありがとう、ありがとう。ああ、嬉しい、嬉しい、嬉しいです」とそう語っていました。自分のこの心をこの思いを信じてまたやっていきます。ありがとうございました。



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「あなた方が出してきたエネルギーはすさまじいです。私に向けるあなた方の思いはとてもとても苦しいです。私は今あなた方のその流してきたエネルギーをこういう形で示しています。私を思うあなた方の思いが苦しいのです。気付いてください。気付いてください。あなた方の過(あやま)ちに気付いてください。」と、三宅島は切々と訴えていました。意識を向けさせてもらったときの思いは、苦しいけれど嬉しい、それが愛ですということを、私たちに訴えているような感じがしました。

島は生きていました。島は訴えていました。島は伝えてくれていました。私はやはり他人事(ひとごと)でした。島は島でした。意識を向けてみても、はっきりと分からないと勝手に思い込んでいました。周りはすべて教えてくれていたのでした。波動を感じていくということ、意識を向けていくということがいかに大切なことであり、またそうすることにより意識の世界をこの心で実感できるのだと思いました。崩れゆく形の世界に心をとらわれることなく、そこから感じられる温かい思いに心を向けて、田池留吉の波動の世界を信じていきたいと思いました。