「ありがとう」
―意識の世界への架け橋―

はじめに



この世に誕生すれば、今の時代においては、人はそれぞれ学校教育を受け社会へ巣立ち、同時に家庭人として家族を形成して人生を繰り広げていきます。そしてやがて死を迎えます。その過程で、それぞれ様々な出来事に出会い、色々な人との出会いがあります。そういう出来事や人あるいは自分の生業(なりわい)を通して、それぞれの人生は多種多様に色づけされていきます。中には、志半ばで中断を余儀(よぎ)なくされる場合もあるでしょうし、やむなく方向転換をしなければならない場合もあるでしょう。自分の思い通りには、なかなか進んでいかないのが人生だと言ってもいいかもしれません。

さて、前置きはここまでにしておきます。

私は今、「私の人生は幸せです」と胸を張って言えます。自分自身に言えるのです。だから私は幸せだと思います。誰がいるからとか、何があるからではなくて、私は自分の存在そのものが嬉しいと、今本当に心から思っています。そのような私に変わらせていただいたことが喜びですと、しみじみ思います。そういう中で、私はこのような自叙伝(じじょでん)的なものを記(しる)してみようと、自然に思うようになりました。私には今ひとつの肉体を持って存在させてもらっている自分に対して、本当にありがとうと心から伝えたい思いがあります。その思いから、生まれてから48年という時間を振り返りながら、自分自身をもう一度振り返ってみようと思います。そしてこれからの時間もまた、ありがとうの思いで通過していこう、その一区切りにしようという思いで、私は今現在います。誰に読んでほしいとか、共鳴してほしいとかではなく、私は自分のために自分自身の思いを綴(つづ)っていきます。愚かな私自身をしっかりと受け止めて、赤裸々(せきらら)に書き綴っていこうと思っています。

私は、1959年3月9日に生まれました。猪突猛進(ちょとつもうしん)の亥(い)年生まれです。2006年で数え年48歳になります。まだこれから先、私がこの肉体を持っている時間は残されていると思いますが、私の人生の最大のポイントは、田池留吉という方との出会いだったということは、もう間違いありません。この方との出会いにより、私は、意識の世界における大いなる成長を自分の中で確認してまいりました。それはどういうことなのかということは、これから徐々に触れていきますが、私自身の最大のターニングポイント、いわゆる最大の転機がこの方との出会いでした。それはまさに私にとって、暗から明への切り替え時期でした。それが今世だったのです。

ところで、私は今、「今世」という言葉を使いましたが、私は、今現在の肉体を持っている私だけが私であるとは思っていません。私は、過去から未来へ続く時間の中でずっと存在しているもの、それが私自身であると感じています。従って、「今世」という今のこの時間は、私にとってひとつの通過点にすぎないのです。そういうところから、私はこの世を眺(なが)め、周りを眺めながら、毎日を過ごしています。

また、この「今世」という言葉と同様に、私は文中で「肉」という言葉も多く使っています。「肉」という言葉に違和感を覚える人もおられるだろうと思いますので、最初に少し説明を加えさせてください。

「肉体」とか「身体(からだ)」と表現すれば、スムーズに受け入れてもらえると分かっていますが、あえて、「肉」という表現にさせていただいています。そこで、「肉」というのは、「肉体」とか「身体」というものを含む、形ある世界と考えてください。そして、その形ある世界が本物だとする思いを肉の思いと言っています。肉を土台にした思いです。単に、人間の肉体的なことだけではなく、形の世界すなわち今現実、目の前に広がっている形のある世界を本物と感じて、その思いを土台にして自分の心に上がってくる思いすべてを「肉」と言います。

以下、「肉」「肉の喜びと幸せ」「肉の自分」「肉の力」「肉の頭」「肉の心」「肉の母」等々、数多く出てきます。みんな、形ある肉体が自分だと思っている思いがベースにあります。

「肉」ということについて、少し説明をさせていただきましたが、どうやら、肉とか肉の思いとかということが、ポイントになってくるんだなあと、勘のよい人はお察しいただいているかもしれません。そうなんです。その通りなんです。真実とは全く逆方向に存在しているのが私達人間であり、人はみんな間違って生きてきたと私は思っています。しかし、なぜそう思うのか、そして間違っているとするならば、どう間違っているのか、何を間違ってきたのかについては、この本を読まれた方の判断にお任せしたいと思います。ここでは、本当の自分を知らずに生きてきた私自身の体験を振り返ることによって、愚かな自分を客観的に見つめ、自分の心で感じてきたことを、できるだけ忠実に表現していきます。

そこで、私自身の体験を、父の病気から父との死別に至る部分と、自分自身の結婚そして夫との死別に至る部分の二点に絞ります。それは、この二点により、私は自分の中に本当の自分自身が存在していることと、その意味とその大切さ、そしてこれから存在していく喜びに辿(たど)り着いたと言えると思うからです。もちろん、それらの現象は、みんな私自身が設定、予定してきた事柄でした。そしてこのことにより、私は本当の私を取り戻すことができたと言えると思っています。自分を振り返るチャンスであって、そしてまた確認していくことができた事柄がこの二点でした。

まさに、この二点は私には必要不可欠なポイントであり、それを自覚できたからこそ、今こうして喜び幸せの自分自身と出会わせてもらっていると思っています。父の病気と私自身の結婚そして夫との死別、これらの出来事を経て、私は田池留吉氏との出会いがあり、自分の中に意識の目覚めを起こしました。つまり、自分が自分と思っている自分とは、いったい何なのか、そしてその自分と思っている自分が自分でないとするならば、本当の自分とはどのようなものなのか、そういったことに思いを向けていこうとしたのです。そして、父との死別により、さらに私はその方向へ確実に向いていきました。すなわち、二点のポイントは、今世の最大のターニングポイントを迎える準備段階ということでした。

私自身もほんの数年前までは、皆さんと同じ基盤、すなわちこの世の常識、慣習等の中で物事を見て、自分の中で判断し、これは正しい、これは間違っている、何でこうなのだと批判しながら、自分というものを掲(かか)げてきました。しかし、そういったものから、自分の心を解き放していった時に、見えてきたものがあったのです。今までとらえてきたものとは、全く違う風景に心が触れた時に、ああ自分は本当に間違ってきました、真実から遠くかけ離れてしまった自分自身でしたと思うことができました。そして、ようやく自分自身を本当の人生のスタートラインに立たせたことを実感している、今現在です。

 

2006年8月 塩川香世