「田池留吉」と呼び捨てにすることをご容赦ください。
その人、田池留吉は、大阪府南河内郡在住の一老人です。
昔、大阪府立の高等学校の教諭をしておられ、定年まであと一年を残す時期に、校長職で退職されました。
定年まで待たずに校長職を辞され、それ以後は、自ら期することに、自分のすべてを費やされてきた人です。
これまでに、その人のもとに集い学んでこられた人達は、全国各地にたくさんおられます。海外在住の人達もいます。
私もこの人のもとで学ばせていただいた一人です。
私は、田池留吉との出会いを心の底から嬉しく思っています。
それは、ただ単なる人と人の出会いではありませんでした。本当に出会うべくして出会った私達だったのです。
私は、田池留吉との出会いがあったからこそ、自分がなぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてきたのかということを、はっきりと心で知ることができました。
そして、心で知ることができたから、私は今、本当に幸せです。
田池留吉の存在により、自分というものが、私の中ではっきりとしてきたのです。
田池留吉もまた、私の出現を大変喜んでくれました。心から喜んでくれました。
自ら期することがあって、自分のすべてを費やして伝えてきたことが証明されたことを、心から喜んでいただきました。
「いかに予定通り、計画通りとはいえ、自分が提示してきた事柄を、心で証明する人が現れなかったら、私は生まれてきた意味がなかった」と、私は、これまでに、田池留吉より繰り返し聞かせていただきました。
今、私は、証し人を、待って待って待ち続けてくれていた田池留吉の熱い思いに、充分に応えていけることを感じています。私の心に感じている感謝と喜びの思いを、その人、田池留吉の世界に向けて、綴ってみたいと思いました。
ただし、私は、本書で、その人、田池留吉の経歴および人となりをご紹介するつもりはありません。
また、誠に恐縮ですが、本書を読んでいただく前に、ぜひとも、田池留吉著『意識の流れ』、『続 意識の流れ』に目を通していただければと思います。
それは、ある程度の予備知識があれば、本書の内容がスムーズに、あなたの中に入っていくのではないかと思うからです。
もちろん、UTAブックさんから出版されている『意識の流れ』シリーズを読んでいただいておくと、さらにご理解が深まるかと思います。
さて、田池留吉と私の出会いは、遡ること、十七年の年月が流れています。一九九三年四月、場所は、熱海のとあるホテルのセミナー会場でした。
新幹線の車窓から、くっきりとした富士の山を気分よく眺めながら、私は、熱海の駅に、一人降り立ちました。
そして、セミナー会場の最前列のテーブルに陣取り、私は、田池留吉をお迎えしたのでした。
それが、私の宿泊を伴うセミナー参加の始まりでした。
今思えば、私は、教えを請うというよりも、宣戦布告のラッパを鳴らして、田池留吉の世界に乗り込んでいったという感じです。
もちろん、当時は、そんな大それた思いを抱きながら、セミナーに参加していたとは、知る由もありませんでした。
私は、自分の周りに起こった出来事から、ようやく重い腰を上げて学び始めたのでした。
今は昔の話です。そんな私が、よくここまで学んできたなあ、いいえ、学ばせていただいたと、深く感謝しています。
しかし、懐かしさに浸っている時間はありません。
その人、田池留吉、田池留吉の世界を、心で知っていく方向に、私は、全力を傾けようと思います。
出会うべくして出会ったこの出会いを、私は、自分の中で味わい尽くしたい、何かそのような感じです。
まだまだ力量不足の感がありますが、今、私はそうできる条件が整っており、嬉しい作業をさせていただけることを喜んでいます。
ところで唐突ですが、あなたは「転生」という言葉を知っていますか。
私達人間は転生をする、つまり、生まれ変わってくるのです。しかも、私達人間は人間にしか生まれ変わってきません。人間以外の生き物に転生があるのかということは、ここでは少しおくとしまして、私達人間には、確かに生まれて死んで、また生まれてくるといった転生があります。
そもそも、なぜ、私達人間には、その転生があるのでしょうか。
それは、自分達の間違いを正すためにあるのです。そのために、私達は、これまでに数限りない転生を繰り返してきました。
しかし、私達は、この世に生まれてくると、間違いを正すどころか、いいえ、間違いが何であるのかさえも分からないまま、さらに間違いの上塗りをしていったのです。
それは、私達人間の本当の姿はこうですよと、誰も教えてくれなかったからです。
そのような中で、田池留吉という人物は、私達に、これまで懇切丁寧に、その一点について語ってくれました。ようやく、そういう人物が私達の目の前に出現してくれたのでした。ただし、田池留吉の話だけでは、とても信じられる内容のものではありません。たとえ、何千回、何万回、話を聞いたとしても、やはり、今、目に見えて耳に聞こえて触れることのできる形ある世界が現実だという思いは、大変根強いです。それは、今の私達にとって疑う余地もないことでしょう。その世界を中心にして、その中で、自分達の幸福と繁栄を追求していくことについて、程度の差こそあっても、根本的に誰も異論はないのが現実です。
その現実を前にして、田池留吉の伝えてきたことが、一人ひとりの心の中に本当に浸透していくには、まだまだ時間を要します。
しかし、田池留吉が語ってきたことは「本当のことだった」と、必ず、私達に提示されていきます。
具体的には天変地異です。人的災害も含めて、これから起こってくる天変地異のエネルギーの大きさは、これまでの私達人間の体験や経験を遥かに超えた規模のものです。今までの体験や経験では、とても対処できない規模の天変地異が続発してきます。私達人間の間違いを正すためには、もう、それしかないことを、これまでに田池留吉は何度も何度も、繰り返し語ってくれていました。
転生というところから、少々、先を行き過ぎました。話を戻します。
今は、経済が先行する時代ですが、たとえ、豊かで快適な暮らしがあり、物質的に満たされていても、心の平安がなければ、本当に幸せだとは言えないという人もいるでしょう。確かにお金では解決できないことがあります。確かにそうです。たとえ、どんなに経済発展を遂げようが、人間の心はそれだけでは満たされるものではありません。そこまでは、みんな何となくそう思っていると思います。
では、心の平安を得るにはどうすればいいのかということになれば、それがはっきりと分からないのです。
分からないから、怪しげなものに心を寄せていく始末です。満たされない心を人間は抱えています。根本的に寂しい心とでもいうのでしょうか。しかし、その心をどのように癒していけばいいのか分からないのです。いわゆる霊感商法が後を絶たないのも、その一例です。先祖の祟り、過去からの因縁など、全くバカバカしいです。
しかし、それをまともに受け、大枚を支払い、いいえ、それどころか、身も心も投げ打って、骨抜きにされてしまったという何とも哀れな現実が後を絶ちません。
一方、田池留吉のもとに集ってこられた人達の多くも、宗教遍歴を重ねてこられた人達です。宗教遍歴とは、いわゆる現世利益です。
あるいは、精神世界に興味があるとか、パワーが好きだとか、言ってみれば、田池留吉の伝えようとする中身とは、全く相容れないものを目指して、学びに集ってこられたというのが、実際のところでした。
そういう人達からすると、この学びは、何とも難しいのです。
この学びで言うことは、決まっています。
【あなた、自分の心を見てください】
そして、「あなたが見下してきた、嫌ってきた母親の反省をしなさい」と言われて、最初は、誰でも面食らうのではないでしょうか。
その上、拝んで祭って念じて、そして、お金を積めば願いは届く、祈りは通じると信じてきた心癖や、田池留吉という人物も、また、救世主か何かのようにとらえ、偶像崇拝の対象物として見る心癖がしっかりと根付いています。その中で、その心の奥底に渦巻くエネルギーを感じていきなさいなんて言われても、すんなりと、ああ、そうですかとはならないし、そう簡単にそれらの心癖をご破算にできるものでもないでしょう。
それもすべて承知の上で、田池留吉は、手取り足取り伝えてくれました。
伝えることが自分の喜びと語り、淡々と伝えてくれたその中身は、それは、それは、大変なものでした。
それは、それは、大変な中身を、言葉で表現する限界を感じながらも、私は、田池留吉とともに学ばせていただいたことを感謝して、その思いを何らかの形に残しておきたいと思いました。
おそらく、これからの私は、その人、田池留吉、田池留吉の世界という大きなテーマのもとに自分の心を合わせて、そこから発せられるメッセージを通して、田池留吉の世界を伝えていく方向に進んでいくと思います。
田池留吉の世界を伝えていく方向とは、私達の本質である意識、その世界の真実を、これからの社会現象の中で淡々と語っていくことを言います。
『その人、田池留吉 ―田池留吉の世界―』という題名の本が、これからシリーズとして、本棚に並び、末永く愛読していただければ、そして、この本とともに私も、そして、あなたも、喜びの道を一歩ずつ進んでいくことができたならば、これに優る幸せはないと思っています。
ところで、田池留吉とともに学んでこられた人ならばいざ知らず、初めて、田池留吉という文字を目にした人にとっては、田池留吉の世界と言われても、あまりにも唐突過ぎて、何か胡散臭いなあと敬遠されると思います。
その人の顔はおろか、あなたの手許には、今現在、田池留吉という人物について、何も情報がありません。
しかし、安心してください。
私達には、あなたを洗脳する思いなど微塵もありません。
もちろん、金品も要求しなければ、「会員を集めなさい」とか、「奉仕活動をしましょう」とか、そのような類のことは、何もありません。
私達は、あなたが、本当のことに出会っていっていただきたいと、心から思うだけです。
しかしながら、あなたもご承知のように、世間には、ここは本物ですよ、あなたはこうすれば幸せになりますよ、あなたの人生の展望が開けていきますよ、といった類のものは、そこかしこにあります。
なるほど、上手な表現で、人によっては、そして、場合によっては、適切なアドバイスになるかもしれません。
ただ、それらと、田池留吉が言ってきたこととは、決定的な違いがあります。
まず、それをあなたの頭で理解していただきたいのです。
田池留吉という人物が言わんとしていることを、まず、あなたの頭で理解して、それから、その次に、あなたの心で感じていく方向に進んでいくことができれば、ベストです。
頭で理解することはいいとして、心で感じていくとはどういうことなのか、いいえ、それよりも、やはり、自分が見も知らない人の世界に心を向けていくことに、少々の不安とか、戸惑いを感じるのは当たり前だと思います。
中には、うっかりと心を向けて、遠隔的に操られるのではないか、そんなことを思っておられる人もあるかもしれません。
しかし、今一度、申し上げます。そういうことは、一切、心配ご無用です。
ただ、前準備は必要だと思います。前準備というのは、先にご紹介しました田池留吉著『意識の流れ』、『続 意識の流れ』を読んでいただくことです。
田池留吉という人が、心血を注ぎ、誠心誠意、私達に伝えてくれたもの、その中身は、今まで、誰も教えてくれなかったものです。
従って、その中身が私達に浸透していくには、当然のことながら、まだまだ時間を要します。
ですから、意識の流れという言葉を、初めて耳にされる人であるならば、まず、田池留吉著『意識の流れ』を手許に置いてください。
平易な文章で綴られています。価格も手頃です。ぜひ読んでください。
再度、申し上げます。
私達にあるのは、あなたに本当のことを知っていただいて、あなたの生き様を振り返っていただきたい、そして、これからの進むべき方向を確認していただきたいという思いだけです。
もっとはっきりと申し上げるならば、あなたは、あなたの本当の姿を知っていく方向に生きていってくださいということです。