その人、田池留吉 
―田池留吉の世界―

2.パソコンに向いながら、思うこと……



さて、私は、直近に、『第二の人生 ―ラストチャンスです―』という題名の本を発刊させていただいています。
読んでいただいた人はお分かりのように、あの本には、田池留吉という文言は一切使われていません。
私は、あえて、そのようにしました。
本の最後のほうに記した正しい瞑想ということについても、実は、ズバリ、田池留吉に心を向けることだと記したかったのです。
しかし、私は、あのような表現で留めました。意図的に留めました。
それは、私の中に、田池留吉の世界を、どこかの教祖や開祖、指導者などと同程度のレベルにとらえてほしくないという思いが、あったからです。
田池留吉とともに、長年学び続けてこられた人達の中にさえも、まだまだ、田池留吉が言わんとするところを、的確にとらえることができない人達が大勢います。
ましてや、そうでない人達に、いきなり、田池留吉に心を向けてくださいと言ってみても……と思ったので、私は、あえて、そこまで踏み込みませんでした。

私には、本気で、真剣に自分の人生を考えていこうとする人達や、自分の生き方について考え直していこうとする人達に、何らかのメッセージをお伝えしたいという思いがあります。
もちろん、『第二の人生 ―ラストチャンスです―』という本も、そういう思いから書かせていただきました。
『第二の人生 ―ラストチャンスです―』という本を読んでいただいて、さらにそこから本格的にやってみようと思う人達に、本書を通じて、私の熱い思いを語っていきたいと思っています。
その思いが、どこまで心に響いていくか、率直に申し上げて未知数です。
私は、ある面、それは仕方がないことだと思っています。
自分達が作ってきた意識の世界は、そう簡単には変えることができないことを、私は、学びの年月を通じて、たくさんの人達から感じさせていただきました。
やはり、自分達を形あるものとしてとらえる思いは、断然強いのです。
どんなに、そうではないんだと頭は納得しても、心、意識は、そう容易く納得しない、それが残念ながら現実だと、私は、思っています。
しかし、私は、その現実をきちんと認識して、その上で、自分のやっていくことは、これしかないという思いを、どなたも持ち続けてほしいと思っているのです。
その思いが、このようにして、パソコンのキーを打たせるのかもしれません。
今世という時間を共有して、ともに学ばせていただいた人達がいます。また、これからやっていこうとする人達もあると思います。
一人でも多くの人が、きちんと、自分の進むべき方向が自分の中で定まっていく感触を味わうことができたならと思います。

しかし、実はそれだけではないのです。
私に、パソコンのキーを打たせるもうひとつの訳があります。
私の中に次のような思いがあるのです。
それは、今現在、田池留吉という人の顔さえも全く知らずにいても、これからの時を経て、田池留吉の世界に呼応してくる人達(意識)の存在です。
私の中に、その意識達に向けて語りたいという思いがあります。
その意識達は、必ず、これからの時を経て、私達と合流することを、私は感じています。
今世は、出会うこともなく、全く学ぶ時間と空間を共有できなかったかもしれないけれど、必ず、私達に呼応してくる意識達があるのです。その意識達に向けて、語っていきたいという思いは、私の中に、ずっと以前よりありました。
とは言うものの、もちろん、そういう人達(意識)が、どこかで本書を読んでいただければ、それに越したことはありませんし、こんなに嬉しいことはありません。
しかし、たとえ、そうでなくても、私はいいと思っています。
語りたい思いは、それを形にする過程で、滞りなく伝わっていくと信じているからです。
私は、それこそが、意識の世界ならではの、なせることだとも思っています。
パソコンのキーを打つ作業の中で、私の意識は、田池留吉という方向を向きます。
つまり、そういう時間を持たせていただくということ、そのこと自体に、何よりも大きな意味があり大切なことだと、私は思っているのです。
さらには、その結果、本という形となっていくのだから、私としては、こんなにありがたいことはないと感謝しています。

という私の秘めたる思いを、少し紹介させていただきました。

それでは、田池留吉のご挨拶より、始めさせていただきます。