その人、田池留吉 
―田池留吉の世界―

3.田池留吉のご挨拶



皆さん、私は、田池留吉と申します。
私、田池留吉は、先ほどご紹介いただきましたように、一介の老人です。日本人男性の平均寿命を超えた今も、日々楽しく生活をしています。
しかし、私の本当の姿は、皆さんの目には見えません。
私の本当の姿は、意識、エネルギーだからです。これは、皆さんもご同様です。

【私達人間の本当の姿は、意識、エネルギーです】

私は、この真実を、お伝えするために生まれてきましたと申し上げても、決して過言ではありません。
従って、私の本当の姿を知るには、あなたの心で感じていただくしかないのです。そして、あなたの心で、私、田池留吉を感じていただければ、間違いなく、あなたは幸せを、安らぎを、感じていかれるでしょう。
それは、私、田池留吉の世界とは、一口に言えば、母の温もり、母の安らぎ、母の波動だからです。
どなたも、母親の胎内から生まれてきました。だから、どなたも、母の波動を知っているのです。
つまり、どなたも、私、田池留吉の世界を、その心で知っているということなのです。
あなたが、本当に、私、田池留吉の世界に心を合わすことができれば、それは、紛れもない事実だと、ご自分の心でお分かりになられると思います。

ということで、私の意識の世界を心で感じていただくために、私は、これまでに約二十年間にわたり、全国各地において、セミナーを開催してまいりました。
たくさんの人達が集ってくれました。男性も女性も、たくさんの人達と出会わせていただきました。もちろん、海外からもやってきてくれました。
みんな、自分の間違いに気付いていくために、今世の時間をいただいたのです。
私達は、それぞれの場所で、それぞれの環境の中で、色々なところから自分の心を見ていくことを、学んでまいりました。
学びの詳しいことは、もうすでに、『意識の流れ』シリーズに書かれています。
どうぞ、それらを参考にしていただき、あなたは、あなたの心を見ることをしていってください。

結論から言いますと、人間の心の中には、「他力の思い」が詰まっています。
「他力の思い」とは、一口に言えば、形を本物とする思いです。
形を本物とする思いとは、どのような思いでしょうか。
目に見え、耳に聞こえるこの空間に、今、あなたは自分を確認しています。ひとつの肉体を指して、自分だとしています。
言い換えれば、肉体という形からしか自分を確認できない今現在のあなたです。
このように、形を本物とする思いとは、形あるものを中心にして、物事を見て、判断していく思いです。
そうではなくて、人間の本質である意識の世界から、自分を確認する、本来私達は、そうあるべきなのです。
なぜならば、私達人間の本当の姿は、形がなく目に見えないからです。
自分達の本当の姿を見えなくしてしまったのが、自らが作ってきた「他力の世界」というわけです。
先ほど、田池留吉の世界は、母の温もり、母の安らぎ、母の波動と申しましたが、その母の温もり、母の波動を心で感じるためには、あなたの中に詰まったままの、その「他力の思い」をしっかりと見つめていかなければなりません。
それをしないままでは、本当の喜びも、本当の幸せも、決して分かるはずがないことを知っていただきたいのです。

皆さんが、今、見ておられる現実の世界は、区別、差別の世界です。形の世界は、区別、差別の世界です。
理不尽な区別、差別を怒り、あるいは嘆いても、形の世界は、区別、差別の世界なのです。
今、私達人間は、区別、差別のある中で、何とか幸せになろうとしています。
しかし、なれるはずはないのです。誰かが幸せを感じていけば、必ず、その裏で不幸せな人がいます。
形の世界には、光と影があります。光が当たれば、影ができるのです。
形を本物とする思いが、区別、差別の思いを膨らませていきます。さらには、区別、差別の思いが、形を本物とする思いを強くしていくのです。
その中で、どれだけ幸せになりたい、喜びを感じていきたいと思ってみても、それは、不可能なことです。
ということを、私は、約二十年前から、皆さんにお伝えしてまいりました。

本当のことを見失った世界とは、どれほどの苦しい世界なのでしょうか。
もう自分を傷つけていくことは、やめにしましょう。
私達は、初めから幸せな存在です。
嘆き苦しむそんな人生を、いつまでも繰り返していく、これほど愚かなことはないでしょう。
心で感じ始めた人から、その方向を変えていけるような生き方をなさっていってください。
本当のことを知らない人間は、無知です、エゴです、欲いっぱいです。愚かなのです。あなたは、自分が愚かであった、愚かであると、どの程度自覚されていますか。どうぞ、愚かなご自分を知っていってください。自分を知らずに生きてきた愚かな自分と、出会っていってください。
ところで、あなたご自身、これまでに、「私達は生かされています」ということをおっしゃったことがありますか。あるいは、どこかで、そういうようなことを聞かれたことがありますか。
あなたは、それを、どのように思っておられますか、どんな意味でとらえていますか。
確かに、私も、そういうことを語ってきました。
「私達は生かされています、許されています、私達は、愛の中にあります」と。

では、私達は、何によって生かされているのか、許されているのか、そして、愛の中にある愛とは一体何か、そういうようなことを、愚かな自分と出会う中で、その本当の意味を知っていただきたいと思います。